On Having No Head (2)2025年11月07日 09時07分36秒

[ひよこ豆様:ご質問への回答]
今回の本は、紙の書籍です。現在のところ電子書籍版は未定です。

[イベント]
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◎2025年12月1日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)

◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)

2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで

◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」

2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」

2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)


2 On Having No Headとの出会い

今回は私とOn Having No Head ―Zen and the Rediscovery of the Obvious「頭がないことについて――禅と明白なるものの再発見」(仮称)(1994年に『心眼を得る』というタイトルで出版された本の再版)との「出会い」について書いてみたい。

まさに「出会い」――その出会いは、今から37,8年前に起きた。たまたま読んでいた本に、On Having No Headの翻訳された一節が紹介されてあったのだ。私はその文章を何度も読み返しては、「頭がない」とか、なんか変なことを言っているなあと思いながら、でも何かとてつもなく重要なことを語っているという印象をもった。それでなんとか原書の本を手に入れ、初めから読み始め、紹介されていた「指差し」実験をやってみた。最初は???だったが、何度かやったとき、突然開眼した(笑)。

「そういうことだったんだ!」と、過去に私が理解できずに格闘してきた『般若心経』、J.クリシュナムルティ、『なまけ者の悟り方』などの言わんとしたことの要点が一気に見えた(感じがした)。

そして、ハードな修行が嫌いで、坐ってやる瞑想もほとんどやる気がでない私を喜ばせたことは、いわゆるハーディングのワークは:

*辛い修行不要
*先生と宗教的信仰不要
*お金と時間不要

という点だった。ただ「見ればいい」。その手軽さ気軽さが何よりも私の気質に合っていた。

そして、私がOn Having No Headも含めてハーディングの本を何冊か読んで最初に理解したことは:

*スピリチュアルな人たちが話題にする「悟り」とか「目覚め」とか「完璧さ」とは、目標ではなく、出発地点だということだ。私たち全員が本質的には「すでにそれ」であり、「そこから出てきている」。

*だから、人として私たちがスピリチュアル的に何かになる―たとえば、「悟った人」、「目覚めた人」、「完全な人」、「スピリチュアル的に何か高い境地にいる人」になることは、どんなに努力してもあり得ない。人間としての自分は永遠に不完全な存在であり、それでOKなのだと。

以上のことを理解して、自分を何かの理想の高見に引き上げようとするスピリチュアル的努力は一切無駄で、「要するにまあ、人は自分のしたいこと、楽しいと思うことをして好きに生きればいいのだ」ということを改めて(それまでもそう思って生きていたが)確信した。

最初の数年、On Having No Headも含め、数冊のハーディングの本(の原書)を熱心に読み、それからは熱が冷め、時折読んではハーディングが言わんとしていることを少し考えるくらいだった。もしハーディングその人に直接出会わなければ、彼の本を私が翻訳したり、「頭がない方法」を他の人たちと分かち合うなどという活動は起こらなかったことだろう。

ハーディングその人との出会いも偶然で突然だった。たぶん1994年のことだったと思うが、彼がまだ生きていて(当時85歳)ワークショップなどの活動をやっていると知り、なぜかこの人にどうしても会いたいという衝動のようなものを感じた。それでその年の夏のワークショップに参加するために、はるばるアイルランドまで飛んでいった。

彼のワークショップは、その当時日本で流行していた、自己啓発やチャネリング系のセミナーやワークショップとはまったく異質ものだった。しかもワークショップの金額が格安で驚いた。そのワークショップでは、何かを教える先生と何かを学ぶ生徒という関係もなく、長年ワークをやった経験者と初心者という区別もなく、何かを達成することも獲得することも引き寄せることもなく、ただ「在る」だけの時間がゆるく平和に流れていた。

そのワークショップでハーディングから、「よかったら、私の本は何冊もあるから、日本で出版してほしい」と言われた。内心、英語が難解すぎて自分の能力に余るし、その他様々な理由から無理とは思っていたものの、著者から翻訳を頼まれるなんて機会もそうあることではないと思い直し、一番薄い本(The Little book of life and Death『今ここに、死と不死を見る』)を翻訳して出版することにした。本当は、On Having No Headにしたかったのだが、私がハーディングに出会った頃、ちょうど日本の別の出版社が翻訳権を買ったばかりということで、残念ながらその願いはかなわなかった。

そして今、長い間絶版だったOn Having No Headの再版がようやく実現することとなり、ほっとしている。たぶんOn Having No Headへの私の理解も翻訳能力も30年前よりは多少向上した( I hope)と思われるので、様々なことが30年の時を経て成熟した状況での出版となり、喜んでいる。

今、改めてOn Having No Headを読み直してみると、特に第4章「話を現代化する」の内容を当時私は本当にはよく理解していなかったことがわかる。ヴィジョンは変わらないが、理解のほうは長い間、実験を練習し、ハーディングの言葉を読みながら、少しずつ湧き起こった感がある。

そして、ハーディングも書いているように、そしていつも言っていたように、実験そのものはシンプルであるのに、そのヴィジョンを生きることは決して簡単ではないし、多くの困難や障害にも出会う。まして、このヴィジョンを分かち合うことはなおさらだ。

それでも、なぜか続いた不思議な縁……最初に開眼したあの日と同じように、今この瞬間もこのヴィジョンは、無知という「神秘」(あえてこの言葉を使えば)に包まれて、平凡に普通に輝いている(合掌)。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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On Having No Head (1)2025年10月26日 10時04分46秒

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◎2025年11月29日(土)と12月1日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)

◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)

2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで

◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」

2025年11月9日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」

2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)


今回からもうすぐ出版が予定されているダグラス・ハーディング(1909~2007)著、On Having No Head ―Zen and the Rediscovery of the Obvious「頭がないことについて――禅と明白なるものの再発見」(仮称)(1994年に『心眼を得る』というタイトルで出版された本の再版)を紹介したい。

今まであちこちでハーディングの教えや彼について書いてきたので、重複する話が多くなるが、本ブログの読者の皆さんのために下記の三つに重点をおいて書く予定である。

1On Having No Headが書かれた経緯
2On Having No Headとの出会い
3On Having No Headに書かれている内容について

