政治遺伝子2014年02月05日 08時22分53秒

皆様、本年も時々、ゆるくブログを書いていく予定ですので、お時間があるとき、おつき合いください。

もうすぐ「じいさんたちの政治運動会」(東京都知事選)なので、久しぶりに政治に話をふってみたい。

昨年の秋、 猪瀬前東京都知事と都議の皆さんが、鞄を前にして、その鞄に5千万円が入るのかどうか真剣に議論している都議会の様子をたまたまテレビで見た。その風景は、まるで小学生の教室で、子供たちが喧嘩しているような感じであった。政治家の皆さんというのは、他人の悪事を見つけると自分自身の悪事は忘れて、まるで鬼の首をとったかのように喜々として追及するのがいつも印象的である。「他人の目の埃を指摘する前に、自分の目の中の埃を取りなさい」というキリストの言葉と真逆なゲームが、政治ゲームである。

猪瀬さんがもらった5千万円は、まあダーティな金ではあろうが、その程度のお金をごまかす才覚がなく、大問題にされて、マスコミや都議会で追及されてしまうほど、(元はジャーナリストであった)彼に政治的技巧と運がなかったのがお気の毒な感じがした。

作家や学者、タレントなどいわゆる文化人がよく知事や議員になるわけであるが、文化人は生粋の政治家よりはるかにプライドが高く、「自分は清く賢い」というイメージをもっている。そのためいざ自分の中のダーティな部分が暴露されたり、周囲と考えが合わないと、いとも簡単にその職を投げ捨ててしまう。つまり、政治的忍耐と技巧がない、ということである。

その点、生粋の政治家、特に代々政治家の家系の政治家の方々は、政治遺伝子というものが、心身に入っていて、政治遺伝子がたくさんある政治家は、以下のことが自然に身についている。

* ダーティな問題が表面化しないようにうまくごまかす技巧
*不遇な時代を耐える忍耐力
*共通な目的のためなら、意見が合わない人たちとも共同できる能力
*「昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵」という種類の裏切りと友情を気にしないマインド 。
*政治ゲームに中毒するマインド。
 
政治遺伝子のよい例が、安部首相だ。前回首相を辞任したときほとんど政治生命が終わりかけたが、それでもそのあと不遇の時代を耐えぬいて、首相に返り咲いた。 安部さんを忍耐させたのは、彼個人の力ではなく、彼の中に潜む政治遺伝子 のおかげであろう。
 
さて、猪瀬さんに政治遺伝子と運がなかったせいで、東京都は約50億円の税金を使って政治運動会(都知事選)をこの寒空にやらなければならなくなった(前回の石原さんの途中辞職と合わせて、東京都は100億円もムダに税金を使っている)。

東京都知事は代々文化人がなる傾向があり、今回の主要参戦メンバーもみな政治家ではなく、政治遺伝子があまりなさそうな方々ばかりである。桝添さんも元々は学者であり、細川さんは風流文化人である。 誰がなっても、2020年の東京オリンピックまでもつのかどうか……

政治遺伝子がない人といえば、橋下大阪市長もプライドが高いのに忍耐力がないゆえに、自分のヴィジョンが進展しないのにイラついて、また今度市長選をやるという――橋下さんに、意見の違う人たちと共同する能力と忍耐力がなければ、何度選挙をやっても、税金のムダ遣いでしかない。橋下さんが、自分のビジョンを実現したいと思うなら、数十年間忍耐して、郵政を民営化した小泉元首相を見習うべきである。

で、その小泉元首相は相変わらず政治ゲーム中毒が抜けないのか、今回の政治運動会に裏で参戦して、脱原発をぶち上げた。小泉さんは人生最後の政治ゲームを脱原発に賭けたようであり、そのゲームは、政治遺伝子が濃厚に入っている小泉さんの息子、小泉進次郎自民党議員が将来的には引き継ぐことになるだろう。親子二代で、抵抗勢力(原発派)を懐柔して、脱原発に向かって、頑張って!
 
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石原さんのトラウマ2012年12月18日 13時56分55秒

いつだったか日本維新の会代表の石原さん(前東京都知事)が外国人記者クラブかどこかでインタヴューを受けている映像を見たことがある。そのとき彼は、「日本が、国際的な発言力をもっていないのは、核兵器をもっていないからだ」と自分の持論というか本音を述べていた。

石原さんを見ると、父を思い出すことがある。父が生きていたころ、世の中の事件や国際政治について、父が言うコメントや意見は、ほとんどいつも石原さんとそっくりだったからだ。生き方も人生も人格もまったく違う二人のコメントが似ていることに気づいて、その思考ルーツがどこにあるのか興味をもったことがある。そして、なぜ父が、自分の故郷を空爆で焼け野原にし、広島・長崎に原爆を落としたアメリカを嫌ったり、憎んだりしないのか、それがずっと不思議で、あるとき父にそのことを尋ねたことがあった。

すると父は、単純にこう答えた。

「日本がアメリカに負けたのは、日本が弱かったから仕方なかったのだ」

愛国青年だった父が青春をかけて戦った戦争が無に帰した昭和20年の敗戦は、生涯消えることのないトラウマを父の心に残し、父はそれ以後世の中の現象、特に政治的事柄を「アメリカは強い・中国(と韓国とその他共産国家すべて)は悪い」「強いことはよい・弱いことは悪い」という思考パターンを通してしか見ることができなくなった。非常に読書家で物知りであったにもかかわらず、物事には別の見方もあることを断固受け入れなかった。

