どうでもいいけど、皇室典範 ― 2026年07月19日 07時47分37秒
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年7月30日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──人生の問題にどう対処するか」
2026年7月26日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
ここ数か月、新聞とネットのニュースをほとんど読まなくなった。ニュースを毎日読まなくなると、時事問題がどんどん遠のき、平和だ。ホルムズ海峡?それ、どこだったっけ、ナフサ、それ何?という感じである。でも、私の姉妹は新聞を熱心に読み、時事問題が大好きなので、ありがたいことに私にいつも現在の時事問題を解説してくれる(けど、話は半分くらいしか入ってこない)。
今、何よりも盛り上がっているのは、「皇室典範改正」の話だ。「なんとしても、天皇は男性でなければならない」という男系保守派の人たちが頑張っているという話らしい。「天皇家に男の跡継が生まれなかった。このままだと女性天皇が誕生してしまうかもしれない。さあ、大変!なんとかしなければ」という大騒ぎらしい。
「皇室典範改正」を話題にするときの私たち姉妹は子供時代のトラウマが今でも微妙に疼く。なぜなら、「家の跡継ぎになるはずの男の子が生まれなかった家庭」の悲劇を私たちが子供時代に充分に味わったからだ。
父は代々続いた家系の長男で、祖父母も両親もなんとしても男の子の跡継ぎを欲しがった。でも結果は全員が女の子。昭和の時代的背景もあって、親戚や近所から「男の子の跡継ぎがいないかわいそうな家」だと思われ、特に父と祖母がそのことを非常に気にし、母を暗黙に責め(昔は生まれる子供の性別は母親の側の責任とされたが、生物学的には子供の性別を決めるのは男性の精子で、責任を問うのであれば、父親の問題)、母も自分自身を責め、罪悪感に苦しんだ。そして、子供というのはそういう家庭の雰囲気を敏感に感じとるものだ。「私たち生まれないほうがよかったのかも」と。
父と祖母が強固に現実を否定したことが、その後の家庭の色々な状況を歪ませて、私の人格も歪ませた(笑)。もし大人たちが、「女の子でよかったね」と状況を受け入れたら、その後の私たちの運命も、家系の運命もずいぶん違ったものになっただろうと思う。私の家系はまだ未来へと続くことになったかもしれない(たぶん、子供たちの誰かが跡継ぎを生んだかもしれない)。しかし、私たちの家系は私たちの代で終わりとなり、私自身はそのことを別に悲しく思ったりもしない。人間界の物事にはすべて終わりがあるのだ。
個人的には、天皇が男性だろうと女性だろうとどっちでもいいし、万一将来天皇制が終わっても、それもそれで私には何の問題でもない。現在の天皇家には女性のお子様がいるのだから、その直系のお子様が後を継いで天皇になるのが一番自然の成り行きだろうし、国民の多くもそれを支持しているようだ。だから、皇室典範もそのように改正すれば、と思う。天皇制の存続を考えるなら、天皇は男性でも女性でもどっちでもOKとしたほうが、天皇制の存続確率が高まり、反対に小細工をして現実を歪めると、かえって天皇制の存続をあやうくする感じ……たいてい何かを強く望めば望むほど、その反対のことが実現する可能性を高める。
男の子を強く強く望む→→男の子が生まれにくくなる
女性天皇絶対ダメ→→女性天皇が生まれる可能性を高くする
「数千年続いた男系の血統を死守」したいと思う人たちの小細工が成功するのかどうか……
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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by シンプル堂 [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
問題と答えのミスマッチ ― 2026年06月26日 08時57分19秒
[イベント]
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◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年7月12日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年7月30日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──人生の問題にどう対処するか」
2026年7月16日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年7月26日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年7月26日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
毎年、子供の年間出生数が過去最低を更新し続けているらしい。だから、政府が国民に子供をもっと産ませるためにかけた多額のお金(=税金)はまったく効果がなかった、対費用効果ゼロ、少子化問題に対する政府の答えはミスマッチである、ということになる。たぶん、それに関わった政治家や官僚の皆さんは、自分のお金ではないから、懐も心も痛まないだろうとは思うけど。
日本で少子化が進行しているのは、現在の日本という領土では、多くの子供を産んで育てるだけの資源(労力=人間のエネルギー)が不足しているという自然の掟のせいだ。動物の世界では、餌(資源)が少ない年は子供があまり生まれないことが知られている。だから、自然の掟を人間の浅はかな考えでコントロールはできないのだ。
そもそも少子化は問題なのだろうか?と、最近は思う。 短期的には、少子化は当然人口減となり、労働力の不足が大変にはなるだろうが、長期的には日本の人口が減って、将来的には人口5千万から8千万人くらいの国がちょうどいいのではないか。
政治家や官僚の皆さんは、「人口が多い=大国=パワーがある」と思い込んでいる人たちが多いように感じるが、国としての経済的豊かさという観点で考えれば、小国のほうが利点が多い。アイルランド、スイス、アイスランド、デンマーク、シンガポール、オランダなど、現在の世界で、経済的に豊かな国は圧倒的に小国が多い。アメリカのカリフォルニア州は日本とほぼ同じ面積で、人口4千万(日本の約三分の一)で、GDP(国内総生産)は約400兆円、全米一の豊かさを誇る(ちなみに日本のGDPは約600兆円)。
だから、政治家や官僚、ビジネスリーダーの方々が、人口が少なくても豊かな国のビジョンを国民に積極的に示せばいいだけなのに、なぜか少子化が問題だという論調とそれに対する効果のない政策だけが進行している。
少子化対策なんて何をやっても無駄なので、それよりもどうしたら少ない人手で生産性を上げるのかに知恵を絞るべきだし、そして終末医療の改革(←寝たきり老人を減らすなど)を推進するべきだと思う。何よりも政府の愚策で国民に余分な労働を押し付けることをやめるべき(←2年間だけの消費税減税なんて、国民(企業)の事務作業が増えるだけで、そして、反動であとで増税になるだろうと思う)。
それと、最近雑誌で読んだ記事で、「ああ、やっぱり」と、政府が採用した政策で問題と答えのミスマッチを象徴する話が出ていた。2020年に小学校の英語が教科化(つまり、成績が付く科目となった)されてから6年、中学校の英語教育現場に起きた変化について書かれた記事だ。
小学校で英語が教科化されたため、中学校に入った時点ですでに、塾などに通ったり、親の教育のおかげで、英語がすごくできる子供と、英語が苦手な子と嫌いな子に分かれてしまっている。そして、小学校で600語から700語の英単語を学んだことになっているので、中学英語がより難しくなり、それでさらに英語が嫌い、苦手な子が増えているという。
その記事によれば、中学1年生を対象とした簡単な英語の三択問題(正解を3つから一つ選ぶ問題)で、「私はオーストラリア出身ではありません」の正解(I‘m not from Australia.)を4割近くの生徒が正しく正解できなかったという結果が出ている。これは衝撃的結果だ。文科省の官僚の方々が驚いたかどうかは知らないが、小学3年生から英語を学んだはずの子供たちが、I‘m not from Australia.を正解できないとは!
