ご質問への回答 ― 2025年01月31日 09時08分29秒
2025年3月2日(日曜日)午後12時45分より午後3時半頃まで
『しつこいタイプです』さんへの質問の答
[昔シンプル堂さんに言われたひとことがどうしても許せません(お前は本を読まないと言われ、バカにされたようだった)。どのように考えたら、この心のとげを抜くことができますか。また、本を読むか読まないかが、そんなに人生で大事なことでしょうか。]
上記のコメントをいただいたので、本日は予定を変更して、ご質問への回答を書くことにします。
まず、「本を読むか読まないかが、そんなに人生で大事なことでしょうか」へのご質問の答えは、読書という行為が大事な人もいれば、そうでない人もいるということです。もし『しつこいタイプです』さんが本を読まないタイプなら、あなたにとっては、読書は人生の大事ではない、ただそれだけの話です。
さて、上記の質問では、私、シンプル堂が、『しつこいタイプです』さんに直接、「お前は本を読まないからダメな奴だ」みたいな主旨の発言をしたと書かれています。私の記憶の中では、そのようなことを誰かに直接言った記憶はないですが、私ももう70年以上肉体的に生きています。昔のことは忘れていることも多く、言葉のはずみで誰かを傷つけるようなことを言った可能性はおおいにあります。もし『しつこいタイプです』さんにそう受け取られる言動を私がしたとすれば、『しつこいタイプです』さんの感情に気遣えなかったことを改めてお詫びします。
ここからは一般的な話になりますが、人が誰か他の人の言葉に傷つくのはどういうときでしょうか?
私自身の経験では次のどれかの理由、あるいは全部の理由によります。
1.自分自身の価値、人生よりも、相手の言葉に価値を置いている。
2.自分自身が信じていることよりも、相手の言葉を信じている。
3.自分も、相手が言うことを本当は信じている。
そして、もしこの回答を読んでも、まだ『しつこいタイプです』さんの心の棘がぬけないようなら、シンプル堂が書いているブログ、関わっている本、その他を今後は一切見ない、読まない、接近しないことをお勧めします。
なぜなら、人間のマインドは、
Out of sight,
Out of mind (去る者は日々に疎し)、
つまり、「目にしなければ、忘れていく」ようにできているからです。
言葉の向こうに人がいる ― 2023年05月18日 10時41分33秒
(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(4)まで公開中。
家族関係の「苦」(2) ― 2020年06月27日 14時19分11秒
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2自分は、親に溺愛されてきたと思う人の場合、自分が親から得てきたのと同じだけの愛情や認知を世間(他人)から得ようとして、過剰な期待をいだく。
2世間(他人)はおおむね利己的で、みな自分のことしか関心がないし、自分だって、そうである。それを受容すれば、平和である。
3「自分の存在意義」を世間の中で勝ち取ろうとする努力をやめて、ただ自分でそれを認めればいい。
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家族関係の「苦」 ― 2020年06月17日 11時29分22秒
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5.娘に対する感情が憎しみに変わりつつあり、それは娘も感じていると思う。
6.娘のせいで、日々憂鬱で、夫への愛情も冷めつつある。
7.カウンセリングを受けたり、人に相談することはしたくない。
8.でも、娘を憎む気持ちをなんとかしたい。
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性エネルギー(生エネルギー) ― 2019年12月01日 16時30分50秒
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子供をもつ意味 ― 2017年11月30日 16時24分33秒
高木さんにお聞きしたいことがありコメント欄に書かせていただきました。
以前のブログで池田晶子さんの名前をはじめて知り、まだ二冊しか読んでいませんが、どなたかのブログに池田晶子さんが子供を作ることについて、ある書物で書いていて引用され掲載しています。
>親とは自身の否定性を乗り越えるためにこそ、あえて子という否定性を産み出すのである。これが、子作りとは精神の自己克服であるという、荒唐無稽な説である。
http://yoshi-imajuku.m.blog.jp/article/1044544682?guid=ON
この方のブログが読めれば全文が読めるのですが、高木さんは子供を作ることについて、子供ができることについて、どのように考えていらっしゃるのか聞いてみたい、と衝動的に書き込みしてしまいました。
高木さんの紙の書物は全部読みましたが、電子書物ではもしかしたら書いている内容かもしれません。楽しいお金3での幸せ父さん・幸せ母さんはわかっていますが、私が自分の子供のことで色々あるもので、何かの機会があればブログに高木さんの考えを書いていただけると、池田晶子さん以外の言葉を聞きたい、と思い、学ばせていただきたく質問いたしました。」
最初は私は、それは考え方・価値観の違いが問題なのだと思ったものだ。
以上、ご質問者の方の参考になったかどうかわからないが、親子関係に関する私の経験を述べてみた。
要約すれば、「人間にとって子供が生まれること、そして育てることの意味とは、進化するための学習のため」というのが私の結論である。
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2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!
