ヤン・ケルスショット2017年06月06日 07時07分39秒

 先日、ヤン・ケルスショットのセミナー&ワークショップに参加してきた。

私が日本国内でスピリチュアル系のセミナー(ワークショップ)に(自分が主催するもの以外で)参加するのはものすごく久しぶり(たぶん、15年以上ぶり)である。突然、ダグラス・ハーディングとも縁の深いヤン・ケルスショットの話をちょっと聞いてみたい気分が起こったからだ。

セミナー&ワークショップの最中、時々睡魔が邪魔して記憶があやふやなところもあるが、二日間の話をまとめて書いてみよう。

まず彼はノン・デュアル(非二元)の教えとはどういうものかを図解入りで説明した。

彼が言った要点を箇条書きすれば、

*私たちの本質であるスペース(空間)はどこにでにある。(彼はいわゆる宗教的な用語は好きじゃないので、自分の本質を指す言葉として「スペース(空間)」という言葉を使うということである)

*それは達成されることも変えられることも、汚染されることもなく、永遠にある。
それはどこにでもあるので、それについて話すことに困惑を覚えるほどである。

*たとえを使って説明すれば、一人ひとりの人生とは、どれほど偉大な人のものでも平凡な人のものでも、海の一つ一つの波のようなもので、それぞれ違っていて、わずかな時間しか存続しないが、その元にある海洋はすべての存在に共通し、永遠である。

*その本質の世界(ノン・デュアルの世界)では:no identification(アイデンティティがない)、no time(時間がない))no judgemen, no labeling(判断がない、上下がない、レッテル貼りがない)

*眺めている観照者は個人ではなく、非個人的スペースであり、私たちは全員がいつもそうしているが、ただ気づいていないだけである。「一人の」個人的観照者がいるという思い込みは、進んだ霊的探求者がよく陥る間違いである。

*ノン・デュアルの教えは、セラピーやヒーリング・メソッドではなく、人間状況の改善を目的とはしていないが、自分とは何かに目覚めれば、その副次的効果として、人間的状況にもよい影響があるかもしれない。

*人間のちっぽけな理性(マインド)、脳では、「私の本質」を理解することも描写することもできない。

「私とは何か?」について、彼が語ったことはだいたい以上のような話だった。ノン・デュアルの教えの本質についてコンパクトでわかりやすい説明だと思う。

それから彼は、霊的探求の一般的プロセスを語った。

*人生のある時期に、人生には物質的な生活以上の何かがあるはずだと思い、人は霊的な探求を開始し、自分を高める様々な修行やテクニックを学ぶ。 探求者であるというスピリチュアルなエゴが生まれる。

*そしてそのエゴは、自分がいつか完全な状態や仏陀のような完全な人になれると思い込み、頑張るが、それが達成されず、いつも挫折感を味わう。

*色々なところへ行くたびに、それぞれの先生や教えが様々なことを言うので、色々と考えてしまい、混乱に陥る。

*しかし、混乱は起こるのは悪いことではなく、それはエゴが混乱し、探求が進んでいるという意味である。

*最後にようやく、自分の本質(スペース)とは未来に達成するべきものではなく、今ここに永遠に誰にでもあるもので、悟ったり、目覚めたりする「人」は誰もいないという現実に目覚める。

*そのとき、霊的探求者であるというエゴは消えるが、人間部分のエゴは残り、人間としての日常生活は続いていく。人間生活の中では、 identification(アイデンティティ)、time(時間)、 judgemen(判断)は必要である。

それから、彼が語ったことは、彼個人のライフ・ストーリーはノン・デュアルの教えの中ではまったく重要でないと前置きして、彼自身の霊的探求の話であった。

*彼の場合、15歳のときに霊的探求が始まった(恋人とキスをしたとき、自分が完全になくなる経験をしたのが始まりだった)。

*20代から世界中を旅して、色々なところへ学びに行き、色々な先生や教えを見てまわり(超越瞑想、ムクタナンダ、ヨーガその他)、様々な経験をしたが、しだいに混乱してきた。