1On Having No Headが書かれた経緯

ダグラス・ハーディングは第二次世界大戦後、建築の仕事を休んで、大著『The Hierarchy of Heaven and Earth ―A New Diagram of Man in the Universe (天と地の階層――宇宙における人間の新しい図解)を書きあげた。出版界に縁のなかった彼であるが、その原稿を読んだ当時のイギリス文学界の重鎮C.S.ルイス(イギリスの作家。1898~1963)がその内容を絶賛し、彼の後押しで1952年にそれは出版された。それから、大衆的雑誌、『サタデー・イブニング・ポスト』から原稿の依頼がきて、その依頼に応じて書いた2つの原稿の一つがOn Having No Headだった。

二つのうち一つの原稿は雑誌に掲載されたが、On Having No Headの元となった原稿は、友人たちが「『私には頭がない』なんていう書き出しで始まる文章は一般雑誌にはふさわしくない」と警告したので、当時会員だった仏教協会に頼んで出版してもらった。これは1960年代の話である。

初期の頃の版には下記の3つの文章が掲載されていた。

第1章  真に見ること  
第2章  「見ること」を理解する  
第3章  禅を発見する 

それから、1980年代に第4章「話を現代化する」を付け加え、この章では彼が30代の初めに自分には「頭がないこと」を発見してから40年以上、「頭がないことを」を自ら実践し、それを他の人たちとも分かち合ってきた経験の詳細が語られている。具体的には、単純なヴィジョンの背後にある奥深い神秘、キリスト教、仏教、インドのアドヴァイタなどの教えと深く共通する点、そして、日常生活への影響、他の人たちに伝えることの困難、そして「頭がないこと」を実践する人たちに降りかかる障害について、幅広く様々な角度から書いている。

ハーディングは本書のあとも様々なことをテーマにたくさんの本を書いたが、On Having No Headには、それらすべての本の内容が要約されていると言っても過言ではない。短い本(約100ページ)の中に非常にコンパクトに内容がまとめられ、そして、一般雑誌向け原稿だったということもあり、彼の文章にしては比較的平易な文体で書かれている(と思う)。(←比較すれば、『The Hierarchy of Heaven and Earth』の本などは、最初読んだとき、宇宙人が書いた英語かと思ったくらい、ハーディングの英語は私には難解に感じられたし、今でも難解である)

On Having No Headでハーディングは、中国、日本の著名な禅僧たちの言葉にも言及しているので、欧米では禅を学ぶ人たちの間でも広く読まれ、現在まで彼の本の中では一番売れているロングセラーとなっている。


[今年出版された本]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。



*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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「悪意」について2025年10月17日 10時45分35秒

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◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)

2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで

◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」

2025年11月9日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」

2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで


[新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(23)



もうすぐダグラス・ハーディング著『On Having No Head(頭がないことについてー仮称)』 (1994年に図書出版社から『心眼を得る』のタイトルで出版された本の再版)が出版予定なので、次回よりこの20世紀のスピリチャルな古典ともいうべき本書を紹介する予定である。

その前に今回は、ハーディングが『On Having No Head(頭がないことについてー仮称)』で描く「天の王国」とは正反対の人間世界の「悪意」について書いてみたい。

先日ある人から、「この世界には途方もない『悪意』がありませんか?」と尋ねられ、この世界にある「悪意」について少し話し合ったことがあった。この世界には途方もない「悪意」がある――そのことを私は否定しないし、驚かない。なぜなら、私は20代の頃からずっと人の心の中に潜む「悪意」を研究(笑)してきたし、普段「悪意」満載の本(ミステリーや小説)を山ほど読んでいるからだ。

「悪意」とは何か? 悪意の元とは、「人間の利己心」である。そして、人間の利己心とは自分(自分たち)が快適に生き延びたい、さらに言えば、自分たちが快適に自己拡大したいという願望である。そして人間のその利己心は、自分たちの肉体的精神的物質的喜びや快楽のためなら、他人をどれほど利用(犠牲に)しても、心が痛まない。そう定義してみれば、私たちのほとんどすべての人の心に「悪意」というものがある。あとはその「悪意」の種類と程度と、自分が自分の「悪意」にどれほど自分で気づくかどうかの問題である。


戦争は「お前たちなんか死ねばいい」という極端な「「悪意」と「悪意」の衝突であり、犯罪は片方が一方的に相手の何かを奪うために悪意を相手に仕掛ける行為である。特定の誰かを貶める言動(いわゆるヘイトスピーチ)、セクハラ・パワハラは自分の精神的肉体的快楽のための「悪意」である。こういった「悪意」はわかりやすい。しかし、私たちの日常生活では、「悪意」は「悪意」の顔をしてやってくるのではなく、むしろ「善意」の仮面をかぶってやって来るからややこしい。

毎日のように私のところへ送られてくる有名企業の名前を騙った詐欺メールは、「親切なお知らせ」という仮面をかぶってやって来る。自分がそのサービスを利用している場合、念のため調べることにはしているが、こういったことに時間がとられることが非常に煩わしい。まあ、私が日常生活で出会う「悪意」はそのくらいで、私はほとんどいつも親切で平和な世界に生きている。

しかし、今年は一度、「悪意」の実害にあった。それは引っ越しのときの話で、引っ越し業者の「善意を装った悪意」にひっかかった。今の時代、誰でもやるように、私はネットで準大手くらいの引っ越し業者に見積もりを出してもらって、それがかなり安かった(=善意の見せかけ)ので、実際に営業の人に来てもらうことにした。

当日、30歳前後のやり手営業マンといった感じの男性と今年の新卒の営業見習いの男性が二人でやって来た。やり手営業マンの男性がすべての部屋の荷物をチェックしたあと、彼はネットの見積もりの約5倍(!)の金額を私に告げた。そのときまで、私は疲労気味でぼんやりとしていたが、その金額を聞いたとたん突然アドレナリンが噴出し戦闘モード(笑)になり、「どうして金額がネットの見積もりの5倍なんかになるんですか!? 私はほとんど正確に自分の荷物を数えてチェックして、ネット上の見積もりに記入したはずです。実際の見積もりが多少高くなるのはわかります。でも5倍の金額なんてありえないでしょう?」と彼に詰め寄った。

