言葉の向こうに人がいる2023年05月18日 10時41分33秒

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1994年10月に、バーソロミューが東京でおこなったワークショップの記録を下記で公開しています
(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(4)まで公開中。


ここ数年、政治家や官僚など社会的地位がある人たちのセクハラ、パワハラ的言葉が非難されたり、炎上したりする話がよくネットに出ている。政治家や官僚、その他社会的地位などがある男性たち、権力者のセクハラ、パワハラなどは、大袈裟に言えば、歴史の始まりからあり、今に始まったことではないが、最近の違いは、社会(とくにその中の女性たちが)が以前よりはるかにセクハラ、パワハラ的言動、ついでに言えば、差別的言動に非常に敏感になっていることだ。

最近読んだ記事で興味深かったのは、某県の副知事が、海外のイベントで、関連団体の女性代表に、「(あなたは)また違う男の人を連れ回しているね」と言ったことで、セクハラ的言動をされたと、その女性から訴えられ、そして、反省し(反省させられ)、謝罪した(謝罪させられた)という話である。

その副知事さんは、自分が気づいた事実として、何気なく言った言葉が相手からセクハラ認定され、たぶん驚いたのではないかと思うが、この人のその反省の意味が、「ああそうか、『また違う男の人を連れ回しているね』という言葉そのものが、使ってはいけないセクハラ的言葉なのだ」とただ学習するだけだと、またいつか地雷を踏む可能性がある。

この状況での何が一番問題かと言えば、私が思うに、まずはその言葉そのものより、海外の公のイベントの場で、公けの立場で出合っている者同士の関係(この場合は、副知事と団体代表という立場で)、仕事とはまったく無関係の、言う必要のない話を相手の女性にふっていることだろう。

それに加えて、女性が、「また違う男の人を連れ回しているね」の言葉(ついでにさらに言えば、「連れている」ではなく、「連れ回す」も、否定的なニュアンスが含まれることが多い)を聞いて不快になったということなので、それはたぶん、副知事さんが無意識に込めたかもしれない、「君は、遊び人だね」とか、「外国人の男たちとチャラチャラしおって」みたいな侮蔑の意味を相手に感じ取られて、それが一番の致命傷になったのではないかと想像する。

一般的に言って、女性は言外の意味を察するのが得意である(ときには、察しすぎて疲れるものだ)。仮に男性が、「〇〇さんはまた違う男の人を連れ(回して)いるね」に、「あなたはモテるんだね」という純粋な誉めの気持ちを込めて発した場合、セクハラとは認定されない場合もあるだろう。

では、こういった状況で、代表が男性で、副知事さんが女性だった場合、同じように、「あなたは遊び人だね」とか、「外国の女とチャラチャラして」という言外の意味を込めて、「また違う女の人を連れ回しているね」と副知事さんが言った場合、セクハラで訴えられる可能性はどのくらいあるだろうか? たぶん、少ないだろうと予想できる。その理由はまず、男性は言外の意味を感じることが不得意な人たちが多い。そして、男性の場合、「また違う女の人を連れ回しているね」という言葉で、モテる男と認定されたようで、むしろうれしいかもしれない。

「〇〇さんはまた違う女(男)の人を連れてるね」ぐらいの言葉は、世間ではよく聞く言葉で、ときには相手に面と向かって冗談ぽく言う人さえいるし、様々な下記のような言外の意味をこめることが可能だ。

「〇〇さんは遊び人だね」
「〇〇さんは、それほどハンサム(美人)じゃないのに、意外にモテるんだね」
「〇〇さんはモテて、うらやましい」
「〇〇さんは、あんなに遊び歩いて、大丈夫?」

私がなんでこんなどうでもいい話をくだくだ書いているかというと、言葉とは単に、言葉それだけで意味が完結するわけではなく、状況、言葉を発する人の立場、受け取る人の立場、双方が抱いている観念や感情によって、様々に解釈が可能で、それが人と人のコミュニケーションを複雑で難解なものにしているという事実に、もっと人が気づくべきではないかと思っているからだ。

日本の政治家、官僚の皆さん、社会的に地位が高い、特に男性の皆さん、特に昭和文化を背負っているような方々は、一方的にしゃべることに慣れているせいか、あるいは、地位のある自分に得意になってしゃべるせいか、「自分が発する言葉の向こうには人がいる」ことをまったく考慮にいれない人たちが多い。つまり、しゃべる前に、自分がこの発言をしたら、聞いている人(たち)はどう感じるのか、さらに、今の時代の国民の風潮として、その発言は許されるのかどうか、ということを考えないので、自分が無意識に思っていることが、ぽろっと出て、セクハラ、パワハラ、差別発言と認定されてしまうのだ。

こんなことを書いている私だって、言葉によるコミュニケーションは決して得意ではなかったし、今でも日々学ぶという感じである。30代になってから、ようやく他人の心を思いやる余裕が出てきて、「人は言葉に非常に弱い(傷つきやすい)生き物である」ことを知るようになった。そして、しゃべる前に相手の存在を意識するようになり、それからは、できるだけ他人を傷つけないように、言葉を使うことを心がけるようになった。それでも、今でもたまに、「地雷」を踏むし(苦)、言葉を仕事の道具としている立場のため、私の言葉で人を不快にすることがあることは、避けられないだろうとも、自覚している。

最近では、「コミュニケーション障害(略して、コミュ障などともいうらしい)」という言葉があるくらいで、人と人のコミュニケーションの困難さは一般にも知られるようになった。自分自身の経験から言えることは、コミュニケーション能力とは、生まれつきのものではなく、ある程度は練習によって上手になる、逆に言えば、練習しないとうまくはならないということで、このことはほとんど理解されていない気がする――発達障害や自閉症などの脳の機能のせいで、コミュニケーションがうまくいかないという人たちもいるが、その人たちでさえ、学習によって、ある程度はコミュニケーション能力は改善すると言われている。

そして、ついでに言えば、スピリチュアルな目覚めとコミュニケーション能力は必ずしも一致しない。つまり、自分の本質に目覚めたからと言って、他人との言葉によるコミュニケーション能力が一気に上がるというわけではない。

そのよい事例が、ダグラス・ハーディングとラメッシ・バルセカールだ。確かに彼らは実人生でも優秀な人だったが、さて、コミュニケーション能力に関しては、ハーディングは30代で自分の本質に目覚めてからも、自意識なく普通に人と話せるまで、10年以上の年月がかかったと伝記にあるし、ラメッシ・バルセカールも、元々人としゃべるのが好きではなく、目覚めた当初もほとんど人としゃべらない人だったと書かれている。それがお二人とも、私がお会いした80代の頃は、自分が出会う人と誰とでも打ち解けて話していたので、彼らにしても長い年月をかけて、少しずつ他者とのコミュニケーションを学んでいったのだということがわかる。

ということで、ハーディングの言うところの人間クラブは様々な人たちがいて、コミュニケーションはときには、非常に困難で苦痛のことも多いが、「言葉の向こうには人がいる」、さらに、その「人」の背後には、すべてに共通する本質があるということを心に留めて、お互いに人間クラブでの修行(笑)に(ときにはイヤイヤ)励みましょう。


[昨年の発売された本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)



















家族関係の「苦」(2)2020年06月27日 14時19分11秒

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前回に引き続き、親子関係がいかに自分の人生に大きな影響を与えるのか、書いてみたい。

話を私の20代の頃に少し戻すと、反抗的な若者だった私は、20代の頃、親を含めた大人社会の常識というものを一切嫌っていた。嫌うどころか、役に立たないつまらない常識ばかりを長年教え込んで、私を無知に陥れた大人社会に私は激しく怒っていた。

だから、日本の宗教系の人たちがよく言う、「親や先祖に感謝しなさい」とか、「親を大切にしなさい」なんて、「くそくらえ!」という感じだったのだ。

一方で、20代の頃からグルジェフの教え関係の本を愛読し、たくさんのことを学んだ私は、「親との関係は、スピリチュアルな探求においても、大きな影響を与える」という彼の考えも真剣に考えた。