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家族への執着・嫌悪、そして再び愛情 ― 2016年12月20日 11時33分48秒
予約は2017年1月の中旬から開始します。
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「動物園から神の王国へ」 ― 2015年12月08日 16時40分15秒
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!
2部 不治の病におかされた元詐欺師が、10年あまりスピリチュアルな探求をし、死ぬ前に他の人たちのために自分の理解を書き残し、その中で、「なぜスピリチュアルな世界では、相互に矛盾したことが教えられているのか?」、「人と人はなぜ理解し合うことが困難なのか?」を、「自分をめぐる様々な観念」と知性の質の違いという切り口で解明を試みる。スピリチュアルなテーマというより、どちらかというと、コミュニケーション論 として読まれるほうがいい内容。「人をめぐる冒険」の続編になるのが、2部である。
3部 若い頃、家庭を放棄して、10年ほどスピリチュアルな探求をしたコバヤシ老人は今はごく普通のおじさんになって、奥さんと仲良く暮らし、時々「ド・アホの会」で、暇つぶしに若い人たちと スピリチュアルなバカ話をするのを余生の楽しみにしている。そんなコバヤシ老人とその仲間たちがスピリチュアル系のバカ話をえんえんと展開するという内容。(もし自分の近所にこういうおじさんがいて、いつでも話に行って、バカ話ができたら楽しいだろうなあ、という私の想像からコバヤシ老人は生まれた)
*試読版(無料)は上記のサイトから、会員登録等なしに、どなたでも自由にダウンロードできますので、本との相性を確かめて、購入の判断をしていただければと思います。 (画像の下の、「立ち読みできます」をクリックすると、試読版PDFを無料でダウンロードできます)
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「No」を言う練習 ― 2013年11月01日 12時57分59秒
内心ではイヤだと思う頼まれ事は、引き受けないのが一番よいことであるのだが、人間関係によっては、「No」を言うのが難しいこともよくあるものだ。「No」は言いたい、でも人間関係も悪くしたくないという微妙な状況の中で、あれこれ考えることが、ストレスを倍増させる。
人間関係の中で、片方の人が、あるいは集団の中で誰か一人だけが、極端に重荷を押しつけられているのは、バランスの悪い状態で、関係が機能していない状態である。職場であれば、それは仕事の効率を下げ、家族間であれば、家族間の不和や問題を引き起こす原因となる。人間関係では、「快適さと喜び(利益)と苦労を分かち合う」のが、正しく機能する関係であると、私自身はそう思っている。
しかし、誰もが知っているように、相手に不満をもったり、内心非難したりしても、他人は絶対に変わらないものだし、そもそも他人を変えたいと思うことは傲慢である。「他人を変えることはできない」という言葉は、マントラにして一日百回も唱えてもいいくらいである(という話を先日のワークショップでも、私はしたばかりである)。
唯一できることは、相手に対する自分の反応と対応と理解を変えることだけで、その際の二つのキーワードは、「罪悪感」と「自己イメージ」である。
人に「No」を言えずに、ストレスがたまるという人の話を聞いてみると、「No」を言うことに非常に大きな罪悪感があり、さらにその元をたどれば、「自分はいい人である」 という自己イメージと、 「いい人でなければならない」 「他人にいい人だと思われたい」という願望が強すぎるという一般的傾向がある。
もちろん、対人関係の中でたいていは、私たちは「いい人」として行動するだろうけれど、自分の中味を正直に見てみれば、自分という人格は決して「いい人」だけでなく、いわゆるよい人格も悪い人格もあらゆる人格が、自分の中にはあるのが普通である。
人間の中にはあらゆる人格があり、あらゆる感情を感じ、あらゆる思考を考えることができることが、他の生き物(動物とか植物、あるいは天使とか悪魔とかチャネリングのエンティティのようなエネルギー情報体など)とは違う人間の美しさなのだ。
