「悪意」について2025年10月17日 10時45分35秒

[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ


◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)

2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで

◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」

2025年11月9日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」

2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(23)



もうすぐダグラス・ハーディング著『On Having No Head(頭がないことについてー仮称)』 (1994年に図書出版社から『心眼を得る』のタイトルで出版された本の再版)が出版予定なので、次回よりこの20世紀のスピリチャルな古典ともいうべき本書を紹介する予定である。

その前に今回は、ハーディングが『On Having No Head(頭がないことについてー仮称)』で描く「天の王国」とは正反対の人間世界の「悪意」について書いてみたい。

先日ある人から、「この世界には途方もない『悪意』がありませんか?」と尋ねられ、この世界にある「悪意」について少し話し合ったことがあった。この世界には途方もない「悪意」がある――そのことを私は否定しないし、驚かない。なぜなら、私は20代の頃からずっと人の心の中に潜む「悪意」を研究(笑)してきたし、普段「悪意」満載の本(ミステリーや小説)を山ほど読んでいるからだ。

「悪意」とは何か? 悪意の元とは、「人間の利己心」である。そして、人間の利己心とは自分(自分たち)が快適に生き延びたい、さらに言えば、自分たちが快適に自己拡大したいという願望である。そして人間のその利己心は、自分たちの肉体的精神的物質的喜びや快楽のためなら、他人をどれほど利用(犠牲に)しても、心が痛まない。そう定義してみれば、私たちのほとんどすべての人の心に「悪意」というものがある。あとはその「悪意」の種類と程度と、自分が自分の「悪意」にどれほど自分で気づくかどうかの問題である。


戦争は「お前たちなんか死ねばいい」という極端な「「悪意」と「悪意」の衝突であり、犯罪は片方が一方的に相手の何かを奪うために悪意を相手に仕掛ける行為である。特定の誰かを貶める言動(いわゆるヘイトスピーチ)、セクハラ・パワハラは自分の精神的肉体的快楽のための「悪意」である。こういった「悪意」はわかりやすい。しかし、私たちの日常生活では、「悪意」は「悪意」の顔をしてやってくるのではなく、むしろ「善意」の仮面をかぶってやって来るからややこしい。

毎日のように私のところへ送られてくる有名企業の名前を騙った詐欺メールは、「親切なお知らせ」という仮面をかぶってやって来る。自分がそのサービスを利用している場合、念のため調べることにはしているが、こういったことに時間がとられることが非常に煩わしい。まあ、私が日常生活で出会う「悪意」はそのくらいで、私はほとんどいつも親切で平和な世界に生きている。

しかし、今年は一度、「悪意」の実害にあった。それは引っ越しのときの話で、引っ越し業者の「善意を装った悪意」にひっかかった。今の時代、誰でもやるように、私はネットで準大手くらいの引っ越し業者に見積もりを出してもらって、それがかなり安かった(=善意の見せかけ)ので、実際に営業の人に来てもらうことにした。

当日、30歳前後のやり手営業マンといった感じの男性と今年の新卒の営業見習いの男性が二人でやって来た。やり手営業マンの男性がすべての部屋の荷物をチェックしたあと、彼はネットの見積もりの約5倍(!)の金額を私に告げた。そのときまで、私は疲労気味でぼんやりとしていたが、その金額を聞いたとたん突然アドレナリンが噴出し戦闘モード(笑)になり、「どうして金額がネットの見積もりの5倍なんかになるんですか!? 私はほとんど正確に自分の荷物を数えてチェックして、ネット上の見積もりに記入したはずです。実際の見積もりが多少高くなるのはわかります。でも5倍の金額なんてありえないでしょう?」と彼に詰め寄った。

すると彼は、「まあ、ネットの見積もりって、あんまり当てにならないのですよ」といけしゃあしゃあと言うではないか! 金額の説明も素人が聞いてもよく理解できない説明を繰り返すので、こんな誠意のない会社はやめようと、私はもう帰ってもらおうと思いかけた。すると向こうが、「だったら、お客様のご希望の金額はいくらですか?」と尋ねたので、私はネットの見積もりの金額の約2倍を提案した。すると彼は、「それだと搬出は夕方で、しかも小さいトラックしかご用意できず、当日荷物の積み残しもありえますが、それでもよろしいでしょうか?」とやんわり脅してくる。

私が何か言うたびに、その営業マンは電話で上司と相談し、「上司からの提案はこうです」と新たな金額を告げて来る。結局、他の引っ越し業者にまた見積もりを頼んでも同じことになる可能性は高いだろうと判断し(ネットの見積もりはどこの会社も同じように安かった)、何よりもまだ他にも山ほどやることがあるので、できればその日に引っ越し業者を決めたかった。そして、その営業マンもなんとしてもこの契約を勝ち取りたい意図が見えた。という両者の利害が一致して、なんとか当初のネットの金額の約3倍で折り合った(それでもまだ高い感じ)。

彼らの責任ではないけど、私は最後に二人に言った。「会社に戻ったら、ネットの金額と実際の見積もりがあまりに違いすぎると、あなた方の会社の信頼に傷づくし、お客をバカにしていると、お客がすごく怒っていたと、上司に伝えなさい」。ただし、その会社の現場の名誉のために言えば、搬出搬入の当日来てくれたスタッフは皆さん感じのよい有能な人たちで、短時間でプロの仕事をやってくれ、それで私の怒りもだいぶ収まった。今回の私の経験は、安い金額で客を釣り、あとで高額を請求する例だ。先日読んだ新聞の記事によれば、私が経験したようなネットの金額と実際の請求金額があまりに違いすぎるという苦情は、消費者センターに非常に多く寄せられているという――水道の水漏れ工事、葬式の代金などの苦情が多いそうだ。

今の世の中、知識・理解・気力が劣るものから、お金その他をむしり取ろうとする圧力はものすごく増加している感じがある。その圧力は国内だけでなく、全世界からやって来ている。それはたぶん、どこの国でも経済的格差、その他の格差の広がりから、お金を普通に稼ぐこと、平和に普通に暮らすことができない人たちが増えているからだろうと思う。そして、それが他者への「悪意」となって、様々な犯罪や意地悪な行為として現れている。

そう書くと、「悪意」だらけの世の中で生きるのもイヤになるほど絶望したくなるが、私の長年の「悪意」研究から言えば、二元性の世界では、「悪意」だけだったら、社会やコミュニティ、家庭は崩壊する、ということだ。社会やコミュニティ、家庭が崩壊しないで保っているのは、「悪意」と同じくらい「本当の善意」もあるからだ。