そして、グルジェフは正しいという自分なりの結論に至り、それから親との関係修復のために、自分なりの努力をするようになったというわけである。

私が得た一つの結論は、人は自分の親子関係をいわゆる世間(他人)に投影する傾向があるということだった。これは具体的にはどういうことかと言えば:

1自分は、親に愛されてこなかったと思う人の場合、自分が親から得られなかった愛情や認知を、世間(他人)から得ようとして、過剰な期待をいだく。

2自分は、親に溺愛されてきたと思う人の場合、自分が親から得てきたのと同じだけの愛情や認知を世間(他人)から得ようとして、過剰な期待をいだく。

もちろん、世間(他人)はみな自分のことで忙しいので、人のそんな過剰な愛情・認知願望に誰も応えられない。過剰な愛情・認知願望をひそかにいだけばいだくほど、人は他人の言動に傷つきやすくなり、自分の願望を満たしてくれない世間(他人)を嫌悪し、最悪は、憎しみさえいだくようになる。

以上のことに気づいたときさらに、私は世の中の非常に多くの人たち、特に親に自分の存在を認めてもらっていないと無意識に感じてきた人たちが、「自分の存在意義」を世間(他人)から勝ち取ろうと奮闘していることにも気づいた。つまり、「私という人間がここにいることを、お前たち、認めろよ!」みたいな要求を無意識に世間(他人)にする人の思考・感情のことだ。

しかし、そういう願望をひそかに持ち歩きながら生きても、ほとんど満たされることがない。その理由はさっきも書いたように、人はそれぞれ自分のことで忙しいし、そして本当は他人のことに関心がない(笑)からだ。そして、愛情・認知願望に飢えている人たちは、簡単に利用できると思われがちなので、人間関係のトラブルにも巻き込まれやすくなる。

以上のことから、私が30代の初め頃に人間関係と人生に関して得た理解と結論は、

1世間(他人)は親ではない。だから、自分が幼少時に満たされなかった(あるいは、満たされすぎた)親の愛情のようなものを期待しても、無駄であり、傷つくだけ。

2世間(他人)はおおむね利己的で、みな自分のことしか関心がないし、自分だって、そうである。それを受容すれば、平和である。

3「自分の存在意義」を世間の中で勝ち取ろうとする努力をやめて、ただ自分でそれを認めればいい。

以上のように理解し、実践するようになってから、はるかに人生の物事はうまくいくようになり、人間関係の問題に煩わされることなく、自分の好きなことだけに集中できるようになった。(以上の話は、今回ご希望者にプレゼントした、「人をめぐる冒険」にも一部書いてあります)

私が専門でもないのに、人間関係の話をこうしてくどくど書くのは、それは一応今の専門(?)である非二元系の教えに来る人たちの中で、深刻な人間関係の問題(特に親子関係)を放置しているように見える人を時々見かけるからだ。

はっきり言えば、そういう深刻な問題を放置し、それに蓋をしていると、スピリチュアルの探求もうまくはいかない――それがグルジェフから私が学んだことの一つだ。

非二元探求者の人たちの中には、「問題を無視しても、探求には何の障害にもならないだろうし、だって、そもそも問題なんて、幻想でしょう?」的態度を決め込んでいる人たちもいる。

あるいは、もし自分が悟りや神秘体験、アセンションのようなものを経験すれば、現世のすべての問題が消滅するだろうと、非現実的期待をいだいている人たちもいるように感じる。しかし私が会に来る皆さんには言うように、一発逆転のような奇跡はまず起きないので、期待しないほうがいい。

だから、瞑想、実験、読書、思索、そして日々生きることを通じて、自分のマインド・感情領域も含めて、「私とは何か?」を地道に探求していただきたいと思う。(非二元系の探求者がいかに自分の問題を無視するかという話は、アジャシャンティの「あなたの世界の終わり」に詳しく出ているので、読んだことがない方にはお勧めします)

ここで最後にまた親子関係に話を戻すと、世の中にはあらゆる親がいて、その親から生まれる子供たちもあらゆる種類の子供たちがいる。だから、親子の組み合わせも無限にあり、私たちはみな一人ひとり違う親子関係の物語を生きている。もし私たちが親子関係のトラウマから回復できたら、それを楽しいあるいは悲しい物語として、平和に語れるようになるだろうし、その中に多くの学びも発見できると思う。

(以前のブログで、私がかつて見聞した中で最悪の親――コンロの上で自分の子供を焼き殺そうとした親――の元で育ち、そのトラウマから回復した人の話(「許す勇気、生きる力」デイヴ・ペルザー著 青山出版社)を紹介したことがある)。

生き延びたという「幸運」 2008年11月08日
http://simple-dou.asablo.jp/blog/2008/11/08/

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家族関係の「苦」2020年06月17日 11時29分22秒

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コロナ感染が広がる中、世界的に共通して起こったことの一つが、家庭内暴力・虐待の増加というレポートを読んだ。考えてもみれば、外の世界で「密」を避けましょう、ということになれば、家庭内がいつもより「密」になるのは避けられず、野生動物も家畜も人間も、「密」、つまり、密集状態になれば、よりストレスがたまるのは、当然である。

もし家庭に、精神的肉体的に暴力的な動物園の住民(笑)がいる場合、コロナ以前にもあった潜在的問題が、こういったストレス集中によって、外側に露呈して、ひどくなれば、世間を驚かすような殺傷事件にまで発展することがある(「動物園の住民」とは、知性・理解の程度が動物段階という意味です)。

今日は、数カ月前に読んだ、ある悩み相談を例に、家庭内の深刻な人間関係(この相談は、母親対娘の関係)を放置することが、どれほど深刻な事態になりうるのかについて書いてみたい。

その悩み事相談のタイトルは、「15歳になる娘の全てに興味が持てない」で、回答者は鴻上尚史さんという方(たぶん演劇関係の人)です。

相談の詳細と回答は下記に出ています。
https://dot.asahi.com/dot/2020021400026.html?page=1

相談の内容を要約すると、

1.15歳の娘を、生まれたときから嫌いで、どうしても愛情を感じない。
2.彼女は普通の子で、自分も精一杯よい母親を演じている。
3.それでも、彼女の中に嫌いなことを見てしまい、それが耐えがたい。
4.自分も同じような嫌いな部分をもっているが、自分のことは嫌いではない。
5.娘に対する感情が憎しみに変わりつつあり、それは娘も感じていると思う。
6.娘のせいで、日々憂鬱で、夫への愛情も冷めつつある。
7.カウンセリングを受けたり、人に相談することはしたくない。
8.でも、娘を憎む気持ちをなんとかしたい。

とまあ、ざっと書けば、こういう内容である。これは相当深刻であり、ご本人もそれに気づいているからこそ、人に相談したくないと言いながら、投稿したのだと思う。
鴻上さんの回答も要約すると、

1.「娘を愛せない」という悩みは、特別ではない。
2.「娘の嫌なところと、自分の嫌なところは似ている」とあなた(相談者)は書きながら、一方で、「娘は嫌いだけど、自分のことは嫌いではない」と言うのは、不思議な感じである。
3.たぶんあなたは、本当は自分が嫌いなのだけれど、自分を嫌う代わりに、代理で、自分よりも弱い立場の娘さんを嫌っているのではないかと思う。
4.あなたは、娘と自分を自己同一化している。
5.このまま、この問題をほっておくと、何かもっと大きな問題が家庭内に起こるかもしれない。


鴻上さんの分析と回答は的確であり、早い話、「カウンセリングやセラピーを受けたほうがいいですよ。このままでは、もっと大変な状況になりますよ」という結論であり、私もそれに同感する。彼の文章の中で、「娘を愛せないという母親からの相談は今までも受けたことがあるが、息子が愛せないという相談は受けたことがない」というところは笑えた。

娘が嫌いだ、娘とは合わないと言ったり、思ったりする母親には、私もたくさん出会ったことがあるが、いまだかつて「息子が嫌いだ、息子と合わない」と言った母親に出会ったことがない。この相談者のように、ほとんどの母親は息子を溺愛している(笑)。その一方、母娘関係は、人が思うほどわかりやすくも、簡単でもない。

