「わかる・わからない」ということ2008年06月06日 10時53分28秒

もうかなり前に、テレビである短いドキュメンタリー番組を見たことがある。それは、日本での恵まれた地位と名誉と収入を捨てて、東南アジアのある国で無料の医療奉仕をしている、ある日本人医師を追ったドキュメンタリーであった。その医師は本当に楽しそうにその国で無料の医療奉仕をやっていて、時々、お金と医療器具が必要なときだけ、日本に帰国して、短期的にあちこちの病院で働くという生活を送っていた。

彼にとっては、日本での恵まれた境遇を捨てて、東南アジアで無料奉仕をするのは、人生の非常に自然な流れ(私の観念でいえば、「進化」)なのであるが、ところが、その彼を取材し、ドキュメンタリーを作っている人たちは、「なぜ彼のような恵まれた境遇にいた人が、それを捨てて東南アジアで医療奉仕をやっているのか、理解できない」というような主旨のコメントや質問を発するのだ。その医師のほうも、そういう質問をされても、相手に納得させる言葉を言うことができない。

つい先日は、今度は、有名な元サッカー選手が世界中を旅したドキュメンタリー番組を少し見ていたが、ここでもまた多くの人たちが、なぜ彼のような名声のあるサッカー選手が、それを捨てて、地球の旅人になったのか、不思議がり、彼のことを「謎の男」みたいにとらえている。

名声や富のある一流の医者やサッカー選手になりたいといえば、ほとんどの人がそれを理解し、賞賛する。でも、それらを達成したあと、その恵まれた(と思われている)生活を捨てて、もっと楽しくワクワクする人生を送っている人たちのことは、不思議で理解できないという。

でも言葉を越えてわかる人たちには、わかるのだ。少なくとも私には、この二人の生き方や言葉は不思議でもなんでもなく、非常にわかりやすかった。

人間同士における理解・わかる・わからないの問題――それは別の言葉でいえば、コミュニケーション・ギャップということである。子供の頃からそれをよく実感してきた私は、大人になってからは、人と人とが、「言葉が通じない、理解できない」とは、おそらく言葉以前の問題なのかもしれないと、なんとなくぼんやりと感じ、その答えを求めて20代から、精神世界、宗教、心理学の本を読みあさった。

20代のときに読んだ本で、そういったコミュニケーション・ギャップの理解について一番役に立った本は、このブログで何度か紹介している「なまけ者のさとり方](タデウス・ゴラス著)と、もう一冊「奇蹟を求めて」(P.D.ウスペンスキー著)という本の2冊で、この2冊のおかげで、人々がお互いの言葉や生き方、考え方を理解できないのは、お互いのエネルギーの質量の違いによるものなので、それは仕方のないことなのだと、私はおおまかに理解した。

それから私は、実際に様々な精神世界や宗教関係の教えや先生たちに接したり、そういう世界に関心をもつ人たちともたくさん出会ったが、こちらは、世俗の世界よりも、「理解」に関しては、もっと混乱が多いように感じている。

精神世界や宗教に興味をもつ人たちは、本やセミナー等を通じて、様々な教えや観念を知り、もし気に入れば信じる。ところが、また別の観念や別の先生・教えに出会うと、そちらのほうが気に入り、また信じる。人はある観念を知り、信じ、疑い、また別の観念を知り、信じ、疑いといったふうに、様々に矛盾している観念に対して、そういうことを繰り返していくうちに、何が正しいのか、何を信じるべきなのか、何をすべきなのか、だんだんわけがわからなくなってくる場合が起こる。極端な場合は、その混乱から、うつ病のようになってしまう人たちもいる。

