U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』3 ― 2026年03月09日 08時22分01秒
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『静寂の雷鳴』(ジョエル・ゴールドスミス著) 電子書籍版発売
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(36)
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(36)
U.G.クリシュナムルティの『悟りという謎』(原書タイトル「The Mystique of Enlightenment」)の翻訳をYoutubeに公開し始めてから約1年。私は相当くたびれてきた(笑)。一つの企画を1年くらい続けると、飽きっぽい私はだんだん自分が退屈してくる。でも毎回熱心に視聴してくださる100人前後の人たちのために、なんとか本の最後まで公開しようと思っている。幸い、翻訳はすべて終了し、あとはそれを動画にする作業が残っているだけだ(あと残り3分の1くらいです)。
今回「The Mystique of Enlightenment」を丁寧に読んで、初めて強く思ったことは、U.G.クリシュナムルティはJ. クリシュナムルティを激しく否定してはいるが、J. クリシュナムルティを完全に理解したほとんど唯一の人だということだ――J.クリシュナムルティは生涯の終わりに、「自分の言うことを理解した人は一人もいなかった」と嘆いたと伝えられているが。
そして、U.G.の言っていることは基本的にJ. クリシュナムルティの言っていることと同じである。違いは、Jは積極的に講演したりしゃべったりしたのに対して、U.G.は仕方なくイヤイヤしゃべっていた、ということくらいか。U.Gは「私には何も伝えるべき教えはない」と言っているが、彼が本の中で繰り返し語っていることがいくつかある。それをまとめてみると:
*先生も本も伝統的教えも修行もいわゆる「覚醒」へ導かない。
*私の話も言葉もまったく役に立たない。
*私に起こったことと、過去の修行は無関係。
*セックスなどの快楽を否定したからといって、「覚醒」が起きるわけではない。
*そもそも「覚醒」を達成する方法はない。
*私の状態は感覚が最高に機能している状態(自然の状態)だが、それは宗教的なことや神秘的なことではなく、生理学的なことである。
*一人一人の人間はユニークであるのに、それぞれの社会の文化的宗教的重荷のせいで、人はそのユニークさを生きることが妨害されている。
*その重荷から解放されれば、一人ひとりはユニークな「花」となる。しかし、その文化的宗教的重荷から人は自分の意志で自分を解放できない。
*私の話も言葉もまったく役に立たない。
*私に起こったことと、過去の修行は無関係。
*セックスなどの快楽を否定したからといって、「覚醒」が起きるわけではない。
*そもそも「覚醒」を達成する方法はない。
*私の状態は感覚が最高に機能している状態(自然の状態)だが、それは宗教的なことや神秘的なことではなく、生理学的なことである。
*一人一人の人間はユニークであるのに、それぞれの社会の文化的宗教的重荷のせいで、人はそのユニークさを生きることが妨害されている。
*その重荷から解放されれば、一人ひとりはユニークな「花」となる。しかし、その文化的宗教的重荷から人は自分の意志で自分を解放できない。
こういう話を読み続けていると、私が20代のときにJ.クリシュナムルティを熱心に読んでいた頃に感じた挫折を思い出す。私たちのマインドは、JやU.G.のような人の言葉を読んでいると、必ず最後にはこう思うからだ。「あなたの言うことはだいたいわかるし、共感もするが、でも『どうやって』、あなたの言うような体験ができるのか?」と。私たちのマインドは「どうやって=How to」を問うようにできている。特に私がそうだ。私は昔も今もあらゆることにおいて、「どうやって=How to」に中毒している(笑)。
でも、非二元系の教えに関しては、『どうやって』を尋ねた瞬間に、私たちのマインドは「覚醒」が存在する「今ここ」から、外へ未来に向かって走り出す、というジレンマに陥る。
それが、JもU.G.もすべての方法(どうやって)を否定する理由だ。それは正論ではあるが、しかし、役には立たない。私たちは方法なくして探求はできない。本を読むことも方法だし、賢者や先生と言われている人たちの話を聴くことも方法だし、人々が集まって話合うことも方法だし、一人で孤独に思索することさえ方法だ。もちろん私が推奨しているハーディングの実験も方法だ。
だから、私はJを投げ捨てた頃思ったものだ。「むしろマインドを納得させるためには、マインドは方法に中毒しているのだから、だったら好きなだけ、興味の湧くままに方法を試せばいい」と。瞑想であれ、実験であれ、読書であれ、その他の方法であれ、世俗的な活動の最中でさえ、その最中に運か縁のおかげで、自分の本質を垣間見ることが起こる可能性がある。そして、自分の本質を見る(認識する)ことが起これば、JやU.G.がなぜ方法を否定するかも納得できるだろうと思う。
さて、U.G.の「The Mystique of Enlightenment」は彼の1970年代の講話であるが、彼はその後も2007年(89歳)まで長生きした。こんな身も蓋もない話を何十年も仕方なくでも話し続けることができるのもすごいと思うし、彼は自分でも言っているように「珍獣」のような人だったと想像する――見てみたいけど、近づいたら噛みつかれそうな生き物。
もしU.G.についてもっと深く知りたい人がいれば、その「珍獣」をこよなく愛した人が書いた「A TASTE OF LIFE」(Mahesh Bhat著)という本がお勧めだ。彼とU.G.との長年の交流、そしてイタリアでのU.G.の最後の日々が綴られている。
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
