ニサルガダッタ・マハラジの教え(3)Prior to Consciousness2017年09月22日 14時40分35秒

 *「私が在る」ときだけ、世界はある。
*非現象である絶対が、「私は在る」という気づき(意識)が起こったとたんに、形として顕現する。
 
今回は、マハラジのこれらの主要な観念について書いてみよう。
 
たとえば、「見る」という単純な行為を例にとってみよう。

常識では、普通次のように想定されている。

「私」(主体=1個の物体)  が、「別の物」(対象物=1個の物体)を、「見る」。

しかし、「果たして、このような分離した三つ組が本当に存在しているのだろうか? むしろ、何かを見るという行為(何かに気づくこと)が起こる瞬間に、物が存在するのではないだろうか?見ている主体は1個の物だろうか?見ている主体とは何か?」というのがマハラジをはじめ、非二元系の賢者の問いだ。

そこで、見られている対象物から、見ている主体に注意を移す(ダグラス・ハーディングの指さし実験を参照)と、そこにいる主体は物体ではなく、単純なる「私は在る」という気づきである。

その「私は在る」の気づきは見られている物と分離しているわけではなく、気づき(意識)=目の前の物質世界である。

マハラジがPrior to Consciousness(意識以前-仮称)の中で強調していることは、「『私が在る』から、世界が在る」、「『私が在る』から、月や太陽が存在する」ということだ。

人間の「私」と違って、『私が在る』の「私」は崇高なのだ。

しかし、Prior to Consciousness(意識以前――仮称)の中では、マハラジの主要なテーマは『私が在る』ではなく、意識が起こる以前の話(だから、原書のタイトルが「意識以前」)で、マハラジは「私は皆さんを絶対へ導こうとしている」と強調している。

マハラジが「私の以前の話はある程度、人々は理解した」と言うとき、たぶんその話とは「私は在る」についての話のことだ。「在る」という話は、理解しやすいし、ある意味で安心感さえ与える。「私は1個の肉体・マインドではなく、意識である」という認識はある種の喜びと平和を与えるものだ。しかし、マハラジは探求者たちが楽しんでいるこの観念さえ、破壊しようとしている。

「私が在る」が起こる前、あなたは何だったのか?これがマハラジの問いである。

ダグラス・ハーディングはマハラジと同じことをもっと文学的に表現豊かに語る。(「顔があるもの顔がないもの」(マホロバアート発行――現在絶版)の五章「存在が自ら生じる神秘」の章を参照のこと)

ダグラス・ハーディングがこの章で格調高く語っていることを、ものすごくくだけて書けば、こんな感じだ。

(自分とは何かに気づいていなかった)「私」が突然に目覚めて、「ああ、私って存在しているじゃん!私は何にもないものでかつすべてなんだ。すごい!」と気づき、自ら驚き喜んでいる、という感じ。

ダグラス・ハーディングは「『在る』ことが変則で、本当は何もないことが常態であるのに、その変則が毎瞬起こっていることが奇跡だ」としばしば語った。彼は存在していることを不思議がっていて、いつも驚いていた。しかし、彼の実験に長年親しんでいる彼の多くの友人たちでさえ、この不思議感と驚きはなかなか共有できないものなのである。

今でも思い出すことがある。パリでダグラスのワークショップがあったときのこと、ワークショップが終わったあと、ダグラスとキャサリンと十数人の人たちが近くのカフェに行き、フランス人の友人たちとキャサリンは久しぶりに再会した喜びで、色々な話で盛り上がっていた。私とダグラスだけがフランス語の会話に参加できないので(ダグラスはフランス語をある程度上手に話すが、どうしても必要な時以外は話さなかった)、片隅に静かに座っていた。そのとき私の目の前に座っていたダグラスが私に気を遣って、突然私に話し始めた。

存在しているということは本当に不思議なことだ。本当は何もあるべきじゃないのに、世界がこうして毎瞬、存在している。本当に本当に不思議で神秘だ。そう思わないかい?」と平凡なカフェの風景を眺めながら、彼はこう切り出した。

彼が存在の不思議さをよく話題にすることは知っていたが、私の中には不思議感というのがまだなかったので、私は肯定も否定もしないで、ただ黙って聞いていた。それからさらに彼は、「君の国の日本で、存在の不思議さについて書いたり、しゃべったりしている人が誰かいるかな?」と私に質問し、そのときはとっさに誰のことも思いつかなかったので、「いいえ、誰もいないと思います」と答えた。あとになってふと、早世された哲学系の文筆家、池田晶子さんの名前が思い浮かび、確か彼女が似たようなことを書いていたかもしれないと思い出した。

ダグラスは、「存在することの不思議感や神秘感」についてよく話題にしたが、しかし、そういう感覚が湧き起こっても起こらなくても、「私とは本当に何かを見る」こと自体にはまったく影響しないし、それは憧れて、目指すべきようなものではないとも言う。彼は子供の頃からそう感じてきたそうで、彼に関してはそれは天性のものだと思う。

私の場合は、長い時間かかってようやく「在ることの不思議さを時々思う」程度にはなったが、普段は特別に不思議感に満たされるというわけでもない。

では、最後に、Prior to Consciousnessで、マハラジが推奨するサーダナ(修行)を紹介してみょう。

*ただ静かに座り、物事の流れを観照する。
*熟睡から目覚めの間にあるものに注目する。
*熟睡→(非個人的)「私は在る」の目覚め→世界の出現→活動の始まり、を注意深く観察する。

熟睡と目覚めた状態の間にあるもの、それは何だろうか? それは言葉がない「私は在る」であり、のちに言葉が流れ始めて」(「意識以前―仮称」より)

*目覚めているときに、自分の注意の向きを逆転させて、思考・マインドから意識へ、意識から絶対へ退却する。マインド・思考→「私は在るという意識」→絶対

あなたが目を閉じたときに見える暗闇、それがグルの恩寵の影だ。それを忘れないように、いつも心に留めておきなさい。グルの恩寵の木陰で休みなさい。あなたがグルの言葉を思い出すたびに、あなたはグルの恩寵の木陰の中にいることになる」(「意識以前―仮称」より)


[イベント]                                        

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「主体の科学」VS(対)「対象の科学」2017年03月29日 08時42分04秒

科学系の話を書いてきたついでに、今回は主体の科学と対象の科学について、物事へのこれらの二つのアプローチの共通点と異なる点について、書いてみよう。

まず、「主体の科学」という言葉は、ここでは「私とは本当に何かを探求する」科学、一般的にはスピリチュアルや宗教の分野ということになっているが、ダグラス・ハーディングがそれを「第一人称の科学」と呼んでいるのに習って、ここでは「主体の科学」という言葉を使っている。それから「対象の科学」は、一般的な科学のことである。
 
共通点

二つの科学に共通することは、信じることなく、実証し、実験し、その結果を受け入れるという態度である。仮説→実験(研究)→実証(証明)

相違点―こちらのほうがはるかに数が多い。

「対象の科学」

*主体と対象物は別のものである。

*対象を調べるには時間がかかる。

*調査の方向は常に自分の外側。

*結論を出すのに、過去のデータや記憶も利用する。

*自分以外の多くの人も同じ結論と証明に達し、みんなで納得しなければならない。
 
「主体の科学」

*調査の方向は常に自分の内側で、第三人称の科学とは180度反対の方向。

*見ている(認識している)その主体は、何なのか? 私の中心にあるのは、何なのか?一個の固体(人間と言われている物体なのか)なのかどうかを調査する。

*常に現在の証拠にもとづき、過去の記憶やデータ、他人の言葉に頼らない。

*第一人称の科学においては、私(主体)の認識がすべての証拠である。それを他人に示すことはできない。一人ひとりが自分自身で証明する。
 

科学系の本を読みながら、私がよく思うことは 「対象の科学」と「主体の科学」 の統合は可能なのか?ということである。ダグラス・ハーディングは「天と地の階層」その他の本で主体の科学者としてそれを試みた数少ない人だ。