すると彼は、「まあ、ネットの見積もりって、あんまり当てにならないのですよ」といけしゃあしゃあと言うではないか! 金額の説明も素人が聞いてもよく理解できない説明を繰り返すので、こんな誠意のない会社はやめようと、私はもう帰ってもらおうと思いかけた。すると向こうが、「だったら、お客様のご希望の金額はいくらですか?」と尋ねたので、私はネットの見積もりの金額の約2倍を提案した。すると彼は、「それだと搬出は夕方で、しかも小さいトラックしかご用意できず、当日荷物の積み残しもありえますが、それでもよろしいでしょうか?」とやんわり脅してくる。

私が何か言うたびに、その営業マンは電話で上司と相談し、「上司からの提案はこうです」と新たな金額を告げて来る。結局、他の引っ越し業者にまた見積もりを頼んでも同じことになる可能性は高いだろうと判断し(ネットの見積もりはどこの会社も同じように安かった)、何よりもまだ他にも山ほどやることがあるので、できればその日に引っ越し業者を決めたかった。そして、その営業マンもなんとしてもこの契約を勝ち取りたい意図が見えた。という両者の利害が一致して、なんとか当初のネットの金額の約3倍で折り合った(それでもまだ高い感じ)。

彼らの責任ではないけど、私は最後に二人に言った。「会社に戻ったら、ネットの金額と実際の見積もりがあまりに違いすぎると、あなた方の会社の信頼に傷づくし、お客をバカにしていると、お客がすごく怒っていたと、上司に伝えなさい」。ただし、その会社の現場の名誉のために言えば、搬出搬入の当日来てくれたスタッフは皆さん感じのよい有能な人たちで、短時間でプロの仕事をやってくれ、それで私の怒りもだいぶ収まった。今回の私の経験は、安い金額で客を釣り、あとで高額を請求する例だ。先日読んだ新聞の記事によれば、私が経験したようなネットの金額と実際の請求金額があまりに違いすぎるという苦情は、消費者センターに非常に多く寄せられているという――水道の水漏れ工事、葬式の代金などの苦情が多いそうだ。

今の世の中、知識・理解・気力が劣るものから、お金その他をむしり取ろうとする圧力はものすごく増加している感じがある。その圧力は国内だけでなく、全世界からやって来ている。それはたぶん、どこの国でも経済的格差、その他の格差の広がりから、お金を普通に稼ぐこと、平和に普通に暮らすことができない人たちが増えているからだろうと思う。そして、それが他者への「悪意」となって、様々な犯罪や意地悪な行為として現れている。

そう書くと、「悪意」だらけの世の中で生きるのもイヤになるほど絶望したくなるが、私の長年の「悪意」研究から言えば、二元性の世界では、「悪意」だけだったら、社会やコミュニティ、家庭は崩壊する、ということだ。社会やコミュニティ、家庭が崩壊しないで保っているのは、「悪意」と同じくらい「本当の善意」もあるからだ。

自分の経験を語れば、長い人生の間、家族の中で日本国内で外国で、私はそういった「本当の善意」にたくさん出会ってきた。私を助ける義務も必要もない人たちからどれほど親切にしてもらったことだろうか。

だから、私は世の中の「悪意」についてはそんなには絶望していない。二元世界では、「悪意」があれば、善意もある。悪人がいれば、善人もいる。ときには、善が悪になり、悪が善になり、善人が悪人になり、悪人が善人になることさえある。それが人間の世界、人生というものだ。そして、万一予期せず自分自身の身に「悪意」がふりかかったときは、カルマ(神の意志)としてあきらめ、最低の被害で収まるようになんとか頑張る(笑)……しかない。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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秋の神輿祭り2025年10月03日 10時29分34秒

[ハム様へのご質問の回答]
ラメッシ・バルセカールの本の翻訳は、いちおう予定はありますが、出版が実現するかどうかは現時点ではまだ未定です。期待しないで待っていただければありがたく思います。(シンプル堂)

[新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


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U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(22)


昔は、政治のことを政(まつりごと)と呼んでいた時代があった。そして、政(まつりごと)は祭り事でもあったのだ。その「祭り事」の意味は、現代私たちが普通に使っている「祭り」という言葉とは、意味が異なるが、しかし、国政の政治家とは祭りの神輿の一番上に乗る人たちと考えるとわかりやすい。

では神輿を担ぐのは誰かと言えば、仲間の政治家であったり、マスコミであったり、一般国民であったりする。だから、神輿の上にいる政治家の皆さんは、「私は〇〇をやります」、「私は〇〇を達成します」と勇ましく叫ぶけれど、彼らの言葉はまず実現しない。なぜなら、実際神輿を動かしている人たちは別の人たちであり、そもそも根本的に日本という国を動かしているのは、政治家の言動ではなく、国民の思考と労働力である。国民が考え、働かないかぎり、国家はまわっていかない。

さて先日、真山仁さんという作家の方のインタヴュー記事をネットでたまたま読んだ。彼の最新作『アラート』(新潮社)についてのインタヴューで、本書は日本を守るために防衛費の増額が絶対必要という信念の(女性)政治家が主人公(←ただし、「私は奈良の女です」の、あの女性政治家がモデルではないとのこと)の小説だそうだ。そして、たまたま今自民党総裁選のさなかということで、総裁候補についても話題が及んだ(私は真山仁さんの本は何冊か読んだことがあるが、この『アラート』は未読)。

今回自民党総裁選に立候補している5人の中で一番人気の候補について、真山さんは、「彼は神輿が軽いから、誰でも担ぎたがる」と評していたが、言い得て妙である。

「軽い」ので、党内でも党外でも、老人も中年も若者も、「誰でも担ぎたがる」。つまり、人気がある。比較して言えば、たった一年で首相の座を引きずり降ろされた石破さんは、「神輿が重すぎて、誰も担ぎたがらない」。特に党内での不人気(嫌われぶり)は致命的で、まあ、今までずっと本ばかり読んで考えてきた人の弊害で、人間関係をうまく築くことができなかったのだろうと思う。