*ダグラス・ハーディング と出会い、実験を最初にやったとき、即座に「私とは何か?」 がわかった(見た)。
 
下記にヤン・ケルスショットがダグラス・ハーディングにしたインタヴューの日本語の翻訳が、掲載されています。

*ダグラス・ハーディングに本を書くように勧められ、本を書くためにまた何人かの先生に会いに行き、インタヴューをし、その中の一人が、トニー・パーソンズだった。彼と話をしているとき、彼が床を指さし、「これがそれだ」と言ったとき、非常に衝撃があった。

* それからユーチューブで、ムージを見たとき、なぜか惹かれるものを感じ、大勢の信者を従える彼のグル風のスタイルや、彼を取り巻くまわりの雰囲気は好きでなかったにもかかわらず、彼に会いに行こうと思った。

*ムージのリトリートに参加し、彼と目が会ったとき、ハートにものすごい共鳴を感じた。
 
 彼の個人的な探求については以上のような話だった。

ワークショップでは、奥様のクリスティンも話をする機会があり、彼女自身のスピリチャルとの出会い、そして夫としてのヤンについて少し語った。

「私とヤンは20代に結婚し、その頃すでにヤンは霊的探求者だった。私自身はといえば、自分は物質的なこと――仕事のキャリアと家庭生活を築きあげることが主な関心で、霊的なことには興味がなかった。でも二人の結婚生活はそれで別に問題がなかった。ヤンには結婚した頃から、ある種の平和な感覚があった。自分としては、ヤンから娘たちにもっとあれこれ言って欲しいと思ったこともあったが、ヤンは娘のことも誰のこともいつもありのままに認めていた。

私とヤンが最初にダグラス・ハーディングに会いに行ったとき、ヤンはものすごく興奮しているのに、自分にはさっぱりダグラス・ハーディングの言っていることが理解できなかった。4、5年ほど前に、仕事と家庭生活が忙しいせいで、自分がいつも先のことばかり考えてイライラし、今ここにいたことがないことに気づいた。そして、ようやく夫やダグラス・ハーディングの言っていることがわかるようになった」。

以上が奥様のだいたいのお話だった。

ヤンがノン・デュアルを伝えるスタイルは、彼が特に影響を受けた三人の先生の中ではトニー・パーソンズに一番似ているかもしれない。彼はワークショップの最中にダグラス・ハーディングの話はしたが、実験はほとんどしなかった。私が感じたことは、実験をもう少し織り交ぜたほうが、眠気防止(笑)にもなり、彼が語るスペースの話が参加者によりリアルに伝わるのではないかということだった。
 
ともあれ、ヤン・ケルスショットは気さくで気軽で、グル風でない現在風のノン・デュアルの伝導者(本業は、代替医療系の医者だそうです)で、人格的には陽気なエピキュリアン(快楽主義者=人生のよきものを充分
に楽しむ主義)のような感じで、一緒にいて楽しい人である。

今回の来日では東京でのセミナー&ワークショップの前に、10日間ほどご夫婦で、京都や奈良をのんびり旅行してきたといい、奥様から旅行の写真や家族の写真をたくさん見せていただいた。

 *今回のセミナー&ワークショップで話題になった人たちの本

「ホームには誰もいない」ヤン・ケルスショット(ナチュラルスピリット  )

「存在し、存在しない、それが答えだ」ダグラス・ハーディング(ナチュラルスピリット  )

「今ここに、死と不死を見る」 ダグラス・ハーディング(マホロバアート)

 「何でもないものがあらゆるものである」トニー・パーソンズ (ナチュラルスピリット  )
 
「オープン・シークレット」トニー・パーソンズ (ナチュラルスピリット  )
 
「絶対なるものの息」 ムージ(ナチュラルスピリット )
 

