最近読んだ本から2024年04月18日 08時48分03秒

[コメントを寄せていただきましたさえ様へ]

コメントをありがとうございます。神の意志を受容すること、
すべてを受容することは、百パーセント、ポジティブだと
私も思います。


[イベント】
◎リアルの実験会「私とは本当に何かを見る実験の会」

2024年5月7日(火曜日)午後1時半から午後4時半頃まで

場所:東京都新宿


◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2024年5月16日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで


◎オンライン「非二元の探究――「主体」として生きる

2024年5月19日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[お知らせ]

*Youtube新シリーズ 猿笑(さるわらい)非二元講座」

*『ハートの静寂』(ロバート・アダムス著 ナチュラルスピリット発行)電子書籍版が

発行されました。詳細はこちらはへ。



『シャーマン・ヒーラー・賢者』アルベルト・ヴィロルド(ナチュラルスピリット)

南米のアマゾンとアンデス地域の伝統的ヒーリング・メソッドを解説した本。久しぶりにこういった心身のスピリチュアル系ヒーリングに関する本を読んだ。

私が本書を読んだのは、スピリチャルな文献でよく話題にされる、目に見えない様々なボディの概念が普遍的なものか、地域によって異なるのか、知りたかったからだ。現在制作中のMaster Key to Self-Realization (自己覚醒へのマスター・キー)の本の中に、目に見えない様々なボディ(subtle-body, causal-bodyなど)についての解説があり、そういったインドのアドヴァイタ系の教えの中のボディの概念が、アンデスの伝統的ヒーリングにもある概念なのか、調べてみたかったからだ。(ただし、Master Key to Self-Realizationはヒーリングの本ではなく、そもそも本の目的も違っているが)。

結論から言えば、目に見えないボディに関する概念は、それぞれの伝統の中で似たような概念はあるものの、まったく同じではなく(ボディの区分けも異なっている)、特有の説明がある。

本書の中では、ボディの話よりも、私には、チャクラの説明が一番興味深かった。特に過去のネガティブなエネルギーが結晶化し、チャクラにいわゆる憑依し、人の物の見方、考え方、健康に多大な影響を与えているという話は、そうかもと納得でき、実際に著者がヒーリングにあたった様々な人たちの事例が紹介されている。私のどこかのチャクラにも、何かそういった結晶が憑依している(笑)と感じるときがある。

『ふだん使いの言語学』川添愛(新潮社)
少し専門的であるが、こういう本は楽しい。本書では、私たちが日常で使う言葉がどれだけ可笑しいか、そしてときには、どれくらい誤解を生みやすいか、たとえば、「よい宿がいっぱい」、「あなた、歯医者やめたの?」、「あなたのせいじゃない」など、様々な事例が紹介されている。

実際、言葉を誤解を与えることなく使うのは非常に難しい。何十年、言葉を書く仕事をしていても、言葉の世界は複雑で、ときに騒がしく、やっかいであると感じる。それに比べれば、瞑想して言葉のない世界にいるときは、何と平和かと思うのだ。だったら、言葉を使う仕事なんて、全部やめればいいのかもとも思うが、一方で、私は言葉に中毒してもいる(苦)。だから、その葛藤を生きるしかない――神の意志がそれを止めてくれるまで。

さて、昨年「言葉の向こうに人がいる」のブログでも、言葉の言外の意味を読み取られる話を書いたが、最近も某県の(前)知事さんが新人職員に向けた下記の訓示が差別発言として炎上した(「差別発言」というより、常識欠如の「無知発言」という感じだ)

「県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです」

「違って」という言葉が、県民のリーダーである知事の発言としては、決定的にまずく、せめて、「同じく」にすればよかったのにね。

『悪童たち』(上・下)柴金陳(早川書房)

中国のミステリーを初めて読んでみた。著者は、「中国の東野圭吾」と言われている人気ミステリー作家だそうで、文章は読みやすく(たぶん翻訳がよいおかげでもある)、最後まで飽きずに読むことができた。海外の小説を読む利点は、その国の文化・歴史を知ることができると同時に、おおげさに言えば、人間という生き物がいだく感情は、国、政治体制、時代を超えて共通していることを理解できることだ。本書の中では、現代の中国社会の状況を背景に、社会や親との関係で不幸と鬱屈感をいだく子供たちが出会い、しだいに大胆に犯罪に突き進んでいく姿が描かれている。

『天国でまた会おう』(上・下)ピエール・ルメートル(早川書房)