自分の経験を語れば、長い人生の間、家族の中で日本国内で外国で、私はそういった「本当の善意」にたくさん出会ってきた。私を助ける義務も必要もない人たちからどれほど親切にしてもらったことだろうか。

だから、私は世の中の「悪意」についてはそんなには絶望していない。二元世界では、「悪意」があれば、善意もある。悪人がいれば、善人もいる。ときには、善が悪になり、悪が善になり、善人が悪人になり、悪人が善人になることさえある。それが人間の世界、人生というものだ。そして、万一予期せず自分自身の身に「悪意」がふりかかったときは、カルマ(神の意志)としてあきらめ、最低の被害で収まるようになんとか頑張る(笑)……しかない。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト




















『チ.地球の運動について』(2)――「情熱の質」について2025年08月22日 10時27分57秒

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2025年9月4日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

2025年9月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究─世界の出現」

2025年9月13日(土曜日)午後2時から午後4時頃まで

2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで


[
新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


〔Youtube]

U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(18

https://youtu.be/VxQWT0Q2OHU



今日も、『チ。地球の運動について』についてである。私がこのアニメを見て、もう一つ深く考えたことは、人々の「情熱の質」についてだ。

このアニメの中で敵対関係にある、異端を迫害する教会の人たちと地動説研究者たちは、両方がともに強い情熱をもっている。異端迫害派は、地動説などという危険な思想が広まらないように、地動説研究者を迫害し、撲滅することに情熱をかけ、地動説研究者は、惑星や星の運動に関して何が真実か知りたいという情熱に動かされている。

この二つの情熱はかなり「質」が違うものだ。その違いを言えば、前者(異端迫害派)の情熱は「恐怖」に根差している。それに対して、地動説研究者たちの情熱は、「天体の運動の真実を知る喜び」に根差している。彼らは別に天動説をやっつけたいとか、教会の権威を失墜させて、自分たちが権力者になりたいという政治的動機で研究しているわけではない。そして、この時代、その情熱は非常に危険、命をかける情熱となっていた。実際、『チ。地球の運動について』では、登場した地動説研究者はみな処刑されている。

しかし、人間の幸福という観点から見れば、この物語の中では少なくとも、異端とされた地動説研究者たちのほうが幸福に死んだ感じである。

再び、前回も紹介したオクジーの疑問を紹介すると:

彼は仕事がら(警備組合勤務――仇討ちの代理とか、人を殺すことも仕事に含まれている)たくさんの人の死に際の様子を見てきた。彼は「自分は今まで幸福に死んだ人を見たことがない。教会の言うように真面目に生きてきて、死後これから天国に行けるというのに、どうしてなのか?」と疑問に思う。そして、唯一幸福に死んだのが、星観察が趣味で、彼を星の世界へと導いてくれた警備組合の同僚と、彼が異端審問官の警備の仕事をしたときに会った地動説研究者の二人だけだった。そこから彼はしだいに、「真面目に教会の言うとおり生きていいれば、死後天国へ行ける」という教会の教義を疑うようになり、最初は夜空を眺めるのさえ怖かったのが、しだいに星空を眺めることに喜びを感じるようになった。そして、地動説研究者たちの仲間になり、最後は星空を眺めながら、幸福に死んでゆく。

前回も書いたように、このアニメで描かれていることは現代社会においても無縁ではない。この惑星地球においては、「恐怖に根差す情熱」が圧倒的に強く、「喜びに根差す情熱」はほんのわずかしか実現しない。しかも、私たちは大人になるにつれて、そのわずかな喜びさえも感じることがどんどん少なくなり、反対に恐怖を感じることが増え、さらに悪いことには、その恐怖を抑圧し、感じないようにして生きている。

「恐怖に根差す情熱」は、たとえば、カリスマ的政治指導者が出現して、「〇〇のせいで、私たちは貧乏になっている」とか「我が国の問題は、〇〇の国のせいだ」などと、欠乏の恐怖をあおり、社会の中で膨れ上がれば、それは簡単に社会に対立と分断を生み出し、最終的には「戦争」へと繋がっていく。

今はたまたま8月ということで新聞やネットには、戦時中の悲惨な体験が山ほど語られている。そして、戦争を経験した人たちはほぼ100%、「戦争は悲惨なもの。二度と戦争をしてはいけない」と言う。そして、そういった記事を読む読者だってほぼ100%戦争はしてはいけないと思うはずだ。

ところが……そういった理性に根差す思いは、はっきり言って、恐怖に根差す情熱の前では無力だということを、歴史は証明してきたし、今でもガザ、ウクライナで証明している。「戦争は悲惨なもの。二度と戦争してはいけない」という思いは、万一、政治家や国民の中に恐怖に根差す情熱が伝染し膨れあがれば、すぐに消滅し、一転して「戦争だ! 敵をやっつけろ!」に簡単に変わってしまうだろう。

だから私は「戦争は悲惨なもの。二度と戦争してはいけない」とは簡単に言えない自分に気づく。むしろ、私は問いかける。「戦争は悪いもの。戦争はしてはいけない」という理性的思いはなぜいつも無力なのか?と。なぜ人にとっては命より自分たちの正義やつまらない観念が重要なのか? そこを考えることが重要ではないかと思うのだ――第二次世界大戦のとき、アメリカとの戦争は勝ち目がないという賢明な理性ある提言はすべて退けられ、戦争賛成(恐怖に根差す情熱)派が多数派になり、無謀な戦争へと突入した(という記事を、先日の新聞で読んだばかりだ)。

そういうことを問いかけたからといって、世界中の戦争が止まるわけでもないが、少なくとも恐怖心に根差す情熱への感染防止になると私は思っている。

そして同時に、日々、小さいことをたくさん喜んで生きようと思う。たとえば最近新しい環境になって発見した喜び――1時間に1回か2回、新幹線が通過する音を聞くこと。騒音なのに、なぜか静寂の中でこの音を聞いている瞬間が好きだ。あるいは夕暮れ時に、帰路を急ぐ鳥たちの飛行をベランダで眺め見ることなど。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト




 




























白米愛2025年06月10日 07時04分18秒

[新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。付録に、『シンプル道の日々3』(2022年~2024年)も掲載しています(総文字数約20万字。新書版2冊くらいの分量です)。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。



〔Youtube]

U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(11

https://youtu.be/QCW7zJdKX8Y

 

[お礼]
新刊書籍をご購入・購読いただきました皆様、どうもありがとうございました。


今から、7、8年前の秋のある日のことだった。いただいた新米をせっかくなので、雑穀を混ぜないで、白米で食べることにした。そして炊きあがった白米を一口食べたときに、私に衝撃が走った。「白米って、こんなにおいしかったんだ!」と。長い人生の間、食べ物に衝撃を受ける経験はそれほどあることではない。思い出に残るほど「衝撃的においしい」が数回、そして、「衝撃的にまずい」も数回くらいか。

