On Having No Head (2)2025年11月07日 09時07分36秒

[ひよこ豆様:ご質問への回答]
今回の本は、紙の書籍です。現在のところ電子書籍版は未定です。

[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ


◎2025年12月1日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)

◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)

2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで

◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」

2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」

2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)


2 On Having No Headとの出会い

今回は私とOn Having No Head ―Zen and the Rediscovery of the Obvious「頭がないことについて――禅と明白なるものの再発見」(仮称)(1994年に『心眼を得る』というタイトルで出版された本の再版)との「出会い」について書いてみたい。

まさに「出会い」――その出会いは、今から37,8年前に起きた。たまたま読んでいた本に、On Having No Headの翻訳された一節が紹介されてあったのだ。私はその文章を何度も読み返しては、「頭がない」とか、なんか変なことを言っているなあと思いながら、でも何かとてつもなく重要なことを語っているという印象をもった。それでなんとか原書の本を手に入れ、初めから読み始め、紹介されていた「指差し」実験をやってみた。最初は???だったが、何度かやったとき、突然開眼した(笑)。

「そういうことだったんだ!」と、過去に私が理解できずに格闘してきた『般若心経』、J.クリシュナムルティ、『なまけ者の悟り方』などの言わんとしたことの要点が一気に見えた(感じがした)。

そして、ハードな修行が嫌いで、坐ってやる瞑想もほとんどやる気がでない私を喜ばせたことは、いわゆるハーディングのワークは:

*辛い修行不要
*先生と宗教的信仰不要
*お金と時間不要

という点だった。ただ「見ればいい」。その手軽さ気軽さが何よりも私の気質に合っていた。

そして、私がOn Having No Headも含めてハーディングの本を何冊か読んで最初に理解したことは:

*スピリチュアルな人たちが話題にする「悟り」とか「目覚め」とか「完璧さ」とは、目標ではなく、出発地点だということだ。私たち全員が本質的には「すでにそれ」であり、「そこから出てきている」。

*だから、人として私たちがスピリチュアル的に何かになる―たとえば、「悟った人」、「目覚めた人」、「完全な人」、「スピリチュアル的に何か高い境地にいる人」になることは、どんなに努力してもあり得ない。人間としての自分は永遠に不完全な存在であり、それでOKなのだと。

以上のことを理解して、自分を何かの理想の高見に引き上げようとするスピリチュアル的努力は一切無駄で、「要するにまあ、人は自分のしたいこと、楽しいと思うことをして好きに生きればいいのだ」ということを改めて(それまでもそう思って生きていたが)確信した。

最初の数年、On Having No Headも含め、数冊のハーディングの本(の原書)を熱心に読み、それからは熱が冷め、時折読んではハーディングが言わんとしていることを少し考えるくらいだった。もしハーディングその人に直接出会わなければ、彼の本を私が翻訳したり、「頭がない方法」を他の人たちと分かち合うなどという活動は起こらなかったことだろう。

ハーディングその人との出会いも偶然で突然だった。たぶん1994年のことだったと思うが、彼がまだ生きていて(当時85歳)ワークショップなどの活動をやっていると知り、なぜかこの人にどうしても会いたいという衝動のようなものを感じた。それでその年の夏のワークショップに参加するために、はるばるアイルランドまで飛んでいった。

彼のワークショップは、その当時日本で流行していた、自己啓発やチャネリング系のセミナーやワークショップとはまったく異質ものだった。しかもワークショップの金額が格安で驚いた。そのワークショップでは、何かを教える先生と何かを学ぶ生徒という関係もなく、長年ワークをやった経験者と初心者という区別もなく、何かを達成することも獲得することも引き寄せることもなく、ただ「在る」だけの時間がゆるく平和に流れていた。

そのワークショップでハーディングから、「よかったら、私の本は何冊もあるから、日本で出版してほしい」と言われた。内心、英語が難解すぎて自分の能力に余るし、その他様々な理由から無理とは思っていたものの、著者から翻訳を頼まれるなんて機会もそうあることではないと思い直し、一番薄い本(The Little book of life and Death『今ここに、死と不死を見る』)を翻訳して出版することにした。本当は、On Having No Headにしたかったのだが、私がハーディングに出会った頃、ちょうど日本の別の出版社が翻訳権を買ったばかりということで、残念ながらその願いはかなわなかった。

そして今、長い間絶版だったOn Having No Headの再版がようやく実現することとなり、ほっとしている。たぶんOn Having No Headへの私の理解も翻訳能力も30年前よりは多少向上した( I hope)と思われるので、様々なことが30年の時を経て成熟した状況での出版となり、喜んでいる。

今、改めてOn Having No Headを読み直してみると、特に第4章「話を現代化する」の内容を当時私は本当にはよく理解していなかったことがわかる。ヴィジョンは変わらないが、理解のほうは長い間、実験を練習し、ハーディングの言葉を読みながら、少しずつ湧き起こった感がある。

そして、ハーディングも書いているように、そしていつも言っていたように、実験そのものはシンプルであるのに、そのヴィジョンを生きることは決して簡単ではないし、多くの困難や障害にも出会う。まして、このヴィジョンを分かち合うことはなおさらだ。

それでも、なぜか続いた不思議な縁……最初に開眼したあの日と同じように、今この瞬間もこのヴィジョンは、無知という「神秘」(あえてこの言葉を使えば)に包まれて、平凡に普通に輝いている(合掌)。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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On Having No Head (1)2025年10月26日 10時04分46秒

[イベント]
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◎2025年11月29日(土)と12月1日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)

◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)

2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで

◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」

2025年11月9日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」

2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)