衝撃的な結果ではあるけど、一方でこういう状況になることは当時から英語の専門家の多くが指摘し、小学校の英語の教科化に反対していた。小学生に英語を学ばせるよりも、母国語である国語にもっと時間をかけるほうが、はるかに将来の役に立つはず。
国語の能力不足は、日本で生きるには不利になるが、ほとんどの国民にとって英会話ができないことはまったく問題ではない!(必要なら、今はAIが見事な通訳をやってくれる)。だから、小学校からの英語教育はまったく答えにはならないのだ。本当に英語が好きな人、英語が必要な人(仕事上、どうしても英語が必要な人)は自分で仕方なく勉強するだろうし、今はネット上に無料の教材があふれている。問題じゃないのに、勝手に政府が「日本人が英会話ができないこと」を問題化して、愚策を教育現場に押し付け、英語嫌いの子供を増やしただけの結果となった。もちろん、子供向け英会話産業、塾産業には利益と恩恵があったことは間違いない。
今、政府の政策の「問題と答えのミスマッチ」の話について書いたが、これは個人の人生にも当てはまることだ。多くの人は問題を間違えている。つまり、本当は問題ではないことを問題にしている。あるいは、本当の問題はもっと奥深くにあるのに、それに気づかない(ふりをしている)。だから、その答えもミスマッチなことが多い。
経験から言えば、本当の問題に対する本当の答えは安上がりでシンプルなことが多く、間違った問題に対する答えは大変な労力を必要とすることが多い(が、政府の政策と同じように、ほとんど効果がないという結果になる)
最後に、最近身近で起きた問題が簡単に解決された話を書いてみよう。
母の家で、13年前に買った大型冷蔵庫の扉がうまく閉まらなくなった。業者の人を呼んで見てもらったら、「部品が壊れているので、取り換えが必要だが、10年以上前の冷蔵庫なのでたぶんもうメーカーに部品はないかもしれない」と言われ、買い替えを勧められた。今は冷蔵庫も値上がりし、かなり高額になっている。しかも今年はガス・水道関係の修理・家の補修にすでに多額のお金を使っている。「ここで冷蔵庫の買い替えは痛いよね」という話になり、冷蔵庫は普通に冷えるし、不便だけど扉も閉まることは閉まるので、なんとかならないかと思い、ネットで調べてみた。
すると、今は純正の部品がネットで販売されていることがわかり、さらにYoutubeで同じ型の冷蔵庫の扉を修理している動画を見つけた。「なーんだこんなに簡単!」と早速、部品(約1500円)を取り寄せ、修理は10分で完了。買い替えは答えではなかった!
今の時代、問題の多くはネットにシンプルで安上がりな答えが出ている。多くの人が自分自身の経験から、役に立つ情報を善意で投稿しているので参考になる。問題で悩む前に「検索」、「ネット」、という時代なのである。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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by シンプル堂 [政治] [社会] [コメント(1)|トラックバック(0)]
『Doosri Maa(もう一人の母)』2 ― 2026年05月28日 06時55分50秒
まだ『Doosri Maa(もう一人の母)』のドラマを見続けている。私がこのドラマにはまっている理由は前回書いた。インドのホームドラマでありながら、このドラマの登場人物たちは世界のどこの国のどこの家庭にもいる人たちで、彼らがいだく感情も普遍的だ――不満、嫉妬、プライド、罪悪感、劣等感、正義感、憎悪、嫌悪、善意、愛情、特定の人へのアイドル化など(←非常におおげさに描かれてはいる)。そして、家庭の中の大きな問題は、実は長い年月の間の小さい不満、隠し事、人間関係の歪みが積み重なって、ある日突然のように炎上する様子もよく描かれている。
私の子供時代(←昭和時代)を思い出せば、このドラマの中の登場人物に似ている大人たちが私が住んでいた環境(家族、親族、近所)にもいた(←ただし資産家ではなく、非常に庶民的環境)。そして、彼らはそれぞれの人生で、よいことにしろ、悪いことにしろ、自分の感情的カルマ(ドラマ)を生きたようだ。
このドラマの中で100%悪意の登場人物、ヤショーダとクリシュナの天敵を演じるのは、この資産家の長女で、彼女は本当に見るからに意地悪で性格が悪い。しかし、私は彼女に同情する気持ちも湧く。インドの男尊女卑の文化(←昭和時代の日本の家庭も似ていた)では、女の子は家庭の中で男の子よりも地位が低い。彼女が二人の弟よりも家庭で軽く扱われてきたことが想像でき、年頃になっても恋愛は禁止され、持参金をつけてさっさと嫁に出されてしまう。ところが好きでもなく結婚させられた男は、現在は稼ぎがなくほとんどチンピラヤクザである(←そこが彼女とピッタリではあるが)。近所に住む彼女は毎日のように実家に入りびたり、食べ物をくすねたり、父親に小遣いをねだったりする。
母親はそんな長女を疎ましく思い、元々相性が悪いので長女への嫌悪感を隠さない。彼女は実の娘よりも嫁であるヤショーダのほうが大好きで称賛している。この母親も良妻賢母を絵に描いたような人であるのに、ヤショーダに似て怒り出すと長女を平気で平手打ち(!)する。
長女の気持ちにたてば、実家は裕福なのに、自分たち家族は貧しい。母親は長女である自分よりも嫁を愛し称賛し、自分のことは平気で虐待(平手打ち)する。自分たちの結婚生活には愛情がないのに、ヤショーダと夫(彼女の弟)はラブラブである。といった状況は彼女には見るに耐えがたく、その思いがヤショーダへの激しい嫉妬と悪意へと転化し、どんどん膨らんでいく。この資産家の長男である弟に隠し子がいることがばれ、弟が失踪した機会に、彼女はチンピラの夫と外の犯罪者も使って、ヤショーダの人生を破滅させ、ゆくゆくは両親ともう一人の弟夫婦も追い出して、この家の財産を全部奪うことを決意する。彼女にしてみれば、自分の存在を無視してきた実家への復讐のような感じだ。
彼女は両親を騙して、実家に家族で居候することに成功し、さらにヤショーダと子供たちを家から追い出すことにも成功。そして今、彼女はもう一人の弟夫婦にも悪意を感染させ、弟を使って、両親の財産を自分たちの息子に継がせることを画策する。この資産家の次男は人がよいのに、理性的判断がまったくできない。彼は優秀な兄を尊敬し愛し、そして兄の結婚相手、自分の兄嫁であるヤショーダを自分の妻よりも称賛していた。ところが自分の妻の流産がヤショーダのせいだと思い込んだ(←実際は姉のせいで流産は起こった)日から、彼の感情は100%反転し、姉夫婦に協力してヤショーダとクリシュナの人生の破滅を誓う。が、彼はただ騙されやすさを姉に利用されているだけだということがまったくわかっていない。勝手に兄夫婦をアイドル化し、そのアイドルが失墜して、勝手に傷つくというよくあるパターンを演じている。
そして、この資産家の長老、3人の父親でもある男性は男尊女卑で非常に保守的で日本で言えば、昭和の頑固オヤジのような人だ。自分が頑張って築いた財産と優秀な長男とよくできたその嫁(ヤショーダ)が自慢で、地域の尊敬を集める名家であることをなによりも誇りに思っていた。ところが、自慢の長男には隠し子がいて、何の説明もなく彼が失踪してから、面目丸つぶれで、近所を歩けばバカにされるようになる。本来であれば、一番悪いのは勝手に失踪した長男であるのに、自分の怒りを、長男ではなく、隠し子のクリシュナと正義感から彼をこの家で育てると言い張るヤショーダに激しく向ける。特にクリシュナを見るのが耐え難く、彼を召使い扱いし、たびたび殴りつけ、自分の憂さを晴らす。ついには、その怒りといら立ちを悪意100%の長女につけこまれ、ヤショーダとクリシュナを家から追い出してしまう。
そして、その心の弱さにどんどん長女の悪意が感染して、長男夫婦への怒りからついにはこの家の財産を全部次男に譲渡することを衝動的に決めてしまう。すると、今までは両親に頭の上がらなかった次男が今度は威張り始め、両親に「この家を出て行け!」と言うほど傲慢になるのだ。