その日、もう一生死ぬまで自宅では何も混ぜない白米を食べようと決心した。更迭された農林水産大臣と同じく、私も大人になってから(ほとんど)お米を買ったことがない。親戚の方にいただくおいしいお米をずっと食べてきた。だから、おいしいお米しか食べたことがないというありがたい身分である(と、私がこう言っても、私は政治家や官僚ではないので許していただけると思う)。それでも、健康のためにとかそんな理由で、ずっと雑穀を混ぜて食べてきて、それもそれでおいしいと思ってきた。

しかし、あの日以来、私は白米愛に目覚め、炊き方までかなり研究するようになった。今は炊飯専用の土鍋で炊いて、まあまあ満足のレベルである(でも、ここでも「体質」と「好き」が合わず、私は悲しくも炭水化物をたくさん食べれない体質である←若い頃はそうではなかったのに)。ここ数年は、他のブランドのお米も食べてみようと思い、一年に1回くらいスーパーでも買っている。ブランド米の無洗米が思った以上においしいのでびっくりした。

ここ1年の令和米騒動――国民の主食であるお米の値段が2倍以上になっているのに、政府も農林水産省も他の誰もその原因が何なのか、納得の答えを出していない。そもそもお米は国民の主食だというのに、お米を作っている農家の人たちの多くが農家専業(=つまり、お米を作る仕事で、家族を充分に養える)でやっていけるほど儲からないという話を聞いている。私の親戚の方も別の仕事と兼業で家族を養っていたし、後継者もいないようなのであと何年やれるかわからない状況である。

先日見たネットのニュースで、新しいやり方でお米を作っている若い人たちが紹介されていた――水田ではなく、乾いた土地でお米を作る方法とかで、水田で作る従来の方法よりはるかに省労働になるという。情熱をもつ若い世代の人たちが米作りに参入し、省労働と儲かる農業、そして「おいしいお米」が両立するように色々研究工夫している姿を見ると、これからの日本の農業に多少希望が持てる。

それでもと、私はお米に関しては悲観的に思うのだ。たぶんこれからの時代は財力とお米へのこだわりに応じて、自分のお米を選ぶ時代になると。つまり、国産のおいしいお米はたぶんすべての人には安い値段では行き渡らないということだ。私が5年後、10年後に国産のおいしいお米を余裕をもって買えるほど財力があるかどうか……でもお米のためだったら、私は他の出費を削ってもおいしいお米を買うとは思う。

さて、小泉大臣が国民にばら撒いた備蓄米(令和の「お救い米」(注))。備蓄米は元々は国民の税金で政府が買ったものだから、国民が備蓄米を安く買えるとすれば、国民が払った税金のおかげで安く買えるという意味だ。そして、小泉大臣(ヒーロー)対それに対抗する農水族のおじいちゃん政治家(悪者)というドラマまで演出して、昔、小泉大臣のお父さんもよく使った戦略だけど、「自民党、お前もしたたかよのう」という感じだ。それで石破政権の人気が上がり、次の選挙で自民党に有利に働けば、備蓄米は「国民を救う」というより、「自民党をお救い米」という自民党にとって一番ありがたいお米となる。

(注:「お救い米」(御救米)は、江戸時代に幕府や領主が飢饉や災害などの際に困窮した庶民を救済するために支給した米のこと。これは、特に飢饉や火災、水害などで生活が困難になった人々に対して、応急的に配られる施米。)


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト








目指せ!「寝たきり老人ゼロの国」2025年05月01日 08時12分44秒

[イベント]

*リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都文京区)
2025年5月11日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで

*オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年5月18日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

*オンライン「非二元の探究――実験と瞑想の会」
2025年5月4日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年5月22日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

上記のイベントについての詳細はこちらへ


 

[新刊発売お知らせ]


*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)発売。

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。




日本では高齢者の増加にともなって、医療費もものすごいスピードで伸びている(私もここ数年、医者から薬を処方してもらっている身である)。それで政府も、人数の少ないところから(=選挙に影響が出ないところ)から、医療費の削減を目指そうとして、「高額医療費の自己負担額の引き上げ」が先日国会で議論された。

しかし、日本の医療費の削減って、まず終末高齢者に対する不要な延命治療をやめる、そして、(延命治療をやめる場合に、医者が刑事的に訴えられないように)法的整備をすることあたりから始めるべきではないかと、私は思っている。もう回復の見込みのない老人たちを寝たきり状態で生かしておくことに、どれだけの医療費が使われていることだろうか。高齢世代の福祉や医療のためばかりに税金が使われているという、若い世代の不満ももっともなことだ。

最近、『欧米に寝たきり老人はいない』(宮本顕二・宮本礼子著 中央公論新社)という本を読んで、欧米では、終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害であるというあたりに私はかなり共感した。なぜ人権侵害かと言えば、それは本人にとって、ひどい苦痛となるからだ。本書では、2007年にスウェーデンの高齢者医療を見てきた著者たち(お二人ともお医者さん)が、今後の日本の終末医療について考察と提言をしている。

私も会員である、「日本尊厳死協会」の会報には、「親、夫や妻をこんなふうに看取りました」という読者の投稿がたくさん掲載されている。亡くなった人たちが「日本尊厳死協会」の会員である場合、家族は医者や医療機関に「本人の意志で、延命治療を希望しない」ことを強く伝えると、今ではたいてい病院や医者も理解を示し、本人や家族の希望通りにしてくれるという。

しかし、なかには、本人が植物状態になって、家族が、経鼻経管栄養(チューブによる栄養)を流すのをやめて欲しいと頼んでも、病院側から断られることもあるという。

もし今、若者、中年、老年の健康な人たちに、「回復の見込みがないときに、あなたは寝たきり状態で、長く生きたいですか?」とか、「胃ろうして生きたいですか?」と質問したら、ほとんどの人が、そんなふうにして「長生きしたくない」と答えるだろう。 

だから、政治家の皆さんが、「寝たきり老人ゼロの国」のための議論を始めて、国民にも考えてほしいと言ったら、それは世代間の対立なく、みんなに関心をもってもらえる話題だろうし、「医療費の削減とより人間らしい死」が両立する社会が実現すれば大変によいことのはず……。

しかし、「はず……」ではあるが、日本で実現するにはまだまだ長い年月がかかるだろう。

その理由は、「終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害である」という考え方は、長い間の日本人の考え方――いかなるときも延命は善であるという医学的倫理価値観、まだ延命治療をすれば生きることができる人を、早く死なせることへの家族の罪悪感などに、価値観の転換を迫るからだ。

