平和を練習する2008年12月03日 10時39分29秒

世界(現象映画)は暴力と問題にあふれている。それは今に始まったことではなく、世界は、昔からずっとそうなのである。

しかし、なぜか、現在のほうが暴力・問題にあふれているように感じるのは、それはおそらく、新聞、テレビ、インターネットなどのメディアが普及したせいで、人々が、国中、世界中のニュースを見るようになったからであろう。情報を簡単に得ることができるようになった利点の負の側面として、人々は知る必要もない膨大なニュースに、さらされる羽目になったのである。

マスメディアとは、よくも悪くも、人々がニュースに食いつくことで、お金を稼いでいる。しかも、人々がニュースによって不安になったり、興奮したり、怒ったり、将来を心配したりすればするほど、ネガティブな情報は売れ、彼らはお金が儲かるようになっている。

そういう私自身も、実はかなりのニュース中毒である(そういう意味では、私もマスメディアのビジネスにおおいに貢献している)。新聞、テレビのニュースはたまにしか見ないし、雑誌もお金を出して買うことはほとんどないが、インターネットでは様々なニュースを見ているし、電車に乗って、週刊誌の広告を見ると、つい記事のタイトルを眺めては、「この雑誌の性格だと、だいたいこんなことが書いてあるだろう」と記事の中味を想像する(笑える趣味だ)。

私は、映画を見たり、ミステリー小説を読むような感じで、別に気分が明るくも暗くもならず、希望も絶望もせずに、ニュースを読んでいる。私にとっては、ニュースとは、コンピュータやテレビの箱の中、雑誌の紙面にあるもので、ここでの現実ではない。もしニュースを読んで、気分が暗くなるとすれば、それは私が、コンピュータやテレビの中にあるニュースを、自分の今ここでの現実(部屋でお菓子を食べながら、コンピュータの画面をのん気に見ているという現実)の中に、連れ出して、自分にストレスを与えるように解釈しようとするときだ。

先日の大阪での「問題解消の会」でもお話したことであるが、いわゆる自分にとっての問題は、存在と現象の中ではなく、自分の思考・解釈にある。そのことが理解できれば、人生から問題が消えるか、問題は形を変えて、明確な答えになったり、楽しい挑戦になったり、冒険になったりする。

もちろん、自分の現実(目の前の現象映画)の中でいきなり大問題に遭遇すれば、私たちの思考・感情は、パニックを起こしてしまいがちなので、日頃から、小さい問題や不愉快から「平和を練習」しておくことが、大事なことだと思う。幸いなことに、私たちの日常生活にはその材料にあふれている。

「平和は、まず自分から始まる」――私が敬愛する先生方は、みなこう教えてくれた――私が平和であるとき、見るものはすべてありのままでOKになる――それが、おそらく誰もが、今ここでできる「平和運動」である。

[お礼]
少々早いですが、今年のブログは、これで終了いたします。一年間、お時間をさいて、読んでいただき、ありがとうございました。また、ご縁でお会いした皆様には、楽しくお話させていただきましたこと、そして、一人ひとりの方が、それぞれの愛と知恵を提供してくださったことに、心から感謝いたします。来年のブログは、2009年1月中旬頃に再開します。それでは、皆様、楽しいクリスマス、年末・年始をお過ごしください。