人間マインドの研究(2)2009年11月18日 10時50分42秒

今回は前回の続きで、人間マインド第二段階、「理解マインド」について。

「達成マインド」と「理解マインド」の違いをいえば、「達成マインド」は、非常に狭いこと、つまり、自分の達成したい目標と方法にしか関心がないのに対して、「理解マインド」は、自分の差し迫った目標以外にも多くのことに関心をもち、それを理解しようという熱意をもっている、ことである。

不思議なことに、「達成マインド」が非常に発達している人でも、必ずしも「理解マインド」に恵まれているとは限らないことがある――だから私は、この二つのマインドは機能が違うマインドなのだということに、あるとき気づいた。「達成マインド」のところで止まっている人は、人生のどこかでたいてい挫折を味わうようになっているようで、その挫折のおかげで、「理解マインド」が目覚めることが多い。

「理解マインド」とは、別に言えば、コミュニケーション・マインドともいうことができ、一般に「理解マインド」が発達している人ほど、いろいろな物や人とコミュニケーション可能となる。「理解マインド」に特に恵まれた代表的な人たちは、教育者、カンセラー、心理学者、小説家、ボランティア、福祉関係の仕事、接客業に従事している人たち、などである。

「理解マインド」を育成するのは、やる気があればそれほど難しいことではない(と私自身はそう思っているが、実際は、理解するという行為に無関心な人たちが多い)。様々なことに関心をもって、色々な本を読むこともその簡単な方法の一つであるし、また、「自分の考えや価値観は正しい」という立場から一時的に降りて、自分とは異なる立場、価値観、考え、あるいは、嫌いだ、共感できない、批判したいと自分が思う人の立場、価値観、考えに立ってみることも、非常に役に立つ。

たとえば、

自分が人間なら、動物、植物、機械(パソコン、車等)の立場にたってみる、
自分が女なら、妻なら、男や夫の立場に、男なら、夫なら、女や妻の立場にたってみる。
自分が親なら、子供の立場に、子供なら、親の立場にたってみる。
自分が老人、中年なら、若者の立場に、若者なら、中年、老人の立場にたってみる。
自分が経営者なら、従業員の立場に、従業員なら、経営者の立場にたってみる。
自分が善良な市民なら、ヤクザや犯罪人の立場にたってみる。
自分が日本人なら、北朝鮮や中国の立場に立ってみる。
等々。

そういう思考習慣を続けていくと、物事にはあらゆる観点があり、人の価値観は多様で、誰の観点も価値観も、さらにいえば、常識さえも絶対的に正しいわけでも間違っているわけでもないことに気づく。

理解するとは、別に自分と異なる価値観や考えに共感することでも、また賛成することでもなく、ただ違っている価値観や考えが存在することを受け入れるということである。

「理解マインド」がある程度あれば、無用な対立・争いを避けることができ、人間関係のストレスが軽減し、また今の時代についてもよりよく理解でき、時代の変化も受け入れることができるはずである。

実は、大人になってからの私は、この「理解マインド」に中毒し続けた――自分自身も他人も人生もあまりに不可解だったので、それをなんとか理解しなければいけないと奮闘し続けた。そして、今は、どんな物事や人に対する理解さえも相対的で、物事に対する絶対的に正しい理解は存在しないという理解にようやくたどり着いた感じである。特に最近は、今日の理解は、明日には通用しないかもしれないことを、日々実感している。(ちなみに、当ブログ、及び私の著書は、人間の中のこの「理解マインド」に向けて書かれています)

さて、最近私は、今、日本を代表する二つのリーディング・カンパニーの経営者の本を読んでいた。

1冊はユニクロ(ファーストリテイリング)の経営者、柳井正氏の「1勝9敗」(新潮社)で、もう1冊は、楽天の経営者、三木谷浩史氏の「成功のコンセプト」(幻冬舎)という本だ。二人の生まれ育ちも、会社の業種も全然違うのに、経営に関する考えが非常に似ていることが興味深かった。二人とも、「時代のニーズにあった商品とサーヴィスを低価格で提供する」することをモットーとし、そのために常にスピードと実行で組織を変革し、社員にも高い志と目標を求める。