母娘関係がうまくいっている人たちでさえも、いつもうまくいくわけでもなく、そこには多大な「苦」をはらんでいる。うまくいっている人たちでさえ、多くの場合、一度はお互いを激しく否定する経験をすることがよくある。母娘関係とは何なのか、以前のブログに書きましたので、ご参照ください。

2012年9月8日「シズコさん」

鴻上さんの回答に書いていないことで、付け加えれば、この相談者がそれほど自己否定(自己嫌悪)するのは、自分の母親(あるいは父親)からも子供の頃、存在を否定されて育ったのかも、と想像する。そして、彼女が「わかりません」とか、「相談はしたくない」と言っているのは、もしその幼少時の記憶のようなものを全開してしまったら、耐えられないようなものを見てしまうのではないか、と恐れているからだと感じられる。

幼少時のトラウマをもつ人も特別ではなく、多くの人が幼少時のトラウマを抱えているが、ほとんどの人は一生、それを見ないまま、生きて死ぬのである。私自身は、20代の頃から、スピリチュアル、心理学、セラピー的なことに多く関わってきて、「自分のマインドを客観的に見る」などということは、ほとんど常識的なことに思ってきたが、世間一般では心理学、セラピー、カウンセリングさえ、まだそれほど一般的ではない。

ほとんどの人が自分のマインド・感情と同化して、それを客観的に眺めることができない。私はその状態を「動物段階」と呼んでいる。そして、動物段階の人は、問題の原因と責任をすべて外側に求めるという顕著な特徴がある。

でも、この相談者は今こうして勇気を出して、投稿し、そして少なくとも、「自分と娘は嫌なところが似ている」と、冷静に分析できるところまで、知性・理解が進化したとも言えるので、あとは、鴻上さんのアドバイスを聞いて、次なる進化への一歩を踏み出す勇気が出るかどうか、である。

もしこの母親がこのまま問題を放置したら、どういうことが起こりうるか、私が教育関係の仕事と人生の中で見聞したことから、起こりうる可能性のあることを書いてみると、

1.娘が理性的な子供の場合、さっさと自分のほうから親を見限って、親からなるべく早く離れようとする。つまり、高校を卒業したら、遠くへ就職か、進学して、親からできるだけ離れる。

2.感情的な娘の場合、自分を愛さない母親に復讐したくなり、悪い大人たちと付き合い出し、不良になって親をうんと困らせ、「よい母親」という世間の評判と仮面をはがしてやりたくなる。

3.エネルギーが内側にこもる娘の場合、どうやっても親を喜ばすことができず、親の期待に応えられない自分に罪悪感を感じ、自傷行為、うつ病、そして最悪は自殺。

4.母親・娘関係の悪化が、他の家族にも多大な影響を与え、家庭不和、最悪は家庭崩壊。

子供を育てた経験のある方、あるいは現在育てている方は、よく知っているように、子育てほどお金と労力のかかるプロジェクトはない。だからこそ、そのプロジェクトが成功するように、つまり、お互いにいっしょにいる時を平和に楽しめるようにすることは、非常に重要なことだと思う。さもないと、それほどの労力とお金を使ったあげく、老年になって、「苦」だけがお互いに残ったら、悲しい話だ。が、私はそういう老人たちをたくさん見てきたし、日本全国にその「苦」を抱えて晩年を送っている老人がたくさんいる。

特に日本は、親子関係の束縛が、欧米などに比べて、非常に強いという印象を私はもっている。だから私は、親子関係のトラウマ、あるいはその他の幼少期の深刻なトラウマなどをクリアにしておくことを、皆さんにはいつも強くお勧めしている。もし親子関係の「苦」に真剣に取り組み、それを解明すれば、その中には多大な光も見出すことができると確信しているからだ。

反対にそういった家族関係の「苦」を長年放置すると、世間が「まさか、あの人が」、「まさか、あの家庭で」と、驚く事件になる可能性がある。子供が親を殺すなんて、遠い他人事だと私も思ってきたけど、数年前、身近でそういう事件を聞いて、本当に驚いた。



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性エネルギー(生エネルギー)2019年12月01日 16時30分50秒

前回、瞑想などをすると、性エネルギーがより感じられることがあるという話を書いたが、この話題に関して、今まで読んだ本の中で一番わかりやすく、適切な考察をしていると思ったのは、「バーソロミュー」(ナチュラルスピリット刊行)の「性エネルギーという贈り物」という章だ。そこには瞑想などをしている人、スピリチュアルな探求をしている人にとって、性エネルギーをどう考えたらいいかについて、バーソロミューの考えが書かれている。

一部引用すると:

瞑想をしている人は、自分の体のなかを流れ動くエネルギーをはっきりと感じ、そういうエネルギーは自分の肉体を超えたところから来ることを知ります。性エネルギーにも同じ働きがあって、あなたをより広大な意識へと誘う「引き金」となります。自分がすべてのレベルで学び成長していく手段としてセックスを利用したければ、自分の内部やまわりで何が起こっているかに耳を傾け、注意を払わなければなりません。静かにして意識をとぎすますのです。性エネルギーの動きに気づき、それを感じ、動くさまを知るようにならなければなりません。生殖器部分は宇宙のパワーであるクンダリーニの発火点に非常に近いことも、観察していくとわかります。意識を完全にとぎすましていると、パワーを急増させ、背骨の基部にあるチャクラから天頂のチャクラまでエネルギーをかけのぼらせ、途中のチャクラにすべて点火する能力が自分の中にあることがわかります」(p62-63)

今、「クンダリーニ」とか「チャクラ」という言葉がたまたま出てきたが、自分の性エネルギーを理解するのに、実際こういう秘教的知識や特別なメソッドや先生は必要ないことを、バーソロミューは強調している。

同じ章で「クンダリーニについて学ぶのに、先生が必要ではないか?」という質問に答えて、バーソロミューは次のように述べている。

何をするにも師が必要だなどと思いこまないでください。あなた自身が教師なのです。パワーはあなたの内部にあって、人はそれぞれがパワー制御装置のようなものを持っています。エネルギーが動くに従って、道も開かれていきます。私の言うことを鵜呑みにしないでください。もちろん、ほかの人の言うことも鵜呑みにしないでください。自分自身の内なる声に耳を傾けてください」(P65)

性は、人の世俗人生で一番多様性のある分野なので、他人の経験・意見・アドバイス、世の中の常識はほとんど役に立たないと思ったほうがいい。だから、「自分にとって性とは何か? どういう意味をもっているのか?」を考え抜くことであり、自分にとっての「答え」が自分の中から出てくれば、ぶれない確信をもつことができるはずである。

性エネルギーは広く言えば、「生エネルギー=生命力」であり、それがたまたま生殖器部分で感じられれば、「性エネルギー」と呼ばれ、生エネルギーがハートで感じられれば、愛などの感情となり、さらに上のチャクラで感じられれば慈悲とか創造力として感じられる。

さらに話をすすめれば、バーソロミューはまだ「個人の意志と肉体」というものを前提にして、個人が性エネルギーをどう扱うのか、選択があるという立場で話しているが、これが完全な非二元系の教え、マハラジやラメッシのところまで来ると、性に関する経験も含めて、人生のすべての経験は、「あらかじめすべて決まっている」という前提にたっている。非二元の教えに立てば、一個の肉体精神器官の性の経験がどんなものでも、別にどういう意味もないのだ(笑)。

さて、「バーソロミュー」の本の「性エネルギーという贈り物」という章のタイトルには、そのときは非常に不愉快で、でも今思い出すと滑稽な思い出がある。

それは90年年代半ばのことで、「バーソロミュー」の本を私が経営していた会社で出していた頃のことだ。ある日、中年の男性から電話があり、「娘の部屋に入ってみると、『性エネルギーの贈り物』とかいう内容が掲載されている本を見つけた。こんな有害な本を出して世の中によからぬ影響を与えているので、お前を警察に訴えてやる」という主旨の内容を電話口でわめかれ、電話を切っても切っても、相手はしつこくストーキング電話をやめなかった。