最近読んだ本 ― 2026年02月13日 06時05分18秒
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年2月15日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年3月1日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(33)
最近は、本を読むより、動画を見ている時間のほうがはるかに長い。年々本を読む気力が少しずつ衰えている気がする(悲)。本日は、ここ半年くらいに読んで面白かった本を紹介しようと思うが、今回はAI秘書さん(笑)にも解説を手伝ってもらった。
『ゲームの王国(上・下)』小川哲著(早川書房)
最近読んだ小説で一番面白かった小説が本書だ。20世紀後半のカンボジアという国を背景に、二人の天才的子供が出会い、別れ、最後には敵としてまた出会う。カンボジアの現代史なんてほとんど知らなかったけど、本書を読んだおかげで、ざっくりと理解できた(ただ、頻繁に出てくるコンピュータ・ゲームの話は、私にはほとんど理解できなかった)。
カンボジアでも、短い年月の間に異端とそれを迫害する権力者がめまぐるしく移り変わり、権力者(それが反共産政権であれ、共産主義政権であれ)は、必ず異端を迫害するという法則を証明している。共産主義政権だったポル・ポト政権は、国民の四分の一(約180万人)を虐殺したとされている。
庶民は誰が権力者であれ、その権力者が押し付けた理不尽なルールで生きることを強制される。理性と知性を持ち合わせた登場人物の一人は言う。
「まるでゲームだ、アドゥはそう思った。革命の中のもとに、オンカー(注:ポル・ポト政権時代、国民生活すべてを支配する少数のエリート集団)は複雑怪奇のルールを認定した。ひとつでも違反すると殺される。まさに命を賭けたゲームだ。生き残るためにはすべてのゲームで勝つことが必要だった。アドゥは多くの者がゲームに敗れて死んでいくのを見てきた」(『ゲームの王国(下)』250pより)
2人の天才的子供のうち、ポル・ポトの隠し子である女の子は、大人になってから自分の娘にこう語る。
「私はNPOの仕事で、カンボジア中を回ったわ。外国にもたくさん行った。どこも同じ。ルールを守らない人間が成功し、貧しい人々は搾取されている。成功した人間は、貧困の原因を努力の問題にするけれど、貧しい人たちは努力の仕方もわからずにいる。私は世界中から、それらすべてをなくしたいの。(中略)正義と公正が永久に続くような社会を作りたい」(『ゲームの王国(下)』99pより)と彼女は決意し、政治権力の階段をトップまで登るが、でも結局、彼女も過去の権力者と同じく、自分に敵対する者たちを粛清していく人になっていく。
『沈まぬ太陽』山崎豊子著(新潮社)
山崎豊子さんの小説は、大昔、『白い巨塔』を読んで以来だ。今頃読む小説ではないけど、なぜか図書館で目についた。日本の実在の航空会社をモデルにした小説で、あの航空機事故の前と後の会社の権力闘争を描いた話だ。日本の名だたる大企業の上層部の人たちが、飛行機の安全とか顧客のことではなく、自分の出世と欲のことばかり考えていることが驚きというか……主人公の男性(小説の中のヒーローなので、多少カッコよすぎる感もあるが)はそんな会社の状況を正そうと一人孤軍奮闘するが、当然「異端」なので粛清されて、海外の僻地へ飛ばされ続ける。タイトルの「沈まぬ太陽」とは、主人公が、組織の不正や腐敗に屈せず、どれほど理不尽な左遷や迫害を受けても、信念を曲げない彼の生き方、「どれほど闇が深くても、沈まない太陽のように光を失わない」という意味だそうだ(青線の部分は、AIによる解説)
『BUTTER』柚木麻子著(新潮社)
この小説には3人の女性が主に登場する。一人は、料理の腕とセックスで寂しい中年・初老の男性を惹きつけ、お金を巻き上げ、あげく殺した容疑で刑務所に収監されている女性。そして、彼女に関心をもち取材するジャーナリスト、そして、その彼女の大学時代からの友人で今は専業主婦をやっている女性。「フェミニズムとマーガリンが大嫌い」、「女の友人は不要」と豪語する梶井真奈子(刑務所にいる女性)はその自信たっぷりな生き方が多くの女性に支持されて、アイドル並みの人気を誇る。彼女を取材するジャーナリストの女性とその親友の女性は、梶井真奈子と接するうちに、自分の生き方にだんだん自信がなくなり、自分の子供時代のトラウマが疼き、メンタルが崩壊する危機に瀕する。
女の人生の幸福と充実はどこにあるのか? 男性からお金を貢いでもらって、優雅に暮らすことか? それとも、キャリアを積んで自力で仕事で出世することか? それとも家族のために尽くす生活か? 3人の女たちの本音が炸裂し、時には読者(とくに女性読者)のマインドに「女の存在の痛さ」が突き刺さる。本書は世界で100万部以上売れたというから、本書で描かれている女たちの話には先進国に住む女性たちの琴線に触れる何かがあるのだろう。ちなみに、タイトルのBUTTERは、梶井真奈子が愛する食品、「バター」のことで、本書の中ではバターを使った料理の話がたびたび出てくる。
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスレー(1894~1963)著(光文社)
大昔から名前だけは知っていた小説をようやく読んだ。私は『すばらしい新世界』を昔の冒険小悦か何かと勘違いしていたが、今から約500年後の地球社会を描いたディストピア小説だった。
この社会は 遺伝子操作と人工的な教育(条件づけ)によって、あらかじめ階級が決められたカースト制 (指導者層から単純労働者層まで5つの階級)を採用し、
*生まれる前から遺伝子操作で階級が決まる
*幼児期の睡眠学習(条件づけ)で階級に満足するように教育される
*階級間の移動は不可能
*階級ごとに「幸福」が設計されているため、反抗心が生まれにくい
*生まれる前から遺伝子操作で階級が決まる
*幼児期の睡眠学習(条件づけ)で階級に満足するように教育される