おそらくこの二つの会社が成功している理由の一つが、この二人の経営者が並外れた「達成マインド」を持っているだけでなく、すぐれた理解力、今の時代がどういう時代なのかという時代理解力、そして、自分の会社の失敗を理解する力をも持ち合わせているからだと私には感じられた。(柳井氏の「1勝9敗」とは、自分がやったことは10回やって9回は失敗したという意味である)

この二人の経営者ほどではないにしても、人がもし「達成マインド」と「理解マインド」をバランスよく持ち合わせれば、今の時代と世の中にピッタリと合い、仕事、健康、人間関係等に困ることなく、それなりの成功を得て、人に嫌われることなく、「自分が達成したことと、自分の人生をひそかに喜べる」立場と心境になれるだろうと、思う。

私の観念によれば、このあたりが霊的進化(精神的成長)の折り返し点で、この世的観点でいえば、進化は本当はここで止まるほうがいいのかもしれない……もし進化が、自分でコントロールできるものであるならば……でも、実際は、進化を誰もコントロールすることはできず、霊的進化は人の意志とは無関係に(多くの場合はイヤイヤながら)起り続ける。

次回は、人間マインドの最終段階、「創造マインド」について書く予定です。

人間マインドの研究(3)2009年11月28日 13時29分31秒

今回は、人間マインドの第三段階「創造マインド」について。

「創造マインド」とはどういうマインドかというと、「今までにないオリジナルなものを創造しようというマインド」のことである。

それが普通の人の中で少し働くときは、「直感」や「工夫」という形で現れ、「創造マインド」に自分の人生をほとんど全部乗っ取られてしまった天才とか狂人の場合は、たいてい後世になって評価される大発明・発見・創造の形で現れる。

「創造マインド」は「達成マインド」に似ているようで、実は全然種類が違うマインドである。この二つの違いはどこにあるかというと、

*「達成マインド」は、すでに確立された既成の価値観の中で働くマインドであるのに対して、「創造マインド」は既成の価値観を超えたところで働く。

*「達成マインド」では、プロセスと時間が重要であり、「創造マインド」はしばしば突然に働く。

*「達成マインド」は、他人に学ぶことが可能であるのに対して、「創造マインド」はただ自分の情熱から湧き出てくるものである。

*「達成マインド」には、「自分」という観念が強固に必要であるのに対して、「創造マインド」においては、「自分」という観念は邪魔なだけである。だから、自意識が強すぎると(「私がそれを成し遂げる」みたいな)、「創造マインド」は働きにくい。

*「達成マインド」の喜びは、社会に認められている価値あることを自分が達成できた喜びであるのに対して、「創造マインド」の喜びは、新しいものを創造できた純粋な喜びである(たとえ、それによって社会的金銭的報酬を得ないとしても)

たとえば、

どこかの経営者が、「数年以内に当社の売り上げを2倍にする」という目標をもつとしたら、それは、「達成マインド」の世界である。なぜなら、「売り上げ倍増」と言ったら、誰もがその価値を理解し、賞賛するからだ。

同じように、「金メダルを取る」、「東大に合格する」、「もっと商売が繁盛する」「自分の資産や収入を2倍にする」、「英語が話せるようになる」等々、そんな目標もすべて「達成マインド」の世界である。そういった目標は、すべて今の社会と時代の中ですでに確立された価値観の範囲に収まっている。

では、「創造マインド」の情熱とはどんなものかといえば、

*「太陽や他の惑星が地球のまわりを回っている」とみんなが信じている時代に、「地球が太陽のまわりを回っている」というコペルニクスの説を支持したガリレオ。

*子供の頃から音楽があふれるように湧いてきたというモーツアルト。

*空飛ぶ金属の物体(飛行機)を誰も見たことがない時代に、飛行機を創造しようと夢見たライト兄弟。

*人間は、神によって創造されたというキリスト教的思想が常識の時代に、「人はサルから進化した」と進化論を唱えたダーウィン。

*誰にとっても、時間と空間は同じものと信じられていた時代に、時間と空間は、絶対的なものではなく、速度が異なれば、それぞれ異なった時間と空間となることを証明したアインシュタイン。

