「公正世界仮説」2024年02月25日 09時27分39秒

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◎オンライン「非二元の探究――「主体」として生きる

2024年3月3日(日曜日)午前9時から午前11時頃まで


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先日、『逃亡者』(中村文則著 幻冬舎発行)という小説を読んでいたら、「公正世界仮説」という心理学の用語が詳しく説明されていた。少し前に読んだネットの文章の中でも、「公正世界仮説」の話が書かれてあり、「公正世界仮説」という言葉(最近まで私は知らなかった)は、最近の流行の心理学の用語らしいことに気づいた。

ウキベディアの情報によれば、「公正世界仮説」は次のように定義されている。

「公正世界」であるこの世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。言い換えると、公正世界仮説を信じる者は、起こった出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であると考え、またこれから起こることもそうであることを期待する傾向がある。この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などが存在するという考えを暗に含む。公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%AD%A3%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BB%AE%E8%AA%AC

実は、こういった「公正世界仮説」的考え方は、キリスト教や仏教など伝統的宗教から、最近のスピリチュアル系の教えの中にも暗黙に含まれている。なぜなら、伝統宗教も含めてほとんどのスピリチュアル系の教えは、「カルマ」=「あなたが蒔いたものをあなたは刈り取る」ということを教えているからだ。昨年出版されたジョエル・ゴールドスミスの『静寂の雷鳴』(ナチュラルスピリット発行)にも、聖書の中に出てくる「あなたが蒔いたものをあなたは刈り取る」の話が山ほど言及されている。

しかし、「公正世界仮説」に反論する人たちも非常に多くいるようで、実はその反論が興味深かったので、本日の話題に取りあげたわけだ。中村さんは『逃亡者』の中で、その反論をこう書いている。

「公正世界仮説は社会の問題を個人の問題に還元する。公正仮説的な物語が世の中に広がると、その分だけ、世界や社会を改善しようと思う人間が減る」。「公正世界仮説的な物語ばかりだと、それは人々の無意識に作用しますので、世界は改善に向かい難くなり、歴史の中で非劇が発生し続ける」。(以上『逃亡者』より)。だから、中村さんは、「自分は公正世界仮説的ではない小説を書きたい」、という主旨のことも書いている。

それから、ネットには、公正世界仮説的考えを信じている人から説教されたり、批判されたりして、苦痛を感じるという話がたまに出ている。たとえば、こんな感じだ。

「あなたが色々なことをうまくやれないのは、あなたの努力が足りないからだ」とか、「あなたは自分の苦しみを、親とか、子供の頃の環境とか、社会のせいにしている」とか。

私の印象では、「公正世界仮説」的な信念を強くもっている人たちは、「自分の努力のおかげで、あるいは自分のポジティブな考え方・人生観のおかげで、自分は成功した。あるいは、自分はこの世界での快適な立場を獲得することができた」と信じている人たちが多いように感じる。そういう信念をもっている人たちから見ると、多くの人たちは自分で努力もせず、他人ばかりを責めているように見え、よせばいいのに、つい批判したくなるわけだ。

「私にできたことが、なんであなたにできないの? あなただって、親や社会や家族のせいにしないで、自分で頑張れば、人生がもっとうまくいくようになるはず」みたいなことを言い、本人としては、正しいことを言って、相手を励ましているつもりになっているが、言われたほうは、非常に苦痛を感じる。

ここで対照的な二人の人(AとB)を想像してみよう。二人は30代の半ばのほぼ同年代だが、生まれ落ちた環境は真逆だ。Aは経済的に恵まれた家庭に生まれ、親は愛情深く、子供に理解があり、なんでもしたいことをさせてくれたので、Aは子供の頃から好きなことをして、今は自分の才能を生かして、高給を稼いでいる。一方Bは、父親は暴力をふるい、母親は育児放棄をするような家庭に生まれ、児童養護施設で育てられ、そこを出たあとは、真面目にずっと働いている。でも、時々精神の状態が悪くなるので、働けないときもあり、収入も多くはない。

誰が見ても、Aは圧倒的に有利な環境から人生をスタートし、Bは圧倒的に不利な環境から人生をスタートさせている。BにもAと同じく生まれつきの才能があるはずだが、自分の才能を発揮する前に、まず残酷で冷たい敵だらけのこの世界(のように見える場所)で、どうやって生き延びるかのほうがはるかに重要になる。別の言い方をすれば、「才能を発揮」などという贅沢なところまで、自分の感情やメンタルが追い付いていかないわけだ。

