アートな1日――ZAZ&草間彌生2017年05月13日 09時28分34秒

  ここ一年半ほど私が非常に気に入って、よく聞いている歌手がいる。それはフランスの女性歌手、ZAZ(ザーズ)だ。

一年半前フランスに行く前にその名前を知り、フランスで機会があったら、CDを買ってこようと思いつつ、フランスに滞在していた間はまったく忘れていて、帰国してから思い出して聞くようになった。

音楽との出会いは、ある意味で「恋愛」のようなもので、自分がなぜその音楽が好きになったのかは理性の言葉では説明しがたいものだし、また説明するのも野暮なものかもしれない。

それでもファンとしてちょっとだけ語ってみれば……

 彼女がシャンソンの名曲、Sous le ciel de Paris(パリの空の下) を歌っている動画がYoutube に出ている〈彼女の三番目のアルバム「Paris」にも収録されている)。今まで多くの歌手が歌い、日本でもよく知られている曲だが、彼女の歌う Sous le ciel de Paris(パリの空の下)を聞いたとき、今まで聞いたのとは全然違う味わいに驚き、パリという街の美しさ、冷たさ、残酷さ、セクシーさ、つまりパリという街の魂が彼女の歌声に非常にうまく絡み合っていると感じだ。この同じ歌をスペインの男性人気歌手、 Pablo Alboran とデュエットで歌ったものも私の非常にお気に入りである。

彼女は自分のオリジナルな曲以外にも、色々な歌を色々な歌手とデュエットでも歌っているが、どんなジャンルのどんな歌を誰と歌っても、ピッタリと様になっている(昨年の7月のこのブログでシャルル・アズナブールとデュエットした "J'aime Paris au mois de mai"〈五月のパリが好き)について書いた)。



彼女の歌手としての略歴も異色だ。10代の頃正式な音楽教育を受けたものの、20代は深夜ピアノ・バーで歌い、それからパリのモンマルトルの路上で歌い、ようやく30歳の頃に、Je veux(私が欲しいもの)の歌で、フランスだけでなく世界的にブレーク。往年のフランスの名歌手、エディット・ピアフの再来とも言われ、一躍スターダムに昇り、現在37歳でフランスでもっとも売れる歌手の一人となった。

路上ミュージシャンの頃の動画を見て感じたことは、この人は本当に歌うことが好きなんだということだ。聴衆がいようがいまいが、歌っているときの彼女が本当に楽しそうなのが印象的だ。音楽産業に作られた歌手ではなく、生まれつきの歌手――歌手になるための情熱と才能、運と強い精神力を全部もって生まれてきた人である。

彼女がスターになって、もちろん色々なことが洗練されていき、大会場に多数の聴衆となったが、歌うことの喜びがステージに変わらずあふれている。

で、そのZAZさんが今月来日したので、先日コンサートに行ってきた。最近の彼女のコンサートの雰囲気はロック調なので、たぶん静かに音楽を聴くという感じではないだろうと覚悟はしていったが、やはり半分以上の時間はほとんどの人が立ち上がってスウィングしている。彼女も日本語で、「歌って、歌って」と一緒に歌うことを勧めるので、みんなわからないなりに声を出して歌っていた(とはいえ、フランス語の歌詞を歌うのは日本人には大変なことだ)。

今回のコンサートはほとんど今までのアルバムから特に人気の曲を選んで構成されていて、彼女のファンにはおなじみの曲ばかりである。私としては彼女がスペイン語で歌うラテン系の曲も聞きたかったが、今回の選曲には残念ながら入っていなかった。

生の元気なZAZさん見てうれしかったが、正直なところ、音楽を聞くには自宅で静かにCDかYoutubeを聞いているほうが自分には合っていると思ったしだいだ(コンサートホールの大音響と派手な照明が最近は心身にきつく感じる)。

その同じ日、せっかく東京へ出かけるので、もう一つどこかへ行こうと思い、草間彌生展を見に行くことにした。草間さんの作品は単品の立体オブジェは見たことがあるが、絵は見たことがなかった。初めて彼女の絵を見てまわり、彼女が描こうとしているのは、様々な物に内在する激しい生命活動であり、ど派手な生命活動を芸術家特有な感性で彼女は感じていて、それを芸術家として描かなければいけない使命感のようなものを彼女はもっているのだと思った。彼女の言葉の中に「芸術家として覚悟をもって生きてきた」というような表現があったように記憶している。

今回は大ホールでは写真撮影が許されていて、入場者が彼女の絵を背景に思い思いに写真撮影している風景や、あるいは全面鏡ばりの部屋で彼女の作品の中を照明の点滅の中で歩いたときに、向こうの鏡に映る(人間ヴァージョンの)自分を見て、それをなぜか彼女と作品とコラボした前衛芸術のように感じて、可笑しかった。

