Trance(夢)に入る・Trance(夢)から出る2008年04月04日 10時57分52秒

Tranceという英単語がある。その意味は、「忘我」とか「夢うつつ」とか「催眠状態」など、いろいろな日本語に訳され、トランス状態といえば、どちらかというと、「非日常的」というニュアンスがある。

しかし、あるとき、私は、人は日常的に始終、様々なトランスに入ったり、またそれから出たりしていることに気づいた。

トランスとは、私の定義でいうと、「ある特定の対象、行動、思考に没頭して、それ以外の一切が意識に入ってこない状態」である。

人が日常的にどんなトランスに入っているのか、仮に名づけてみると、

仕事をしている最中の人は、仕事トランス中、
インターネットをしている人は、インターネットトランス中、
テレビや映画を見ている人は、映像トランス中、
誰かとの会話に熱中している人は、会話トランス中、
自分が実現したい将来の夢や計画について考えている人は、計画トランス中

誰かとの人間関係のトランス中なら、
誰か特定の人に恋をしている人は、恋愛トランス中、
親として子供を心配している人は、子供トランス中、

自分の感情に関するトランスなら、
自分の将来を心配している人は、心配トランス中、
何かや誰かに怒っているときは、怒りトランス中、
とまあ、無数にある。

たとえば、ある日、私が街を一人で歩いていて、美しい桜に見とれているとしたら、そのとき私は、風景トランスに入っている。そのあと、たまたま知り合いの人にばったり出会って、「Aさん、こんにちは」と呼び止められたりすれば、風景トランスをいったん出て、今度は、私は自分の心理肉体現象についている名前Aと一体化して、Aトランスに入って、Aという役を演じる会話にしばし没頭する。そのあとスーパーへ行って、食材を眺めながら、夕食の料理を考えるときは、夕食トランスへとまたトランスが変化する。また不愉快な出来事があって、怒りがわけば、怒りトランスにしばらく入る。

という具合に、トランスには、楽しいもの(テレビやインターネット、自分が実現したい夢等)、たわいものないもの、苦しいもの(心配したり、怒ったりすること)があり、またトランスの程度(対象、行動、思考に巻き込まれる度合い)も様々だが、基本的は、「心理肉体現象Aが、何かに没頭する、熱中している状態」というものである。

では、反対に「トランスから出る」=「夢から覚めている」ときというのは、どういうときかといえば、

1熟睡しているとき。
2特別に没頭する対象もなく、ただ、現在の状況をありのままに全体的に眺めているとき――ただ存在しているという状態――これを、俗にスピリチュアルな用語では、瞑想状態や、英語でChoiceless Awareness(選択なき気づき)などと言う人たちもいる。

3自分の本質が、Aという名の心理肉体現象でないと気づくとき。

実のところ、多くの場合、トランス状態は楽しいものだし、必要なことでもあるし(トランスに入らなければ、物事を完成するのは困難である)、今もこのように、架空のシンプル堂となって、私はブログを書くというブログトランスに入っているわけである。

しかし、「トランスから出る」=「夢から覚める」ことは、もっと興味深く、もっと驚くべきことである。

「トランスから出て」みれば=「夢から覚めて」みれば、

*いわゆる人の人生とは、一つの映画(音声つき映像)、夢であり、Aという名の心理肉体現象さえ、夢(幻想)である。
*Aという名の心理肉体現象の本質も、Bという名の心理肉体現象の本質も、その他の生き物の本質も、目の前のコンピュータの本質も、まったく違いはなく、ただ「一つのもの」からできている。
*世界とは、そのただ「一つのもの」の流れである。

という、以上のようなことがわかる。

また、トランスから出るシンプルな方法を教わったおかげで、逆に私は、怒りのAでも、バカなAでも、賢いAでも、冷淡なAでも、優しいAでも、失敗するAでも、どんな役のトランスにも安心して入ることができる。

