絵画のタイトルが気になる(笑)2025年03月17日 16時58分05秒

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先日、上野の東京都美術館に、「ミロ展」(Joan Miro スペインの画家。1893~ 1983)を見に行った。去年は、同じく東京都美術館に、「デ・キリコ展」(ジョルジョ・デ・キリコ。イタリアの画家。1888~1978)を見に行った。ミロもキリコも若い頃、なんとなく好きだった画家で、久しぶりに本物の絵を見て楽しかった。

とはいえ、私の絵画鑑賞能力や絵について説明する能力はかぎりなくゼロに近く、「なんでミロやキリコの絵が好きなの?」とか聞かれても、「ただなんとなく好き」としか答えようがない。

最近は、絵より、絵画のタイトルのほうがどうも気になる(笑)――何でこの絵にこのタイトルなんだ? みたいなタイトルが多くある。ミロの絵の中で、いわゆるシュルレアリスム(超現実主義)的な絵は、人や物が、人や物に見えるようには描かれていないことが多い。

今回のミロ展の絵画のタイトルで、たとえば、『カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち』のタイトルを見て、どれがカタツムリで、どれが夜の人物たちなのかを、絵の中に野暮にも探そうとしても、さっぱりわからない。あるいは、『ふたつの惑星に追われる髪』にいたっては、「なんで髪が惑星に追われるの?」みたいに考え始めてしまい、絵を鑑賞するより、思考のほうが忙しくなってしまう(愚)。昨年のキリコ展には、『燃えつきた太陽のある形而上的室内』なんていうタイトルもあった。形而上学的室内?って、わけわかんない……

でもまあ、自分がどんなものを描いても、それが人、星、動物に見えなくても、画家自身がそう見るなら、それでOKってところが、シュルレアリスム(超現実主義)絵画の自由なんだなあ、と勝手に納得した。

そして、美術展に絵を見に来ているのに、なぜか絵のタイトルだけが無数に思い浮かぶのが可笑しい。

先日、ミロ展を歩きながら、思いついたタイトル:

*空(くう)が見つめる君の空(くう)で待ち合わせ

*Iamからのラブレター

*君が見た私ではないもう一つの自画像

*私の宇宙頭の中で遊ぶ愛しい小人たち

*君を想う夜に切なく降りてくる愛

*人間的愛の阿修羅的変身

*愛を知らない子供たちのために泣く神

etc.

ということで、何十年絵を見ても、絵画鑑賞能力はまったく成長しないけど、でも、ミロの絵の色彩、色使いは、昔と同じく、「地中海で遊ぶバカンス」のように私を明るく自由な気分にしてくれた。

最後に一句

ミロ見て
我見て
「見ろ」三昧



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