では、「対象の科学」が専門の研究者が、「主体の科学」を自分の研究に統合することは可能なのか?といえば、不可能ではないにしても、現状ではまだ非常に困難な感じはある。

その理由はいくつかあって、一つは「対象の科学」が前提しているいくつかの原則のせいである(私に言わせれば、対象科学が信じている信仰のようなものだ)

以下に「対象の科学」が前提としている一般的原則(信仰)を箇条書きしてみると、

意識は、人間の脳の産物である。

自分が研究している対象は実体がある。

物事の存在には物質的原因がある。

無(何もないところ)から物質が生まれることはあり得ない。

「対象の科学」の研究者にはそれぞれ専門があって、それは非常に細分化されている。そして当然のことながら、研究者は、自分が研究している対象は、何らかの「実体」があるはずと信じている。だから、「私たちが見ている世界は幻想である」という言い方をする(ダグラス・ハーディング自身は「幻想」という言葉をほとんど使ったことがないが)主体の科学系の言葉に違和感を覚えるはずである。もし自分が研究している対象が実体がなく幻想だったら、そもそも研究の価値があるのか? という話になる。

物質を分子→原子→粒子と、どんどん細分化して、物質のミクロの世界は「ほとんど」何もない ことを突き止めた物理学でさえ、まだ最終的な物質があるはずだと信じている。というより、研究のためには「何かがなければいけない」のだ。
 
それから、「対象の科学」が「主体の科学」に踏み込めない別の理由は、おそらく政治的なものだ。研究者、学者の世界もかなり保守的であることが、科学や数学の歴史を読むとよくわかる。自分が発見したことが、その時代に確立された理論や説に合わないせいで、あるいはその時代の科学界の大物たちに嫌われたせいで、論文を審査してもらえなかったり、研究が無視されたり、嫌がらせをされたり、仕事を見つけられなかったり、職を失ったり、研究費が出なかったりした例は非常に多くある。その結果、極端な話、自殺、鬱病、早死に追い込まれた科学者もいた。想像するに、対象科学界の保守性は今でもあまり変わっていないのではないかと私は思っている。

それから三つ目の理由として、一流の対象科学系の人たちは多くが天才的頭脳をもち、複雑な分析や研究を愛している。ところが、主体の科学は限りなく、物事を単純化し、その結論はほとんど数行(笑)で終わってしまう。天才的な頭脳の人たちにとってはたぶん、物足りない話なのだと思う。

それでも20世紀に量子力学が出てきたとき、一部の研究者たちは「私の認識」 が対象に影響を及ぼすことを突き止め、さらには、「私が見ていないとき、月は存在するのかどうか?」という議論もなされた。
ただ、そこからさらに、では、「月を見ているその『私』とは何なのか?1個の人間固体が見ているのかどうか?」  という議論まではなかなか行かないという感じだ。

 しかし、これから、もし「主体の科学」と「対象の科学」の両方に情熱と才能をもち、しかも勇気のある対象科学系の研究者が出て来て、研究対象だけでなく、「対象を見ている『私』とは何か?」も合わせて研究すれば、「主体の科学」VS(対)「対象の科学」ではなく、「主体の科学」and(と)「対象の科学」となり、 おそらく対象科学の研究ははるかに進化するだろうと、私はそう想像している。

最後に、私が昔読んだ本で、新しい時代の科学について、納得できる予言をしていると思った本「ニュー・メタフィジックス」(ダリル・アンカ著 VOICE発行)から、少し引用してみよう。(有名なバシャール・チャネリングの本 の一冊)

「地球の科学者は、いわゆる「光速」を誰も超えることができないと信じています。そして、これは現実的には正しいのです。ただ、この考え方は、私達が第3密度(三次元の現実)と呼んでいる範囲の中における、ひとつの定義付けに過ぎません。(中略)

私達は「空間を旅行する」というよりは、「空間となって旅行する」のです。すなわち、私達が空間そのものになります。皆さんの言う「旅行」をする必要はないのです。(中略)
                                                        
皆さんの知性や意識を使えば、皆さんが超空間(ハイパー・スペース)と呼んでいるものを、現実に応用することができます。そして、この超空間を通して、物体や宇宙船もしくは人を、望む場所に再現することが可能になります。

超空間とは、単に意識の中心または大いなる全ての源です。超空間にいるとき、皆さんがどこかへ行くというよりは、空間が皆さんのところにやって来るという感じです」(169ページ)
 
 この説明は、ダグラス・ハーディングがいつも言っていた言葉に似ている。

「私は一歩も動いたことがない。
いつもパリ、ロンドンが、東京が私のところへやって来る。」

日本にある自宅マンションのドアを開けたら、そこはパリのエッフェル塔の前……地球時間の24世紀くらいには実現しているのでは……
[ サボ様のご質問の答え」
「Prior to Consciousness "(意識以前)は、大体いつくらい発売の予定ですか? 」
たぶん、夏の終わりくらいの予定です。
[ tk 様へのご質問の答え]
「主体の科学」には論理的な説明は存在するのでしょうか」
ダグラス・ハーディングの本を読んでいただければ、彼がなぜ自分のワークを「科学」と呼ぶのか
理解していただけるのでは、と思います。

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家族への執着・嫌悪、そして再び愛情2016年12月20日 11時33分48秒

今回のダグラス・ハーディングの「存在し、存在しない、それが答えだ」の19章「浴場の絵」の中で引用されているイエス・キリストの言葉、「もしどんな人でも私のところへ来て、自分の父と母、妻、子供たち、兄弟姉妹を憎まないものは、私の弟子になれない」 に関して、「この言葉は、すべてを愛するというキリストの愛と
矛盾するようで、よくわからない」という感想をいただいた。

ここで、「憎む」という言葉が適切なのかどうか、 イエスが本当に「憎む」という言葉を使ったのかどうか、私には疑問が残るところであるが、この言葉の本当の意味、そして、ダグラス・ハーディングがこの章で何を言わんとしているのか、私なりの理解を書いてみよう。
 
伝統的キリスト教では(仏教も同じであるが)、すべての世俗的執着を断ち切らないかぎり、人は神(仏)を求めることはできないと考えられてきた。つまり、神への愛 が他のすべての愛よりも大きくないかぎり、人は神への道を歩くことはできないとされてきたのだ。

そしてこの考えの元となったのが、イエス・キリストの「自分の父と母、妻、子供たち、親兄弟を憎まないものは……」  の発言だったようで、そのため、神への道を歩く者たちは親兄弟を捨て、家族生活も営まない、というふうに徹底してきたわけだ。

世俗的人間関係の中で私たちが最大に愛着するものが、家族への愛情で、親、子、兄弟姉妹への愛着である。そして、愛着とは執着で、執着とは依存である。
 
もし人が家族に執着・依存するとすれば、それはただ神だけを求め、ただ神だけを愛し、ただ神だけに依存することに対する最大の障害なのである

つまり、イエス・キリストが言わんとしたことは、家族への愛着(執着)・依存と神を求めることは両立しないということで、そこで彼は弟子たちに「もしあなたにとって家族がそんなに大事なら、私の弟子になることはできない。だから、神か家族かどっちかを選択せよ」と迫ったわけだ。(どこかで読んで記事によれば、以前は「親兄弟を憎む」ではなく、「親兄弟を捨てる」という訳だったとか)

