『Doosri Maa(もう一人の母)』2026年05月06日 09時20分12秒

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◎2026年5月16(土)出張シンプル道コンサルティング(東京)

◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)

2026年5月17日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで

◎オンライン「非二元の探究──創造原理としての神」

2026年5月10日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[ お知らせ]
『静寂の雷鳴』(ジョエル・ゴールドスミス著) 電子書籍版発売

最近、海外の連続ホームドラマにはまっている。今、主に見ているのはトルコとインドのいわゆるホームドラマである。なぜこの二つの国のものかというと、トルコとインドは私が今までに訪れた国の中でも今でもその文化や風景がとてもなつかしいからだ。だからドラマを見ながら、その背景の風景や文化も楽しんでいる。

しかし、風景を楽しむなんてことは視聴者である私の特権で、ホームドラマの登場人物たちは一度だって自分が住む町の風景や食べている食事や飲み物を楽しんだことがないくらい、日々問題に追われ、人間関係に苦しみ、敵と戦い、生き延びるのに必死だ。登場人物たちが携帯電話を握りしめているところだけは世界共通の風景である。

今、見ているインドのドラマはヒンズー語の原題『Doosri Maa(もう一人の母)』というタイトルのドラマで、全部で315話のうち、今、約100話を見終わったところである。

ドラマは、インドのある町で超有名な資産家の名家を舞台に、100%善意のヒロインとヒーローが、100%悪意の人たちがしかけた罠にはまって苦難にたびたび陥り、でもそのたびにヒロインとヒーローが力を合わせてその苦難を乗り越え、最後にやっと善意が勝利して(最終回315回を見ると、そうなっている)、「いろいろとあったけど、まあよかったね」となるよくあるドタバタ悲劇で、ドラマ的には特別面白いわけでもない。

しかし、私的に興味深いところは、善意の人が一生懸命周囲の人たちのことを想い、尽くしているにもかかわらずまったく報われず、そして、「善を為さなければいけない」という自分の強い信念、「正しいことが為されなければならない」という正義感、「私は善い人間である」という自己イメージが、かえって悪意の人たちを刺激し、ますます多くの悪意を自分に引き寄せてしまう結果になるところだ。そしてみな敬虔なヒンドゥー教徒で、毎日「どうか神様、悪いことが起きませんようによろしくお願いします」と祈ったり、宗教的行事を欠かさないのに、それが全然効果がなく(笑)、次から次へと悪い出来事が起こり続ける。私は少々意地悪な見方をするので、善意のヒーロー・ヒロインを応援するより、「その善意、それ違うって!」という感想のほうが多く湧く。そして、激しい嫉妬とプライドという人間特有の感情(ドラマなので、おおげさに描かれてはいる)が、どれほどの不幸と苦しみを生み出すのかもよくわかるドラマだ。

このドラマのヒロインは名前をヤショーダといい、「善き母」「善き妻」「善き嫁」を絵に描いたような女性で、誰からも称賛され愛されていた。資産家一族はヤショーダの献身的働きのおかげで笑いと喜びあふれる幸福な生活をおくっていたが、あるとき彼女の夫が結婚前に作った隠し子の男の子(10~12歳くらい。名前はクリシュナ)と彼女が偶然に出会った日から、彼女の人生と一族の運命が激変し始める(←有名敏腕弁護士であるヤショーダの夫は、クリシュナが自分の隠し子であることが妻にばれた日に勝手に家出し、そのまま出家する←このドラマの中の一番悪い奴!)。

このドラマがさらに私の心に刺さるのは、このヤショーダが、やはり典型的日本の「善き母」「善き妻」「善き嫁」だった私の母に性格や価値観、そしてその善意が報われなかったところが非常に似ているからだ。彼女の言動を見ていると、昔の母の姿を思い出す。