*そして、もし現代、いわゆる円盤のような空飛ぶ乗り物を作ろうと夢見る人がいれば、そんな人もやはり天才か狂人であろう……

他にも、「創造マインド」が働いた例は歴史から無数に取り上げることができるが、「創造マインド」が創造したものの特徴の一つは、その時代と社会は、それをほとんど理解しないということにある。「創造マインド」による創造は、理解されないばかりか、ときには冷笑され、さらに時にはバッシングされ、昔であれば、幽閉されたり、死刑になったり、殺されたりした。

だから、「創造マインド」がありすぎることは、決して、人をこの世的には幸福にするものではないけれど、そういう運命に生まれついている人たちが少数ながらいるのである。

ついでに言えば、世の中に出回っている、「天才児を育てる」とか「天才の秘密を教える」とか「創造性を育てる」みたいな本は、「達成マインド」の訓練の話に関するもので、そういうものを読んで、勉強したからといって、運命的に「創造マインド」の世界で生きている天才のようになれるわけではない。(そもそも天才になりたいとか、天才のようになりたいという願望をもつとしたら、そんな苦しむ人生をわざわざ人は望むのか?!という感じである)

しかし、天才ほどではないにしても、自分の生活の中で、多少創造マインドを働かせたいと思うなら、自分がやっていることを何であれ楽しむようにすれば、そして、ときには非常識に考えることを怖れなければ、思いがけず、色々いい案が浮かぶことがある。あるいは、何か大変な状況に陥って、普通の理性の判断が役立たないときにも、直感が危機からの脱出を助けてくれる場合もある。いずれにせよ、直感や創造力育成は、直接やろうとしてもあまり効果がないように、私は感じている。

天才たちの苦闘――自分のまわりで、そんな天才のような人(自分の人生が「創造マインド」によって乗っ取られた人)にはめったに出会えないが、先日読んだ本「リンゴが教えてくれたこと」(日本経済新聞社)の著者、リンゴ農家の木村秋則さんという人は、たぶんそういう天才の一人だ。

無農薬無肥料でリンゴを作ろうとした彼の人生は、本に詳しく書かれているが、その苦労は想像を絶するものがある。誰にもその夢を理解されないばかりか、農薬・肥料メーカーから受けたバッシング、周囲からの冷笑、貧乏のどん底、しかもリンゴそのものが10年ちかく実をつけない。自殺を考えたときに、突然閃いたヒント――まるで物語のようである。

まあ幸運にも、木村さんの創造の対象がたまたまリンゴという日常的なものであったので、成功したときには、みんなが、マスコミさえその素晴らしさを理解することができ、賞賛したわけである。

さて、今まで、動物マインドについて、そして3回にわたって、人間マインドの種類について私なりに簡単に解説してみた。

私の考えによれば、あらゆる人はすべてのマインド(動物マインド、人間マインド、神マインド)をもっていて、ただそれぞれの使用の割合の違いとその人がどのマインド主導で生きているかが、その人の現在の知性を決定している。

そして、知性とは、別の言い方をすれば、「喜びの質」でもある。人間は、どんなマインド主導で生きている人でも、誰も彼もが人生に喜びを求めている。おそらくは「喜びの質」が、その人の人生の縁と運を導くのである――だから、自分は何に喜びを感じるのか? 何が楽しいのか? 何が人生の喜びなのか? 正直に観察することは、自分の知性を理解するのに、一番簡単な方法ではないかと、私はそう思っている。

来年は、神マインドの世界を非常に日常的にかつわかりやすく語る、敬愛するインドの師ラメッシ・バルセカール(2009年9月に92歳で逝去された)の新刊も出る予定なので、その機会に「神マインド」について書いてみたいと思っている。「達成」にも「理解」にも「創造」にも少々飽きた人たち(!?)には、楽しい神の世界が待っています……