この事態になって、長老はようやく自分の判断が色々間違っていたことに気づき、根は非常に家族思いでやさしい人なので、ヤショーダにふりかかる貧困や苦難を伝え聞くたびに、今度はひどい罪悪感に苦しむようになる。
そして、このドラマの中での一番悪い奴は、隠し子がいることがばれて失踪し、ある僧院に逃げ込んだこの家の長男にして、ヤショーダの夫だ。ヤショーダがようやく彼の居所を突き止めて、家に戻るように説得しても、「自分のような罪深い人間は、家族と暮らす資格がないし、一緒に暮らせば家族に悪いことが起こるかもしれない。自分はいつも逃げていたけど、ここで自分の罪と一生向き合い、皆さんの幸せを祈ります」みたいな宗教的観念の中に逃げ込み、自分が家族のところへ戻らないことがみんなのためにもなると言い訳をする。まあ、このあたりの彼の罪悪感的観念はいかにもインド的だ。本当は彼は妻にも家族にも強い未練があるのに、完璧な夫、完璧な父親、完璧な息子、完璧な弁護士という自己イメージが崩壊して、その事実に直面することができない。自分が家族を捨てたせいで、妻と子供たちは貧乏を余儀なくされ、家族が崩壊しつつあるという事実から目をそむけ、自分だけの平和を求めている大バカ野郎だ! ヤショーダじゃなくても、叱りつけてやりたい気分になる。
このドラマの中で唯一まともで非二元的(笑)で現実的なのはクリシュナで、彼は周囲の大人たちの罵倒、憎しみを受け入れ、困難にめげず、ただ今ここでヤショーダのために何ができるか常に考える。ヤショーダじゃなくても、こんな息子がいたらどれだけ頼りになるかと思わせる子供だ。ただ、彼にしても、自分と母(病死)を捨て、ヤショーダからも逃げた自分の父親であるヤショーダの夫だけは赦しがたく憎んでいる。
こんなふうに登場人物の感情の動きを書き出していると、「まあ、何と人の感情とは忙しく、騒がしいものか!」と驚いてしまう。誰も冷静に現実全体を見ずに、激しい感情にもとづいて行動するので、問題が次から次へと起き続け、ドラマが延々と続くというわけだ。
今回、インドのホームドラマを初めて見たけど、人物の撮影方法などは日本のドラマの作り方とは違う感じだし、宗教が人々の日常生活に完全に浸透し、彼らの観念を束縛している様子も興味深かった。ちょっと見疲れたので、このドラマはここでしばらくお休みして、これからしばらくはトルコ動画に戻って、イスタンブールやイズミルの風景を楽しもうと思っている。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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by シンプル堂 [人間関係] [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
「中国富裕層」という謎 ― 2026年04月24日 08時50分49秒
[イベント]
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◎2026年5月16(土)5月18日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)
2026年5月17日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年5月7日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──創造原理としての神」
2026年4月26日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年5月10日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年5月10日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
「中国富裕層」という言葉をネットの記事で時々見かける。そういった記事の内容はウソか本当かわからないが、たいていはネガティブな印象を与える感じのものだ。たとえば、中国富裕層が日本のタワーマンションを買い漁っているとか、○○の土地を買い漁っているとか、中国富裕層の子供が大量に日本の国立大学に入学しているとか。
「中国富裕層」という言葉を見かける頻度は、「日本富裕層」という言葉よりはるかに多い。というか、日本には富裕層がいないがごとき、「日本富裕層」という言葉をほとんど見ない。
私は「中国富裕層」という言葉を見るたびに、彼らが日本で何をしているかということよりも、どうして共産主義の国に大量に「富裕層」が存在するのかという素朴な疑問がわく。もしカール・マルクス(注)が考えた正しい共産主義の国であれば、富が国民全員に平等に行き渡り、富裕層なんて存在しない格差がない国であるはずだ。ところが、現実には共産主義を採用してきた国では、中国も含めて(ロシア、北朝鮮など)、資本主義の国よりもさらにもっと格差が大きく、人々がエリート層に搾取される社会となっている。理念として私有財産制の廃止を提唱すると、もっと富が偏在し、社会に格差が生まれる結果になるというのはとても興味深い話だと思う。共産主義の国に、「富裕層」が存在すること自体、マルクスの考えた共産主義の理念が失敗したという意味ではないか。
おそらくその「中国富裕層」の多くがビジネスで成功した人たちだろうし、だから中国製品があふれている日本は、明らかにその「中国富裕層」を多数生み出すことに多大な貢献をしてきたはずだ。もちろん、日本だけでなく、世界中の人たちが中国製品を買うことで「中国富裕層」は生み出されてきたのだ。
さて、先日私はある通販サイトを初めて利用した。自分が探しているピッタリのものがそこのサイトで見つかったからだ。でもなんだかすべての商品が安すぎて失礼ながら怪しい感じ(笑)。たぶんすべて中国製でその通販会社を運営している会社も中国の会社で、商品の在庫はどうも日本ではなく、中国にあるらしい。もしかしたら届かないかもと思いながら、仮にそうなっても損失は約2千円くらいなので、試してみることにした。ちゃんとしている通販会社であることを示すためか、商品が今どこにあるかをネットにすべてリアルタイムで公表している。倉庫から出ました→空港に到着→税関→日本の空港に到着→税関→○○配送会社にてご自宅にお届け中、みたいな。そして、注文してから6日で商品二点は無事到着した。こうして私もまた「中国富裕層」を生み出すことに貢献したわけだ。
日中関係が冷え込んでいるので、こうした中国製の雑貨や食品も品薄かと思えば、まだスーパーの店頭やネットには豊富にある。中国政府は、国策であるレアアースは日本に輸出禁で、富裕層たちのお楽しみである日本旅行は自粛させる一方で、安い雑貨・食品の日本への輸出は禁止していないようだ。万一そんなことをすれば、それこそ中国国内に大量の失業者が出て、大変なことになるからだろう。
国家関係も、普通の人間関係同様に、関係が親密になりすぎると、たいていは反対方向への運動が始まり、お互いに距離を取り始める。だから、日中関係は経済的にあまりに相互依存しているので、定期的に冷え込まざるをえないのだと思う。激しくケンカしながら、別れられない夫婦か恋人のようなものなのだ(←日本と中国の文化・経済交流は二千年以上の歴史がある)。
夫婦は長年の間にお互いによく似てくると言われるが、高市首相が理想とする国家像が、「国家の軍事力・経済力を強力にし、国民を監視・統制する国」という、マルクスの理念が失敗した共産主義のような感じで、現在の中国に似ていることが可笑しい。高市首相と習近平中国国家主席は同類が激しく嫌い合っているということか……
AI秘書により共産主義のまとめ