今回からもうすぐ出版が予定されているダグラス・ハーディング(1909~2007)著、On Having No Head ―Zen and the Rediscovery of the Obvious「頭がないことについて――禅と明白なるものの再発見」(仮称)(1994年に『心眼を得る』というタイトルで出版された本の再版)を紹介したい。

今まであちこちでハーディングの教えや彼について書いてきたので、重複する話が多くなるが、本ブログの読者の皆さんのために下記の三つに重点をおいて書く予定である。

1On Having No Headが書かれた経緯
2On Having No Headとの出会い
3On Having No Headに書かれている内容について

1On Having No Headが書かれた経緯

ダグラス・ハーディングは第二次世界大戦後、建築の仕事を休んで、大著『The Hierarchy of Heaven and Earth ―A New Diagram of Man in the Universe (天と地の階層――宇宙における人間の新しい図解)を書きあげた。出版界に縁のなかった彼であるが、その原稿を読んだ当時のイギリス文学界の重鎮C.S.ルイス(イギリスの作家。1898~1963)がその内容を絶賛し、彼の後押しで1952年にそれは出版された。それから、大衆的雑誌、『サタデー・イブニング・ポスト』から原稿の依頼がきて、その依頼に応じて書いた2つの原稿の一つがOn Having No Headだった。

二つのうち一つの原稿は雑誌に掲載されたが、On Having No Headの元となった原稿は、友人たちが「『私には頭がない』なんていう書き出しで始まる文章は一般雑誌にはふさわしくない」と警告したので、当時会員だった仏教協会に頼んで出版してもらった。これは1960年代の話である。

初期の頃の版には下記の3つの文章が掲載されていた。

第1章  真に見ること  
第2章  「見ること」を理解する  
第3章  禅を発見する 

それから、1980年代に第4章「話を現代化する」を付け加え、この章では彼が30代の初めに自分には「頭がないこと」を発見してから40年以上、「頭がないことを」を自ら実践し、それを他の人たちとも分かち合ってきた経験の詳細が語られている。具体的には、単純なヴィジョンの背後にある奥深い神秘、キリスト教、仏教、インドのアドヴァイタなどの教えと深く共通する点、そして、日常生活への影響、他の人たちに伝えることの困難、そして「頭がないこと」を実践する人たちに降りかかる障害について、幅広く様々な角度から書いている。

ハーディングは本書のあとも様々なことをテーマにたくさんの本を書いたが、On Having No Headには、それらすべての本の内容が要約されていると言っても過言ではない。短い本(約100ページ)の中に非常にコンパクトに内容がまとめられ、そして、一般雑誌向け原稿だったということもあり、彼の文章にしては比較的平易な文体で書かれている(と思う)。(←比較すれば、『The Hierarchy of Heaven and Earth』の本などは、最初読んだとき、宇宙人が書いた英語かと思ったくらい、ハーディングの英語は私には難解に感じられたし、今でも難解である)

On Having No Headでハーディングは、中国、日本の著名な禅僧たちの言葉にも言及しているので、欧米では禅を学ぶ人たちの間でも広く読まれ、現在まで彼の本の中では一番売れているロングセラーとなっている。


[今年出版された本]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。



*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』22025年09月02日 06時19分52秒

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2025年9月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究─世界の出現」

2025年9月13日(土曜日)午後2時から午後4時頃まで

2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで


[
新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


〔Youtube]

U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(20

https://youtu.be/-c0HAPGzdYs


今年の3月から開始したU.G.クリシュナムルティの『悟りという謎』(The Mystique of Enlightenment)という本のYouTube 番組も、先日の20回目でだいたい三分の一が終わった。正直に言えば、翻訳しながら彼の言っていることは理解不可能なことも多いし、彼がインドの霊的伝統、そしてスピリチュアルな修行そのものを激しく否定する言葉は、一部の人たちには不快感さえ与えるかもしれないとは思う。そしてまた彼の生まれ育ち、人生は、私たちのように普通の生活を送っている者たちにとっては、あまりに特異で想像しがたく、共通することがほとんどない。

彼がそれほどインド的伝統的霊性やスピリチュアルな修行を否定する背景には、彼の子供時代の生育環境が非常に影響していると私は感じる。前にも書いたが、無理やりやらされたことは、あとでそれに対する反発が非常に強くなる。普通だったら、平凡で楽しい子供らしい日々を送れたはずが、何一つ子供らしく遊ぶことも許されず、修行、修行、修行の日々。

しかし、彼は同時に並外れた知性、すべてを疑う反骨精神にも恵まれていた。その知性と反骨精神で自分のまわりの大人たちを冷静に冷徹に観察し、悟りやら何かを求めて瞑想修行をしている人たちは何かおかしいと次第に思うようになる。

そして長年の探究、苦しいほどの自己質問(自分の質問を自分へ問うこと)を経て、彼は最後に、自分の覚醒体験は、自分がやらされた修行とは何の関係もないことを理解し、自分の長年の修行は無用だった、そして、悟りを求めて多くのことを犠牲にして修行をしているインド人は、無駄なことをやっていることに気づく。

『悟りという謎』はそんな彼が仕方なく話したことをまとめた本なので、「私の話を聴くことは無駄だし、誰の話も役に立たない」という、いつも身も蓋もない話になる。

それでも彼が「私の話を聴くことは無駄だし、誰の話も役に立たない」以外に、繰り返し語っていることがある。それは「一人一人の人間はユニークであり、途方もない知性に恵まれている」ということだ。そして、その知性が活動することがゆるされている状態が、彼がいういわゆる「自然の状態」ということになる。

