『Doosri Maa(もう一人の母)』2 ― 2026年05月28日 06時55分50秒
まだ『Doosri Maa(もう一人の母)』のドラマを見続けている。私がこのドラマにはまっている理由は前回書いた。インドのホームドラマでありながら、このドラマの登場人物たちは世界のどこの国のどこの家庭にもいる人たちで、彼らがいだく感情も普遍的だ――不満、嫉妬、プライド、罪悪感、劣等感、正義感、憎悪、嫌悪、善意、愛情、特定の人へのアイドル化など(←非常におおげさに描かれてはいる)。そして、家庭の中の大きな問題は、実は長い年月の間の小さい不満、隠し事、人間関係の歪みが積み重なって、ある日突然のように炎上する様子もよく描かれている。
私の子供時代(←昭和時代)を思い出せば、このドラマの中の登場人物に似ている大人たちが私が住んでいた環境(家族、親族、近所)にもいた(←ただし資産家ではなく、非常に庶民的環境)。そして、彼らはそれぞれの人生で、よいことにしろ、悪いことにしろ、自分の感情的カルマ(ドラマ)を生きたようだ。
このドラマの中で100%悪意の登場人物、ヤショーダとクリシュナの天敵を演じるのは、この資産家の長女で、彼女は本当に見るからに意地悪で性格が悪い。しかし、私は彼女に同情する気持ちも湧く。インドの男尊女卑の文化(←昭和時代の日本の家庭も似ていた)では、女の子は家庭の中で男の子よりも地位が低い。彼女が二人の弟よりも家庭で軽く扱われてきたことが想像でき、年頃になっても恋愛は禁止され、持参金をつけてさっさと嫁に出されてしまう。ところが好きでもなく結婚させられた男は、現在は稼ぎがなくほとんどチンピラヤクザである(←そこが彼女とピッタリではあるが)。近所に住む彼女は毎日のように実家に入りびたり、食べ物をくすねたり、父親に小遣いをねだったりする。
母親はそんな長女を疎ましく思い、元々相性が悪いので長女への嫌悪感を隠さない。彼女は実の娘よりも嫁であるヤショーダのほうが大好きで称賛している。この母親も良妻賢母を絵に描いたような人であるのに、ヤショーダに似て怒り出すと長女を平気で平手打ち(!)する。
長女の気持ちにたてば、実家は裕福なのに、自分たち家族は貧しい。母親は長女である自分よりも嫁を愛し称賛し、自分のことは平気で虐待(平手打ち)する。自分たちの結婚生活には愛情がないのに、ヤショーダと夫(彼女の弟)はラブラブである。といった状況は彼女には見るに耐えがたく、その思いがヤショーダへの激しい嫉妬と悪意へと転化し、どんどん膨らんでいく。この資産家の長男である弟に隠し子がいることがばれ、弟が失踪した機会に、彼女はチンピラの夫と外の犯罪者も使って、ヤショーダの人生を破滅させ、ゆくゆくは両親ともう一人の弟夫婦も追い出して、この家の財産を全部奪うことを決意する。彼女にしてみれば、自分の存在を無視してきた実家への復讐のような感じだ。
彼女は両親を騙して、実家に家族で居候することに成功し、さらにヤショーダと子供たちを家から追い出すことにも成功。そして今、彼女はもう一人の弟夫婦にも悪意を感染させ、弟を使って、両親の財産を自分たちの息子に継がせることを画策する。この資産家の次男は人がよいのに、理性的判断がまったくできない。彼は優秀な兄を尊敬し愛し、そして兄の結婚相手、自分の兄嫁であるヤショーダを自分の妻よりも称賛していた。ところが自分の妻の流産がヤショーダのせいだと思い込んだ(←実際は姉のせいで流産は起こった)日から、彼の感情は100%反転し、姉夫婦に協力してヤショーダとクリシュナの人生の破滅を誓う。が、彼はただ騙されやすさを姉に利用されているだけだということがまったくわかっていない。勝手に兄夫婦をアイドル化し、そのアイドルが失墜して、勝手に傷つくというよくあるパターンを演じている。
