「霊と金」2010年04月15日 22時01分51秒

「霊と金」(櫻井義秀著 新潮社)というタイトルの本がある。最初、このタイトルを見たとき、「なんだ、このタイトル!」と思ったものだ。私は本書を実は読んでいないのだが、読んだ人からの話、そしてネットで調べた情報で、だいたい何をテーマに書かれた本か理解した。内容は、スピリチュアル世界の拝金主義について批判した本のようである。だから、本書のタイトルは、本当は「スピリチュアル・ビジネスとお金」くらいのほうが正確であろう。

霊と金――はっきり言えば、この二つには何の関係もない。スピリチュアルという言葉の英語、Spiritual、 さらに、その元の英語のSpirit 、これらの言葉が純粋な意味で指し示しているものほど、お金と無関係なものはない。

スピリチュアルは、本当は普通の意味でのビジネスができないものなのだ。知識程度なら、本に載せて売れるだろうが、本質的なものは決してお金では売買することができない(これは私自身の観念なので、異論は様々あろうとは思うけど)。本来、お金で売買できないものを、売買しようとする――そこにスピリチュアル・ビジネスの矛盾と困難があると、私はずっとそう感じてきた。

もしスピリチュアル・ビジネスが本質的なものを売れないとしたら、そういうビジネスに携わっている人たちは一体本当は何を売っているのかといえば、

*娯楽(有名な先生を見にいく等の娯楽)
*スピリチュアル・オタクが集まって交流する場(趣味の交流会のようなもの)
*色々なワークの経験(色々なグルメを試すのと同じ)

などで、会費とか参加費というのは、以上のような場をコーディネート・セッティングして、提供している代金である。

スピリチュアルな探求を始めてしまうと、人はたいてい孤独になり、話す相手がいなくなり、今までの友人や家族と関心が合わなくなる。同じ関心を共有する人たちと話をしたり、交流したりしたいと思うのは、人としては自然であろう。

そして、そういう場を求める人たちがたくさんいれば、そこにビジネスが生まれ、そういった娯楽や場を提供しようと思う人たちもたくさん出るのも必然で、それが今日のスピリチュアル・ビジネスの盛況である。

で、その娯楽代をどれだけの金額で売る(提供する)のかというのは、主催者、団体、やっている人たちのお金についてそれぞれの考え方と都合によるのである。「無料」、「少額」、「普通」、「高額」と、いろいろあるが、それらは、内容とはほとんど無関係であり、また、どれがよくてどれが悪いというわけでもない。

いつだったか、知人(外国人)から、こういう話を聞いたことがある。その人の友人が、どうしても悟りを得たいと思い、自分のところへ来れば、悟りを伝授すると公言しているあるインドの導師のところへ、百万円を払って、修行に行ったという。でも、悟りも何にも起きなくて、がっかりして帰ってきたそうである。

「悟りを、お金で売買できる」――同じ観念を信じる者たちの、楽しい神のリーラ(娯楽)なのだ。

私の経験からいっても、ある意味では、スピリチュアルなワーク・修行は、ギャンブルである。つまり、参加するほとんどのものが自分にヒットしない。だから、スピリチュアルな会・ワーク・セミナー、修行の場に参加する人たちは、自分がスピリチュアルな娯楽にいくらまでならギャンブルできるのか、そのことを心に留めておく必要があるのではないかと思うのである。その金額の上限も、やはり人によって様々であろう。

こんな話を書いていたら、過去三十数年間に、スピリチュアルな娯楽に自分がいくらくらいお金を使ったか、ついでにちょっと思い出してみた。ざっと計算したところ、だいたい1,500万円から1,700万円くらいの感じだ――本代、セミナー・ワークショップの参加費、通信コース、旅費、寄付、それから詐欺めいたもの(?!)――もっと使ったと思っていたが、案外少ない。

私自身は、スピリチュアルな探求に使ったお金を一度も後悔したことがないし、ほとんどが自分にはヒットしなかったとはいえ、たくさんの楽しい場(娯楽)を提供してくださった人たちや団体、出版社にとても感謝している。

霊と金――霊は、お金を必要とはしないが、霊的なことに関わる人間たちはお金のやりとりを必要としている――まあ、そんなところなのだ。


[イベント]
2010 年4月18日(日)午後
「私とは本当に何かを見る会」(東京)詳細は下記のサイトへ。
*「頭がない方法」サイト
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/event/event.html
または
*「シンプル堂」サイト
http://www.simple-dou.com/CCP006.html