「娘の部屋に入って、娘の思想チェックをし、しかも他人の会社の業務妨害をしているお前こそ、有害オヤジじゃないか!」と私は心の中でブチ切れたが、話を聞いているうちに、たかだか本の中の言葉に過剰に反応するくらいなので、この男性は相当ストレスがたまっているのか、娘との関係がよくないのか、あるいは、性に関して何か歪んだ幻想をもっているのかも、と想像した。

性エネルギーが抑圧され、それが人生の様々なストレスと歪んだ合体をすると、その行き着く先は、人間関係にまつわる「トラブル」であり、さらにひどくなると、「犯罪」を犯すに至ることがある。歪んだ性エネルギーには人の人生を狂わし破滅させるほどの麻薬的パワーがあることを、世の中にあふれている様々な事件は教えてくれている。


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子供をもつ意味2017年11月30日 16時24分33秒

  (ニサルガダッタ・マハラジの話は、次回にあと一回書きます)
 
 先日のご質問について

先日高木さんの書籍を購入いたしました、ストーン瀬戸物(←これで本名わかりますかね?笑)です。
 高木さんにお聞きしたいことがありコメント欄に書かせていただきました。
 
以前のブログで池田晶子さんの名前をはじめて知り、まだ二冊しか読んでいませんが、どなたかのブログに池田晶子さんが子供を作ることについて、ある書物で書いていて引用され掲載しています。

>親とは自身の否定性を乗り越えるためにこそ、あえて子という否定性を産み出すのである。これが、子作りとは精神の自己克服であるという、荒唐無稽な説である。

http://yoshi-imajuku.m.blog.jp/article/1044544682?guid=ON

この方のブログが読めれば全文が読めるのですが、高木さんは子供を作ることについて、子供ができることについて、どのように考えていらっしゃるのか聞いてみたい、と衝動的に書き込みしてしまいました。
 
高木さんの紙の書物は全部読みましたが、電子書物ではもしかしたら書いている内容かもしれません。楽しいお金3での幸せ父さん・幸せ母さんはわかっていますが、私が自分の子供のことで色々あるもので、何かの機会があればブログに高木さんの考えを書いていただけると、池田晶子さん以外の言葉を聞きたい、と思い、学ばせていただきたく質問いたしました。」

人はなぜ子供を産むのか? 実はその問いには根本的な答えがない。そもそも、子供を産むことにかぎらず、人の人生にまつわる「なぜ」には本当は答えがないのだ。そして子供をもつかどうか、子供が生まれるかどうかは、個人の意志(のように見えるが)、個人の意志には関係ないと私は思っている(この話は今年の2月のブログに書いた)。だから、誰も自分の意志で子供を産んではいない。ノン・デュアル系の教えの伝家の宝刀を抜けば、「すべては神の意志」(笑)――ただそう起こった――である。

しかし、そう答えてしまえば、身も蓋もないし、相対的レベルでは様々な理解な仕方があるとは思う。なので、今日は私が人間関係、特に親しい人間関係について思っていることを書いてみよう。

親しい人間関係(親子関係や夫婦関係)、それは進化を促進するための学習機能だというのが私の理解である。

私たちはお互いを通じて学び合う――それが親しい人間関係の意味だと、私はそう理解している。

私には子供はいないが、20代の頃、自分の両親と折り合いが悪かったときに、親子関係とは何なのかということをイヤというほど考えたものだ。
 
私は子供の頃はいわゆる「いい子」だった。そして私の両親もいわゆる典型的な日本の「いい親」――子供のためなら、自分のことは何でも犠牲にできるタイプの親――だった。
 
 だから、私は考えたものだった。「どうしてよい親とよい子供がお互いにこんなにケンカをしなければいけないのか?」
 
最初は私は、それは考え方・価値観の違いが問題なのだと思ったものだ。

私の両親は非常に保守的な考え・価値観の持ち主で、「子供は親の言うことを聞くべきで、何をするにも親の許可がいる」と強固に信じていた。  子供の頃はそういう親の考え・価値観をよく知らなかったが、大人になって、私(と私の姉妹たち)が自分のしたいことを勝手にやり始めたときに、双方の価値観・考えの違いが非常に鮮明になって、私は驚愕した。

私は子供の頃から「すべての人間は平等で、少なくとも大人になったら、自分のしたいことを自由にする権
利がある」とぼんやりと信じていた。

戦前の男尊女卑、家父長制度を強烈に信じていた私の父は、私の考えを聞くと、いつもこう言ったものだ。

「だから、戦後の教育が間違っていたのだ」

父に言わせれば、親の言うことを聞かなくなった私や私の姉妹は、全員が戦後教育の間違いの結果(笑)ということで、私は戦争や教育に関して激しく父親と口論したものだ。

この頃は、両親と私はお互いに相手の価値観や生き方を激しく否定し合い、そのせいで、関係は悪化するばかりで、私は本当に親子の縁を切りたいと思ったくらいだった。

それから私がスピリチュアルなことを学び始めたとき、ようやく私は人間の価値観・考え方には絶対に正しい価値観・考えはなく、だから自分の価値観・考えの絶対的正しさを主張することが愚かしいのだとしだいに理解するようになった。

そして、30代になって自分の人生に余裕ができたときようやく、両親のことを両親の立場に立って考えることができるようになり、彼らの保守的な考えや生き方も受け入れられるようになり、お互いの溝が少しずつ埋まっていたというわけだ。

だからといって、両親も私も自分の価値観・考えを変えたわけではなかったが、お互いが非常に違った価値観と考えをもっていることをしだいに許容しただけだった。

親子関係にかぎらないが、人間関係を悪化させる要因は、突き詰めていけば、一つである。それは人間関係についての自分の想定や思い込みや執着、つまり、「親はこうであるべきだ」、「子供はこうであるべきだ」、「何で私の親(子供)はこうなのか?」といった自分の側の想定や期待だ。
 
人間関係においては「想定・期待」はほとんどその反対に働く。

私自身が両親に非常に期待されていた。「期待」というのは非常に重く感じられ、そうするとますますその「期待」とは反対のほうへ行こうとする力学が働くようだ。

20代の頃、私は激しく思ったものだ。「親が期待するような人間には絶対にならない」(笑)

もし皆さんが自分の親しい人間関係で悩んでいるとしたら、自分がその人間関係にもっている期待・想定・執着を見ることをお勧めする。そして、「どうしてこんな親(子供・夫・妻)なんだ?」という「なぜ」の疑問がわくとしたら、それは自分の期待・執着を表している。

そこから出発し、想定・期待・執着を手放し、相手をあるがままに受容し、最終的には「まさにこれが私に必要なピッタリの親(子供・夫・妻)なんだ」という納得・理解へ至れば、自分の人生に子供や親、妻や夫がいることをありがたく思うことだろう。

今では私は自分の両親を非常に敬愛している。彼らは親不幸だった私にたくさんの援助をしてくれただけでなく、私には欠けているたくさんの美点をもち、たくさんのことを教えてくれた。そして両親にしても、おそらく変わった子供をもってしまったことで、色々と考える羽目になり、それは彼らにもよかったことだと思っている。

今、私はたいていのときは母親にやさしいが、でも時々耳が悪い母が何度も同じことを言ったり、老人特有のわがままや頑固さを示すと、思わず声を荒げることがある。そして思うのだ。「ああ、子育て中の母親も、自分の子供が言うことを聞かないときは、きっとこんなイライラした気持になるんだ」と。だから、今でも私は学んでいる。

以上、ご質問者の方の参考になったかどうかわからないが、親子関係に関する私の経験を述べてみた。
 
要約すれば、「人間にとって子供が生まれること、そして育てることの意味とは、進化するための学習のため」というのが私の結論である。  


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*2017年12月17日(日曜日)「私とは本当に何かを見る会」(東京)
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2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!

