「ポジティブ病の国、アメリカ」2010年11月21日 09時01分29秒

今、アメリカのジャーナリスト、バーバラ・エーレンライクの最新作「ポジティブ病の国、アメリカ」 (河出書房新社)という本を、読んでいる。

バーバラ・エーレンライクは、私の印象でいうと、日本でいえば、何年か前に亡くなった、ジャーナリストの筑紫哲哉氏に感じが似ている――舌鋒鋭い、リベラルなジャーナリスト、古きよきアメリカを愛する、そしていつもアメリカの政治・経済・社会の現実に怒っている愛すべきおばさん。

彼女は、ここ数十年のアメリカの現実――労働者が働いても働いても報われない現実――その格差の原因がどこにあるのかを鋭く追及する本を書いてきた。今回彼女がその調査・批判の対象に選んだのが、アメリカのポジティブ産業(スピリチュアルからビジネス・モーティベーション産業にいたるまで、肯定的物の考え方、態度を教える産業)である。

本書によれば、アメリカでは、ビジネス、宗教・教会、そして医療現場、労働現場のあらゆるところで、「ポジティブ(肯定的)で楽観的な態度」が推奨、いや、ほとんど強制されているといい、特に「ザ・シークレット」の本のヒット以後、その盛り上がりは頂点に達しているそうである。ところが、これだけ「ポジティブで楽観的な態度」が推奨・強制されているというのに、アメリカの状況、特に経済・労働環境は悪化の一途とたどっている――それは、なぜなのか?

バーバラおばさんは、現実を直視しない(させない)そういった安易な楽観主義、肯定的物の考え方の蔓延こそ、むしろアメリカのビジネスを凋落させ、金持ちと貧乏人の格差をいっそう広めてきたという論を展開する。

彼女が具体的に挙げている例は、
たとえば、会社で業績が不振だったとしよう。すると、そこの経営陣たちは、自分たちの責任を追及したり、自分たちの報酬は下げることなく、ビジネス・モーティベーション産業の力を借りて、社員のリストラを苦痛なくおこなったり、社員に「やる気向上」プログラムを押し付けたりする。リストラされる社員は、「リストラされることは、あなたのチャンスです。それを肯定的に考えましょう」と説得され、また態度がネガティブだと査定された社員は、職場で排除されたり、非難を受けたりするというわけである。

本書には他にも、
ビジネスの厳しい現実を見るべきときに、楽観的な考え方や「引き寄せの法則」で、なんとか切り抜けられると考える企業のCEO(最高経営責任者)の人たち、

そして、「信仰(=教会に寄付をすれば)があれば、どんなことも可能である」と、貧しい人たちに楽観主義をあおり、不釣合いな寄付や消費に追い込む教会の伝道師たち等々、山ほど事例が挙げられている。

バーバラおばさんは、人々が本当は、怒って、文句を言うべきときに、安易な楽観主義、肯定的物の考え方にまるめこまれて、自分のお金も働き場所も失ってますます貧しくなっていく一方、そういった一部のポジティブ産業の伝道師たちが、大金持ちになっていく様子を、強い口調で批判している。

本書の中に、「ネガティブなたち人は、有害である。彼らはポジティブな人たちからエネルギーを奪うからだ。だから、できるだけネガティブな人たちを避けよう」という主旨の、そういったポジティブ産業の著名な伝道師の言葉の引用があって、それに対しても彼女は、そうやって、あらゆるところからネガティブな人やネガティブな意見を排除しようとするのは、いかがなものか、時には、現実に対して否定的な意見や否定的な人だって必要ではないか?と異議を唱えている。

私はいちおうスピリチュアル系に属しているので、スピリチュアルな考え方や「ポジティブ・シンキング」に対する彼女の批判のすべてには同意しないし、「人々はもっと現実に怒って、文句を言ったほうがいい」という考えにも賛成しないが、ジャーナリストである彼女とは少々違った観点から、安易な楽観主義、安易な「ポジティブ・シンキング」、そして、「ネガティブな人は、有害である」というような意見は、かえって多くの混乱や苦痛を招く危険性があると思っている。

次回は、いわゆる「ポジティブ・シンキング」のその功罪と限界について、もう少し踏み込んで書いてみたい。