ギリシャの危機・日本の危機 ― 2011年11月22日 20時25分17秒
1990 年代の後半のある年の夏、一度ギリシャに行ったことがある。ギリシャがまだユーロに加入する前のことだ。美しいエーゲ海の夕日と安価でおいしい食べ物とワイン、そして、陽気でのんびりとした人々の印象を今でも鮮明に覚えている。
最近、マスコミでやたらギリシャ危機が報道されるのを見て、(私の印象では)のんびりとしていたあのギリシャに何が起こったのか?と不思議に思い、何人かの経済専門家の書いた記事、本を読んで、「ギリシャ悲劇」を大まかに理解した。
悲劇の発端は、ギリシャがユーロに加入したところから始まる。たとえていうと、こんな感じの話になる。
生活レベルが中の下くらいのギリシャという家庭があった。生活は厳しかったが、貧しいながらものんびりと暮らしていた。あるとき、(娘か息子の結婚によって)そのギリシャ家に突然金持ちの親戚(ドイツやフランスなど国)ができた。そこでギリシャ家は思ったのである。「今日から私たちは金持ちの仲間だから、それなりの恥ずかしくない生活をしなければ」と。とはいえ、ギリシャ家はそれほど稼いでいるわけではないので、よりよい暮らしに必要なお金を金持ちの親戚に借金することにした。
その親戚(ユーロの金持ち各国)は、金持ちであるだけでなく、気前もいいので(しかし、本当はずる賢い)、ギリシャ家に向かって、「もちろん、これからは親戚なので、あなたにどんどんお金を貸してあげますから、好きなだけ借りてください。あなたは私たちの仲間になったのだから、ぜひもっといい暮らしをしてください」と親切に応じてくれた。
今まで、貧乏で信用がなかったので、お金を借りることに苦労していたギリシャ家は、裕福で親切な親戚が今までより安い金利でお金を貸してくれるという話に舞い上がって、イケイケドンドンでお金を借りまくって(つまり、ギリシャ国債を海外に売りまくって)、見かけ上の生活レベルの向上を推進した。時代は、アテネ・オリンピック前後の話で、オリンピック・バブルとも重なって、どれだけお金を借りても、「景気がいいんだから、借りた金はいつだって返せるさ」みたいな楽観論が国を支配し、ギリシャ家の人々は他人からの借金で、浮かれた生活を送っていた――暖かい国の人たちは、何事においてもたいてい、「なんとかなるさ」とよくも悪くも楽観的だ。
もちろんギリシャにかぎらずバブル景気というのは、永遠には続かない。景気はしだいに下降を始め、リーマン・ショックがやって来て、観光産業もその他の産業もどん底へ。気前のよかった親戚もさすがに、ギリシャ家の放漫経済運営と借金の踏み倒しを心配し始めて、今度はもっと質素な生活をするように苦言を呈するようになり、それに反発してギリシャ家の人たちが怒っているというわけだ。
同じような問題が、イタリア、スペインなどのヨーロッパの中流国にも波及して、それが今、世界が騒いでいるヨーロッパ経済危機の問題である。
現在のヨーロッパの経済危機、そしてアメリカのサブプライム・ローンの問題で浮き彫りになったのは、お金を貸す側の狡猾さと借りる側の無知と見通しの甘さだ。先日、90年代からリーマン・ショックまでの、世界の金融業界の裏側と彼らの驚くべき錬金術を描いた「インサイドジョブ――世界不況の知られざる真実」というドキュメンタリーDVDを見ていた。その中の一人の登場人物曰く、「何もないところから、大金を生み出す誘惑に誰も勝てない」のだそうだ。
そんな錬金術師たちの魔の手が、私のところへも伸びてきている(笑)。ここ数年、買い物しているお店でよくこう声をかけられる。「クレジット・カード、お作りになりませんか?」クレジット・カードの誘いとは、「借金をもっとせよ」という誘いだ。どんだけ、世界にはカネが余っているんだか……