3章「人間の外にはパワーはない」の冒頭でも彼はこう言っている。

「私が話すことの全目的は、一人一人の個人のユニークさを人々に指摘することである。文化とか文明とかあなた方が呼んでいるものは、常に私たちを一つの枠組みに合わせようとしてきた。人間はまだまったく人間ではない。私はそういった人間を『ユニークな動物』と呼んでいる。人が文化という重荷を背負っているかぎり、その人間は『ユニークな動物』に留まる」(『悟りという謎』より)

インドにかぎらず、どこの社会や文化にも一人ひとりのユニークな知性を抑圧しようとする途方もない圧力がある。それはなぜなのか? もし興味があれば、それを問いかけて、自分の知性からの答えを待てば、なぜ私たちが人間動物という「不自然な状態」で生きているのか、そして、U.G.のいう「自然の状態」への理解が開かれるかもしれない。

これから3章は、インド人の教授らしい人がU.G.に質問し、それに彼が答えるという形式で進行する。そのインド人の教授がインドの霊性や文化を一生懸命持ち上げよう(笑)と質問するのに対して、U.G.は、「インドの霊性や文化なんて経済的貧困しかもたらさなかった」とバサバサ切り捨てている(←現在インドは昔よりかなり豊かになったが、このインタビューがおこなわれた1980年当時はまだ貧しかった)。

こんな感じの話ですが、あと残り三分の2、気が向いたらご視聴ください。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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ご質問への回答2025年03月08日 15時05分50秒

[新刊発売お知らせ]

*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)3月下旬発売予定。

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


[ お知らせ]

ハム様の質問とコメントへの回答

[私は、悟りや人生に期待しすぎなのでしょうか?
結局、人生は、普通に生きるしかないのでしょうか?」

[ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の教えについて、Gemini(生成AI)に質問したら、良い回答が来ました。以下のリンク先の文章の感想を高木さんにいただけたらな、と思います。よかったら、読んでみてください。
note
悟らなければいけないと思うことは、
条件付きの肯定であり、「今」にいないのではないか? 非二元論や仏教の悟りについてです。二元論や仏教の悟りについてです。

[回答]
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。

非常に率直に言って、ひろゆきさんの考えでも、Gemini(生成AI)の回答でも、ハムさんがそれに共感したり、よいと思ったりするなら、それでOKなわけで、それに対して私が何かをコメントすることにほとんど意味を見い出せないです。

ハムさんが書かれている、「私は、悟りや人生に期待しすぎなのでしょうか? 結局、人生は、普通に生きるしかな
のでしょうか?」というご質問(でしょうか?)ですが、生成AIシンプル堂の回答は:

「はい、あなたは悟りや人生に期待しすぎです。結局、人生は、普通に生きるしかありません」(←身も蓋もない回答)



[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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アジャシャンティの警告2025年02月24日 07時14分10秒

[新刊発売お知らせ]

*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


[ お知らせ]



先日、アジャシャンティのインタヴュー動画(4年前の動画)を見た。
(日本語字幕を出すことができます)

実は、アジャシャンティの動画を初めから最後まで見たのはこれが初めてだった。私は必要があるとき以外、ほとんどスピリチュアル系の先生の動画は見ないのだけれど、たまたま別の動画を見ているときに、なぜかサイドにAdyashanti - On Osho(アジャシャンティ、Oshoについて語る)の動画が出てきて、アジャシャンティがOshoについて何を語ったかに興味がわいたのだ。

インタビューは、冒頭、「あなたは自由時間に何をしているのですか? ネットフリックスとか見るのですか?」という軽いノリの質問から始まり、それに対して、アジャシャンティは、「もちろん、見ますよ。テレビで映画とかドラマも見ます」と答え、それからネットフリックスで見たOshoのアシュラムについてのドキュメンタリーについて語りだした。そのインタビューの最中、アジャシャンティって、こんなに笑う人だったっけ? とちょっとびっくりするほど、彼はよく笑い、楽しそうに答えているのが印象的だった。

彼がOshoについて語ったことは:

*Oshoの中に明晰さがあり、それが非常に多くの人たちをスピリチュアルへと導いたし、彼は最初から、妄想をいだいたペテン師ではなかった。

*仮に人に霊的目覚めや悟りの体験があったとしても、それはその人が完璧であることを保証しない。

*人はある面では、非常に明晰でありながら、他の面がまったく成長していない、ということはよくある。

*霊的洞察があるからといって、すべてを正しく知っているとはかぎらない。

*私たちは悟りとはそのようなものであってほしいという幻想をもっているし、悟りは人に自信を与えるかもしれないが、それは自信過剰になり、自分を騙すことになる。

*私は以上のようなことがOshoに起こったのだと思う。自分はその場にはいなかったが、ドキュメンタリーを見ると、そのように見える。

と、だいたいまあ上記の主旨のようなことをOshoについて語った。私も20代の一時期Oshoの教えと関わったことがあるので、アジャシャンティが語っていることは理解できる。私の印象でも、アメリカでのOshoの団体はかなりあやうい感じがしたものだ(私自身は、アジャシャンティが言及したOshoのアシュラムについてのドキュメンタリーを見ていないが)。

アジャシャンティはOshoのような例は今まで山ほどくりかえされてきたといい、特定の人(先生)を自分より素晴らしい人として、台座に乗せて崇拝しないようにと警告を与えるが、たぶん、悲観的予想をすれば、これからもスピリチュアルな世界ではこの「アイドル化」は永遠になくならないのだと思う。なぜなら、私たちのマインドにとっては、内側(自分の本質、思考や感情)を見るよりも、外側(先生)を見るほう(崇拝するほう)が苦痛がなく、楽(らく)だし、楽しいからだ。

