生物進化論的救い2008年03月11日 10時52分47秒

長年、生物進化論関係の本を愛読している。楽しいし、ためになるし、救われる。多様な生物の世界を知り、人間も含めて生き物はすべて利己的であることを理解すると、自分も含めた人の動物的利己的に見える振る舞いも、まあ仕方ないかと思えるし、自分の肉体的人格的欠点も、遺伝のせいかもしれないと思えれば、気が楽だ。

生き物は、すべて利己的である――より正確に言うと、個体が利己的というより、遺伝子が利己的ということであり、遺伝子は自分のコピーを増やしていくためだけに、個体を利用していく。私たちの肉体とは、ただ遺伝子の乗り物に過ぎない――すべては遺伝子の意志である――これが、リチャード・ドーキンスというイギリスの学者が世界中に広めて驚かせた利己的遺伝子の概念であり、多くの学者が彼の説を支持している。

生物学の知識を一般の人たちに楽しく伝える仕事をしているある著者の方は、リチャード・ドーキンスの本に出会ったときの「救い」をこう書いている。

「……ようやく谷底から救い出されたような思いになったのである。人生に、目的などない、人にまっとうすべき使命もない。努力を怠るのでもなければ怠慢というのでもないが、そもそも大袈裟に考えるからこそ我々は苦しまねばならないのだ。遺伝子とうまくつきあう方法を考えればよいのではないか……。」(竹内久美子著 「千鶴子には見えていた!」275ページ文藝春秋社)

生物進化論の観点から見ると、浮気をする男も女も、子殺し、子供の虐待、育児放棄、レイプする人たちさえも悪者ではない。それらにはちゃんと生物学的根拠がある(もちろん、だからといって、人間の社会が、子殺し、虐待、レイプ、育児放棄等々を、裁かなくてもいい、罰しなくてもいいという話ではない。人間の社会の法律は、そういう極度の動物的行動を禁止し、裁くことが、その仕事である)。動物の中には、信じられないことに、ある種の中絶さえする動物もいるという。最近読んだ本、「マザー・ネイチャー」という本には、様々な動物たちの生態が書かれてあり、大変に面白かった。

一方、生物進化論とは相性が悪い宗教(宗教、特にキリスト教は、進化論を否定する立場にたつ)も、最終的には、似たような結論にたどり着く。「遺伝子」を「神」という言葉に置き換えれば、こう言える。「すべては神の意志である」と。

私が敬愛するインドの導師たちは、「人生には目的はない。人生は神のリーラ(戯れ)であり、人の運命は、妊娠のときに刻印され、すべては決まっている」と言う。一つの肉体が何をしても、しなくても、どの肉体が何をしてもしなくても、それは神の意志だ、と。

深く考える人たちは、「それでは、私の自由意志はどうなるのだ?」と問うにちがいない。表面的に考えると、神の意志、あるいは、遺伝子の意志は、人間の自由意志とは矛盾するように思える。が、自分の意志だけをほとんど押し通して生きてきた(と本人は思っている)私は、人の自由意志と神の意志(遺伝子の意志)には何も矛盾もないことを今では理解している。

つまり、ある人が遺伝的環境的プログラムによって、選択することが、何であれ、神の意志(遺伝子の意志)であり、またその結果も神の意志である。AかB かの選択があるとして、もし人がAを選択すれば、それが神の意志でもあり、反対に人がBを選択しても、それも神の意志である。Aを選択した結果にその人が苦しめば、その人が苦しむことが神の意志であり、Bを選択した結果にその人が喜べば、その人が喜ぶことが、神の意志である。
 
だから、どんな状況でも、人が見かけの自由意志を行使する自由や考えたいことを考える自由は、制限されてはいない。ただ選択の結果が、自分の好みとは違う方向に展開することが多いだけで………

今では、脳科学も人間の自由意志を否定する。脳の実験によれば、人間が自分の意志に気づくより早く、脳のほうが反応するということがわかっている。どういうことかというと、たとえば、ある人が食堂で、うどんを食べようか、蕎麦を食べようか考えているとしよう。「うどんにしよう」と決め、「うどんをお願いします」と注文する。その人には選択の自由が与えられているように見えるし、また「うどんに決めたのは、誰の意志ですか?」と問われれば、その人は「私の意志です」と答えるだろう。

しかし、実際は、人が「うどんにしよう」という自分の意志に気づく以前に、脳のほうではすでに反応が始まっているという。つまり、自分の意志があるから、脳が反応するのではなく、脳の反応があるから、それが、自分の意志として感じられるというわけである。「脳の反応」→→「うどんにしようという意志に気づくこと」→→「実際に、うどんをお願いしますという注文する行為」という順番となっている。その脳の反応を、生物学系の人なら、遺伝子の意志と呼び、宗教系の人なら、神の意志と呼ぶわけである。

だから、究極的には、人がある特定の思考をもつこと自体、自分の意志ではない、という話になる。こういう話は、すべての人が納得する話ではないが、理解する人たちにはある種の「救い」となるかもしれない。

ただし……あちこちで浮気しまくったあげく、「遺伝子のせいなので………」とか、仕事等でミスばかりするのにまったく向上心もなく、「だって、神の意志だから………」などと、日常生活で遺伝子の意志や神の意志を持ち出して言い訳する人は、間違いなく、まわりの人たちの大ひんしゅくを買い、嫌われ、憎まれ、追放されます!


参考図書

「利己的遺伝子」リチャード・ドーキンス著 (紀伊國屋書店)
「われわれは遺伝子という名の利己的存在を生き残らせるべく盲目的にプログラミングされたロボットなのだ」という結論を提供して、生物学界のみならず、思想界にも衝撃を与えた本。

「マザー・ネイチャー」(上下)サラ・ブライファー・ハーディー著(早川書房)
3人の子供をもって科学界で奮闘する女性人類学者が、進化におけるメスという性の役割を論じた大著。
進化における女の力を証明しようとする著者の意気込みが感じられる本だが、上下巻あわせて、ハードカバー800ページ以上なので、超暇人の方にお勧めする。

「脳のなかの幽霊」V・S・チャマンドラン著 角川書店
数々の実験を通じて、人の認識と脳との驚くべき関係を探った本。著者は、私たちの体は、脳が作り出した幻想であるという結論を展開する。楽しく考えさせられる本。

「アイアムザット」ニサルガダッタ・マハラジ著(ナチュラルスピリット)
進化論者たちが否定し続け、しかし、宗教は語り続けてきた神の創造の本当の意味とは何か、その深い謎が理解できる本。分厚く、決して読みやすい本ではないので、インドのアドバイタ(非二元論)哲学に興味ある方にお勧めする。