北京の空2008年08月06日 09時50分06秒

もうすぐ北京オリンピックである。

数ヶ月前に読んだ記事によれば、中国は、科学技術を総結集して、北京オリンピックの最中は、北京の空から雨雲を追い出す予定とのことだ。だから、北京オリンピックの最中は、北京の天候は、ずっと「晴なければならない」と決まっていて、もし技術が失敗して、雨が降ったりしたら、それは国家的一大事……らしい。

中国は、1960年代頃から科学技術によって天気を変える研究をしていて、すでに今までも、国家主催のイベントのときには、天気を快晴にして、イベントを盛り上げてきたと、その記事には書かれてあった。「どうだ、わが国の科学技術を見よ!天気までコントロールできるのだ!」という感じである。しかし、無理やり雨雲を押し付けられた別の地域では、大雨になるらしいので、その地域に住んでいる人たちには大迷惑な話だ。

大国が、目先の利益、国家の威信発露に科学技術を利用するのは、今に始まったことではないが、天気のコントロールは、素人が考えてもかなりリスクがある感じがするし、科学者の中にも、中国で、過去数十年、自然災害が増加しているのは、その人工の天候操作技術のせいだと指摘する人たちもいる。

そういった奇妙な科学技術も含めて、中国が今回のオリンピックのために支払ったといわれる膨大な「無理」のしわ寄せは、オリンピック以後に、露呈するかもしれず、今後ますます中国という国は、(オリンピック前にも、大地震という爆発があったが)、いつ爆発するかわからない巨大な爆弾という感じである……

ゴーヤー2008年08月22日 09時33分35秒

ゴーヤーという沖縄でよく食べられる野菜がある。最近は、どこでも作っているらしく、近くのスーパーでも売っている。確か一回くらいはどこかで食べた記憶があるのだが、自分で買ったり、料理をしたりしたことはなかった。

先日、お盆で両親の家に滞在していたとき、母親が近所の人からそのゴーヤをたくさんもらってきた。両親の家にいるときは、たいてい料理を食べているばかりなので、一度くらいは家族のために料理を作ろうと思い、私が新聞の切り抜きを見ながら、ゴーヤーチャンプルに挑戦した。

料理の前に、生のゴーヤーを一口味見したが、とにかく苦い。こんな苦い味のものが、どうなるのかと思ったが、出来上がった料理は、けっこうおいしく、みんなが喜んで食べてくれた。

使った食材は、
ゴーヤー、木綿豆腐(水切する)、豚肉の細切れ(あらかじめ醤油で味付け)
味噌、みりん、はちみつ、豆板醤

味噌、みりん、はちみつ、豆板醤とゴーヤーの苦さの相性が非常によく、新しい味の発見は新鮮だった。(肉を食べない人は、豚肉をいれなくても、ゴーヤーと豆腐だけでもよいかもしれない)

北京オリンピック観戦2008年08月29日 11時23分32秒

普段はほとんどスポーツを見ないが、4年に一度のオリンピックのときだけ、まじめにスポーツを観戦する。感情を入れあげて見ていると疲れるので、適当に勝ち負けを予想しながら平静に見るのが、私流のスポーツ観戦である。

この夏のオリンピックを見ていた中で、私の印象に一番残った日本選手が、女子柔道63キロ級で優勝した谷本歩実選手だ。その一本勝ちの柔道は見ていて楽しかったが、私が一番印象深かったことは、試合前の彼女の表情である。緊張感はもちろんあるのだろうけれど、どの試合の前も何かすごく楽しそうで、ワクワクしている感じがあった。決勝戦のあと、「デコス選手とやりたかったので、決勝戦はうれしくて笑みがこぼれた」という彼女の談話を聞いて、試合前のあの表情に私は納得した。

たぶん想像するに、オリンピックの代表に選ばれたほとんどすべての選手は、選ばれたときから、試合が終わるまで、オリンピックに出る重圧・緊張とオリンピックで戦える喜びの両方が、心身の中でせめぎあっている状態にある。

その重圧・緊張があまりに重すぎると、そのせいで体調不良・ケガが起こりやすいだろうし、でも、スポーツの試合は「戦い」であるので、緊張感がなさすぎても戦えないし、退屈でもある。したがって、適度な緊張と適度な喜びがほどよくあるというバランス状態にあるとき、スポーツ選手はもてる力を最大に発揮できるのではないかと私は思っている(スポーツ以外の場面でも同じことが、言えるかもしれない)。

が、現実には、このバランス状態を作り出すことが容易ではないことは、重圧・緊張に負けてしまう選手が多いことを見れば、よくわかるし、コーチや監督自身も重圧・緊張に負けている場合も多いようだ。

いずれにせよ、「まじめに練習」だけでは、試合に勝てないのも事実で、

練習と実力
ストレス・マネジメント(いかに重圧を喜びに変えるか)
運(今回のオリンピックの運、当日の運=その競技の神様に微笑んでもらうこと)

の3つの要素がうまくリンクしたときに、試合での成功があるのだなあと、様々な競技を眺めながら、感じていた。