鯖缶の思い出 ― 2019年01月17日 09時11分50秒
皆様、明けましておめでとうございます。今年も気楽に気ままに、ブログを書いていきたいと思います。
お時間があれば、お付き合いください。
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年末年始においしいごちそうをたくさん食べて(食べ過ぎて)、幸せ太りの中で今年最初のブログを書き始めている。
ものすごく久しぶりに食べ物の話を書いてみようと思う。
最近、スーパーへ買い物へ行くと、鯖の水煮缶が時々売り切れている。一つのスーパーだけじゃなくて、どこのスーパーでも。鯖缶、そんなに人気なのかと思っていたら、ネットに「国内の鯖缶の売り上げがツナ缶を抜いて、缶詰部門の一位になった」という記事が出ていた。
「やったね、おめでとう!鯖缶」と、ちょっとうれしい気持ちがわき起こった。別にツナ缶が嫌いなわけではないし、ツナ缶だって鯖缶と同じくらい好物なのだけれど、ただ鯖缶には、特別な思い出と思い入れが私にはある。
子供の頃、私の家ではめったに肉を食べなかった、というより財政的理由で買うことができなかった。当時まだ肉は高価だったからだ。卵だって今より高級だったから、それほど頻繁に食卓には出てこなかった。そんな中で、卵、肉より私には鯖缶料理を食べた思い出のほうが強く残っている。
母が料理雑誌から見つけた鯖缶レシピをあれこれ作ってくれ、私たち子供たちは母の作る鯖缶料理が大好物だった。
そしてその中でも、みんなが一番好きだったのが「鯖缶ハンバーグ」というレシピで、鯖缶に野菜(タマネギ、ニンジン、ピーマンなど)のみじん切りをただ混ぜて、フライパンで焼くだけの簡単な料理だ。いつ食べてもおいしかったし、中学・高校のお弁当のおかずにもよく入っていた。
そんなわけで、高校を卒業するまで、私は、ハンバーグとは鯖缶で作るものだとずっと思いこんでいた。私の家は外食をしない家だったので、世の中のレストランでどんな食べ物が提供されているのか、今でいうグルメ情報を私はまったく知らなかった。
大学生になって、生まれて初めて肉のハンバーグを食べた日、「ええ?ハンバーグって本当は肉料理なんだ!」と知って、自分の無知を恥じた。自意識過剰の当時は、自分の無知が発覚するたびに劣等感で気分が落ち込んだものだ。
鯖缶ハンバーグ――今でもとても好きなのだが、自分一人のときはめったに作らなくなった。その理由は、野菜のみじん切りが面倒くさい(愚)。でも母の家にいるとき、たまに作り、先日も久しぶりに作った。今は(財政的に昔より豊かになったので)、鳥肉のひき肉も少し加えるアレンジもしている。母に「お母さん、昔、これよく作ってくれたよね」と言うと、母は、「そうだったかね。よく覚えていないけど」と言いながら、おいしそうに食べてくれる。
思い起こすに、大人になってから、体の不具合・不調は色々多々あったし、不摂生の時代もありながら、この年までなんとか大病せずにすんだのは、子供の頃の鯖缶レシピを含む母の手料理のおかげでもあったにちがいないと私は確信している。
食生活に関しては母は私のグル(先生)だ。母は今は自分ではほとんど食事は作らなくなったが、「主食・おかず・野菜・果物(それにお菓子)などをバランスよく食べる」という食生活を今も忠実に守っている。
母の言うことをほとんど何一つ聞いてこなかったので、せめて食事くらいは母の教えを実践しようとはずっと思ってきたが、なかなか理想どおりにはいかない。「毎食ちゃんと作る」はけっこうハードルが高い。めざすは「シンプルでおいしく、自分の体に合う」食事を試行錯誤する日々である。
ちなみに私が最近よく作る超シンプル鯖缶メニューは、キムチ・鯖缶鍋というもので、ただ土鍋にキムチと鯖缶と木綿豆腐(と醤油を少し)を放り込んで熱くなるまで待つだけのものだ(最後に、ネギとチーズもあればたいていは入れる)。「キムチ・鯖缶・木綿豆腐」が嫌いではない方には、とてもお薦めの冬メニューである。(レシピの詳細はネットにたくさん出ています)
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2019年3月10日(日曜日午後)「非二元の教えを生きる会」」(大阪府茨木市)
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本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。
1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!
