『Doosri Maa(もう一人の母)』 ― 2026年05月06日 09時20分12秒
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎2026年5月16(土)出張シンプル道コンサルティング(東京)
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)
2026年5月17日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで
◎オンライン「非二元の探究──創造原理としての神」
2026年5月10日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
最近、海外の連続ホームドラマにはまっている。今、主に見ているのはトルコとインドのいわゆるホームドラマである。なぜこの二つの国のものかというと、トルコとインドは私が今までに訪れた国の中でも今でもその文化や風景がとてもなつかしいからだ。だからドラマを見ながら、その背景の風景や文化も楽しんでいる。
しかし、風景を楽しむなんてことは視聴者である私の特権で、ホームドラマの登場人物たちは一度だって自分が住む町の風景や食べている食事や飲み物を楽しんだことがないくらい、日々問題に追われ、人間関係に苦しみ、敵と戦い、生き延びるのに必死だ。登場人物たちが携帯電話を握りしめているところだけは世界共通の風景である。
今、見ているインドのドラマはヒンズー語の原題『Doosri Maa(もう一人の母)』というタイトルのドラマで、全部で315話のうち、今、約100話を見終わったところである。
ドラマは、インドのある町で超有名な資産家の名家を舞台に、100%善意のヒロインとヒーローが、100%悪意の人たちがしかけた罠にはまって苦難にたびたび陥り、でもそのたびにヒロインとヒーローが力を合わせてその苦難を乗り越え、最後にやっと善意が勝利して(最終回315回を見ると、そうなっている)、「いろいろとあったけど、まあよかったね」となるよくあるドタバタ悲劇で、ドラマ的には特別面白いわけでもない。
しかし、私的に興味深いところは、善意の人が一生懸命周囲の人たちのことを想い、尽くしているにもかかわらずまったく報われず、そして、「善を為さなければいけない」という自分の強い信念、「正しいことが為されなければならない」という正義感、「私は善い人間である」という自己イメージが、かえって悪意の人たちを刺激し、ますます多くの悪意を自分に引き寄せてしまう結果になるところだ。そしてみな敬虔なヒンドゥー教徒で、毎日「どうか神様、悪いことが起きませんようによろしくお願いします」と祈ったり、宗教的行事を欠かさないのに、それが全然効果がなく(笑)、次から次へと悪い出来事が起こり続ける。私は少々意地悪な見方をするので、善意のヒーロー・ヒロインを応援するより、「その善意、それ違うって!」という感想のほうが多く湧く。そして、激しい嫉妬とプライドという人間特有の感情(ドラマなので、おおげさに描かれてはいる)が、どれほどの不幸と苦しみを生み出すのかもよくわかるドラマだ。
このドラマのヒロインは名前をヤショーダといい、「善き母」「善き妻」「善き嫁」を絵に描いたような女性で、誰からも称賛され愛されていた。資産家一族はヤショーダの献身的働きのおかげで笑いと喜びあふれる幸福な生活をおくっていたが、あるとき彼女の夫が結婚前に作った隠し子の男の子(10~12歳くらい。名前はクリシュナ)と彼女が偶然に出会った日から、彼女の人生と一族の運命が激変し始める(←有名敏腕弁護士であるヤショーダの夫は、クリシュナが自分の隠し子であることが妻にばれた日に勝手に家出し、そのまま出家する←このドラマの中の一番悪い奴!)。
このドラマがさらに私の心に刺さるのは、このヤショーダが、やはり典型的日本の「善き母」「善き妻」「善き嫁」だった私の母に性格や価値観、そしてその善意が報われなかったところが非常に似ているからだ。彼女の言動を見ていると、昔の母の姿を思い出す。
先日見たちょうど100話目あたりのエピソードでは、悪意が仕掛けた罠にヤショーダが落ちて、やってもいないことで濡れ衣を着せられ、家族の激怒をかい、ついには子供たちと一緒に家を追い出されて、貧乏生活を余儀なくされるという話だ。小学生の二人の娘のうち長女は母を大好きではあるのだが、貧乏生活に耐えられず、また母が自分たちよりクリシュナを愛していると思い込んでいる(=嫉妬)ので、ヤショーダに「私が欲しいものを買ってくれないお母さんなんていらない。おじいちゃんの家に帰りたい」と母を責めたてる。その言葉を聞いて、子供たちが一番の生きがいで、「子供たちも自分と一緒にいたいはずだ。自分と一緒にいるのが幸福なはずだ」と思い込でいるヤショーダは母としてのプライドをズタズタにされ、完全に打ちのめされる。
そして、家出し、祖父の家に戻った長女の愛情をそれでも取り戻そうと、彼女があれこれするのを見て、私は、「いやいや、ヤショーダ、長女のことは放っておきなさいって。貧乏な母親と一緒にいるより、金持ちの祖父と暮らすほうを長女は今は望んでいるのだから」と、ついどうでもいい説教をつぶやいてしまう。幼い子供にとっても、母親の善意の押し付けはうっとうしい。
ヤショーダは自分の善意、善き人であるという自己イメージにあまりに執着するので、周囲がまったく見えず、他人の本当の考えや感情を理解せず、自分が本当はどれほど嫉妬されてきたのか、自分にどれほどの悪意が仕掛けられているのか理解できない。だから、彼女は神に向かって嘆くのだ。「神様、私は何も悪いことをしてないのに、どうして私にこんなひどいことばかり起こるのですか?」と。
しかし、つい最近見たエピソードでは、彼女の評判と名声がどん底まで落ちて、ようやく彼女は自分にどれだけの悪意が仕掛けられているのかを理解し、その悪意に対して徹底的に戦うことを宣言する。「私にはもう失うものは何もない。私は子供たちの権利を守るために絶対に負けない。私は新しい人間になるのだ」。
実際、美しく愛情に満ちた笑顔の裏側に彼女はものすごいパワーを秘めている人、というよりもこの名家の人たちの中でも本当は一番暴力的(笑)だ。彼女は激しく怒り出すと、怒りをコントロールできず、最後には相手を平手打ち(!)する。数えていると、彼女は登場人物の中で誰よりも相手を平手打ちしている(←平手打ちの場面がなんとまあ多いドラマか!)。だから、善意100%の彼女の中にも「悪」はあるのだが、彼女はそれを自覚することなく、自分が正しいことを証明すべく、これから残りの約200話、クリシュナとともに善悪の戦い、ほとんど命を危険にさらす戦いのまっただなかに飛び込んでいく(ようだ)。