(注)カール・マルクス(1818年~1883年):ドイツの経済学者・革命家。
マルクスが考えた共産主義とは:
* 生産手段(工場・土地・機械など)を私的所有しないこと
*それらを社会全体で共有すること
*搾取(資本家が労働者の労働から利潤を得る構造)を廃止すること
その結果下記のようになるはずだと、マルクスは考えた。
国家:国家は不要になり、消滅する(国家の死滅)
所有:生産手段は共同所有、私有財産(資本)は廃止
階級:資本家階級と労働者階級が消滅
分配「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」
労働:強制ではなく、自己実現としての労働
市場:利潤を目的とする市場は消滅
しかし現実には、共産主義の国は「国家が強化され、党が統治し、党のエリート層が支配階層になり、監視・統制が強化される国」となり、より一層の格差と搾取が横行する。
*それらを社会全体で共有すること
*搾取(資本家が労働者の労働から利潤を得る構造)を廃止すること
その結果下記のようになるはずだと、マルクスは考えた。
国家:国家は不要になり、消滅する(国家の死滅)
所有:生産手段は共同所有、私有財産(資本)は廃止
階級:資本家階級と労働者階級が消滅
分配「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」
労働:強制ではなく、自己実現としての労働
市場:利潤を目的とする市場は消滅
しかし現実には、共産主義の国は「国家が強化され、党が統治し、党のエリート層が支配階層になり、監視・統制が強化される国」となり、より一層の格差と搾取が横行する。
過去のブログ
「中国の時代 」2008年04月23日
https://simple-dou.asablo.jp/blog/2008/04/23/3271192
「「結婚」40年目の日中夫婦関係 」2012年09月25日
https://simple-dou.asablo.jp/blog/2012/09/25/6583992
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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by シンプル堂 [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
「悪意」について ― 2025年10月17日 10時45分35秒
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)
2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2025年11月9日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」
2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
[新刊案内]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(23)
もうすぐダグラス・ハーディング著『On Having No Head(頭がないことについてー仮称)』 (1994年に図書出版社から『心眼を得る』のタイトルで出版された本の再版)が出版予定なので、次回よりこの20世紀のスピリチャルな古典ともいうべき本書を紹介する予定である。
その前に今回は、ハーディングが『On Having No Head(頭がないことについてー仮称)』で描く「天の王国」とは正反対の人間世界の「悪意」について書いてみたい。
先日ある人から、「この世界には途方もない『悪意』がありませんか?」と尋ねられ、この世界にある「悪意」について少し話し合ったことがあった。この世界には途方もない「悪意」がある――そのことを私は否定しないし、驚かない。なぜなら、私は20代の頃からずっと人の心の中に潜む「悪意」を研究(笑)してきたし、普段「悪意」満載の本(ミステリーや小説)を山ほど読んでいるからだ。
「悪意」とは何か? 悪意の元とは、「人間の利己心」である。そして、人間の利己心とは自分(自分たち)が快適に生き延びたい、さらに言えば、自分たちが快適に自己拡大したいという願望である。そして人間のその利己心は、自分たちの肉体的精神的物質的喜びや快楽のためなら、他人をどれほど利用(犠牲に)しても、心が痛まない。そう定義してみれば、私たちのほとんどすべての人の心に「悪意」というものがある。あとはその「悪意」の種類と程度と、自分が自分の「悪意」にどれほど自分で気づくかどうかの問題である。
戦争は「お前たちなんか死ねばいい」という極端な「「悪意」と「悪意」の衝突であり、犯罪は片方が一方的に相手の何かを奪うために悪意を相手に仕掛ける行為である。特定の誰かを貶める言動(いわゆるヘイトスピーチ)、セクハラ・パワハラは自分の精神的肉体的快楽のための「悪意」である。こういった「悪意」はわかりやすい。しかし、私たちの日常生活では、「悪意」は「悪意」の顔をしてやってくるのではなく、むしろ「善意」の仮面をかぶってやって来るからややこしい。
毎日のように私のところへ送られてくる有名企業の名前を騙った詐欺メールは、「親切なお知らせ」という仮面をかぶってやって来る。自分がそのサービスを利用している場合、念のため調べることにはしているが、こういったことに時間がとられることが非常に煩わしい。まあ、私が日常生活で出会う「悪意」はそのくらいで、私はほとんどいつも親切で平和な世界に生きている。
しかし、今年は一度、「悪意」の実害にあった。それは引っ越しのときの話で、引っ越し業者の「善意を装った悪意」にひっかかった。今の時代、誰でもやるように、私はネットで準大手くらいの引っ越し業者に見積もりを出してもらって、それがかなり安かった(=善意の見せかけ)ので、実際に営業の人に来てもらうことにした。
当日、30歳前後のやり手営業マンといった感じの男性と今年の新卒の営業見習いの男性が二人でやって来た。やり手営業マンの男性がすべての部屋の荷物をチェックしたあと、彼はネットの見積もりの約5倍(!)の金額を私に告げた。そのときまで、私は疲労気味でぼんやりとしていたが、その金額を聞いたとたん突然アドレナリンが噴出し戦闘モード(笑)になり、「どうして金額がネットの見積もりの5倍なんかになるんですか!? 私はほとんど正確に自分の荷物を数えてチェックして、ネット上の見積もりに記入したはずです。実際の見積もりが多少高くなるのはわかります。でも5倍の金額なんてありえないでしょう?」と彼に詰め寄った。
すると彼は、「まあ、ネットの見積もりって、あんまり当てにならないのですよ」といけしゃあしゃあと言うではないか! 金額の説明も素人が聞いてもよく理解できない説明を繰り返すので、こんな誠意のない会社はやめようと、私はもう帰ってもらおうと思いかけた。すると向こうが、「だったら、お客様のご希望の金額はいくらですか?」と尋ねたので、私はネットの見積もりの金額の約2倍を提案した。すると彼は、「それだと搬出は夕方で、しかも小さいトラックしかご用意できず、当日荷物の積み残しもありえますが、それでもよろしいでしょうか?」とやんわり脅してくる。
私が何か言うたびに、その営業マンは電話で上司と相談し、「上司からの提案はこうです」と新たな金額を告げて来る。結局、他の引っ越し業者にまた見積もりを頼んでも同じことになる可能性は高いだろうと判断し(ネットの見積もりはどこの会社も同じように安かった)、何よりもまだ他にも山ほどやることがあるので、できればその日に引っ越し業者を決めたかった。そして、その営業マンもなんとしてもこの契約を勝ち取りたい意図が見えた。という両者の利害が一致して、なんとか当初のネットの金額の約3倍で折り合った(それでもまだ高い感じ)。