問題は、外側で家族や世俗的生活を断ち切っても、人は心の中で必ずしも執着を断ち切れるわけではない、ということである。立派な法衣を着た聖職者や僧侶たちの性的金銭的スキャンダルが歴史上、現在に至るまでえんえんと続いている事実を見れば、世俗的執着を断ち切ることがどれほど困難かを物語っている。

キリストの「親兄弟を憎まないものは……」  と絡めて、ダグラス・ハーディングがこの19章で語っていることは、私たちが対象として見るどんな人(自分の家族も含めて)も、ただそれ自身では厚紙の切り抜きないし空っぽの船にすぎず、何の実体もないということだ。

そのさらなる意味とは、私たちは自分が見る他人の目に魅了されたり、愛着したり、それを恐れたり、嫌ったりするが、実際は彼らの目の背後には誰も住んでず、それは親でも子でも兄弟姉妹でも(恋人や友人でも)ない、ただの厚紙の切り抜きないし空っぽの船、単なるイメージである。

しかし、主体的に言えば、ダグラスが言うように「あなたが見るすべての目は盲目であるのに対して、その所有者たちは誰も盲目ではないということである。すべての人は見ている一なるもののただ一つの目で見ている

そしてそのことを見るとき、「私たちは皆が何もないものにされている聖なる中心以下であることを断固拒否し、そのことによってすべてであり、愛そのものである一なるものと一つになることである」(以上の引用は「存在し、存在しない、それが答えだ」p257-258)

つまり、私の本質と自分が見る対象の本質が一つであることを認識することによって、再び愛が復活するというわけである。そして、縁があるなら再び夢の中(厚紙の切り抜きの世界)で、親子、兄弟姉妹、夫婦、友人、恋人を演じ、執着なく愛し合うということになる。

執着なく家族を愛することがどういうことか、ラマナ・マハルシが弟子であるプンジャジ(「覚醒の炎」という邦訳本がある)に語ったエピソードが、私はとても好きなので、以前にもこの話を紹介したことがあるが、再び紹介してみよう。

プンジャジはラマナ・マハリシに出会い、ラマナに恋し、家族を捨てて一生、ラマナのアシュラムに住む決心をしていた。彼は結婚していて、子供が何人かいて、両親の面倒を見る立場にあった。あるとき家族からアシュラムに連絡が来て、それは「故郷の町が戦争に巻き込まれて、大変な状況になっているから、すぐに帰れ」という内容だった。ところが、そんな連絡をもらっても、プンジャジは「あれは夢の家族で、自分にはどうでもいい」とまったく心も動かされずにいた。

その話をラマナが聞きつけ、プンジャジを呼んで、尋ねた。「家族が大変な状況にいるというのに、どうしてあなたは家族のところへ帰らないのですか?

プンジャジ「あれは夢の家族で、私にはもうどうでもいいのです。私にはあなた以外誰も必要ではありません
ラマナ「だったら、夢の世界で、夢の夫、夢の息子、夢の親として、義務を果たしなさい

ラマナの言葉に、抗えないパワーを感じて、プンジャジはイヤイヤ承諾し、家族の元に帰ることにし、しかも、自分が生きている間、もう二度とラマナに会えない運命も直感的に悟ったという。

これはたぶん、プンジャジが三十代前半の話で、その後、彼は大家族の生計を支えるために定年退職するまで懸命に働いたという話だ。彼はすべての家庭的義務が終わったあとで、再び放浪生活に入り、インド国内、ヨーロッパ、アメリカとあちこち行ってサットサンをおこなった。(以上の話をどこで読んだか、記憶が確かではないが、たぶん、プンジャジの伝記、”Nothing ever Happened” に出ていた話だと思う)

 今、「執着なく愛する」と書いたが、実はここでも言葉が曲者で、それは「夢の中の登場人物(人間物体の小さい自分)が、別の登場人物に愛着したり、嫌悪したりしないように努力するとか、無理やり執着を断ち切る」ということではなく、実際は「夢の中の登場人物が別の登場人物に愛着したり、嫌悪する様子」をただ眺める(観照する)ということである。もし人間物体が夢の登場人物にすぎないとわかるなら、それが他人に愛着しようが、嫌悪しようが、それこそ、Who cares!? (そんなこと誰がかまうもんか)、であろう。

ラマナ・マハルシでさえ、自分の母親が死んだとき、涙を流して、悲しんだと伝えられている。「(執着がないとされている)聖者も自分の親の死を悲しむのですか?」と信者に尋ねられたとき、ラマナは「息子が母親の死を悲しむのは当然である」と答えたという。

最後は私の話だ。20代の後半の頃、私がスピリチュアルに深く傾倒していることが両親にばれて、特に母親が激怒し、ストレスから病気になるほどだった。

その時の私の気持ちと態度は、親に死んでくれとまでは思わなかったとしても、「親が不幸だろうが幸せだろうが、生きようが死のうが、一切私には関係も関心もありません」という非常に利己的で冷たいものだった。なので、縁は切れなかったものの、それからかなりの間、親子関係は非常に冷えたものだった。

その時代、私はロシアの神秘思想家、グルジェフの教えに影響を受けていて、私が強く記憶に留めている言葉の一つは、キリストの「親兄弟を憎まないものは……」  とは正反対のもので、彼はこう弟子に言っている。「自分の親を愛せないものは、私の弟子になることはできない」(グルジェフはひょっとしたら、キリストの有名な言葉を意識して、わざとこう言ったのかもしれない)。自分の弟子になる条件として、こんな世俗的で平凡なことをグルジェフが言う真意が私は理解できなかった。

しかし、それからずっとこの言葉を考え、次第に親との関係も修復されるにつれて、ようやくグルジェフは事の核心を言っているのだとわかった。それは書けば長い話になるので、簡単に言ってしまえば、私たちの世俗人生においては、親とグルと神は同じ立場にあるということだ。つまり、自分の親を愛せない人は、グルを愛せず、グルを愛せない人は神も愛せないという構図になる。グルジェフはこう言ったという。「自分の親との間に問題をかかえている人は、グルとも同じ問題をかかえることになるだろう」(ここでも「愛する」という言葉は注意が必要だ。霊的な意味で「愛する」とは、感情的に「好き」という意味ではなく、むしろ、「理解する」「存在を受容する」に近い)

「親兄弟を憎まないものは……」 と「自分の親を愛せないものは……」は、見かけ正反対のことを言っているように見えるが、実際はそれはコインの表・裏のようなもので、愛着・嫌悪→無関心→再び(夢の世界で)愛情(と時々うんざり)と、円が一回りしてくれば、同じところへたどり着くのである。


[カモミール様へのお詫び]

コメントの真意を誤解していたようで、失礼をお許しください。

[お礼]

今年も一年間ブログを読んでいただき、また私が主催している活動に対して様々なご支援をいただき、ありがとうございました。お目にかかった皆様にには、そのご縁に感謝します。来年は1月の中旬頃からブログを開始します。 それでは、クリスマスやお正月を一緒に過ごす夢の家族、恋人や友人がいる方は、その人たちとの時間を楽しみ、そういった煩わしいもの(笑)  がいない皆さんは、一人の時間を楽しんでください。書き忘れるところでしたが、最後に、「動物園から神の王国へ」を読んでいただいた、私の著書のコアな読者の皆様、皆様に読んでいただいたおかげで、次作を書く意欲がますます湧いてきました(でもまだ一行も書いていないけど)。