もう一人のヒーロー、ヤショーダの夫の隠し子、クリシュナはしだいにヤショーダを第二の母(これが原題の意味)と慕うようになり、本当の長男のごとくヤショーダを全力で支えることを誓う。彼もまた善意100%で正義感が強いところがヤショーダそっくりで、しかも頭がよく、力持ちで、生意気なほど弁がたつ。言わなくてもいいことまで忖度なく大人たちに言うので、ヤショーダ以外の大人たちに憎まれ、100回までのエピソードの中で、すでに5回くらい誘拐や監禁の目にあい、大人たちにたびたび殴られている。ドラマじゃなかったら、クリシュナはとっくに死んでいるはずだが、ドラマのヒーローなのでもちろん315回まで生き延び、ヤショーダとともに幸福のフィナーレを迎える。このドラマを私が見続けられるのはたぶん、クリシュナの生意気ぶりが楽しいからだ。
「ああ、ドラマの見すぎは目にも悪いし、中毒だなあ!」と思いつつ、連続ドラマははまるとやめられないのがツライというか、楽しいというか。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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オール・アバウト・マイ・マザー ― 2026年04月07日 09時01分36秒
memo様
お問合せの件ですが、今後のイベントの予定は下記のとおりです。[イベント]
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◎2026年5月16(土)5月18日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)
2026年5月17日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年4月19日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年5月7日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──創造原理としての神」
2026年4月26日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年5月10日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年5月10日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
昔見た映画で、見たとき強い印象をもったのに、すっかり内容を忘れてしまった映画がある。でも、タイトルだけは覚えていた。『オール・アバウト・マイ・マザー』(All About My Mother=直訳すれば、「私の母についてのすべて」くらい)。
ネットの記事を読んだら、少し内容を思い出した(1999年スペインで制作された映画)――シングル・マザーの女性が一人で育てた最愛の一人息子を事故でなくし、そのあと様々な人たちとの出会いによって、生きる気力を取り戻していく話だ。
この映画のことをふと思い出したのは、先日、五木寛之さんの『大河の一滴 最終章』(幻冬舎)を読んでいたからだと思う。この本の中で、五木さんは外地(現在の北朝鮮)で、若くして病気で亡くなった母親の話にたびたび触れている。そして、五木さんが心の中で母親のことを想い続け、母親のためにずっと生きてきたことを告白している――母の代りに自分は生きなければならないと決心し、そのおかげで自殺願望を乗り越えることができたと。
私の人生も親のために生きてきた部分がある。30代のあるとき、親不孝の私ができる唯一の親孝行は、「親より先に死なないこと」しかないと思い至り、「親より先に死んではいけない」と決心した。私はめったにそんな強い決心はしないので、その決心は私にとっては非常に異例のことだった。
ごくごく日本の普通の親である私の両親は、万一子供の誰かが自分たちより先に死んだら、その精神的な苦痛に耐えられないだろうし、罪悪感さえいだくかもしれない。それよりは不肖の子供でも、子供が生きていて、文句を言ったり、怒ったり、心配したりできる相手がいるほうがまだましだろうと私は勝手にそう考えたのだ。その強い信念もおかげもあってか(というか、その信念が神の意志によって支援されて)、私は父より先に死なずにすんだ。母は100歳を超えてまだ頑張って(笑)生きているので、「親より先に死んではいけない」ために、私もまだ死ねないことになる。
五木さんは数年前、癌が見つかり、放射線治療で寛解し、現在93歳。彼は医学的治療を受けない主義だったのが、その考えを変えて、治療を受ける決心をした経緯が書いてある。彼が医学的治療を受けないことにしていたのは、北朝鮮の地で医学的治療を受けることもできず亡くなった母のことが潜在意識的にあったのかもしれない、と彼は書いている。それが、「もういいのよ。わたしのことを気にするのはやめなさい」と母の声が聞こえて、それで病院に行くことができたという。『大河の一滴 最終章』には五木さんのオール・アバウト・マイ・マザーがあふれている。
私のオール・アバウト・マイ・マザーも、もし書き始めたら、本1冊が書けるくらいの思い出がある――悲しい思い出、辛い思い出、楽しい思い出。ひょっとしたら、介護を始めてからの母の思い出が、あとで振り返れば一番楽しい思い出になるかもしれない。
『オール・アバウト・マイ・マザー』の映画、母が亡くなったあとで、もう一度見てみたいと思っている。
「ため息セラピー」 2020年05月31日 10時22分43秒
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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緑茶愛 ― 2026年03月23日 08時35分34秒
毎朝の楽しみは、おいしい緑茶を飲むことだ。緑茶も数少なく私が味にこだわる食品の一つで、決して安くはないので値段と味を見ながら買うものを決めている。ここ何年かは価格的にも(←緑茶も一般的には高価なほどおいしい)手頃ということで、某コンビにで販売している緑茶を愛飲していた。
ところが、昨年のいつ頃のことだったか、その緑茶が突然大幅に値上がりし、しかもなんとなく以前よりも味が落ちた(ように感じた)。いっそ高くなるなら、別のお茶を探そうと思い、以前プレゼントでいただいた鹿児島産知覧茶がおいしかったことを思い出して、今回は知覧茶に絞って探すことにした。通販、地元スーパーのお茶を飲み比べ数か月、ようやく自分の財力で買える気に入った味のお茶が見つかった。緑茶と一緒に食べるチョコレートも値上がりいちじるしく、チョコは甘すぎなければほとんど味にこだわらないが、食べる量を減らしている。
それにしても、輸入品でもないのに、緑茶の値上がりはなぜ?と思っていたら、世界的緑茶ブームとかのせいでより多くが輸出されるようになったという話を読んだ。まあ、日本の緑茶が世界に知られることは楽しいことだし、茶道の精神は「平和」だ。「武器の輸出」よりはるかに平和だ。
「日本の緑茶やお米、おいしいですね」と海外の人に言われれば、日本人としてはうれしくあるが、将来日本製の武器が世界に普及して、「日本の武器の殺傷能力、スゴイですね!」とか世界中の人たちに言われたら、日本人は喜ぶことができるのだろうか?