石原さんは私の父より8歳くらい年下なので、戦争には行かなかったはずであるが、それでもかなりの愛国少年であっただろうことは想像できる。彼のコメントのはしばしにあらわれる「中国(と韓国とその他共産国家すべて)が嫌い」「強いことがよい」のニュアンスから察するに、彼もまた昭和20年の敗戦のトラウマを引きずって生きてきた人のように感じられる。

それから、先月読んだどこかの新聞に、石原さんの人生の最後の夢というか野心について書かれてあった。それは、「自分が生きている間に石原家から総理大臣を出すこと」なのだそうである。息子が自民党総裁レースで負けて、息子にその夢を託す可能性がなくなったと見るやいなや、都知事の職を放棄してでも、「夢をもう一度」で、国政に打って出たというのがホンネのホンネらしい。石原さんにとっては、個人的野心や夢をもつことは長生きするためにはいいことだろうけど、原則脱原発の橋下さんと、核兵器・原発大好きな石原さんが組んだ先にあるものは、今の民主党の姿、つまり、いずれ分裂か崩壊であろう。

さて、今年読んだ数少ない本の中で、「NYPDNo1ネゴシエータ最強の交渉術」(ドミニック・J・ミシーノ著 フォレスト出版)という本がある。NYPDとはニューヨーク市警のことで、著者はここで長年人質事件のプロフェショナルとして活躍した人だ。アメリカの人質交渉人の世界というとハリウッド映画のように派手なドンパチの世界というイメージがあるが、しかし、超一流の交渉人の世界はまったく別なのである。つまり、超一流の交渉人とは、武器をできるだけ使わずに、言葉で犯人を説得して、しかも死人やけが人をできるだけ出さないで事件を解決する人のことなのだ。

数々の難事件を解決してきた著者は、その極意を本書の中で語っていて、それをいくつか紹介すると、

*言葉こそ銃にまさる最高の武器
*(犯人に対する)誠実さと共感―礼儀と敬意が重要
*自尊心に囚われると失敗する

という、普通の人たちが考えるものとはまったく異なるもので、決して石原さん流の「そこの悪いやつ、こっちは大量・強力の武器をもっているから、さっさと降参しろ。さもないと攻撃するぞ」ではないのである。これをやるのは三流動物交渉人で、その結果はたいてい、(ハリウッド映画のように)たくさんの死体が転がることとなる。

日本を三流動物交渉人国家にしようと、80歳を超えて、トラウマに駆り立てられ暴走している石原さんは少々痛ましい。自らを日本国と一体化している石原さんはまた、誰よりも日本の老いと弱体化を自らの老いとリンクさせて感じていらっしゃるのだろうが、しかし、誰が叫ぼうがわめこうが、政権が変わろうが、自衛隊を国防軍にしようが、憲法を変えようが、(人口比に対する老人の割合が増え続けるかぎり)、国家の老いから来る弱体化は誰にも止められない。

で、「わけのわからない多くの党から選ぶのが面倒」「不安定がイヤ」で、「安定している自民党にイヤイヤながら回帰」した今回の選挙は、日本国の選挙民の高齢化がすすんでいることを物語っている。

[お知らせ]

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下記のサイトより無料ダウンロードできます(1ファイル140MB録音時間約76分―ダウンロード時間はパソコンの性能にもよりますが、数分くらいです)

http://www.simple-dou.com/CCP010.html



「結婚」40年目の日中夫婦関係2012年09月25日 13時27分30秒

日本と中国の国交化40周年の節目の時期に、両国の関係が大荒れしている。人間に例えれば、結婚40周年に、夫婦が大ゲンカをしているようなものだ。

日中夫婦は価値観や文化・感性が非常に異なる者同士の「結婚」で、普段もとりわけ仲がいいわけではないが、それでも過去40年間、経済的にはお互いを支え合い、お互いの経済的繁栄に寄与し、今では相手なくしてはほとんど生活できないほど密接な夫婦となっている。

その証拠が日本にあふれる中国製品と中国にあふれる日本製品である。つまり、経済的には非常に深くお互いが相手国へ浸透してしまったということである。

ところが、それ自身一つのシステムである国家は、本当は他国の文化や製品が自国システムに侵入というか浸透することは、システムの独自性を維持するという観点から見れば、あまり好ましいことではない。過度に影響を受け続けると、自国システムが分解・崩壊する危機があり、だから、国家間は親しくなりすぎないように、時々、問題が起きるようになっているのである。

問題が起きると両国の国家主義的意識が目覚め、「私たちは本当は、絶対的に違う存在であり、私たちは絶対にあなた色には染まりませんから」と、お互いの分離と独自性を相手に宣言せざるをえないのである。

これは恋人や夫婦、親子のような人間関係にもよくある話で、お互いが親しくなって、もっと親しくなろうとするときに、何かの問題や不和や諍いが起きて、「自分と相手は本当は全然違う存在であり、お互いに理解しがたい」ということをイヤというほど知らされることがよくある。それも人間システムが自己システムを守るためのある種の免疫機能のようなもので、だから親しい関係には「苦痛」がともなうのである。