コンサートホール同様、絵画展も、人の気と作品のエネルギーが濃縮すぎて、少々疲れるところがある。生涯を芸術のために純粋に闘って(「闘う」という言葉が、今回の個展のために書かれた彼女の挨拶文に何度か出てくる)きた人が80代まで頑張って生き抜いてよかったと思いながら、こちらも、実際の絵より、おみやげで買った絵ハガキをあとで眺めているほうが気楽だった。

生のアートを楽しむのも、気力と体力がいることを実感した1日であった。

[イベント]                                                  
 
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恐怖ビジネス2017年05月26日 14時31分38秒

 現在、私が全世界の国の中で一番関心をもっている外国が北朝鮮(笑)だ。 なので、ネットでけっこうな量の北朝鮮情報を読んでいる。

なぜあの国に関心をもつかといえば、一つは隣人(隣国)であるという理由であり、もう一つは北朝鮮はジョージ・オーウェルの名作「1984年」(本書は1949年に出版されている)で描かれている独裁システムのまさに生きた見本だからだ。
 
北朝鮮の歴代の金一族の方々が「1984年」を読んで、独裁システムを作る参考にしたとも思えないし、私が知るかぎり地球上の過去・現在の独裁国は皆非常に似通っている事実から考えてみると、独裁システムには人類共通の何かがあるに違いなく、そこが社会学的研究に値すると私は思っている(私は社会学者じゃないけど、勝手に研究している)。「1984年」の本も、小説という形態ではあるが、どちらかというとすぐれた研究書という感じである。

で、先日も、北朝鮮の内情を特集したテレビ番組をネットで視聴していた。その番組には二人の脱北した女性(一人は北朝鮮の女性で、もう一人は日本人の女性) と、北朝鮮の内情を世界に発信している日本人のジャーナリストが出ていて、北朝鮮にいる協力者がこっそり撮った動画を映しながら、自分たちの経験を語っている。

彼らのいくつかの話が興味深かった。一つは、現在の北朝鮮は1990年代よりも食料事情はかなりよくなっていて、日常品を売買する市場まであるという。90年代は社会主義的配給制の元で、たくさんの飢餓者が出たそうだが、皮肉にもそれが完全に崩壊して、国民が勝手に自分達で小さい商売をやるようになってから、食料事情はよくなったということである。

それから興味深かったのは、日本人ジャーナリストの人が、なぜこんなにひどい体制なのに、北朝鮮の国民が金体制に反乱を起こすことができないかを説明した理由だ。

それは全国民に対する徹底した恐怖思想教育で、金一族に逆らうと、どれほどひどい目に会うかを子供の頃から徹底的に骨の髄までたたき込まれる。すべての国民が守るべき10箇条が書かれた本が配布され、時々、地域の人たちが集まって、自分がどれだけそれに従って生活しているか、従って生活していないかを告白し合う反省会のようなものをおこなう。その反省会がまた興味深く、まず全員が自分の反省点を語り、それから出席している他の誰かを名指して、批判するという具合だ。

これは人々を恐怖に縛り付けるものすごい頭のいい方法である。自分だけが反省するのではなく、他の人を名指しで批判する。そうすることで相互監視システムができあがり、他人をよく監視すればするほど、「よい国民」だと思われ、上層部に気に入られ、体制の出世街道を上っていけるといわけだ。これはかつてのソ連、東欧など、すべての独裁的社会主義・共産主義にも採用された方法である。

今、制作しているダグラス・ハーディングのグラフィック伝記「頭がない男」(この夏に発売予定)に、ダグラス・ハーディングが20代の頃に共産主義に共感し、1936年に、同じく政治に関心をもっていた妻と一緒に、スターリン粛清時代のソ連を実際に訪れ、その貧困と恐怖の現実をまのあたりにし、驚愕したことが描かれている。

なぜ高遠な理想――すべての人の平等、すべての人の豊かさを約束する共産主義が、その正反対なもの―――恐怖と貧困と暴力、指導者たちの腐敗と堕落、そして特権階級の形成、極端な階級社会に墜ちてしまうのか? 共産主義の堕落は、宗教の堕落とまったくそっくりでもある。

すべての宗教の創始者は、愛と慈悲、許しを教えたにもかかわらず、宗教の歴史は暴力と搾取、指導者たちの堕落と、理想とは正反対なところへ墜ちていくのが通例である。

実は、今回のブログのタイトル、「恐怖ビジネス」という言葉は、 最近見たインド映画「PK」の中で使われていた言葉である。この映画は、世界的大ヒットとなった「きっと、うまくいく」(原題three idiots)で主演したアミール・カーンがPK役を演じ、いわゆる宗教というものが硬直化し、空疎な儀式や観念に堕してしまった現代のインドの宗教的風土を軽くからかった娯楽映画だ――(PKという言葉は、インドの人々がおかしな人々をからかうときに使う言葉、酔っ払い=おかしな奴。他の惑星から地球を調査するためにインドに降り立った主人公が、宇宙船を探すコントローラーが盗まれたために、インド中を放浪する羽目になり、あまりに言うことが可笑しいため、インド人からPKと呼ばれる)。

