ゴリラ(独裁者)マインドの研究2009年06月02日 09時32分28秒

一味変わったDVDを見た。「ペルセポリス」というタイトルの外国アニメ映画で、内容は、1980年代、1990年代のイランの国情を背景に、非常に民主的で自由な価値観の一族に生まれた少女の成長と苦難を描いた物語だ。日本のアニメとは全然雰囲気が違う(それでいて、日本の白黒の影絵のような作り)独特のタッチが内容にピッタリである。(「ぺルセポリス」とは、大昔、イランがペルシャと呼ばれて繁栄していた頃の首都の名前)

このアニメで私の興味を一番ひいたのは、宗教独裁国であるイランの権力者たちの発想・考えである。それは、時代、文化、地域をこえて、過去・現在のあらゆる独裁的国家――戦前の日本の軍国主義、かつてのソ連・東欧の共産主義一党独裁国、ナチスドイツ、現在の北朝鮮、フセイン時代のイラク等々――の発想・考えと、滑稽なほどまったく同じだということだ。

時代・地域を越えて共通するということは、そこにある種の人類の精神の原型があるということで、私の観念によれば、それは、「コントロール願望=私はまわりをコントロールしなければならない」に取りつかれている、人類のある段階の知性・精神を表している。その「コントロール願望=私はまわりをコントロールしなければならない」をさらにもっと具体的に書いてみると、

* 私(たち)の考えていることが、唯一絶対に正しい
* お前たち(国民)は、私(たち)の言うことに従っていれば、幸福である。
* 私(たち)の言うことに従わない者たちは、社会の悪として罰せられなければならない。
* 女は、男の所有物で、男の言うことに従わなければならない。
* 女を自由にすると、社会の風紀が乱れるゆえに、厳しく統制しなければならない。
* 私(たち)に敵対する外部勢力は、攻撃しなければならない。

と、だいたいこんなようなものだ。

こういった考え方の源流をたどってみると、なんとそれは驚くことに、ヒトの祖先がゴリラのような生き物だった時代(ヒトとゴリラは1000万年くらい前に分かれたとされている)にまでさかのぼるというのが、私の考えだ。以前、野生のゴリラの生活を記録した映像を見たことがあり、そのときの一シーンにこんな場面があった。

一頭のボスゴリラ(オス)がしきる縄張り(ゴリラは、独裁的、一夫多妻的ハーレム的集団を作る)のまわりを、群れを乗っ取ろうとする若いオスゴリラがうろついている。それを目ざとく見つけたボスゴリラは、早速警戒心をあらわにして、威嚇する。若いオスゴリラはかなわないと判断し逃げ去ったのだが、問題は、このあとの場面だ。突然、ボスゴリラは、その若いオスに一瞬興味を示した群れの一匹のメスのところへ突進して、二発、三発攻撃。それから胸をドラミング(ドラミングは、類人猿が自分の体を叩いて、自分の力を誇示するときなどにする仕草)。とまあ、こんな感じの場面だ。

今の場面を人の言語に翻訳すれば、

若いオスに向かって、
ボスゴリラ「オレの女たちに手をだしたら、ただじゃおかないぜ! 痛い目にあいたくなければ、オレの縄張りからさっさと消えうせろ!」

若いオスに関心を示した群れのメスに向かって、
ボスゴリラ「他の男に、なに色目なんか使ってんだよ、このバカ! 許さん!こらしめてやる」

このようにボスゴリラは、外から群れを乗っ取るやつがいないか、群れのメスの中で造反者(浮気者)がでないか、群れの状態をたえずチェックし、コントロールするのに忙しい。

イランや北朝鮮のように社会全体が監視社会となって、いつも他人の行動・思想・服装をチェック・コントロールするのに忙しい社会というのは、私に言わせれば、国民の大多数がゴリラ(独裁者)マインドに支配されている社会というわけだ。(念のために言えば、あらゆる人の中にこのゴリラマインドは潜んでいるが、それがほとんど作動しなくなれば、その人の知性は、幸いなことに、いちおう人間にまで進化しているというのが、私の考えである)