[イベント予定]
 
「私とは本当に何かを見る会」 2017年2月11日(土曜日)(東京)
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[来年の出版予定]

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探求の終わり、そしてまた始まり2016年11月22日 14時03分01秒

 「シンプル堂さんは探求が終わったのですか?」と尋ねられたことがある。この質問への答えは、Yes でもありNoでもある。

振り返ってみると、私が二十代半ばに霊的探求を始めた頃、二つの目標というか望みがあったと思う。それは「平和と絶対的な真理」である。 私は、心の平和と永遠に変わらぬ真理、それが熱烈に欲しかったのだ。

幸い自分を導く教えと師のような方々(厳密に言えば、私は誰とも特定の師弟関係ではないし、グル-弟子という観念は自分には合わないと思っている) と巡り会い、 「平和と絶対的な真理」を知ることができた。しかし、「私は○○を知る」という表現も本当には正確ではない。 むしろ、どこに「平和と絶対的な真理」  があって、どこにないかを認識し、疑いが消え、確信に落ち着いたというのが一番近い表現だ。
 
以上述べた意味においては、「探求は一応終わった」と言うことができるだろうと思っている。しかし別の意味においては、それはシンプル堂と呼ばれている人間物体が死ぬまで続くものであるかもしれない。

ダグラス・ハーディングはよくこんなことを言っていた。

「神とは無限に未知で、無限に神秘で、それは一人の人間の一生で探求(研究)し尽くせるものではない」
彼は死ぬまで、「私」の本質である神を探求(研究)しつづけ、そして自分が発見したことをどうしたらよりよく伝えることができるかも研究し続け、「私とは本当に何かを見る」ための新しい実験やイラストをいつも考えていた。

私の場合は、仕事(翻訳と著作)のためにまだまだ色々と研究・探求することがたくさんあり、 そしてダグラスと同じく実験についても研究・探求している。だから、また新たなる探求・研究が始まったとも言えるかもしれない。でも、「探求・研究」という高級な言葉よりも、それはどちらかというと、シンプル堂と呼ばれている人間物体の余生の趣味・娯楽のようなものだ。

さて、今、来年出版が予定されているニサルガダッタ・マハラジのPrior to Consciousness(意識以前)の本の作業を開始している。10回以上読んだ本であるが、マハラジの言葉は一つ一つが奥深いので、作業しながら、彼の言葉に瞑想する日々である。彼もまた(もちろんお会いしたことはないけど)ダグラス・ハーディング、ラメッシ・バルセカールと並んで、私が深い敬愛の情と感謝を感じる賢者である。

最晩年の本書の中で、彼がよく言っていることは、世の中で普通に生きることの重要性だ。

「(物事の状態を正しい観点で)見て、自分の能力のかぎりを尽くしてこの世の中での自分の人生を生きなさい。」

「理解したら、何でも好きなことをやればいい」

 
まさにそういうことなので、シンプル堂は、他のことよりは多少は能力がある翻訳と著作をもう少しだけ頑張ろうと思っている。

「お知らせ」
ダグラス・ハーディングの新刊「存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)が発売されました。
目次は下記のサイトに掲載してあります。


「お知らせ」

11月14日より、下記のDLmarketでYahoo!Japan のIDも利用できるようになりました。

*「動物園から神の王国へ―サルの惑星、のような星で、平和に生きるために」(PDFファイル)ダウンロード版は、DLmarketのサイトで販売しています。お手持ちの機器(パソコン、タブレット、スマートフォン)に、PDFを読むソフト(AdobeReader等)が入っていれば、どなたでも読むことができます。

本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。

1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!

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なお現在は、パソコン等では、横書きの文章のほうが読みやすいという人たちもいると思い、縦書き版と横
書き版の二種類の版を用意してあります。 編集の都合上、総ページ数(縦書き版が453ページ、横書き版が367ページ)は異なっていますが、内容はまったく同じです。

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動物園から神の王国へPDFダウンロード縦書き版」(1500円+税)(453ページ)
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動物園から神の王国へPDFダウンロード横書き版」(1500円+税) (367ページ)
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ダグラス・ハーディング(6)「存在し、存在しない、それが答えだ」2016年11月09日 15時58分25秒

ダグラス・ハーディングの新刊存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)が発売されました。

目次は下記のサイトに掲載してあります。

今回、ダグラス・ハーディングについての最後の話は、また彼の人生に少し話 をふってみよう。
 
彼は十代の頃から建築家としての訓練を受けたが、それは親がたまたま決めた職業で、彼自身は建築の仕事にそれほど興味がなかった。むしろ若い頃の彼は作家になりたくて、何冊かの本を自費出版しているほどである。そんな感じで、彼は建築家としての仕事には情熱がなかったにもかかわらず、家族を養いある程度豊かな生活ができるくらいには成功し、しかも彼は自分の職業人生に関して次のように語っていた。「私は建築の仕事をほとんど一日に1時間くらいしかしないで、残りの時間は、私とは本当に何かの探求に費やしていた。それでも何とか仕事をやっていくことができた」。

彼の最初の妻は、「私とは本当に何か」を探求する彼の情熱も彼が発見したこともまったく理解もせず興味もなかったが、彼が建築の仕事を休んで、大著「The Hierarchy of Heaven and Earth(天と地の階層)」を書いている間、生計を支え、彼がそれに集中できるように協力してくれたという。

まだ晩年のインタビューによれば、彼が建築事務所を経営していたとき、彼の妻が仕事の関係で町の多くの有力者と知り合いだったため、建築の仕事を簡単に受注することができたそうで、だから、最初の妻は自分の人生に非常に貢献してくれたという話を語っている。全体的には、戦争があったとはいえ、彼の建築家人生はおおむね順調だったようだ。

むしろ困難がつきまとったのは、自分が発見したことを伝えるという霊的な仕事に彼が従事した年月だった。

彼が今回の「存在し、存在しない、それが答えだ」の本の中でも語っているように、特に伝統的宗教に深くはまっている人たちには嫌われた。

その理由は私が理解するに、キリスト教、仏教、イスラム教などの伝統的宗教は階級性と儀式や規律を非常に重んじ、愛しているからで、彼の言っていることはそういったすべての階級性や儀式や規律の必要性を破壊してしまうからである。

また、「私とは本当に何か」、あるいは神を発見するために、自分以外の外側のグルや教師、外側の組織、代理人(聖職者)は必要ないことも彼は明らかにしたからでもあろう。

様々な困難があったにもかかわらず、自分が発見したことを興味がある人たちと分かち合いたいという彼の情熱は晩年になっても衰えることなく、キャサリンによれば、世界各国から来るワークショップの依頼は決して断らなかったそうだ。。それはたぶんダグラスにとっては、世界の様々な地域に行って、様々な人たちに会うことは、「何が起こるかわからない冒険」であり、彼はそういった冒険を愛していたからだと思う。

時には、全然趣旨の違う団体に間違って招待され、会場に到着して初めて気づくということも起こった。会場に到着したら、「イギリスの建築家、ダグラス・ハーディング氏がイギリスの建築史について語る」建築関係者向けの講演会だとわかって困ったことがあったと、エッセイの中に書かれている。

そういう困難に会ったときの彼のモットーが、「Man's extremity is God's oppotunity(人間の苦境は神の機会)」という古いことわざで、つまり、その意味は「人間が本当に困ったときこそ、神の知恵が出てくる」  ぐらいの意味である。その言葉どおり、彼は困難に出会ったときは、人間的に奮闘することをやめ、ただ自分の本質から出てくる答えを待って行動し、切り抜けたとういう経験を多くしたようだった。