だから、本来は多様な人格があるのが普通であるときに、自分の中のある特定の人格だけに執着することで、自分にも周囲にもストレスを与え、「いい人でなければならない」 「他人にいい人だと思われたい」という願望そのものが、高圧的で鈍感な人たちを自分に引き寄せる磁石のような役割を果たすものである。
という以上の話は、人間関係で悩んでいる人たちにもたいていわかってもらえることなのだが、では、それを日常生活で具体的にどう実践するかの部分は、難しいことである。
つまり、今まで他人からの頼み事を全部引き受けていた人が、いきなりそれをゼロにはできないわけだし、「No」 を言うときに、罪悪感が全然なくなるなんてことも起こらないわけで、だから私がお勧めすることは、少しずつ練習することである。今まで十個イヤだと思うことを引き受けてきたなら、その中の一つか二つをまずやめてみる、断ってみる。それから、さらに別のことをやめてみる、断ってみる。 罪悪感がわいてもかまわずに、少しずつ、練習することである。 明るくさわやかに、そしてできるだけ相手に伝わる表現で、「No」 を言う練習を続けることである。
そうしていくと、何かを断ったり、「No」を言ったりしても、別に死ぬわけでもないし、たいした問題が起こるわけでもなく、むしろ、自分の時間が増え、非常にスッキリすることになる。そして高圧的で鈍感な人たちはしだいに自分の周囲からいなくなるか、あるいはそれほど高圧的でも鈍感でもなくなるというふうに自然に変わるか、というようなことが起こるものである。
かなり前にベストセラーになった本で、 「スッキリ!」(上大岡トメ著 幻冬舎))というタイトルの本があって、日常生活をスッキリさせるシンプルで具体的な方法がたくさん伝授されている。(イラスト付きの楽しい本なので、お勧めします)
その中の「できない約束はしない」 の項目で、
一級:理由を言って、とにかく断る。
初段:誰もが納得する理由で、断る
師範:約束できないオーラを出す。
(「オーラ」という言葉は、日常用語で言えば、「雰囲気」ということです)
これにならっていえば、人が目指すべきことは、「イヤなことを頼まれないオーラを出す師範」になることである(笑)。でも、みんながそんなオーラ出しまくったら、なんだかオーラ対決みたいになって(というような場面にいた経験が何度かある)、かえってストレスがたまるかもしれないけれど……
[お知らせ]
2013年11月23日(土曜日午後)
「楽しいお金」ワークショップ(大阪市)
http://www.simple-dou.com/CCP038.html
2013年11月24日(日曜日午後)
予約受付終了しました
「私とは本当に何かを見る」ワークショップ(大阪市)
http://www.simple-dou.com/CCP040.html
絆(きずな)時代の苦痛 ― 2013年10月19日 08時25分10秒
私は子供の頃からかなりひねくれているので、 「絆」 とか「あなたは一人ぼっちではない」のメッセージが過度に強調されるたびに、「いやいや、『絆』には、苦痛という代償が伴い、しかも、どこまで絆を積み上げても、人の孤独は癒やされないものだ」と思うのである。
もちろん、 「絆」 と「あなたは一人ぼっちではない」の大量のメッセージのおかげで、多くの人たちが、自分の家族や自分が出会う人たちに、今までよりも、より親切でやさしくしようと心がけるようになったとしたら、それはよいことではあるし、そんなことは災害時でないときから、人としては心がけるべきことだ。
しかし、 「絆」 と「あなたは一人ぼっちでない」の強調が、災害時に感じた自分たちの無力と寂しさの裏返しであるとしたら、 「絆」 と「あなたは一人ぼっちではない」が、「絆を感じるべき」とか、「あなたは一人ぼっちであるべきでない」というように、人間関係への依存と執着をさらに強化するメッセージとして働く可能性もあるのでは、と私には感じられる。
それに加えて、現在は、他人とのコミュニケーション・ツールが安価で非常に普及し、簡単に誰とでも「つながり」を築くことができ、連絡が取れる時代である。 だから、かえってなおいっそう、子供から大人まで人々の孤独感と疎外感が全体では強まっているというのが、私の印象である。下手をすれば、人間関係をもっていなかったり、絆を感じなければ、何か自分が人として欠落しているように感じさせられる、雰囲気さえある。
