ラメッシの教え――「すべては神の意志」2010年07月18日 10時36分49秒

ラメッシの「すべては神の意志」という観念についてコメントをいただいたので、本日は、ラメッシの教えの根幹をなす「すべては神の意志」について、再び書いてみたい。

「すべては神の意志」――もし私が20代の頃にラメッシのこういう教えに出会っていたとしたら、私はとうていそれを受け入れることはできなかっただろうと思う。

なにしろ、私は自由意志と自己責任のバリバリの信仰者であったし、出世意欲や上昇志向こそ強くはなかったものの、人は自分の信念で自分に降りかかる運命を変えることができると心から信じていた。というより、そう思い込まないと、くじけそうになる現実の状況がいろいろとあったわけなのである。

とにかく私は、自分の幸福を他人の手にゆだねるという他力本願的な考えを非常に嫌っていた。だから、その当時の私がもしラメッシの本を読んだとしたなら、彼の教えを「自分の幸福を神の手にゆだねるという他力本願的」教えに感じたはずである。

もし個人の自由意志と自己責任を信じていて、それで人生がうまくいっている、それで幸福だと思える方は、まったくそれで問題はないし、たいていの自己啓発のリーダー、ビジネス・リーダー、ニューエイジ哲学のリーダーの方々は、ほとんどみな個人の自由意志と自己責任を提唱している。

精神的(霊的)進化についての私の観念でいえば(以下の動物段階・人間段階・神段階という観念は、ラメッシの教えとはまったく関係なく、私が作った観念である)、物事が起る責任をどこへもっていくかは、3段階あると思っている。

1動物段階
*自分に起ること(特に悪いこと)や自分が幸福を感じられないのは、他人(親、子供、夫や妻、恋人、友人、世の中一般)のせいである。しかし、自分によいことが起るのは、自分のおかげである。
*私(私の考え・行動)はいつも正しく、他人(親、子供、夫や妻、恋人、友人、世の中一般)はいつも間違っている。

2人間段階
*自分によいこと・悪いことが起こるのも、自分が幸福・不幸を感じるのも、自分(自分の考え方、行動、能力等々)の責任である。
*世の中には色々な考えがあり、人は自分の考えによって、自分の人生を作っていくので、どんな人生であれ、その人の責任である。

3神段階
*起るあらゆることは、よいことも悪いことも、大きいことも・小さいことも、一なるもの(神)の意志である。
*その一なるもの(神)とは、私の本質である。

私の印象では、2の人間段階の真っ最中の人は、おそらく20代の頃の私のように、3の神段階の教えには非常に抵抗を感じるようである。その場合は、その人は人間段階の修行、つまり、「自分に起こるすべては、自分の責任である」という修行を飽きるまで(!?)継続するほうがいいかもしれない。そうすれば、いつか、「すべては神の意志」を非常にすんなり受け入れられる日がくるかもしれない。

そもそも、ラメッシの教えそのものが、自己責任感をプログラムされていない人、つまり、自分の言動にもともと無頓着な人にはあまり向かないだろうと私は感じている。どちらかといえば、責任感が強くて、その重圧によるストレスや苦痛に悩む人、起きたこと・起きなかったことに罪悪感をもちやすい人向けの教えなのだ。

ラメッシ自身、彼は人間的には非常に自己責任感の強い人で、与えられた職務を忠実にまっとうする人であるという印象を私はもっている。銀行の頭取という要職にあった彼は、自分の決断一つで会社の業績がよくなったり悪くなったりするという、ストレスと重圧にさらされた人生であったと想像される。

ラメッシが、自分の教えの根幹に、「神の意志による罪悪感からの解放」を中心に置いているのは、私の勝手な想像であるけれど、そんな彼の個人的人生が影響しているのではないかと思われるのだ。

「すべては神の意志」――私は個人的には、神が悪役や善人やその他様々なキャラクターを自由に配して、現象映画を作って遊んでいるというラメッシの「神=映画監督」というたとえを非常に好んでいる――西洋伝統キリスト教的な「神は善だけに関わり、悪は悪魔が関わっている」という観念のほうが、私にはよほど怖い。