そんなみじめな後ろ向きの希望を権力与党の政治家の皆さんがあたかも日本の再生の鍵と思い込むところが、日本の凋落(衰退)を象徴している。
でも国破れて、緑茶破れず、次の千年も緑茶は生き残るはず。頑張れ緑茶!
緑茶の起源と歴史(AI秘書のまとめによる)
1. 中国での発見(起源)
•緑茶の起源は 中国・雲南地方にあるとされる。
•伝説では、神農(しんのう)が薬草を試す中で茶を発見したとされ、紀元前2700
年頃に遡る。
•実際の歴史記録としては、漢代(紀元前1世紀)にはすでに茶の売買・飲用が確認されている。
•緑茶としての製法(不発酵)は、紀元前1千年紀末頃には確立していたとされる。
2. 日本への伝来(いつ・誰が)
最初期の伝来(奈良〜平安時代)
•日本の文献に茶が初めて登場するのは 奈良時代(8世紀)。
中国からの使節や僧侶が持ち帰ったと考えられる。
本格的な普及(平安末〜鎌倉時代)
•11世紀〜12世紀に、留学僧が中国から茶の種と飲用法を持ち帰り、栽培が広がる。
•特に有名なのは 栄西(ようさい)。
1191年頃、中国(宋)から茶の種を持ち帰り、九州・京都で栽培を広めたとされる。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』3 ― 2026年03月09日 08時22分01秒
[ お知らせ]
『静寂の雷鳴』(ジョエル・ゴールドスミス著) 電子書籍版発売
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(36)
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(36)
U.G.クリシュナムルティの『悟りという謎』(原書タイトル「The Mystique of Enlightenment」)の翻訳をYoutubeに公開し始めてから約1年。私は相当くたびれてきた(笑)。一つの企画を1年くらい続けると、飽きっぽい私はだんだん自分が退屈してくる。でも毎回熱心に視聴してくださる100人前後の人たちのために、なんとか本の最後まで公開しようと思っている。幸い、翻訳はすべて終了し、あとはそれを動画にする作業が残っているだけだ(あと残り3分の1くらいです)。
今回「The Mystique of Enlightenment」を丁寧に読んで、初めて強く思ったことは、U.G.クリシュナムルティはJ. クリシュナムルティを激しく否定してはいるが、J. クリシュナムルティを完全に理解したほとんど唯一の人だということだ――J.クリシュナムルティは生涯の終わりに、「自分の言うことを理解した人は一人もいなかった」と嘆いたと伝えられているが。
そして、U.G.の言っていることは基本的にJ. クリシュナムルティの言っていることと同じである。違いは、Jは積極的に講演したりしゃべったりしたのに対して、U.G.は仕方なくイヤイヤしゃべっていた、ということくらいか。U.Gは「私には何も伝えるべき教えはない」と言っているが、彼が本の中で繰り返し語っていることがいくつかある。それをまとめてみると:
*先生も本も伝統的教えも修行もいわゆる「覚醒」へ導かない。
*私の話も言葉もまったく役に立たない。
*私に起こったことと、過去の修行は無関係。
*セックスなどの快楽を否定したからといって、「覚醒」が起きるわけではない。
*そもそも「覚醒」を達成する方法はない。
*私の状態は感覚が最高に機能している状態(自然の状態)だが、それは宗教的なことや神秘的なことではなく、生理学的なことである。
*一人一人の人間はユニークであるのに、それぞれの社会の文化的宗教的重荷のせいで、人はそのユニークさを生きることが妨害されている。
*その重荷から解放されれば、一人ひとりはユニークな「花」となる。しかし、その文化的宗教的重荷から人は自分の意志で自分を解放できない。
*私の話も言葉もまったく役に立たない。
*私に起こったことと、過去の修行は無関係。
*セックスなどの快楽を否定したからといって、「覚醒」が起きるわけではない。
*そもそも「覚醒」を達成する方法はない。
*私の状態は感覚が最高に機能している状態(自然の状態)だが、それは宗教的なことや神秘的なことではなく、生理学的なことである。
*一人一人の人間はユニークであるのに、それぞれの社会の文化的宗教的重荷のせいで、人はそのユニークさを生きることが妨害されている。
*その重荷から解放されれば、一人ひとりはユニークな「花」となる。しかし、その文化的宗教的重荷から人は自分の意志で自分を解放できない。
こういう話を読み続けていると、私が20代のときにJ.クリシュナムルティを熱心に読んでいた頃に感じた挫折を思い出す。私たちのマインドは、JやU.G.のような人の言葉を読んでいると、必ず最後にはこう思うからだ。「あなたの言うことはだいたいわかるし、共感もするが、でも『どうやって』、あなたの言うような体験ができるのか?」と。私たちのマインドは「どうやって=How to」を問うようにできている。特に私がそうだ。私は昔も今もあらゆることにおいて、「どうやって=How to」に中毒している(笑)。
でも、非二元系の教えに関しては、『どうやって』を尋ねた瞬間に、私たちのマインドは「覚醒」が存在する「今ここ」から、外へ未来に向かって走り出す、というジレンマに陥る。
それが、JもU.G.もすべての方法(どうやって)を否定する理由だ。それは正論ではあるが、しかし、役には立たない。私たちは方法なくして探求はできない。本を読むことも方法だし、賢者や先生と言われている人たちの話を聴くことも方法だし、人々が集まって話合うことも方法だし、一人で孤独に思索することさえ方法だ。もちろん私が推奨しているハーディングの実験も方法だ。