先日見たちょうど100話目あたりのエピソードでは、悪意が仕掛けた罠にヤショーダが落ちて、やってもいないことで濡れ衣を着せられ、家族の激怒をかい、ついには子供たちと一緒に家を追い出されて、貧乏生活を余儀なくされるという話だ。小学生の二人の娘のうち長女は母を大好きではあるのだが、貧乏生活に耐えられず、また母が自分たちよりクリシュナを愛していると思い込んでいる(=嫉妬)ので、ヤショーダに「私が欲しいものを買ってくれないお母さんなんていらない。おじいちゃんの家に帰りたい」と母を責めたてる。その言葉を聞いて、子供たちが一番の生きがいで、「子供たちも自分と一緒にいたいはずだ。自分と一緒にいるのが幸福なはずだ」と思い込でいるヤショーダは母としてのプライドをズタズタにされ、完全に打ちのめされる。

そして、家出し、祖父の家に戻った長女の愛情をそれでも取り戻そうと、彼女があれこれするのを見て、私は、「いやいや、ヤショーダ、長女のことは放っておきなさいって。貧乏な母親と一緒にいるより、金持ちの祖父と暮らすほうを長女は今は望んでいるのだから」と、ついどうでもいい説教をつぶやいてしまう。幼い子供にとっても、母親の善意の押し付けはうっとうしい。

ヤショーダは自分の善意、善き人であるという自己イメージにあまりに執着するので、周囲がまったく見えず、他人の本当の考えや感情を理解せず、自分が本当はどれほど嫉妬されてきたのか、自分にどれほどの悪意が仕掛けられているのか理解できない。だから、彼女は神に向かって嘆くのだ。「神様、私は何も悪いことをしてないのに、どうして私にこんなひどいことばかり起こるのですか?」と。

しかし、つい最近見たエピソードでは、彼女の評判と名声がどん底まで落ちて、ようやく彼女は自分にどれだけの悪意が仕掛けられているのかを理解し、その悪意に対して徹底的に戦うことを宣言する。「私にはもう失うものは何もない。私は子供たちの権利を守るために絶対に負けない。私は新しい人間になるのだ」。

実際、美しく愛情に満ちた笑顔の裏側に彼女はものすごいパワーを秘めている人、というよりもこの名家の人たちの中でも本当は一番暴力的(笑)だ。彼女は激しく怒り出すと、怒りをコントロールできず、最後には相手を平手打ち(!)する。数えていると、彼女は登場人物の中で誰よりも相手を平手打ちしている(←平手打ちの場面がなんとまあ多いドラマか!)。だから、善意100%の彼女の中にも「悪」はあるのだが、彼女はそれを自覚することなく、自分が正しいことを証明すべく、これから残りの約200話、クリシュナとともに善悪の戦い、ほとんど命を危険にさらす戦いのまっただなかに飛び込んでいく(ようだ)。

もう一人のヒーロー、ヤショーダの夫の隠し子、クリシュナはしだいにヤショーダを第二の母(これが原題の意味)と慕うようになり、本当の長男のごとくヤショーダを全力で支えることを誓う。彼もまた善意100%で正義感が強いところがヤショーダそっくりで、しかも頭がよく、力持ちで、生意気なほど弁がたつ。言わなくてもいいことまで忖度なく大人たちに言うので、ヤショーダ以外の大人たちに憎まれ、100回までのエピソードの中で、すでに5回くらい誘拐や監禁の目にあい、大人たちにたびたび殴られている。ドラマじゃなかったら、クリシュナはとっくに死んでいるはずだが、ドラマのヒーローなのでもちろん315回まで生き延び、ヤショーダとともに幸福のフィナーレを迎える。このドラマを私が見続けられるのはたぶん、クリシュナの生意気ぶりが楽しいからだ。


「ああ、ドラマの見すぎは目にも悪いし、中毒だなあ!」と思いつつ、連続ドラマははまるとやめられないのがツライというか、楽しいというか。


[昨年出版された本]

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定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ




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[2023年に出版された本]


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本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

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『Doosri Maa(もう一人の母)』22026年05月28日 06時55分50秒

[ お知らせ]