人間は考え方、価値観を変えることに非常に抵抗する生き物である。加えて、医療機関や介護施設の都合(←「寝たきり老人」や「胃ろう」は儲かるという身も蓋もない話)なども聞いたことがある。そういった様々な複雑な事情が絡み合って、「もう回復しないことがわかっているときには、安らかに死にたい」という願望が実現しにくい社会となっている。
 
終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は人権侵害であるという考えに私が納得するのは、父が亡くなる前の最後の数か月病院に入院していたとき、自分でもうほとんど食事もとれず、点滴栄養を受けていたときの様子を思い出すからだ。父は「痛い」とか「苦しい」とは絶対に言わない人なので、いつも黙って耐えていた感じだった。私たちは、父が医者と西洋医学をとても信じていたので、「病院で死ぬことが父の望み」と単純に思っていたが、父が亡くなったあとで、最後の1ヶ月くらいは自宅で看ればよかったのかもと後悔した。

さて、昔の後悔はさておき、母の場合(まだ一人で食事はできるし、食欲も衰えてはいない)、心安らかに平穏に看取ることができるのかどうか、家族にも覚悟が問われる感じである。


「日本尊厳死協会」サイト



[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト





異星人、たぶん存在するかも……(2)2024年12月25日 09時57分03秒

[ケロケロ様へ]
「Master Key toSelf Realization 」をお待たせして、大変申し訳ありません。私の時間予想能力があまり当てにならず、スケジュールは、私にコントロールできないことなので、ご理解いただけば、ありがたいです。たぶん、来年の春くらいまでには、とぐらいしか現時点は、出版時期を申し上げられません。また原稿の販売もできません


[ お知らせ]

*「Master Key toSelf Realization 」の発行は来年となります。諸般の事情で遅れてしまい、お待ちいてだいたいる皆様には、お詫び申し上げます。


最近読んだ「異星人とのコンタクト」物語を紹介しようと思ったものの、文章を書く体力、タイピングする体力がかなり尽きている。それで、いくつか読んだものから、その中に書かれていることを短く紹介すると:

*地球という惑星や地球人に関心をもっている異星人はたくさんいる(←現在では、異星人の種類、イラスト、性格や寿命、その惑星の地球からの距離が記載されている異星人図鑑みたいなものまで出ている)。

*異星人の種類は大まかに分けると3種類で、いわゆるヒューマノイド型(人間に近い)、グレイ型(目が大きい)、それからレプタリアン型(爬虫類型)がある。

*異星人の中には、人類を誘拐したり、人体実験をしたりするいわゆる地球人に敵対的な悪い(?)異星人もいるし、地球に友好的な異星人もいる。

*よい(?)異星人たちは連合を作って、地球を見守っている。

*アメリカ政府は、昔から異星人の存在を知っていた。

*多くの異星人はすでに地球のあちこちに基地をもっており、異星人と地球人のハイブリット的人間も多く生まれている。

私は異星人図鑑のようなものを眺めながら、まるで人類の人種の図鑑のようだとは思ったが、それぞれの異星人の姿形の違いと比べれば、地球上の人種の姿形の違い(肌や目、髪の毛の色の違い、体型など)などは、ほとんどないに等しい。

人間型の異星人はまだいいとして、グレイ型やレプタリアン型の異星人が目の前にいたら、「すべての存在を受容」などという非二元的観念がふっとび(笑)そうで、恐怖心に圧倒されてしまうかも。あるいは、友好的な異星人だったら、「ハーディングの実験をいっしょにやりますか?」とか言って、いっしょに指差し実験とか紙袋の実験をやったら、どんな感じだろうかと、想像して可笑しくなった。

さて、「異星人とのコンタクト」の話になると、熱狂的に信じる人たちと「そんなの本人の想像にすぎない」と完全に否定する人たちがいる。私はいつも「書かれていることは、本当かもしれないし、本当でないかもしれないが、自分にとって興味深く読めればそれでいい」という態度で読むことにしている。

実は、今までの人生でいわゆるUFO(未確認飛行物体)みたいなものを、20代、30代の頃数回見たことがある。そして、「この人、地球人じゃないかも」という強い印象を受けた人に、人生でたった一人だけ出会ったことがある。まあ、そういう私の過去の記憶も、「本当かもしれないし、本当ではないかもしれない」。


[お礼]
1年間、貴重なお時間をさいて、ブログを読んでいただき、また動画を視聴していただき、ありがとうございました。また、ご質問やコメントを寄せていただきました皆様、様々な形でご支援してくださった皆様にも、心からお礼を申し上げます。それでは、楽しい年末年始をお過ごしください。来年は1月の終わりか、2月の初めからブログを再開する予定です。


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト








Master Key to Self-Realization (6)2024年11月24日 08時57分05秒

[ ハム様へ]
「コメントをいつもありがとうございます。はい、真理を探す必要はありません。書かれているように、すべてがそれでできているわけですから。一方で、「聖なる催眠」によって、人が長い間、彷徨し、あちこちを探しまわることも仕方のないこと……なぜなら、誰も自分の意志でスピリチュアルな探求するとかしないとか選択したり、決めたりしているわけではないので。「聖なる催眠」--ラメッシの教えの中の好きな言葉です」

[ イベント]
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都文京区)

2024年12月10日(火曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで

◎オンライン「非二元の探究──「気づき」を練習する」

2024年12月8日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで ←予約受付終了しました。

2024年12月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2024年12月15日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで





シッダラメシュヴァール・マハラジの伝統では、師となる人たちはみな「マハラジ」(インド文化において、聖人につける呼称)という名前がついている。

シッダラメシュヴァール・マハラジ (1888–1936)
ニサルガダッタ・マハラジ(1897-1981)
ランジット・マハラジ(1913-2000)
ラマカント・マハラジ(1941-2019)

ところが、ラメッシ・バルセカールはニサルガダッタ・マハラジに師事し、彼の後継者とされたにもかかわらず、改名していない。彼はこの派の伝統を継ぐ者とは見なされていないようだ。それはどうしてなのだろうか?

