ネタキリ疑似体験2011年10月07日 13時41分43秒

父のことでバタバタしていたら、季節はすっかり夏から秋になってしまった。最近では、猛暑からいきなり晩秋みたいな変化が多くて、そういった気温の急激な変化も、体にはストレスになるような感じである。

私の人間マシンもこの間、具合が悪くなって、しばらくダウンしていた。私は大人になってから、具合が悪いときに、歯医者を除いて、ほとんど医者に行ったことがなく、たいていは静かに寝て、症状がおさまるのを待つだけにしていた。が、今回は病気がダブルでやって来たので、医者に診てもらい、薬を処方してもらった。軽症ではあったが、それでも二日間ほど、高熱でネタキリ状態になった。

自分が一時的にネタキリになって、入院していた頃の父のことを思い出した。父も、一時、寝ているのが一番楽な状態になって、体を動かすのも、食事をするのも、トイレに行くのも、すべてが苦痛というか面倒な状態になって、このままほっておくと、体の最低の機能は回復しても、ネタキリ状態になる可能性を家族は危惧していた。それで、嫌がる父に多少無理にでも、食事を食べさせ、テレビや新聞を見させ、体を起す練習・歩く練習をさせて、父はなんとか自力で歩ける状態で退院することができた。

私の場合は、体の全エネルギーが対ウィルスとのいわば「戦争」に動員されているせいで、入院中の父のように、横になって寝ているのが一番楽になって、体を起すとか、食事をするとか、歩くとか、そういう簡単なことにすらエネルギーがまわならないというか、それらをやろうとすると、信じられないくらいの大仕事となった。いつもなら、パクパク食べる食事も、ほんのわずかな量でも、見ているだけで、食べる意欲がまったくわかないのである。こういうときに、もしまわりから「食べなさい」とか、「体を起しなさい」としつこく言われたら、うるさいと思うはずと、入院中の父の気持ちを理解した。

病気の苦痛を、もちろん、私は好きではないが、でも、病気そのものには、ネガティブに対応しないことを心がけている。病気とは、私の観念によれば、何かのアンバランスの調整である。心身や人間関係、仕事、その他のおけるにアンバランス(それが何かを特定するのは難しいことが多いが)を矯正して、元に戻そうとするのが、病気の役割と、私自身はそんなふうにとらえている。あと、私の場合は、病気のときは、自分の人格の中の最低の部分が出てくることがよくあり、なぜか、その最低の奴と高熱の最中に高尚な対話をしたりしているのだ(笑)

現在は、ようやく平常の80%くらいまで回復したので、次回は、もうすぐ発売予定(シンプル堂が翻訳を提供)の本をご紹介したいと思っている。