彼らの責任ではないけど、私は最後に二人に言った。「会社に戻ったら、ネットの金額と実際の見積もりがあまりに違いすぎると、あなた方の会社の信頼に傷づくし、お客をバカにしていると、お客がすごく怒っていたと、上司に伝えなさい」。ただし、その会社の現場の名誉のために言えば、搬出搬入の当日来てくれたスタッフは皆さん感じのよい有能な人たちで、短時間でプロの仕事をやってくれ、それで私の怒りもだいぶ収まった。今回の私の経験は、安い金額で客を釣り、あとで高額を請求する例だ。先日読んだ新聞の記事によれば、私が経験したようなネットの金額と実際の請求金額があまりに違いすぎるという苦情は、消費者センターに非常に多く寄せられているという――水道の水漏れ工事、葬式の代金などの苦情が多いそうだ。
今の世の中、知識・理解・気力が劣るものから、お金その他をむしり取ろうとする圧力はものすごく増加している感じがある。その圧力は国内だけでなく、全世界からやって来ている。それはたぶん、どこの国でも経済的格差、その他の格差の広がりから、お金を普通に稼ぐこと、平和に普通に暮らすことができない人たちが増えているからだろうと思う。そして、それが他者への「悪意」となって、様々な犯罪や意地悪な行為として現れている。
そう書くと、「悪意」だらけの世の中で生きるのもイヤになるほど絶望したくなるが、私の長年の「悪意」研究から言えば、二元性の世界では、「悪意」だけだったら、社会やコミュニティ、家庭は崩壊する、ということだ。社会やコミュニティ、家庭が崩壊しないで保っているのは、「悪意」と同じくらい「本当の善意」もあるからだ。
自分の経験を語れば、長い人生の間、家族の中で日本国内で外国で、私はそういった「本当の善意」にたくさん出会ってきた。私を助ける義務も必要もない人たちからどれほど親切にしてもらったことだろうか。
だから、私は世の中の「悪意」についてはそんなには絶望していない。二元世界では、「悪意」があれば、善意もある。悪人がいれば、善人もいる。ときには、善が悪になり、悪が善になり、善人が悪人になり、悪人が善人になることさえある。それが人間の世界、人生というものだ。そして、万一予期せず自分自身の身に「悪意」がふりかかったときは、カルマ(神の意志)としてあきらめ、最低の被害で収まるようになんとか頑張る(笑)……しかない。
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
by シンプル堂 [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
『チ.地球の運動について』(2)――「情熱の質」について ― 2025年08月22日 10時27分57秒
◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年9月4日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年9月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究─世界の出現」
2025年9月13日(土曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
[
新刊案内]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
[電子書籍版発行]
*『頭がない男』電子書籍版
価格:1,980円(税込み)
知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。
〔Youtube]
今日も、『チ。地球の運動について』についてである。私がこのアニメを見て、もう一つ深く考えたことは、人々の「情熱の質」についてだ。
このアニメの中で敵対関係にある、異端を迫害する教会の人たちと地動説研究者たちは、両方がともに強い情熱をもっている。異端迫害派は、地動説などという危険な思想が広まらないように、地動説研究者を迫害し、撲滅することに情熱をかけ、地動説研究者は、惑星や星の運動に関して何が真実か知りたいという情熱に動かされている。
この二つの情熱はかなり「質」が違うものだ。その違いを言えば、前者(異端迫害派)の情熱は「恐怖」に根差している。それに対して、地動説研究者たちの情熱は、「天体の運動の真実を知る喜び」に根差している。彼らは別に天動説をやっつけたいとか、教会の権威を失墜させて、自分たちが権力者になりたいという政治的動機で研究しているわけではない。そして、この時代、その情熱は非常に危険、命をかける情熱となっていた。実際、『チ。地球の運動について』では、登場した地動説研究者はみな処刑されている。
しかし、人間の幸福という観点から見れば、この物語の中では少なくとも、異端とされた地動説研究者たちのほうが幸福に死んだ感じである。
再び、前回も紹介したオクジーの疑問を紹介すると:
彼は仕事がら(警備組合勤務――仇討ちの代理とか、人を殺すことも仕事に含まれている)たくさんの人の死に際の様子を見てきた。彼は「自分は今まで幸福に死んだ人を見たことがない。教会の言うように真面目に生きてきて、死後これから天国に行けるというのに、どうしてなのか?」と疑問に思う。そして、唯一幸福に死んだのが、星観察が趣味で、彼を星の世界へと導いてくれた警備組合の同僚と、彼が異端審問官の警備の仕事をしたときに会った地動説研究者の二人だけだった。そこから彼はしだいに、「真面目に教会の言うとおり生きていいれば、死後天国へ行ける」という教会の教義を疑うようになり、最初は夜空を眺めるのさえ怖かったのが、しだいに星空を眺めることに喜びを感じるようになった。そして、地動説研究者たちの仲間になり、最後は星空を眺めながら、幸福に死んでゆく。
前回も書いたように、このアニメで描かれていることは現代社会においても無縁ではない。この惑星地球においては、「恐怖に根差す情熱」が圧倒的に強く、「喜びに根差す情熱」はほんのわずかしか実現しない。しかも、私たちは大人になるにつれて、そのわずかな喜びさえも感じることがどんどん少なくなり、反対に恐怖を感じることが増え、さらに悪いことには、その恐怖を抑圧し、感じないようにして生きている。
「恐怖に根差す情熱」は、たとえば、カリスマ的政治指導者が出現して、「〇〇のせいで、私たちは貧乏になっている」とか「我が国の問題は、〇〇の国のせいだ」などと、欠乏の恐怖をあおり、社会の中で膨れ上がれば、それは簡単に社会に対立と分断を生み出し、最終的には「戦争」へと繋がっていく。
今はたまたま8月ということで新聞やネットには、戦時中の悲惨な体験が山ほど語られている。そして、戦争を経験した人たちはほぼ100%、「戦争は悲惨なもの。二度と戦争をしてはいけない」と言う。そして、そういった記事を読む読者だってほぼ100%戦争はしてはいけないと思うはずだ。
ところが……そういった理性に根差す思いは、はっきり言って、恐怖に根差す情熱の前では無力だということを、歴史は証明してきたし、今でもガザ、ウクライナで証明している。「戦争は悲惨なもの。二度と戦争してはいけない」という思いは、万一、政治家や国民の中に恐怖に根差す情熱が伝染し膨れあがれば、すぐに消滅し、一転して「戦争だ! 敵をやっつけろ!」に簡単に変わってしまうだろう。
だから私は「戦争は悲惨なもの。二度と戦争してはいけない」とは簡単に言えない自分に気づく。むしろ、私は問いかける。「戦争は悪いもの。戦争はしてはいけない」という理性的思いはなぜいつも無力なのか?と。なぜ人にとっては命より自分たちの正義やつまらない観念が重要なのか? そこを考えることが重要ではないかと思うのだ――第二次世界大戦のとき、アメリカとの戦争は勝ち目がないという賢明な理性ある提言はすべて退けられ、戦争賛成(恐怖に根差す情熱)派が多数派になり、無謀な戦争へと突入した(という記事を、先日の新聞で読んだばかりだ)。