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「触媒」――見かけの人(伝道者)の 役割2017年06月13日 15時53分47秒

先日のヤン・ケルスショットのワークショップの中で、彼がした話をもう一つ思い出した。

それは(見かけの)グルや教師 の役割についての話で、彼はグルや教師とは、何かを燃やすときの触媒のようなものだという話をした。

たとえば、砂糖を燃やすとき、砂糖だけだと燃えない(そうである)が、灰(タバコの灰?)を砂糖につけて砂糖を燃やすと、砂糖は燃え始め、最後には砂糖は燃え尽きて、そしてあとには触媒の灰だけが残る。この喩え話では、砂糖が霊的探求者で、灰がグルや教師ということである。

つまり、グルとか教師は探求を推進する影響を与える役割をもっている、というわけである。そういう意味では、ヤン・ケルスショットもたくさんのグルや教師から学び、影響を受けてできたようだ。(私自身はことノン・デュアルの教えに関しては、「グルとか教師」という言葉よりもどちらかというと、伝える役目の人、つまり、「伝道者(道を伝える人)」とか「伝導者(伝え導く人)」という言葉のほうがふさわしい気がしている)。

この話は、ラメッシ・バルセカールがした話にも似ている。彼はグルについて、「人が探求を始めるときには、グルや教師は必要ではないが、探求を推し進めるにはグルが必要である」と、確かこんな話をどこかでしたと私は記憶している。

この話題に関して、私がまた思い出すことは、私が20代の頃に私を霊的探求へ引き入れたきっかけとなったJ・クリシュナムルティの言葉だ。

彼は繰り返しこう言っている。「自分の本質に覚醒するのに、グル、ワーク、本は必要ない」。私は読書以外なるべく何かをしたくないので、この言葉を喜び、この人は真実を言っているに違いないと直感したが、一方で、「本が必要ない」と言っている人の言葉が書かれている本を、熱心に読んでいる自分をよくバカバカしく感じたものだ。

さらにあとで思ったことは、「本は必要ない」と言いながら、彼自身は晩年まで世界中を講演してまわっていて、少なくとも「言葉」を使っていたわけだ。もし本が必要ないなら、それはすなわち「言葉による講演」も必要ないだろうということだった。

もし人が外側のグルも本もワークも一切なく、自分一人で霊的探求をし、目覚めに至ったら、それが「王道」である。しかし、それはほとんど起こりえないことで、もしそれが起こるとすれば、その人は「ほとんど」覚醒して生まれている。私が名前を知っている賢者では二人だけである――ラマナ・マハルシ(インドの賢者)とロバート・アダムス(90年代に亡くなったアメリカの賢者)

ノン・デュアルの教えに限って言えば、J・クリシュナムルティの言っていることは正論である――「私とは何か」を認識・理解するために、私以外の何も、思考や感情でさえ必要ではない。しかし、正論はほとんどいつも役に立たない(笑)。

話を「触媒」に戻そう。私が思うに、伝道者だけでなく、本やワークもある意味では「触媒」である。その他人生の出来事も触媒である。ほとんどの霊的探求者は、その探求を推進するために何らかの触媒を必要とするものだ。

本は手軽で安価でよい触媒であると、私は確信している。現代の先進国では、人はどこでもそれを手に入れることができ、どこでも読むことができるという利点がある。私が長い間本に関する仕事をしているのはそういう理由である。しかし、伝道者やワークに比較すれば、その影響は非常に小さく、すぐには感じられない。ある特定の本から影響を受けたいと思うなら、人は何度も読まなければならず、霊的探求のための読書には特別に「瞑想的読書」(読書による瞑想)という言葉があるくらいだ。