私自身がそういったことで極度に混乱した時期があり、10年ほど前、その自分自身の混乱を救うために書かれた本が、「人をめぐる冒険」という本である。

この本の中で、展開した、「動物・人間・神」という観念と、それに基づく霊的(精神的)進化論は、霊的世界におけるコミュニケーション・ギャップや現象世界を理解するうえで、私自身にとっては非常に役に立ち、なかなかの傑作だと、書いた本人は満足していたのだが、当初の私の予想に反して(!?)、この本は超絶的に売れない本となった。それでも中には、すごく面白いと言ってくださった超少数の人たちもいて、私の中の「作家魂」(なんか、わけのわからないものですが)を喜ばせた。

まあ本は売れなかったとはいえ、そこはどんなときにも、「転んでもタダでは起きない」私は、この本が売れなかったおかげで、本(言葉・観念)を、読む・知る・信じる・理解することをめぐるコミュニケーション・ギャップに関して、また新たに研究する機会に恵まれた。「動物・人間・神」という観念に基づく霊的(精神的)進化論を、もっと自分に役立つように、もっと詳細に検討しては、それをいろいろなことに当てはめて考えてみた。いや、本当は、研究というより、本を書いたあとの「修行の日々」というほうがふさわしい。

あれから10年、その研究・修行のほうは、大筋では終わり、あとは本にまとめるだけなのだが、これがどういうわけか、完成のめどがたたない。本という形にするだけのエネルギーがなかなか、天から降りてこないのだ。いつ本が出るか出ないかは、天のみぞ知るという感じ……である。

さて、あらゆることに関する「わかる・わからない」という問題――そもそも、多くの人たちにとっては、「わからない」ことは、まったく問題ではない。また最高の叡智も、「わからない」ことなので、そこまで進化した人たちも、「わからない」ことは、まったく問題ではない。「わからないこと」が気になる、その途上にいる私のような者たちだけが、愚かにも「わからない」ことと格闘しているのである。

よって、思考を紡いだり、言葉・観念を表現したり、本を書いたりする行為、また、それらを読んだり・理解したりする行為とは、「半分知っている者」たちのリーラ(宇宙の戯れ)、ときには、もっと多くの誤解・無知・混乱を生む可能性のあるリーラなのだと、私自身はいつもその限界をかみしめる。

半分知った者が、全知であろうと奮闘する愚者のリーラ……神以外の誰も止められないリーラ

それでも、願わくば……

半分知っている者同士の出会いから、創造的な理解が生まれますように……

[イベント]
そんなこんなの状態で、「人をめぐる冒険」の続編の本は、当分出そうにはありませんが、「動物・人間・神」という観念に基づく霊的(精神的)進化論の最新版を、ご興味ある方にご報告してもいいかと思いたち、下記の会を企画しました。

2008年6月22日(日)(午後1時30分より午後4時30分)
「人をめぐる冒険」の会
詳細・参加申し込みは、下記サイトへ。
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/profile.html

参考図書

「奇蹟を求めて」P・D・ウスペンスキー著 平河出版社発行
20世紀前半に活躍したロシアの神秘思想家、グルジェフの教えと言葉を、彼の高弟だったウスペンスキーがまとめた本。他のどんな本にも書いてない興味深い観念が記述されてあるが、読んで理解するだけでも、相当な努力が必要。グルジェフ自身が書いた本としては、「ベルゼバブの孫への話」(平河出版社発行)があり、こちらはさらに読むのがもっと困難な本で、「超超超努力」を要する本。

「バカの壁」養老孟司著 新潮社発行
5年ほど前の大ベストセラーであり、本書の中で、著者は、人は自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまう(=「バカの壁」を作る)というテーマで、自らの様々な体験と観察から、「わかることの困難」を語っている。

「なまけ者のさとり方」タデウス・ゴラス著 地湧社発行

「人をめぐる冒険」高木悠鼓著 マホロバアート発行

コメント

_ ともか ― 2008年06月17日 10時04分02秒

様々な違う意見のなかで混乱してきた私は、「人をめぐる冒険」で今までの自分を整理することができ、長年のもやもやがスッキリサッパリ晴れました。この本にはとても感謝しています。売れなかったなんてもったいない!!
イベントには遠くて行けませんが、続編を楽しみにしています!!

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