第一次世界大戦後のフランス社会を背景に、戦争末期の悲劇的状況で出会った二人の青年たちの苦難と社会への復讐を描いた小説。ここでも、父親に愛されなかった非凡な青年と母親に期待されすぎている普通の青年、彼らの葛藤、怒りという人類共通のテーマが小説の縦軸となっている。

『未来は決まっており、自分の意志など存在しない』妹尾武治(光文新書)
ラメッシ・バルセカールの「すべては神の意志」の心理学版というところか。「人間には自由意志がない」という話のときにほとんど必ず引用される、ベンジャミン・リベットの実験をはじめ、様々な分野の知見が紹介されている。著者は、自分は発達障害であり、過去に自殺未遂を起こしたことも告白しているが、心理学的決定論に救いを見出い出したようである。

『前巷説百物語』京極夏彦(角川書店)

色々読んだ京極夏彦さんの小説の中で、一番気に入ったのは、昨年紹介した「書楼弔堂」シリーズと、「巷説百物語」シリーズである。このシリーズは、人気時代劇「必殺仕事人」のように、法で裁けない悪を裁く話であるが、その雰囲気はかなり違っている。

本シリーズに登場する仕事人たちは、ほとんどが無宿者、つまり、江戸時代の士農工商という身分制度の外にいる。そして彼らは、「弱者にこんなひどいことをするのは赦せない」というような正義感ももってない。彼らにあるのは、「業(カルマ)を清算する」とか、「確かに依頼人は損をしている。その損を取り戻すお手伝いをしましょう」的な考え方である。彼らはほとんど自分たちでは殺しはせず、相手に自らの非を悟らせたり、自殺に追い込んだり、悪者同士がお互いを滅ぼし合うように仕組んだりする。様々なありそうでなさそうなびっくり仕掛けを考え、実行するのが彼らの役割だ。

その仕事人たちのリーダー的存在、御行の又一、別名、小股潜り(こまたくぐり=詐欺師)が非常に魅力的である。彼は一切の武器をもたず、あらゆる人のところへ出かけては、自分たちの目的のために、変幻自在の言葉の技を駆使して、物語を語り、ときには騙り(=騙し)、ときには言葉で人の心を切り裂き、ときには修復する。ペン(言葉)が剣よりも強いヒーロー物語を読むのは、爽快である。

『朝日新聞政治部』鮫島浩(講談社)
紙面には、いつもリベラル派の立派な論と言葉が立ち並ぶ「朝日新聞」。その「朝日新聞」のエリート部局である政治部に長年所属し、エース記者だった著者が朝日新聞のエリート記者に上り詰め、それから小さなミスが元で、社内外からバッシングを浴び、閑職に追いやられ、最終的には退職を選択する顛末を語った話。

本書の中で、印象深い話は、当時の安倍政権がいかに朝日新聞を天敵として、執拗に攻撃をしたのかという話と、著者が内外のバッシングを受けているとき、朝日新聞の経営陣は自社の記者である著者を守ることなく、非常に冷たかったという話である。普段は立派なことを書いている新聞社も、普通の会社と同じく、いざとなれば、動物園的保身に走ることがよくわかる。

朝日新聞というと、亡くなった父を思い出す。父は、朝日新聞のリベラルな論調が大嫌いだったにもかかわらず、長年、自分が好きな産経新聞と嫌いな朝日新聞の二紙を購読していた。あるとき私は父に言ったものだ。「そんなに朝日が嫌いなら、購読をやめれば?」すると、父曰く、「朝日と産経を読み比べて、朝日がどれだけ間違ったことを書いているか知るためだ」。それでも、私自身は(母の家にいるときしか新聞を読まないけれど)、もしどれか一紙、読む新聞を選ぶなら、朝日を選ぶとは思う(土曜版のBeとGlobeの記事が気に入っている)。

私が思うには、新聞に掲載されるような立派な意見も含めて、リベラルな意見にしろ、保守的な意見にしろ、誰も意見も絶対的に正しいものはなく、それは書いている人の世界観を表現し、多かれ少なかれ偏向している。そして、意見は世界を「変えない」。そして、いつの世も悲しくも、「剣(権力と暴力)はペン(言葉)より強し」である。意見は、政治と政治家を変えず、戦争を止めず、貧困を止めず、少子化を止めず、格差を止めない。それでも、人という種は何かについての想い、自分の考え(意見)を言葉で表現せざるをえない生き物なのである。


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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