そういうことを問いかけたからといって、世界中の戦争が止まるわけでもないが、少なくとも恐怖心に根差す情熱への感染防止になると私は思っている。
そして同時に、日々、小さいことをたくさん喜んで生きようと思う。たとえば最近新しい環境になって発見した喜び――1時間に1回か2回、新幹線が通過する音を聞くこと。騒音なのに、なぜか静寂の中でこの音を聞いている瞬間が好きだ。あるいは夕暮れ時に、帰路を急ぐ鳥たちの飛行をベランダで眺め見ることなど。
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
by シンプル堂 [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
白米愛 ― 2025年06月10日 07時04分18秒
[新刊案内]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。付録に、『シンプル道の日々3』(2022年~2024年)も掲載しています(総文字数約20万字。新書版2冊くらいの分量です)。
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
*『頭がない男』電子版が販売開始!
価格:1,980円(税込み)
知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(11)
[お礼]
新刊書籍をご購入・購読いただきました皆様、どうもありがとうございました。
今から、7、8年前の秋のある日のことだった。いただいた新米をせっかくなので、雑穀を混ぜないで、白米で食べることにした。そして炊きあがった白米を一口食べたときに、私に衝撃が走った。「白米って、こんなにおいしかったんだ!」と。長い人生の間、食べ物に衝撃を受ける経験はそれほどあることではない。思い出に残るほど「衝撃的においしい」が数回、そして、「衝撃的にまずい」も数回くらいか。
その日、もう一生死ぬまで自宅では何も混ぜない白米を食べようと決心した。更迭された農林水産大臣と同じく、私も大人になってから(ほとんど)お米を買ったことがない。親戚の方にいただくおいしいお米をずっと食べてきた。だから、おいしいお米しか食べたことがないというありがたい身分である(と、私がこう言っても、私は政治家や官僚ではないので許していただけると思う)。それでも、健康のためにとかそんな理由で、ずっと雑穀を混ぜて食べてきて、それもそれでおいしいと思ってきた。
しかし、あの日以来、私は白米愛に目覚め、炊き方までかなり研究するようになった。今は炊飯専用の土鍋で炊いて、まあまあ満足のレベルである(でも、ここでも「体質」と「好き」が合わず、私は悲しくも炭水化物をたくさん食べれない体質である←若い頃はそうではなかったのに)。ここ数年は、他のブランドのお米も食べてみようと思い、一年に1回くらいスーパーでも買っている。ブランド米の無洗米が思った以上においしいのでびっくりした。
ここ1年の令和米騒動――国民の主食であるお米の値段が2倍以上になっているのに、政府も農林水産省も他の誰もその原因が何なのか、納得の答えを出していない。そもそもお米は国民の主食だというのに、お米を作っている農家の人たちの多くが農家専業(=つまり、お米を作る仕事で、家族を充分に養える)でやっていけるほど儲からないという話を聞いている。私の親戚の方も別の仕事と兼業で家族を養っていたし、後継者もいないようなのであと何年やれるかわからない状況である。
先日見たネットのニュースで、新しいやり方でお米を作っている若い人たちが紹介されていた――水田ではなく、乾いた土地でお米を作る方法とかで、水田で作る従来の方法よりはるかに省労働になるという。情熱をもつ若い世代の人たちが米作りに参入し、省労働と儲かる農業、そして「おいしいお米」が両立するように色々研究工夫している姿を見ると、これからの日本の農業に多少希望が持てる。
それでもと、私はお米に関しては悲観的に思うのだ。たぶんこれからの時代は財力とお米へのこだわりに応じて、自分のお米を選ぶ時代になると。つまり、国産のおいしいお米はたぶんすべての人には安い値段では行き渡らないということだ。私が5年後、10年後に国産のおいしいお米を余裕をもって買えるほど財力があるかどうか……でもお米のためだったら、私は他の出費を削ってもおいしいお米を買うとは思う。
さて、小泉大臣が国民にばら撒いた備蓄米(令和の「お救い米」(注))。備蓄米は元々は国民の税金で政府が買ったものだから、国民が備蓄米を安く買えるとすれば、国民が払った税金のおかげで安く買えるという意味だ。そして、小泉大臣(ヒーロー)対それに対抗する農水族のおじいちゃん政治家(悪者)というドラマまで演出して、昔、小泉大臣のお父さんもよく使った戦略だけど、「自民党、お前もしたたかよのう」という感じだ。それで石破政権の人気が上がり、次の選挙で自民党に有利に働けば、備蓄米は「国民を救う」というより、「自民党をお救い米」という自民党にとって一番ありがたいお米となる。
(注:「お救い米」(御救米)は、江戸時代に幕府や領主が飢饉や災害などの際に困窮した庶民を救済するために支給した米のこと。これは、特に飢饉や火災、水害などで生活が困難になった人々に対して、応急的に配られる施米。)
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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by シンプル堂 [社会] [コメント(1)|トラックバック(0)]
目指せ!「寝たきり老人ゼロの国」 ― 2025年05月01日 08時12分44秒
[イベント]
*リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都文京区)
2025年5月11日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
*オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年5月18日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
*オンライン「非二元の探究――実験と瞑想の会」
2025年5月4日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年5月22日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
上記のイベントについての詳細はこちらへ
2025年5月11日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
*オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年5月18日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
*オンライン「非二元の探究――実験と瞑想の会」
2025年5月4日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年5月22日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
上記のイベントについての詳細はこちらへ
[新刊発売お知らせ]
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)発売。
ナチュラルスピリット発行)発売。
ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!
