グル(先生)-弟子(生徒)関係の苦痛2014年07月30日 07時10分19秒

暑中お見舞い申し上げます。

スピリチュアルな探求において、グル(先生)がほしいと思っている人たちはけっこう多くいるように感じる。それは逆から言えば、誰かの弟子(生徒)になりたいという願望である。インドの霊的伝統などでは、 グル-弟子の美しい関係はよく語られるところだが、私が見てきたところによれば、実際はスピリチュアルな場において、グル(先生)-弟子(生徒)の関係は苦痛な結末のほうがはるかに多い。

今回、なぜグル(先生)-弟子(生徒)関係について突然書こうと思いたったのかというと、先日、私の会でバイロン・ケイティのワークについて話をするにあたって、ネットで彼女の活動の最新情報を調べていたとき、奇妙な記事に出会ったからだ。それは「Byron Katie & Janaki」 というタイトルの90ページあまりにわたるPDF版の記事(英語)で、Janakiという女性が、自分とバイロン・ケイティとの12年にわたる個人的関係を報告というか暴露した記事である。

Janakiという女性はバイロン・ケイティに出会い、彼女に「恋に落ちて」、彼女の活動の無給スタッフになり、やがて有給スタッフになり、さらには会社まで立ち上げて、彼女のセミナーを販売する活動に奔走する。その一方、関係の当初からバイロン・ケイティの言葉に時々疑問を感じたり、傷ついたりすることも多々起こり、さらには自分の夫が作曲した音楽をバイロン・ケイティがセミナーで使ったり、そのCDを販売したりしても、印税を払ってもらえず、印税を要求したら、「強欲」と非難された話、さらにはバイロン・ケイティは「1986年の目覚め以来、私は一度も怒ったことがない」と公言しているにもかかわらず、彼女は時々バイロン・ケイティが苛立ったり、怒ったりしているのを目撃した話、あるいはバイロン・ケイティは「自分はスピリチュアルな本を一度も読んだことがなく、ワークはまったくのオリジナルである」 と言っているにもかかわらず、実際は彼女は「奇跡のコース」 やその他のスピリチュアルな本を読んだことがあるはずだという昔の友人や元夫の言葉の引用などなど、そういった12年にわたって自分とバイロン・ケイティとの間に起こった出来事の詳細が書き連ねられている。

結末は、彼女とバイロン・ケイティとの間の齟齬が広がり、2008年に突然彼女はバイロン・ケイティの団体から名前の登録をはずされ、そのせいで、彼女はお客の85%を失う羽目になったということである。

この記事は、芸能週刊誌でたまに見かける暴露記事のレベルであるのだが、同時にスピリチュアル系グルが有名になり、その組織が拡大し、人とお金がたくさん入ってくるときに、どういう問題が起こりうるのか、そして、人間のマインドがグルをアイドル(偶像)化し、その称賛と非難を繰り返すこと、そして、グル-弟子関係の苦痛についても多くを報告している。

しかし、そういったことよりも、私がこの記事を読んで一番驚いたことは、この女性が長年、バイロン・ケイティのかたわらで仕事をし、自分でもワークを教え、セミナーを販売したりしていたにもかかわらず、二人の関係の問題に関して、ワークがまったく役立っていないようだということだ。この記事を書いた時点で、彼女はまだ関係の傷を抱えたままである。彼女は最初から自分はグル(この場合はバイロン・ケイティ)の愛情や承認が欲しくて、それが活動に奔走する動機だったと正直に認めてはいるが、そいういった承認欲求がこの記事を書いた時点でさえ、まだ手放せていないのも驚きである。こういう形で世間に自分の思いを公表することで、バイロン・ケイティとの関係に求めて満たされなかったその承認を世間に求めているような感じする。(承認欲求を手放すためには、バイロン・ケイティのワークよりも、セドナ・メソッドのほうがJanakiさんには向いているのでは? と思ったものだ)。