トランス状態――それは熱中であり、ある種の興奮であり、楽しいことであっても、かなりエネルギーを消耗し、疲労する(テレビや映画を見たあとはかなり疲れるし、ブログを書いたあとは、よく肩こりする)。

反対に、トランスから出るのは、平和であり、静寂であり、大いなる休息であり、エネルギーの補給である。いったんトランスから出る味わいを知ってしまえば、長い間ずっとトランス状態というのは、肉体精神に負担だとよく感じるのだが、しかし、実際は、多くの人たちは、トランスから出ること(たとえ、それが苦痛なトランスであっても)を勧められると、激しく抵抗する。

それはなぜかというと、また私の愛読書「なまけ者のさとり方」から引用すれば、

「他の人に精神的な解決法を勧める時は(精神的でないアドバイスの場合もあてはまります)必ずその人が楽しく、生き生きと感じていること、つまり、その人のエゴの構造体を捨てるようにと、要求しているのです。これは危険です。気をつけてください!」(ページ71)

無知なことにかつて私は、その「危険なこと」をして、散々人に嫌われたものだ(求められもしないのに、ついアドバイスしてしまうことを、アドバイストランスといいます)。

今では、人がどれほど愚痴を言っても、心配しても、苦しんでいるように見えて、本当はどこかでその感情的興奮を楽しんでいることを、私はよく知っている。私自身も様々なトランスに入ったり出たり、これでも日常はけっこう忙しい。

Bonne Transe!(楽しいトランスを!)

*「トランスから出ること」=「夢から覚めること」に、関心がある方には、下記の本をお勧めします。

「顔があるもの顔がないもの」ダグラス・ハーディング(マホロバアート)
「人生を心から楽しむ」ラメッシ・バルセカール(マホロバアート)
「探すのをやめたとき愛は見つかる」バイロンケイティ(創元社)
(上記3冊は、行動中に、トランスから出る非常にシンプルな方法を教えている)
「ラマナマハルシの伝記」――アーサー・オズボーン著(ナチュラルスピリット)
「ポケットの中のダイアモンド」ガンガジ(徳間書店)
「怠けものの悟り方」タデウスゴラス(地湧社)
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」エックハルト・トール(徳間書店)

[お知らせ]
*ダグラス・ハーディングが開発した、人間トランスから目覚めるための実験を楽しむ会
「私とは何かを見る会」2008年4月13日(日)午後1時30分より午後4時45分詳細は下記へ
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/event/event.html

*ラメッシ・バルセカールの「人生を心から楽しむ」(マホロバアート発行) の本は、絶版となっていますが、返品本を版元で販売しています。詳細は下記News欄へ。(多少値引きしてあります。版元からの直販のみで、一般書店からは注文はできません)
http://www.mahoroba-art.co.jp/frame/main.html

少子化対策大作戦2008年04月14日 21時46分02秒

結婚しているカップルで、夫が家事育児を積極的に手伝う場合は、妻が二番目の子供を生む確率が高い――最近そんな統計をインターネットで読んだ。現代では、家事育児を積極的に手伝う夫は、そうでない夫よりも子供をたくさんもてるということが、統計的に証明されたようである。

それに関連して、家事育児を手伝わない夫たちへの不満を、妻たちがタラタラと述べているサイトも読んでみた。みんな怒りまくっている。いわく、

「結婚する前は、家事を手伝うといったのに、実際は言っても何もしない」とか、
「子供が生まれてから、まったく夫は家事育児を手伝わず、自分だけ一人で遊びに出かけている」とか、
「不満を言うと、誰のおかげで、お前は飯を食っているんだと言われた」とか、まあまあ、様々な不満がぶちまけられている。