老人人口が30%も占める体力のない老人大国では、担ぐ神輿は軽いほうが好まれ、いいのかもしれない。でも担いでいる人たちは信念も体力もなく適当に担いでいるので、軽い神輿であっても、あっちへふらふら、こっちへふらふら迷走し、あげく神輿に乗っている人が落っこちるなんて事故も起きる可能性も。そして、アイドルを追いかけるように、その迷走神輿を追いかけているマスコミは何かが起きるたびに大騒ぎし、「お祭り」状態になる。

そんなつまらない想像をする程度しか私は政(まぐりごと)には関心がないけれど、それより今年も大好きなリンゴ(シナノドルチェ、シナノスイーツ、名月、秋映など)の季節(私にとってはリンゴ祭りの状況)が来て、スーパーにリンゴが豊富に手頃な値段で並んでいるのを見てほっとし、感謝している今日この頃である。

[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』22025年09月02日 06時19分52秒

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2025年9月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究─世界の出現」

2025年9月13日(土曜日)午後2時から午後4時頃まで

2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで


[
新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


〔Youtube]

U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(20

https://youtu.be/-c0HAPGzdYs


今年の3月から開始したU.G.クリシュナムルティの『悟りという謎』(The Mystique of Enlightenment)という本のYouTube 番組も、先日の20回目でだいたい三分の一が終わった。正直に言えば、翻訳しながら彼の言っていることは理解不可能なことも多いし、彼がインドの霊的伝統、そしてスピリチュアルな修行そのものを激しく否定する言葉は、一部の人たちには不快感さえ与えるかもしれないとは思う。そしてまた彼の生まれ育ち、人生は、私たちのように普通の生活を送っている者たちにとっては、あまりに特異で想像しがたく、共通することがほとんどない。

彼がそれほどインド的伝統的霊性やスピリチュアルな修行を否定する背景には、彼の子供時代の生育環境が非常に影響していると私は感じる。前にも書いたが、無理やりやらされたことは、あとでそれに対する反発が非常に強くなる。普通だったら、平凡で楽しい子供らしい日々を送れたはずが、何一つ子供らしく遊ぶことも許されず、修行、修行、修行の日々。

しかし、彼は同時に並外れた知性、すべてを疑う反骨精神にも恵まれていた。その知性と反骨精神で自分のまわりの大人たちを冷静に冷徹に観察し、悟りやら何かを求めて瞑想修行をしている人たちは何かおかしいと次第に思うようになる。

そして長年の探究、苦しいほどの自己質問(自分の質問を自分へ問うこと)を経て、彼は最後に、自分の覚醒体験は、自分がやらされた修行とは何の関係もないことを理解し、自分の長年の修行は無用だった、そして、悟りを求めて多くのことを犠牲にして修行をしているインド人は、無駄なことをやっていることに気づく。

『悟りという謎』はそんな彼が仕方なく話したことをまとめた本なので、「私の話を聴くことは無駄だし、誰の話も役に立たない」という、いつも身も蓋もない話になる。

それでも彼が「私の話を聴くことは無駄だし、誰の話も役に立たない」以外に、繰り返し語っていることがある。それは「一人一人の人間はユニークであり、途方もない知性に恵まれている」ということだ。そして、その知性が活動することがゆるされている状態が、彼がいういわゆる「自然の状態」ということになる。

3章「人間の外にはパワーはない」の冒頭でも彼はこう言っている。

「私が話すことの全目的は、一人一人の個人のユニークさを人々に指摘することである。文化とか文明とかあなた方が呼んでいるものは、常に私たちを一つの枠組みに合わせようとしてきた。人間はまだまったく人間ではない。私はそういった人間を『ユニークな動物』と呼んでいる。人が文化という重荷を背負っているかぎり、その人間は『ユニークな動物』に留まる」(『悟りという謎』より)

インドにかぎらず、どこの社会や文化にも一人ひとりのユニークな知性を抑圧しようとする途方もない圧力がある。それはなぜなのか? もし興味があれば、それを問いかけて、自分の知性からの答えを待てば、なぜ私たちが人間動物という「不自然な状態」で生きているのか、そして、U.G.のいう「自然の状態」への理解が開かれるかもしれない。

これから3章は、インド人の教授らしい人がU.G.に質問し、それに彼が答えるという形式で進行する。そのインド人の教授がインドの霊性や文化を一生懸命持ち上げよう(笑)と質問するのに対して、U.G.は、「インドの霊性や文化なんて経済的貧困しかもたらさなかった」とバサバサ切り捨てている(←現在インドは昔よりかなり豊かになったが、このインタビューがおこなわれた1980年当時はまだ貧しかった)。

こんな感じの話ですが、あと残り三分の2、気が向いたらご視聴ください。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



[その他の本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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『チ.地球の運動について』(2)――「情熱の質」について2025年08月22日 10時27分57秒

◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」

2025年9月4日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで

2025年9月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで

◎オンライン「非二元の探究─世界の出現」

2025年9月13日(土曜日)午後2時から午後4時頃まで

2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで


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新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
ページ数:176ページ


[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子書籍版

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


〔Youtube]

U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(18

https://youtu.be/VxQWT0Q2OHU



今日も、『チ。地球の運動について』についてである。私がこのアニメを見て、もう一つ深く考えたことは、人々の「情熱の質」についてだ。

このアニメの中で敵対関係にある、異端を迫害する教会の人たちと地動説研究者たちは、両方がともに強い情熱をもっている。異端迫害派は、地動説などという危険な思想が広まらないように、地動説研究者を迫害し、撲滅することに情熱をかけ、地動説研究者は、惑星や星の運動に関して何が真実か知りたいという情熱に動かされている。

この二つの情熱はかなり「質」が違うものだ。その違いを言えば、前者(異端迫害派)の情熱は「恐怖」に根差している。それに対して、地動説研究者たちの情熱は、「天体の運動の真実を知る喜び」に根差している。彼らは別に天動説をやっつけたいとか、教会の権威を失墜させて、自分たちが権力者になりたいという政治的動機で研究しているわけではない。そして、この時代、その情熱は非常に危険、命をかける情熱となっていた。実際、『チ。地球の運動について』では、登場した地動説研究者はみな処刑されている。