彼が私に話してくれたそんな出来事の一つが、1980年代に彼が日本のある禅寺の招待で、日本に来たときのエピソードである。彼が日本の空港に降り立つと、来ているはずの迎えが誰も来ていない。禅寺に電話をかけても英語が通じず、彼は住所と電話番号だけが書かれてあるメモを握りしめて、(おそらくは)虚空を眺めながら空港のロビーの椅子に坐っていた。

すると、しばらくしてどこからともなく、見知らぬサラリーマン風の日本人の男性が片言の英語で彼に話しかけてきて、彼もメモを見せながら、自分がここへ行きたいことを何とか伝えたという。すると、その男性は、「私について来なさい。私があなたをそこへ連れて行ってあげましょう」と言って、その晩は彼を自宅に泊めて、翌日その禅寺まで彼を送り届けてくれたという話である。

彼はこういった奇跡話みたいな話はふだんほとんど文章には書かないし、話したりもしない人なのだが、そのときはたまたま私が日本人なので、自分がその日本人の親切にどれだけ感激し感謝したかを私に伝えたかったのだと思う。

そんなこんなの冒険(時には危険な出来事や不愉快な出来事)満載の彼の人生を振り返ってみて感じることは、ときに困難が襲っても、彼が人生と世界を深く愛していたことである--その理由はおそらく、人生と世界は神の創造であるからで、「神なる私」が造ったものだからだ。

ダグラス・ハーディングはインド系の賢者とは違って、「世界は幻想である」という言い方をしないし、むしろそういう表現を嫌っていたと思う。彼にとっては、物質世界は神満載の現実であり、それを「幻想」と呼ぶのは神に対して失礼な表現なのだ。

彼は、神とは何か、私とは何か、人間とは何かの研究・探求に生涯を捧げた研究者・科学者・神秘家という多面的な面をもつ人であり、そして私にとっては少々頑固で愛すべきおじいちゃんでもあり、彼の教えと彼に出会ったことをとても貴重で不思議なご縁だと思っている。
                                       
最後の最後に、ダグラス・ハーディングがあらゆる機会にしつこくしつこく問いかけた質問……

今これを読まれている皆さんは目の前のパソコンやスマートフォンの画面を眺めているはずであるが、On the present evidence(現在の証拠にもとづいて)答えるならば、その文字や色を見ている(認識している)主体(あなた)は色や形があるだろうか?……On the present evidence(現在の証拠にもとづいて)


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「マインドについて学ぶ会」2016年11月26日(土曜午後) 大阪市 予約受付終了しました。
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本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。

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ダグラス・ハーディング(5)存在し、存在しない、それが答えた2016年10月23日 08時56分03秒

 ダグラス・ハーディングの新刊「存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)が発売されました。

目次は下記のサイトに掲載してあります。

今回は、ダグラス・ハーディングのワークに関して、それに対する反論、不満を取り上げてみよう。
 
よく聞かれるものは、次のようなものだ。
 
1頭(顔)がここには見えないからといって、ないわけではないだろう。見えないけれど、存在するものはたくさんある。

2ここに頭(顔)がないことは見たけど、「だから、何?」っていう感じ。

 
3自分が見ているものは平凡で、至福も喜びも感じない。

4ハーディングのメッセージは、「存在するのは私だけで、他のあらゆる人は私の経験の想像物である」という唯我論である。
 
 以上の反論・不満に関して、順に説明してみよう。
 
 1頭(顔)がここには見えないからといって、ないわけではないだろう。見えないけれど、存在するものはたくさんある。
 
1の反論は非常に手強く、難問である。私がダグラスのワークと教えを知ってから10年以上この問題を考えた。つまり、「確かに、頭は見えないけど、触れば、頭らしきものがあるではないか。これは何なのか?」
10年以上考えたある日、ようやく一つの答えが閃いた。 私が触って感じている(得ている)ものは、あくまでも、「感触」であって、それは「人間の頭」ではない。なぜそう言い切れるかと言えば、「人間の頭」の定義とは、鏡の中に見るもの、あるいは他人の肩の上に乗っているものを指す。 私が頭らしきものを触って得るものは、明らかにそれではない。 ただただ「感触」 である。そこから私たちは記憶によって想像上の頭をここに構築するわけだ。

私のこの閃きは、量子物理学の一部の人たちが提唱した「人が月を見ていないときは、月は存在しない」という考えに出会ったときに、起こったものだ。もちろん、「人が月を見ていないときは、月は存在しない」という考えにすべての物理学者が賛成しているわけではなく、多くの学者はこの考えに反対している(アインシュタインは、強固な反対論者だった)。
 
この考えに習えば、「顔を見ないときは、顔は存在しない」、「体を見ないときは、体は存在しない」ということだ。触っていないときは、その頭らしき感触さえない。もちろん、ここでは「『主体にとっては』 存在しない」、と「主体にとっては」を付け加えるべきである。主体にとっては、物事(映像、感触など)は、私(主体)が認識した瞬間に生まれる。

寝る前や朝起きる前に、私は目を閉じたまま、体の一部を触って、こう自問する。「これは何か--現在の証拠にもとづいて」。暗闇(電気も消えて、目を閉じているのでほとんど真っ暗)の中にただただ感触が連続するだけ……トニー・パーソンズが言うところの、「生の感覚」の連続があるだけで、そこには「自分」も、「自分の人間の体」も 存在しない--主体にとっては。

それから、「見えないけれど、存在するものはたくさんある」という反論は、主体の科学と対象の科学を混同することから生まれる。対象の科学においては、 もちろん、「見えないけれど、存在するものはたくさんある」

たとえば、目の前の空間には、(見えないけど)空気があり、その空気は酸素と水素からできていると言われていて、対象科学がそれを証明している。 あるいは(見えないけど)空間には、無数の電波が通っていて、そのおかげで携帯電話、ラジオ、テレビ を私たちは使うことができると言われている。さらに空間には(見えないけれど)ウイルスなどの病原菌 もたくさんいると言われている。これらのことは対象科学的にはすべて正しい。

しかし、ダグラス・ハーディングが提唱している「主体の科学」では主体の認識がすべてだ。主体が今ここに認識していないものは、主体的観点からは、「存在しない」と言い切ってかまわない。主体が今ここで認識したとき、それは「在る」。主体はとても偉いのだ(笑)。 だから仏陀が言ったとされる「唯我独尊」 (ただ私だけが尊い)なのである。そして、もちろん、その「主体」、「私」は、人間的私・自我・肉体のことではない。(そこを誤解すると、非常に傲慢な考えとなるので、注意が必要である)

そして、混乱が起こる原因は「言語」 のせいである。言語は主体の科学を語るには本当はまったく向いていない。なぜなら、言語は根本的に二元世界の産物で、時間のある世界を語るための道具であるからだ。二元世界の産物である言語で時間のない一元的世界を語ろうとすると、どうしても矛盾が生じる。こうやって書いているときでも、私はその矛盾を感じる。「体に触る」「頭に触る」という表現そのものが、そこに「体」「頭」があることを想定させてしまうのだ。

だから、語り得ないものは、語り得ないのだから、「語らない」、つまり、「沈黙」が本当は一番正しい。

しかし、私が思うに、一番正しい正論はほとんど役に立たない。そこで、最善は、セカンドベストを手に入れることである。非二元の教えに関して私が読んだ本の中で、ダグラス・ハーディング、そしてラメッシ・バルセカールの本は 「語り得えない」ものに関して、質を落とさずに、限界までうまく説明したセカンド・ベストだと、私自身は思っている。彼らが語り得ないことは、それを読む人一人ひとりが自分で埋める作業をするしかない。

