今年読んだ小説2008年10月15日 14時04分25秒

たまに小説が読みたくなる。最近は、いわゆる大河小説のような重厚な文学作品を、ほとんど読めないので、たいてい軽く短いものを読む。

一味、変った味が楽しめるものとして、今年読んで面白かったものをご紹介すると――

90年代初頭に出版されたアゴタ・クリストフの「悪童日記」「第三の嘘」「ふたりの証拠」(早川書房)の三部作全部を、今年、ようやく完読した。三部作というと、いちおう長編になるのだが、この作家の文章は、一文一文が短くシンプルで、難しい言葉も使われていないので、読み進めるのは難しくない。

20世紀半ばの東欧(おそらくハンガリー)を舞台に、双子の兄弟が過酷な現実を生き抜く話で、この小説が他の小説と何が違うかというと、語り手(双子)の一切の感情や思考というものが描かれず、ただ、双子が見た・経験した事実だけを、単純に書くというスタイルを採用している点だ。

普通、小説というと、主人公や登場人物が、物事や他人に対する自分の感情や思想や意見――「私は――が好きだ、嫌いだ、いいと思う、悪いと思う、ひどいと思う、寂しい、哀しい」等々――を語り、読者はそれに対して、登場人物との共感を形成していく。

しかし、本書においては、主人公たちは、自分の一切の感情・意見・考えを語らず、ただ、今を生き延びるために、必要なことだけをやり、それを感情をまじえずに語る――それは、ときに限りなく残酷で、ときに限りなく心優しい。感情や思考を語らないゆえの静寂さが、全篇にみなぎり、読みながら、静かな映画を見ているような感覚があった。

それから、今年読んで楽しかったのが、星新一のショート・ストーリー(ジャンルでいうとSFになるのであろうか)である。昔、20代の頃、たまに読んだ記憶があるが、あの頃は、この作家の小説を本当には鑑賞できなかったと思う。

今年、何十年ぶりに読んで、発想の斬新さ(スピリチュアルな要素、科学の要素も多く入っている)に改めて感心した。亡くなられた後も、日本だけでなく、海外でも、人気があるそうである。一般常識から言うと、「ありえない」話なのに、でも、「うん、本当は、こうかも」と思える話や、幸運の裏に潜む不運、不運の裏に潜む幸運といったものを、軽いタッチで描いた話など、どれも楽しく読める。


そして、今、その星氏が訳された「さあ、気ちがいになりなさい」(フレドリック・ブラウン著 早川書房)を読んでいる。ジャンルは、これもSFのショート・ストーリーであり、この作家の名前を聞くのも、本を読むのも初めてである。自分のアイデンティティ(正体)をめぐる正気と狂気を描いた表題作「さあ、気ちがいになりなさい」をはじめ、それぞれの話は短いけど、わかりやすくはない。

たとえていうと、自分が今まで一度も食べたことがない珍味を初めて食べたあとで、「おいしい」とも、「まずい」とも言えず、なんか「奇妙な味のもの」を食べたなあという感じである。

この小説の理解はまだ(!?)の状態であるが、この「さあ、気ちがいなりなさい」のタイトルは、なかなか気に入った。

文型のバリエーションを作って、鏡の中の自分(人間バージョンの自分)にも言って、遊んでみた。(ネガティブな言葉のほうが、どちらかというと笑える)

「さあ、今日は、人間Aになりなさい」
「さあ、バカになりなさい」
「さあ、意地悪になりなさい」
「さあ、みじめになりなさい」
「さあ、貧乏になりなさい」

こう言って、鏡に話しかけていると、人間Aになるのも、そして、その人間Aとして、バカになるもの、意地悪になるのも、みじめになるのも、貧乏になるのも、怖くなくなる感じがする。

小説のタイトルで、精神セラピーをやってみた本日でした。

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*ダグラス・ハーディングが開発した「私とは本当に何かを見る」ための実験を楽しむ会。
「私とは何かを見る会」(東京)2008年10月19日(日)午後1時30分より午後4時45分詳細は下記へ。
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/event/event.html

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