システムは絶対に他のシステムとは一つにならないというか、なれないのであり、私たちのまわりにある机、椅子、パソコン、プリンターなどの物システムや様々な人間システムが決して現象的には一つにはなれず、一つになれないゆえに、システムとして独自に機能しているように、人間システムも国家システムも他人や他国とは決して一つにはなれないのである。

それを無理やりやろうとすれれば、その時に起こるのは「衝突」であり、人間マシンが机にぶつかれば、苦痛を感じるように、国家間システムもあまりに近づきすぎ、浸透しすぎれば、それは「苦痛」となる。

二国間の関係においては、経済的に貧しく不自由な国のほうが、経済的に豊かで自由な国の影響をより大きく受けるのが原則である。日本と中国の場合、中国が日本に与えてきた影響よりも、日本が中国に与えてきた影響のほうがはるかに大きいゆえに、二国間に何か問題が起きれば、中国の人たちのほうがその苦痛に過剰に反応するのは当然のことである。今回の中国での反日暴動は、「まだ日本が中国よりも経済的にはるかに豊かで有利な立場にいる」ことを、はからずも証明したというわけである(今から数十年後には、立場逆転ということもありえるかもしれないが)。

そしてパソコンのシステム同様に、国家システムは何らかの脆弱性を抱えるのが常である。現在の中国システムの脆弱さは、システム内部に経済的繁栄に見合う活動・表現の自由がないことと、途方もない経済的格差が存在することであり、日本システムの脆弱さは、システムの老朽化、つまり「老い」である。

日本と中国の軋轢は、「相手のシステムが浸透しすぎました」という免疫機能からの警告のようなものであり、お互いのシステムが自らの脆弱さを認識したということである。しかしどれだけケンカしても、日中夫婦は、離婚は無理だろうから、「仲良し」の時期と免疫機能による疑似「戦争」期を繰り返しながら、これからも末永く経済的結婚を続けることであろう。

日本ではまた政治スポーツの季節が始まろうとしているが、こういう時期にふさわしい指導者は、軍人系で日本の国家免疫部長のような石破さん(自民党総裁候補)あたりだろうか……




夫(政府)の弱腰・妻(国民)の不満2010年11月09日 12時41分49秒

世の夫族は、概して弱腰である。それが結婚生活における世の妻族の不満の一つである。

子供のこと、近所付き合い、親族付き合い等々において、たとえば、妻が
「ねえ、あなた、ご近所の〇〇さんが××で、困っているんだけど、あなた、注意しに行ってよ」とか、

「お義母(おかあさん)が、毎月、ここに泊まりに来ているけど、こっちも忙しいから、なんとか、あなたからもう少し回数を減らすように、言ってよ」とか言われると、

夫は、たいていこんな返事をする。
「別に、いいじゃないか。そのうちついでに言っておくよ」と逃げ腰で答える。面倒な場面にはなるべく巻き込まれずに、穏便にすべてを済ませたい――それがたいていの世の夫族の本音だ。

妻は、「そのうち」は、決して来ないことを知っているので、内心不満たらたらである。では、自分が出て行って言えばいいのだが、妻も自分が非難を浴びてまで、あえて人間関係を悪くしたくはない。妻は、自分が出来ないことは棚上げして、自分の夫には出るべきところへ出て、言う必要があるときは、ビシっと意見を言ってもらいたいと思っている。が、その妻たちの願いは、多くの家庭ではかなえられないでいる。

人が生きている人間環境――近所、親族、子供の教育関係、職場の人間関係では、しばしばゴリラ的な人が出没して、彼らは、自分より誰が弱いか、強いかをちゃんと査定して、弱腰の人のところへ平気で無理難題を押し付けてくる。

最近の日本の外交問題を見ていると、まさに弱腰夫(政府)とそれに不満タラタラの妻(国民)というよくある日本の家庭の風景を見ているようである。

日本のご近所さん、中国、北朝鮮は一党独裁共産国家で、ロシアもつい最近までは一党独裁共産国家で、昨年も書いたように、一党独裁国家の思考パターンは、ゴリラである――つまり、私(国家)だけが、絶対に正しい。私に刃向かうものは、全部間違っている――というゴリラ的思考で生きている。

中国ゴリラに、間違いは存在しない、というよりも、存在してはならないのである――たとえ、自分から、船をぶつけようが、車をぶつけようが、何をぶつけようが、悪いのは、ぶつけられた相手であって、自分ではない。

さて、こういったゴリラに、人間の礼儀(その場所がどこであれ、故意にしろ、偶然にしろ、ぶつけたほうが、詫びる、それが人間の礼儀だ)を理解させるのは至難のわざだ。ゴリラは、自分より弱いと思っている相手の言うことは、聞かないのだ。

では、中国ゴリラは、何を恐れているかといえば、アメリカとそして国際世論だ。国際世論が盛り上がって、「中国ってこんなひどい国なのか、人間以下だ。あんな国とは付き合いたくない」と思われるのは、これから世界中に進出したい中国にとっては、さすがにイヤなことである。

そういう意味では、国民のほとんどが思っているように、中国船の衝突事件のビデオがyoutubeに流出したことは、よかったことであるのだ――あなた(中国)がこれからもこういう行為を繰り返すなら、youtubeにいつだって、あなたのしたことが世界中に暴露されますよという警告の意味で。

弱腰夫(管さん)は、こう言っている。「時間がたてば、政府は正しく対処していることが、わかってもらえるはずだ」と。これはまるで、何もしない夫が、家庭の中で、「俺が正しいことが、いつか君にもわかってもらえると思うよ」とのん気に妻に言っているようなものだ。

