最近読んだ本から ― 2025年05月25日 08時56分33秒
〔新刊お知らせ]
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。付録に、『シンプル道の日々3』(2022年~2024年)も掲載しています(総文字数約20万字。新書版2冊くらいの分量です)。
*『自己覚醒へのマスター・キー』(シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ 著、
『欧米に寝たきり老人はいない』宮本顕二・宮本礼子(中央公論新社)
前回のブログでも紹介した本。肉体年齢60歳を超えた人、そして高齢の親がいる人たちに読んでもらいたい本。
『笑わない数学1&2』NHK「笑わない数学」制作版(KADOKAWA)
NHKで放送された番組の書籍版。数学の難問に挑む数学者たちの姿が生き生きと描かれている。数式はたくさん出てくるが、文章は読みやすい。
過去10年間、私が一番たくさん読んだジャンルの本がたぶん数学だ。スピリチュアル系の本よりはるかにたくさん読んでいる。数学が私にとって興味深い理由は、数学者たちの情熱、「こんなことを考え続ける人がいるんだ!」という驚き、そして、数学に関する発見・証明は、時代と地域を超えた普遍的なものであり、そして最後に、数学の世界に人間の感情が入らないからだ。地上のゴタゴタから逃げるのに、非二元スピリチュアルと数学はよい逃避場所(笑)となる。
一方で、天才数学者たちの人生そのものは波乱万丈である。自分たちの数学理論の秘密をもらしたという理由で弟子を殺したピタゴラス、20歳で決闘で死んだガロア、その他研究に没頭するあまり精神が崩壊する人たちなど。
数学に関心がある人は非常に少数だと思うので(それでも本の出版件数から推測すれば、非二元スピリチュアルよりはるかに多数のはず)、今までブログの中で数学の本は紹介してこなかった。おまけに私がこれだけ数学の本を読んではいるのに、数学をほとんど理解もしていないので、わかりやすく説明もできない。「好き」と「能力」のミスマッチ、とても悲しくはあるが、それでもめげずに(笑)私は今日も数学の本を読んでいる。そして、数学への関心が広まってほしいとも思っている(お金はかからないので、老後の趣味にお勧めです)。
その他一般向けのお勧めの数学の本
『数式のない数学の本』矢沢サイエンスオフィス編著(株式会社ワン・パブリッシング)
数学がいかに私たちの生活に入り込んでいるか、数式を一切に使わずに説明している。
『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
『数学が見つける近道』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
『数学が見つける近道』マーカス・デュ・ソートイ(新潮社)
最近私が非常に好きなイギリスの数学者のエッセイ。数学の魅力が深く味わえる。翻訳も非常にいい(感じがする)。
『フェルマー最終定理』サイモン・シン(新潮社)
17世紀にフェルマーが残した数学界最大の「超難問」は、いかにして解かれたか。数学者ワイルズが完全証明するまで、3世紀にわたった数学を巡る「歴史ドラマ」を分かりやすく感動的に描く。
『死にそうだけど生きてます 』ヒオカ(CCCメディアハウス)
『死ねない理由 』ヒオカ(中央公論新社)
『死ねない理由 』ヒオカ(中央公論新社)
4人家族で世帯年収が百万円にも満たない貧困家庭(おまけに父親が暴力男)で育った女性が、親族の中で初めて大学まで進学したものの、卒業後も安定した仕事を見つけられず、常に体調不良で、おまけに「貧困な者は身の程を知れ」という世の中のバッシングに怯えながら暮らす日々を綴ったエッセイ。
著者のように、貧困家庭で育った人たちが貧困の苦しみを書くと、批判やバッシングが多く来るという話をよく聞く。世の中の人たちは、貧乏な環境から成功者になった人たちの物語は大好きなのに、貧乏な環境から抜け出そうと奮闘している人たちには、冷たいのはどういうわけなんだろうか? 「貧困な者は身の程を知れ」とは、どんな人たちが言うのだろうか? 親族なのか、同世代の人たちなのか、それとも年上、年下世代なのか?
いわゆる親ガチャ、環境ガチャを乗り越えるのは本当に大変、と私もそうは思う。でも30歳を超えたら(著者はたぶん、今30歳前後)、自分の貧困を社会や政治や生まれた環境のせいにしないほうがいいのも、私の経験からは言える。なぜなら、親や社会のせいにしたところで、運命は決して好転しないからだ。
そして一方で、貧困に苦しんでいる人たちを批判・バッシングする行為は、そういった批判・バッシングは自分に影響することも私たちが知っておくべきことだ。『怠け者の悟り方』(タデウス・ゴラス著)から引用すれば:
〔今、あなたがある人に、「必要以上の援助を君は受け取るべきではない」と言ったとします。相手はあなたにそう言われても、どうということはありませんが、あなたは自分の言葉に縛られてしまいます。あなたは人から必要以上の援助を受け取れなくなるのです〕(p44)
さて、『死ねない理由』の中で、彼女は、最近は、自分の好きなことにお金を使ってもいいんだと思えるようになり、好きな音楽家のコンサートなどに行っているという。そして、そういった「推し活」(自分が好きな人たちを応援する活動)が、自分が「死ねない理由」になっているとも。著者には好きなことをたくさん見つけて、生き続けてほしいと思う。
『愚道一休』木下昌輝(集英社)
室町時代の禅師一休(1394~1481)という人は、酒と女を愛した破壊僧というイメージ、そして、子供の頃から頓智とユーモアにあふれていた明るい人というイメージが強い。しかし、本書で描かれている一休は、後小松天皇(1377~1433)の落胤(らくいん)という複雑な血筋を背負い、仏道を深刻に求道する暗い一休である。「無漏の悪と無漏の善」をめぐる一休と彼の友&敵たちの会話が興味深い。
(無漏=仏道で「悟りの境地」)
*本書で紹介されている一休の歌
嘘をつき地獄に落つるものならば無き事つくる釈迦いかがせん
(嘘をついて地獄に堕ちるというなら、嘘ばかり並べ立てた釈迦はどうなるのだろうか)
今動画で紹介している、U.G.クリシュナムルティも「仏陀はウソつき」(笑)と言っている。
『修道士カドフェルシリーズ』エリス・ピーターズ(光文社)
私にとっては、ミステリーが面白いかどうかは、探偵役の人物が好きになれるかどうかにほとんどかかっている。
本シリーズ(昔途中まで読んでいた)では、12世紀のイングランドのある地域にある修道院を舞台に、そこで起こる数々の事件を鮮やかに推理するカドフェル修道士がとても魅力的だ。カドフェル修道士は、若い頃は十字軍遠征に出かけて、あちこちを旅してまわり、現在は、修道院で薬草を育て、いわばお医者さん的仕事をしている。聖俗の両方の智慧を合わせもつ彼は、政治、経済(金銭問題)、身分制度、男女関係の複雑さを読み解き、事件解決に奔走する。修道院という小さな世界にも、現代の人々がかかえるのと同じような問題がすべてあることに驚かされる。
最近の私の娯楽は、『修道士カドフェルシリーズ』の小説を読んでから、イギリスで昔テレビ放映されたこのシリーズをネットで見ることだ。
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ
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