「奇跡のコース」 ― 2011年01月22日 13時33分03秒
皆様、少々遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年も、気楽にきままに平和にブログを書いていきたいと思います。お時間のあるときに、お付き合いください。
すでにご存知の方も多いと思うが、昨年末、キリスト意識をチャネリングした本として有名な「奇跡のコース」 (原書タイトルA Course In Miracles)(ナチュラルスピリット発行)の前半部分がようやく出版された。もうかなり以前から日本でも本書の存在は有名であったのだが、翻訳の困難、版権等の問題がいろいろとあったらしくて、その出版がなかなか実現しなかった。
この本には、一つ奇妙な思い出がある。今から十数年の前のある日(だったと記憶している)、私のところへ見知らぬ年配の人から電話があって、「冥土のみやげに、『コース・イン・ミラクル』の本を全部翻訳したのだが、せっかく翻訳したので、他の人たちにも読んでもらいたいと思うので、よかったら、私の翻訳を使って出版してもらえないか?」という依頼であった。
私が、「よくあの本を翻訳されましたね」と言うと、その方は、
「私は実は、英語はほとんどできないけれど、英語ができる自分の子供に手伝ってもらって完成することができた」と言う。
その言葉に私は本当に驚いたものだった。仮に英語ができても、「コース・イン・ミラクル」の翻訳は難しい。それが、英語がほとんどできない人が誰かに手伝ってもらったとしても、翻訳を完成できたとしたら、それこそ「奇跡」である。「コース・イン・ミラクル」の本だから、キリストがゆるせば、それもあり得るかもと思いながら、その依頼をていねいにお断りした経緯がある。
「奇跡のコース」の目的は、(私の理解によれば)、本書の最初に書かれている、
実在するものは、存在を脅かされることはありません。
非実在なるものは、存在しません。
ここに「神」の安らぎがあります。
以上の3行に要約される知識を認識するためであり、そのためにこの膨大なコースは創造されている。
アメリカには本書の学習に一生をかけている人たちがたくさんいると聞く。一生をかけるだけの分量と内容の深さを備えている本であり、素晴らしい本なので、本で修行・瞑想をしようと思う人たちには、お勧めはするが、ただ、やはりキリスト教的な独特の言い回しや表現のせいで、(キリスト教の遺伝子がない)ほとんどの日本人には、かなりの読むにくさがあるのではないかという印象を受ける。
私もこの二十年ほどの間に、「奇跡のコース」の本の原書を数回通読してみたが、正直な話、私向きの本ではないことを理解した。聖書を読んだり、キリストの教えについて考えたりすることは好きではあるけれど、1ページ1ページ1行1行最初から丁寧に読まないといけないコース的本が私は苦手だ。それにあの厚さ(!)(邦訳前半だけで、約950ページある)。手にもって読むことができないので、机の上に広げて読まなければならない。キリスト意識さんよ、もっと薄くてコンパクトな本にはできなかったのか?(愚)などと、どうでもいい思考がわいてくる。
キリストの教えについては、私自身は主に、新約聖書、それからダグラス・ハーディング、そして、20世紀前半にアメリカで活躍したキリスト教神秘主義者、Joel・S・Goldsmithの著作から学んだ。
ということで、今年は、「奇跡のコース」の出版を祝して、キリストの教えでスタートしたいと思っている。次回は、キリスト教でしばしば語られる、神のパワー、ゆるし、祈り、「悪に抵抗してはいけない」等の概念が何を意味しているのか、私が理解したことを書く予定である。
[イベント]
2011 年1月30日(日)午後
「私とは本当に何かを見る会」 (東京)詳細は下記のサイトへ。
コメント
_ kamawanai ― 2011年01月22日 20時02分33秒
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自分なりに聖書を読み、理解するのって楽しいですね~。