The Thunder of Silence(2) ― 2022年10月15日 10時24分39秒
昨年に引き続きジョエル・ゴールドスミス(1892~1964)の本を日本に紹介できることを、とてもうれしく思っている。
私がどうやってジョエル・ゴールドスミスの本に出会ったのかについては、昨年出版された『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(ナチュラルスピリット発行)の紹介のときに書いたので、まだ読んでいない方は過去のブログをお読みいただければと思う。
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(1)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(2)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(3)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(4)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(5)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(6)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(2)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(3)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(4)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(5)
『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(6)
今回のThe Thunder of Silence(静寂の雷鳴)は彼の1961年の作品で、『スピリチュアル・ヒーリングの本質』(ナチュラルスピリット発行)よりもあとに出版され、私が読んだ彼の本の中で、一番コンパクトに彼の教えの真髄がまとめられているという印象がある。ただ、本書では、『スピリチュアル・ヒーリングの本質』とは違って、ヒーリングそのものについてはあまり語られていない。
本書の主なるテーマを列挙すれば:
1神とは何か?
2二つのパワーを超える。
3「カルマの法則」から、「神の恩寵」への移行。
4新約聖書の山上の垂訓のメッセージ。
2二つのパワーを超える。
3「カルマの法則」から、「神の恩寵」への移行。
4新約聖書の山上の垂訓のメッセージ。
もちろん、上記の4つのテーマは緊密にリンクして、もし一つのテーマを完全に理解できれば、他のテーマを理解するのはそれほど難しくはないだろうと思う。
今日は、まず1の「神とは何か?」について:
ジョエル・ゴールドスミスが語る神を一番シンプルに定義すれば、「神とは善悪を超えた創造原理」というようなものだ。本の中で彼はあらゆる角度から神について語っているが、「創造原理」というのが一番宗教的な感じがしなくて、私はこの表現が好みである。
「創造原理」――神は人間の支援なく、壮大な宇宙を統治・運営する原理。そして、神の創造には善悪がない。これを突き詰めていくと、人間が悪だと思っているもの、悪人から害虫、ウイルスに至るまで、あるいは、病気、戦争、自然災害でさえ、神の観点からは「悪」ではない。
反対に、人間が善だと考えることさえ、善ではない――神の世界では善人もいないし、自分が大喜びするような出来事も善ではない。
そして、神についてジョエルゴールド・スミスが語る二番目に重要な点は、神とは「私」である、ということだ。ただし、この「私」は、鏡に映るような人間、ジョンとかメアリーのことではなく、あらゆる人の本質、人だけでなく、あらゆる生きとし生けるものに共通する根源的本質である。
だから彼は、「私」は神である、と教えたが、一方で、自分の教え(彼の教えは「無限の道」と呼ばれている)を学ぶ生徒たちには、「私は神である」と言うことを禁止したという。その禁止の理由を彼は、人が、「私は神である」と言うと、すぐにそれを鏡に映るような人間、ジョンとかメアリーである自分が神だと誤解し、秘かなプライドをいだくようになるからだ、と説明している。
そして、すべての救いはこの神なる「私」と触れ合うこと、そこに定住することであり、それが「神の王国」に住むということであり、神の王国ではそこの住民は、「神の恩寵」が約束されている。
しかし……神の王国に住み、神の恩寵を受け取る前には、人間のマインドにとって、非常に大きな障害を乗り越える必要があり、それが、上記2の「二つのパワーを超える」であり、ジョエル・ゴールドスミスがマスターと仰ぐ、イエス・キリストの(人間のマインドには非常に厳しく聞こえる)山上の垂訓のメッセージである。
ジョエル・ゴールドスミスの言葉
「神は私たちが正義、愛、慈悲だと考えるものを受け入れません。しかし、私たちが静かな小さい声を聞こうとするなら、神は神自身の正義、愛、慈悲を私たちに分け与えてくれることでしょう」
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『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです
会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)
『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)
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