『時間の終わりまで』2022年06月30日 08時53分01秒

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ブライアン・グリーン著『時間の終わりまで』(講談社)という物理学の最先端研究をテーマとしたポピュラー・サイエンスの本を今読んでいる。

ブライアン・グリーンは私がもっとも好きなポピュラー・サイエンスの作家(かつ最先端の物理学者)であり、難しい話題をできるだけかみくだいて説明するその才能にいつも感銘を受けている(それでも、読むのはかなり大変な作業になるが)。

今回の本、『時間の終わりまで』は、意識や心、脳といった主観的部分にもかなり踏み込み、さらに生物進化論や生命の起源など、物理学以外の分野にも広げて、物理学と宇宙論の最先端を包括的に語っている。その分、非常に分厚くなり(本文が約530ページ、注も含めると、637ページ)、途中で読むのがしんどくなった。

それで、今回は4章から9章を(また別の機会に読むとして)飛ばして、実際に読んだのは、1章から3章、そして10章と11章だけである。つまり、今回は、出だしと結論だけを読んだということになる。

半分読んだ印象で言うと、物理学の最先端の研究がもたらしている事実に、著者は心が揺れていて、その揺らぎが全編にあふれている。彼は(というより科学全般が)、科学者としての全人生、科学的全研究の基盤を揺るがしかねない大問題に直面しているという事実を告白している。

少し引用すれば:
「あなたが今持っている信念、記憶、理解は、いかにして得られたのかと自問すれば、莫大な母数にもとづく公平な答えがどんなものになるかは明らかだろう。あなたの脳は、特定の粒子配置に刻み込まれた記憶なので神経心理学的特質をそなえた状態で、からっぽの空間を飛び交う粒子たちから自然発生的に生まれたのだ。あなたが語る生い立ちの物語は、感動的だが事実ではない。あなたの記憶と、あなたが持つ知識を導き出した様々な論証と、あなたの信念はすべて、作り事なのだ。あなたに過去はない。思考する能力と過去に一度も起こったことのない出来事の記憶とを与えられた、肉体から切り離された脳としてたまたまひょっこり存在するようになったのだ。これが公平な答えである」(『時間の終わりまで』第10章「時間の黄昏」p483より)

つまり、現在の最先端の物理学の研究から言えば、私たちがもっている過去の記憶は全部、作り話ということで、実際に起きた話ではない、という結論である――その結論を導くエントロピーの細かい法則を、私はとても説明できないので、興味のある方はぜひ本書を読んでいただければと思う。

「私は〇〇年に生まれた」から、「昨日の夕食に肉じゃがを食べた」に至るまで、あるいは1分前にトイレに行った記憶まで、全部、「起こっていないこと」、それが物理学の結論でもある。非二元系の教えでは、このあたりの話は時々、語られているので、信じがたいけれど、驚くことではないかもしれない。しかし、長年対象世界の研究に人生を捧げた科学者たちにとっては、天地がひっくり返る結論なのだ。科学者と科学にとってのその衝撃を、著者は次のようにさらに述べている。

「あなたのものであれ、私のものであれ、他の誰かのものであれ、もしひとつの脳が、自分がもっている記憶と信念は、実際に起こった出来事の正確な反映だと信じることができなければ、科学知識の基礎をなす測定や観測か計算は、なにひとつ信じられなくなる。私は、一般相対性理論や量子力学を勉強した記憶があるし、これらの理論を支える論証の鎖をすべてたどり直すことができるし、これらの理論によってみごとな精度で説明されるデータや観測をすべて自分で確かめてみた記憶もある。ところが、もし私がこうした記憶は、それと結びついた実際の出来事によって刻まれたのだと信じることができなければ――一般相対性理論や量子力学は、心が作り上げた虚構などではないと断じて信じることができなければ――、これらの理論が示す結論はひとつとして信じることができない(『時間の終わりまで』第10章「時間の黄昏」p483~484より)

科学とは実際に起こった(とされる)事実にもとづき、論証を地道に積み上げる作業にそのすべての基盤をおいている。したがって、著者が書くように、「自分がもっている記憶と信念は、実際に起こった出来事の正確な反映だと信じることができなければ、科学知識の基礎をなす測定や観測か計算は、なにひとつ信じられなくなる」であれば、科学者にとっては耐え難い話になることは想像にかたくない。

非二元系の教えにはまっている私たちは、「世界は幻想である」とか、「時間はない」とか、まあ平気で言うものであるが、それは、私たちが科学者たちほど対象世界の研究に時間とエネルギーを投資していないからだ。むしろ、「実際には何も起きていない」とか、「「世界は幻想である」と聞くほうが、聞いているだけなら、ほっとするというか安心するというか……という感じであるが……しかし、その認識を実際に生きるのは簡単ではないし、まして、「すべての過去が実際に起こった出来事である」という基盤にもとづいている二元社会では通用する話ではない。

『時間の終わりまで』の10章の途中からは、科学の基盤、合理的思考への信頼を取り戻すための科学者たちが様々な戦略(=科学と科学者たちの救済戦略)を編み出す奮闘が紹介されている。一流の科学者とはSF作家並みに想像力に富んだ人たちなので、多様な宇宙モデルを想像し、私たちを楽しませてくれるが、どれ一つとして、絶対的確実なモデルはないようである。

本書の全体としてのテーマは、「私たちの宇宙の終わり」であり、「世界の終わり=時間の終わり」が現在の科学的研究から結論としては避けられないということで、著者は次のように述べている。

「われわれが長きにわたって「唯一の」宇宙だと思っていた領域では、生命と思考はいずれ終わりを迎えることになりそうだ。無限の宇宙空間では、われわれの領域の境界のはるか彼方で、生命と思考は生き延びるかもしれないし、その可能性が心の慰めになることもあるだろう。だが、われわれ自身は、永遠について考えることはできても、そして永遠を手に入れようと努力することはできても、永遠に触れることはできそうにない」(第10章497p)

著者のこの言葉を読み、「今の宇宙が終わる」と聞かされても、衝撃でもないけど、ただ物理学の研究が「過去がない」という結論に導くなら、「未来だって、実際は起こらない」という結論にならないのか?という疑問が湧いた。

そして、最後の文章、「われわれ自身は、永遠について考えることはできても、そして永遠を手に入れようと努力することはできても、永遠に触れることはできそうにない」は、科学的マインドの限界を告白している感じである――ちなみに、著者のお兄さんは、宗教が専門だそうで、何かのイベントに二人が呼ばれて対談したとき、全然話がかみ合わなかったという話が書かれている。

地上の諸々の問題にうんざりしたとき、たまにこういう宇宙論と物理学の最先端の話を読むと(そこには人間の些末な問題は出てこない)、数百億年規模の話なので、広大な宇宙の(実際は存在しなかった)過去や(やはり実際は存在しないかもしれない)未来へ旅行する気分が味わえたりして、楽しい――地上世界があまりに悲惨で滑稽だと、「この宇宙が終わる」と聞かされると、なぜかうれしいような気分にさえなる。


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