反演歌的女2008年07月29日 15時45分44秒

ここ数日、夕食時、暑いので、冷たい梅酒を飲みながら、八代亜紀のCDを聴いている。彼女の歌をこうしてまとめて聴くのは久しぶりだ。自分の歌だけではなく、フォークの曲などもカバーしてあり、昭和の時代の情感があふれ、なかなか聴きごたえがある。(本当は、真夏に聴くような歌ではなく、ほとんどみな冬か秋の歌。たまたま最近CDを手に入れたので、なつかしくなって聴いている)。

演歌そのものを特別に好きというわけでもないが、八代亜紀の歌と声は、なぜか聴いていて飽きない。そして、聴きながら、いつも思うのである――演歌の中で歌われている女は、現実にはいないなあ、と。

演歌の中の女とは、おそらく、女は、こうあって欲しいという、(古い)男たちの理想・願望である。

男をいつまでも、待つ女とか、
別れたあとも、元彼を想い続ける女とか、
男にすがる女とか、
無口な女とか、

そんな女は、世界中どこを探しても、いませんってば、現実には。(「ふり」をする女は、たくさんいるかもしれないけど)。

さて、以前、八代亜紀が、テレビで面白いことを言っていたのを、私はなんとなく記憶しているのだが、それは、確か、

「哀しい内容の演歌を歌い続けるには、自分の人生は明るく健康的でなければいけない」

というような主旨の発言だったと思う。

その言葉どおり、実生活の彼女は、趣味で絵を書いたり、家庭生活を楽しんだり、女子刑務所に慰問に行ったり、すごく活動的で明るい人のようである。彼女の生き方は、反演歌的である。

歌手の中には、哀しい歌の内容に自分自身を重ね合わせて、心身を消耗する人たちも多いし、歌手のファンたちも、歌の歌詞と自分の人生・感情を同化させて、聴くことも多い。若い頃の私も、そんなふうに歌を聴いていて、そういった歌の聴き方を、ある種のヒーリングのように感じていたものだ。

でも今では、演歌のような哀しい歌は、幸福なとき、気分のいいときに聴いてこそ楽しい、と思うのである。

ということで、無口でもない女が、猛暑の夜に、「女は無口な人がいい♪♪♪」(舟唄)と、ハッピーに口ずさんでいるのであります……

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