*階級間の移動は不可能
*階級ごとに「幸福」が設計されているため、反抗心が生まれにくい
(青線の部分は、AIによる解説)
まあ、そういう社会だ。この社会では、快楽(セックスとドラッグ)はやりたい放題で、「結婚」とか「母親から生まれた」という概念はほとんど古語か猥褻語である。厳格な階級性にもかかわらず、人々は不幸を感じないように、自分の階級に満足するようにプログラミングされている。しかし、すべてが良さそうに見えるこの社会でも、異端(たまたまの偶然で普通に母親から生まれた人)が出てきて、社会のありように疑問を呈する。
20世紀に書かれたもう1冊の有名なディストピア小説、ジョージ・オーウェルの『1984年』は恐怖と力によって抑圧された超監視社会(←北朝鮮のような社会)を描いているが、ハクスレーは快楽、気晴らし、道徳的退廃を通して人間が支配され、自由がなく、支配されていることにも不満を感じない社会を描いている。
ディストピア小説を読んだあとは、まだ『1984年』にも、『すばらしい新世界』にもなっていない(でもひょっとしたら将来なるかもしれない)、私たちが今生きている現在の社会――私たちが政治、経済、社会、自分自身の状況にあれこれ不満を言い合っている社会が、「非常にありがたい理想の社会」(笑)に思えてくるから不思議だ。
『西洋の敗北 』エマニュエル・トッド著(文藝春秋)
ウクライナにロシアが侵攻したとき、全世界のほとんどが反ロシアになり、ロシア経済は長くはもたないだろうという感じの予想と印象が多くあった。しかし、予想に反してロシアはしぶとく持ちこたえている。本書によれば、ロシアの製造業は少なくともアメリカの製造業よりもはるかに優れているという。その理由は、ロシアでは、優秀な人材が製造業に集まっているのに対して、アメリカでは優秀な人材はほとんどが金融、ITに集まり、製造業には人材が集まらず、製造業が衰退したからだ。トランプ大統領が、「アメリカの製造業に投資をしろ」と各国に強制しても、そもそもアメリカの製造業に人材がいず、しかも、衰退した製造業を再び育てるには長い時間がかかる。
本書はそれ以外にも様々なデータから(出生率、乳児死亡率、識字率、自殺率、製造業の様々なデータなど)から、アメリカを含む『西洋の敗北』を予言する。長年、適格なデータ分析で世界情勢を予言してきた学者の言葉には説得力がある。そして、その敗北が予想されている国に、日本はこれから80兆円の投資(親分への上納金のようなもの)をするらしい……
著者のエマニュエル・トッドはフランスの人口統計学者、歴史学者で、本国ではその歯に衣着せぬ発言でバッシングを受けたり、英語圏では翻訳が少なくあまり知られていないらしいが、なぜか日本の出版界、知識人の間では非常に人気で、よく名前を見かける。
『世界はシンプルなほど正しい』ジョンジョー・マクファデン著(光文社)
「オッカムの剃刀」という有名な言葉がある。それは14世紀のイングランドの哲学者・神学者ウィリアム(オッカム村のウィリアム) に由来するとされ、複雑な宇宙に剃刀を当て、「不要な仮定を切り捨て」、「単純なものを複雑にしない」という考え方のことだ。
本書は、その「オッカムの剃刀」という有名な考え方が過去500年間の西洋の科学の中でどんなふうに役立ってきたのか、物理学、化学、生物学などの豊富な例を挙げて解説した本。最後に書かれているある有名な科学者の言葉に私は非常に共感した。「あらゆる物事の裏には間違いなく、単純で美しい考え方が潜んでいて、10年か100年かけてそれが理解できたときには、きっと誰もがこう言い合うだろう。それ以外の考え方なんてできるだろうかと」。
『地政学』社會部部長著(サンマーク出版)
地政学とは、地理的な条件に基づいて、国家間の関係性や国家戦略、政治・軍事・経済への影響などを分析・考察する学問分野(以上AIの説明)で、最近は本も多く出版され、地政学は国際的な事柄に関わる人たちには必須の学問となりつつある。本書は、Youtubeで人気になった動画の書籍化で、何の予備知識もない素人が読んでも非常にわかりやすい。
本書に書かれている、「地形的に見ると、アメリカもロシアも中国も弱い。だから、戦争をやめられない」の話は非常に明確で、なぜ中国が台湾にあれほど執着するのかも本書を読んで非常に納得した。
(国家が戦争に巻き込まれないために)、本書では最後に地政学の観点から下記の提言がされている。
*「国は地理の囚人。地形的制約に揉まれながら、自らの生存する道を見出すべき」
*「潜在敵国を絶対的悪者と見なさないこと」
*「理想と現実を踏まえた上で行なうべきことは、話し合い」
*「潜在敵国を絶対的悪者と見なさないこと」
*「理想と現実を踏まえた上で行なうべきことは、話し合い」
高市首相にもあらゆる国に対して、「潜在敵国を絶対的悪者と見なさず」、「理想と現実を踏まえた上での話し合い」をお願いしたいものだ。
[昨年出版された本]
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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政治家のポジティブ・シンキング ― 2026年02月02日 09時03分59秒
[お礼]
新刊『頭がないということ』を購入・購読してくださった皆様にお礼を申し上げます。
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年2月15日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月26日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年2月19日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年3月1日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
