「ディストピア」と「ユートピア」2025年02月05日 09時20分15秒

[ イベント]
◎リアルの会「非二元の探究――主体を科学的に探求する」(東京都文京区)

2025年3月2日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで


◎オンライン「非二元の探究――主体を科学的に探求する」

2025年2月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[ お知らせ]



 *「Master Key toSelf Realization 」は、今のことろ、25年3月下旬発売予定です。


昨年末に話題にした本、『三体』の続き、『三体Ⅱ(暗黒の森)上・下』(劉慈欣著 早川書房)を超走り読みした。いわゆる「ディストピア」(暗黒郷)のジャンルに入る本で、三体文明が地球に迫ってくる暗い未来の地球が描かれている。地球が暗いだけでなく、すべての文明、宇宙全体が暗い「暗黒の森」であると教える内容になっている。

なぜ「暗黒の森」なのかと言えば、下記の宇宙文明の二つの公理によって、

1.生存は文明の第一の欲求である。
2.文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である、

「ここにいるよ!」と叫んで自分の存在を曝す生命(=文明)は、別の狩人(=文明)によって消滅させられるからだ。

つまり、この公理の意味とは、宇宙の物質の総量(=使える資源)は限られているので、文明同士は常に相手を滅ぼそうと待ち構えている狩人のようなものである。だから、文明は自分たちの宇宙における位置が知られることを何よりも恐れている。それが、人類が他の異星文明に「出会わない」理由であると。

そして、人類が宇宙の本質が黒暗森林であることに気づかなかったのは、人類に愛があるからだという。そして、最後の最後に、第Ⅰ部に登場した地球文明を愛している三体文明の監視員が再び登場し、三体文明にも愛はあるのだが、生存戦略に役立たないので抑圧されてきたと語る。

と、最後まで読むと、「愛があるなんて、人類って案外、いい生き物じゃないか」(笑)と思えるから不思議だ。

小説家、作家、文学はどちらかと言えば、「ディストピア」(暗黒郷)を描くほうが好みというか、彼らのマインドは人間の一番暗い想念を吸収することに長けている。そして、一般的には暗い話のほうが物語の展開としては面白い。最近も、「出産」をテーマにした別の「ディストピア」の本を読んでみた。

少子化が止まらない日本で、10人子供を産んだら、一人を殺してもいい「権利」を得る社会を描いた『殺人出産』(村田沙耶香著)(講談社)。同じ著者の『コンビニ人間』にはまだユーモアがあったが、『殺人出産』には救いがない。たぶんこれほど極端なシステムは実現しないだろうが、日本という国が人口減少で、国家存続の危機ともなれば、(強制とまではいかなくても)若い女性たちに出産を強く奨励するシステムは将来的にはありうるかもと、想像した。なぜかといえば、宇宙公理第一、「生存は文明の第一の欲求である」を国家に当てはめれば、「生存は国家の第一の欲求である」とも言えるからだ。

「ディストピア」(暗黒郷)の反対に、「ユートピア」(理想郷)という言葉がある。私の長年の読書と見聞によれば、スピリチュアル系の人たちは、「ユートピア」(理想郷)がこの宇宙のどこかにあると考えるほうを好む。どこかに「完全なる愛と平和」が実現している惑星があるのではないかと。スピリチュアル系の人たちが好む異星人ジャンルの本には、愛と平和を実現している異星人がたくさん登場して、地球を優しく見守っているという話がたくさん描かれ、小説『三体』とは正反対の宇宙像を提供している。

さて、宇宙は「暗黒の森」なのか、それとも「愛の森」なのか……

たぶん、私が思うには、「ディストピア」(暗黒郷)も「ユートピア」(理想郷)も一人一人が、あるいは特定の地域が経験する世界にしか存在しない。どんな時代のどんな瞬間にも、世界には、いや宇宙には、「ディストピア」(暗黒郷)と「ユートピア」(理想郷)を経験している存在(人類だけでなく異星人も含めて)がいるだろうし、そして地域があるにちがいない。

私にとっての「ユートピア」とは、大昔からずっと同じで、「ユートピア」とは熟睡しているとき、そして瞑想などで、マインドの活動が止まるとき。それが私にとっての「ユートピア」である。そして、最悪の「ディストピア」の時期は、たぶん20代前半の頃だったと思う。その時期はまさに「暗黒の森」という言葉がぴったりの時期だった。最近の一番ひどい「ディストピア」は、真夜中に快適な熟睡が突然に妨害されて、動きまわる母を追いかけては叱りつけて、何度も寝せようとするときだろうか……真夜中に人を叱りつけるなんて最低最悪の気分になる。

20世紀科学界の賢者、アインシュタインは、「神は微妙で奥深いかもしれないが、意地悪ではない」という言葉を残している。もし神が意地悪でなければ、神の作った宇宙も意地悪ではなく、宇宙は暗黒の森ではないだろうと推測できる。またダグラス・ハーディングも、「世界の背後にあるパワーは愛である」という言葉を残している。