そして、多くの人が、その最後に書いている。

「今、離婚を考えています」
「子供が、手がかからなくなったら、離婚します」
「これから、お金を貯めて、離婚の準備をします」

自分が、家事育児を手伝わないくらいで、離婚はないだろうと、そうたかをくくっている世の男性方、その考えは、甘い! 今日日、女たちは、夫が家事育児を手伝わないくらいで、簡単に離婚したくなるのです――しかも、年代を問わず――夫が家事を手伝わないという理由で、50代、60代でも妻から離婚を申し立てる夫婦さえいる。

こういう女たちの怒りはもっともなものの、しかし、男が家事育児をしたがらないのには、生物学的根拠があるのだ。つまり、オスという種の長い進化の歴史の中で、オスの仕事は「種を蒔くこと」だけ、という種が多いのである。オスは、子育てはおろか、餌だって運んでこない動物もたくさんいる。そのため、オス(男)の脳の中には、自分の仕事は、「種蒔きだけ」という観念が根強く残っているようなのである。

あるとき、私はチーターのメスの子育てをビデオで見たことがある。チーターのオスも「種を蒔くだけ」の動物の一つで、子育てはすべてメスがやる。数年間、メスと子供たちという母子家庭で、母親は、狩りをして子供たちに餌をやり、子供を外敵から守り、そして子供に狩りを教えと、24時間孤軍大奮闘。それなのに、ある日突然、子供たちはもう一人前と判断すると、唐突に子供たちと別れるのだ。子供たちのほうは去っていく母親を見送るだけで、決してあとを追いかけようとはしないし、母親も振り返りもしない。そのあまりの未練のなさに、私は感動してしまったのである。

では、人類はといえば、少なくとも餌だけはオス(男=父親=夫)に運んでこさせようということで、数百万年前に、いわゆる結婚制度みたいなものが始まり、男は外で狩り(仕事)、女は家で家事育児という男女の役割分担が確立した。

ところが、その数百万年間続いてきたパターンが、過去数十年間、先進諸国では、女たちが外で働くようになり、お金を稼ぐようになってから、急激に変わってしまったのである。女たちは家事育児以外にも、人生の楽しさを知るようになり、家事育児に費やすエネルギー・時間をできるだけ減らしたいと思うようになっている。

女(というより、正確にいえば、女の脳)は、数百万年も続いてきたライフスタイルを、わずか数十年で簡単に変えることができたのに、男(男の脳)はといえば、それが簡単にできないのである。単純に言ってしまえば、女の脳は器用で、男の脳は不器用なのだ。女の脳はマルチで、家事も育児もできれば、外で仕事もできるし、やろうと思えば、たいていのことを簡単に学び、平均的にこなせてしまう。

一方、男の脳は、一点集中型で、たいていは仕事と趣味とスポーツくらいにしか関心がもてない。家事育児は、多様で煩雑で細かいことの連続で、普通の男の脳にはおそろしく難しい。そして男の脳は、自分が関心のないこと、不得意なことをしようとしたり、させられたりすると、ものすごくストレスがたまって、イライラし、切れやすくなる。

ほとんどの夫たちの本音をいえば、仕事から帰ったら、風呂に入ったあと、好物を食べながら、静かにビールを飲み、何も考えずにプロ野球やサッカーでも見ていたい――妻のうるさい愚痴も、子供の泣き声も一切聞きたくない。妻の話を聞きたくないのは、妻の言っていることに関心がなく、理解もできないからなのである。

というわけで、話を聞こうとしない夫たちに対する妻たちの愚痴が、前述のように炸裂するわけなのだ。「できるだけ家事育児の負担を減らし、それ以外の色々なことをして人生を楽しみたい」現代の多くの女たちが共通していだくこういった願望を、男たちはほとんど理解していないし、ここ数十年で、女たちが急激に変わってしまった時代状況になかなかついていけない――昔のような、「おーい、風呂、飯、ビール」の時代は、すでに終わったのである。