だから、私はJを投げ捨てた頃思ったものだ。「むしろマインドを納得させるためには、マインドは方法に中毒しているのだから、だったら好きなだけ、興味の湧くままに方法を試せばいい」と。瞑想であれ、実験であれ、読書であれ、その他の方法であれ、世俗的な活動の最中でさえ、その最中に運か縁のおかげで、自分の本質を垣間見ることが起こる可能性がある。そして、自分の本質を見る(認識する)ことが起これば、JやU.G.がなぜ方法を否定するかも納得できるだろうと思う。
さて、U.G.の「The Mystique of Enlightenment」は彼の1970年代の講話であるが、彼はその後も2007年(89歳)まで長生きした。こんな身も蓋もない話を何十年も仕方なくでも話し続けることができるのもすごいと思うし、彼は自分でも言っているように「珍獣」のような人だったと想像する――見てみたいけど、近づいたら噛みつかれそうな生き物。
もしU.G.についてもっと深く知りたい人がいれば、その「珍獣」をこよなく愛した人が書いた「A TASTE OF LIFE」(Mahesh Bhat著)という本がお勧めだ。彼とU.G.との長年の交流、そしてイタリアでのU.G.の最後の日々が綴られている。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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最近読んだ本 ― 2026年02月13日 06時05分18秒
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
[イベント]
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◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年2月15日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年3月1日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(33)
最近は、本を読むより、動画を見ている時間のほうがはるかに長い。年々本を読む気力が少しずつ衰えている気がする(悲)。本日は、ここ半年くらいに読んで面白かった本を紹介しようと思うが、今回はAI秘書さん(笑)にも解説を手伝ってもらった。
『ゲームの王国(上・下)』小川哲著(早川書房)
最近読んだ小説で一番面白かった小説が本書だ。20世紀後半のカンボジアという国を背景に、二人の天才的子供が出会い、別れ、最後には敵としてまた出会う。カンボジアの現代史なんてほとんど知らなかったけど、本書を読んだおかげで、ざっくりと理解できた(ただ、頻繁に出てくるコンピュータ・ゲームの話は、私にはほとんど理解できなかった)。
カンボジアでも、短い年月の間に異端とそれを迫害する権力者がめまぐるしく移り変わり、権力者(それが反共産政権であれ、共産主義政権であれ)は、必ず異端を迫害するという法則を証明している。共産主義政権だったポル・ポト政権は、国民の四分の一(約180万人)を虐殺したとされている。
庶民は誰が権力者であれ、その権力者が押し付けた理不尽なルールで生きることを強制される。理性と知性を持ち合わせた登場人物の一人は言う。
「まるでゲームだ、アドゥはそう思った。革命の中のもとに、オンカー(注:ポル・ポト政権時代、国民生活すべてを支配する少数のエリート集団)は複雑怪奇のルールを認定した。ひとつでも違反すると殺される。まさに命を賭けたゲームだ。生き残るためにはすべてのゲームで勝つことが必要だった。アドゥは多くの者がゲームに敗れて死んでいくのを見てきた」(『ゲームの王国(下)』250pより)
2人の天才的子供のうち、ポル・ポトの隠し子である女の子は、大人になってから自分の娘にこう語る。
「私はNPOの仕事で、カンボジア中を回ったわ。外国にもたくさん行った。どこも同じ。ルールを守らない人間が成功し、貧しい人々は搾取されている。成功した人間は、貧困の原因を努力の問題にするけれど、貧しい人たちは努力の仕方もわからずにいる。私は世界中から、それらすべてをなくしたいの。(中略)正義と公正が永久に続くような社会を作りたい」(『ゲームの王国(下)』99pより)と彼女は決意し、政治権力の階段をトップまで登るが、でも結局、彼女も過去の権力者と同じく、自分に敵対する者たちを粛清していく人になっていく。
『沈まぬ太陽』山崎豊子著(新潮社)
山崎豊子さんの小説は、大昔、『白い巨塔』を読んで以来だ。今頃読む小説ではないけど、なぜか図書館で目についた。日本の実在の航空会社をモデルにした小説で、あの航空機事故の前と後の会社の権力闘争を描いた話だ。日本の名だたる大企業の上層部の人たちが、飛行機の安全とか顧客のことではなく、自分の出世と欲のことばかり考えていることが驚きというか……主人公の男性(小説の中のヒーローなので、多少カッコよすぎる感もあるが)はそんな会社の状況を正そうと一人孤軍奮闘するが、当然「異端」なので粛清されて、海外の僻地へ飛ばされ続ける。タイトルの「沈まぬ太陽」とは、主人公が、組織の不正や腐敗に屈せず、どれほど理不尽な左遷や迫害を受けても、信念を曲げない彼の生き方、「どれほど闇が深くても、沈まない太陽のように光を失わない」という意味だそうだ(青線の部分は、AIによる解説)
『BUTTER』柚木麻子著(新潮社)
この小説には3人の女性が主に登場する。一人は、料理の腕とセックスで寂しい中年・初老の男性を惹きつけ、お金を巻き上げ、あげく殺した容疑で刑務所に収監されている女性。そして、彼女に関心をもち取材するジャーナリスト、そして、その彼女の大学時代からの友人で今は専業主婦をやっている女性。「フェミニズムとマーガリンが大嫌い」、「女の友人は不要」と豪語する梶井真奈子(刑務所にいる女性)はその自信たっぷりな生き方が多くの女性に支持されて、アイドル並みの人気を誇る。彼女を取材するジャーナリストの女性とその親友の女性は、梶井真奈子と接するうちに、自分の生き方にだんだん自信がなくなり、自分の子供時代のトラウマが疼き、メンタルが崩壊する危機に瀕する。