宗教大国のインドの貧困もまた、国民があまりに宗教的観念に縛られ、恐怖心にもとづいた宗教活動にエネルギーを費やしているからだ――もし私が○○をしなければ、あるいは○○をすれば、グルに献身しなければ、グルの言うことを聞かなければ、病気になるとか、ひどい目に会うとか、死んだあと地獄へ行くとか、来世にひどい境遇に生まれるとか、あるいは、多額のお金を払えば、悟る方法を伝授するとか、そうやって「恐怖心」や「希望」をあおって、インドでは宗教が多数の信者からお金を吸い上げるビジネスが非常に盛んである。

さて、宗教にしろ、共産主義にしろ、なぜ人間はこんなに「恐怖ビジネス」に弱いのだろうか? それは私が思うに、人類という種が他の生物との闘争を勝ち抜いてきた理由にある―それは「集団の力」である。一人ではひ弱なので、集団で団結して敵と闘う。だから、自分が所属している集団――家族、地域社会、宗教教団、会社、国家の中で、集団の規範に絶対的に従うように求められる。集団の規範に逆らう者は集団の存続を危険にさらすので、罰を与えなければならない、という具合だ。その罰を与える理由のためには、絶対的権威、絶対的に正しい存在が必要で、政治であれば、金一族とか、スターリンとかヒットラーが必要で、宗教であれば、神とか仏とか、グルとか師が必要である。

そして、人間が感じるひ弱さのさらにもっと根源をさぐれば、それは「私は一つの死すべき肉体である」という肉体との一体化がある。そこから肉体にまつわる無数の怖れが派生する。もし人が、自分がどれほどの怖れに取り込まれて生きているのかをじっくりと眺めてみるなら、滑稽なほど多種多様である。そして、どれほどの恐怖ビジネスが世の中では知らずに仕掛けられているのか、はびこっているのか、恐怖がビジネスになるのか、知ったら驚くものだ。

日本では、絶対的な神も仏も独裁的指導者もいないように見えるが、では、何がその「権威」の代わりだろうか? それはたぶん、「世間」、「みんな」、「ご近所」、そして「親」あたりが、権威である。たいした権威には見えないかもしれないが、実際は人々の生活を非常に縛っている。日本人の多くが、もし私が○○をすれば(しなければ)、「世間」、「みんな」、「ご近所」、「親」にどう思われるか、何と言われるかという恐怖心をもっていて、そこを狙ってたくさんの恐怖ビジネスがおこなわれている(子供のいる老人たちを狙う、振込め詐欺もその一つだ)。

人類と呼ばれる種の社会は、善意と生存の名の元に、代々怖れを子孫に伝え、そうやって恐怖が人々をコントールする道具となってきたのである。

だから、「恐怖ビジネス」を甘くみてはいけない。怖れは私たちの骨の髄まで根深く染み込んでいるので、タマネギの皮をむくように、私たちが無意識に怖れているものの正体を一つひとつ尽きとめ、それが「幻影」に過ぎず、何のパワーももっていないことを自分自身で確認する必要がある。私たちが信じないかぎり、「幻影」は権威にはならない。

私もこうやって怖れについて考え、書くとき、自分自身にとっても自分の中に残存している怖れを見る機会でもある。面白いことに、若い頃あった怖れはもうほとんどいないのに、若い頃は想像したこともない怖れが新たに出てくることに気づき、驚くことがある――たとえば、将来歩けなくなる怖れとか、親しい人たちが全員先に死んで一人取り残される孤独の怖れとか、老いにまつわるものがほとんどだ。もちろんそれらはすべて妄想で(なぜかというと、今の現実ではなく、想像にしか過ぎないので)、掴んで信じたりしなければ、別に問題でもない――ああ、かわいい怖れよ、という感じである。

また怖れは、私たちを収縮させ、創造力と活力を奪い、貧困へと転落させる原因にもなるものだ。恐怖が支配する独裁国や宗教国がほとんど貧乏なのはそういう理由である。

ここに私たちがスピリチュアルな探求をする理由の一つがあるのだと思う。私たちは怖れにまみれて生きて死にたくはないし、あらゆるところで仕掛けられている恐怖ビジネスの餌食になりたくはない(笑)ですよね?

本当のところ、私達を生かしているのは、外側の神でも仏でもグルでも世間でも集団でもなく、私(たち)自身の内なる本質である。あらゆる真正なスピリチュアルな教えが教えているのは、怖れからではなく、内なる喜びと愛から生きることができる可能性である。

それは社会全体、地球全体で全員が一緒には無理だとしても、一人ひとりにはそう生きることができる可能性があるという教えである――様々なことを学び、少しずつ怖れから解放されて、自分の内なる本質に辿り着き、そこで生きる――自分に一番近いところへ行くのに、ものすごい時間のかかる長い旅をする――いつ考えてもスピリチュアルな旅とは奇妙なものだが、この奇妙な旅を心ゆくまで堪能し、(今後のこの国のことはわからないけど、さしあたって今のところは)許されている環境に生きている幸運をありがたく思うのである。

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