それからワークもよい触媒となりうる――もしそのワークがその人にフィットすれば。そして伝道者 (グル・教師的な人たち) という見かけの人は、ヤン・ケルスショットも言うように、最大の触媒となりうるものだ。それはなぜかというと、私が思うに、私たちは見かけの人がもつエネルギーに非常に影響を受けやすいからである。これは伝道者たちが影響を与えたいと思っているということではなく、見かけの人と人の出会いにより、影響は(起こるときには)自然に起こるということである。

人が人に与える影響は、何も霊的探求の分野に限らない。人は自分が出会う人たちに影響を与え、そして影響を与えられながら、みんな生きている。見かけの人たちの世界は、よい影響にしろ悪い影響にしろそういうことで成立っている

私がかつてスピリチュアル系の場に参加して、もう一つよく感じたことは、特定の伝道者(グルや教師)の影響だけというよりも、その人たちのまわりに集まってくる「見かけの人たち」が作り出す「場」にも、人は影響を受けるのだということだ。 私の経験では、スピリチュアル系のセミナー、ワークショップ、サットサンにはそれぞれ独特の感じがあり、一般的にはその「場」の感じが自分に心地よく感じられれば、それは自分に合っているということができるだろう。

探求者がものすごく多様であるゆえに、触媒である本・ワーク・伝道者もまた多様である必要があるのだと思う。それが現代、これほど多数で多様なスピリチュアル系の本・ワーク・伝道者が世界中にあふれている理由でもある。また多数で多様であるとは、スピリチュアルな触媒はほとんど自分にヒットしないということでもある。人が仮に百冊近い本を読んでも自分に合う本はほんの数冊かもしれないし、10カ所のスピリチュアル系の場をめぐっても、自分に合うと思えるのは一カ所くらいかもしれないのだ――スピリチュアルな探求とはバカバカしいくらい贅沢で無駄が多い旅(笑)である。

ということで結論としては、お金と時間の余裕に応じて、各種の触媒を利用することは霊的探求を推進するのに役立つだろうということである――見かけの人が、J・クリシュナムルティの正論が本当に正しいことを確信する日まで。

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1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
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グル(先生) は必要か?2017年06月29日 08時05分09秒

「お知らせ」

*7月はブログをお休みします。

*お待たせして申し訳ありませんが、ダグラス・ハーディングのグラッフィク伝記「頭がない男」とニサルガダッタ・マハラジのPrior to Consciousness の本はともに、諸事情で作業の進行が遅れています。



前回のブログ「見かけの人(伝道者)の役割」の中で、ラメッシ・バルセカールの言葉「探求の推進にはグルが必要である」という言葉を引用した。ラメッシ自身は、マハラジとその前にもう一人先生がいた。

これを読んで、中には、「私にはグルのような人はいないけど、それはつまり、霊的探求が進まないということだろうか? 本だけ読んでいてもダメなのだろうか?」  という疑問をもった人がいるかもしれない。

「グル(先生)が必要である」という考え方は特にインド系の人たちに根強くある。それはグル-弟子という観念がインドの伝統であるからだ。

では、ダグラス・ハーディングに「霊的探求や目覚めにおいてグル(先生)は必要ですか?」と、もし誰かが質問したとしたら、彼はきっと次のように答えるにちがいない。

今ここで私とは何かを自分一人で見ることができるときに、どうしてグル(先生)が必要ですか?あなたは今ここで自分自身で目覚めることができます

ダグラス・ハーディングはいわゆるグルをもたずに独力で探求した例で、彼は自分をグル(先生)扱いされることを非常に嫌い、そもそもグル-弟子というインド風の観念も嫌っていた。

なので、ダグラス・ハーディングの教えのまわりには、グル(先生)も弟子も段階も階級制もなかった。ただダグラスは次のようなこともよく言っていた。「自分とは何かを見ることは簡単だが、それを維持し生きることは難しいものです。それを生きることは修行です。だから、お互いを励ますためにも、私たちがこうして時々集まって、一緒に実験をやることは役に立つことです」。