私の印象では、ラメッシ・バルセカール(1917~2009)はニサルガダッタ・マハラジを敬愛し、師事したにもかかわらず、自分がこの長い歴史をもつ派の一員であり、その伝統を継ぐという観念がほとんどなかったのではないかと思う。そもそも彼には、自分が師(グル)であるという観念も非常に薄く、最初は話すことにも抵抗していたようだ。だから、名前を変えることにも、師として弟子にマントラを伝授するとか、瞑想法を教えるとか、そういったことにも関心をもっていなかった。また、前にも書いたように、(私が彼の本を読んだかぎりでは)彼は講話の中では、Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー)の中で説明されている様々なボディの話を話題にしたことはない。

しかし、ラメッシが様々なボディの話を知らなかったわけではない。それどころか、彼の初期の著作、Explorations into the Eternalには、各ボディを詳しく説明している章がある。ラメッシの説明は、今回私がMaster Key to Self-Realizationを翻訳するにあたって非常に参考になり、ありがたかった。

話を各ボディに戻すと、人がどのボディに立脚して生きているかによって、世界の認識が異なると言える。ボディとは「世界を認識する窓」とも言え、人々は、自分が寄って立っているボディにしたがって、世界を認識し、理解する。なので人々がお互いに話し合っても、その理解と認識の立脚点が異なれば、お互いにまったく話がかみ合わない(ということは、皆さんも日常生活でよく経験することがあると思う)。そういうときは、議論に参加せずに沈黙が一番よい(笑)……

ということで、Master Key to Self-Realization の中で語られている知識は、仮にそれらがなくても、非二元の探究の決定的障害にはならないけれど、でも知っていれば、色々な知識が整理され、他のインド系の賢者の本を読むときに、理解がすすむかもしれない。(出版時期、価格、正式タイトルは、現時点でまた未定です)

最後に、過去に出版された非二元系の本で、Master Key to Self-Realizationと合わせて読むとよいと思われる本を紹介したい。

『アイアムザット私は在る』ニサルガダッタ・マハラジ(ナチュラルスピリット発行)
本書の一部に、各ボディへの言及がある。

*『覚醒の炎』プンジャジ(ナチュラルスピリット発行)
27「誰もそれを言い表した者はいなかった。誰もそれを言い表せないだろう」
トゥリーヤー(Master Key to Self-Realization での「グレート・コーザル・ボディ」にあたる)とトゥリーヤーティーター(Master Key to Self-Realization で「絶対」にあたる)を説明。

*『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』ラメッシ・バルセカール(ナチュラルスピリット発行)39「あなたは意識している存在である」

存在(Master Key to Self-Realization での「グレート・コーザル・ボディ」にあたる)と絶対的不在(Master Key to Self-Realization で「絶対」にあたる)について説明。

*『顔があるもの 顔がないもの』(現在絶版)ダグラス・ハーディング
五章 「存在が自ら生じる神秘」
絶対的無から存在が生じる神秘について語られている。


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト











Master Key to Self-Realization (5)2024年11月05日 10時13分57秒

[お知らせ]

*Youtube新シリーズ 猿笑(さるわらい)非二元講座」



*『ハートの静寂』(ロバート・アダムス著 ナチュラルスピリット発行)電子書籍版が
発行されました。詳細はこちらはへ。



(Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー)の出版スケジュールは現在、まだ未定です)


Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー) (2)の中でも少し触れたように、ニサルガダッタ・マハラジは晩年の講話で、目に見えない体(ボディ)について語らなかった。先日たまたま読んでいたラメッシ・バルセカールの文章に、その理由が書かれてあった。

それを要約すれば、「マハラジは(Master Key to Self-Realizationの中で説明されている)4つの体を一つの器官と見なし、それらとの一体化が束縛を生み出すとだけ繰り返し、個々の体の詳細にはほとんど立ち入らなかった。ニサルガダッタ・マハラジの帰依者たちの中には、彼にもっとそれらの詳細を語って欲しいと思っていた人たちもいたが、マハラジにはそうするだけの時間と気力がなかった。彼の方法はもっと直接的アプローチであった」(Explorations into the Eternalより)とある。

その直接的アプローチとは、前回説明した下記の中で、肉体から一気に、グレート‐コーザル・ボディを経て絶対へ「上る」(というか、ニサルガダッタ・マハラジの言葉では、「戻る」、ハーディングの言葉では、「落ちる」)アプローチである。

グロス・ボディ(肉体)

サトル・ボディ

コーザル・ボディ

グレート‐コーザル・ボディ

絶対

晩年のマハラジが採用した「直接的なアプローチ」、そしてもっと直接的アプローチである、ダグラス・ハーディングの方法(実験)には、当然のことながら、利点と欠点がある。直接的アプローチは、言葉や議論という横道にそれることなく、「私の本質」に目覚めることを可能にする一方、探求者たちのグロス・ボディ(肉体)、サトル・ボディ、コーザル・ボディに多くの調査されない領域を残す可能性がある。調査されない領域を残す各ボディは不安定ゆえに、日常生活で問題や障害、疑念を生み出しがちである。

直接的アプローチは例えて言えば、ヘリコプターで山の9合目まで連れていってもらい、そこから頂上を目指す感じである。この方法は、むしろ下りのほうが大変で、今度は自力で一歩一歩降りて来なければならない。上る苦労をしない分、下りでは滑ったり、転んだりする。それが今述べた日常生活での問題や障害という話である。

それに対して、本書で、シュリ―・シッダラメシュヴァール・マハラジが提唱する方法は、とにかく一歩一歩、下からすべてのボディをすみからすみまで徹底的に調査する。疑念の余地がないほどの調査をする。この登山方式の欠点をあげれば、探求者が各ボディについての知識を知ることに満足したり、その知識を元に議論に耽溺したりすれば、シュリ―・シッダラメシュヴァール・マハラジが本書で意図したことからまったく外れてしまう。

おそらく、そうした横道にそれないためにも、グル(師)が必要ということになり、このシュリ―・シッダラメシュヴァール・マハラジの派では、グルへの献身と帰依、マントラ伝授と瞑想が欠かせない。そして、それらの修行とセットで、本書の学習がある。

しかし、特定のグルや教えに帰依してない人たちでも、ニサルガダッタ・マハラジやラメッシ・バルセカールの本を読みながら、「私」とは何か? を熱心に探求している人たちには、彼らの本が充分に説明しなかった領域を理解させてくれるという意味で、本書は多いに役に立つだろうと、私はそう希望している。(次回が本書の紹介の最終回です)


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト























「日本人、死ぬな!」2024年08月07日 06時01分07秒

[お知らせ]

*Youtube新シリーズ 猿笑(さるわらい)非二元講座」

猿笑​(さるわらい)非二元講座(13) 「主体と対象②」について


*『ハートの静寂』(ロバート・アダムス著 ナチュラルスピリット発行)電子書籍版が

発行されました。詳細はこちらはへ。



Master Key to Self-Realization についての紹介は、発売時期が決まりましたら、残りを書きます。


先日、ネットに、アフリカの人が投稿した、「日本人、死ぬな!」という動画が話題になっているという記事が出ていた。

そのアフリカの人(たしか、カメルーンの人)は、日本では、過労自殺をする人が多いことを知って驚き、そんな動画を日本人向けに投稿することを思いついたそうだ。彼は、「私の国は、日本に比べれば、非常に貧しいけれど、でも、仕事で死ぬ人は誰もいない。もし日本でダメなら、アフリカに来ればいい」と、日本人に呼びかけている。