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U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(33)
2月は日本の現役世代の国民が一年で一番忙しい季節である――年度末・学期末・学年末の準備、子供の受験、確定申告の準備、そして雪国は日々の雪かき――で超忙しい。私はフル現役ではないが、2月はけっこう忙しいし、雪国住まいになったので雪の日は不要不急の外出をなるべく控えている。
この国民が大忙しの寒い時期に、わずか1年3カ月で衆院解散、2月総選挙を決めた高市首相の決断は、どう見ても国民のためというより、彼女の高揚した政治的パフォーマンスだ。「高市早苗に、国家経営を託していただけるのか」とか、一人で盛り上って、ヒロインになりたがりすぎ(笑)。
「国民不在、選挙目当ての政治、永田町の論理に、終止符を打たねばなりません」と彼女は言うけど、少なくとも雪国の人たちには大迷惑な選挙で、それだけでも国民不在、労働力・税金(選挙に約700億=国民一人あたり約500円、かかるそうだ)の無駄遣いではないか!……極寒の大忙しの季節の解散・総選挙の決定に私も500円分怒っている。
高市首相が公けに語るとき、ポジティブなキラキラする言葉が並び、それらは聞いているだけなら耳には心地よいし、誰も反対できない言葉だ。
「日本列島を、強く豊かに」
「挑戦しない国に、未来はありません」
「守るだけの政治に、希望は生まれません」
私だって、「挑戦しない人に、楽しい老後はありません(笑)」と、日々なるべく新しいことに挑戦している――新しい料理、新しい体操、母を寝かしつけるための新しい方法、最近は雪道をスムーズに歩く方法など。
思い出せば、こういったキラキラしたポジティブな言葉を語る人たちが私のまわりにたくさんいた時期があった。1990年代頃のことである。彼らは明るく希望に満ちた言葉を並べ、自分自身について典型的なポジティブ・シンキングで、おまけに野心的。ただ話したり見たりしているだけなら、彼らはとても魅力的で楽しく素敵な人たちだった。
その時期、私は気づいたことがある。人が一般的にポジティブ・シンキングと言われているものを採用するとき、私たちのマインドが陥るある種の罠があることに。それはポジティブな言葉や観念を繰り返すと、自分のマインドがどんどん高揚し、自分がその言葉通りのポジティブな人間であり、自分の言葉がまるで簡単に実現するかのような気分になる、ということだ。
しかし、実際は自分の観念と現実が乖離していることが多く、自分の現実はほとんと変わらず、私たちはたいてい信じていることとは正反対の現実に直面する羽目になる。そして、私たちは自分を奮い立たせるために、また別のエナジー・ドリンク(ポジティブな言葉と思考)が必要になる、というわけだ。「ポジティブ・シンキング」という方法をしばらく試したあと、スピリチュアル系の人たちは「ポジティブ・シンキング」を卒業する人たちが多いが、自分への強大な信仰を持ち続けられる人は何かのカリスマ的リーダーになれる。
さてさて、高市首相は自家製エナジー・ドリンク(ポジティブな言葉と思考)と市販のエナジー・ドリンク(国民の人気)の両方を大量に飲んで(無理して)元気そうではあるが、彼女の高揚感はいつまで続くだろうか? そして、彼女のポジティブ・シンキングがもたらす結末と運命はいかに……昨日は、雪の中、期日前投票に行ってまいりました(苦)
参考サイト(過去のシンプル堂のブログ)
[昨年出版された本]
*『自己覚醒へのマスター・キー』
[一昨年出版された本]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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お礼 ― 2025年12月25日 15時26分59秒
[お知らせ]
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売されました
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(29)
[お礼]
一年間、ブログを読んでくださった皆様、Youtubeを視聴してくださった皆様、そして、本を購入・購読してくださった皆様、その他様々な形で活動を支援してくださった皆様に感謝します。それでは、皆様、楽しい年末年始をお過ごしください。来年は、2月頃からブログを再開する予定です。
[今年出版された本]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(3) ― 2025年12月03日 15時28分37秒
[お知らせ]
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
発売予定時期:2025年12月中旬
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」
2025年12月14日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年12月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)
3『頭がないということ』に書かれている内容について
(1)20代の長い熱心な探求を経て、30代の初めに、ハーディングが自分には「頭がない」ことを発見した経験。
(2)「頭がないこと」がどういう意味があるかについて、様々な角度からの考察
(3)「頭がない方法」と禅との共通性
(4)「頭がない方法」とその他の伝統的宗教との共通性
(5)『頭がない方法』を実践することについて
(6)「知らないこと」のパワー
(7)「自己覚醒する存在(神)」の神秘と奇跡について
(2)「頭がないこと」がどういう意味があるかについて、様々な角度からの考察
(3)「頭がない方法」と禅との共通性
(4)「頭がない方法」とその他の伝統的宗教との共通性