価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ日本では高齢者の増加にともなって、医療費もものすごいスピードで伸びている(私もここ数年、医者から薬を処方してもらっている身である)。それで政府も、人数の少ないところから(=選挙に影響が出ないところ)から、医療費の削減を目指そうとして、「高額医療費の自己負担額の引き上げ」が先日国会で議論された。
しかし、日本の医療費の削減って、まず終末高齢者に対する不要な延命治療をやめる、そして、(延命治療をやめる場合に、医者が刑事的に訴えられないように)法的整備をすることあたりから始めるべきではないかと、私は思っている。もう回復の見込みのない老人たちを寝たきり状態で生かしておくことに、どれだけの医療費が使われていることだろうか。高齢世代の福祉や医療のためばかりに税金が使われているという、若い世代の不満ももっともなことだ。
最近、『欧米に寝たきり老人はいない』(宮本顕二・宮本礼子著 中央公論新社)という本を読んで、欧米では、終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害であるというあたりに私はかなり共感した。なぜ人権侵害かと言えば、それは本人にとって、ひどい苦痛となるからだ。本書では、2007年にスウェーデンの高齢者医療を見てきた著者たち(お二人ともお医者さん)が、今後の日本の終末医療について考察と提言をしている。
私も会員である、「日本尊厳死協会」の会報には、「親、夫や妻をこんなふうに看取りました」という読者の投稿がたくさん掲載されている。亡くなった人たちが「日本尊厳死協会」の会員である場合、家族は医者や医療機関に「本人の意志で、延命治療を希望しない」ことを強く伝えると、今ではたいてい病院や医者も理解を示し、本人や家族の希望通りにしてくれるという。
しかし、なかには、本人が植物状態になって、家族が、経鼻経管栄養(チューブによる栄養)を流すのをやめて欲しいと頼んでも、病院側から断られることもあるという。
もし今、若者、中年、老年の健康な人たちに、「回復の見込みがないときに、あなたは寝たきり状態で、長く生きたいですか?」とか、「胃ろうして生きたいですか?」と質問したら、ほとんどの人が、そんなふうにして「長生きしたくない」と答えるだろう。
だから、政治家の皆さんが、「寝たきり老人ゼロの国」のための議論を始めて、国民にも考えてほしいと言ったら、それは世代間の対立なく、みんなに関心をもってもらえる話題だろうし、「医療費の削減とより人間らしい死」が両立する社会が実現すれば大変によいことのはず……。
しかし、「はず……」ではあるが、日本で実現するにはまだまだ長い年月がかかるだろう。
その理由は、「終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は非常識で、むしろ人権侵害である」という考え方は、長い間の日本人の考え方――いかなるときも延命は善であるという医学的倫理価値観、まだ延命治療をすれば生きることができる人を、早く死なせることへの家族の罪悪感などに、価値観の転換を迫るからだ。
人間は考え方、価値観を変えることに非常に抵抗する生き物である。加えて、医療機関や介護施設の都合(←「寝たきり老人」や「胃ろう」は儲かるという身も蓋もない話)なども聞いたことがある。そういった様々な複雑な事情が絡み合って、「もう回復しないことがわかっているときには、安らかに死にたい」という願望が実現しにくい社会となっている。
終末期高齢者への人工的水分・栄養補給は人権侵害であるという考えに私が納得するのは、父が亡くなる前の最後の数か月病院に入院していたとき、自分でもうほとんど食事もとれず、点滴栄養を受けていたときの様子を思い出すからだ。父は「痛い」とか「苦しい」とは絶対に言わない人なので、いつも黙って耐えていた感じだった。私たちは、父が医者と西洋医学をとても信じていたので、「病院で死ぬことが父の望み」と単純に思っていたが、父が亡くなったあとで、最後の1ヶ月くらいは自宅で看ればよかったのかもと後悔した。
さて、昔の後悔はさておき、母の場合(まだ一人で食事はできるし、食欲も衰えてはいない)、心安らかに平穏に看取ることができるのかどうか、家族にも覚悟が問われる感じである。
「日本尊厳死協会」サイト
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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by シンプル堂 [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
異星人、たぶん存在するかも……(2) ― 2024年12月25日 09時57分03秒
[ケロケロ様へ]
「Master Key toSelf Realization 」をお待たせして、大変申し訳ありません。私の時間予想能力があまり当てにならず、スケジュールは、私にコントロールできないことなので、ご理解いただけば、ありがたいです。たぶん、来年の春くらいまでには、とぐらいしか現時点は、出版時期を申し上げられません。また原稿の販売もできません」
[ お知らせ]
*「Master Key toSelf Realization 」の発行は来年となります。諸般の事情で遅れてしまい、お待ちいてだいたいる皆様には、お詫び申し上げます。
最近読んだ「異星人とのコンタクト」物語を紹介しようと思ったものの、文章を書く体力、タイピングする体力がかなり尽きている。それで、いくつか読んだものから、その中に書かれていることを短く紹介すると:
*地球という惑星や地球人に関心をもっている異星人はたくさんいる(←現在では、異星人の種類、イラスト、性格や寿命、その惑星の地球からの距離が記載されている異星人図鑑みたいなものまで出ている)。
*異星人の種類は大まかに分けると3種類で、いわゆるヒューマノイド型(人間に近い)、グレイ型(目が大きい)、それからレプタリアン型(爬虫類型)がある。
*異星人の中には、人類を誘拐したり、人体実験をしたりするいわゆる地球人に敵対的な悪い(?)異星人もいるし、地球に友好的な異星人もいる。
*よい(?)異星人たちは連合を作って、地球を見守っている。
*アメリカ政府は、昔から異星人の存在を知っていた。
*多くの異星人はすでに地球のあちこちに基地をもっており、異星人と地球人のハイブリット的人間も多く生まれている。
*異星人の種類は大まかに分けると3種類で、いわゆるヒューマノイド型(人間に近い)、グレイ型(目が大きい)、それからレプタリアン型(爬虫類型)がある。
*異星人の中には、人類を誘拐したり、人体実験をしたりするいわゆる地球人に敵対的な悪い(?)異星人もいるし、地球に友好的な異星人もいる。
*よい(?)異星人たちは連合を作って、地球を見守っている。
*アメリカ政府は、昔から異星人の存在を知っていた。
*多くの異星人はすでに地球のあちこちに基地をもっており、異星人と地球人のハイブリット的人間も多く生まれている。
私は異星人図鑑のようなものを眺めながら、まるで人類の人種の図鑑のようだとは思ったが、それぞれの異星人の姿形の違いと比べれば、地球上の人種の姿形の違い(肌や目、髪の毛の色の違い、体型など)などは、ほとんどないに等しい。
人間型の異星人はまだいいとして、グレイ型やレプタリアン型の異星人が目の前にいたら、「すべての存在を受容」などという非二元的観念がふっとび(笑)そうで、恐怖心に圧倒されてしまうかも。あるいは、友好的な異星人だったら、「ハーディングの実験をいっしょにやりますか?」とか言って、いっしょに指差し実験とか紙袋の実験をやったら、どんな感じだろうかと、想像して可笑しくなった。
さて、「異星人とのコンタクト」の話になると、熱狂的に信じる人たちと「そんなの本人の想像にすぎない」と完全に否定する人たちがいる。私はいつも「書かれていることは、本当かもしれないし、本当でないかもしれないが、自分にとって興味深く読めればそれでいい」という態度で読むことにしている。