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なお現在は、パソコン等では、横書きの文章のほうが読みやすいという人たちもいると思い、縦書き版と横
書き版の二種類の版を用意してあります。 編集の都合上、総ページ数(縦書き版が453ページ、横書き版が367ページ)は異なっていますが、内容はまったく同じです。

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家族への執着・嫌悪、そして再び愛情2016年12月20日 11時33分48秒

今回のダグラス・ハーディングの「存在し、存在しない、それが答えだ」の19章「浴場の絵」の中で引用されているイエス・キリストの言葉、「もしどんな人でも私のところへ来て、自分の父と母、妻、子供たち、兄弟姉妹を憎まないものは、私の弟子になれない」 に関して、「この言葉は、すべてを愛するというキリストの愛と
矛盾するようで、よくわからない」という感想をいただいた。

ここで、「憎む」という言葉が適切なのかどうか、 イエスが本当に「憎む」という言葉を使ったのかどうか、私には疑問が残るところであるが、この言葉の本当の意味、そして、ダグラス・ハーディングがこの章で何を言わんとしているのか、私なりの理解を書いてみよう。
 
伝統的キリスト教では(仏教も同じであるが)、すべての世俗的執着を断ち切らないかぎり、人は神(仏)を求めることはできないと考えられてきた。つまり、神への愛 が他のすべての愛よりも大きくないかぎり、人は神への道を歩くことはできないとされてきたのだ。

そしてこの考えの元となったのが、イエス・キリストの「自分の父と母、妻、子供たち、親兄弟を憎まないものは……」  の発言だったようで、そのため、神への道を歩く者たちは親兄弟を捨て、家族生活も営まない、というふうに徹底してきたわけだ。

世俗的人間関係の中で私たちが最大に愛着するものが、家族への愛情で、親、子、兄弟姉妹への愛着である。そして、愛着とは執着で、執着とは依存である。
 
もし人が家族に執着・依存するとすれば、それはただ神だけを求め、ただ神だけを愛し、ただ神だけに依存することに対する最大の障害なのである

つまり、イエス・キリストが言わんとしたことは、家族への愛着(執着)・依存と神を求めることは両立しないということで、そこで彼は弟子たちに「もしあなたにとって家族がそんなに大事なら、私の弟子になることはできない。だから、神か家族かどっちかを選択せよ」と迫ったわけだ。(どこかで読んで記事によれば、以前は「親兄弟を憎む」ではなく、「親兄弟を捨てる」という訳だったとか)

問題は、外側で家族や世俗的生活を断ち切っても、人は心の中で必ずしも執着を断ち切れるわけではない、ということである。立派な法衣を着た聖職者や僧侶たちの性的金銭的スキャンダルが歴史上、現在に至るまでえんえんと続いている事実を見れば、世俗的執着を断ち切ることがどれほど困難かを物語っている。

キリストの「親兄弟を憎まないものは……」  と絡めて、ダグラス・ハーディングがこの19章で語っていることは、私たちが対象として見るどんな人(自分の家族も含めて)も、ただそれ自身では厚紙の切り抜きないし空っぽの船にすぎず、何の実体もないということだ。

そのさらなる意味とは、私たちは自分が見る他人の目に魅了されたり、愛着したり、それを恐れたり、嫌ったりするが、実際は彼らの目の背後には誰も住んでず、それは親でも子でも兄弟姉妹でも(恋人や友人でも)ない、ただの厚紙の切り抜きないし空っぽの船、単なるイメージである。

しかし、主体的に言えば、ダグラスが言うように「あなたが見るすべての目は盲目であるのに対して、その所有者たちは誰も盲目ではないということである。すべての人は見ている一なるもののただ一つの目で見ている

そしてそのことを見るとき、「私たちは皆が何もないものにされている聖なる中心以下であることを断固拒否し、そのことによってすべてであり、愛そのものである一なるものと一つになることである」(以上の引用は「存在し、存在しない、それが答えだ」p257-258)

つまり、私の本質と自分が見る対象の本質が一つであることを認識することによって、再び愛が復活するというわけである。そして、縁があるなら再び夢の中(厚紙の切り抜きの世界)で、親子、兄弟姉妹、夫婦、友人、恋人を演じ、執着なく愛し合うということになる。

執着なく家族を愛することがどういうことか、ラマナ・マハルシが弟子であるプンジャジ(「覚醒の炎」という邦訳本がある)に語ったエピソードが、私はとても好きなので、以前にもこの話を紹介したことがあるが、再び紹介してみよう。

プンジャジはラマナ・マハリシに出会い、ラマナに恋し、家族を捨てて一生、ラマナのアシュラムに住む決心をしていた。彼は結婚していて、子供が何人かいて、両親の面倒を見る立場にあった。あるとき家族からアシュラムに連絡が来て、それは「故郷の町が戦争に巻き込まれて、大変な状況になっているから、すぐに帰れ」という内容だった。ところが、そんな連絡をもらっても、プンジャジは「あれは夢の家族で、自分にはどうでもいい」とまったく心も動かされずにいた。

その話をラマナが聞きつけ、プンジャジを呼んで、尋ねた。「家族が大変な状況にいるというのに、どうしてあなたは家族のところへ帰らないのですか?

プンジャジ「あれは夢の家族で、私にはもうどうでもいいのです。私にはあなた以外誰も必要ではありません
ラマナ「だったら、夢の世界で、夢の夫、夢の息子、夢の親として、義務を果たしなさい

ラマナの言葉に、抗えないパワーを感じて、プンジャジはイヤイヤ承諾し、家族の元に帰ることにし、しかも、自分が生きている間、もう二度とラマナに会えない運命も直感的に悟ったという。

これはたぶん、プンジャジが三十代前半の話で、その後、彼は大家族の生計を支えるために定年退職するまで懸命に働いたという話だ。彼はすべての家庭的義務が終わったあとで、再び放浪生活に入り、インド国内、ヨーロッパ、アメリカとあちこち行ってサットサンをおこなった。(以上の話をどこで読んだか、記憶が確かではないが、たぶん、プンジャジの伝記、”Nothing ever Happened” に出ていた話だと思う)

 今、「執着なく愛する」と書いたが、実はここでも言葉が曲者で、それは「夢の中の登場人物(人間物体の小さい自分)が、別の登場人物に愛着したり、嫌悪したりしないように努力するとか、無理やり執着を断ち切る」ということではなく、実際は「夢の中の登場人物が別の登場人物に愛着したり、嫌悪する様子」をただ眺める(観照する)ということである。もし人間物体が夢の登場人物にすぎないとわかるなら、それが他人に愛着しようが、嫌悪しようが、それこそ、Who cares!? (そんなこと誰がかまうもんか)、であろう。

ラマナ・マハルシでさえ、自分の母親が死んだとき、涙を流して、悲しんだと伝えられている。「(執着がないとされている)聖者も自分の親の死を悲しむのですか?」と信者に尋ねられたとき、ラマナは「息子が母親の死を悲しむのは当然である」と答えたという。

最後は私の話だ。20代の後半の頃、私がスピリチュアルに深く傾倒していることが両親にばれて、特に母親が激怒し、ストレスから病気になるほどだった。

その時の私の気持ちと態度は、親に死んでくれとまでは思わなかったとしても、「親が不幸だろうが幸せだろうが、生きようが死のうが、一切私には関係も関心もありません」という非常に利己的で冷たいものだった。なので、縁は切れなかったものの、それからかなりの間、親子関係は非常に冷えたものだった。

その時代、私はロシアの神秘思想家、グルジェフの教えに影響を受けていて、私が強く記憶に留めている言葉の一つは、キリストの「親兄弟を憎まないものは……」  とは正反対のもので、彼はこう弟子に言っている。「自分の親を愛せないものは、私の弟子になることはできない」(グルジェフはひょっとしたら、キリストの有名な言葉を意識して、わざとこう言ったのかもしれない)。自分の弟子になる条件として、こんな世俗的で平凡なことをグルジェフが言う真意が私は理解できなかった。

しかし、それからずっとこの言葉を考え、次第に親との関係も修復されるにつれて、ようやくグルジェフは事の核心を言っているのだとわかった。それは書けば長い話になるので、簡単に言ってしまえば、私たちの世俗人生においては、親とグルと神は同じ立場にあるということだ。つまり、自分の親を愛せない人は、グルを愛せず、グルを愛せない人は神も愛せないという構図になる。グルジェフはこう言ったという。「自分の親との間に問題をかかえている人は、グルとも同じ問題をかかえることになるだろう」(ここでも「愛する」という言葉は注意が必要だ。霊的な意味で「愛する」とは、感情的に「好き」という意味ではなく、むしろ、「理解する」「存在を受容する」に近い)