こういう国家は、内部の自由をあまりに厳しく統制するために、その反動で、たえず、外に向かっては攻撃的にならざるをえず、常にある種の戦時状態である。

だから、北朝鮮が最近特に、核だ、ミサイルだと外に向かってやたら攻撃的なのは、国家内部の統制があまりに厳しいので、外側に向かってエネルギーを発散しないと、体(国)のエネルギー・バランスがとれないからなのである――国力の衰退を、必死で隠すべく、北朝鮮ゴリラがドラミングしているというわけなのだ。

幸い現在の日本は、国家的にはこういう国ではないが、ミニ北朝鮮ゴリラのような感じのヒト(特にオス)たちが、家庭、職場、街中、あらゆるところでドラミングしている――物事が自分の思いどおりにならないとき、怒りだしたり、暴言を吐いたり、果ては暴力をふるったりするヒトたち(ナイフをもって突然暴れるオスたちは、その極端な典型)は、時代を1000万年ほど勘違いしている……

参考図書
「1984年」ジョージ・オウエル著
監視社会とはどういう社会か、小説という形態で描いた本。ゴリラ(独裁者)マインドをつらぬく思考・思想のすぐれた研究書でもある。現在、自由を謳歌している社会でも、監視社会になりうる可能性はどこの国にもあるということを、教えてくれる。

「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー著
世界文学の最高傑作とされているこの名作も、読みようによれば、父親と兄弟たちをめぐるゴリラ的権力闘争の物語として読むことができる。

「人間はどこまでチンパンジーか?」ジャレド・ダイヤモンド(新曜社)
チンパンジー、ゴリラから、ヒトはいつ、どのようにして分かれて今日に至っているのか? 生物学的理解からヒトの行動を解明している一般向け科学書。ヒトはどういう相手を結婚相手として選ぶのかを、生物学的に説明している箇所もあるので、今、世の中で流行の「婚活」にも役立つかも(!? )

チンパンジー・マインドの研究2009年06月20日 10時09分13秒

前回、ゴリラ・マインドについて書いたので、今回はその続きで、「チンパンジー・マインド」について書いてみよう。

チンパンジーは、ゴリラよりももっとヒトに近く、DNAのレベルでは、ヒトとチンパンジーはわずか2%くらいしか違っていないと言われている。つまり、ヒトの心身の中には、チンパンジーと共通することがたくさんあるのである。

ゴリラ社会とチンパンージ社会の一番の大きな違いは、ゴリラ社会は一党(一匹)独裁型であるのに対して、チンパンジー社会は、群れの中でオス同士が激しく権力闘争をするシステムであるということだ。

そして、もう一つの大きな違いは、メスがもっと自由であり、誰と関係(sex)するのか、少なくともゴリラ社会よりはずっと自由に選べるというところである。チンパンジーの社会は性的にpromiscuousな社会である。

前回、イラン、北朝鮮等は、ゴリラ型の国と紹介したが、では、現代の地球で、チンパンジー的な国とはどこかといえば、一番のチンパージ的社会は、アメリカ、そして、ヨーロッパ、日本等の先進国である。そういった社会は、激しい競争社会であり、その一方女たち(メス)は、自由な恋愛を謳歌している。

チンパンジー的社会の価値観は、どんなものかといえば、

* 競争に勝った強い男(オス)がヒーローで、自分の欲しいものを一番たくさん得ることができる。(スポーツ選手はその象徴であり、彼らがもてはやされる理由がここにある)

* 競争に勝った男(オス)と関係する女(メス)がヒロインである。

* チンパンージ的社会では、いつも他人のことが気になる。というより、より正確に言えば、他人と比較した自分のポジションが気になる。他人と自分、他人がもっているものと自分がもっているものを比較しては、いつも嫉妬や不安に苦しむ社会である。