(5)『頭がない方法』を実践することについて
(6)「知らないこと」のパワー
(7)「自己覚醒する存在(神)」の神秘と奇跡について
以上の内容が、非常にコンパクトにまとめられている。
私が「頭がない方法」を実践(練習)し始めてから、35年以上の年月がたつ。この間、ハーディングが4章「話を現代化する」で書いていたことと似たようなことを私も経験し、それはときには苦痛で、時には驚きで、ときには喜びであった。そしてこの間、私は謎解き大好き人間なので、彼の????の言葉の謎解きに没頭し、その謎を考えることは苦痛ではなく、長い間の私の娯楽(笑)だった。
たとえば、本の中や実際のワークショップ、その他一緒にお茶を飲んでいたときなどに、私が最初????と思ったハーディングの言葉には、思い出せば次のようなものがある。
*私が自分自身を見れば、「頭がない」。
*私が飲むお茶は味がするが、他の人たちが飲んでいるお茶は(私にとっては)味がしない。
*目の前のチョコレートが、ここに消えたとたん、視覚から味覚に変わることは、何という不思議か!
*私が目を閉じれば、世界が消滅し、目を開ければ、世界が再創造される。
*時間(時計)が読めないところでは、時間がない。
*私が飲むお茶は味がするが、他の人たちが飲んでいるお茶は(私にとっては)味がしない。
*目の前のチョコレートが、ここに消えたとたん、視覚から味覚に変わることは、何という不思議か!
*私が目を閉じれば、世界が消滅し、目を開ければ、世界が再創造される。
*時間(時計)が読めないところでは、時間がない。
これ以外にもたくさんあるが、あまりにも当然のことを言いながら、それが本当は当然ではないという驚愕というか不思議というか。私にとっては彼の言葉は「禅問答」、公案だった。
ハーディングは生涯非常にたくさんの本を書き、ワークショップその他でたくさんの話をしたが、結局彼が一番伝えたいことは何なんだろうかとちょっと考えてみた。それはたぶん、上記に書いた(6)、(7)に行き着くだろうと、私は感じている。ハーディングは10代の頃から、「私」と世界がそもそもどうして存在するのか非常に不思議に思っていたという。存在、「在る」ことの不思議、それが彼の探求の始まりだった。そして長い探求を経て、中心には「頭がないこと」を発見し、さらにその中心について深く深く探求研究し、「私」と世界の存在の神秘と奇跡という答えにたどり着いた。
しかし、彼が『頭がないということ』の4章で語った神秘と奇跡は、普通の人たちが思い描く神秘と奇跡とはまったく異なる。ふわふわした霧に包まれたような神秘ではなく、明白な現実に支援されている神秘と奇跡。それをハーディングは有名なヴィトゲンシュタイン(オーストリア・ウィーン出身の哲学者。1889年~1951年)の言葉を引用しながら、次のように述べている。
〔世界がどうであるかは、より高いものにとってはまったくどうでもいい。神が姿をあらわすのは、世界のなかではない……世界がどうであるかということが、神秘なのではない。世界があるということが、神秘なのだ。」(『論理哲学論考』ヴィトゲンシュタイン著 丘沢静也訳 光文社古典新訳文庫 2014 p.143)。さらに私なら、これを次のように発展させるだろう。「真に神秘的事実は、『神』(またの名を「自己覚醒する存在」)が存在し、神の出現後、神の世界が存在していることは、それほど注目すべきことではなくなり、当然のことになったことである](4章『話を現代化する』125P)
冬休みにゆっくりと読むにふさわしい本なので(しかも、薄い!)、ぜひ多くの皆様に読んでいただければ、うれしく思います。
[今年出版された本]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(2) ― 2025年11月07日 09時07分36秒
[ひよこ豆様:ご質問への回答]
今回の本は、紙の書籍です。現在のところ電子書籍版は未定です。
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎2025年12月1日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)
2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」
2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)
2 On Having No Headとの出会い
今回は私と『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(On Having No Head ―Zen and the Rediscovery of the Obvious)(1994年に『心眼を得る』というタイトルで出版された本の再版)との「出会い」について書いてみたい。
まさに「出会い」――その出会いは、今から37,8年前に起きた。たまたま読んでいた本に、On Having No Headの翻訳された一節が紹介されてあったのだ。私はその文章を何度も読み返しては、「頭がない」とか、なんか変なことを言っているなあと思いながら、でも何かとてつもなく重要なことを語っているという印象をもった。それでなんとか原書の本を手に入れ、初めから読み始め、紹介されていた「指差し」実験をやってみた。最初は???だったが、何度かやったとき、突然開眼した(笑)。
「そういうことだったんだ!」と、過去に私が理解できずに格闘してきた『般若心経』、J.クリシュナムルティ、『なまけ者の悟り方』などの言わんとしたことの要点が一気に見えた(感じがした)。
そして、ハードな修行が嫌いで、坐ってやる瞑想もほとんどやる気がでない私を喜ばせたことは、いわゆるハーディングのワークは:
*辛い修行不要
*先生と宗教的信仰不要
*お金と時間不要
*先生と宗教的信仰不要
*お金と時間不要
という点だった。ただ「見ればいい」。その手軽さ気軽さが何よりも私の気質に合っていた。