女の人生の幸福と充実はどこにあるのか? 男性からお金を貢いでもらって、優雅に暮らすことか? それとも、キャリアを積んで自力で仕事で出世することか? それとも家族のために尽くす生活か? 3人の女たちの本音が炸裂し、時には読者(とくに女性読者)のマインドに「女の存在の痛さ」が突き刺さる。本書は世界で100万部以上売れたというから、本書で描かれている女たちの話には先進国に住む女性たちの琴線に触れる何かがあるのだろう。ちなみに、タイトルのBUTTERは、梶井真奈子が愛する食品、「バター」のことで、本書の中ではバターを使った料理の話がたびたび出てくる。
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスレー(1894~1963)著(光文社)
大昔から名前だけは知っていた小説をようやく読んだ。私は『すばらしい新世界』を昔の冒険小悦か何かと勘違いしていたが、今から約500年後の地球社会を描いたディストピア小説だった。
この社会は 遺伝子操作と人工的な教育(条件づけ)によって、あらかじめ階級が決められたカースト制 (指導者層から単純労働者層まで5つの階級)を採用し、
*生まれる前から遺伝子操作で階級が決まる
*幼児期の睡眠学習(条件づけ)で階級に満足するように教育される
*階級間の移動は不可能
*階級ごとに「幸福」が設計されているため、反抗心が生まれにくい
*生まれる前から遺伝子操作で階級が決まる
*幼児期の睡眠学習(条件づけ)で階級に満足するように教育される
*階級間の移動は不可能
*階級ごとに「幸福」が設計されているため、反抗心が生まれにくい
(青線の部分は、AIによる解説)
まあ、そういう社会だ。この社会では、快楽(セックスとドラッグ)はやりたい放題で、「結婚」とか「母親から生まれた」という概念はほとんど古語か猥褻語である。厳格な階級性にもかかわらず、人々は不幸を感じないように、自分の階級に満足するようにプログラミングされている。しかし、すべてが良さそうに見えるこの社会でも、異端(たまたまの偶然で普通に母親から生まれた人)が出てきて、社会のありように疑問を呈する。
20世紀に書かれたもう1冊の有名なディストピア小説、ジョージ・オーウェルの『1984年』は恐怖と力によって抑圧された超監視社会(←北朝鮮のような社会)を描いているが、ハクスレーは快楽、気晴らし、道徳的退廃を通して人間が支配され、自由がなく、支配されていることにも不満を感じない社会を描いている。
ディストピア小説を読んだあとは、まだ『1984年』にも、『すばらしい新世界』にもなっていない(でもひょっとしたら将来なるかもしれない)、私たちが今生きている現在の社会――私たちが政治、経済、社会、自分自身の状況にあれこれ不満を言い合っている社会が、「非常にありがたい理想の社会」(笑)に思えてくるから不思議だ。
『西洋の敗北 』エマニュエル・トッド著(文藝春秋)
ウクライナにロシアが侵攻したとき、全世界のほとんどが反ロシアになり、ロシア経済は長くはもたないだろうという感じの予想と印象が多くあった。しかし、予想に反してロシアはしぶとく持ちこたえている。本書によれば、ロシアの製造業は少なくともアメリカの製造業よりもはるかに優れているという。その理由は、ロシアでは、優秀な人材が製造業に集まっているのに対して、アメリカでは優秀な人材はほとんどが金融、ITに集まり、製造業には人材が集まらず、製造業が衰退したからだ。トランプ大統領が、「アメリカの製造業に投資をしろ」と各国に強制しても、そもそもアメリカの製造業に人材がいず、しかも、衰退した製造業を再び育てるには長い時間がかかる。
本書はそれ以外にも様々なデータから(出生率、乳児死亡率、識字率、自殺率、製造業の様々なデータなど)から、アメリカを含む『西洋の敗北』を予言する。長年、適格なデータ分析で世界情勢を予言してきた学者の言葉には説得力がある。そして、その敗北が予想されている国に、日本はこれから80兆円の投資(親分への上納金のようなもの)をするらしい……
著者のエマニュエル・トッドはフランスの人口統計学者、歴史学者で、本国ではその歯に衣着せぬ発言でバッシングを受けたり、英語圏では翻訳が少なくあまり知られていないらしいが、なぜか日本の出版界、知識人の間では非常に人気で、よく名前を見かける。
『世界はシンプルなほど正しい』ジョンジョー・マクファデン著(光文社)
「オッカムの剃刀」という有名な言葉がある。それは14世紀のイングランドの哲学者・神学者ウィリアム(オッカム村のウィリアム) に由来するとされ、複雑な宇宙に剃刀を当て、「不要な仮定を切り捨て」、「単純なものを複雑にしない」という考え方のことだ。
本書は、その「オッカムの剃刀」という有名な考え方が過去500年間の西洋の科学の中でどんなふうに役立ってきたのか、物理学、化学、生物学などの豊富な例を挙げて解説した本。最後に書かれているある有名な科学者の言葉に私は非常に共感した。「あらゆる物事の裏には間違いなく、単純で美しい考え方が潜んでいて、10年か100年かけてそれが理解できたときには、きっと誰もがこう言い合うだろう。それ以外の考え方なんてできるだろうかと」。
『地政学』社會部部長著(サンマーク出版)
地政学とは、地理的な条件に基づいて、国家間の関係性や国家戦略、政治・軍事・経済への影響などを分析・考察する学問分野(以上AIの説明)で、最近は本も多く出版され、地政学は国際的な事柄に関わる人たちには必須の学問となりつつある。本書は、Youtubeで人気になった動画の書籍化で、何の予備知識もない素人が読んでも非常にわかりやすい。
本書に書かれている、「地形的に見ると、アメリカもロシアも中国も弱い。だから、戦争をやめられない」の話は非常に明確で、なぜ中国が台湾にあれほど執着するのかも本書を読んで非常に納得した。