想像するに、二人は人間的にお互いを非常に好きだった、つまり、非常に気が合う女友達のようであったことも読み取れ、だからなおさら、この記事は少々切ない。彼女は自分はバイロン・ケイティを今でも愛しているし、感謝もしていると書いているが、もし本当にスピリチュアル的な意味での愛と感謝が起こっているなら、こんな記事を書いてはいないだろうというのが私の率直な感想である。

私自身は、バイロン・ケイティにはいい印象をもっているし(一度だけセミナーに参加して、ほんの数分お話したことがある)、ワークについても高く評価しているし、こういう記事を読んだあとでも、彼女とワークについての私の評価は変わることはない。ただ、バイロン・ケイティも含めて、スピリチュアルなグル、先生、賢者でさえ、時には愚かしく、たくさんの間違いを犯すこともこの記事は教えてくれ、そして、スピリチュアルな組織が大きくなるとき、共通して抱える問題も描写している。つまり、本質的なことがどうでもよくなって、些末なこと(お金、名声、組織の拡大、グルの愛情)が重要になり、組織内部はその些末なことを防衛しようとしたり、それをめぐって争うようになってくるということである。
 
それから、私がもう一つ驚いたことは、このJanaki という女性が、バイロン・ケイティとの関係のかなり初めの頃から、 バイロン・ケイティの言葉に傷つき、色々と疑問を感じているにもかかわらず、12年も関係を続けたことだ。疑問があるということは、信頼がないということであり、信頼がなければ、どんなワークも仕事も苦痛であり、うまくはいかないのは当然であろう。

スピリチュアル系の団体や人(たち)と関わるときに、私がしだいに学んだことは、仮にどれほどワークがいいものでも、その人(たち)が言っていることが素晴らしいことであっても、その人や組織に疑問を感じたら、さっさと縁を切ったほうがトラブルを招かないということである。そのとき、自分の疑問、考えや感じが正しいのか間違っているのかはどうでもいいことで、疑問を感じる(つまり、信頼がない)こと自体、いかなる理由でも、自分とそこ(その人)が合っていないという意味だと理解した。この考えはおおむねうまくいったと思っている。

私に関して言えば、特定の誰かの弟子(生徒)には絶対にならない(なれない)と思っていたにもかかわらず、いつのまにか「非二元系の教えの弟子」のようになってしまったのは不思議なことである。そして、「弟子である」ということについて感じることは、「非二元系の教えの弟子」であることさえも、特定のグルの弟子であるほどではないとしても、ある意味では困難や苦痛はたくさんあるということである。それはたぶん、前にも書いたことがあるけれど、非二元系の教えは、マインドの傾向と願望に反してるからだ。ダグラス・ハーディング自身、常々こう言っていた。「私とは何かを見ることは簡単である。しかし、それを生きることは非常に難しい。だからそれを生きることが『修行』である
 
そのダグラスの言葉どおり、バイロン・ケイティと Janakiにしても、自分たちの教えを生きることが時には難しかったようだし、そういった困難は非二元の教えに本気で突き進もうとするほとんどの人に待受けているものである――でも、誰がかまうもんか!?…… ですかね。

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コメント

_ たん ― 2014年08月09日 19時41分00秒

はじめまして。
ここに書いてあるバイロン・ケイティの話はびっくりすると同時に、もとから彼女の言ってることがイマイチ腑に落ちなかったのはある程度理由があったのかなと思いました。

なんていうか、彼女の言ってることは、自己を制限する信念を新たに刷り込んでるだけのように感じていました。
同じことは最近非二元の教師が自殺した話でも感じました。

セドナメソッドのように非二元の教えが富を得ることや健康になることにつながっていくようでないと、つまり色即是空だけではなく空即是色の側面も持ってないと、そういった教えは生きていく上で役に立たないガラクタになってしまうんじゃないかな~と感じています。

_ GA ― 2014年08月17日 19時25分00秒

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