ダグラスは実験仲間を「見者のコミュニティ」と呼び、仲間・友人と一緒に実験をし、話し合う時間をとても愛していた。

ちなみに、私自身は数えてみると、実際に会い(見)に行った先生は、6、7人くらいで、その本を熱心に読ん先生はだいたい20人くらいだと思う。本から学んだ先生たちにも非常にたくさんのことを教えてもらった。そして、その中で最終的にはダグラス・ハーディングとラメッシ・バルセカールの教えに落ち着いた。

だから、彼らが私のグル(先生)という言い方もできるかもしれないが、私もダグラス同様にグル(先生)-弟子という観念を好まない。もし弟子ということであれば、むしろ私は、自分は彼らという「人」の弟子になったのではなく、ノン・デュアル(非二元系)の「教え」の弟子、その中でも特に彼らの「教え」の弟子になったのだと思っている。

結論としては、「グル(先生)は必要か?」への答えは、「グル(先生)は必要」という意見と「グル(先生)は必要ではない」という意見と両方があり、それはどちらも正しい。

熱心に読めば、本だけでも霊的探求は可能だろうし、熱心に内観(自分の内側を見る)できる人であれば、本さえも必要ないだろう。

ではもし、グル(先生)のような人が欲しいけど、でも出かけて探すだけのお金も時間もないという人はどうすればいいのだろうか? 

 スピリチュアルな世界でよく言われる話によれば、グル(先生)は必ずしも自分の目に見えるところにいる人だけではない、ということだ。つまり、(遠くに住んでいる)現在生きている、あるいはすでに死んだ歴史上の賢者(たとえば、イエス・キリストや仏陀)にさえ霊的探求の導きを熱烈に求めることも可能だということである。私は試したことはないが、こういう方法もあるということである。

インドの賢者ラマナ・マハルシは、「あなたが死んだあと、私たちはどうすればいいのでしょうか?新しいグルを見つけるべきですか?」と弟子たちに聞かれて、「皆さんが私のことを思うとき、私はいつでもそこにいます」と答えたという話が伝わっている。

だから、グル(先生)はどこでもいつでも利用可能ということである--探求者が本気なら。

また、種類は全然違う話ではあるが、私がダグラス・ハーディングやラメッシ・バルセカールの本の翻訳作業をしているとき、どうしても原文の意味が理解できないときや、ふさわしい訳文が思いつかないときは、彼らが生きていると思って、心で尋ねることにしている。すると、私の感じでは、答えが返ってくるような気がしている(まあ、私がそう信じているというか、そう信じたいだけだけかもしれないけど)

さて、こういう話を書くと、ダグラスやラメッシは魂を否定したのに、彼らの魂がどこかで生きているということかとか、ラマナ・マハルシや仏陀、イエス・キリストに導きを受けるのは、チャネリングのようなものかと疑問に思う人がいるかもしれない。

それを私はうまく言葉では説明できないが、一般に行われているチャネリングのようなものではないし、またダグラスやラメッシのいわゆる魂が答えているのでもないと思っている。

そして、グル(先生)が欲しいという話であれば、賢者だけでなく、私の考えでは、人生で自分が出会うどんな出来事も人も、自分を教え導くグル(先生)になりうるのだ--仕事、家庭生活、出来事、親や子供、そして自分が一番苦手だったり嫌っていたりする人たち(笑)。
 
宇宙は非常に親切なところなので、人が必要なものや人(グル・先生)はちゃんと届くシステムになっている。 だから、皆さんご心配なく。


[今後のイベント予定]                                                  
 
 *2017年9月17日(日曜日)「ラメッシ/マハラジの教えと『気づき』について学ぶ会」(東京)

*2017年10月28日(土曜日)「私とは本当に何かを見る会」(大阪府茨木市)

*2017年10月29日(日曜日)「ラメッシ/マハラジの教えと『気づき』について学ぶ会」
(大阪府茨木市)


[お知らせ]
 
ダグラス・ハーディングの新刊「存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)好評発売中

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