そして、いちおうスピリチュアル系に属している私としても、20世紀の賢者たちの言葉に、宇宙は全体としては「暗黒の森」ではないほうに、人生を賭けている。真夜中に「ディストピア」を経験しているときでも、それも「愛かも」……しれない。


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*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

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本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



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アジャシャンティの警告2025年02月24日 07時14分10秒

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ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

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[ お知らせ]



先日、アジャシャンティのインタヴュー動画(4年前の動画)を見た。
(日本語字幕を出すことができます)

実は、アジャシャンティの動画を初めから最後まで見たのはこれが初めてだった。私は必要があるとき以外、ほとんどスピリチュアル系の先生の動画は見ないのだけれど、たまたま別の動画を見ているときに、なぜかサイドにAdyashanti - On Osho(アジャシャンティ、Oshoについて語る)の動画が出てきて、アジャシャンティがOshoについて何を語ったかに興味がわいたのだ。

インタビューは、冒頭、「あなたは自由時間に何をしているのですか? ネットフリックスとか見るのですか?」という軽いノリの質問から始まり、それに対して、アジャシャンティは、「もちろん、見ますよ。テレビで映画とかドラマも見ます」と答え、それからネットフリックスで見たOshoのアシュラムについてのドキュメンタリーについて語りだした。そのインタビューの最中、アジャシャンティって、こんなに笑う人だったっけ? とちょっとびっくりするほど、彼はよく笑い、楽しそうに答えているのが印象的だった。

彼がOshoについて語ったことは:

*Oshoの中に明晰さがあり、それが非常に多くの人たちをスピリチュアルへと導いたし、彼は最初から、妄想をいだいたペテン師ではなかった。

*仮に人に霊的目覚めや悟りの体験があったとしても、それはその人が完璧であることを保証しない。

*人はある面では、非常に明晰でありながら、他の面がまったく成長していない、ということはよくある。

*霊的洞察があるからといって、すべてを正しく知っているとはかぎらない。

*私たちは悟りとはそのようなものであってほしいという幻想をもっているし、悟りは人に自信を与えるかもしれないが、それは自信過剰になり、自分を騙すことになる。

*私は以上のようなことがOshoに起こったのだと思う。自分はその場にはいなかったが、ドキュメンタリーを見ると、そのように見える。

と、だいたいまあ上記の主旨のようなことをOshoについて語った。私も20代の一時期Oshoの教えと関わったことがあるので、アジャシャンティが語っていることは理解できる。私の印象でも、アメリカでのOshoの団体はかなりあやうい感じがしたものだ(私自身は、アジャシャンティが言及したOshoのアシュラムについてのドキュメンタリーを見ていないが)。

アジャシャンティはOshoのような例は今まで山ほどくりかえされてきたといい、特定の人(先生)を自分より素晴らしい人として、台座に乗せて崇拝しないようにと警告を与えるが、たぶん、悲観的予想をすれば、これからもスピリチュアルな世界ではこの「アイドル化」は永遠になくならないのだと思う。なぜなら、私たちのマインドにとっては、内側(自分の本質、思考や感情)を見るよりも、外側(先生)を見るほう(崇拝するほう)が苦痛がなく、楽(らく)だし、楽しいからだ。

アジャシャンティは言う――人が誰かを崇拝するとき、人は自分の中の最高のものを相手に渡して、相手を崇拝し、そして、最後には必ず相手に腹を立てる(笑)。そして、スピリチュアルな目覚めや悟りの経験がある人にとって、重要なこと、つまり、この「崇拝=アイドル化」を防ぐ一番の防衛は、正直であること、誠実であること、どんなときにも「自分が完璧であるふり」をせず、正直に、誠実に人と接することだと。

人としては、著名な賢者の方々も含めて、誰も完璧で完全ではありえないし、間違いを犯さない人はいない。

以上の話は、アジャシャンティの『あなたの世界の終わり』にも強調されていたが、自分自身も含めて、スピリチュアルに関わっている人たちは、彼のこの警告を真剣に心に留めておきたいものだ。私の理解によれば、「アイドル化」というのは、自分と相手の間に、分離の線を引くことであり、すべての「人を自分と対等な存在に見る」という、非二元の教えに反している。

さて、アメリカでは、自信過剰の人が大統領に返り咲き、自信過剰のリーダーがこの先アメリカと世界にどんな混乱を起こすのか、興味深いことである。読んだ話では、トランプさんが子供の頃、受けた宗教教育は、超肯定主義とも呼べるもので、「どんなときにも、自分は絶対に正しいと信じる」というものだったという。前にも書いたことがあるが、カルト宗教のグルが大統領になったような感じで、これから、現在進行中の政治(宗教)ドキュメンタリ―(タイトル、「ポジティブ王、世界をかきまわす」くらいか)を世界中で鑑賞することになる(笑)。


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

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