U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』3 ― 2026年03月09日 08時22分01秒
[ お知らせ]
『静寂の雷鳴』(ジョエル・ゴールドスミス著) 電子書籍版発売
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(36)
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(36)
U.G.クリシュナムルティの『悟りという謎』(原書タイトル「The Mystique of Enlightenment」)の翻訳をYoutubeに公開し始めてから約1年。私は相当くたびれてきた(笑)。一つの企画を1年くらい続けると、飽きっぽい私はだんだん自分が退屈してくる。でも毎回熱心に視聴してくださる100人前後の人たちのために、なんとか本の最後まで公開しようと思っている。幸い、翻訳はすべて終了し、あとはそれを動画にする作業が残っているだけだ(あと残り3分の1くらいです)。
今回「The Mystique of Enlightenment」を丁寧に読んで、初めて強く思ったことは、U.G.クリシュナムルティはJ. クリシュナムルティを激しく否定してはいるが、J. クリシュナムルティを完全に理解したほとんど唯一の人だということだ――J.クリシュナムルティは生涯の終わりに、「自分の言うことを理解した人は一人もいなかった」と嘆いたと伝えられているが。
そして、U.G.の言っていることは基本的にJ. クリシュナムルティの言っていることと同じである。違いは、Jは積極的に講演したりしゃべったりしたのに対して、U.G.は仕方なくイヤイヤしゃべっていた、ということくらいか。U.Gは「私には何も伝えるべき教えはない」と言っているが、彼が本の中で繰り返し語っていることがいくつかある。それをまとめてみると:
*先生も本も伝統的教えも修行もいわゆる「覚醒」へ導かない。
*私の話も言葉もまったく役に立たない。
*私に起こったことと、過去の修行は無関係。
*セックスなどの快楽を否定したからといって、「覚醒」が起きるわけではない。
*そもそも「覚醒」を達成する方法はない。
*私の状態は感覚が最高に機能している状態(自然の状態)だが、それは宗教的なことや神秘的なことではなく、生理学的なことである。
*一人一人の人間はユニークであるのに、それぞれの社会の文化的宗教的重荷のせいで、人はそのユニークさを生きることが妨害されている。
*その重荷から解放されれば、一人ひとりはユニークな「花」となる。しかし、その文化的宗教的重荷から人は自分の意志で自分を解放できない。
*私の話も言葉もまったく役に立たない。
*私に起こったことと、過去の修行は無関係。
*セックスなどの快楽を否定したからといって、「覚醒」が起きるわけではない。
*そもそも「覚醒」を達成する方法はない。
*私の状態は感覚が最高に機能している状態(自然の状態)だが、それは宗教的なことや神秘的なことではなく、生理学的なことである。
*一人一人の人間はユニークであるのに、それぞれの社会の文化的宗教的重荷のせいで、人はそのユニークさを生きることが妨害されている。
*その重荷から解放されれば、一人ひとりはユニークな「花」となる。しかし、その文化的宗教的重荷から人は自分の意志で自分を解放できない。
こういう話を読み続けていると、私が20代のときにJ.クリシュナムルティを熱心に読んでいた頃に感じた挫折を思い出す。私たちのマインドは、JやU.G.のような人の言葉を読んでいると、必ず最後にはこう思うからだ。「あなたの言うことはだいたいわかるし、共感もするが、でも『どうやって』、あなたの言うような体験ができるのか?」と。私たちのマインドは「どうやって=How to」を問うようにできている。特に私がそうだ。私は昔も今もあらゆることにおいて、「どうやって=How to」に中毒している(笑)。
でも、非二元系の教えに関しては、『どうやって』を尋ねた瞬間に、私たちのマインドは「覚醒」が存在する「今ここ」から、外へ未来に向かって走り出す、というジレンマに陥る。
それが、JもU.G.もすべての方法(どうやって)を否定する理由だ。それは正論ではあるが、しかし、役には立たない。私たちは方法なくして探求はできない。本を読むことも方法だし、賢者や先生と言われている人たちの話を聴くことも方法だし、人々が集まって話合うことも方法だし、一人で孤独に思索することさえ方法だ。もちろん私が推奨しているハーディングの実験も方法だ。
