賢者たちの考え方と表現の違い ― 2024年05月01日 09時44分54秒
[イベント】
◎リアルの実験会「私とは本当に何かを見る実験の会」
2024年5月7日(火曜日)午後1時半から午後4時半頃まで
場所:東京都新宿
◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2024年5月16日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究――「主体」として生きる」
[お知らせ]
先日、ニサルガダッタ・マハラジなどのインド系の賢者と、トニー・パーソンズの教えの違いについてのご質問をいただいた。
私の理解によれば、それが真正の非二元系(ノンデュアル、アドヴァイタ)の教えであれば、古代のイエス・キリスト、仏陀から、現在の様々な賢者たちにいたるまで、本質的には、皆さん同じ真理を教えているはずである――「すべては一つであり、本質的には分離がない」
しかし、たとえば、愛を強調する新約聖書と空(くう)を強調する般若心経を読んで、両方が同じことを言っていると理解するのは、けっこう大変なことだと思う。あまりに言葉の表現が違うからだ。
そして、その言葉の表現が違い、それを様々な人たちが解釈するゆえに、時代を経るにつれて、いわゆるそれぞれの宗教はお互いに相い入れないまったく別の物となり、平和を説く宗教が皮肉にも、いつの時代でも戦争の種となっている。
私たちが現代の非二元系の賢者たちの言葉を読むときも、表面的な表現の違いではなく、彼らが共通して伝えようとしていることの本質を理解する必要がある。そして、彼らが説いている真理の本質は同じであっても、では、その真理をどうやって理解するのか(認識するのか)に関する方法論については、かなり異なっている。真理に至る方法論をすべて否定する賢者から、瞑想、グルへの帰依を強調する賢者から、またハーディングのようにグル‐弟子関係を無価値なものとして否定して、一人で手軽にできる実験を開発した賢者もいる。
彼らの言葉や考え方が多様なのは、彼ら自身の生まれつきの気質、育った環境、文化・時代、そして彼らが話しかけた人々が異なるからである。そして、そういった賢者の言葉を聴いたり、読んだりする人たちの気質、育った環境・文化も様々である。現在では、世界各国のあらゆる教えを読んだり聴いたりできるという状況にはあるが、最終的には、自分と相性のよい少数の賢者(本や言葉)を選ぶというのが、賢明なことだと思う。
それと少し話が横道にそれるが、有名な賢者の皆さんは、お互いをほとんど認めないことがよくある(笑)。私が若い頃、J.クリシュナムルティとオショー(ラジニーシ)の間の相互批判は、オショーの弟子たちとJ.クリシュナムルティの信仰者を巻き込んで、けっこうな騒動であったし、J.クリシュナムルティともう一人の有名な賢者、U.G. クリシュナムルティの間の確執も、インド系スピリチュアル業界では有名な話だった。
ダグラス・ハーディングにも、J.クリシュナムルティの教えを批判的に書いたエッセイがあり、また彼が、U.G. クリシュナムルティやラメッシ・バルセカールの教えに関して否定的なコメントをしているのを、私は読んだことがある。
つまり、有名な賢者の皆さんも、物事への好き嫌いがけっこうあったり、教えに関して頑固だったり、文化的時代的偏見だってもっている。私が非二元系の賢者の本を読むときは、彼らの個人的好き嫌い、時代的文化的偏見は、重要じゃないものとして、基本的に無視(笑)して読んでいる。
最後に、読者の皆さんには、非二元系の翻訳本をたくさん買っていただいて、改めてお礼を申し上げます。もしたくさん読みすぎて混乱している方がいれば、先ほども書いたように、相性のよいものを少数選んで、繰り返し読むことをお勧めします(その他の本は古本に出してもいいし、本棚に余裕があれば、いつか読むためにとっておいてもいいかもしれない)。
[昨年出版された本]
[その他の本]
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