「差別するな」は正論ではあるけれど…2023年10月16日 09時48分12秒

[お知らせ]



*1994年10月に、バーソロミューが京都でおこなったワークショップの記録を下記で公開しています。(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(7)まで公開中。


*ジョエル・ゴールドスミス著『静寂の雷鳴』が発売されました。

本体価格:2,380円+税
本文ページ数:333ページ
発行:ナチュラルスピリット



先日公開した『バーソロミュー1994年京都ワークショップ』(7)の中で、長年、日本に住んでいる在日韓国人の人が、「自分は日本に長年住んで、差別を受けてきたが、(スピリチュアルな学びの中)で、差別する人たちも愛することが重要だと学んできた。しかし、日本人の差別意識がなくならないのはどうしてなのか?」という質問をバーソロミューにしている。

それから、今年の初めだったか、ネットで美輪明宏さんが、政府高官の同性愛に対する嫌悪発言に対してコメントしているのを読んだ。美輪さんが人気絶頂だった若い頃、同性愛であることを公表したら、人気は凋落するは、道で石を投げつけられるはで、ひどい差別を受けたそうである。でも美輪さんはありのままの自分を受け入れることを決心し、そういった差別に負けないように、強く生きてきたという話である。美輪さんは最後に、「犯罪を犯したわけでもなく、人を傷つけるわけでもなく、ただ同性を愛したからといって、それの何がいけないの?」という主旨の言葉でコメントを締めくくっていた。

それから、つい先日、生まれつき両腕と両脚がない先天性四肢欠損症の障害がある乙武洋匡さんが、「半袖を着てテレビに出演しただけで、『気持ち悪い』『長袖を着ろ』とコメントが来るけど、これが俺の身体だ。母から産んでもらった、大事な俺の身体だ。誰に恥じることもない。隠すこともない。これからも、この身体で生きていく。みんなの助けを借りながら」と発言しているのを読んだ。

在日外国人、性的少数者、身体障害者の人たちが経験しているこういった差別的言動は、別に日本の中だけでなく、世界共通、人類共通、そして、歴史上すべての地域と時代にもあることは、様々な時代と地域の話を読んだり、歴史を少し学んだだけでも、明らかなことである。リベラル派の人たちは「差別感情はいけない」、「差別するな」と言うし、それはもっともな正論ではあるし、社会の法律や制度が差別を少なくする方向へ進むのは正しいことだと、私ももちろんそう思っている。しかし、特定の何かに対する差別的感情(=「あれは、気持ち悪いとか」とか、「ああいう物(人)は見たくもない」のような感情や嫌悪感も含めて)は誰の中にもあるものではないだろうか? 私にもあるし、これを読まれている皆さんにだってあるだろうし、そして、「差別はいけない」と言っているリベラル派の人たちの心の中にだって、そして、差別された経験のある人たちにさえ、何かあるはずだ。

だから私は「差別するな」と言う前に、人がもつ人類共通の差別感情の起源はどこから来ているのか、なぜ人は人を差別するのか、そのあたりを理解することから始めるほうが、個人の人生にとっては役立つのではないかと思っている。それで、今日は、人間がもつ差別感情について、私が理解したことを分かち合ってみたい。

人がもつ他者への差別感情とはどこから生まれるのか? この問いに関して、あるとき参考になる話を読んだことがある。それは人の話ではなく、アリの話である。アリという生き物は、匂いにとても敏感で、自分の巣の中に、別の種類のアリが入り込んだときは、「異なる匂い」によって察知し、すぐにみんなで殺してしまうそうだ。

こういう状況のアリたちの感情(みたいなもの)を推測すれば、たぶんこんな感じだ。

「おーい、ここに変な匂いの奴がいるぞ。こいつは俺たちの仲間ではない。こんな奴をのさばらせておいたら、どんどん増殖して、俺たちが少数派になってしまったら大変だ。さっさとやっつけてしまおう!」