人が「公正世界仮説」的な信念をもつことそれ自体は個人の信念の問題なので、間違っているわけではないが、自分のその考えをもってして、人生がうまくいかなくて、生きることに苦しんでいる人達を批判したり、説教したりするのは、彼らに想像力と理解が欠如し、また自分の考えが絶対に正しく、誰にでも当てはまると考えるからだ。

もちろん、どれだけの想像力と理解力をもってしても、私たちは他人の苦しみを本当には理解できない。なぜなら、同じような体験をしていないから。それでも多少の想像力と理解力があれば、もし自分もひどい環境に生まれ落ちたら、彼らのように、自分自身や親や生育環境に対してネガティブに考えるかもしれないと思うだけの謙虚さをもつことはできる。

私の中にもかなり「公正世界仮説」的考えはあり、私は自分の苦しみを他人や社会のせいにしないことを20代の後半に決心した。なぜなら、私の場合は、社会や自分以外の人を責めるほうが苦しく、みじめに感じたからだ。ただし、上記のウキベディアの定義の中で、「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ、という部分は、私には当てはまらないし、私はそういうことを信じていない。大宇宙の絶対的摂理(神の摂理)は確信しているが、それは人間が考える正義ではない。

私たちの肉体が所属しているこの二元世界は、非常に不公平で不正義に満ちている。二元的人間社会の中では、人間の正義や公正であろうとする努力はほとんど報われないというのが、私たちが見聞している事実である――ある子供たちは恵まれた家庭環境に生まれ、何の苦労もなく、才能を発揮して、人生の成功をつかみ取る一方、ひどい家庭環境に生まれた子供たちは、その環境の束縛に長い間苦しむ。正義感の強い人たちは権力者に抹殺され、権力者はのうのうと生き延び、庶民は真面目に働き、強制的に税金を払わされる一方、政治家たちは楽に金を集め、税金逃れをして、それでも罰せられないでいる。以上の社会的事実は、日本だけでなく、先進国でも後進国でも見られることだ。そして、いつの時代でも。

中村さんは、「公正世界仮説」への反論、「公正世界仮説的な物語ばかりだと、それは人々の無意識に作用しますので、世界は改善に向かい難くなり、歴史の中で非劇が発生し続ける」と書いているが、「公正世界仮説」が流行してもしなくても、社会という場所にはいつの時代でも悲劇は起こり続けると、私はそうは思っている。

多くの人間はいつの時代も、「改革」「改善」に取りつかれている。だから、「公正世界仮説」が広まっても広まらなくても、多くの人たちは社会制度、技術を「改革」「改善」するために働き、社会は長い目で見れば、人間が考える「改革」「改善」に向かっている。少なくとも、日本という国を長い目で見たとき(数百年くらいの長い期間)、江戸時代より、明治時代よりも、現代は改善、改革されただろうか? 多くの点で、はるかに人々は快適な生活を送っている。江戸時代は、武士以外に人権はなかったが、現在では庶民にもいちおう「人権」がある。江戸時代、女性にはまったく自由がなかったが、現在は、そのときよりも女性の自由は「改善」されている。

それにもかかわらず、どんなに社会制度や技術が改善、改革されようが、社会の中で、不正義と不平等と不正は横行し、その社会の中で多くの人たちは苦しみ、悲劇は起こり続ける(最近、世界でもっとも公正で幸福な国の一つであるとされているフィンランドでは、自殺が非常に多いことを知って驚いた)。

そして、小説家はその悲劇、人々の苦しみをネタに反「公正世界仮説」的小説を書き続ける。もし小説家が、人々に楽しんで読んでもらえる小説を書きたいなら、反「公正世界仮説」的小説を書く以外にはない。なぜなら、もし小説の登場人物が、「私は自分の努力とポジティブな人生観のおかげで、人生の成功をつかんだ」というような「公正世界仮説」を信じるような人たちだけだと、小説としては非常につまらなくなるから(笑)。私は中村さんの小説のよい読者ではないけど、それでもなぜか彼の小説が気になる。だから、これからも頑張って、反「公正世界仮説」的小説を書き続けていただきたいものだ。


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

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