それと同じくらい笑えるのは、元夫(元、前首相)たちがしばしばマスコミに登場して、「私なら解決できた」とか、「菅政権のやり方はここがおかしい」と、言い放っていることだ。

たしか、菅さんだって野党のときは、散々自民党を批判して、「私ならこうする、ああする、もっとうまく解決する」と言っていたと記憶する。自分で何もできない弱腰夫にかぎって、自分がその立場にないときには、「私ならこうする、ああする」と言うのである。

国民世論調査によれば、内閣支持率は30%台まで落ち込んでいて、内閣支持率は政府と国民の離婚バロメーターでもある。管さんは、「石にかじりついてでも頑張る」とおっしゃるが、現在の妻は、昔の妻と違って、我慢強くない。「いつか」の前に、さっさと離婚する……が、妻(国民)も、いつだって自分にピッタリな夫(政府)を得ていることに気づかなければ、どれだけ夫(政府)を新しく変えても、不満は永遠になくならないものであろうとは、思うけど。



「ピーターの法則」―小沢さんと管さんの場合2010年09月11日 07時42分12秒

「ピーターの法則」(ローレンス・ピーター著 ダイヤモンド社)という今から40年ほど前に出版された本で、出版当事、世界中で非常に話題になった本がある。ご存知ない方のために、簡単にどんな内容の本かを説明すると、教育学者であった著者が、大企業、官僚組織のなかにはびこる「無能」について研究した本で、彼が発見した法則は一般に以下のような「ピーターの法則」として知られている。

(以下、ウィキペディア日本語版より)

1能力主義の階層社会に於いて、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な平(ひら)構成員も無能な中間管理職になる。

2時が経つに連れて人間は悉く出世していく。無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。

3その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、無能レベルに達していない人間によって遂行される。

(以上、ウィキペディア日本語版より)

例をあげて説明すると、たとえば、

ある大会社で、有能な営業部長がいるとしよう。営業のエキスパートでその会社の売上げに非常に貢献した人だ。有能であるゆえに、まわりからも会社からも出世を要請され、営業部長よりも上のポスト、重役のポストへ出世する。ところが営業部長としては有能であったのに、重役としてはまったく無能で役立たずであることが判明。万一、その人が重役としても有能であれば、さらに限界まで出世を余儀なくされ、たとえば、最高経営責任者まで出世して無能をさらけ出す。(一番目の法則)

他にも
スポーツ選手として優秀だった人の多くが、コーチや監督になると無能になる理由も、このピーターの法則に関連している。

さて、今なぜピーターの法則のことを思い出したかというと、民主党の小沢さんが、民主党代表選に立候補するというニュースを読んだからだ。いよいよ小沢さんもピーターの法則に従って、総理大臣になることを余儀なくされ、無能をさらけ出す時期が来たのかと……

ピーターの法則のどおり、政治家はトップ(総理大臣)になるとほとんど無能となる。野党のときは、有能な野党だった人も、与党になると無能な与党になり、大臣のときは有能だった人も、総理大臣になると無能になる。それは過去の日本の総理大臣のほとんどに当てはまることだ。

小沢さんは、幹事長としては有能だったゆえに、総理大臣としても有能になって手腕を発揮するだろうと、彼の支持者たちは期待するわけであるが、その期待の大きさゆえに、おそらくは総理大臣としては無能が際立つだろうと思う。彼は権力を取ろうと攻めているときは強くても、守りには弱いタイプである。

そもそも、小沢さんはパフォーマンスが好きな外向きの性格ではないし、裏でコソコソ権力をふるうのが好きな人であるので、総理大臣職という飾りみたいな仕事を楽しいと思えないだろう。総理大臣職とは、公務と会議に追われ、いつも笑顔で礼儀正しい言葉を使わねばならず、しかもマスコミに24時間監視され、女性やゼネコンとの密会もままならず……

では、菅さんはどうかといえば、野党のときには有能だった、それから与党になって、大臣になってもまだ有能だった。それでやはりピーターの法則に従って、総理大臣になった(させられた)。彼は、性格的に外向きでパフォーマンスが好きなので、総理大臣職は楽しそうではあるが、以前よりはるかに無能のように見える――小沢さんを立候補に追い込んだことは、彼の無能であろう。

どっちが勝っても、次の政権は短命が予想される。万一もし政権が長期に続くとすれば、最初に紹介した「ピーターの法則」の3番目が満たされるときで、つまり、自分は無能でも、まだ無能レベルに達していない有能な部下がたくさんいて、その人たちが仕事をすれば、組織はなんとか持ちこたえていく、ということである――さて、お二人には、それぞれ、まだ無能レベルに達していない有能な部下がたくさんいるのかどうか……

いやいや、政治家を見て笑ってばかりもいられない。「ピーターの法則」を、「出世(別の仕事)をすると、無能になる法則」と拡大応用すると、組織や大企業に所属していない人も、よくこの法則の罠に落ちるのだ。

シンプル堂の場合――本を読む人(読者)としてはまあまあ有能であったのに、本を作り、売る人に「出世」したら、無能をさらけ出してしまった――「無能を修行」するという意味ではよかったけれど。

「ピーターの法則」の本、皆様にお勧めします。

同じ著者の本
「こんなことがなぜ起こる」(ダイヤモンド社)
「ピーターのピラミッド法則」(ダイヤモンド社)




