ラメッシの教え(3)――「意識が存在するすべて」2010年08月23日 12時16分51秒

本日は、前々回の続きで、ラメッシの教えのもう一つの主要な観念「意識が存在するすべてである」を、ダグラス・ハーディングの実験を交えて解説してみよう。

このブログを今、お読みになっている皆さんは、どこかの場所で、おそらくパソコンか携帯の画面を眺めながら読まれていると思う。今回は、読みながら、時々、画面から目を離して自分がいる空間を見て、確認してもらうことをお勧めする。

まず、パソコンや携帯を操作している人間(一般的に自分だと思っている肉体のことです)、ラメッシの言葉を使えば、肉体精神機構を、仮にここではAと呼ぶことにします。

そして、Aに見える空間の中には、パソコン、携帯、机、椅子、テレビがあり、さらには、他の人間(肉体精神機構)B、C, D等、もし屋外なら、車、木、花とか太陽も見えるかもしれない。さらにはもし鏡があれば、[A](鏡に映ったり、他人から見られたA)もいるかもしれない。

こういうありふれた状況で、人間思考は次のように考えるのが普通だ。

*私はA、および[A]である。
*私であるAが見ている者で、したがって、主体で、その他のものは、見られる対象物である。
*Aとその他の非Aは、まったく別のもので、完全に分離している。

私たちは、幼い頃から、イヤというほど、この人間社会の二元論ルールを教え込まれ、信じさせられ、催眠にかけられ、その結末は、孤独と苦しみである。Aは、他のBやCやその他無数の人間(肉体精神機構)との過酷な競争にさらされ、それに勝ちぬかなければ、人生でのおいしいご馳走や報酬は貰えないと脅されている。

A対非Aの分離、二元論こそ、人間社会の基盤となっている。

いわゆるスピリチュアルな探求とは、たいていは、人間(肉体精神機構)Aがこの孤独、苦しみをなんとかしようと思うときに始まるのである。

そのスピリチュアルな探求のプロセスは、まず最初は、Aを浄化するとか、Aの運命や人間性の向上をめざす(これがたぶん、非常に長く続く)ようなことから始まり、最終的には、もし運と縁があれば、私はAでも[A]でもないという教えにたどりつく。

では、ラメッシ、ダグラス、その他究極の真理を教えている先生たちは、「私とは何か?」についてどう答えているかというと、観念的説明ではあるが、簡単にまとめてみると、

*私は、本質的にはAでもなければ、[A]でもない――つまり、私は肉体でもなければ、思考・感情でも、イメージでもない。

*私たちの本質は、努力して達成すべきものではなく、単純に今ここで気づくべきものでる。

*Aと非Aは、分離しているように見えるが、実際は分離しているわけではなく、両方で一つの運動を形成し、その単一運動が、ラメッシの用語を使えば、「運動中の意識」と言われているものである。A、B、C、D、その他は、人間的観点ではおのおのが独自の意志をもっているように行動しているが、実際は、それぞれがどう行動するかは、神(意識)の意志によるもので、誰もコントールできない。

*だから、私たちが何かを見ているとき、「Aが対象を見ている」というのは事実ではなく(人間クラブの言語では正解であるが)、実際は、「見ること」がただ起っているだけなのである。「見る者」という主体と「見られもの」という対象という二つの分離したものがあるわけではなく、その二つが融合して、ただ「見ること」だけがある。

それを一番簡単にわかる方法が、ダグラス・ハーディングの開発した実験で、一番簡単なものを一つご紹介しよう。

1まず、自分が、目の前に自分の顔というか頭を「見ていない」ことを確認します。

2それから、人指し指を1本、目の前に立てて(自分の顔があると想定されている場所の前)、向こうに指(物)が見えていることを確認します。それから指の先端を自分側に向けて、もう一度向こうには指(物)を見ていることを確認します。それから、その指が何を指さしているか見てください。別の言い方をすれば、「私は何から、向こうの指を見ているのか?」を見てください。あなたは自分側に「何かの物」を見るでしょうか?

3ここで注意すべきことは、記憶や知識からではなく、現在のあるがままの現実・事実にもとづいて、見るということです。

4しばらく、そのままの状態で、自分側と目の前にある様々な物(Aや、もし鏡があれば[A]も含む)、つまり、主体と対象を同時にしばらく見てください。ここで重要なポイントは、Aという人間、肉体精神機構も、見る主体ではなく、見られている対象であるという点です。

5見ているもの(主体)は、一人の者(物)でしょうか?(私の経験では)自分から見た自分(つまり、主体)は、一個の物体ではなく、広く開かれた透明な空間で、その中に様々な物が動きまわっているように見えます。

6これを一番うまく人間クラブの言葉で表せば、巨大なスクリーン上に映画が上映されているという感じです。私たちの本質である静止している巨大なスクリーン上に様々な映像が映し出され、私たちが普通、自分だと思って一体化しているAや[A]もその映像の一つです。

7さらに、うまくいけば、主体(スクリーン)と対象(映像)が分離しているわけではなく、ただ「見る」ことだけが進行しているという感覚もつかめると思います。

8以上、一番簡単にどこでもできる実験をご紹介しましたが、今回うまく感覚をつかめなかった方は、また次回、気が向いたときに試してください。(下記に紹介しているサイト・本に色々な実験とその解説が掲載されています)

もちろん人間クラブで私たちが日常生活を送るときは、テレビとパソコンと太陽と花と人間はそれぞれ違うものであり、A、B、Cはそれぞれ違う一人の人間であり、A、B、Cはまるで自由意志があるかのように振舞っているという知識・区別、そういった「ふり」は必要であるが、本質的にはすべて一つの意識である。

マハラジ、ラメッシの教え、ダグラスの教え(と実験)はものすごくシンプルではあるが、だからこそ、「意識が存在するすべてである」というそのシンプルさがいわゆる「腑に落ちる」まで、盲目的に信じることなく、彼らが言っていることが真実・事実なのかどうかを探究し、練習すること(修行というより練習という感じ)が必要なのである。

参考サイト

ダグラス・ハーディングの長年の友人であるリチャード・ラングが、下記youtubeで、
「私たちの本質を見る」実験の動画(英語)を提供しています。ぜひアクセスして、いっしょに実験を楽しんでください。パート1Bに今回ご紹介した「指さし実験」が紹介されています。(日本語字幕つき)
http://www.youtube.com/user/FacelessJapanFilms

「頭がない方法」サイト
ダグラス・ハーディングの教え・哲学、実験の方法が日本語で掲載されています。
参考図書
「今ここに、死と不死を見る」ダグラス・ハーディング著 (マホロバアート)
「顔があるもの 顔がないもの」ダグラス・ハーディング著 (マホロバアート)