しかし、人間の幸福という観点から見れば、この物語の中では少なくとも、異端とされた地動説研究者たちのほうが幸福に死んだ感じである。

再び、前回も紹介したオクジーの疑問を紹介すると:

彼は仕事がら(警備組合勤務――仇討ちの代理とか、人を殺すことも仕事に含まれている)たくさんの人の死に際の様子を見てきた。彼は「自分は今まで幸福に死んだ人を見たことがない。教会の言うように真面目に生きてきて、死後これから天国に行けるというのに、どうしてなのか?」と疑問に思う。そして、唯一幸福に死んだのが、星観察が趣味で、彼を星の世界へと導いてくれた警備組合の同僚と、彼が異端審問官の警備の仕事をしたときに会った地動説研究者の二人だけだった。そこから彼はしだいに、「真面目に教会の言うとおり生きていいれば、死後天国へ行ける」という教会の教義を疑うようになり、最初は夜空を眺めるのさえ怖かったのが、しだいに星空を眺めることに喜びを感じるようになった。そして、地動説研究者たちの仲間になり、最後は星空を眺めながら、幸福に死んでゆく。

前回も書いたように、このアニメで描かれていることは現代社会においても無縁ではない。この惑星地球においては、「恐怖に根差す情熱」が圧倒的に強く、「喜びに根差す情熱」はほんのわずかしか実現しない。しかも、私たちは大人になるにつれて、そのわずかな喜びさえも感じることがどんどん少なくなり、反対に恐怖を感じることが増え、さらに悪いことには、その恐怖を抑圧し、感じないようにして生きている。

「恐怖に根差す情熱」は、たとえば、カリスマ的政治指導者が出現して、「〇〇のせいで、私たちは貧乏になっている」とか「我が国の問題は、〇〇の国のせいだ」などと、欠乏の恐怖をあおり、社会の中で膨れ上がれば、それは簡単に社会に対立と分断を生み出し、最終的には「戦争」へと繋がっていく。

今はたまたま8月ということで新聞やネットには、戦時中の悲惨な体験が山ほど語られている。そして、戦争を経験した人たちはほぼ100%、「戦争は悲惨なもの。二度と戦争をしてはいけない」と言う。そして、そういった記事を読む読者だってほぼ100%戦争はしてはいけないと思うはずだ。

ところが……そういった理性に根差す思いは、はっきり言って、恐怖に根差す情熱の前では無力だということを、歴史は証明してきたし、今でもガザ、ウクライナで証明している。「戦争は悲惨なもの。二度と戦争してはいけない」という思いは、万一、政治家や国民の中に恐怖に根差す情熱が伝染し膨れあがれば、すぐに消滅し、一転して「戦争だ! 敵をやっつけろ!」に簡単に変わってしまうだろう。

だから私は「戦争は悲惨なもの。二度と戦争してはいけない」とは簡単に言えない自分に気づく。むしろ、私は問いかける。「戦争は悪いもの。戦争はしてはいけない」という理性的思いはなぜいつも無力なのか?と。なぜ人にとっては命より自分たちの正義やつまらない観念が重要なのか? そこを考えることが重要ではないかと思うのだ――第二次世界大戦のとき、アメリカとの戦争は勝ち目がないという賢明な理性ある提言はすべて退けられ、戦争賛成(恐怖に根差す情熱)派が多数派になり、無謀な戦争へと突入した(という記事を、先日の新聞で読んだばかりだ)。

そういうことを問いかけたからといって、世界中の戦争が止まるわけでもないが、少なくとも恐怖心に根差す情熱への感染防止になると私は思っている。

そして同時に、日々、小さいことをたくさん喜んで生きようと思う。たとえば最近新しい環境になって発見した喜び――1時間に1回か2回、新幹線が通過する音を聞くこと。騒音なのに、なぜか静寂の中でこの音を聞いている瞬間が好きだ。あるいは夕暮れ時に、帰路を急ぐ鳥たちの飛行をベランダで眺め見ることなど。


[一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



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『チ.地球の運動について』(1)――権力者対異端2025年07月25日 10時08分22秒

[新刊案内]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。付録に、『シンプル道の日々3』(2022年~2024年)も掲載しています(総文字数約20万字。新書版2冊くらいの分量です)。




*『自己覚醒へのマスター・キー』シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、

ニサルガダッタ・マハラジの師の本、初邦訳!

価格:本体1800円+税
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[電子書籍版発行]

*『頭がない男』電子版が販売開始!

価格:1,980円(税込み)

知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。


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今日の話は、『チ。地球の運動について』についてである。すでに見た人たちもいるだろうけど、簡単にこのアニメを説明すると、15世紀のヨーロッパを背景に、地動説の研究に情熱をかける人たちと、そういった人たちを異端として迫害する教会との戦いを描いた作品だ。ちなみに、「チ。」の意味は、「知、地、血」と三つの意味がある。このアニメの原作者、魚豊(うおと)さんのインタヴューによれば、彼は知(知性)と血(暴力)の関係に関心があったという。「戦い」といっても、戦闘シーンは少なく、登場人物たちの会話がなかなか奥深くて楽しい(←政治家や政治家候補の皆さんが語る、他人の関心を得ようとする作為された言葉とは違って、みな自分の本気をしゃべっている)。

私がこのアニメを見て一番印象的に感じたことは、権力者対異端という、歴史上いつの時代にもどこの地域にもある対立である。ある意味では、人類の歴史とは「権力者対異端」の戦いといっても過言ではない。

権力者とは、その時代と地域において、お金(税金)を集める権利、それをどう使うのかの自由、そして人々に命令するパワーをもつ人たちの集団であり、異端とは、権力者が自分の権利、自由、パワー、権威を脅かすと決めつけている人たちのことだ。

権力者たちの異端狩りの一番の根本的動機は「恐怖」、つまり自分たちが享受してきた特権を失うことで、それは何としても食い止めなければならない。このアニメの中で教会がそれほど執拗に地動説研究者を迫害するのは、もし地動説が正しいとなれば:

*天動説が正しいとする彼らの神学がゆらぎ、
*教会の権威に傷がつき、
*人々から教会税を集金したり、彼らの生活を支配したりするパワーを失う、

ということを恐れてのことだ。もちろん表向きは、「社会の不安をあおる人類の敵を滅ぼすことは、神のための仕事だ」と自分たちがやっていることを正当化し、人々にもそう思い込ませようとする。このアニメの中で異端審問官のノヴァクは、「悪魔と結託してこの世界を変えようとする輩を迫害するのは、人類のため、神のため」と信じて疑わず、どんな残酷な拷問でさえ平気で行なう。信仰になった「恐怖」ほど残酷さを生み出すものはない。

歴史上の権力者は、(特定の宗教の)教会、軍、共産主義、絶対王政、民主的政権と、時代と地域によってどんな人たちでもありえ、そして今名前を挙げた権力者は、すべて反対の異端にもなりうる――宗教(キリスト教は長い間、多くの国で異端であった)、共産主義、民主派など。

では、現在の権力者対異端は、それぞれの国で違うが、たとえば:

中国では、中国共産党が権力者、それに対する異端とは民主派運動の人たち、チベット独立運動の人たちなど、そして台湾も中国にとっては異端だ。

中東の権力者イスラエルにとって、最大の異端はハマスであり、イスラエルがあれほどガザで残酷になれるのは、ハマスへの彼らの「恐怖心」のせいだと私は感じる。

アメリカは、トランプさんが大統領になってから異端狩りが激しい。彼にとっては、保守的価値観をもつ純粋な白人以外、すべて異端のようだ――移民の人たち、外国人留学生&労働者、性的少数派の人たちなど。彼はアメリカを保守的価値観をもつ純粋な白人の王国にしようと躍起だが、彼の言動そのものがアメリカの凋落を象徴している。

では、日本はどうかと言えば:
日本の権力者は誰かというと、長年政権与党の自民党のように見えるが、この国の本当の権力者は、たぶんその自民党を背後で動かしてきた人たちだろう。彼らが作り出した、「他人の言うことを聞いて、善人で真面目に働いてさえいれば、人は幸せになれる」という価値観がものすごくこの国の国民を束縛している。それはまるで「チ。」の中でたびたび出てくる、「教会の言うことを真面目に信じていれば、死後天国へ行ける」という信仰に似ている。

私は子供の頃からずっと「異端」であったので、「善人で真面目に働いてさえいれば、人は幸せになれる」という大人たちの信仰をいつも疑っていた。なぜなら、周囲の大人たちはみんな善人で真面目に生きていたのに、ほとんど誰も幸せではなかったからだ。そして私はずっと「異端」をつらぬき、幸いなことに迫害されることもなく、この年まで生き延びてきた。でも最近の私は昔よりはるかに人の言うことを聞く、真面目に働くよい子になっている(笑)。

ということで、権力者対異端の戦いは、現代の時代でもずっと続いているのだ。

さて、このアニメの登場人物たちの中で、私にとって一番興味深く、共感を感じたのはオクジーである。彼は下級国民の出身で無学で文盲で、「教会の言うことを真面目に信じていれば、死後天国へ行ける」と心から信じていた人間だ。ところが、運命によって地動説を研究する人たちと出会い、仕方なくその流れに巻き込まれてしまう。誰にバカにされても決して怒ることなく、素直に従う青年。視力が抜群によく、剣が強いので、その能力を生かして、縁の下の力持ちとなって、地動説研究者を支える。研究者たちの影響で文字の読み書きを学び、最後には地動説について本まで書くという成長ぶりだ。

第12話 『俺は、地動説を信仰してる』では、オクジーの素晴らしい言葉の連打が胸を打つ。彼は、こっそり地動説を研究している修道士バディー二の下働きをしているが、二人のところへも異端審問の魔の手が伸び、二人が最後の別れの挨拶をするときの会話だ。

他人のことなど一切配慮せず、自らの野心のために地動説を研究してきたバディー二が、「私はみすみす情報を(他人には)渡さない」と、地動説の研究はあくまでも自分だけのものと主張する姿に、オクジーは珍しく異論を唱える。

「他人を排除すると間違いに気づきにくくなるのではありませんか? そしてそれは研究にとってはよくないのでは?」

「キャスト伯(←天動説の権威)は、自分が間違っている可能性を信じ、受け入れました。自からが間違っている可能性を肯定する姿勢こそ、学術や研究には大切なのではありませんか?」

「第三者からの反論が許されないなら、それは信仰です。反論してもらうためには他人が必要です」

「天動説と地動説などの対立が現実を前へ向かわせるのです」

珍しく自分に反論するオクジーの言葉は傲慢なバディー二のハートにも響いたようで、二人のハートの触れ合いは最後の美しい悲劇へとつながっていく。

そしてオクジーは、バディー二が逃げる時間を稼ぐために、そして地動説という自分の信仰のために、死ぬ覚悟をして異端審問官と戦う。

信仰と科学の違い、なかなか考えさせられるエピソードだった。

第12話について詳しく解説したサイト



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猛暑の空2025年07月15日 11時24分48秒

マルクス・アウエリウス・アントニヌス様へのご質問の回答]

『アナスタシアシリーズ』という本の名前は初めて知りました。(シンプル堂)


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U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(14


皆様、猛暑お見舞い申しあげます。

ここ2カ月ほど引っ越しのせいで超多忙だった。10年分の片づけをし、10年分の電話をかけまくり、10年分の不用品を捨て、そして新居に合わせて新しい物を購入し、こうして地球温暖化に自分も貢献している(苦)。

その地球温暖化の影響もあってか、引っ越し先のマンション最上階の東向きの部屋は日当たり最高(苦)で、朝から室温が33度~35度くらいになる。何もしないと室内で熱中症で倒れる危険性があるので、遮熱カーテンと遮光カーテンを二重にして室内への日光を完全に遮り、さらにエアコンと扇風機をかけ、さらに首と足を保冷剤で冷やして(笑)すごしている。そして、太陽が西の空に移動した夕方にエアコンを止めて、カーテンを開けるという何とも奇妙な生活である。

でも何事にもプラスとマイナスはあるもので、以前住んでいたところとは違って、まわりに高層の建物がないので、ベランダからは遠くの山まで見える。日の出前と、少し涼しくなった夕方にベランダに出て、目の運動と保養も兼ねて空と風景を眺めるのが日課になっている。太陽が沈む前の空の色彩は、どんな芸術作品よりも見飽きないし、夕方の空を眺めているとき、私は「sexy(←めったに使わない言葉であるが)」という言葉さえ思い浮かぶ。