政治家の人生ゲーム2009年09月07日 11時52分46秒

いつのまにかまた政治スポーツの季節がめぐってきて、日本の政治家たちは真夏の日本を元気に走り回っていた。

事前の予想どおり、衆議院選挙は民主党圧勝に終わり、民主党小沢代表代行の「長年の夢(政治権力の頂点に立つこと)がかなった」(祝)、選挙結果となった。

今回の選挙をスポーツとしてみた場合、自民党は、まったく運と戦略に恵まれなかった。どれほど運と戦略が悪かったかを思いつくままに列挙してみると、

*4年前の衆院選挙で小泉さんが圧勝したとき、彼が作った政権は自民党政権ではなく、「郵政民営化政権」で、彼は自分の人生ゲームに勝利する(郵政民営化を実現する)ために、自民党の組織を実質的に崩壊させてしまった。で、郵政民営化を実現したあとは、もはやその「郵政民営化党」の役割も終わり、「自民党・郵政民営化党」はそれ以後は求心力と中味のない党になってしまった。つまり、「自民党をぶっつぶす!」と常々言っていた小泉さんは、自分の人生ゲームのために、自民党をとことん利用したあげく、本当に4年前に自民党をぶっ壊してしまったのである。

*「選挙の風」というのはバブルのようなもので、4年前の自民党の300議席のうち、100議席くらいは小泉さんの人気が引き起こしたバブルな議席で、それはバブルが終われば、当然はじけてしまうものである。バブルというのは、はじけるときは、たいてい以前よりもずっと収縮してしまう傾向がある。つまり、バブルで獲得した100議席は、減るときはそれよりももっとずっと多く減ってしまうということである。

*以上のような4年前の遠因に加え、麻生首相自身にも運がなく(就任早々、世界的経済危機が襲い)、何兆円のお金を全国民にばらまく(定額給付金)という愚策で、国民の人気を得ようとして失敗し(長年多種多様なマンガを愛読しているという麻生首相は、マンガから大衆の本音の感情や時代の風を読むことを学ばなかったのだろうか)、国民の支持率はあがらす、党内の支持も分裂していた。

*そしてきわめつけは、選挙中に、自民党は、民主党に対するネガティブ・キャンペーンを展開し、自ら民主党に力を与えてしまった。(批判とは常に相手に力を与えることを、政治家の方々はほとんど知らないようである)

だから、今回の民主党の圧勝は、民主党が支持されたというより、自民党が戦う前からすでに負けていたというほうが近い。それでもあえて、今回の選挙に関して、民主党の強運を一つあげれば、献金問題で小沢さんの秘書が逮捕され、民主党にピンチが襲ったとき、小沢さんが代表を退いて、裏に引っ込んだことで、最大のピンチが最高のチャンスになったことであろうか。

前にも書いたことがあるが、小沢さんという人は、表にでると力が出ない人なのだ。命令言語(ゴリラ言語)は得意でも、マスコミ向けに丁寧にしゃべったり、対等の議論をするのが、この人は得意ではない。作り笑いを浮かべ、精一杯、ていねいにしゃべろうとするが、自分にふさわしくない人を演じているので、どこかきごちない。

でも、裏に回った小沢さんは、水を得た魚のように、自分の大好きな得意分野(選挙と人事)に集中し、思い切り力をふるうことができたはずだ。そして。表の仕事は、従順な鳩山代表にまわし、要するに、民主党は、小沢さんが奥へ引っ込んで以後、適所適材に人材を配置し、組織力が格段によくなったのである。

ということで、かつての自民党のライバルたちを苦しめ、夢がかなった小沢さんにとってはおめでたい選挙結果となったが、しかし、民主党にとっては、308議席という圧勝は内心少々憂鬱な数字でもあろう。なぜなら、308議席はもはや上限であり、これからの4年間、仮にどれほど自分たちがミスなく政権を運営できたとしても、次回は今回よりも減ると考えるほうが常識的だからだ。

そして、これからの民主党の見どころは、小沢さんがどこまでゴリラぶりを発揮して、裏から民主党をひっかきまわすか、である。自分が創造したものを、いつのまにか破壊する――これが彼の人生ゲーム(国民の生活とも日本の経済状況ともまったく無関係なゲーム)なのである。民主党は衆議院でこれ以上拡大するという希望がないばかりか、へたをしたら、小沢さんの人生ゲームに巻き込まれて、今回の自民党と同じく、次回は、308議席が100議席ちかくまで落ち込むかも……


以上、今回の政治スポーツを見た感想でした。

ゴリラ(独裁者)マインドの研究2009年06月02日 09時32分28秒

一味変わったDVDを見た。「ペルセポリス」というタイトルの外国アニメ映画で、内容は、1980年代、1990年代のイランの国情を背景に、非常に民主的で自由な価値観の一族に生まれた少女の成長と苦難を描いた物語だ。日本のアニメとは全然雰囲気が違う(それでいて、日本の白黒の影絵のような作り)独特のタッチが内容にピッタリである。(「ぺルセポリス」とは、大昔、イランがペルシャと呼ばれて繁栄していた頃の首都の名前)