(国家が戦争に巻き込まれないために)、本書では最後に地政学の観点から下記の提言がされている。
*「国は地理の囚人。地形的制約に揉まれながら、自らの生存する道を見出すべき」
*「潜在敵国を絶対的悪者と見なさないこと」
*「理想と現実を踏まえた上で行なうべきことは、話し合い」
*「潜在敵国を絶対的悪者と見なさないこと」
*「理想と現実を踏まえた上で行なうべきことは、話し合い」
高市首相にもあらゆる国に対して、「潜在敵国を絶対的悪者と見なさず」、「理想と現実を踏まえた上での話し合い」をお願いしたいものだ。
[昨年出版された本]
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
政治家のポジティブ・シンキング ― 2026年02月02日 09時03分59秒
[お礼]
新刊『頭がないということ』を購入・購読してくださった皆様にお礼を申し上げます。
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年2月15日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年3月1日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(33)
2月は日本の現役世代の国民が一年で一番忙しい季節である――年度末・学期末・学年末の準備、子供の受験、確定申告の準備、そして雪国は日々の雪かき――で超忙しい。私はフル現役ではないが、2月はけっこう忙しいし、雪国住まいになったので雪の日は不要不急の外出をなるべく控えている。
この国民が大忙しの寒い時期に、わずか1年3カ月で衆院解散、2月総選挙を決めた高市首相の決断は、どう見ても国民のためというより、彼女の高揚した政治的パフォーマンスだ。「高市早苗に、国家経営を託していただけるのか」とか、一人で盛り上って、ヒロインになりたがりすぎ(笑)。
「国民不在、選挙目当ての政治、永田町の論理に、終止符を打たねばなりません」と彼女は言うけど、少なくとも雪国の人たちには大迷惑な選挙で、それだけでも国民不在、労働力・税金(選挙に約700億=国民一人あたり約500円、かかるそうだ)の無駄遣いではないか!……極寒の大忙しの季節の解散・総選挙の決定に私も500円分怒っている。
高市首相が公けに語るとき、ポジティブなキラキラする言葉が並び、それらは聞いているだけなら耳には心地よいし、誰も反対できない言葉だ。
「日本列島を、強く豊かに」
「挑戦しない国に、未来はありません」
「守るだけの政治に、希望は生まれません」
私だって、「挑戦しない人に、楽しい老後はありません(笑)」と、日々なるべく新しいことに挑戦している――新しい料理、新しい体操、母を寝かしつけるための新しい方法、最近は雪道をスムーズに歩く方法など。
思い出せば、こういったキラキラしたポジティブな言葉を語る人たちが私のまわりにたくさんいた時期があった。1990年代頃のことである。彼らは明るく希望に満ちた言葉を並べ、自分自身について典型的なポジティブ・シンキングで、おまけに野心的。ただ話したり見たりしているだけなら、彼らはとても魅力的で楽しく素敵な人たちだった。
その時期、私は気づいたことがある。人が一般的にポジティブ・シンキングと言われているものを採用するとき、私たちのマインドが陥るある種の罠があることに。それはポジティブな言葉や観念を繰り返すと、自分のマインドがどんどん高揚し、自分がその言葉通りのポジティブな人間であり、自分の言葉がまるで簡単に実現するかのような気分になる、ということだ。
しかし、実際は自分の観念と現実が乖離していることが多く、自分の現実はほとんと変わらず、私たちはたいてい信じていることとは正反対の現実に直面する羽目になる。そして、私たちは自分を奮い立たせるために、また別のエナジー・ドリンク(ポジティブな言葉と思考)が必要になる、というわけだ。「ポジティブ・シンキング」という方法をしばらく試したあと、スピリチュアル系の人たちは「ポジティブ・シンキング」を卒業する人たちが多いが、自分への強大な信仰を持ち続けられる人は何かのカリスマ的リーダーになれる。
さてさて、高市首相は自家製エナジー・ドリンク(ポジティブな言葉と思考)と市販のエナジー・ドリンク(国民の人気)の両方を大量に飲んで(無理して)元気そうではあるが、彼女の高揚感はいつまで続くだろうか? そして、彼女のポジティブ・シンキングがもたらす結末と運命はいかに……昨日は、雪の中、期日前投票に行ってまいりました(苦)
参考サイト(過去のシンプル堂のブログ)
[昨年出版された本]
*『自己覚醒へのマスター・キー』
[一昨年出版された本]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
お礼 ― 2025年12月25日 15時26分59秒
[お知らせ]
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売されました
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(29)
[お礼]
一年間、ブログを読んでくださった皆様、Youtubeを視聴してくださった皆様、そして、本を購入・購読してくださった皆様、その他様々な形で活動を支援してくださった皆様に感謝します。それでは、皆様、楽しい年末年始をお過ごしください。来年は、2月頃からブログを再開する予定です。
[今年出版された本]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(3) ― 2025年12月03日 15時28分37秒
[お知らせ]
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