アジャシャンティは言う――人が誰かを崇拝するとき、人は自分の中の最高のものを相手に渡して、相手を崇拝し、そして、最後には必ず相手に腹を立てる(笑)。そして、スピリチュアルな目覚めや悟りの経験がある人にとって、重要なこと、つまり、この「崇拝=アイドル化」を防ぐ一番の防衛は、正直であること、誠実であること、どんなときにも「自分が完璧であるふり」をせず、正直に、誠実に人と接することだと。

人としては、著名な賢者の方々も含めて、誰も完璧で完全ではありえないし、間違いを犯さない人はいない。

以上の話は、アジャシャンティの『あなたの世界の終わり』にも強調されていたが、自分自身も含めて、スピリチュアルに関わっている人たちは、彼のこの警告を真剣に心に留めておきたいものだ。私の理解によれば、「アイドル化」というのは、自分と相手の間に、分離の線を引くことであり、すべての「人を自分と対等な存在に見る」という、非二元の教えに反している。

さて、アメリカでは、自信過剰の人が大統領に返り咲き、自信過剰のリーダーがこの先アメリカと世界にどんな混乱を起こすのか、興味深いことである。読んだ話では、トランプさんが子供の頃、受けた宗教教育は、超肯定主義とも呼べるもので、「どんなときにも、自分は絶対に正しいと信じる」というものだったという。前にも書いたことがあるが、カルト宗教のグルが大統領になったような感じで、これから、現在進行中の政治(宗教)ドキュメンタリ―(タイトル、「ポジティブ王、世界をかきまわす」くらいか)を世界中で鑑賞することになる(笑)。


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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異星人、たぶん存在するかも……(1)2024年12月20日 06時31分34秒

[ お知らせ]

*「Master Key toSelf Realization 」の発行は来年となります。諸般の事情で遅れてしまい、お待ちいてだいたいる皆様には、お詫び申し上げます。


たまにSF小説を読んでみたくなる(読書ジャンルとしては、あまり得意ではないけど)。それでこの間、ネットで最近どんなものが出ているのか調べていたら、中国人の作家が書いた『三体』という作品名(劉慈欣著 早川書房)をたまたま目にして、図書館から借りて読んでみた。

ネットの情報によれば、『三体』はヒューゴー賞という権威あるSFの賞をアジア人で初めて受賞した作品だそうで、日本では、2019年に第一部が出版されている。

ネタばれになるのを承知で、超簡単に第一部のストーリーを紹介すると:

話は中国の文化大革命の時代から始まり、中国の科学者、知識人が置かれた過酷の状況が描写されている。そんな過酷な状況を生き抜いた一人の科学者が、地球文明に絶望して、秘かに地球よりも高度の文明に向かってメッセージを送る。そのメッセージの最後のほうは、こんな文章で締めくくられている。

「われわれは理想の社会を建設し、それぞれの人類のメンバーの労働と価値がすべてじゅうぶんに尊重され、すべての人の物質面と精神面の需要がじゅうぶんに満たせるような、さらに安全で美しい地球文明を目指して努力しております。
 われわれは美しい理想を抱き、宇宙の他の文明社会との関係を確立することを願っており、またあなたがたとともに、広大な宇宙において、さらにすばらしい生を築いていくことを願っています」

礼儀正しく、ていねいな言葉で綴られてはいるが、メッセージの意図とは、「地球は今まで格差、暴力、貧困、戦争などの問題を解決しようと長い間、頑張ってきたけれど、自分たちの力ではもうどうしようもできない。どうか高度の文明の皆様、地球の現状を助けてください」というものだ。

そして、そのメッセージは三体文明という惑星の監視員に受信された。三体文明は地球よりもはるかに高度の科学文明をもってはいるが、生きる環境としては過酷で、彼らは宇宙の中で、自分たちが移住(侵略)できる惑星を探している。

しかも、彼らの社会は超格差社会、独裁国家(地球の北朝鮮のような感じ)で、三体文明では宇宙からのメッセージを監視する仕事、監視員は、社会の最下層の仕事、まったく報われない仕事だ。

地球からのメッセージを受信したその監視人は、三体文明での自分の境遇に嫌気がさし、何の希望もない日々を送っていたところに、未知なる惑星地球から情報が来て、自分たち三体文明に比べて、あまりに美しく楽園のような環境にびっくりし、そこを自分の理想郷と思い描く。

そして、もし自分がこのメッセージを上層部に知らせたら、彼らはすぐにでも地球への侵略に着手し、あの美しい文明が破壊されてしまうことを心配し、自分の独断で地球へ警告のメッセージを送り返す。

その内容は:
「応答するな! 応答するな! (中略)もし応答したら、送信源の座標はただしに特定され、あなたがたの惑星は侵略される。あなたがたの世界は制服される! 応答するな! 応答するな!!!」

ところが、彼の反三体文明的行為は、すぐに上層部に知られることとなり、彼は元首に呼びつけられるが、元首に向かって言い放つ。「社会の最下層にいる何の希望もない自分が、あのように美しい楽園のような文明を知り、彼らを救うことができたら、自分の人生は無駄ではなかった」と。

それを聞いた元首は激怒し(元首は言葉は穏やかではあるが)、彼に最大の罰を与えることを決める。三体文明では、基本、有罪(地球の死刑にあたる)か無罪しかなく、彼は無罪を宣告されたうえ、心理的な罰を与えられた。

その罰とは:

