大言壮語の国2008年05月20日 09時39分48秒

バーバラ・エーレンライクというアメリカの著名なジャーナリスト、社会評論家がいる。彼女が、自ら単純労働を経験しながら、アメリカの単純労働者たちのワーキング・プアーの実態を描いた「ニッケルアンドダイムド」(東洋経済新報社発行)は、全米でミリオンセラーとなり、日本でも発売当初多少話題になった。

「ニッケルアンドダイムド」を読んだ印象からいうと、彼女は、私が中流アメリカ人のなかに感じる最良のもの――好奇心が旺盛で、前向きで、ユーモアがあり、何事に対しても体験してから考え、簡単には信じない精神、そして健全なる批判精神――を持ち合わせている。彼女は古きよきアメリカの良心と知性の声でもある。

その彼女が、今度は、アメリカの中流階級、ホワイトカラーの厳しい就職事情を、やはり自らが就職活動をするという経験をしながら、取材して書いたのが、「捨てられるホワイトカラー」(東洋経済新報社発行)である。

まず、最初に多くのページを使って書かれていることが、就職のためのコーチングと、就職ネットワーキングの話で、それらは、アメリカで転職を志す人たちが、最初に足を踏み入れる場所になっているらしい。

その転職のためのコーチングの中味が、中々興味深い。

自分の業績、実績をテンコモリにして書く履歴書の書き方に始まって、自分の性格分析、前向きで明るい人を演じるためのイメージ訓練、「勝者の振る舞い」を身に付ける練習、服装、化粧のための講座、自分を売り込むためのスピーチ訓練等、アメリカの就職事情をあまりよく知らなかった私には、「自分を売り込むために、ここまでやるか!」という感じである。

そして、高いお金を払っていくつかのコーチングを受けながら、同時に全米各地で開かれている様々な就職ネットワーキングに参加する。ネットワーキングの目的は、そこに参加して、有力な情報やコネを得たり、コーチングで教わった「自分を高く売りこむ」技術を試したりすることである。

しかし、それだけお金と時間とエネルギーを使っても、著者も含めて、ほとんどの人が何ヶ月たっても、望む職を手に入れることができない。絶望しながら、失望しながら、コーチングとネットワーキングの間を、さ迷い歩く人々の姿を、著者は、前著同様、共感とユーモアをもって描いている。

私が本書を読んで一番強く感じたことは、アメリカという国全体が、「自分を常により高く売り込まなければ、いけない」という思考に、徹底的にマインドコントロールされているということだ。多くのアメリカ人の心には、「自分を常により高く売りこむこと」=「自分を他人よりも、よりよく見せること」=「キャリアと年収と地位の向上」=「人生の成功」という図式が、インプットされている。

そのため、アメリカ人は、あらゆることにおいて、常に自分を実際よりもよく見せなければいけない、という強力な圧力にさらされ、人々は全体として、大言壮語の傾向がある。つまり、自分のあるがままの本当の実力・性格が、1だとしたら、それを常に言葉や態度で、2倍とか3倍に飾り立てる人たちが非常に多い。日本風に言えば、やたら「押しが強い」人たちが多いということだ。

しかし、不思議なことに、私が経験してきたことからみると、キャリアだ、年収だと、アメリカ人たちが騒ぐわりには、平均的アメリカ人の仕事の質と能率は、少なくとも平均的日本人に比べると、おそろしく悪い。なぜか、簡単なこと(と平均的日本人なら思えること)が、きちんと短時間ですまない場合が多いのだ。

若い頃、アメリカに住んだ頃から、これが、長年アメリカという国について、私がいだいてきた一つの疑問だった。なぜ、ビジネスの先進国、ポジティブ思考(大言壮語を、よい表現で言えばこうなる)の盛んな国の国民が、簡単な仕事一つ、スムーズに短時間にできないのかと。

その答えを、私は本書の中に見出だしたような気がする。

アメリカの多くのホワイトカラーは、仕事そのものではなく、自分のキャリアと年収と地位に関心を寄せている。どんな仕事をしているときでも、目の前の仕事よりも、今の会社よりも、常に自分のキャリアが気になる。どこにいてもリストラされる危険性があるので、心では、常に次の仕事や次の会社のことを考えたり、探したりしている。会社の幹部や最高責任者でさえ、例外ではない。彼らはみな、仕事よりも、転職に忙しい。

だから、実際の日々の実務的仕事の細部がおろそかになる→→会社全体の士気や売り上げに影響→→ひいては、アメリカ全体の産業にも悪影響→→アメリカ経済全体の衰退を招くという具合に、悪循環が続くのであろうと、想像できる。

自分のことをポジティブに考える――このこと自体は悪いことではない。しかし、それがあまりに過度になると、人は自分が他人に与えるイメージや印象、あるいは、それらが未来に生み出す成果ばかりが気になり、かえってストレスを生み、今目の前にある問題や仕事に迅速に対処する能力が身に付かない――ポジティブ思考も、過度になれば、ただの大言壮語、である。

本書には、そういった過度のポジティブ思考圧力によって、全体的に無能へ転落しつつあるアメリカの実態が垣間見えるようである。

さて、これを書いている朝、アメリカ大統領選の民主党のもう一人の候補、ヒラリー・クリントン氏の演説が、インターネットラジオから聞こえてきた。聞くともなく聞いていると、自分に対する超超超ポジティブな宣言(大言壮語)であふれている。

「私は、この国を変えることができます」
「私は、この国のために一生懸命働いてきました」
「私は、実績があります」
「私ほど、すばらしい民主党の候補はいません」
「私は、最高の大統領になれます」

自分の最後のキャリアとしてアメリカ大統領という職業を目指す彼女は、超ポジティブ思考の国=大言壮語の国の大統領に、まさにふさわしいかも……

コメント

_ 中 ― 2008年05月22日 23時47分03秒

すごく面白い考え方だと思いました。ありがとう。

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