彼の日常は、日本での生活環境とは違い、トラブルにあふれている。電気の供給は不安定で、たびたび止まり、養鶏業には強盗が入り、マラリアなどの感染がたびたび発生する。それでも、人々は自殺することはない。

日本でダメなら、他の国へ行ってみる――特に若い世代の人たちには、機会があれば、海外へ、特に日本よりかなり不便な国へ行くことをお勧めする。私も大昔、インドへ行って、カルチャー・ショックを受けたことを思い出す。何もかもが日本とは真逆で、最初の頃、毎日驚いていた。

日本よりも生活環境の整っていない所でしばらく生活すると、たいていなんというか、物事がスムーズにいくことを期待しなくなり、「怒っても、仕方ない。最後はなんとかなるだろう」みたいに、楽観的というか、前向きにあきらめることを学ぶようになるものだ。

すべてが便利で、整っている日本のような社会にいると、その便利さがあまりに当たり前になる。そして、少しでもその便利さが失われると、人々はイライラし、他者に対して、寛容でなくなり、怒りっぽくなる。そして、働く人たちは時間に終われ、ノルマに追われ、人間関係(お客、同僚、上司など)に気を使い、疲労する社会となる。

ずっと昔から、過労自殺、過労死のことが問題になっているのに、労働環境はほとんど改善されず、海外の人たちからも同情されている日本。それどころか政府自らが、マイナンバー・カード、マイナ(マイナンバー・カード)保険証を国民に押し付けるために、無駄な税金を使い(本当に便利なものだったら、自然に広まるはず)、色々なところで労働とストレスを増やしている。一体、マイナ保険無理やり推進で、「誰が」儲かったんだ?と勘繰りたくなる――マイナ保険証に、紙の保険証(最後の更新から1年間は使えるらしい)、資格確認書に、いずれはスマホの保険証と、医療機関の窓口の混乱必須。

先日見ていた時代劇――村々の米の出来高を毎年調査する悪代官が、賄賂をもらった村の収穫の査定は低くし(そうすると、年貢をたくさん収める必要がなくなる)、賄賂を出さない村の収穫は高く査定する(豊作と査定されると、年貢をたくさん収める必要がある)という、あくどいことをやっていた。賄賂を出さない村の、正義感の強い名主が悪代官のところへ、「これ以上年貢が高くなると、村民は暮らしていけない」と抗議に行き、江戸の目安箱へ訴えると言い放った。翌日、彼は死体で川に浮いていて、すべての責任をとって自殺したとされた(実際は、悪代官に殺されたことが、あとでわかる)。

権力の不正を抗議する正義感の強い人たちは死に、強欲な権力者たちは罪悪感もなく生き延びる。これって、数百年後の今も、時々見ている風景……

「日本人、過労自殺するな! 働きすぎるな! 権力者の不正くらいで死ぬな!」

そして、特に今、(日本だけが暑いわけではないけど)、「日本人、暑さで、死ぬな!」


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト






「公正世界仮説」2024年02月25日 09時27分39秒

[イベント】

◎オンライン「非二元の探究――「主体」として生きる

2024年3月3日(日曜日)午前9時から午前11時頃まで


[お知らせ]

*『ハートの静寂』(ロバート・アダムス著 ナチュラルスピリット発行)電子書籍版が
発行されました。詳細はこちらはへ。


先日、『逃亡者』(中村文則著 幻冬舎発行)という小説を読んでいたら、「公正世界仮説」という心理学の用語が詳しく説明されていた。少し前に読んだネットの文章の中でも、「公正世界仮説」の話が書かれてあり、「公正世界仮説」という言葉(最近まで私は知らなかった)は、最近の流行の心理学の用語らしいことに気づいた。

ウキベディアの情報によれば、「公正世界仮説」は次のように定義されている。

「公正世界」であるこの世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。言い換えると、公正世界仮説を信じる者は、起こった出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であると考え、またこれから起こることもそうであることを期待する傾向がある。この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などが存在するという考えを暗に含む。公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%AD%A3%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BB%AE%E8%AA%AC

実は、こういった「公正世界仮説」的考え方は、キリスト教や仏教など伝統的宗教から、最近のスピリチュアル系の教えの中にも暗黙に含まれている。なぜなら、伝統宗教も含めてほとんどのスピリチュアル系の教えは、「カルマ」=「あなたが蒔いたものをあなたは刈り取る」ということを教えているからだ。昨年出版されたジョエル・ゴールドスミスの『静寂の雷鳴』(ナチュラルスピリット発行)にも、聖書の中に出てくる「あなたが蒔いたものをあなたは刈り取る」の話が山ほど言及されている。

しかし、「公正世界仮説」に反論する人たちも非常に多くいるようで、実はその反論が興味深かったので、本日の話題に取りあげたわけだ。中村さんは『逃亡者』の中で、その反論をこう書いている。

「公正世界仮説は社会の問題を個人の問題に還元する。公正仮説的な物語が世の中に広がると、その分だけ、世界や社会を改善しようと思う人間が減る」。「公正世界仮説的な物語ばかりだと、それは人々の無意識に作用しますので、世界は改善に向かい難くなり、歴史の中で非劇が発生し続ける」。(以上『逃亡者』より)。だから、中村さんは、「自分は公正世界仮説的ではない小説を書きたい」、という主旨のことも書いている。

それから、ネットには、公正世界仮説的考えを信じている人から説教されたり、批判されたりして、苦痛を感じるという話がたまに出ている。たとえば、こんな感じだ。

「あなたが色々なことをうまくやれないのは、あなたの努力が足りないからだ」とか、「あなたは自分の苦しみを、親とか、子供の頃の環境とか、社会のせいにしている」とか。

私の印象では、「公正世界仮説」的な信念を強くもっている人たちは、「自分の努力のおかげで、あるいは自分のポジティブな考え方・人生観のおかげで、自分は成功した。あるいは、自分はこの世界での快適な立場を獲得することができた」と信じている人たちが多いように感じる。そういう信念をもっている人たちから見ると、多くの人たちは自分で努力もせず、他人ばかりを責めているように見え、よせばいいのに、つい批判したくなるわけだ。

「私にできたことが、なんであなたにできないの? あなただって、親や社会や家族のせいにしないで、自分で頑張れば、人生がもっとうまくいくようになるはず」みたいなことを言い、本人としては、正しいことを言って、相手を励ましているつもりになっているが、言われたほうは、非常に苦痛を感じる。