「地球を救うことなどできないと、おまえが確実に知るようにしてやりたい。地球がすべての希望を失うその日まで、おまえを生かしておいてやりたい」

彼を有罪にしない代わりに、三体文明の元首は今回の彼の行為に責任のあった6千人を全員有罪にして、広場で焼き殺すことを決定(←まさに北朝鮮的で笑える)

と、第一部はだいたいこんな感じです。

すでに地球上には、たくさんの三体文明信奉者(三体文明が地球を救ってくれると信じる人たち)がいて、また三体文明は地球のあらゆるコンピュータ・システムにすでにスパイを忍ばせ、地球の情報収集をしている。第二部では、その三体文明信奉者と地球を防衛しようとする人たちとAIスパイが入り乱れて、400年後に迫る(三体文明の技術力でも、艦隊が地球に到着するのに、約400年かかる)地球侵略の話になるらしい(これから読むところです)


私は若い頃から、異星人や異星文明は存在するだろうとは思ってきた。宇宙にはこれだけたくさんの惑星、星、銀河があるのだから、地球だけに知的生命体がいると想定するほうが無理、という理由からだ。

20代の頃、スピリチュアルな本をたくさん読み始めた頃、異星人の話でよく読んだのが、ジョージ・アダムスキーの著作で、『生命の科学』『テレパシー』(文久書林発行)の2冊の本は今でももっている。今読んでみても、内容は素晴らしい。

しかし、アダムスキーの本は熱心に読んだものの、かといって、私が異星人とか地球外文明に特に関心をもったわけでもなかった。私は本の情報のソース(源泉)が人だろうが異星人だろうが、その他だろうが、自分にフィットすると思うものは熱心に読むし、そうでなければ読まないというだけのことなのだ。あくまでも、私の関心は本にある。

それから、1980年代の後半、バシャール(確か、惑星の名前は「エササニ」だったか)が登場し、スピリチュアル系の人たちはそのチャネリングのメッセージに熱狂し、「ワクワク」という流行語を生み出した。バシャールにはまっている人たちが、あんまり何にでもいつでも、「ワクワク」という言葉を使うのにうんざりはしたが、まあバシャールのメッセージは楽しかった。

それからの長い年月、「異星人」とか「地球外文明」にほとんど関心が向かなかったのが、つい数ヶ月前、数年前に読者の方から紹介してもらった本と、その中の異星人が地球に向けたメッセージの文章を突然思い出した。本のタイトルは、『私は円盤に乗った』(ダニエル・フライ著 ユニバース出版社発行)という本で、著者がコンタクトした異星人アランのメッセージは下記のようなものである。

「地球人は、どんな直接的な試みによっても平和は決して達成されはしないという単純な事実をまだ理解できていないようです。平和は単に、人と人、人種と人種、国と国、それにすべての人々の間の完全な理解と、神として知られている、あまねく広がる力と英知の副産物として自動的に得られるものです。そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかし、これが理解されるまでは、どんな努力も成功はなし得ません」

「まず理解がなければならない…あなた達が使用している理解という言葉は知識、知恵、愛、慈悲としばしば混同されています。これらのすべては望ましい性質ですが、どれも、理解に代わることはできません。あなた方のバイブルでは神と自分の隣人とを愛せよと忠告され命令されています。それがなされたとしたら、それは素晴らしい忠告でしたが、不幸なことに愛は意志に従わない衝動です。忠告され、命令されたという理由ではだれも他人を実際に愛することはできませんし、何か報酬を貰って愛するとしても、あなたは見せかけの愛を作り出し、外見上は完全になし得るかもしれませんが、相手はあなたの偽善の生きたシンボルにすぎません。あなたの心の中には愛などないでしょう。どんな愛や慈悲や知恵がある前にまず、理解がなければなりません」

「地球の人々の文明と社会に最も必要なものは簡単で、人と人の間、国と国の間、すべての人々と自然を制御している偉大なる力と英知の間の基本的な理解です。理解が、あなた方人類が生き残るための鍵です。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証など全く価値はありませ
ん」

異星人アランの言うことはまったくそのとおりだ。それで私は関心をもち、『私は円盤に乗った』を全部読んでみようと思い、無料英語版PDF(原書タイトル the White Sands Incident)を見つけ、読んでみた。

話は、1950年代のアメリカで起きた話で、ダニエル・フライは円盤に乗せられて、ニューメキシコ州のホワイトサンズから東海岸のニューヨークまでわずか30分で往復した。彼はロケット・エンジンの専門家なので、その道中、円盤の原理や構造などテクニカルの質問をアランにする。その質疑は、素人には理解が難しいが、アランが「すべての原理はシンプルである」と答えるところが印象的だ。

先程の引用以外で、アランがダニエル・フライを通じて、地球人へのメッセージとして言ったことはだいたい次のようなことである(ざっと読んだだけなので、あまり正確ではないかもしれないが)

*科学には3種類あり、一番重要なのが、神(創造主)と人との関係を理解する「スピリチュアルな科学」、それから社会の中での人同士の関係を理解する「社会科学」、そして、「物質科学」がある。

*物質科学は、スピリチュアルな科学と社会科学を土台にして築かないかぎり、最後には衰退し、また原始的レベルに戻ってしまう。

*地球は大昔、今よりもはるかに科学文明が進んでいた時代があった。しかし、スピリチュアルな科学、社会科学の土台がなかったがゆえに、二つの勢力が相争い、大戦争(核戦争?)となり、地球全体が汚染されて、ほとんど住めない状態になった。そして、地球の物質科学も原始的レベルに戻ってしまった。