このアニメで私の興味を一番ひいたのは、宗教独裁国であるイランの権力者たちの発想・考えである。それは、時代、文化、地域をこえて、過去・現在のあらゆる独裁的国家――戦前の日本の軍国主義、かつてのソ連・東欧の共産主義一党独裁国、ナチスドイツ、現在の北朝鮮、フセイン時代のイラク等々――の発想・考えと、滑稽なほどまったく同じだということだ。

時代・地域を越えて共通するということは、そこにある種の人類の精神の原型があるということで、私の観念によれば、それは、「コントロール願望=私はまわりをコントロールしなければならない」に取りつかれている、人類のある段階の知性・精神を表している。その「コントロール願望=私はまわりをコントロールしなければならない」をさらにもっと具体的に書いてみると、

* 私(たち)の考えていることが、唯一絶対に正しい
* お前たち(国民)は、私(たち)の言うことに従っていれば、幸福である。
* 私(たち)の言うことに従わない者たちは、社会の悪として罰せられなければならない。
* 女は、男の所有物で、男の言うことに従わなければならない。
* 女を自由にすると、社会の風紀が乱れるゆえに、厳しく統制しなければならない。
* 私(たち)に敵対する外部勢力は、攻撃しなければならない。

と、だいたいこんなようなものだ。

こういった考え方の源流をたどってみると、なんとそれは驚くことに、ヒトの祖先がゴリラのような生き物だった時代(ヒトとゴリラは1000万年くらい前に分かれたとされている)にまでさかのぼるというのが、私の考えだ。以前、野生のゴリラの生活を記録した映像を見たことがあり、そのときの一シーンにこんな場面があった。

一頭のボスゴリラ(オス)がしきる縄張り(ゴリラは、独裁的、一夫多妻的ハーレム的集団を作る)のまわりを、群れを乗っ取ろうとする若いオスゴリラがうろついている。それを目ざとく見つけたボスゴリラは、早速警戒心をあらわにして、威嚇する。若いオスゴリラはかなわないと判断し逃げ去ったのだが、問題は、このあとの場面だ。突然、ボスゴリラは、その若いオスに一瞬興味を示した群れの一匹のメスのところへ突進して、二発、三発攻撃。それから胸をドラミング(ドラミングは、類人猿が自分の体を叩いて、自分の力を誇示するときなどにする仕草)。とまあ、こんな感じの場面だ。

今の場面を人の言語に翻訳すれば、

若いオスに向かって、
ボスゴリラ「オレの女たちに手をだしたら、ただじゃおかないぜ! 痛い目にあいたくなければ、オレの縄張りからさっさと消えうせろ!」

若いオスに関心を示した群れのメスに向かって、
ボスゴリラ「他の男に、なに色目なんか使ってんだよ、このバカ! 許さん!こらしめてやる」

このようにボスゴリラは、外から群れを乗っ取るやつがいないか、群れのメスの中で造反者(浮気者)がでないか、群れの状態をたえずチェックし、コントロールするのに忙しい。

イランや北朝鮮のように社会全体が監視社会となって、いつも他人の行動・思想・服装をチェック・コントロールするのに忙しい社会というのは、私に言わせれば、国民の大多数がゴリラ(独裁者)マインドに支配されている社会というわけだ。(念のために言えば、あらゆる人の中にこのゴリラマインドは潜んでいるが、それがほとんど作動しなくなれば、その人の知性は、幸いなことに、いちおう人間にまで進化しているというのが、私の考えである)

こういう国家は、内部の自由をあまりに厳しく統制するために、その反動で、たえず、外に向かっては攻撃的にならざるをえず、常にある種の戦時状態である。

だから、北朝鮮が最近特に、核だ、ミサイルだと外に向かってやたら攻撃的なのは、国家内部の統制があまりに厳しいので、外側に向かってエネルギーを発散しないと、体(国)のエネルギー・バランスがとれないからなのである――国力の衰退を、必死で隠すべく、北朝鮮ゴリラがドラミングしているというわけなのだ。

幸い現在の日本は、国家的にはこういう国ではないが、ミニ北朝鮮ゴリラのような感じのヒト(特にオス)たちが、家庭、職場、街中、あらゆるところでドラミングしている――物事が自分の思いどおりにならないとき、怒りだしたり、暴言を吐いたり、果ては暴力をふるったりするヒトたち(ナイフをもって突然暴れるオスたちは、その極端な典型)は、時代を1000万年ほど勘違いしている……

参考図書
「1984年」ジョージ・オウエル著
監視社会とはどういう社会か、小説という形態で描いた本。ゴリラ(独裁者)マインドをつらぬく思考・思想のすぐれた研究書でもある。現在、自由を謳歌している社会でも、監視社会になりうる可能性はどこの国にもあるということを、教えてくれる。

「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー著
世界文学の最高傑作とされているこの名作も、読みようによれば、父親と兄弟たちをめぐるゴリラ的権力闘争の物語として読むことができる。

「人間はどこまでチンパンジーか?」ジャレド・ダイヤモンド(新曜社)
チンパンジー、ゴリラから、ヒトはいつ、どのようにして分かれて今日に至っているのか? 生物学的理解からヒトの行動を解明している一般向け科学書。ヒトはどういう相手を結婚相手として選ぶのかを、生物学的に説明している箇所もあるので、今、世の中で流行の「婚活」にも役立つかも(!? )

「ほどほど」という考え2009年02月27日 09時04分19秒

石油価格も穀物価格も今はかなり値段が下がったようだが、それが最高潮に値上がっていた頃、そういう市場へ大量の資金を投入していたアメリカのヘッジファンドの代表へのインタヴューを私は見たことがある。