ここで対照的な二人の人(AとB)を想像してみよう。二人は30代の半ばのほぼ同年代だが、生まれ落ちた環境は真逆だ。Aは経済的に恵まれた家庭に生まれ、親は愛情深く、子供に理解があり、なんでもしたいことをさせてくれたので、Aは子供の頃から好きなことをして、今は自分の才能を生かして、高給を稼いでいる。一方Bは、父親は暴力をふるい、母親は育児放棄をするような家庭に生まれ、児童養護施設で育てられ、そこを出たあとは、真面目にずっと働いている。でも、時々精神の状態が悪くなるので、働けないときもあり、収入も多くはない。

誰が見ても、Aは圧倒的に有利な環境から人生をスタートし、Bは圧倒的に不利な環境から人生をスタートさせている。BにもAと同じく生まれつきの才能があるはずだが、自分の才能を発揮する前に、まず残酷で冷たい敵だらけのこの世界(のように見える場所)で、どうやって生き延びるかのほうがはるかに重要になる。別の言い方をすれば、「才能を発揮」などという贅沢なところまで、自分の感情やメンタルが追い付いていかないわけだ。

人が「公正世界仮説」的な信念をもつことそれ自体は個人の信念の問題なので、間違っているわけではないが、自分のその考えをもってして、人生がうまくいかなくて、生きることに苦しんでいる人達を批判したり、説教したりするのは、彼らに想像力と理解が欠如し、また自分の考えが絶対に正しく、誰にでも当てはまると考えるからだ。

もちろん、どれだけの想像力と理解力をもってしても、私たちは他人の苦しみを本当には理解できない。なぜなら、同じような体験をしていないから。それでも多少の想像力と理解力があれば、もし自分もひどい環境に生まれ落ちたら、彼らのように、自分自身や親や生育環境に対してネガティブに考えるかもしれないと思うだけの謙虚さをもつことはできる。

私の中にもかなり「公正世界仮説」的考えはあり、私は自分の苦しみを他人や社会のせいにしないことを20代の後半に決心した。なぜなら、私の場合は、社会や自分以外の人を責めるほうが苦しく、みじめに感じたからだ。ただし、上記のウキベディアの定義の中で、「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ、という部分は、私には当てはまらないし、私はそういうことを信じていない。大宇宙の絶対的摂理(神の摂理)は確信しているが、それは人間が考える正義ではない。

私たちの肉体が所属しているこの二元世界は、非常に不公平で不正義に満ちている。二元的人間社会の中では、人間の正義や公正であろうとする努力はほとんど報われないというのが、私たちが見聞している事実である――ある子供たちは恵まれた家庭環境に生まれ、何の苦労もなく、才能を発揮して、人生の成功をつかみ取る一方、ひどい家庭環境に生まれた子供たちは、その環境の束縛に長い間苦しむ。正義感の強い人たちは権力者に抹殺され、権力者はのうのうと生き延び、庶民は真面目に働き、強制的に税金を払わされる一方、政治家たちは楽に金を集め、税金逃れをして、それでも罰せられないでいる。以上の社会的事実は、日本だけでなく、先進国でも後進国でも見られることだ。そして、いつの時代でも。

中村さんは、「公正世界仮説」への反論、「公正世界仮説的な物語ばかりだと、それは人々の無意識に作用しますので、世界は改善に向かい難くなり、歴史の中で非劇が発生し続ける」と書いているが、「公正世界仮説」が流行してもしなくても、社会という場所にはいつの時代でも悲劇は起こり続けると、私はそうは思っている。

多くの人間はいつの時代も、「改革」「改善」に取りつかれている。だから、「公正世界仮説」が広まっても広まらなくても、多くの人たちは社会制度、技術を「改革」「改善」するために働き、社会は長い目で見れば、人間が考える「改革」「改善」に向かっている。少なくとも、日本という国を長い目で見たとき(数百年くらいの長い期間)、江戸時代より、明治時代よりも、現代は改善、改革されただろうか? 多くの点で、はるかに人々は快適な生活を送っている。江戸時代は、武士以外に人権はなかったが、現在では庶民にもいちおう「人権」がある。江戸時代、女性にはまったく自由がなかったが、現在は、そのときよりも女性の自由は「改善」されている。

それにもかかわらず、どんなに社会制度や技術が改善、改革されようが、社会の中で、不正義と不平等と不正は横行し、その社会の中で多くの人たちは苦しみ、悲劇は起こり続ける(最近、世界でもっとも公正で幸福な国の一つであるとされているフィンランドでは、自殺が非常に多いことを知って驚いた)。

そして、小説家はその悲劇、人々の苦しみをネタに反「公正世界仮説」的小説を書き続ける。もし小説家が、人々に楽しんで読んでもらえる小説を書きたいなら、反「公正世界仮説」的小説を書く以外にはない。なぜなら、もし小説の登場人物が、「私は自分の努力とポジティブな人生観のおかげで、人生の成功をつかんだ」というような「公正世界仮説」を信じるような人たちだけだと、小説としては非常につまらなくなるから(笑)。私は中村さんの小説のよい読者ではないけど、それでもなぜか彼の小説が気になる。だから、これからも頑張って、反「公正世界仮説」的小説を書き続けていただきたいものだ。


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト







「差別するな」は正論ではあるけれど…2023年10月16日 09時48分12秒

[お知らせ]



*1994年10月に、バーソロミューが京都でおこなったワークショップの記録を下記で公開しています。(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(7)まで公開中。


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』が発売されました。

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



先日公開した『バーソロミュー1994年京都ワークショップ』(7)の中で、長年、日本に住んでいる在日韓国人の人が、「自分は日本に長年住んで、差別を受けてきたが、(スピリチュアルな学びの中)で、差別する人たちも愛することが重要だと学んできた。しかし、日本人の差別意識がなくならないのはどうしてなのか?」という質問をバーソロミューにしている。

それから、今年の初めだったか、ネットで美輪明宏さんが、政府高官の同性愛に対する嫌悪発言に対してコメントしているのを読んだ。美輪さんが人気絶頂だった若い頃、同性愛であることを公表したら、人気は凋落するは、道で石を投げつけられるはで、ひどい差別を受けたそうである。でも美輪さんはありのままの自分を受け入れることを決心し、そういった差別に負けないように、強く生きてきたという話である。美輪さんは最後に、「犯罪を犯したわけでもなく、人を傷つけるわけでもなく、ただ同性を愛したからといって、それの何がいけないの?」という主旨の言葉でコメントを締めくくっていた。