*そのとき、一部の者たちは宇宙船で地球を脱出し、他の惑星へ移住し、私(アラン)はそのとき地球から逃れた人類の末裔である。地球の中で、唯一汚染されなかった地域がチベットで、一部の地球人はそこに住みついた。

*私たちは地球がよい方向へ進化するように見守ってはいるが、しかしすべては地球人の意志にかかっている。

*今現時点では、私たちが公けに姿を現すと、一部の地球人たちは私たちを神とあがめてしまうか、あるいは敵として攻撃するかもしれないので、そういうことはしない。


彼の言っていることはごくまともだし、三つの科学の話はそのとおりだと思う。彼が言っている「スピリチュアルな科学」とは、古くはイエス・キリスト、仏陀から現代までの非二元の教えを指し、本当は宗教と言うより、「科学」として扱われるべきだ。しかし、「スピリチュアルな科学」は21世紀の地球でいまだ全然広まっていないし、地球の現在の権力者たちは核兵器大好き人間が多いようなので、一つ間違えば、(大昔のように?)核戦争で現在の地球文明が滅ぶ可能性もゼロではない。

最初に紹介したSF『三体』に話を戻せば、だから、地球の知性ある科学者が地球の現状に絶望して、宇宙にメッセージを送りたくなる気持ちもよく理解できる。ただ、そのメッセージを受信した文明が、地球を愛する文明というスピリチュアル的展開ではなく、地球を敵対視する北朝鮮的文明という想定がいかにもSF的だ(←スピリチュアル的展開だと、物語としては面白くはないだろうから)。

そんなこんな、しばらくの間、異星人、地球外文明の話にはまって(笑)、他にもいくつか読んでみた。USアマゾンを検索したら、「異星人とのコンタクト」というジャンルの本は今ではものすごく多く出版されていることに驚いた。(長くなってしまったので、次回に続きます)


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト












Master Key to Self-Realization (4)2024年10月21日 09時39分07秒

[お知らせ]

*Youtube新シリーズ 猿笑(さるわらい)非二元講座」

*『ハートの静寂』(ロバート・アダムス著 ナチュラルスピリット発行)電子書籍版が

発行されました。詳細はこちらはへ。



(Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー)の出版スケジュールは現在、まだ未定です)


本書の中で、シュリ―・シッダラメシュヴァール・マハラジの教えの説き方は、登山にかなり似ている。彼は、下記の各ボディを肉体から一歩一歩ゆっくり絶対まで登る行程を詳細に説明する。

グロス・ボディ(肉体)
サトル・ボディ
コーザル・ボディ
グレート‐コーザル・ボディ
絶対

本書の中のグロス・ボディ(肉体)の話は、たぶん常識で理解できる。ただ、20世紀前半のインドの文化・社会を背景にした話なので、かなり男尊女卑的に感じられたり、日本人にはたぶんピンとこない話もある。

それから、サトル・ボディは、基本的には、思考・感情、そして感覚を司ると考えられるので、ここもある程度は普段の経験から理解できるだろうと思う。

本書の一番の難所だと思うところは、コーザル・ボディの説明だ。ここはかなりわかりにくいし、シッダラメシュヴァール・マハラジもここが難所であることを認めている。なぜなら、私たちの人間的思考、人間的知性は、コーザル・ボディを捉えることができないからだ。

サトル・ボディの活動が収まるとき、コーザル・ボディへの入り口に到達したと言えるが、では人が自分はサットル・ボディを超えて、コーザル・ボディに入っていると理解する目安は何だろうか? 

私の理解によれば:

*瞑想などで思考・感情が静止する経験をする(=サットル・ボディが静まる)

*「自分は本当は何も知らない」という理解が湧く。

*自分の思考・感情・理解に執着しない。


以上のような状態を経験するとき、人はコーザル・ボディという難所に足を踏み入れたと理解してよいと思う。

私たちがサトル・ボディに自分の本拠地を置いているときには、「自分は本当は何も知らない」という理解は決して生まれない。自分の見方・考え方・知識が絶対に正しいと思う人たち、「自分がたくさんの物事を知っている」ことにプライドをいだく人たちは、自分の思考ですべてを理解できると思う人たちはコーザル・ボディに入ることはできない。

シッダラメシュヴァール・マハラジは、多くの求道者たちはコーザル・ボディまで到達して、そこから先は何もないと思い違いして、引き返す人たちが多いと警告する。たぶん、その警告は、「思考・感情」が静止したときの平安,いわゆる、「禅定」、「サマーディ」に安定できるいわゆる「瞑想者」たちに向けられている。

それから、コーザル・ボディについて言及すべきことは、コーザル・ボディは、ボディ(肉体)とサットル・ボディの生みの親(それゆえコーザル=原因、という名前がついている)であり、ボディ(肉体)とサットル・ボディはコーザル・ボディの道具である、ということだ。

しかし、コーザル・ボディは非二元形而上学登山の頂上ではない。さらにそのあとにグレート‐コーザル・ボディの領域、そして、絶対を残している。

ここから先の領域の説明は、本書にゆずるとして、私たちの日常生活での認識は、実は、登山の下りであることを理解することは重要だし、本書でもそのことに言及されている。

つまり、探求は下記の順番で一般的にはおこなわれる:


グロス・ボディ(肉体)

サトル・ボディ

コーザル・ボディ

グレート‐コーザル・ボディ
絶対

しかし、私たちの日常生活の認識は、下記の順番で降りて来る。

絶対

グレート‐コーザル・ボディ

コーザル・ボディ

サトル・ボディ

グロス・ボディ(肉体)