「親兄弟を憎まないものは……」 と「自分の親を愛せないものは……」は、見かけ正反対のことを言っているように見えるが、実際はそれはコインの表・裏のようなもので、愛着・嫌悪→無関心→再び(夢の世界で)愛情(と時々うんざり)と、円が一回りしてくれば、同じところへたどり着くのである。


[カモミール様へのお詫び]

コメントの真意を誤解していたようで、失礼をお許しください。

[お礼]

今年も一年間ブログを読んでいただき、また私が主催している活動に対して様々なご支援をいただき、ありがとうございました。お目にかかった皆様にには、そのご縁に感謝します。来年は1月の中旬頃からブログを開始します。 それでは、クリスマスやお正月を一緒に過ごす夢の家族、恋人や友人がいる方は、その人たちとの時間を楽しみ、そういった煩わしいもの(笑)  がいない皆さんは、一人の時間を楽しんでください。書き忘れるところでしたが、最後に、「動物園から神の王国へ」を読んでいただいた、私の著書のコアな読者の皆様、皆様に読んでいただいたおかげで、次作を書く意欲がますます湧いてきました(でもまだ一行も書いていないけど)。

[イベント予定]
 
「私とは本当に何かを見る会」 2017年2月11日(土曜日)(東京)
予約は2017年1月の中旬から開始します。

[来年の出版予定]

ニサルガダッタ・マハラジ"Prior to Consciousness "(意識以前)
  出版間近になりましたら、紹介記事を書きます。

 
[お知らせ]
 
ダグラス・ハーディングの新刊「存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)が発売されました。

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11月14日より、下記のDLmarketでYahoo!Japan のIDも利用できるようになりました。

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本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。

1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!

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なお現在は、パソコン等では、横書きの文章のほうが読みやすいという人たちもいると思い、縦書き版と横
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「動物園から神の王国へ」2015年12月08日 16時40分15秒

 去年の12月の終わりに、「動物園から神の王国へ―サルの惑星、のような星で、平和に生きるために」のPDF版を今年の秋に出すと書いたあと、データをパソコンに入れたままの状態だった。今年の秋になって、「ああ、そういえば、もう秋だ。PDF本の準備をしなくては」と思いながら、なかなか作業をする時間がとれず、フランスから帰国して、今年ももうすぐ終わることに気がついた。なんとか2015年内に出したいと思い、ようやく販売の準備ができました。

本書を書き始めたのは、たぶん(もう自分でも記憶が定かではないが)2000年の頃だったと思う。「『人をめぐる冒険』の続編は書かないのですか?」と、たまにきかれることがあって、「書き足りなかったことを、続編に書くのもいいか」と思いたち、書き始めたのが、「地獄の始まり」(苦笑)だった。

最初は順調に書いていたのだが、2001年~2006年頃、極度の精神的肉体的不調に襲われて、書く気力、出版する気力がなくなり、もうどうでもいいような気になってしまった。何年もほったらかしの状態で、それでもなぜか、たまにまれに書く気力が突然わいて(そして、またすぐに気力がなくなって中止)、そんなことを繰り返して、それでもなんとか時々書き続けて、ほぼ完成したのが2008年頃だった(ような気がする)。

そのあとは、何かと忙しくて、編集・校正ができず、ようやく最終的編集作業にかかったのが数年前で、そして、やっと完成に至ったというわけだ。実質書いていた時間は数年間くらいである。本書に関していえば、15年間、ずっと「葛藤状態」、つまり、前にも進めず、かといって、やめる(手放す)こともできず、書くのも苦痛、やめるのも苦痛というような苦痛をずっと引きずっていた感じだった。
 
やめる(手放す)ができなかったのは、たぶん、私がこの三部作に登場させた登場人物たちのせい(というか、おかげというべきか)である。小説ではないけれど、いったん登場人物たちを作ってしまうと、彼らは生き始め、表に出ることを要求する(ようだ)。本書が完成したのは、地獄の季節をともにした同志である彼ら(登場人物たち)の励ましと要求のおかげでもあろう、と思っている。


本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。

1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!

以上の三部構成である。実はこの三部は、本当は別々の本にしてもいいもので、お互いにそれほど関連はないし、独立して読むこともできる。簡単に各部の内容をご紹介すると、

1部 21世紀末、ハドララ共和国という架空の国の大学教授が、なぜ人類がこれほど性と暴力に取り憑かれているのかを、人類の進化と歴史の観点から、夏期講座で、一般向けに講演する。人類の現状、特に性と暴力の問題を、生物進化論から考えるというのがその大まかなテーマである。

2部 不治の病におかされた元詐欺師が、10年あまりスピリチュアルな探求をし、死ぬ前に他の人たちのために自分の理解を書き残し、その中で、「なぜスピリチュアルな世界では、相互に矛盾したことが教えられているのか?」、「人と人はなぜ理解し合うことが困難なのか?」を、「自分をめぐる様々な観念」と知性の質の違いという切り口で解明を試みる。スピリチュアルなテーマというより、どちらかというと、コミュニケーション論 として読まれるほうがいい内容。「人をめぐる冒険」の続編になるのが、2部である。

 3部 若い頃、家庭を放棄して、10年ほどスピリチュアルな探求をしたコバヤシ老人は今はごく普通のおじさんになって、奥さんと仲良く暮らし、時々「ド・アホの会」で、暇つぶしに若い人たちと スピリチュアルなバカ話をするのを余生の楽しみにしている。そんなコバヤシ老人とその仲間たちがスピリチュアル系のバカ話をえんえんと展開するという内容。(もし自分の近所にこういうおじさんがいて、いつでも話に行って、バカ話ができたら楽しいだろうなあ、という私の想像からコバヤシ老人は生まれた)


本としては難産だったけれど、内容的には、特別な知識がなくても読めるように、できるかぎりわかりやすく軽く書いたつもりなので、(アドヴァイタ系の難解な本を読む合間に)食後のデザート用の本として、娯楽本として気楽に読んでいただければ、と思っている。

なお、本書のほとんどの内容は、10年以上前に書いたので、書いた本人自身が、本の内容をかなり忘れていて、今読み直してみると、「こんなことが書いてあったのか!これってどういう意味だろう?」(笑)という箇所がところどころある。なので、万一、本書の内容について質問されても、もう著者にはたぶん答えられません……

それでは、皆様、今年はこれで終わりにします。来年は2月頃から再開します。楽しいクリスマス、お正月をお過ごしください。


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「動物園から神の王国へ―サルの惑星、のような星で、平和に生きるために」(PDFファイル)ダウン
ロード版は、DLmarketのサイトで販売しています。お手持ちの機器(パソコン、タブレット、スマートフォン)
に、PDFを読むソフト(AdobeReader等)が入っていれば、どなたでも読むことができます。

DLmarketからファイルをダウンロードするためには、まず会員登録をする必要がありますが、Facebook、
Twitter、楽天のアカウントもご利用でき、各種支払いにも対応しています。(銀行振り込み、コンビニ支払
い、クレジットカード、Paypal、その他)。なお現在は、パソコン等では、横書きの文章のほうが読みやすいと
いう人たちもいると思い、縦書き版と横書き版の二種類の版を用意してあります。 編集の都合上、総ペー
ジ数(縦書き版が453ページ、横書き版が367ページ)は異なっていますが、内容はまったく同じです。


購入についての詳細は、購入前に下記のDLmarketのサイトを見てください。
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「動物園から神の王国へPDFダウンロード縦書き版」(1500円+税)(453ページ)
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試読版(無料)は上記のサイトから、会員登録等なしに、どなたでも自由にダウンロードできますので、本との相性を確かめて、購入の判断をしていただければと思います。 (画像の下の、「立ち読みできます」をクリックすると、試読版PDFを無料でダウンロードできます
 
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「1994年バーソロミュー・ワークショップ京都会場1日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
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「No」を言う練習2013年11月01日 12時57分59秒

一般的に言って、日本人は、「No」を言うのが苦手な人が多い。つまり、内心ではイヤだと思う頼まれ事をつい引き受けてしまい、引き受けてしまったあとから、愚痴を言いながらやってしまうパターンに陥る人たちが多い。