それから、つい先日、生まれつき両腕と両脚がない先天性四肢欠損症の障害がある乙武洋匡さんが、「半袖を着てテレビに出演しただけで、『気持ち悪い』『長袖を着ろ』とコメントが来るけど、これが俺の身体だ。母から産んでもらった、大事な俺の身体だ。誰に恥じることもない。隠すこともない。これからも、この身体で生きていく。みんなの助けを借りながら」と発言しているのを読んだ。

在日外国人、性的少数者、身体障害者の人たちが経験しているこういった差別的言動は、別に日本の中だけでなく、世界共通、人類共通、そして、歴史上すべての地域と時代にもあることは、様々な時代と地域の話を読んだり、歴史を少し学んだだけでも、明らかなことである。リベラル派の人たちは「差別感情はいけない」、「差別するな」と言うし、それはもっともな正論ではあるし、社会の法律や制度が差別を少なくする方向へ進むのは正しいことだと、私ももちろんそう思っている。しかし、特定の何かに対する差別的感情(=「あれは、気持ち悪いとか」とか、「ああいう物(人)は見たくもない」のような感情や嫌悪感も含めて)は誰の中にもあるものではないだろうか? 私にもあるし、これを読まれている皆さんにだってあるだろうし、そして、「差別はいけない」と言っているリベラル派の人たちの心の中にだって、そして、差別された経験のある人たちにさえ、何かあるはずだ。

だから私は「差別するな」と言う前に、人がもつ人類共通の差別感情の起源はどこから来ているのか、なぜ人は人を差別するのか、そのあたりを理解することから始めるほうが、個人の人生にとっては役立つのではないかと思っている。それで、今日は、人間がもつ差別感情について、私が理解したことを分かち合ってみたい。

人がもつ他者への差別感情とはどこから生まれるのか? この問いに関して、あるとき参考になる話を読んだことがある。それは人の話ではなく、アリの話である。アリという生き物は、匂いにとても敏感で、自分の巣の中に、別の種類のアリが入り込んだときは、「異なる匂い」によって察知し、すぐにみんなで殺してしまうそうだ。

こういう状況のアリたちの感情(みたいなもの)を推測すれば、たぶんこんな感じだ。

「おーい、ここに変な匂いの奴がいるぞ。こいつは俺たちの仲間ではない。こんな奴をのさばらせておいたら、どんどん増殖して、俺たちが少数派になってしまったら大変だ。さっさとやっつけてしまおう!」

アリを殺し(暴力)へと駆り立てるものは、異種のものが増えて、強大になり、自分たちの生存への脅威になることへの恐怖心であろう。この話を読んだとき、「ああ、人間が他の人間に対してもつ差別感情の起源も、恐怖心なのかも」と、私は納得した――「自分とは異なる匂いをもつ者」への恐怖心。

それに加えて、人間には高度に発達した物事を区別し分析するマインドの機能がある。区別し分析するマインドの機能と集団生存本能(=自分たちの集団が生き延びるために、敵を攻撃する本能)のタイアップで、人類は他の生き物を凌駕し、地球の生き物の頂点にたった(つまり、生き物の勝ち組になった)わけである。だから、そう簡単には、「自分たちとは異なる匂いをもつ者」への恐怖心を、人のマインドからは追い出すことはできないのだと、そう今では私は理解している。

さらにそれに加えて、人間のエゴは集団の中の階級制度が大好きで、その中で上にあがったり、下に落ちたりという階級ゲームに中毒している。誰かを自分よりも下や上に見なければ、気が済まないエゴの性質、エゴの平等嫌い(笑)、それも差別感情を助長する。

まとめれば:
*「異なる匂いの者」への恐怖心。
*区別し、分析するマインドの能力。
*エゴが中毒している階級ゲーム。

この三つがタイアップして、人のマインドの中に差別感情が増殖するのではないかと。

私が自分の人生で、「自分とは異なる匂いをもつ者」への恐怖心を強く感じた瞬間を思い出す。それは20代のときに、アメリカで暮らしていたときの話だ。あるとき、知人の日本人の女性が彼女が付き合っている黒人のボーイフレンドを紹介すると言って、一緒に連れてきたことがあった。私はそれまで黒人の男性とすぐ間近かに対面したことがなく、しかも彼女のボーイフレンドはバスケットボール選手並みのとても大柄な男性だったので、最初に会ったとき、自分の前にそびえたつ感じで立っていたその黒人の男性を見上げたとき、一瞬強い恐怖心(何か非常に自分とは異なる生き物を見たような感じ)を感じたものだ。でも彼はとても感じのよい人だったので、話しているうちにその恐怖心はすぐに消えたが、それでも、「自分が人種に対して差別感情などないリベラルな人間だ」とそのときまで信じていたので、その一瞬の「恐怖心」はかなりショックだった。

バーソロミューは、『バーソロミュー1994年京都ワークショップ』(7)の中で、人は差別する側の痛み、そして差別される側の痛み、その両方の痛みに気づくことが重要だと言っている。もし私たちがスピリチュアルな探求者であれば、その痛みの気づきが、スピリチュアルな進化を推し進めるということになるのだろう。

ネットには、特定の人(たち)への差別的言動、ヘイト・スピーチを繰り返す人の話がよく書かれていて、最近では、(お金と時間はかかるが)発信者を特定でき、損害賠償を請求できるようになっているという――数日前の新聞にも、在日コリアン3世の人へのヘイト・スピーチを繰り返していた男性に2百万円近い損害賠償金が請求されたという記事が掲載されていた。私はこういう発言を繰り返す人たちは、ものすごく大きな恐怖心と、誰かを自分よりも下なものとして貶めたい劣等感に苦しんでいるのではないかと想像する。自分よりも誰かを下だと貶めて攻撃することで、自分が強い人間だと思い込みたいエゴの快感に中毒しているのだと思う。

最後に、世の中の差別的感情・言動に加担しないために、政治的ではたぶんないスピリチュアルな探求者として何ができるだろうかと考えたとき、私自身は、先ほどバーソロミューが言ったように、差別する側の痛み、差別される側の痛み、それをそのつど感じ尽くすことではないかと思う。私が長年感じてきたことは、(そのことは科学的には証明できないが)、自分の心の痛みに、いわゆる気づきの光を与えるとき、そのことは、世の中に出まわっている無意識の差別感情が暴力的言動へと実現するパワーを弱めるのではないか、ということである。



[昨年の発売された本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト


海外の方は、USアマゾンからもダウンロードできます。
『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』
https://www.amazon.com/dp/B0BBBW2L8B/ 

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うためにhttps://www.amazon.com/dp/B0BC5192VC/


『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)