「世界は幻想である」 とは?(1) ― 2018年01月22日 09時34分00秒
皆様、明けましておめでとうございます。今年も気楽にお付き合いください。
今年はまず、非二元系の教えに関して、私のコンサルティングで皆さんによく聞かれる、 いくつかの質問について、(今まで書いたこととも重複するが)、書いてみよう。
最初は、「世界は幻想である」という、特にインド系の賢者が好んで使う観念についてである。
一般的非二元系の教えから、ここで「幻想」という言葉を定義すれば、
幻想とは:
1一時的である。
2それ自身で独立していない(何かの支えが必要である)
3実際には存在していない
2それ自身で独立していない(何かの支えが必要である)
3実際には存在していない
1の定義は理解するのはそれほど困難ではない。私たちの世界を構成するどんな物も生き物(人間物体を含む)も状況も感情・思考も永遠ではなく、始まり(誕生)と終わり(死)がある。
2の定義「それ自身で独立していない」という話は、3つのレベルがある。最初のレベルは、世界の中の物と生き物(人間物体も含む) は、他者との関係において存在しているということだ。これも自分の周囲を眺めて見れば、明らかである。
あらゆる物は他の物に囲まれ、接触して、支えられて存在している。物体Aは物体Bや物体Cとの関係においてのみ存在している。私たちが自分だと思っている人間物体でさえ、それは床や空間との関係においてのみ存在し、空気や食物の助け(支援)があって、生存を維持することができる。この定義の理解も困難ではないと思う。
「それ自身で独立していない」という定義の2番目のレベルの、非二元系の教えがいつも強調する、「私があるとき、世界はある」 あるいは、マハラジ流に言えば、「『私はある』という概念の一刺しが起こるとき、夢のように原因も理由もなく、世界は現れる 」というものだ。
逆から言えば、「世界は、私が存在していなければ、存在していない」
「私はある」という概念のない熟睡中は、世界がないという事実を考えてみれば、これも明らかであろう。
そして三番目のレベルの話は、「私は在る」という意識さえ、一時的であり、独立したものではなく、それは肉体の支援が必要で、「私は在る」の土台である(マハラジの言葉による)「絶対」の上に一時的に現れているものにすぎない。「絶対」に関しては、それがどんなものかを言葉で語ることはほとんど不可能であるにもかかわらず、Prior to Consciouness(意識以前)の本の中で、マハラジは「絶対」についてぎりぎり奮闘して語っている。
3の定義「実際には存在していない」も、言葉での説明が難しい。一番わかりやすいたとえは、「世界はテレビや映画の映像のようなもの」と言うことである。テレビや映画を見ているとき、私たちはそれを非常に現実に感じるが、しかし、実際は、映像は単なるイメージにすぎず、物や人物はそこには存在していない。
本当は、「実際には存在していない」という定義は、「私が思うようには存在していない」 と言うほうが正確でわかりやすいかもしれない。
「存在していない」と言うと、マインドは 「どうして私が見ているものが存在していないなどと言えるのか?」 と反論するはずだ。私が今目の前に見ている、パソコンも、コタツの上のカップも、コタツの向こうに見える仏壇も非常に「存在している」ように見える。確かに「存在しているように」見えるが、しかし私が想定しているように物は存在していないことは、ダグラス・ハーディングが紹介した実験を少しやることで確かめることができる。
私が今コタツから立ち上がって、コタツから数メートル離れたところから見れば、パソコンも、カップも、仏壇も微妙に大きさ、形が変わっている。私たちはそれがずっと同じままだと想定しているが、物は観察者から距離によって、姿形を変えたり、消えたり現れたりするのだ。この話は、定義1と2とも関連している。
以上の定義により、「世界が幻想である」とは、 言葉で説明すれば、
世界は一時的である。
世界はそれ自身で独立していない。
世界は実際には(私たちが思うようには)存在していない。
世界はそれ自身で独立していない。
世界は実際には(私たちが思うようには)存在していない。
ということである。
では、幻想の反対、現実(本質、絶対)とはどう定義されるのかと言えば、
・永遠である
・他の何の支援も必要なく単独である。
・実際に存在している。
・他の何の支援も必要なく単独である。
・実際に存在している。
そして、「私とは本当に何か?」という 非二元系の探求は、言葉を変えれば、「永遠で、単独で、実際に存在している」ものの探求ということでもある。
[イベント]
2018年2月18日(日)「マハラジ/ラメッシの教えと瞑想の会」
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3部 人生は、ド・アホでいこう!
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3部 人生は、ド・アホでいこう!
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