内心ではイヤだと思う頼まれ事は、引き受けないのが一番よいことであるのだが、人間関係によっては、「No」を言うのが難しいこともよくあるものだ。「No」は言いたい、でも人間関係も悪くしたくないという微妙な状況の中で、あれこれ考えることが、ストレスを倍増させる。

人間関係の中で、片方の人が、あるいは集団の中で誰か一人だけが、極端に重荷を押しつけられているのは、バランスの悪い状態で、関係が機能していない状態である。職場であれば、それは仕事の効率を下げ、家族間であれば、家族間の不和や問題を引き起こす原因となる。人間関係では、「快適さと喜び(利益)と苦労を分かち合う」のが、正しく機能する関係であると、私自身はそう思っている。

しかし、誰もが知っているように、相手に不満をもったり、内心非難したりしても、他人は絶対に変わらないものだし、そもそも他人を変えたいと思うことは傲慢である。「他人を変えることはできない」という言葉は、マントラにして一日百回も唱えてもいいくらいである(という話を先日のワークショップでも、私はしたばかりである)。

唯一できることは、相手に対する自分の反応と対応と理解を変えることだけで、その際の二つのキーワードは、「罪悪感」と「自己イメージ」である。

人に「No」を言えずに、ストレスがたまるという人の話を聞いてみると、「No」を言うことに非常に大きな罪悪感があり、さらにその元をたどれば、「自分はいい人である」 という自己イメージと、 「いい人でなければならない」 「他人にいい人だと思われたい」という願望が強すぎるという一般的傾向がある。

もちろん、対人関係の中でたいていは、私たちは「いい人」として行動するだろうけれど、自分の中味を正直に見てみれば、自分という人格は決して「いい人」だけでなく、いわゆるよい人格も悪い人格もあらゆる人格が、自分の中にはあるのが普通である。

人間の中にはあらゆる人格があり、あらゆる感情を感じ、あらゆる思考を考えることができることが、他の生き物(動物とか植物、あるいは天使とか悪魔とかチャネリングのエンティティのようなエネルギー情報体など)とは違う人間の美しさなのだ。

だから、本来は多様な人格があるのが普通であるときに、自分の中のある特定の人格だけに執着することで、自分にも周囲にもストレスを与え、「いい人でなければならない」  「他人にいい人だと思われたい」という願望そのものが、高圧的で鈍感な人たちを自分に引き寄せる磁石のような役割を果たすものである。

という以上の話は、人間関係で悩んでいる人たちにもたいていわかってもらえることなのだが、では、それを日常生活で具体的にどう実践するかの部分は、難しいことである。

つまり、今まで他人からの頼み事を全部引き受けていた人が、いきなりそれをゼロにはできないわけだし、「No」 を言うときに、罪悪感が全然なくなるなんてことも起こらないわけで、だから私がお勧めすることは、少しずつ練習することである。今まで十個イヤだと思うことを引き受けてきたなら、その中の一つか二つをまずやめてみる、断ってみる。それから、さらに別のことをやめてみる、断ってみる。  罪悪感がわいてもかまわずに、少しずつ、練習することである。  明るくさわやかに、そしてできるだけ相手に伝わる表現で、「No」 を言う練習を続けることである。

そうしていくと、何かを断ったり、「No」を言ったりしても、別に死ぬわけでもないし、たいした問題が起こるわけでもなく、むしろ、自分の時間が増え、非常にスッキリすることになる。そして高圧的で鈍感な人たちはしだいに自分の周囲からいなくなるか、あるいはそれほど高圧的でも鈍感でもなくなるというふうに自然に変わるか、というようなことが起こるものである。

かなり前にベストセラーになった本で、 「スッキリ!」(上大岡トメ著 幻冬舎))というタイトルの本があって、日常生活をスッキリさせるシンプルで具体的な方法がたくさん伝授されている。(イラスト付きの楽しい本なので、お勧めします)

その中の「できない約束はしない」  の項目で、

一級:理由を言って、とにかく断る。
初段:誰もが納得する理由で、断る
師範:約束できないオーラを出す。

  (「オーラ」という言葉は、日常用語で言えば、「雰囲気」ということです)

これにならっていえば、人が目指すべきことは、「イヤなことを頼まれないオーラを出す師範」になることである(笑)。でも、みんながそんなオーラ出しまくったら、なんだかオーラ対決みたいになって(というような場面にいた経験が何度かある)、かえってストレスがたまるかもしれないけれど……


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2013年11月23日(土曜日午後)
「楽しいお金」ワークショップ(大阪市)
http://www.simple-dou.com/CCP038.html

2013年11月24日(日曜日午後)
予約受付終了しました
「私とは本当に何かを見る」ワークショップ(大阪市)
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絆(きずな)時代の苦痛2013年10月19日 08時25分10秒

 2011.3.11の東日本大震災以後、「絆」  という言葉と、「あなたは一人ぼっちではない」 というメッセージがやたらマスコミから流れて来た気がしている。

私は子供の頃からかなりひねくれているので、  「絆」  とか「あなたは一人ぼっちではない」のメッセージが過度に強調されるたびに、「いやいや、『絆』には、苦痛という代償が伴い、しかも、どこまで絆を積み上げても、人の孤独は癒やされないものだ」と思うのである。

もちろん、 「絆」  と「あなたは一人ぼっちではない」の大量のメッセージのおかげで、多くの人たちが、自分の家族や自分が出会う人たちに、今までよりも、より親切でやさしくしようと心がけるようになったとしたら、それはよいことではあるし、そんなことは災害時でないときから、人としては心がけるべきことだ。

しかし、 「絆」  と「あなたは一人ぼっちでない」の強調が、災害時に感じた自分たちの無力と寂しさの裏返しであるとしたら、 「絆」  と「あなたは一人ぼっちではない」が、「絆を感じるべき」とか、「あなたは一人ぼっちであるべきでない」というように、人間関係への依存と執着をさらに強化するメッセージとして働く可能性もあるのでは、と私には感じられる。

それに加えて、現在は、他人とのコミュニケーション・ツールが安価で非常に普及し、簡単に誰とでも「つながり」を築くことができ、連絡が取れる時代である。 だから、かえってなおいっそう、子供から大人まで人々の孤独感と疎外感が全体では強まっているというのが、私の印象である。下手をすれば、人間関係をもっていなかったり、絆を感じなければ、何か自分が人として欠落しているように感じさせられる、雰囲気さえある。

調査によれば、多くの中高生が一日に数時間を、メールや無料電話で、友人たちとのやりとりに費やしているそうである。数時間とは、尋常ではない時間である。そんなふうに友人たちとつながっていないと、不安になるのだという。

集団の中での自分の評判や立ち位置を気にするというのは、人間の中の動物的本能・意識によるものである。なぜなら人類は、集団の力によって生き延びてきた、生物としての長い歴史があるからである。メールや無料電話に極度にはまっている子供たちは、そういったツールによって、動物意識に強く憑依されているともいえる。 だから、若い子供たちがいとも簡単に本当に動物状態になって、罪悪感もなしに(罪悪感をもたないのが、動物意識の特徴である)、仲間内で、いじめから殺人まで、残酷な行為をやってしまうのも、理解できる話である。

このように、絆はときには、残酷で、苦痛なものでもある。そういった絆の苦痛を癒やすのが、孤独である。人間関係が仮になくても、自分がいれば本当は十分なのである。「あなたがいなければ、生きていけない」という嘘は、恋愛歌などでは、まるで愛の証のように高らかに歌われるが、それは本当は、私に言わせれば、動物的「脅迫」(笑)である。

誤解がないように言えば、私が人と人の絆を否定しているわけではない。「絆」は広い意味で、二つのものの間の「関係」という考えにたてば、人はあらゆる絆に囲まれて生きている。今このブログを読んでいる皆さんと、私も何らかの絆があり、本を読む読者と著者にも絆があり、初対面の人と出会っても、そこに絆がある。たった今食べたばかりのリンゴを介して、私はそれを作った人との間に絆がある。というように、現代社会では、そういった絆なしには、ほとんどの人は生きていくことができない。

