最近、珍しく気の合う本に出会った。
「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」(太田直子著 光文社新書)
著者の文章の書き方、物事へのこだわり、価値観、仕事への情熱が、私好みである。実に、軽くて深い、達者な文章を書かれる方である。
本の内容は、映画の字幕翻訳者の日々の雑感、字幕翻訳という観点からの文字と言葉へのこだわりといった話題、人気映画「ロードオブザリング」の字幕問題等、言葉や言葉の翻訳に関心がある人には、なかなか考えさせられる話題が多い。私も数年前、DVDに字幕翻訳を付けるという仕事をやったおかげで、字幕翻訳という仕事の大変さ、苦労、そして、楽しさがどれほどのものか、今では多少理解している。字幕翻訳、あれは、けっこう中毒する仕事なのだ。
さらに本書には、映画産業の中で、優秀な字幕翻訳者が置かれている苦境というか愚痴も、あちこちに書かれてある。(本書は、おそらく著者のストレス発散の本でもある)
著者が語っている苦境というか愚痴というのは、要約すれば、「売る」派VS「理解する」派のバトルのようなものだ。優秀な字幕翻訳者の著者としては、できるだけ、映画を理解し、その雰囲気を伝えようと、七転八倒しながら、最適な字幕を作ろうとする。ところが、映画を売る会社は、映画を「売る」ために、できるだけお客を安直に「感動させる」ような字幕を早急に求める。そのため、字幕翻訳者対映画の本質を理解していないらしい販売会社の社員との間に、壮絶なバトルが展開するというわけだ。そのへんを、著者はさらりと書いていて、笑えるが、しかし、そのバトルはかなり深刻だろうと想像できる。
著者は力をこめてこう叫ぶ。
「自分たちが売ろうとする作品をきちんと理解し、評価することが前提ではないだろうか。なにかを売るというのは、その商品を大切に扱うということのはずだ。商品の価値や意義をろくに知らぬまま、うそやごまかしだらけの売り文句を駆使し、とにかくたくさん売れれば、オッケーという姿勢はおかしい。」(P171――P172)
実に実に、おっしゃるとおり……が、現世現実は、おかしいことが、たくさんまかり通るのだ。もし誰かが企業や会社の中で、「とにかくたくさん売れれば、オッケーという姿勢はおかしい。」などと、意見を言おうものなら、それこそ、「おまえこそ、おかしい」と批判されてしまうだろう。
「売れる」=「多くの人たちにアピールする」=「金が儲かる」=資本主義的善である。だから、最終的には作り手や売り手ではなく、一般の大多数の消費者というか購買者が、世の中に出回る商品や文化的作品の最終的質を決定する責任者であると、私は思っている。残念ながら、私も、記憶をたどるかぎり、映画を見て、映画字幕の質を理解したり、気にしたりしたことは、今まで一度もなかった(本書を読んだおかげで、これからは気になるかもしれないが)。
それでも、あえて(一応仕事に関しては理解派を自認している)私は思うのである。もし商品や作品に本当の質や理解、作り手の情熱がこめられてあれば、それは資本主義的善に反しても、生き残るであろうし、質や理解のために仕事ができる人たちは、幸福(プラス多大な苦痛)である、と。
著者の健康と健闘を心からお祈りする。
以前、何の映画かは覚えていませんが、海賊版の映画を観た事があります。国内上映もされていないその作品をとてもワクワクしまがら観ましたが、まったく面白くない。理由は「字幕」
海賊版だから当たり前なのかもしれませんが、その時、今回のこのコラムにもある翻訳家の仕事が何たるかを知りました。それまでは単に日本語に訳すだけの単純作業だと思っていました。実際は、とてもアーティスティックな仕事なんですね、ハマるのもよくわかります。今では良い作品を観ると翻訳家の名前をたどってしまいます。個人的には万人受けもいい戸田さんが好きですね。手書きの字幕は更にグッドです!
(良かったら管理人さんの翻訳なさったDVDのタイトル教えてもらえませんか?)
海賊版だから当たり前なのかもしれませんが、その時、今回のこのコラムにもある翻訳家の仕事が何たるかを知りました。それまでは単に日本語に訳すだけの単純作業だと思っていました。実際は、とてもアーティスティックな仕事なんですね、ハマるのもよくわかります。今では良い作品を観ると翻訳家の名前をたどってしまいます。個人的には万人受けもいい戸田さんが好きですね。手書きの字幕は更にグッドです!
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