怒涛のような忙しい日々もようやく終わり、今はまた読書と昼寝と母の介護と少し仕事という、ゆるい日常に戻り、紙の本も久しぶりに読み始めている。この2カ月間、忙しさと疲労のせいで本を読む気力がまったくわかなかった(忙しいと本が読めない、という主旨の本をどこかで見かけたが、まったくそのとおりだ)。それで寝る前や休憩時間は、ネットで色々なジャンルの動画を見ていた(動画は、疲れているときでも見ることができる)。今はあらゆるジャンルの動画があるので、娯楽、勉強、情報のために本を読まなくても生活できる時代なのだと実感。

次回は、私がこの2カ月間で見た動画の中で、一番面白かった『チ。地球の運動について』というアニメについて感想を書いてみたい――私は普段は日本のアニメをほとんど見ないが、このアニメにははまって、1週間で25話を全部見た(現在NHKのEテレでも放映中です)。


 [一昨年出版された本]


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
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白米愛2025年06月10日 07時04分18秒

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*『猿笑非二元講座』

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https://youtu.be/QCW7zJdKX8Y

 

[お礼]
新刊書籍をご購入・購読いただきました皆様、どうもありがとうございました。


今から、7、8年前の秋のある日のことだった。いただいた新米をせっかくなので、雑穀を混ぜないで、白米で食べることにした。そして炊きあがった白米を一口食べたときに、私に衝撃が走った。「白米って、こんなにおいしかったんだ!」と。長い人生の間、食べ物に衝撃を受ける経験はそれほどあることではない。思い出に残るほど「衝撃的においしい」が数回、そして、「衝撃的にまずい」も数回くらいか。

その日、もう一生死ぬまで自宅では何も混ぜない白米を食べようと決心した。更迭された農林水産大臣と同じく、私も大人になってから(ほとんど)お米を買ったことがない。親戚の方にいただくおいしいお米をずっと食べてきた。だから、おいしいお米しか食べたことがないというありがたい身分である(と、私がこう言っても、私は政治家や官僚ではないので許していただけると思う)。それでも、健康のためにとかそんな理由で、ずっと雑穀を混ぜて食べてきて、それもそれでおいしいと思ってきた。

しかし、あの日以来、私は白米愛に目覚め、炊き方までかなり研究するようになった。今は炊飯専用の土鍋で炊いて、まあまあ満足のレベルである(でも、ここでも「体質」と「好き」が合わず、私は悲しくも炭水化物をたくさん食べれない体質である←若い頃はそうではなかったのに)。ここ数年は、他のブランドのお米も食べてみようと思い、一年に1回くらいスーパーでも買っている。ブランド米の無洗米が思った以上においしいのでびっくりした。

ここ1年の令和米騒動――国民の主食であるお米の値段が2倍以上になっているのに、政府も農林水産省も他の誰もその原因が何なのか、納得の答えを出していない。そもそもお米は国民の主食だというのに、お米を作っている農家の人たちの多くが農家専業(=つまり、お米を作る仕事で、家族を充分に養える)でやっていけるほど儲からないという話を聞いている。私の親戚の方も別の仕事と兼業で家族を養っていたし、後継者もいないようなのであと何年やれるかわからない状況である。

先日見たネットのニュースで、新しいやり方でお米を作っている若い人たちが紹介されていた――水田ではなく、乾いた土地でお米を作る方法とかで、水田で作る従来の方法よりはるかに省労働になるという。情熱をもつ若い世代の人たちが米作りに参入し、省労働と儲かる農業、そして「おいしいお米」が両立するように色々研究工夫している姿を見ると、これからの日本の農業に多少希望が持てる。

それでもと、私はお米に関しては悲観的に思うのだ。たぶんこれからの時代は財力とお米へのこだわりに応じて、自分のお米を選ぶ時代になると。つまり、国産のおいしいお米はたぶんすべての人には安い値段では行き渡らないということだ。私が5年後、10年後に国産のおいしいお米を余裕をもって買えるほど財力があるかどうか……でもお米のためだったら、私は他の出費を削ってもおいしいお米を買うとは思う。

さて、小泉大臣が国民にばら撒いた備蓄米(令和の「お救い米」(注))。備蓄米は元々は国民の税金で政府が買ったものだから、国民が備蓄米を安く買えるとすれば、国民が払った税金のおかげで安く買えるという意味だ。そして、小泉大臣(ヒーロー)対それに対抗する農水族のおじいちゃん政治家(悪者)というドラマまで演出して、昔、小泉大臣のお父さんもよく使った戦略だけど、「自民党、お前もしたたかよのう」という感じだ。それで石破政権の人気が上がり、次の選挙で自民党に有利に働けば、備蓄米は「国民を救う」というより、「自民党をお救い米」という自民党にとって一番ありがたいお米となる。

(注:「お救い米」(御救米)は、江戸時代に幕府や領主が飢饉や災害などの際に困窮した庶民を救済するために支給した米のこと。これは、特に飢饉や火災、水害などで生活が困難になった人々に対して、応急的に配られる施米。)


[一昨年出版された本]

*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』

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本文ページ数:333ページ
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


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最近読んだ本から2025年05月25日 08時56分33秒

〔新刊お知らせ]

*『猿笑非二元講座』

Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。付録に、『シンプル道の日々3』(2022年~2024年)も掲載しています(総文字数約20万字。新書版2冊くらいの分量です)。




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『欧米に寝たきり老人はいない』宮本顕二・宮本礼子(中央公論新社)
前回のブログでも紹介した本。肉体年齢60歳を超えた人、そして高齢の親がいる人たちに読んでもらいたい本。


『笑わない数学1&2』NHK「笑わない数学」制作版(KADOKAWA)
NHKで放送された番組の書籍版。数学の難問に挑む数学者たちの姿が生き生きと描かれている。数式はたくさん出てくるが、文章は読みやすい。