発売予定時期:2025年12月中旬
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」
2025年12月14日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年12月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)
3『頭がないということ』に書かれている内容について
(1)20代の長い熱心な探求を経て、30代の初めに、ハーディングが自分には「頭がない」ことを発見した経験。
(2)「頭がないこと」がどういう意味があるかについて、様々な角度からの考察
(3)「頭がない方法」と禅との共通性
(4)「頭がない方法」とその他の伝統的宗教との共通性
(5)『頭がない方法』を実践することについて
(6)「知らないこと」のパワー
(7)「自己覚醒する存在(神)」の神秘と奇跡について
(2)「頭がないこと」がどういう意味があるかについて、様々な角度からの考察
(3)「頭がない方法」と禅との共通性
(4)「頭がない方法」とその他の伝統的宗教との共通性
(5)『頭がない方法』を実践することについて
(6)「知らないこと」のパワー
(7)「自己覚醒する存在(神)」の神秘と奇跡について
以上の内容が、非常にコンパクトにまとめられている。
私が「頭がない方法」を実践(練習)し始めてから、35年以上の年月がたつ。この間、ハーディングが4章「話を現代化する」で書いていたことと似たようなことを私も経験し、それはときには苦痛で、時には驚きで、ときには喜びであった。そしてこの間、私は謎解き大好き人間なので、彼の????の言葉の謎解きに没頭し、その謎を考えることは苦痛ではなく、長い間の私の娯楽(笑)だった。
たとえば、本の中や実際のワークショップ、その他一緒にお茶を飲んでいたときなどに、私が最初????と思ったハーディングの言葉には、思い出せば次のようなものがある。
*私が自分自身を見れば、「頭がない」。
*私が飲むお茶は味がするが、他の人たちが飲んでいるお茶は(私にとっては)味がしない。
*目の前のチョコレートが、ここに消えたとたん、視覚から味覚に変わることは、何という不思議か!
*私が目を閉じれば、世界が消滅し、目を開ければ、世界が再創造される。
*時間(時計)が読めないところでは、時間がない。
*私が飲むお茶は味がするが、他の人たちが飲んでいるお茶は(私にとっては)味がしない。
*目の前のチョコレートが、ここに消えたとたん、視覚から味覚に変わることは、何という不思議か!
*私が目を閉じれば、世界が消滅し、目を開ければ、世界が再創造される。
*時間(時計)が読めないところでは、時間がない。
これ以外にもたくさんあるが、あまりにも当然のことを言いながら、それが本当は当然ではないという驚愕というか不思議というか。私にとっては彼の言葉は「禅問答」、公案だった。
ハーディングは生涯非常にたくさんの本を書き、ワークショップその他でたくさんの話をしたが、結局彼が一番伝えたいことは何なんだろうかとちょっと考えてみた。それはたぶん、上記に書いた(6)、(7)に行き着くだろうと、私は感じている。ハーディングは10代の頃から、「私」と世界がそもそもどうして存在するのか非常に不思議に思っていたという。存在、「在る」ことの不思議、それが彼の探求の始まりだった。そして長い探求を経て、中心には「頭がないこと」を発見し、さらにその中心について深く深く探求研究し、「私」と世界の存在の神秘と奇跡という答えにたどり着いた。
しかし、彼が『頭がないということ』の4章で語った神秘と奇跡は、普通の人たちが思い描く神秘と奇跡とはまったく異なる。ふわふわした霧に包まれたような神秘ではなく、明白な現実に支援されている神秘と奇跡。それをハーディングは有名なヴィトゲンシュタイン(オーストリア・ウィーン出身の哲学者。1889年~1951年)の言葉を引用しながら、次のように述べている。
〔世界がどうであるかは、より高いものにとってはまったくどうでもいい。神が姿をあらわすのは、世界のなかではない……世界がどうであるかということが、神秘なのではない。世界があるということが、神秘なのだ。」(『論理哲学論考』ヴィトゲンシュタイン著 丘沢静也訳 光文社古典新訳文庫 2014 p.143)。さらに私なら、これを次のように発展させるだろう。「真に神秘的事実は、『神』(またの名を「自己覚醒する存在」)が存在し、神の出現後、神の世界が存在していることは、それほど注目すべきことではなくなり、当然のことになったことである](4章『話を現代化する』125P)
冬休みにゆっくりと読むにふさわしい本なので(しかも、薄い!)、ぜひ多くの皆様に読んでいただければ、うれしく思います。
[今年出版された本]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(2) ― 2025年11月07日 09時07分36秒
[ひよこ豆様:ご質問への回答]
今回の本は、紙の書籍です。現在のところ電子書籍版は未定です。
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎2025年12月1日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)
2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」
2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)
2 On Having No Headとの出会い
今回は私と『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(On Having No Head ―Zen and the Rediscovery of the Obvious)(1994年に『心眼を得る』というタイトルで出版された本の再版)との「出会い」について書いてみたい。