2ここに頭(顔)がないことは見たけど、「だから、何?」っていう感じ。

この質問・感想には答えがない。せいぜい、「だから、それです。This is It!」  と言うしかない。

3 自分が見ているものは平凡で、至福も喜びも感じない

ダグラス・ハーディングのワークは、自分の本質(中心)へ至る超高速列車のようなものだ。なので、途中(感情、感覚、思考レベル)をすっ飛ばしていく。 「至福や喜び」というのは、中心より外側にある現象であり、あらゆる現象同様にそれは起こったり、起こらなかったりする。それに対して「私の本質」は永遠に不動で、永遠に何もない。至福や喜びさえ、ない。このワークで、至福、喜び、他人への愛情、慈悲が起こらないわけではないが、しかし、それが目的ではない。

もし「感じること」を求めるなら、それを提供するワークはたくさんある。たとえば、肉体レベルでは、ヨーガとかマッサージをやれば、気持ちよさを感じることができるはずだ。

感情レベルに関していえば、ダグラス・ハーディングはよくも悪くも、人格的には非常に保守的でどちらかといえば、19世紀的な人で、彼は感情を扱うことをあまり得意とはしていなかったようだった(ひょっとしたら、アスペルガー的な人だったかも、とも思う)。彼の青年期、セラピーとか精神療法というのは今ほど一般的ではなかったはずだ。彼は自分が発見した真理によって、青年期の問題--自意識過剰で、臆病な性格を解放することができたのだ。

しかし、今は時代が違うし、ダグラス・ハーディングのワークをやっている若い世代の友人たちはほとんどがセラピーやカウンセリング、その他の各種ヒーリングなども適宜取り入れて、自分の感情面や思考面にも取り組んでいるし、セラピーやカウンセリングを仕事にしている人たちもいる。

もし強迫的な不安、怒り、心配等に苦しんでいる人がいれば、「私とは何かを見る」方法に加えて、そういった感情面のワークも併用するほうがいいと私も思っている。

4ダグラス・ハーディングのメッセージは、「存在するのは私だけで、他のあらゆる人は私の経験の想像物である」という唯我論である。
 
これは彼の本、「顔があるもの顔がないもの」に掲載されている(254ページ)ダグラスに向けられた質問(反論)である。
 
 まず、哲学で、 唯我論(独我論ともいう)というものの厳密な辞書的定義を紹介すると、「実在するのは、わが自我とその所産のみであって、他我その他はすべてはわが自我の観念または現象にすぎない

この反論に対して、ダグラスは次のように反論している。彼の言葉を要点のみ箇条書きすると(詳しくは「顔があるもの顔がないもの」の254ページ以下を読んでください)

*よい唯我論と悪い唯我論の二種類の 唯我論がある。

*悪い唯我論は、ダグラスが「私だけが私を経験していて、私のまわりの他人たちはすべて第一人称の私以外のもので、夢の人物にすぎない」 と言うことで、こういったたぐいの唯我論は疎外と孤独とみじめさを生み出す。

*よい唯我論も悪い唯我論と同じく、私は唯一の一なる者であることを発見するが、それはすべてを含めることによって 唯一の一なる者になる。悪いほうの唯我論は排除の唯我論である。

*ここにいる私はあらゆる人の私であり、あらゆる存在の内部事情である。

*意識はただ一つであり、分割できず、これが神の唯我論であり、自分の本当の本当の姿の唯我論であり、その別名は愛である。

以上をさらに平たく言えば、ダグラスの言う悪い唯我論とは、「私(個人的自己)だけが存在していて、私が見るあらゆるものは自分の想像にすぎないから本当は存在していない」と思うことで、よい唯我論は、「『私』だけが存在しているが、その『私』は自分が見るすべての人の『私』であり、すべての人は同じ中心から世界を見ている」というものだ。

よい唯我論と悪い唯我論を区別することは非常に重要なことだ。 「唯我独尊」 と同様に、間違って理解すると、非常に人を傲慢にする危険性がある。それだけでなく、スピリチュアルな人たちがよくいう「すべて(世界)は幻想である」 と同様に、「世界は私の想像物の産物」であるという考えも、よく理解もせずに信じれば、生きることをかえって困難にするだろうと思う。

もし皆さんがダグラスの実験によって、「私とは本当に何か?」 を見て、見たうえでまた様々な疑問が生じたら(私は多くの疑問を解消するのに非常に長い時間がかかった)、疑問を抑圧せず、好きなだけ考えてみることをお勧めする。
 
最後に、 ダグラス・ハーディングが常に言っていた警告を繰り返せば、
「私の言う言葉を一言も信じてはいけない。皆さんはそれを人生のあらゆる面でテストしてください。私の言うことがダグラスの単なる妄想にしかすぎず、役に立たないゴミだと思うなら、投げ捨ててください」
  

[イベント]


「ダグラス・ハーディングの実験会 New York ワークショップ」2016年11月13日(日曜午後)
主催:山本美子 詳細は下記へ

「マインドについて学ぶ会」2016年11月26日(土曜午後) 大阪市
詳細・予約は下記へ
http://www.simple-dou.com/CCP040.html

「私とは本当に何かを見る会」2016年11月27日(日曜午後) 大阪市
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[お知らせ]

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本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。

1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
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動物園から神の王国へPDFダウンロード縦書き版」(1500円+税)(453ページ)
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ダグラス・ハーディング(4)To Be and not to be, that is the answer.2016年10月01日 08時59分51秒

 お待たせしていましたダグラス・ハーディングの新刊「存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)が10月中旬に発行、下旬には書店に出る予定です。目次は下記のサイトに掲載してあります。

 

(3)では、ダグラス・ハーディングが語る下記のテーマの中で、1のテーマを紹介した。
 
1.自分の中心から外側に広がる現象宇宙についての宇宙論。

2.自分の中心において、私とは何なのかの認識・理解。

3.非存在が、何の理由も原因もなく、突然存在となる驚異。

いわゆるダグラス・ハーディングのワークと呼ばれているものは、主に2に関するもので、「私とは本当に何かを、今ここで本当に見る(認識する)」  ためのワークである。

彼は「あなたのワークと教えを一言で要約してもらえませんか?」 と尋ねられると、たいてい、「私の仕事は、一番簡単に言えば、他の人にそう見える私の人間的外見と、今ここで私が私を見るときの私との途方もない違いを指摘することです」 と答えている。
 
そして、彼はまた、「私はキリスト教、仏教などの古くからある伝統的宗教と何一つ違ったことを言っていない」とも言う。まったくそのとおりである。「私とは本当に何か」の答えは永遠に変わらず、ただ変わるのは、その時代や文化に合った表現である。現代では、科学の発見が古来からの宗教の教えをかなり証明しつつある。ダグラスは科学時代にふさわしく、できるかぎり科学的で実証できるスタイルで、自分のワークを提出し、だから彼のワークは「実験」と呼ばれている。

そのワーク「実験」については、ここで説明するよりは実際にやってみるほうがいいので、一度もやったことがない方は、下記のYoutubeのリチャード・ラングによる実験動画を見ながら、やってみてください。

リチャード・ラングによる実験動画
https://www.youtube.com/user/FacelessJapanFilms

ダグラスは書くことにも話すことにも非常に才能があったが、それにもかかわらず、彼は「言葉は一番重要なものではない」「私の言うことを一言も信じてはいけない」と、繰り返し警告した。それはなぜだろうか?