調査によれば、多くの中高生が一日に数時間を、メールや無料電話で、友人たちとのやりとりに費やしているそうである。数時間とは、尋常ではない時間である。そんなふうに友人たちとつながっていないと、不安になるのだという。
集団の中での自分の評判や立ち位置を気にするというのは、人間の中の動物的本能・意識によるものである。なぜなら人類は、集団の力によって生き延びてきた、生物としての長い歴史があるからである。メールや無料電話に極度にはまっている子供たちは、そういったツールによって、動物意識に強く憑依されているともいえる。 だから、若い子供たちがいとも簡単に本当に動物状態になって、罪悪感もなしに(罪悪感をもたないのが、動物意識の特徴である)、仲間内で、いじめから殺人まで、残酷な行為をやってしまうのも、理解できる話である。
このように、絆はときには、残酷で、苦痛なものでもある。そういった絆の苦痛を癒やすのが、孤独である。人間関係が仮になくても、自分がいれば本当は十分なのである。「あなたがいなければ、生きていけない」という嘘は、恋愛歌などでは、まるで愛の証のように高らかに歌われるが、それは本当は、私に言わせれば、動物的「脅迫」(笑)である。
誤解がないように言えば、私が人と人の絆を否定しているわけではない。「絆」は広い意味で、二つのものの間の「関係」という考えにたてば、人はあらゆる絆に囲まれて生きている。今このブログを読んでいる皆さんと、私も何らかの絆があり、本を読む読者と著者にも絆があり、初対面の人と出会っても、そこに絆がある。たった今食べたばかりのリンゴを介して、私はそれを作った人との間に絆がある。というように、現代社会では、そういった絆なしには、ほとんどの人は生きていくことができない。
自由と平等があるところでの絆は楽しく、お互いが一時的であれ、長期的であれ、理解し合い、絆を楽しむことは、人間意識の中でもっとも贅沢で甘美な経験である。そして、親しい絆の関係が終わるとき、それを悲しむことができるのも、人間意識の特権である。
最終的には、スピリチュアルな道にいる人にとっての人間関係・絆の形態とは、アジャシャンティが「あなたの世界の終わり」(ナチュラルスピリット発行)で述べているようなものである。
「人々が自立し、自立を通じて、お互いにある種の親密さを発見するというものです。そこが私が人々と出会う場所であり、その場所で全体として、能力があるものとして、そして彼らが自分でもっているとは思っていないかもしれない能力をもつものとして、私は彼らを見るのです。彼らがそこに立ち、自分自身の内なる十分さを発見し始めるとき、そこで私たちは出会うのです。私は彼らの不十分さの中で、彼らが自分には能力がないと思っているその場所で彼らと出会うのではありません」(「あなたの世界の終わり」238~239ページ )
つまり、アジャシャンティがここで言っているのは、「私は、あらゆる人を自分と同等の能力をもった存在として見る」ということである。彼がまた警告していることは、導師(グル)や先生などを自分より高い台座に乗せて、自分よりもパワーがあるものとして、崇拝したり執着したり、依存関係を作らないように、ということでもある。あるいは、弟子や生徒や信者に依存しないように、ということでもある。
人間同士の絆――それが自然に起こればハッピーであるが、なくてもけっこうなものである。なぜなら、アジャシャンティが言うように、私たち全員が一人一人十分な能力をもつものであり、そして、スピリチュアルな人たちがよく言うように、「すべてはワンネス(一つ)であるからだ」――人間のいかなる努力も作為も修行もなく、すでに現実として。
[お知らせ]
201310月26日(土曜日午後)
「人をめぐる冒険ワークショップ」(広島市)
http://www.simple-dou.com/CCP037.html
2013年10月27日(日曜日午後)
「私とは本当に何かを見るワークショップ」(広島市)
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