そして、私がOn Having No Headも含めてハーディングの本を何冊か読んで最初に理解したことは:
*スピリチュアルな人たちが話題にする「悟り」とか「目覚め」とか「完璧さ」とは、目標ではなく、出発地点だということだ。私たち全員が本質的には「すでにそれ」であり、「そこから出てきている」。
*だから、人として私たちがスピリチュアル的に何かになる―たとえば、「悟った人」、「目覚めた人」、「完全な人」、「スピリチュアル的に何か高い境地にいる人」になることは、どんなに努力してもあり得ない。人間としての自分は永遠に不完全な存在であり、それでOKなのだと。
*だから、人として私たちがスピリチュアル的に何かになる―たとえば、「悟った人」、「目覚めた人」、「完全な人」、「スピリチュアル的に何か高い境地にいる人」になることは、どんなに努力してもあり得ない。人間としての自分は永遠に不完全な存在であり、それでOKなのだと。
以上のことを理解して、自分を何かの理想の高見に引き上げようとするスピリチュアル的努力は一切無駄で、「要するにまあ、人は自分のしたいこと、楽しいと思うことをして好きに生きればいいのだ」ということを改めて(それまでもそう思って生きていたが)確信した。
最初の数年、On Having No Headも含め、数冊のハーディングの本(の原書)を熱心に読み、それからは熱が冷め、時折読んではハーディングが言わんとしていることを少し考えるくらいだった。もしハーディングその人に直接出会わなければ、彼の本を私が翻訳したり、「頭がない方法」を他の人たちと分かち合うなどという活動は起こらなかったことだろう。
ハーディングその人との出会いも偶然で突然だった。たぶん1994年のことだったと思うが、彼がまだ生きていて(当時85歳)ワークショップなどの活動をやっていると知り、なぜかこの人にどうしても会いたいという衝動のようなものを感じた。それでその年の夏のワークショップに参加するために、はるばるアイルランドまで飛んでいった。
彼のワークショップは、その当時日本で流行していた、自己啓発やチャネリング系のセミナーやワークショップとはまったく異質ものだった。しかもワークショップの金額が格安で驚いた。そのワークショップでは、何かを教える先生と何かを学ぶ生徒という関係もなく、長年ワークをやった経験者と初心者という区別もなく、何かを達成することも獲得することも引き寄せることもなく、ただ「在る」だけの時間がゆるく平和に流れていた。
そのワークショップでハーディングから、「よかったら、私の本は何冊もあるから、日本で出版してほしい」と言われた。内心、英語が難解すぎて自分の能力に余るし、その他様々な理由から無理とは思っていたものの、著者から翻訳を頼まれるなんて機会もそうあることではないと思い直し、一番薄い本(The Little book of life and Death、『今ここに、死と不死を見る』)を翻訳して出版することにした。本当は、On Having No Headにしたかったのだが、私がハーディングに出会った頃、ちょうど日本の別の出版社が翻訳権を買ったばかりということで、残念ながらその願いはかなわなかった。
そして今、長い間絶版だったOn Having No Headの再版がようやく実現することとなり、ほっとしている。たぶんOn Having No Headへの私の理解も翻訳能力も30年前よりは多少向上した( I hope)と思われるので、様々なことが30年の時を経て成熟した状況での出版となり、喜んでいる。
今、改めてOn Having No Headを読み直してみると、特に第4章「話を現代化する」の内容を当時私は本当にはよく理解していなかったことがわかる。ヴィジョンは変わらないが、理解のほうは長い間、実験を練習し、ハーディングの言葉を読みながら、少しずつ湧き起こった感がある。
そして、ハーディングも書いているように、そしていつも言っていたように、実験そのものはシンプルであるのに、そのヴィジョンを生きることは決して簡単ではないし、多くの困難や障害にも出会う。まして、このヴィジョンを分かち合うことはなおさらだ。
それでも、なぜか続いた不思議な縁……最初に開眼したあの日と同じように、今この瞬間もこのヴィジョンは、無知という「神秘」(あえてこの言葉を使えば)に包まれて、平凡に普通に輝いている(合掌)。
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
販売サイト
*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(1) ― 2025年10月26日 10時04分46秒
[イベント]
イベントの詳細・予約は下記へ
◎2025年11月29日(土)と12月1日(月)出張シンプル道コンサルティング(東京)
◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都新宿区)
2025年11月30日(日曜日)午後1時20分より午後4時半頃まで
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2025年11月9日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月20日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──実験と瞑想の会」
2025年11月13日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年11月23日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(24)
今回からもうすぐ出版が予定されているダグラス・ハーディング(1909~2007)著、『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』(On Having No Head ―Zen and the Rediscovery of the Obvious)(1994年に『心眼を得る』というタイトルで出版された本の再版)を紹介したい。