たとえば私たちが、自分が見ている世界に、何かを認識するとしよう。たった一つの認識、「あ、〇〇がある」というその平凡な認識さえ、絶対からグロス・ボディのすべてが関わっている。その下降はもちろん、光速よりも速く、というより、無時間で降りて来る。

このことは考えてみるに、本当に「奇跡的」なことだ。非二元系の教えで、第一の「奇跡」とはこのことであり、ニサルガダッタ・マハラジやダグラス・ハーディングはこの「奇跡」をよく話題にした。



[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

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方向が逆2024年09月07日 07時55分23秒

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2024年9月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで ←受付終了しました
2024年9月29日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


◎オンライン「非二元の探究――非二元的認識から生まれる豊かさについて

2024年9月22日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2024年10月3日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで



[お知らせ]
Master Key to Self-Realization についての紹介は、発売時期が決まりましたら、残りを書きます。


先日、ネットで見た小さい記事が私の関心を引いた。それは東ティモールという小さい国の話で、その国へこのたび、フランシスコローマ教皇が訪問するという。

東ティモールは小さい国で、それほど経済的に豊かではない。それにもかかわらず、莫大な予算を組んでローマ教皇来訪の準備をし、ミサの場所を作るために国有地に住んでいた貧しい人たちの家を強制的に壊し、退去させたという。

さて、私は思ったものだ。貧しい人たちの家を強制的に壊して退去させることは、キリストの精神に合っているのだろうか?と。もちろん、ローマ教皇はこのことをご存じないだろうから、彼の責任ではないが、貧しい人間たちを泣かせて、ローマ教皇の来訪に備えるって、なんかキリストの精神とは方向が逆な感じ……でも、カトリック教徒が90%以上をしめる国民からもたいした反対はなかったようだ。

私が子供の頃の話である。家族の中で唯一、祖母だけが宗教的行為に熱心だった。戦前から生き残った高さ2メートルに届きそうな仏壇に、お花と、家族がめったに口にできない高級なお菓子をあげ、熱心に毎日その前で読経していた。家にお金がない時代だったにもかかわらず、祖母は宗教行事にはお金をつぎ込んだ。それほど熱心に宗教行事にお金をつぎ込み、熱心に日々読経しているにもかかわらず、祖母は幸せな人ではなかった。そして、彼女の不幸は家族に暗い影を投げかけた。

祖母を見て、私は子供心に思ったものだ。木の箱(仏壇)にいるとされている死んだ人間にお菓子をあげて祈るより、生きている子供においしいお菓子をくれ!(笑)。そして、宗教行事はお金がかかるわりには、人間の幸福にも心の平和にも役に立たないものだとも思った。祖母は幸福や平和をまったく反対の方向に求めていたのだ。

だから、私は子供の頃から仏壇や墓に参るメリットを感じたこともなければ、宗教行事に特別な敬意ももったこともない。が、それでも、父が亡くなってからは、1年に数回だけは宗教行事(というよりは季節の文化行事)をおこなっている。8月は墓参りに行き、お寺さんにご挨拶もしてきた

そして、家に帰ってきてから、母と一緒に母の好きな歌、『千の風になって』を歌った。

私のお墓の前で泣かないでください♪♪♪
そこに私はいません♪♪♪
眠ってなんかいません♪♪♪

まさに、肉体が生きているときも、肉体の死後も、「私」が、あんな小さい石の箱(お墓)の中にいるはずがない! 方向が逆!




[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

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私が伝えたいこと2024年07月17日 07時09分30秒

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2024年7月25日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで


◎オンライン「非二元の探究――非二元的認識から生まれる豊かさについて

2024年7月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[お知らせ]

*Youtube新シリーズ 猿笑(さるわらい)非二元講座」
*『ハートの静寂』(ロバート・アダムス著 ナチュラルスピリット発行)電子書籍版が
発行されました。詳細はこちらはへ。



Master Key to Self-Realization についての紹介は、発売時期が決まりましたら、残りを書きます。

皆様、梅雨&暑中お見舞い申し上げます。

私がスピリチュアル関係の仕事を始めて35年くらいがたつ。この間、色々な本の出版に関わり、自分の本も出版し、スピリチュアルの色々な分野を見聞し、その一部に関わってきた。

出版関係の仕事、そして自分の活動を通じて、私が皆様に伝えたいことは、今も昔もそんなに変わっていない。私がこのブログで色々なことを書くので(スピリチュアルなことだけ書いていると、私のマインドは退屈する)、一体シンプル堂さんは本当は何を書きたいのか?と思っている方がいるかもしれないので、本日は、私が皆様に伝えたいことをまとめてみたい。

私が皆様に伝えたいことの核心は、非常にシンプルで、一言で書けば、「自分の本質に目覚めて、平和に楽しく生きること」である。もちろん、世の中には、自分の本質に目覚めていなくても、楽しく生きている人たちはたくさんいる。しかし、自分の本質に目覚めることは、人間という種に生まれたものにとっての最高の贅沢である、と私は確信している。

「自分の本質に目覚める」はスピリチュアルなことであるが、それに加えてさらに、人間的次元では:

*(なるべく)自分の好きなこと(自分に向いていること)をする。
*(なるべく)自分の生まれつきの能力(才能)を生かす。

以上の2つをさらに皆様にお伝えしたいとおもってきた。だから、以上の3つに役立つための(本などの)情報、私自身の45年のスピリチュアルな探求の経験から学んだこと、考えたことをこのブログで書いてきた(つもりである)。私が今まで出版に関わった本、このブログで書いてきたことが、誰かのお役に立ったとしたら、うれしいことだし、人間的意味での私の喜びもそこにある。