実は、今までの人生でいわゆるUFO(未確認飛行物体)みたいなものを、20代、30代の頃数回見たことがある。そして、「この人、地球人じゃないかも」という強い印象を受けた人に、人生でたった一人だけ出会ったことがある。まあ、そういう私の過去の記憶も、「本当かもしれないし、本当ではないかもしれない」。
[お礼]
1年間、貴重なお時間をさいて、ブログを読んでいただき、また動画を視聴していただき、ありがとうございました。また、ご質問やコメントを寄せていただきました皆様、様々な形でご支援してくださった皆様にも、心からお礼を申し上げます。それでは、楽しい年末年始をお過ごしください。来年は1月の終わりか、2月の初めからブログを再開する予定です。
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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by シンプル堂 [社会] [コメント(1)|トラックバック(0)]
Master Key to Self-Realization (6) ― 2024年11月24日 08時57分05秒
[ ハム様へ]
「コメントをいつもありがとうございます。はい、真理を探す必要はありません。書かれているように、すべてがそれでできているわけですから。一方で、「聖なる催眠」によって、人が長い間、彷徨し、あちこちを探しまわることも仕方のないこと……なぜなら、誰も自分の意志でスピリチュアルな探求するとかしないとか選択したり、決めたりしているわけではないので。「聖なる催眠」--ラメッシの教えの中の好きな言葉です」
[ イベント]
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都文京区)
2024年12月10日(火曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
◎オンライン「非二元の探究──「気づき」を練習する」
2024年12月8日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで ←予約受付終了しました。
2024年12月10日(火曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
◎オンライン「非二元の探究──「気づき」を練習する」
2024年12月8日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで ←予約受付終了しました。
2024年12月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2024年12月15日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
シッダラメシュヴァール・マハラジの伝統では、師となる人たちはみな「マハラジ」(インド文化において、聖人につける呼称)という名前がついている。
シッダラメシュヴァール・マハラジ (1888–1936)
ニサルガダッタ・マハラジ(1897-1981)
ランジット・マハラジ(1913-2000)
ラマカント・マハラジ(1941-2019)
ニサルガダッタ・マハラジ(1897-1981)
ランジット・マハラジ(1913-2000)
ラマカント・マハラジ(1941-2019)
ところが、ラメッシ・バルセカールはニサルガダッタ・マハラジに師事し、彼の後継者とされたにもかかわらず、改名していない。彼はこの派の伝統を継ぐ者とは見なされていないようだ。それはどうしてなのだろうか?
私の印象では、ラメッシ・バルセカール(1917~2009)はニサルガダッタ・マハラジを敬愛し、師事したにもかかわらず、自分がこの長い歴史をもつ派の一員であり、その伝統を継ぐという観念がほとんどなかったのではないかと思う。そもそも彼には、自分が師(グル)であるという観念も非常に薄く、最初は話すことにも抵抗していたようだ。だから、名前を変えることにも、師として弟子にマントラを伝授するとか、瞑想法を教えるとか、そういったことにも関心をもっていなかった。また、前にも書いたように、(私が彼の本を読んだかぎりでは)彼は講話の中では、Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー)の中で説明されている様々なボディの話を話題にしたことはない。
しかし、ラメッシが様々なボディの話を知らなかったわけではない。それどころか、彼の初期の著作、Explorations into the Eternalには、各ボディを詳しく説明している章がある。ラメッシの説明は、今回私がMaster Key to Self-Realizationを翻訳するにあたって非常に参考になり、ありがたかった。
話を各ボディに戻すと、人がどのボディに立脚して生きているかによって、世界の認識が異なると言える。ボディとは「世界を認識する窓」とも言え、人々は、自分が寄って立っているボディにしたがって、世界を認識し、理解する。なので人々がお互いに話し合っても、その理解と認識の立脚点が異なれば、お互いにまったく話がかみ合わない(ということは、皆さんも日常生活でよく経験することがあると思う)。そういうときは、議論に参加せずに沈黙が一番よい(笑)……
ということで、Master Key to Self-Realization の中で語られている知識は、仮にそれらがなくても、非二元の探究の決定的障害にはならないけれど、でも知っていれば、色々な知識が整理され、他のインド系の賢者の本を読むときに、理解がすすむかもしれない。(出版時期、価格、正式タイトルは、現時点でまた未定です)
最後に、過去に出版された非二元系の本で、Master Key to Self-Realizationと合わせて読むとよいと思われる本を紹介したい。
*『アイアムザット私は在る』ニサルガダッタ・マハラジ(ナチュラルスピリット発行)
本書の一部に、各ボディへの言及がある。
*『覚醒の炎』プンジャジ(ナチュラルスピリット発行)
27「誰もそれを言い表した者はいなかった。誰もそれを言い表せないだろう」
27「誰もそれを言い表した者はいなかった。誰もそれを言い表せないだろう」
トゥリーヤー(Master Key to Self-Realization での「グレート・コーザル・ボディ」にあたる)とトゥリーヤーティーター(Master Key to Self-Realization で「絶対」にあたる)を説明。
*『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』ラメッシ・バルセカール(ナチュラルスピリット発行)39「あなたは意識している存在である」
存在(Master Key to Self-Realization での「グレート・コーザル・ボディ」にあたる)と絶対的不在(Master Key to Self-Realization で「絶対」にあたる)について説明。
*『顔があるもの 顔がないもの』(現在絶版)ダグラス・ハーディング
五章 「存在が自ら生じる神秘」
五章 「存在が自ら生じる神秘」
絶対的無から存在が生じる神秘について語られている。
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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by シンプル堂 [読書] [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
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