今まであちこちでハーディングの教えや彼について書いてきたので、重複する話が多くなるが、本ブログの読者の皆さんのために下記の三つに重点をおいて書く予定である。
1On Having No Headが書かれた経緯
2On Having No Headとの出会い
3On Having No Headに書かれている内容について
2On Having No Headとの出会い
3On Having No Headに書かれている内容について
1On Having No Headが書かれた経緯
ダグラス・ハーディングは第二次世界大戦後、建築の仕事を休んで、大著『The Hierarchy of Heaven and Earth ―A New Diagram of Man in the Universe (天と地の階層――宇宙における人間の新しい図解)を書きあげた。出版界に縁のなかった彼であるが、その原稿を読んだ当時のイギリス文学界の重鎮C.S.ルイス(イギリスの作家。1898~1963)がその内容を絶賛し、彼の後押しで1952年にそれは出版された。それから、大衆的雑誌、『サタデー・イブニング・ポスト』から原稿の依頼がきて、その依頼に応じて書いた2つの原稿の一つがOn Having No Headだった。
二つのうち一つの原稿は雑誌に掲載されたが、On Having No Headの元となった原稿は、友人たちが「『私には頭がない』なんていう書き出しで始まる文章は一般雑誌にはふさわしくない」と警告したので、当時会員だった仏教協会に頼んで出版してもらった。これは1960年代の話である。
初期の頃の版には下記の3つの文章が掲載されていた。
第1章 真に見ること
第2章 「見ること」を理解する
第3章 禅を発見する
第2章 「見ること」を理解する
第3章 禅を発見する
それから、1980年代に第4章「話を現代化する」を付け加え、この章では彼が30代の初めに自分には「頭がないこと」を発見してから40年以上、「頭がないことを」を自ら実践し、それを他の人たちとも分かち合ってきた経験の詳細が語られている。具体的には、単純なヴィジョンの背後にある奥深い神秘、キリスト教、仏教、インドのアドヴァイタなどの教えと深く共通する点、そして、日常生活への影響、他の人たちに伝えることの困難、そして「頭がないこと」を実践する人たちに降りかかる障害について、幅広く様々な角度から書いている。
ハーディングは本書のあとも様々なことをテーマにたくさんの本を書いたが、On Having No Headには、それらすべての本の内容が要約されていると言っても過言ではない。短い本(約100ページ)の中に非常にコンパクトに内容がまとめられ、そして、一般雑誌向け原稿だったということもあり、彼の文章にしては比較的平易な文体で書かれている(と思う)。(←比較すれば、『The Hierarchy of Heaven and Earth』の本などは、最初読んだとき、宇宙人が書いた英語かと思ったくらい、ハーディングの英語は私には難解に感じられたし、今でも難解である)
On Having No Headでハーディングは、中国、日本の著名な禅僧たちの言葉にも言及しているので、欧米では禅を学ぶ人たちの間でも広く読まれ、現在まで彼の本の中では一番売れているロングセラーとなっている。
[今年出版された本]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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秋の神輿祭り ― 2025年10月03日 10時29分34秒
[ハム様へのご質問の回答]
ラメッシ・バルセカールの本の翻訳は、いちおう予定はありますが、出版が実現するかどうかは現時点ではまだ未定です。期待しないで待っていただければありがたく思います。(シンプル堂)
[新刊案内]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
昔は、政治のことを政(まつりごと)と呼んでいた時代があった。そして、政(まつりごと)は祭り事でもあったのだ。その「祭り事」の意味は、現代私たちが普通に使っている「祭り」という言葉とは、意味が異なるが、しかし、国政の政治家とは祭りの神輿の一番上に乗る人たちと考えるとわかりやすい。
では神輿を担ぐのは誰かと言えば、仲間の政治家であったり、マスコミであったり、一般国民であったりする。だから、神輿の上にいる政治家の皆さんは、「私は〇〇をやります」、「私は〇〇を達成します」と勇ましく叫ぶけれど、彼らの言葉はまず実現しない。なぜなら、実際神輿を動かしている人たちは別の人たちであり、そもそも根本的に日本という国を動かしているのは、政治家の言動ではなく、国民の思考と労働力である。国民が考え、働かないかぎり、国家はまわっていかない。
さて先日、真山仁さんという作家の方のインタヴュー記事をネットでたまたま読んだ。彼の最新作『アラート』(新潮社)についてのインタヴューで、本書は日本を守るために防衛費の増額が絶対必要という信念の(女性)政治家が主人公(←ただし、「私は奈良の女です」の、あの女性政治家がモデルではないとのこと)の小説だそうだ。そして、たまたま今自民党総裁選のさなかということで、総裁候補についても話題が及んだ(私は真山仁さんの本は何冊か読んだことがあるが、この『アラート』は未読)。
今回自民党総裁選に立候補している5人の中で一番人気の候補について、真山さんは、「彼は神輿が軽いから、誰でも担ぎたがる」と評していたが、言い得て妙である。
「軽い」ので、党内でも党外でも、老人も中年も若者も、「誰でも担ぎたがる」。つまり、人気がある。比較して言えば、たった一年で首相の座を引きずり降ろされた石破さんは、「神輿が重すぎて、誰も担ぎたがらない」。特に党内での不人気(嫌われぶり)は致命的で、まあ、今までずっと本ばかり読んで考えてきた人の弊害で、人間関係をうまく築くことができなかったのだろうと思う。