そんなこんなの状況の中で、もし、自分の子孫がたくさんほしいと――男がもし本当にそう思うなら、考えられる作戦は以下のとおりである。

1.家事育児援助作戦――家事育児のやり方を熱心に学び、まめに妻を手伝う。

2.金持ち作戦――お金をバリバリ稼いで、家にお手伝いさんを雇えるくらい大金持ちになる。大金持ちにならないまでも、各種家事代行サービスをバンバン利用できるくらい稼ぐ夫となる。

3.誉め倒し作戦――家事も育児も手伝いたくないし、お金もたくさん稼げないという夫は、妻を誉め、感謝の言葉を濫用する。妻がどんな食事を作ろうと、「ありがとう、おいしいね」を忘れず、自分の優先順位が子供たちよりも下でも、おかずの量が子供たちよりも少なくても、決して文句を言わない。妻の容姿、化粧、服装をどんなときにも誉める。すると、妻は何となく気分がよくなり、夫に対する不満や愚痴をつい忘れてしまい、家事や育児は自分の仕事だと思いこみ、夫に手伝わせるのをあきらめる。(自分の趣味に忙しく、育児も家事もほとんどしないにもかかわらず、この作戦を実行して、平均以上に子供をもてた男性を私は何人か知っている)

4.邪道作戦――あちこちの他の男たちに、こっそりと自分の子供たちを育てさせる(これがどういう意味か、おわかりですね?)

男性の皆様、少子化対策のために、がんばって!


参考図書
「話を聞かない男 地図が読めない女」アランピーズ/バーバラ・ピーズ著 「主婦の友社」発行

男と女の脳の違いを、一般向けにわかりやすく書いた本。

中国の時代2008年04月23日 18時48分11秒

北京オリンピックの聖火リレーが、世界のあちこちで妨害されている。私がこのニュースを聞いて最初に思ったことは、ああ、いよいよ中国の時代なんだなあということである。20世紀の後半からつい数年前まで、国際的に反〇〇運動が起こるといえば、それは反米国運動ときまっていた。なぜ反米運動かといえば、それは世界中が、アメリカこそが、世界の覇権を握っていて、アメリカが世界の一番の政治経済大国だと信じていたからである。

反〇〇運動というのは、運動する人たちが、敵(アメリカとか中国)の力を認めないかぎり、起こりえないことなのである。相手が、反対運動する価値があるだけ、巨大で強力であると認識しているからこそ、反対運動は盛り上がるわけである。だから、たいてい、反〇〇運動は、運動者の意図とは反対に、敵にエネルギーを与える結果となる。

現在、聖火リレーの行く先々で、反中国運動が起きているのは、それは世界が、これからの世界の覇権は中国が握り、中国こそ21世紀の政治経済大国だと信じ始めているからである。

かつての日本がそうであったように、アジアでのオリンピック開催というのは、その国の経済がこれから急激に上昇しますよ、というような合図のようなものだ。15億の中国国民が、60年代、70年代の日本の10倍くらいの熱気で、豊かになる希望と願望をいだいて、がむしゃらに走り始めているのである。

今、15億の民のその熱気に勝てる国は、世界のどこにもない。

そして、経済政治帝国は、必ず領土や支配領域を異常に拡大したがる習性があり、騒動をあちこちで引き起こす。帝国は、ほんの少しでも自分の支配領土が減るのがイヤなのであり、常に拡大しないと気がすまない。

これからの世界の政治経済映画では、世界の覇権を手放したくない沈みつつある旧帝国船(アメリカ)と、国民一丸となって上昇しようという新帝国中国とが、日本という国をはさんで、米中政治経済戦争を繰り広げるのである(現在のアメリカの頭の中では、まだ、日本、韓国、台湾までが、自分たちの支配領域となっている)。

例のごとく優柔不断な日本は、両国に利用されつつ、しかし、まあ、最終的には、中国と仲良くして、なんとかこれからの経済的苦境を乗り切ってゆくだろうと、私はそんなふうに予想している。