それは、思考のレベルでどれだけ非二元の教えについて、「私とは本当に何か」 について、知識があっても(こういう分野の本をたくさん読めば、誰でもある程度は知識を得ることができる)、それは「私とは本当に何かを見る(認識する)」こととは全然違うことだからだ。また人が神とか「私の本質」について、どれほどの信念や信仰をもっていても、見ること(ヴィジョン)を排除した信仰や信念は、盲信でしかない。あるいは過去に何かの覚醒体験を経験したことがあるとしても、それも今ここでの認識とは全然異なるものである。

そして、おそらく、今回出版される本も含めて、もし読者の皆さんが彼の提唱する実験をして、「今ここで、自分とは本当に何かを見ない(認識)」しないかぎり、ダグラスの書いていることの多くは、私たちの理性には意味不明(笑)で、退屈でさえある。もちろん、「自分とは何かを見ても」、見たあと、疑問がすぐに全部解消するわけではないが、それでも彼が語っている言葉の基盤を見れば、彼が書いていること、そしてその他の非二元系の賢者の方々が言うことがはるかに理解しやすくなる。

今回の本の中で、今まで述べた1と2の話は、理性が納得するか共感するかどうかは別として、ある程度は論理的で実証しうる話なので、それでもなんとか読者の皆さんには理解してもらえるだろうと思っている。問題は、「3.非存在が、何の理由も原因もなく、突然存在となる驚異」のテーマである。ダグラスのより好きな言葉で言えば、「神が、理由も原因もなく突然世界として顕現する驚異」である。

今回の「存在し、存在しない、それが答えだ」の本では、他の本に比較して、ダグラスが特に神について熱く語っているのが特徴的で、神について書いている最中に彼の感情が非常に高揚しているのがわかる。彼は非常に科学的で理性的な人だが、こと神の話となると、父親から受け継いだ文化的遺伝のせいなのか、生涯の恋人である神、その神への愛情表現がとても熱くなり、今回の本では神への想いが満ちている。

が、ここが翻訳が非常に困難なところで、「わかりやすい日本語」と「ダグラス・ハーディングらしさ」  の両立というか調和に私は悩んで、久しぶりにそのストレスで胃が痛くなった(笑)。

「わかりやすい日本語」にしすぎてしまえば、彼が神について冗談を言ったり、言葉遊びをしたりしながら、神とは何かを文学的にかつユーモアをこめて表現しているその香りがなくなってしまい、かといって原文に忠実すぎれば、言っていることがまったく理解不可能にもなりかねない。ぎりぎり訳文を考えぬいたが、それでもこれでよかったのかどうか確信がもてない部分もある。(翻訳者の能力不足は、読者一人ひとりの神なる本質が補って読んでくださるだろうと希望している)

そもそもほとんどの人にとっては、彼の言う「存在に驚く」という意味がわりにくい。私が彼のワークショップに出たとき、彼はワークショップの最中に必ず一度は、「非存在が何の原因も理由もなく突然存在なることに私は驚く」 という発言をし、カフェや彼の自宅でお茶を飲んでいるときでも、彼はたびたび「私は、自分が存在していることに驚いている」と言ったものだった。

最初の頃、「自分が存在していることに驚いている」という発言を私はまったく理解できなかった。私にとっては、正直に言えば、存在とは驚くべきものというより、大人になってからずっと「重荷」のようなもの、いつもある「重荷」で、その何が驚くべきことか理解できなかった。彼が言う「存在」とは人間ダグラスのことだけではなく、人間ダグラスを含めた、現象すべてのことだ。

ダグラスが言う「存在に驚く」ことがどういうことか示す非常にシンプルな実験があるので、今皆さんもこの場でやってください。(10秒あればできます)

目を閉じて、自分の(映像)世界が消えたことを確認する。そして、しばらくしてから、また目を開けて、自分の(映像)世界が再創造されたことを確認する。以上。

ダグラスがワークショップでこの実験をやるのを最初に私が見たときの感想が???だった。実験の前に彼は、「これから私は世界を消滅させて、それからまた世界を再創造します」と言って、目を閉じ、それからしばらくしてから目を開けた。私はその間中、ずっと彼を集中して眺めていて、当然のことながら、ダグラスは消えたりすることもなく、ただ椅子の上に座って、目を閉じて、再び開けただけだった。

私は休憩時間に彼のところへ行き、次のように質問した。「ダグラス、あなたが目を閉じている間、私はあなたをずっと眺めていましたけど、あなたは全然消滅しませんでした。あなたが言う世界の消滅と再創造とはどういうことですか?」

すると、ダグラスはこう答えた。「それはあなたが見た世界だ。私は確かに自分の世界を消滅させ、再創造した」。そこで、私はもう一度尋ねた。「ということは、私の世界とあなたの世界と、別々の世界があるのですか?」 ダグラスは、「世界に関してはそういうことだ」と答えた。このダグラスの答えを聞いて、???の?一つ減って、??くらいにはなったが、それでも納得はできなかった。

この少しあとだったと思うけど、たまたまニサルガダッタ・マハラジの本を読んでいたとき、「私が存在するから、世界は存在する」というマハラジの言葉に出会って、突然ダグラスの言わんとしたこと、「世界は私が見る(認識する)瞬間に創造される」ということが非常に腑に落ちた。

つまり、「現象世界というのは、私が在るときにしかない」、反対から言えば、「私が在るとき、現象世界がある」(念のため言えば、この「私」は個人的私のことではない)

そして、その「私が在る」ゆえにある現象世界は、「私」によって瞬間に変化させることができるのだ。もし皆さんが目を閉じれば、映像世界を消すことができ(もちろん、そのときでも、あなたを見ている他人の映像世界の中では、あなたはただ目を閉じているだけに見えるだろう)、そして再びあなたが目を開ければ、映像、音声、触覚つきの完全なる新しい世界が再創造されることであろう。世界は毎瞬毎瞬、無(非存在)から創造されているのだ。

さらにダグラスは付け加えて、こう言っている。

本当は何もないのが普通で、在るほうが異常だ。だが、毎瞬その普通でないことが起こり続けている。だから私はそれが驚くべきことで、奇跡だとも言うのだ

しかし、私たちの常識というか理性はこう言うにちがいない。「在ることは当然で、その何が不思議ですか? 目を閉じれば、見えなくなる。それも当然の話で、そんなことに驚くのは子供だましの話でしょう」。

このテーマに関して、私はあるとき、こう自問した。「なぜ私たちは存在していることに驚かないのだろうか? 」その答えは、記憶(知識)のせいである。もし記憶がなければ、驚くべきことになる。

たとえば、今私は机のところに坐って、パソコンを見ている。次の瞬間、横を向くと、パソコンが消えて、窓が出現する。記憶(知識)のせいで、私は窓が当然そこにあると思っているので、横を向いたとき、窓が出現しても特別に驚かない。

もちろん、今でも私はほとんどのときは驚かないが、でもワンクッションおいて、改めて考えると、驚くことがある。たとえば、トイレへ行こうと思い、立ち上がって少し歩くと、トイレがちゃんと出現する――ああ、これこそ本当に魔術だ(笑)と。もちろん、毎瞬驚いてばかりいれば、人間クラブの生活に支障がでるかもしれないので、記憶とか常識はありがたくはあるが、一方で常識と記憶に支配されると、人生は老いるにつれて死に向かって歩くだけの退屈で重い旅になる。
 