今、朝の6時。目を閉じると、思考が止まり、静寂が広がり、その中で、鳥の鳴き声が聞こえ、扇風機の風を感じる………

おっと、ブログがまだ途中でした。思考再開。

最近は、「老い」の苦を痛切に感じる日々である。若い頃、「老い」がこんなに苦だとは想像することができなかった――親の老い、自分の肉体の老い、そして、日本という国、システムの老い。

でも、精神は保守化(老化)しないように、注意しなくてはと思う。いつも心がけることは、今ここで、楽しむことができることを楽しむ。そして、少しだけ新しいことに挑戦する。ここ数年、試みた新しいこと――YouTubeでの動画作り、Zoom。そして、去年と今年は、簡単にできるお菓子作りにはまっている。私自身は体質的に糖分をたくさん食べないほうがいいので、自分はちょっとしか食べないが、家族のために作っている。料理はスピリチュアルな探求や仕事と違って、結果が出るのが早くて楽しい。

最近一番ヒットしたお菓子――「豆腐ガトーショコラ」――絹ごし豆腐、卵、砂糖、ココアをただ混ぜて、電子レンジで約3分、トータルで10分くらいで完成→粗熱をとって、冷やして食べる(レシピはネットに多数出ています)。

それでは皆様、楽しい夏をお過ごしください。


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト







Master Key to Self-Realization (3)2024年07月01日 06時48分21秒

ケロケロ様
[Master Key to Self-Realizationの発売予定は、現時点ではまだ未定です。たぶん、今年中には発行されると思いますが……]

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2024年7月14日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2024年7月25日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで


◎オンライン「非二元の探究――非二元的認識から生まれる豊かさについて

2024年7月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2024年7月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[お知らせ]

*Youtube新シリーズ 猿笑(さるわらい)非二元講座」
*『ハートの静寂』(ロバート・アダムス著 ナチュラルスピリット発行)電子書籍版が
発行されました。詳細はこちらはへ。



Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー)は、非常に短い本(原書で、約100ページ)なので、私がこのブログであまり内容を紹介しすぎると、皆さんに購入していただく意味がなくなる(笑)ので、各ボディについての詳細に興味がある方は、ぜひ購入していただければと思う。

私が本書の中に書かれている内容で、「ああ、そういうことか」と初めて知ったことは、インドの悪名高きカースト制度の起源である。本書の中のある章に、「一人の人間の中で、カーストを経験する」という項目がある。実は、インドのカースト制度の起源とは、現在のように、肉体がどこの家庭や家柄に生まれたかという外側の問題ではなく、一人の人間の中のそれぞれのボディにつけられた別称なのである。

カーストには、基本的にバラモン(司祭)、クシャトリヤ(戦士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(労働者)があるが、それをそれぞれのボディに当てはめれば:

グレート‐コーザル・ボディはバラモン(司祭)・カースト、
コーザル・ボディはクシャトリヤ(戦士)カースト、
サトル・ボディはヴァイシャ(商人)カーストであり、
グロス・ボディはシュードラ(労働者)カースト、

ということになる。

だから、人がグロス・ボディ(肉体)と自分を一体化していれば、その人の意識状態は、シュードラ(労働者)カーストに属し、サトル・ボディと一体化していれば、ヴァイシャ(商人)カーストに属し、コーザル・ボディと一体化していれば、クシャトリヤ(戦士)カーストに属し、グレート‐コーザル・ボディと一体化していれば、バラモン(司祭)・カーストに属している、ということになる。

このように、インドの古代ヴェーダの本来の教えによれば、カーストは、肉体の生まれや家柄とは無関係、つまり、今、流行の言葉で言えば、家柄ガチャとは無関係なのに、それを外側の固定的階級制度にしてしまったところに、現在まで続くインドという国の不幸がある――インドには、さらにカースト外の不可触民、「ダリッド」と呼ばれている人たちがいる。

本当であれば、人を解放するはずの宗教的教えが、人々を束縛し、不幸にするのは、何もヒンドゥー教に限らないが、人間マインドが、どれほど階級制度が好きなのか、いつも驚くばかりである。

たぶん、人間精神の奥深くに、誰の中にも、「上(の階級)へ行きたい」という超越へのあこがれ、野心(願望)のようなものがあるのだろうと、私には感じられる。そして、その野心(願望)が間違って、外側に向けられると、それは宗教ではなく、「政治」、他者とのかぎりない階級競争となり、その結末は、不幸、みじめさ、憎しみ、恨み、つらみである。

しかし、そのあこがれ、野心が正しい方向、つまり、内側に向けられ、内なる階級が理解できれば、本書が説明するように、それは究極的には人を解放する教えとなる。

真正なスピリチュアルは、どんな家柄、生まれ、人種であれ、すべての人にカースト(ボディ)からの解放の可能性を約束している。本書の中では、グレート‐コーザル・ボディ=バラモン(司祭)・カーストさえ、最後に超越すべきものとして語られている。

ボディの階級を上り、最後にはそれさえ捨てる。それがアドバイタの教えが語る最高の野心であり、ニサルガダッタ・マハラジはその野心を次のように語っている。

「あらゆる人が死ななければならない。だったら、自分の本質として死になさい。なぜ肉体として死ぬのか? 自分の本質を決して忘れないようにしなさい。そのことは多くの人たちには受け入れられないかもしれないが、それが事実だ。もしあなたが野心をもたなければならないとしたら、最高の野心をもちなさい。そうすれば、少なくとも死ぬ最中に、あなたは絶対になることだろう」『意識に先立って』p195(ナチュラルスピリット発行)


[昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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