インタヴュアーがこう訊いていた。

「あなた方が、大量に穀物市場に資金を投入したせいで、貧しい国では、穀物の値段が急騰して、食料をめぐる暴動が起きています。そういうことをあなたはどう思っているのですか?」

それに対してヘッジファンドの代表はこう答えていた。

「別に。私たちの仕事は、顧客から預かったお金を一番儲かるところへ投資して、利益をできるだけ上げることです。それが私たちの仕事です」

私はそのとき、それを聞いて、思ったものだ。「食い物の恨みは恐ろしいことを、この人たちはあんまり知らないのかもしれない」と。

人はお金その他に関して、どんな考えをもつことも自由であり、どんな価値観が絶対的に悪いわけでも正しいわけでもないが、しかし、自分がすること・考えることの結末は自分に循環して戻ってくる(これをスピリチュアルな世界では「カルマ」と呼んでいる)確率が高いものだ。

アメリカという国は、根から上昇主義、お金の量で計る成功主義が蔓延している。彼らに理解できないのは、「ほどほど」とか「まあこのくらいで」といった中庸的な考えで、アメリカではこういう考えを、「負け犬の考え」と呼ぶ。しかし、極端な上昇主義の国では、その代償として、一方で格差と貧困が拡大する。

私も、お金は便利だから好きだが、拝金主義とアメリカのような格差のありすぎる社会は好みではない。なぜなら、格差のありすぎる社会とは、

:必然的に犯罪と暴力が多い。
:社会全体は貧乏。
:社会的公共的インフラの整備がお粗末。

のような社会だからだ。

そして、アメリカの上昇主義に中途半端に影響されてきた日本も、気づいてみれば、格差と貧困は拡大し、国全体は貧乏になりつつある(悪いところだけがアメリカに似てきている)。

さて、先日、アメリカのクリントン国務長官が、アジアにやってきた。(外国で醜態をさらけ出す日本の政治家とは違って)、自国の印象アップに貢献し、各国で見事なパフォーマンスを披露した。が、彼女がアジアに最初に挨拶にやってきた本当の理由は、「これからもアメリカにお金、よろしく」という意味だ。また、オバマ大統領が、各国政治家の中で麻生首相を最初にアメリカに招待したのも、「これからもアメリカにお金、よろしく」というためである。アメリカは、日本の一年間の国家予算にも匹敵するお金を、経済再建につぎ込むというが、そのお金の多くを日本、中国などのアジア各国からの「援助」に頼る予定のようだ。

アメリカの言い分は、こうである。

「もしあなた方が私たちにお金を出さなければ、あなた方の国の経済も停滞したままですよ。これからもアメリカに物を輸出したければ、お金を出しなさい」(日本の立場からいえば、自分のお金を貸して、そのお金で相手から物を買ってもらう奇妙な経済である)

政治レベルでは、日本はこういった圧力に屈するだろうけど、アメリカが日本からこれから一番輸入する(学ぶ)べきものは、本当は、「日本のお金や物」ではなく、「ほどほど」「そこそこ」「普通」「仕方ない」という、日本的中庸の考え方だと思う。オバマ大統領は演説で、「強いアメリカの復活」みたいなことを言っていたけど、もうこの地球に「他国の援助に頼る強いアメリカ」なんて、必要あるの? という感じである。


で、この間、昼寝中に思いついたアメリカ人向けセルフヘルプの本のタイトル――「あなたを救う『ほどほど』『そこそこ』『仕方ない』――日本的中庸のすごいパワー」


*前回に続いて、エントロピーの発想で書かれた本をご紹介する

「弱者のためのエントロピー経済入門」槌田敦著 ほたる出版
資源物理学者が、現在のような膨張経済ではなく、本当に成長可能な経済とは、どういう経済かを、エコロジー、環境の問題も含めて論じ、貧困、格差の問題の本質に鋭く迫る本。著者もまた、「ほどほどの幸せ」という考えを提唱する。

「エコロジー神話の功罪」槌田敦著 ほたる出版
「リサイクル運動は本当によいことか?」「温暖化は問題か?」「太陽光発電は環境にやさしいか」等々、エコロジーをめぐる神話と常識に一石を投じる本。リサイクルではなく、動植物も含めたサイクル(循環)が大事という考えは納得できる。日本的「もったいない」の考えから始まったリサイクル運動のたどった道は、よい考えが、必ずしもよい結末にならない難しさを感じさせる。

オバマ氏の目2008年10月31日 11時11分31秒

来週、アメリカ大統領選挙ということもあって、日本のテレビのニュースでも、オバマ・マケイン両候補の演説風景がよく放映されている。

二人の顔をたまにテレビでちらっと見て、私が気になるのが、民主党のオバマ氏の目である。彼の目が、なぜか時々ひどく暗く感じられる。共和党のマケイン氏の目と見比べると、よくわかる。マケイン氏の目は、たいてい笑っていて、ある種、子犬のような愛嬌がある。

一口に「目が暗い」といっても、色々な種類の「暗さ」があるのだが、オバマ氏の目の暗さは、「攻撃的暗さ=怒りの暗さ」のようなものだと、私は感じているのだが、世論調査ではかなりの優勢が伝えられているのに、彼は一体何に怒っているのだろうかと、考えてみた。