老人人口が30%も占める体力のない老人大国では、担ぐ神輿は軽いほうが好まれ、いいのかもしれない。でも担いでいる人たちは信念も体力もなく適当に担いでいるので、軽い神輿であっても、あっちへふらふら、こっちへふらふら迷走し、あげく神輿に乗っている人が落っこちるなんて事故も起きる可能性も。そして、アイドルを追いかけるように、その迷走神輿を追いかけているマスコミは何かが起きるたびに大騒ぎし、「お祭り」状態になる。
そんなつまらない想像をする程度しか私は政(まぐりごと)には関心がないけれど、それより今年も大好きなリンゴ(シナノドルチェ、シナノスイーツ、名月、秋映など)の季節(私にとってはリンゴ祭りの状況)が来て、スーパーにリンゴが豊富に手頃な値段で並んでいるのを見てほっとし、感謝している今日この頃である。
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
販売サイト
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』2 ― 2025年09月02日 06時19分52秒
◎オンライン「私とは本当に何かを見る実験の会」
2025年9月21日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究─世界の出現」
2025年9月13日(土曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2025年9月18日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
[
新刊案内]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
[電子書籍版発行]
*『頭がない男』電子書籍版
価格:1,980円(税込み)
知られざる天才哲学者、ダグラス・ハーディングの生涯と哲学をイラストと文章で描いたグラフィック伝記。
〔Youtube]
U.G.クリシュナムルティ『悟りという謎』(20)
今年の3月から開始したU.G.クリシュナムルティの『悟りという謎』(The Mystique of Enlightenment)という本のYouTube 番組も、先日の20回目でだいたい三分の一が終わった。正直に言えば、翻訳しながら彼の言っていることは理解不可能なことも多いし、彼がインドの霊的伝統、そしてスピリチュアルな修行そのものを激しく否定する言葉は、一部の人たちには不快感さえ与えるかもしれないとは思う。そしてまた彼の生まれ育ち、人生は、私たちのように普通の生活を送っている者たちにとっては、あまりに特異で想像しがたく、共通することがほとんどない。
彼がそれほどインド的伝統的霊性やスピリチュアルな修行を否定する背景には、彼の子供時代の生育環境が非常に影響していると私は感じる。前にも書いたが、無理やりやらされたことは、あとでそれに対する反発が非常に強くなる。普通だったら、平凡で楽しい子供らしい日々を送れたはずが、何一つ子供らしく遊ぶことも許されず、修行、修行、修行の日々。
しかし、彼は同時に並外れた知性、すべてを疑う反骨精神にも恵まれていた。その知性と反骨精神で自分のまわりの大人たちを冷静に冷徹に観察し、悟りやら何かを求めて瞑想修行をしている人たちは何かおかしいと次第に思うようになる。
そして長年の探究、苦しいほどの自己質問(自分の質問を自分へ問うこと)を経て、彼は最後に、自分の覚醒体験は、自分がやらされた修行とは何の関係もないことを理解し、自分の長年の修行は無用だった、そして、悟りを求めて多くのことを犠牲にして修行をしているインド人は、無駄なことをやっていることに気づく。
『悟りという謎』はそんな彼が仕方なく話したことをまとめた本なので、「私の話を聴くことは無駄だし、誰の話も役に立たない」という、いつも身も蓋もない話になる。
それでも彼が「私の話を聴くことは無駄だし、誰の話も役に立たない」以外に、繰り返し語っていることがある。それは「一人一人の人間はユニークであり、途方もない知性に恵まれている」ということだ。そして、その知性が活動することがゆるされている状態が、彼がいういわゆる「自然の状態」ということになる。
3章「人間の外にはパワーはない」の冒頭でも彼はこう言っている。
「私が話すことの全目的は、一人一人の個人のユニークさを人々に指摘することである。文化とか文明とかあなた方が呼んでいるものは、常に私たちを一つの枠組みに合わせようとしてきた。人間はまだまったく人間ではない。私はそういった人間を『ユニークな動物』と呼んでいる。人が文化という重荷を背負っているかぎり、その人間は『ユニークな動物』に留まる」(『悟りという謎』より)
インドにかぎらず、どこの社会や文化にも一人ひとりのユニークな知性を抑圧しようとする途方もない圧力がある。それはなぜなのか? もし興味があれば、それを問いかけて、自分の知性からの答えを待てば、なぜ私たちが人間動物という「不自然な状態」で生きているのか、そして、U.G.のいう「自然の状態」への理解が開かれるかもしれない。
これから3章は、インド人の教授らしい人がU.G.に質問し、それに彼が答えるという形式で進行する。そのインド人の教授がインドの霊性や文化を一生懸命持ち上げよう(笑)と質問するのに対して、U.G.は、「インドの霊性や文化なんて経済的貧困しかもたらさなかった」とバサバサ切り捨てている(←現在インドは昔よりかなり豊かになったが、このインタビューがおこなわれた1980年当時はまだ貧しかった)。
こんな感じの話ですが、あと残り三分の2、気が向いたらご視聴ください。
[一昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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