『静寂の雷鳴』(ジョエル・ゴールドスミス著) 電子書籍版発売


まだ『Doosri Maa(もう一人の母)』のドラマを見続けている。私がこのドラマにはまっている理由は前回書いた。インドのホームドラマでありながら、このドラマの登場人物たちは世界のどこの国のどこの家庭にもいる人たちで、彼らがいだく感情も普遍的だ――不満、嫉妬、プライド、罪悪感、劣等感、正義感、憎悪、嫌悪、善意、愛情、特定の人へのアイドル化など(←非常におおげさに描かれてはいる)。そして、家庭の中の大きな問題は、実は長い年月の間の小さい不満、隠し事、人間関係の歪みが積み重なって、ある日突然のように炎上する様子もよく描かれている。

私の子供時代(←昭和時代)を思い出せば、このドラマの中の登場人物に似ている大人たちが私が住んでいた環境(家族、親族、近所)にもいた(←ただし資産家ではなく、非常に庶民的環境)。そして、彼らはそれぞれの人生で、よいことにしろ、悪いことにしろ、自分の感情的カルマ(ドラマ)を生きたようだ。

このドラマの中で100%悪意の登場人物、ヤショーダとクリシュナの天敵を演じるのは、この資産家の長女で、彼女は本当に見るからに意地悪で性格が悪い。しかし、私は彼女に同情する気持ちも湧く。インドの男尊女卑の文化(←昭和時代の日本の家庭も似ていた)では、女の子は家庭の中で男の子よりも地位が低い。彼女が二人の弟よりも家庭で軽く扱われてきたことが想像でき、年頃になっても恋愛は禁止され、持参金をつけてさっさと嫁に出されてしまう。ところが好きでもなく結婚させられた男は、現在は稼ぎがなくほとんどチンピラヤクザである(←そこが彼女とピッタリではあるが)。近所に住む彼女は毎日のように実家に入りびたり、食べ物をくすねたり、父親に小遣いをねだったりする。

母親はそんな長女を疎ましく思い、元々相性が悪いので長女への嫌悪感を隠さない。彼女は実の娘よりも嫁であるヤショーダのほうが大好きで称賛している。この母親も良妻賢母を絵に描いたような人であるのに、ヤショーダに似て怒り出すと長女を平気で平手打ち(!)する。

長女の気持ちにたてば、実家は裕福なのに、自分たち家族は貧しい。母親は長女である自分よりも嫁を愛し称賛し、自分のことは平気で虐待(平手打ち)する。自分たちの結婚生活には愛情がないのに、ヤショーダと夫(彼女の弟)はラブラブである。といった状況は彼女には見るに耐えがたく、その思いがヤショーダへの激しい嫉妬と悪意へと転化し、どんどん膨らんでいく。この資産家の長男である弟に隠し子がいることがばれ、弟が失踪した機会に、彼女はチンピラの夫と外の犯罪者も使って、ヤショーダの人生を破滅させ、ゆくゆくは両親ともう一人の弟夫婦も追い出して、この家の財産を全部奪うことを決意する。彼女にしてみれば、自分の存在を無視してきた実家への復讐のような感じだ。

彼女は両親を騙して、実家に家族で居候することに成功し、さらにヤショーダと子供たちを家から追い出すことにも成功。そして今、彼女はもう一人の弟夫婦にも悪意を感染させ、弟を使って、両親の財産を自分たちの息子に継がせることを画策する。この資産家の次男は人がよいのに、理性的判断がまったくできない。彼は優秀な兄を尊敬し愛し、そして兄の結婚相手、自分の兄嫁であるヤショーダを自分の妻よりも称賛していた。ところが自分の妻の流産がヤショーダのせいだと思い込んだ(←実際は姉のせいで流産は起こった)日から、彼の感情は100%反転し、姉夫婦に協力してヤショーダとクリシュナの人生の破滅を誓う。が、彼はただ騙されやすさを姉に利用されているだけだということがまったくわかっていない。勝手に兄夫婦をアイドル化し、そのアイドルが失墜して、勝手に傷つくというよくあるパターンを演じている。