過去10年間、私が一番たくさん読んだジャンルの本がたぶん数学だ。スピリチュアル系の本よりはるかにたくさん読んでいる。数学が私にとって興味深い理由は、数学者たちの情熱、「こんなことを考え続ける人がいるんだ!」という驚き、そして、数学に関する発見・証明は、時代と地域を超えた普遍的なものであり、そして最後に、数学の世界に人間の感情が入らないからだ。地上のゴタゴタから逃げるのに、非二元スピリチュアルと数学はよい逃避場所(笑)となる。

一方で、天才数学者たちの人生そのものは波乱万丈である。自分たちの数学理論の秘密をもらしたという理由で弟子を殺したピタゴラス、20歳で決闘で死んだガロア、その他研究に没頭するあまり精神が崩壊する人たちなど。

数学に関心がある人は非常に少数だと思うので(それでも本の出版件数から推測すれば、非二元スピリチュアルよりはるかに多数のはず)、今までブログの中で数学の本は紹介してこなかった。おまけに私がこれだけ数学の本を読んではいるのに、数学をほとんど理解もしていないので、わかりやすく説明もできない。「好き」と「能力」のミスマッチ、とても悲しくはあるが、それでもめげずに(笑)私は今日も数学の本を読んでいる。そして、数学への関心が広まってほしいとも思っている(お金はかからないので、老後の趣味にお勧めです)。

その他一般向けのお勧めの数学の本
『数式のない数学の本』矢沢サイエンスオフィス編著(株式会社ワン・パブリッシング)
数学がいかに私たちの生活に入り込んでいるか、数式を一切に使わずに説明している。

『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
『数学が見つける近道』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
最近私が非常に好きなイギリスの数学者のエッセイ。数学の魅力が深く味わえる。翻訳も非常にいい(感じがする)。

『フェルマー最終定理』サイモン・シン(新潮社)
17世紀にフェルマーが残した数学界最大の「超難問」は、いかにして解かれたか。数学者ワイルズが完全証明するまで、3世紀にわたった数学を巡る「歴史ドラマ」を分かりやすく感動的に描く。


『死にそうだけど生きてます 』ヒオカ(CCCメディアハウス)
『死ねない理由 』ヒオカ(中央公論新社)

4人家族で世帯年収が百万円にも満たない貧困家庭(おまけに父親が暴力男)で育った女性が、親族の中で初めて大学まで進学したものの、卒業後も安定した仕事を見つけられず、常に体調不良で、おまけに「貧困な者は身の程を知れ」という世の中のバッシングに怯えながら暮らす日々を綴ったエッセイ。

著者のように、貧困家庭で育った人たちが貧困の苦しみを書くと、批判やバッシングが多く来るという話をよく聞く。世の中の人たちは、貧乏な環境から成功者になった人たちの物語は大好きなのに、貧乏な環境から抜け出そうと奮闘している人たちには、冷たいのはどういうわけなんだろうか? 「貧困な者は身の程を知れ」とは、どんな人たちが言うのだろうか? 親族なのか、同世代の人たちなのか、それとも年上、年下世代なのか? 

いわゆる親ガチャ、環境ガチャを乗り越えるのは本当に大変、と私もそうは思う。でも30歳を超えたら(著者はたぶん、今30歳前後)、自分の貧困を社会や政治や生まれた環境のせいにしないほうがいいのも、私の経験からは言える。なぜなら、親や社会のせいにしたところで、運命は決して好転しないからだ。

そして一方で、貧困に苦しんでいる人たちを批判・バッシングする行為は、そういった批判・バッシングは自分に影響することも私たちが知っておくべきことだ。『怠け者の悟り方』(タデウス・ゴラス著)から引用すれば:

〔今、あなたがある人に、「必要以上の援助を君は受け取るべきではない」と言ったとします。相手はあなたにそう言われても、どうということはありませんが、あなたは自分の言葉に縛られてしまいます。あなたは人から必要以上の援助を受け取れなくなるのです〕(p44)

さて『死ねない理由』の中で、彼女は、最近は、自分の好きなことにお金を使ってもいいんだと思えるようになり、好きな音楽家のコンサートなどに行っているという。そして、そういった「推し活」(自分が好きな人たちを応援する活動)が、自分が「死ねない理由」になっているとも。著者には好きなことをたくさん見つけて、生き続けてほしいと思う。


『愚道一休』木下昌輝(集英社)

室町時代の禅師一休(1394~1481)という人は、酒と女を愛した破壊僧というイメージ、そして、子供の頃から頓智とユーモアにあふれていた明るい人というイメージが強い。しかし、本書で描かれている一休は、後小松天皇(1377~1433)の落胤(らくいん)という複雑な血筋を背負い、仏道を深刻に求道する暗い一休である。「無漏の悪と無漏の善」をめぐる一休と彼の友&敵たちの会話が興味深い。
(無漏=仏道で「悟りの境地」)

*本書で紹介されている一休の歌

嘘をつき地獄に落つるものならば無き事つくる釈迦いかがせん
(嘘をついて地獄に堕ちるというなら、嘘ばかり並べ立てた釈迦はどうなるのだろうか)

今動画で紹介している、U.G.クリシュナムルティも「仏陀はウソつき」(笑)と言っている。


『修道士カドフェルシリーズ』エリス・ピーターズ(光文社)

私にとっては、ミステリーが面白いかどうかは、探偵役の人物が好きになれるかどうかにほとんどかかっている。

本シリーズ(昔途中まで読んでいた)では、12世紀のイングランドのある地域にある修道院を舞台に、そこで起こる数々の事件を鮮やかに推理するカドフェル修道士がとても魅力的だ。カドフェル修道士は、若い頃は十字軍遠征に出かけて、あちこちを旅してまわり、現在は、修道院で薬草を育て、いわばお医者さん的仕事をしている。聖俗の両方の智慧を合わせもつ彼は、政治、経済(金銭問題)、身分制度、男女関係の複雑さを読み解き、事件解決に奔走する。修道院という小さな世界にも、現代の人々がかかえるのと同じような問題がすべてあることに驚かされる。

最近の私の娯楽は、『修道士カドフェルシリーズ』の小説を読んでから、イギリスで昔テレビ放映されたこのシリーズをネットで見ることだ。



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