アリを殺し(暴力)へと駆り立てるものは、異種のものが増えて、強大になり、自分たちの生存への脅威になることへの恐怖心であろう。この話を読んだとき、「ああ、人間が他の人間に対してもつ差別感情の起源も、恐怖心なのかも」と、私は納得した――「自分とは異なる匂いをもつ者」への恐怖心。

それに加えて、人間には高度に発達した物事を区別し分析するマインドの機能がある。区別し分析するマインドの機能と集団生存本能(=自分たちの集団が生き延びるために、敵を攻撃する本能)のタイアップで、人類は他の生き物を凌駕し、地球の生き物の頂点にたった(つまり、生き物の勝ち組になった)わけである。だから、そう簡単には、「自分たちとは異なる匂いをもつ者」への恐怖心を、人のマインドからは追い出すことはできないのだと、そう今では私は理解している。

さらにそれに加えて、人間のエゴは集団の中の階級制度が大好きで、その中で上にあがったり、下に落ちたりという階級ゲームに中毒している。誰かを自分よりも下や上に見なければ、気が済まないエゴの性質、エゴの平等嫌い(笑)、それも差別感情を助長する。

まとめれば:
*「異なる匂いの者」への恐怖心。
*区別し、分析するマインドの能力。
*エゴが中毒している階級ゲーム。

この三つがタイアップして、人のマインドの中に差別感情が増殖するのではないかと。

私が自分の人生で、「自分とは異なる匂いをもつ者」への恐怖心を強く感じた瞬間を思い出す。それは20代のときに、アメリカで暮らしていたときの話だ。あるとき、知人の日本人の女性が彼女が付き合っている黒人のボーイフレンドを紹介すると言って、一緒に連れてきたことがあった。私はそれまで黒人の男性とすぐ間近かに対面したことがなく、しかも彼女のボーイフレンドはバスケットボール選手並みのとても大柄な男性だったので、最初に会ったとき、自分の前にそびえたつ感じで立っていたその黒人の男性を見上げたとき、一瞬強い恐怖心(何か非常に自分とは異なる生き物を見たような感じ)を感じたものだ。でも彼はとても感じのよい人だったので、話しているうちにその恐怖心はすぐに消えたが、それでも、「自分が人種に対して差別感情などないリベラルな人間だ」とそのときまで信じていたので、その一瞬の「恐怖心」はかなりショックだった。

バーソロミューは、『バーソロミュー1994年京都ワークショップ』(7)の中で、人は差別する側の痛み、そして差別される側の痛み、その両方の痛みに気づくことが重要だと言っている。もし私たちがスピリチュアルな探求者であれば、その痛みの気づきが、スピリチュアルな進化を推し進めるということになるのだろう。

ネットには、特定の人(たち)への差別的言動、ヘイト・スピーチを繰り返す人の話がよく書かれていて、最近では、(お金と時間はかかるが)発信者を特定でき、損害賠償を請求できるようになっているという――数日前の新聞にも、在日コリアン3世の人へのヘイト・スピーチを繰り返していた男性に2百万円近い損害賠償金が請求されたという記事が掲載されていた。私はこういう発言を繰り返す人たちは、ものすごく大きな恐怖心と、誰かを自分よりも下なものとして貶めたい劣等感に苦しんでいるのではないかと想像する。自分よりも誰かを下だと貶めて攻撃することで、自分が強い人間だと思い込みたいエゴの快感に中毒しているのだと思う。

最後に、世の中の差別的感情・言動に加担しないために、政治的ではたぶんないスピリチュアルな探求者として何ができるだろうかと考えたとき、私自身は、先ほどバーソロミューが言ったように、差別する側の痛み、差別される側の痛み、それをそのつど感じ尽くすことではないかと思う。私が長年感じてきたことは、(そのことは科学的には証明できないが)、自分の心の痛みに、いわゆる気づきの光を与えるとき、そのことは、世の中に出まわっている無意識の差別感情が暴力的言動へと実現するパワーを弱めるのではないか、ということである。



[昨年の発売された本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

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海外の方は、USアマゾンからもダウンロードできます。
『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』
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『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うためにhttps://www.amazon.com/dp/B0BC5192VC/


『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)












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