さて、ヨーロッパ危機と言いながら、実は、ヨーロッパ各国の債務は、GDP比で日本よりはるかに少ない。騒がれているギリシャでも借金はGDPの1・2倍(120%)くらいである。日本はといえば、国家の借金がGDPの2倍近くで、先進国最大である。それなのに、なぜ日本危機はまだ騒がれないかといえば、日本の場合は、国にお金を貸しているのは、外国ではなく、ほとんど日本国民だからである。
しかし、その日本国民も急速に老いつつあり、国家を財政的に支えるよりも、国家に支えてもらわなければならない人たちが急増している。自分の親が介護を必要とするようになったからかもしれないが、「老い」が、日本の目下の最大の問題・危機であることを実感する日々である。両親のまわりではどこでも、「老人の介護と病気」、そしてそれを支えている人たちの精神的肉体的負担と疲労が話題だ。
しかも、危機といっても、国家全体の老いも、個人の老いも誰も止められない。せいぜい自分にできることといえば、老親をユーモアと平和をもって見守り、親を介護するだけの体力を養い、自分がネタキリになる確率をできるだけ減らそうと思うくらいだ。ということで、運動嫌いだった私も、最近は運動を前よりも積極的にやるようになり、現在のお気に入りの運動は、音楽を聴きながらやる「踏み台昇降運動」で、自宅には踏み台がないので、売れ残った自著が入ったダンボールで代用している――お金がかからず、自宅で簡単にでき、脚力向上にも効果があるので、皆様にもお勧めします。
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ナチュラルスピリット発行 定価1800円+税
コメント
_ K ― 2011年11月27日 00時32分09秒
_ マサカズ ― 2011年11月27日 21時35分28秒
以前に紹介された大竹慎一さんの本を読んだので
思い出します。
世界が経済的焼け野原に向かっているような気もします。
確かヨーロッパあるいは中国が発端ではじまる感じで書かれてました。
空に向かってあがった玉は必ず落ちてきますのでどこで
落ち始めるのかが難しいと思います(中国)。
バーソロミューの1巻の195P「小さな嘘やだましの話」を
思い出します。
作用反作用法則は物理次元の話だけでなく人間の意識にも起きいて資本主義経済の中でも当てはまり
隠れておいしい思いは無理ですね。
人にもお金にも誠実にあることが求められるのかな。
思い出します。
世界が経済的焼け野原に向かっているような気もします。
確かヨーロッパあるいは中国が発端ではじまる感じで書かれてました。
空に向かってあがった玉は必ず落ちてきますのでどこで
落ち始めるのかが難しいと思います(中国)。
バーソロミューの1巻の195P「小さな嘘やだましの話」を
思い出します。
作用反作用法則は物理次元の話だけでなく人間の意識にも起きいて資本主義経済の中でも当てはまり
隠れておいしい思いは無理ですね。
人にもお金にも誠実にあることが求められるのかな。
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どこにコメントしたらいいのかわからなかったのでここにコメントさせて頂きます。
今日の昼間パソコンを見ながら「頭のない方法」を試したら成功?しました。
前髪と、眼鏡と、眼鏡のレンズを通したパソコンの画面を何もないところから見ているんです!
「なんじゃこりゃ?」と思った瞬間、その「なんじゃこりゃ?」も何もないところから見ているんです(笑)
その感覚があまりにも面白くて、そのまま散歩に出かけるとウォーキングしている人や犬や道路が自分の方に吸い寄せられてきて何もないところに消えていくんです。
色んなところで試してみたんですけど、自分が向いた方向に突然何もないところから世界が現れるという感じでとても不思議です。
これが何の役にたつのか今のところ全然わからないですけど、とにかく面白いです。
というか、頭のない方法を試して半日以上経ちますが「頭のある方法」が思い出せません。
とにかく面白いので、いろいろ実験してみます。突然のコメント失礼しました。