怠け者系情熱論―情熱は自然に出てくるもの2013年07月12日 11時39分37秒

皆様、暑中お見舞い申し上げます。くれぐれも心身ご自愛ください。


先日、私が主催したワークショップのあとで参加者の皆さんとお茶を飲んでいたとき、たまたま、情熱についての話が出た――情熱を喚起するような、情熱のスイッチをいれるような、何かノウハウ、方法があるのかと。

私の経験から言えば、情熱を喚起する方法、ノウハウはない、のである。情熱を定義するとすれば、それは誰かから教えてもらったり、学んだりするものではなく、気がついたら、自分がそれをやっている――それが情熱の正体であり、それは自分の中から自然に出てくるもので、コントロールすることも、学ぶこともできない。

情熱は、あるときには、あるし、ないときには、ない。そういう単純なものだ。さらに、自分の夢や情熱を実現する既成の方法やノウハウもない、のである、本当のところは。情熱は自然に出てくるか、それともないかの、どちらかである。

世間は、スポーツ、ビジネス、自己啓発、芸術等の分野で、情熱をもってテンション高めで、外向きに活躍している人たちを称賛するものだが、彼らは少数だからこそ、称賛されるのである。何かを成し遂げた人たちからの、特に若者に向けた「夢をもちなさい」というメッセージはかっこよくはあるけれど、「夢をもて」と熱く言われたからといって、大きな夢や情熱が出てくるわけでもないのだ。

そもそも多くの人たちの情熱は、そんな派手なものではない。たいてい、人は小さい情熱(一般には趣味とか「好きなこと」、と呼ばれている)をいくつかもって、それを楽しんで平穏無事に生きている。

私が思うには、誰にとっても、情熱なんて、めったに出てこないものであり、人は、たいていのとき、たいていのことには、たいして情熱がないのが普通であろう。私にしても、若い頃から本日まで、本を読むこと(今はその情熱さえもかなり低下しているが)も含めて、わずかなことにしかやる気がない。たいていのときは、テンションが低い。

最近、ネットで、自己啓発系の専門家の方が、夢や情熱を実現することに関して、興味深いことを書いていた。それは、「自分は何々をやりたい、何々になりたい」と言う人に、「では、あなたはそのために、具体的に何をしていますか?」と尋ねると、「何もやっていないし、その方法がわからないのです」と言う人が多く、そういった人は、方法論だけを探し求めて、あちこちの自己啓発セミナーを渡り歩くけれども、夢の実現からはほど遠い、という主旨の話である。もし方法が自分の中から出てこないのであれば、それはその人の本当の情熱や夢ではないだろうし、たぶん、こういう人たちの場合、方法論収集が最大の情熱であるともいえる。

方法論中毒―それは私にもあてはまったことだ。私は難解な哲学、宗教、科学の本と同じくらい、一時間程度で読めるあらゆるジャンルの実用書、ビジネス本、ハウツー本を愛読していた頃がある。今だって、時々は読むこともある。が、本で語られている方法を実際は、ほとんど実践したことがない(笑)。で、あるとき私はやっと理解した。私の情熱は、何かになりたいわけでもなく、何かを実現したいわけでもなく、ただ座って本を読んで、色々なことが知りたいだけ、なのだと。

他人から見れば、座って本を読むなどというのは、たいした情熱だと思えないだろうし、自分から見ても、それが情熱だとは長い間気づかなかったが、私の人生はその私の情熱を支援し続けてきたし、結果的にはその延長で、仕事もしてきたわけである。

だから、自分から見て、たいしたことではないと思えることでも、長く続くことなら、それが情熱かもしれないし、それが何か(仕事とか自分の人生の使命とか天命)に花開いていく場合もある。

最終的には、外側から学んだものと自分の経験と自分の中から出てきたものが、時間をかけていわゆる醸造され、あるときちょうどほどよく調和するとき、その人にとってうまくいく方法が生まれるのだと私は思っているが、それがいつになるのか、誰にもわからない。

私が今日、この話を書こうと思い立ったのは、情熱ややる気がないことで、自分を叱りつけている人たちがたくさんいるように感じるからだ。スピリチュアルな探求とは、ある意味で、外側への情熱がしだいに薄れることでもある。だから、外側で何かをしたいとか達成したいという気持ちが一時的か長期的になくなる場合もあり、それも普通である。要するに、私が言いたいことは、情熱を無理やり探したりする必要はなく、また何かをしたいと思いながら、やる気がでない自分を叱ったりする必要もなく、やる気がないなら、ないままに、テンションが低いなら低いままで、最低今日やるべきことをこなしながら、のんびりしていればOKではないか、ということである。

以上、怠け者系情熱論でありました。


★★「私とは本当に何かを見る会」2013年7月21日(日曜日午後)(東京)http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank014.html




マイ・ブーム--「名探偵モンク」2013年07月29日 09時33分44秒

蒸し暑くて、長い文章を書く気が起きないので、今回は、たわいもない「マイ・ブーム」について。 

「マイ・ブーム」という言葉は、「自分だけで個人的に盛り上がっている 」ぐらいの意味で使われてるようであるが、昨年から「マイ・ブーム」状態のドラマがある。アメリカで2002年から2009年、日本では2004年から 2010年に放映された、「名探偵モンク」というミステリー・ドラマである。私は普段ほとんどテレビを見ないので、この作品を知ったのは、昨年レンタルショップでたまたま借りたからだ。 全124話中、100話以上はすでに見終わったから、相当はまって見ている感じである。活字に飽きたときに、見るのにちょうどよい長さ(45分)と内容のドラマなのである。
  
名探偵というと、体力と気力と知力にあふれ、颯爽としてかっこいいのが普通であるが、モンクは、そこが今までのミステリー・ドラマとまったく違って、知力以外は、まったくダメな探偵である。30以上のphobia(恐怖症)をもち、対人恐怖症で、妻を殺害されたトラウマで、しばしば落ち込み、アシスタントがいないと何もできず、精神科医のところへ定期的に通い、犯人にはしばしば馬鹿にされ、ときには捕まえられる。高機能アスペルガー症候群であるゆえの超人的記憶力と論理・推理力で、難事件を解決し、そこだけはかっこいいのだが、あとはすべてにおいてダメなのだ。周囲の空気をあまりに読まない(読めない)ことから生じる彼のダメさぶりと、その抜群の記憶力と論理力のギャップがもたらす、ドタバタ、可笑しさがこのミステリーの売りである。
 
私がやはり昔よく見た「刑事コロンボ」と比較すると(作りが似ているので、比較されることもあるらしいが)、ミステリーとしての緻密さはいま一つな感じであるが、そこを補って、モンクの変人キャラクターと彼をめぐる周囲の人たちの温かさと、サンフランシスコ(昔、この周辺で少しの間暮らしたことがあるので、なつかしい)の明るい風景が、楽しい。

 「名探偵モンク」もそうであるけど、ドラマの設定、ヒーローやヒロインは、たいていはこんな状況や人はまず、私たちの普通の日常には絶対にあり得ないだろうという非現実的なものが多い。しかし、俳優たちとそのドラマの中のキャラクターがピッタリと合うとき、非現実的な話が、なぜか非常に現実感が出てくるのが、ドラマの魅力である。主演のTony Shalhoub が、モンクにピッタリ。
 

以上、マイ・ブーム、特におすすめというわけでもないですが、真夏の暇つぶしにはよいかも、です。

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*8月はブログをお休みします。皆さん、ゆるくのんびりとお過ごしください。