だから、私はJを投げ捨てた頃思ったものだ。「むしろマインドを納得させるためには、マインドは方法に中毒しているのだから、だったら好きなだけ、興味の湧くままに方法を試せばいい」と。瞑想であれ、実験であれ、読書であれ、その他の方法であれ、世俗的な活動の最中でさえ、その最中に運か縁のおかげで、自分の本質を垣間見ることが起こる可能性がある。そして、自分の本質を見る(認識する)ことが起これば、JやU.G.がなぜ方法を否定するかも納得できるだろうと思う。
さて、U.G.の「The Mystique of Enlightenment」は彼の1970年代の講話であるが、彼はその後も2007年(89歳)まで長生きした。こんな身も蓋もない話を何十年も仕方なくでも話し続けることができるのもすごいと思うし、彼は自分でも言っているように「珍獣」のような人だったと想像する――見てみたいけど、近づいたら噛みつかれそうな生き物。
もしU.G.についてもっと深く知りたい人がいれば、その「珍獣」をこよなく愛した人が書いた「A TASTE OF LIFE」(Mahesh Bhat著)という本がお勧めだ。彼とU.G.との長年の交流、そしてイタリアでのU.G.の最後の日々が綴られている。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
緑茶愛 ― 2026年03月23日 08時35分34秒
毎朝の楽しみは、おいしい緑茶を飲むことだ。緑茶も数少なく私が味にこだわる食品の一つで、決して安くはないので値段と味を見ながら買うものを決めている。ここ何年かは価格的にも(←緑茶も一般的には高価なほどおいしい)手頃ということで、某コンビにで販売している緑茶を愛飲していた。
ところが、昨年のいつ頃のことだったか、その緑茶が突然大幅に値上がりし、しかもなんとなく以前よりも味が落ちた(ように感じた)。いっそ高くなるなら、別のお茶を探そうと思い、以前プレゼントでいただいた鹿児島産知覧茶がおいしかったことを思い出して、今回は知覧茶に絞って探すことにした。通販、地元スーパーのお茶を飲み比べ数か月、ようやく自分の財力で買える気に入った味のお茶が見つかった。緑茶と一緒に食べるチョコレートも値上がりいちじるしく、チョコは甘すぎなければほとんど味にこだわらないが、食べる量を減らしている。
それにしても、輸入品でもないのに、緑茶の値上がりはなぜ?と思っていたら、世界的緑茶ブームとかのせいでより多くが輸出されるようになったという話を読んだ。まあ、日本の緑茶が世界に知られることは楽しいことだし、茶道の精神は「平和」だ。「武器の輸出」よりはるかに平和だ。
「日本の緑茶やお米、おいしいですね」と海外の人に言われれば、日本人としてはうれしくあるが、将来日本製の武器が世界に普及して、「日本の武器の殺傷能力、スゴイですね!」とか世界中の人たちに言われたら、日本人は喜ぶことができるのだろうか?
そんなみじめな後ろ向きの希望を権力与党の政治家の皆さんがあたかも日本の再生の鍵と思い込むところが、日本の凋落(衰退)を象徴している。
でも国破れて、緑茶破れず、次の千年も緑茶は生き残るはず。頑張れ緑茶!
緑茶の起源と歴史(AI秘書のまとめによる)
1. 中国での発見(起源)
•緑茶の起源は 中国・雲南地方にあるとされる。
•伝説では、神農(しんのう)が薬草を試す中で茶を発見したとされ、紀元前2700
年頃に遡る。
•実際の歴史記録としては、漢代(紀元前1世紀)にはすでに茶の売買・飲用が確認されている。
•緑茶としての製法(不発酵)は、紀元前1千年紀末頃には確立していたとされる。
2. 日本への伝来(いつ・誰が)
最初期の伝来(奈良〜平安時代)
•日本の文献に茶が初めて登場するのは 奈良時代(8世紀)。
中国からの使節や僧侶が持ち帰ったと考えられる。
本格的な普及(平安末〜鎌倉時代)
•11世紀〜12世紀に、留学僧が中国から茶の種と飲用法を持ち帰り、栽培が広がる。
•特に有名なのは 栄西(ようさい)。
1191年頃、中国(宋)から茶の種を持ち帰り、九州・京都で栽培を広めたとされる。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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