まさに「出会い」――その出会いは、今から37,8年前に起きた。たまたま読んでいた本に、On Having No Headの翻訳された一節が紹介されてあったのだ。私はその文章を何度も読み返しては、「頭がない」とか、なんか変なことを言っているなあと思いながら、でも何かとてつもなく重要なことを語っているという印象をもった。それでなんとか原書の本を手に入れ、初めから読み始め、紹介されていた「指差し」実験をやってみた。最初は???だったが、何度かやったとき、突然開眼した(笑)。
「そういうことだったんだ!」と、過去に私が理解できずに格闘してきた『般若心経』、J.クリシュナムルティ、『なまけ者の悟り方』などの言わんとしたことの要点が一気に見えた(感じがした)。
そして、ハードな修行が嫌いで、坐ってやる瞑想もほとんどやる気がでない私を喜ばせたことは、いわゆるハーディングのワークは:
*辛い修行不要
*先生と宗教的信仰不要
*お金と時間不要
*先生と宗教的信仰不要
*お金と時間不要
という点だった。ただ「見ればいい」。その手軽さ気軽さが何よりも私の気質に合っていた。
そして、私がOn Having No Headも含めてハーディングの本を何冊か読んで最初に理解したことは:
*スピリチュアルな人たちが話題にする「悟り」とか「目覚め」とか「完璧さ」とは、目標ではなく、出発地点だということだ。私たち全員が本質的には「すでにそれ」であり、「そこから出てきている」。
*だから、人として私たちがスピリチュアル的に何かになる―たとえば、「悟った人」、「目覚めた人」、「完全な人」、「スピリチュアル的に何か高い境地にいる人」になることは、どんなに努力してもあり得ない。人間としての自分は永遠に不完全な存在であり、それでOKなのだと。
*だから、人として私たちがスピリチュアル的に何かになる―たとえば、「悟った人」、「目覚めた人」、「完全な人」、「スピリチュアル的に何か高い境地にいる人」になることは、どんなに努力してもあり得ない。人間としての自分は永遠に不完全な存在であり、それでOKなのだと。
以上のことを理解して、自分を何かの理想の高見に引き上げようとするスピリチュアル的努力は一切無駄で、「要するにまあ、人は自分のしたいこと、楽しいと思うことをして好きに生きればいいのだ」ということを改めて(それまでもそう思って生きていたが)確信した。
最初の数年、On Having No Headも含め、数冊のハーディングの本(の原書)を熱心に読み、それからは熱が冷め、時折読んではハーディングが言わんとしていることを少し考えるくらいだった。もしハーディングその人に直接出会わなければ、彼の本を私が翻訳したり、「頭がない方法」を他の人たちと分かち合うなどという活動は起こらなかったことだろう。
ハーディングその人との出会いも偶然で突然だった。たぶん1994年のことだったと思うが、彼がまだ生きていて(当時85歳)ワークショップなどの活動をやっていると知り、なぜかこの人にどうしても会いたいという衝動のようなものを感じた。それでその年の夏のワークショップに参加するために、はるばるアイルランドまで飛んでいった。
彼のワークショップは、その当時日本で流行していた、自己啓発やチャネリング系のセミナーやワークショップとはまったく異質ものだった。しかもワークショップの金額が格安で驚いた。そのワークショップでは、何かを教える先生と何かを学ぶ生徒という関係もなく、長年ワークをやった経験者と初心者という区別もなく、何かを達成することも獲得することも引き寄せることもなく、ただ「在る」だけの時間がゆるく平和に流れていた。
そのワークショップでハーディングから、「よかったら、私の本は何冊もあるから、日本で出版してほしい」と言われた。内心、英語が難解すぎて自分の能力に余るし、その他様々な理由から無理とは思っていたものの、著者から翻訳を頼まれるなんて機会もそうあることではないと思い直し、一番薄い本(The Little book of life and Death、『今ここに、死と不死を見る』)を翻訳して出版することにした。本当は、On Having No Headにしたかったのだが、私がハーディングに出会った頃、ちょうど日本の別の出版社が翻訳権を買ったばかりということで、残念ながらその願いはかなわなかった。
そして今、長い間絶版だったOn Having No Headの再版がようやく実現することとなり、ほっとしている。たぶんOn Having No Headへの私の理解も翻訳能力も30年前よりは多少向上した( I hope)と思われるので、様々なことが30年の時を経て成熟した状況での出版となり、喜んでいる。
今、改めてOn Having No Headを読み直してみると、特に第4章「話を現代化する」の内容を当時私は本当にはよく理解していなかったことがわかる。ヴィジョンは変わらないが、理解のほうは長い間、実験を練習し、ハーディングの言葉を読みながら、少しずつ湧き起こった感がある。
そして、ハーディングも書いているように、そしていつも言っていたように、実験そのものはシンプルであるのに、そのヴィジョンを生きることは決して簡単ではないし、多くの困難や障害にも出会う。まして、このヴィジョンを分かち合うことはなおさらだ。
それでも、なぜか続いた不思議な縁……最初に開眼したあの日と同じように、今この瞬間もこのヴィジョンは、無知という「神秘」(あえてこの言葉を使えば)に包まれて、平凡に普通に輝いている(合掌)。
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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