そして、この資産家の長老、3人の父親でもある男性は男尊女卑で非常に保守的で日本で言えば、昭和の頑固オヤジのような人だ。自分が頑張って築いた財産と優秀な長男とよくできたその嫁(ヤショーダ)が自慢で、地域の尊敬を集める名家であることをなによりも誇りに思っていた。ところが、自慢の長男には隠し子がいて、何の説明もなく彼が失踪してから、面目丸つぶれで、近所を歩けばバカにされるようになる。本来であれば、一番悪いのは勝手に失踪した長男であるのに、自分の怒りを、長男ではなく、隠し子のクリシュナと正義感から彼をこの家で育てると言い張るヤショーダに激しく向ける。特にクリシュナを見るのが耐え難く、彼を召使い扱いし、たびたび殴りつけ、自分の憂さを晴らす。ついには、その怒りといら立ちを悪意100%の長女につけこまれ、ヤショーダとクリシュナを家から追い出してしまう。

そして、その心の弱さにどんどん長女の悪意が感染して、長男夫婦への怒りからついにはこの家の財産を全部次男に譲渡することを衝動的に決めてしまう。すると、今までは両親に頭の上がらなかった次男が今度は威張り始め、両親に「この家を出て行け!」と言うほど傲慢になるのだ。

この事態になって、長老はようやく自分の判断が色々間違っていたことに気づき、根は非常に家族思いでやさしい人なので、ヤショーダにふりかかる貧困や苦難を伝え聞くたびに、今度はひどい罪悪感に苦しむようになる。

そして、このドラマの中での一番悪い奴は、隠し子がいることがばれて失踪し、ある僧院に逃げ込んだこの家の長男にして、ヤショーダの夫だ。ヤショーダがようやく彼の居所を突き止めて、家に戻るように説得しても、「自分のような罪深い人間は、家族と暮らす資格がないし、一緒に暮らせば家族に悪いことが起こるかもしれない。自分はいつも逃げていたけど、ここで自分の罪と一生向き合い、皆さんの幸せを祈ります」みたいな宗教的観念の中に逃げ込み、自分が家族のところへ戻らないことがみんなのためにもなると言い訳をする。まあ、このあたりの彼の罪悪感的観念はいかにもインド的だ。本当は彼は妻にも家族にも強い未練があるのに、完璧な夫、完璧な父親、完璧な息子、完璧な弁護士という自己イメージが崩壊して、その事実に直面することができない。自分が家族を捨てたせいで、妻と子供たちは貧乏を余儀なくされ、家族が崩壊しつつあるという事実から目をそむけ、自分だけの平和を求めている大バカ野郎だ! ヤショーダじゃなくても、叱りつけてやりたい気分になる。

このドラマの中で唯一まともで非二元的(笑)で現実的なのはクリシュナで、彼は周囲の大人たちの罵倒、憎しみを受け入れ、困難にめげず、ただ今ここでヤショーダのために何ができるか常に考える。ヤショーダじゃなくても、こんな息子がいたらどれだけ頼りになるかと思わせる子供だ。ただ、彼にしても、自分と母(病死)を捨て、ヤショーダからも逃げた自分の父親であるヤショーダの夫だけは赦しがたく憎んでいる。

こんなふうに登場人物の感情の動きを書き出していると、「まあ、何と人の感情とは忙しく、騒がしいものか!」と驚いてしまう。誰も冷静に現実全体を見ずに、激しい感情にもとづいて行動するので、問題が次から次へと起き続け、ドラマが延々と続くというわけだ。

今回、インドのホームドラマを初めて見たけど、人物の撮影方法などは日本のドラマの作り方とは違う感じだし、宗教が人々の日常生活に完全に浸透し、彼らの観念を束縛している様子も興味深かった。ちょっと見疲れたので、このドラマはここでしばらくお休みして、これからしばらくはトルコ動画に戻って、イスタンブールやイズミルの風景を楽しもうと思っている。


[昨年出版された本]

*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売

(ダグラス・ハーディング著  ナチュラルスピリット発行)

定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ




*『自己覚醒へのマスター・キー』

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。



[2023年に出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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