* 競争が謳歌される一方、同時に、所属している集団の秩序を守ることが重要で、無用に集団の秩序を乱すものには、罰が与えられなければならない。

この最後に書いた「競争が謳歌される一方、同時に、所属している集団の秩序を守ることが重要」というのは、ゴリラ・マインドに比べてかなりの複雑なマインドの働きで、先進国の人たちは、子供の頃から、家庭、学校、職場で、その複雑なマインド――たえず競争し、かつ、たえず協調するというような、かなり矛盾するマインドを学ばさせられる。

ヒトの中のチンパンジー・マインドは、競争と(人間)関係に取りつかれているマインドともいえ、ヒトの世界の人間関係の悩みはその多くが、「集団の中の競争と和」という、なかなか両立しえないものを両立させようとするストレスに起因している。

そして、そのストレスが集団の中で極端な形で現れるとき、それはイジメ・中傷となり、さらには暴力にまで発展する場合もある。集団で特定の個人をイジメるのは、きわめてチンパンジー的な行為であるのだ。

集団の中のイジメというのは、集団の和・秩序を乱したと(チンパンジー・マインドが思う)異分子に対する罰という大義名分のもとに、本当は、いじめている相手よりも自分たちは強いという満足感を得たいという目的で行われる行為なのである。したがって、そういったときのヒトのチンパンジー・マインドは、実はかなりの劣等感とストレスに苦しんでいる。

前回も書いたように、類人猿の子孫である私たちはほとんどの人が自分の中にゴリラ・マインドやチンパンジー・マインドをもっている。が、それが作動するかどうかは、人それぞれで、自分の中のゴリラ・マインドやチンパンジー・マインドを認識・理解し、そして笑うことができる人は、そういったマインドに支配されずにすむはずである。

さて、先日私は、sex and the city という、何年も前からアメリカ、そして、日本でも女性たちに大人気のDVDを見ていた。ニューヨークのセレブな独身貴族の女たちの生態を描いている(現実よりもかなり上品に美化されているようだが)このアメリカのテレビドラマは、まさにチンパンジー・ワールド全開で、チンパンジーの性と心を学べるなかなか楽しいドラマだ。高度なチンパンジー・マインドを駆使する女(メス)と男(オス)の駆け引きが見どころで、しかも、英会話の勉強にもなる。(内容が内容だけに、俗語も多いが、登場人物は皆さん教養のあるセレブなので、とてもきれいで洒落た英語をしゃべっている)

このドラマのある場面でヒロインの一人が、一度だけ関係した男にこう詰問する場面がある。

「(あなたは)体だけが目的なのね。(私のことを)恋人だとは思っていないのよ。私はあなたが思うような女じゃないの」(おいおい、チンパンジーよ、「体」以外のどんな目的があるのだよ?←←私のツッコミ)

女にゴチャゴチャと愚痴や怒りをぶつけられても、そこは、この男はゴリラではなく、頭のいいチンパンジーなので、怒ることもなく、キレルこともなく、おだやかにこう言い訳を始める。

「まだ(君の)体しか知らないけど、(それ以外のことは)これから知るよ」

かくして、男(オス)は巧みな話術で女(メス)を騙し、再び、欲しいものを手に入れたのでありました……


参考図書

「政治をするサル」フランス・ド・ヴァール著 平凡社
チンパンージーの世界で、どういう「政治」が行われているのか、長年研究し、観察した記録。ヒトの世界の政治(や性・恋愛)の起源は、チンパンージにあり、ということを教えてくれる貴重な本である。

「風葬の教室」山田詠美著(新潮文庫)
学校という場で、どういう状況でイジメが起るのか、いじめられる立場から描いた短編。ちょっと主人公(いじめられる側)を美化しすぎという感じもしなくはないが、よくありがちな思春期の少女たちの心理を巧みに描いている。

「人をめぐる冒険」髙木悠鼓著(マホロバアート)