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カルマ(1) ― 2019年01月31日 07時29分41秒
たまに、「カルマって、あるんですか?」とか、「カルマって、何ですか?」というような質問を尋ねられる。スピリチュアルな探求者の方々は、その人がどんな種類の教えの元で学んでいても、私も含めてたいていカルマの話題に関心をもっている。
まず、「カルマって何ですか?」への私の答えは、「人間肉体精神器官が行なったことの影響」というものだ。もっと平たく言えば、「人間物体としての自分が行なったことの影響が、戻って来る」というブーメランのようなものだと思えば、わかりやすい。
そして、「カルマって、あるのですか?」への答えは、「イエス」である。人間肉体精神器官にはカルマがある――私がそう言うのは、本からの知識と人生経験からの両方から来ている。
仏教ではカルマを「業(ごう)」と呼び、次の三つに分類するそうだ。(という話を、先日参加したある仏教の講座で教わった)
1.身業(しんごう)…体で色々やること。
2.口業(くごう)…口で色々しゃべること。
3.意業(いごう)…心で色々思うこと。
2.口業(くごう)…口で色々しゃべること。
3.意業(いごう)…心で色々思うこと。
上記の1と2については説明もいらないと思うし、スピリチュアルな探求をしていない人たちでさえ、身体を通じた行為、言葉による行為の善悪をよく知り、(自分がしたことが自分に返ってくるという意味の)因果応報とか自業自得などという仏教系の言葉は庶民レベルでもよく使われている。
問題は、3の「意業(いごう)…心で色々思うこと」で、スピリチュアルな探求を始めて、人はようやくこのレベルを意識する。自分のマインドの中に日々、毎瞬、どんな思考や感情が湧き起っているかに気づくことは、それそのものが大変な修行で、瞑想である。
1と2のレベルでは善人でとおり、自分でも善人だと思い込んでいる人たちの中に、3のレベルでは憎しみ、悪意、嫌悪、優越感、劣等感、プライド、罪悪感、嫉妬、いわゆる負の意業を蓄積している人たちが世の中には非常にたくさんいる。というより、自分のマインドに気づかないかぎり、誰でもこういった無意識の負の感情の奴隷になってしまいがちである。
このレベルのカルマはどう作用するかと言えば:
たとえば、自分の世界にあるもの、自分が日々目にするもの(家族、隣人、同僚、仕事など)を嫌いながら、憎みながら、生きているとすれば、その嫌悪や憎しみは自分への「攻撃」となって将来戻って来る可能性が高いということだ。ここで「可能性」という言葉を使うのは、そういったカルマの法則は絶対ではないし、必ずしも本人に戻ってくるわけでもないからだ。
ただ、今言ったことは、私自身の経験からも、そしてある程度長い期間(数十年くらい)知っている人たちの人生を眺めて、おおむね確信したことである。
世の中には、「自分はこんなに善人で、他の人のために尽くしてきたのに、なぜ他の人から、家族から親切にされないのか、なぜ自分はこんなに不幸なのか?」と嘆いている人がいる。不幸とまではいかなくても、不満を抱いている人はさらに多くいる。私にも高齢のそういった知り合いの方がいる。長年一生懸命家族のために働いたあげく、高齢で家族との不和はお気の毒な感じなのだが、たぶんその方の心の中の長年の意業の影響かもしれないと私は想像している。
先日読んだ新聞の悩みごと相談に、「夫が大嫌い」という中年の女性の投稿があり、「子供のために夫からのパワハラに耐えているが、どうしたらいいか」という相談であった。回答者の社会学者の上野千鶴子さんは、「母が受けている面前DV(家庭内暴力)は子供への虐待である」と言い、子供のためにも別居を勧めている。
カルマの観点で言えば、この女性がこれからもパワハラに耐えて表面的には善き妻、善き母親を演じるとしても、「夫が大嫌い、夫が憎い」という意業の蓄積は、自分と子供に将来逆風となって、戻ってきて、「子供のために頑張ったあげく、どうして私はこんなに不幸なのか」と嘆く羽目になるだろうと予測できる。
別居あるいは離婚して頑張るのもそれは大変だろうけど、人を憎まずにすむ選択をするほうが、否定的な意業を蓄積するよりははるかによいことだろうと私は思う。もちろん、こういう場合、離婚・別居が問題解決のすべてではない。もしこの方が自分のマインドの中味に気づき、それを見ることができれば、そこに解決のヒントがあるはずだが、ほとんどの人はそうはしない。
話をカルマ全体に戻そう。カルマについて理解すべき第一のポイントは、「人はそれを止めることができない」ということである。いわゆるよいことにしろ、悪いことにしろ、人間肉体精神器官は活動するようにできている。身業(しんごう)と口業(くごう)のレベルでは、ある程度抑制というかコントロールもできる、つまり、できるだけ悪いことを慎み、人の悪口や批判は言わないように(笑)努力することもできるが、さて、意業(いごう)はどうやってもコントロールできない。
マインドの中で起こること(思考、感情、感覚など) は瞬間的に起こり、その多くは人間肉体精神器官の(生まれつきの、そして幼少期から今まで生きてきた環境からの)プログラミングによっている。
私たちのマインドは自分の世界にわき起こる物事の中で、好ましいと思う物事には執着し、好ましくないと思う物事は嫌悪し否定する、それがマインドの性質だ。 マインドとはそういうものなので、マインドをそうでないものに変えることはできない。
私たちにできることは、 マインドの中で起こることにただ気づき、 それを掴んで振り回して、増幅しないようにすることだけである。イヤなことが起きて、「こういうことは起こるべきでない」「物事はこうあるはずだ」「人々はこう振る舞うべきだ」 という一瞬の思考を掴んで振りまわせばまわすほど、「起こるべきでない」こととの闘いに消耗したあげく、「起こるべきでないこと」はますますしつこく居座り、私たちの気分は落ちみ、否定的な意業(いごう)を蓄積する。
パソコンは故障し、停電は起こり(数日前)、物事は予定通りにいかず、老化は進行し、数学の問題はほとんど解けず(笑)……私の世界も、そしてたぶんこれを読まれている皆さんの世界も日々練習(修行)材料には事欠かないはずである。
[吉田エリ様へのご質問の答え〕
申し訳ないですが、聖霊について書いた時点にまでマインドが巻き戻らないので、私の解釈と吉田様の解釈が同じかどうか、正確にはわからないです。一般的にこういった宗教的・形而上学的疑問、質問は、自分が納得・確信するかどうかだけが問題で、他の誰かの解釈と同じかどうかはあまり気にされる必要はないのでは、と思います。
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2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!
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