U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』2025年04月01日 10時30分12秒

[新刊発売お知らせ]

*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
ナチュラルスピリット発行)発売。

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


[ お知らせ]




先日より、YouTube で、U.G.クリシュナムルティ(1918 ~2007)『悟りという謎』(原書タイトル「The Mystique of Enlightenment」の翻訳を公開している。

U.G.クリシュナムルティはこのブログで過去に一度だけ話題にしたことがあり、そのときも書いたが、インドの賢者で私が好きな3人の一人だ。

有名なJ.クリシュナムルティのほうは、若い頃5年間、熱心に読んだものの、相性がそれほどよくなかったせいか、正直にいって、彼にはあまり親近感がわかない。しかし、なぜか、U.G.クリシュナムルティには親近感がわき、一時期熱心に彼の本を読んだものだ。本当は紙の本を企画すればいいのだけれど、もう新たに紙の本を企画するだけの体力と忍耐が、年々減少している(紙の本は企画してから、完成までに数年の時間がかかる)。

幸い、彼の本には著作権がない(彼のすべての本に、「自分の教えには著作権がない」ことを公言するU.G.の言葉が掲載されている)ので、このたび、長年読んだ、「The Mystique of Enlightenment」の翻訳を公開することにした。

改めて彼の本を読むと、彼の存在、言葉から一番伝わってくるのは、「怒り」だ。いわゆる賢者の中で、これほど怒っている人も珍しい。何に対する怒りだろうか? 大きく言えば、つまらないものをありがたがっているインド的霊性への怒り、自分の話は役に立たないと言っているのに、自分の話を聞こうとやって来る人たちへの苛立ち、そして、ひょっとしたら、子供の頃に強制的に学ばされた宗教教育にも怒っているのかもしれない。

彼は、20代の頃、自分以上に悟りを得るために努力した人はいないはずだと思っていたくらいだから、幼少期から10代の頃、それはものすごい修行をした(させられた)のだろうと想像する。子供の頃にイヤイヤ強制されたことは、大人になってから怒りがわくほどのトラウマを残すことがあり、私にもいくつかイヤな思い出(私の場合は、先生に強制されたこと)がある。

そんなU.G.クリシュナムルティが語ることなので、彼が語ることが何かに役立つというより、彼の話はすべて、「悟りや解脱を求めるすべての探求者がやっていることは、すべて無駄」、「グルも役に立たず、他人の話も役に立たない」、そして、「自分に起こったこと(49歳のときに、彼自身は「災難」と呼ぶ、強烈な覚醒体験が起こった)は、探求とはまったく無関係」という身も蓋もないところへ収斂していく。

彼は、彼の本を出版したいという人たちにこう言ったと伝えられている。「私の教えを広めるためではなく、金儲けのために本を出版しなさい」。

最後に、「The Mystique of Enlightenment」という本のタイトルについてであるが、直訳すれば、「悟りという神秘」くらいだが、「悟りなどというものはない」、「神秘などはない」と彼が語っていることとは真逆なタイトルで、いかにも本を売るためにつけたタイトル(笑)。

本当は、本書につけるべき正しいタイトルは、「The Mistake of Enlightenment」(悟りという間違い)くらいであるべきで、YouTube のタイトルも、大胆に誤訳して、「悟りという間違い」にしようかと一瞬思ったのだけれど、妥協して、『悟りという謎』にすることにした。たぶん、彼の言葉はほとんど役に立たないだろうし、また私が最後まで、「The Mystique of Enlightenment」の訳を公開できるかどうか(そこまで体力がもつかどうか)未定であるが、興味が湧きましたら、視聴ください。


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト









コメント

_ 山住まいの男 ― 2025年04月22日 20時30分56秒

高木さん、こんばんは。
約9年前、「だれがかまうもんか」を拝読し、初めてラメッシの教えに触れたことが、私にとってのひとつの転機でした。その後、高木さんのご著書や、ハーディングの翻訳書などにも親しみながら、自分なりに学びを深めてまいりました。
とはいえ、当時は頭ではそれなりに納得しながらも、実際の生活の中でその教えが助けになる実感は乏しく、どこか「いずれ理解できる日が来れば」と半ばあきらめのような気持ちを抱えて過ごしておりました。
今年に入り、自分の根っこを変えてくれるような「大きな気づき」などを求める心理そのものが、実は変化を拒む心の、変わらないための巧妙な手段であったことに思い至りました。真に大切なのは、それを「自分の真実として生きる」という決意なのだと、自分なりにですが理解しました。
50も後半に差しかかって、ようやく「行為者のいない生き方」「意識に生かされる生き方」の楽さ、素晴らしさを、少しずつ実感できるようになりました。心からの感謝をお伝えしたく、筆をとりました。
東北の田舎住まいゆえ、セミナーなどにはなかなか伺えそうにありませんが、これからもラメッシをはじめとした先達の教えや、高木さんの言葉に触れていくことを生きがいにしてまいります。
本当にありがとうございます。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
日本の首都はどこですか?

コメント:

トラックバック