そして、この資産家の長老、3人の父親でもある男性は男尊女卑で非常に保守的で日本で言えば、昭和の頑固オヤジのような人だ。自分が頑張って築いた財産と優秀な長男とよくできたその嫁(ヤショーダ)が自慢で、地域の尊敬を集める名家であることをなによりも誇りに思っていた。ところが、自慢の長男には隠し子がいて、何の説明もなく彼が失踪してから、面目丸つぶれで、近所を歩けばバカにされるようになる。本来であれば、一番悪いのは勝手に失踪した長男であるのに、自分の怒りを、長男ではなく、隠し子のクリシュナと正義感から彼をこの家で育てると言い張るヤショーダに激しく向ける。特にクリシュナを見るのが耐え難く、彼を召使い扱いし、たびたび殴りつけ、自分の憂さを晴らす。ついには、その怒りといら立ちを悪意100%の長女につけこまれ、ヤショーダとクリシュナを家から追い出してしまう。
そして、その心の弱さにどんどん長女の悪意が感染して、長男夫婦への怒りからついにはこの家の財産を全部次男に譲渡することを衝動的に決めてしまう。すると、今までは両親に頭の上がらなかった次男が今度は威張り始め、両親に「この家を出て行け!」と言うほど傲慢になるのだ。
この事態になって、長老はようやく自分の判断が色々間違っていたことに気づき、根は非常に家族思いでやさしい人なので、ヤショーダにふりかかる貧困や苦難を伝え聞くたびに、今度はひどい罪悪感に苦しむようになる。
そして、このドラマの中での一番悪い奴は、隠し子がいることがばれて失踪し、ある僧院に逃げ込んだこの家の長男にして、ヤショーダの夫だ。ヤショーダがようやく彼の居所を突き止めて、家に戻るように説得しても、「自分のような罪深い人間は、家族と暮らす資格がないし、一緒に暮らせば家族に悪いことが起こるかもしれない。自分はいつも逃げていたけど、ここで自分の罪と一生向き合い、皆さんの幸せを祈ります」みたいな宗教的観念の中に逃げ込み、自分が家族のところへ戻らないことがみんなのためにもなると言い訳をする。まあ、このあたりの彼の罪悪感的観念はいかにもインド的だ。本当は彼は妻にも家族にも強い未練があるのに、完璧な夫、完璧な父親、完璧な息子、完璧な弁護士という自己イメージが崩壊して、その事実に直面することができない。自分が家族を捨てたせいで、妻と子供たちは貧乏を余儀なくされ、家族が崩壊しつつあるという事実から目をそむけ、自分だけの平和を求めている大バカ野郎だ! ヤショーダじゃなくても、叱りつけてやりたい気分になる。
このドラマの中で唯一まともで非二元的(笑)で現実的なのはクリシュナで、彼は周囲の大人たちの罵倒、憎しみを受け入れ、困難にめげず、ただ今ここでヤショーダのために何ができるか常に考える。ヤショーダじゃなくても、こんな息子がいたらどれだけ頼りになるかと思わせる子供だ。ただ、彼にしても、自分と母(病死)を捨て、ヤショーダからも逃げた自分の父親であるヤショーダの夫だけは赦しがたく憎んでいる。
こんなふうに登場人物の感情の動きを書き出していると、「まあ、何と人の感情とは忙しく、騒がしいものか!」と驚いてしまう。誰も冷静に現実全体を見ずに、激しい感情にもとづいて行動するので、問題が次から次へと起き続け、ドラマが延々と続くというわけだ。
今回、インドのホームドラマを初めて見たけど、人物の撮影方法などは日本のドラマの作り方とは違う感じだし、宗教が人々の日常生活に完全に浸透し、彼らの観念を束縛している様子も興味深かった。ちょっと見疲れたので、このドラマはここでしばらくお休みして、これからしばらくはトルコ動画に戻って、イスタンブールやイズミルの風景を楽しもうと思っている。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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by シンプル堂 [人間関係] [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
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