おそらく想像するに、敏感なオバマ氏は、もうすぐ黒人大統領が誕生しそうだという今、経済状況の悪化もともなって、秘かに反黒人主義のようなものが、アメリカ全土に蔓延しているのを、なんとなく感じているのではないだろうか。彼が「change=変化」と叫べば叫ぶほど、変化に抵抗する最も保守的部分も強固になって台頭してくるというわけである。

ハリウッド映画の中のアメリカ人たちとはちがって、実際のアメリカ人の多くは非常に保守的で人種意識が強い。彼らにとっては、黒人が大統領になるということは、日本人が想像もできないほど、ものすごく衝撃的なことらしい。先日、私が書店で立ち読みした本によれば、アメリカには、オバマ氏を大統領にさせないように画策している勢力があるとか……

まあ、そういった陰謀論は別にして、では、どういった人がアメリカ大統領にふさわしいかという観点で考えてみると――

アメリカの大統領を務めるのに一番重要な資質、それは単純な愛国心である――アメリカ大統領は、アメリカの価値観を一度も疑ったこともなく、アメリカを世界の一番だと考え、子供の頃からアメリカが大好きで、他の何を犠牲にしてもアメリカの国益と自国の富裕層の利益を常に一番に考える、単純な知性の持ち主でなければならない。単純で、明るい愛国主義者、「テロとの戦い」を脳天気に明るく言える人こそ、アメリカの大統領にふさわしいのだ――ブッシュ大統領にも、その前のクリントン大統領にもそういった資質がちゃんとあったし、マケイン氏にもあるが、どうみてもオバマ氏にはそれがない。

それなのにオバマ氏は、勝利に向かって、自分に向かないものに向かって、邁進中なのだ。もしかしたら、彼自身、大統領になったら、自分が苦しむことになるだろう苦難や矛盾――自分の知性が、アメリカ大統領職が求める資質を越えていること――を、無意識に予感し、それが目の暗さに現れているのかもしれない。

[イベント]
*2008年11月23日(日)「私とは何かを見る会」(大阪)午後1時30分より午後4時30分
*2008年11月24日(月――振り替え休日)「問題解消の会」(大阪)午後1時30分より午後4時30分

上記の会の詳細・お申し込みは下記へ。
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/event/event.html

秋のお祭り2008年09月08日 20時29分40秒

去年、今年と、秋になると政変が起こる。

政変といっても、日本の場合は、マスコミや一部の識者が批判するだけで、全国の交通が止まったり、デモや暴動があったり、自衛隊が出動したりということもなく、いたって平穏で、平和で、ありがたいことである。

去年の安倍さんに続いて、政権を放棄した福田さんは、私が見るに、まだ前の小泉政権が残した不運の影響下にある。人気下落の原因となった後期高齢者医療制度(私もよく知らなかったが、小泉政権のときに決めた制度らしい。)の問題にしろ、年金記録の問題にしろ、別に福田さんのせいではなく、たまたま、発覚したのが、彼の政権中というのが、不運なのである。福田さんにしてみると、「別に私がしたことでもないのに、なんで私の政権中に問題が次から次へと出てくるのか?」という感じで、嫌気がさしたのであろう。元々、福田さんは、首相になって何がしたいということがあるわけでもなく、ただ親子二代首相になるという、ぼんやりとした夢をもっていたようなので、「夢がかなって、よかったですね」、という感じだ。

エネルギー的に見ると、小泉政権の時代は、自民党は非常に求心的(陰性的)、つまり、小泉さんのカリスマ性と人気と強い信念で、自民党の実力以上にエネルギーを集めて、その結果が前回の衆院選の圧勝である。そして、その小泉政権が終わったあとは、自民党の実力以上に集められたエネルギーは出て行こうとする(遠心的・陽性的になる)ので、当然、組織はしだいに求心力がなくなり、誰がトップになってもしまりがなくなり、以前は表に出なかったミスや不都合・混乱が外に出やすくなる。(カリスマ的人物が去ったあとの混乱は、政治組織だけでなく、国家、企業、宗教組織、家庭、また現代だけでなく、過去の歴史においても、よく見られる現象である)

今もし、このままの状態で、選挙をやれば、二代続けて、政権を放り出したということで、自民党には圧倒的マイナスのイメージがあり、不利である。しかし、そこは、試合巧者の自民党、大々的に総裁選という大花火を打ち上げて、そのマイナスのイメージを完全に払拭する作戦に出た。

この手法は、小泉さんが首相になる前頃から、自民党が使い出した方法で、マスコミを利用して、国民の関心を一気に自分たちに引きつける頭のいい方法である。小池元防衛大臣も出して、女性で初めての総裁候補ということで話題を作るあたりが、企画がうまい。(今回の総裁選の企画を立てているのは、小泉さんか……)

さらに、自民党総裁選というのは、党内にある対立エネルギーを身内のゲームで解消できて、選挙のときには、一丸となって挙党体制で、のぞむことができるという効果もある。対照的に、民主党代表選に出たい人たちがいたにもかかわらず、代表戦を封印した民主党は、党内に対立エネルギーのくすぶりを残している。

ということで、さあ、どうなるか、秋の政治=お祭り――自民党の戦術が勝つのか、民主党小沢さんの執念が勝つのか――どっちが勝っても、私の生活にはまったく関係ないけど、政治家の皆さんには健康に留意して、「政」(まつりごと)に頑張っていただきたいものだ。