自由と平等があるところでの絆は楽しく、お互いが一時的であれ、長期的であれ、理解し合い、絆を楽しむことは、人間意識の中でもっとも贅沢で甘美な経験である。そして、親しい絆の関係が終わるとき、それを悲しむことができるのも、人間意識の特権である。

最終的には、スピリチュアルな道にいる人にとっての人間関係・絆の形態とは、アジャシャンティが「あなたの世界の終わり」(ナチュラルスピリット発行)で述べているようなものである。

人々が自立し、自立を通じて、お互いにある種の親密さを発見するというものです。そこが私が人々と出会う場所であり、その場所で全体として、能力があるものとして、そして彼らが自分でもっているとは思っていないかもしれない能力をもつものとして、私は彼らを見るのです。彼らがそこに立ち、自分自身の内なる十分さを発見し始めるとき、そこで私たちは出会うのです。私は彼らの不十分さの中で、彼らが自分には能力がないと思っているその場所で彼らと出会うのではありません」(「あなたの世界の終わり」238~239ページ  )

つまり、アジャシャンティがここで言っているのは、「私は、あらゆる人を自分と同等の能力をもった存在として見る」ということである。彼がまた警告していることは、導師(グル)や先生などを自分より高い台座に乗せて、自分よりもパワーがあるものとして、崇拝したり執着したり、依存関係を作らないように、ということでもある。あるいは、弟子や生徒や信者に依存しないように、ということでもある。

人間同士の絆――それが自然に起こればハッピーであるが、なくてもけっこうなものである。なぜなら、アジャシャンティが言うように、私たち全員が一人一人十分な能力をもつものであり、そして、スピリチュアルな人たちがよく言うように、「すべてはワンネス(一つ)であるからだ」――人間のいかなる努力も作為も修行もなく、すでに現実として。
 
 
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201310月26日(土曜日午後)
「人をめぐる冒険ワークショップ」(広島市)
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2013年10月27日(日曜日午後)
「私とは本当に何かを見るワークショップ」(広島市)
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2013年11月23日(土曜日午後)
「楽しいお金」ワークショップ(大阪市)
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2013年11月24日(日曜日午後)
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結婚は、「仕事」、あるいは、「冒険」2013年09月28日 09時07分26秒

前回のついでに、今回も結婚についての話題です。

以前に読んだ投稿サイトの投稿で、二十代後半くらいの若い女性が結婚について書いた悩みが、印象に残っている。

要約すると、だいたい以下の内容である。

「私は今、恋人と同棲しています。彼のことが大好きで、いずれ結婚したいと思っています。『あなたとずっと一緒にいたいから結婚したいし、あなたのことがこんなに好きなんだから、結婚してもきっとうまくいくと思う』と彼に言っても、彼はなかなか結婚しようと言ってくれません。彼は、『君のことは好きだけど……でも君は結婚のことを何もわかってない』と言います。『結婚が何もわかっていない』とは、どういうことでしょうか?」

もし私が20代の頃にこういった文章を読めば、この女性にきっと共感しただろうけど、今なら、男性の気持ちのほうがよくわかる。 人生には、「好きだけど、縁が終わらざるをえないこと」(人間関係にかぎらず、あらゆるものとの縁)が、たくさんあるのだ。

私自身は運命の都合で、一度も結婚したことがないが、自分の両親をはじめ、結婚している人たちを子供の頃から観察してきたことと、特に生物進化論、人類学等から、「結婚の現実」を学んだ。その結論から言えば、ロマンのない話にはなってしまうが、結婚とは「仕事」である。特に若い年代の人たち、そして、特に女性は、結婚をロマンチックに考える傾向にあるが、結婚は「仕事」とほぼ同義であり、結婚したい人はそう思って結婚に向かうほうが、現実的である。

私が若い頃、女性たちは、結婚を「永久就職」と多少揶揄して語ることがよくあったし、今では、就職活動のように、まさに「婚活」という言葉が一般的に定着している。永久かどうかは別として、「就職」という言葉は、けっこう当てはまっているかもしれない。もちろん、女性にとってだけでなく、男性にとっても、結婚は「仕事」である。

おそらく、先の投稿者の恋人が本当に言いたかったことは、「君のことは好きだけど、でも君は『僕との結婚という仕事』には向かない」ということではないかと、推測する。

生物進化論&人類学の研究によれば、男女の恋愛感情の賞味期限は3~4年ということであり、これには生物学的な根拠がある――詳しく知りたい方は 「愛はなぜ終わるのか?」 (ヘレン・フィッシャー著 草思社 ) 「結婚の起源」 (ヘレン・フィッシャー著 どうぶつ社) などの本がお勧めである。

だから、どんな大恋愛で結婚したとしても、数年たてば、その恋愛感情は色あせるのが普通ということである。結婚生活がうまくいくかどうかは、恋愛感情が終わったあとにも、結婚生活を支えるだけの共通の目的があって、そのために夫婦が努力できるかどうかということにかかっている。たいていは、「子供を無事に育てあげる」が共通の最重要の目的である―そもそもそのために、「結婚制度」は始まったのだ。 

もちろん、子供以外に、夫(妻)の仕事を支えるとか、共通の趣味(思想)を楽しむとか、一緒に商売や何かの活動をするとか、伝統的な家業を継承するとか、その他色々な目的があるが、結婚が続いているカップルは、「結婚生活において、何が重要か」という価値観が絶対に一致している。そして、「結婚における幸福」とは、お互いの協力でその目的がうまく実現していると思えるときで、そのとき相手に対して愛情と感謝を感じ、相手を大切にしようという気持ちが自然にわく。

表面的にはそれほど仲よさそうに見えない夫婦でも、「結婚生活において、何が重要か」の価値観だけは共通しているものである。たとえ、どれほど自分ではそう思えなくても、結婚している人たちはすべて、自分にピッタリな相手を得ている――そもそも、「あらゆる人は自分にピッタリの人間関係を得ている」(仏陀の言葉らしい)、のである。昔、私の母親が自分の夫(つまり、私の父親)について、ぐちぐちと不満を言ったとき、私は言った。「お父さんは、お母さんにピッタリな人でしょう」。そのとき母親が、その言葉にどれほど抵抗したことか(笑)。私の母親にかぎらず、なぜか、「あなたの夫(妻)はあなたにピッタリの相手」という言葉に抵抗する人たちは多い(特に妻たち)。

結婚は仕事であり、就職である。「会社で、自分は同僚や上司に大切にされていない」という悩みは、本質的な悩みではない。仕事では、「仕事の目的を果たすために、相手とどううまく付き合えばいいのか?」が、問題である。

 では、結婚は「仕事」という考え方が、あまりにロマンがなさすぎると思う方のためには、「結婚は神聖な冒険」という考え方もあり、それのほうがスピリチュアル系の人たちには合うかもしれない。それを言ったのは、私が好きな神話学者、ジョージ・キャンベルで、 「ジョージ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である」(築地書館)の本の中で、結婚生活が神聖な冒険とはどういうことか、彼の考えを述べている。

結婚が「仕事」にしろ、「冒険」にしろ、あるいは、スピリチュアル系の人たちがよく言う「修行」にしろ、 結婚されている皆さんはよくご存じのように、「結婚生活における重要なこと」のために、夫婦は他の多くのことを犠牲というか我慢しなければならない。人間界での喜びは苦労に比例する。結婚式で、本人たち以上に親が感涙にむせぶのは、自分たちの長年の努力がやっと花開いた―自分たちの「作品」が、皆様に見ていただけるように、立派に完成いたしました!―と、感じるからなのであろうか……
  
その他お勧めの本

「100万人が癒やされた愛と結婚のカタチ」 (ハーヴィル・ヘンドリックス著 アーティストハウス)
アメリカの著名な結婚セラピストが、うまくいかない結婚生活を解明し、「結婚生活を成功させる方法」を伝授する。


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201310月26日(土曜日午後)
「人をめぐる冒険ワークショップ」(広島市)

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2013年10月27日(日曜日午後)
「私とは本当に何かを見るワークショップ」(広島市)

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2013年11月23日(土曜日午後)
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