ダグラスは、この3のテーマに関しては、長年「頭がない方法」の教えに親しみ、実験をやっている人たちの中でも、理解する人たちと理解しない人たちがいて、それは別に問題ではないと言っている。それは「私とは何かを本当に見る」ことのボーナスのようなもので、つまり、「驚き」という感情は起こるかもしれないし、起こらないかもしれないというだけのことだ。それでも、もし「存在に驚く」ことが起こるなら、それは神が自分の宇宙創造に驚いているということだ、と付け加えている。

ダグラスが議論しているようなこういったテーマは荒唐無稽に思えるかもしれないが、実は現代では宗教の分野ではなく、宇宙創造の秘密は、物理学者が真剣に議論していることであり、その議論の中には「宇宙が瞬間的に創造される」という話も入っている。もちろん、科学者たちは「宇宙が瞬間的に創造される」という結論には否定的なようだが、しかし、科学者たちがそういったことを真剣に考え、議論していること自体が大変に興味深い――「宇宙を織りなすもの(上)(下)」(ブライアン・グリーン著 草思社発行)は、宇宙創成の謎について物理学者たちの包括的な議論を紹介している好著である。

  
 
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ダグラス・ハーディング(3)To Be and not to be, that is the answer2016年07月17日 07時11分51秒

 今回から、ダグラス・ハーディングの教えとワークについて数回にわたって書く予定です。

ダグラス・ハーディングが生涯語り続け、書き続けたことは、テーマとしては主に三つに分かれている。

1.自分の中心から外側に広がる現象宇宙についての宇宙論。

2.自分の中心において、私とは何なのかの認識・理解。

3.非存在が、何の理由も原因もなく、突然存在となる驚異。

もちろん、以上の3つのテーマは相互にリンクしていて、全然別の話というわけではなく、ダグラスは今回のTo Be and not to be, that is the answer(存在し、そして存在しない、それが答えだ―仮称)の中でもその三つをおりまぜて語っている。

1の宇宙論は1953年に出版された彼の本、The Hierarchy of Heaven and Earth(天と地の階層)  にまとめられ、その中で彼は、分割できない宇宙全体の構造と機能、つまりそれぞれの地域的階層(銀河系、太陽系、地球、人間、分子、原子など…… ) がお互いをどう支え、お互いの中でどうゆう役割を担っているのか、非常に綿密に科学的知識を踏まえ、壮大に語っている。

ダグラスは、20代のときに図書館に通いつめ、あらゆる科学の本を読み、The Hierarchy of Heaven and Earthの基盤となる科学的知識を独学で学び、それからたぶん本の構成を長い時間かけて構想し、そして執筆に9年間かけている。
私が最初に、確か90年代の初め頃だったと思うが、The Hierarchy of Heaven and Earth の本を読んだとき、非常に難解な文体の英語で語られるその優雅で壮大な宇宙論にものすごい衝撃を受けたものだ。彼の宇宙論は、一部は、グルジェフェの宇宙論に似ているところもあるが、使われている言語表現が全然異なっている。The Hierarchy of Heaven and Earthに書かれている内容を理解するのに、非常に集中力と努力が必要で、でもその困難にもかかわらず、書かれていることに非常にワクワクするなどという読書経験はめったにできることではない。本書を読んでいるときは、人間クラブと地球上のゴタゴタをはるか下に見下ろし、優雅に宇宙旅行をしている気分が味わえ、SF小説的な発想まで思い浮かぶことがある。

私はたくさん本を読むほうではあるが、蔵書家ではなく、普段は本そのもの、そして本を所有することに過度の価値を置いていない。しかし、ダグラスのThe Hierarchy of Heaven and Earthだけは、「また読ませて、挑戦させていただきます」(笑)と、読む前に拝礼したくなるような雰囲気がある。
 
ちなみに、The Hierarchy of Heaven and Earthの本は、ダグラス・ハーディングが自分でタイプしたオリジナルな原稿が結局あまりに分量が多すぎるということで、市販された本は分量を3分の1に減らした縮小版のほうで、私がいつも読むのも縮小版のほうである。

オリジナル版は、かなり前にリチャード・ラングが3百部限定で、復刻版を作り、私もそれをいつか読もうと思い、購入してあるのだが、梱包を開いて数回見ただけで、まだ一度もそれを通読したことがない。なぜかというと、見ただけで圧倒されてしまうそのその重さと分量せいである。その本は昔の日本の百科事典くらいの大きさと重さがあり、もっているだけで手が疲れてくる。最晩年にすべての義務と仕事から解放されたら、のんびりと読もうと思っていたのだが、今はPDF版もあるので、読むのはきっとPDF版を読むことになるだろう。たぶんその分厚い本のほうは、一度も読まずに私の棺桶に入ることになるかもしれない。

さて、今回出版されるTo Be and not to be, that is the answer(存在し、そして存在しない、それが答えだ―仮称)の中でも、かなり簡略化されているとはいえ、The Hierarchy of Heaven and Earthで彼が伝えようとしたことのエッセンスがところどころ盛り込まれている。

少しだけ彼の宇宙論の要点を説明すると、

1私の「本当の肉体」は宇宙全体であり、そのどの部分を欠いても、正常な肉体ではない。

2人間という外見は、銀河からクオークに至る宇宙的階層の途中にあり、多くの「私の外見」の一つにすぎない。

3私たちは自分がどの階層の対象物を見るかによって私たちの意識はその見ている対象と同じ階層の意
識モードに自動的に切り替わる。

3についてさらに説明すると、たとえば私が、自分が見ている対象を「人間である」と認識するときに初めて、私の意識は「人間モード」になり、さらにその対象が自分の知り合いであれば、「ああ、○○さん」と呼びかけ、お互いにそのとき「個人的人間」になる。

つまり、相手(対象物))を認識するとき、相手から見られた「自分」も同時に生まれるというわけである。
まさか、非二元の教えの探求者の中で、誰かに個人名で呼びかけられて、「いいえ、私は何もない存在です」(笑)などと、非二元の知識を披露する人はいないと思うし、ラメッシやダグラスでさえ、「ダグラス」、「ラメッシ」  と呼びかけられれば、ちゃんと個人的人間として対応していた。

この見方を広げていくと、もし私が月を見て、「月だ」と認識しているときの意識は、人間モードではなく、「惑星(地球)モード」であり、「これはアンドロメダ銀河である」と認識しているときの意識は、「銀河(天の川)モード」である。あるいは、小さいものを見るときも同じことが言え、科学者が分子を見ているときは、その科学者の意識は「分子モード」であり、原子を見ているときは「原子モード」という具合である。

さらに、この話は政治的・文化的なことにも当てはまり、私たちが「中国は――の国だ」 とか「北朝鮮は日本に向けてミサイルを発射して、けしからん」 と思うときは、私たちの意識は国家モード(日本モード)になっている。これから始まるオリンピックでは、多くの国民は、個人というよりは「日本モード」になって応援することだろう。

つまり、ダグラスが言いたいことは、人は自分をいつも「個人的人間だと思って」いるが、実はそういった意識は、自分が見る対象によって自分でも知らずに常に変化しているということである。
 
The Hierarchy of Heaven and Earth から学べるもう一つの素晴らしいことは、人間がそれぞれに特有な感情や思考をもって生きているのと同じように、地球も、そして銀河も、特有の感情と思考をもって生きているということである。このことはあまり実感できなかったが、宇宙から撮られた地球の美しい映像をたくさん見ることができるようになって、感じることが色々ある。

たとえば、地球は今、青年期(十代後半)で、(地球的)自我を構築中で、青年期特有の高揚と混乱の最中にあるということだ。外から撮られた映像とは、地球が鏡に自分の姿を映して眺めているのと同じであり、青年期にありがちなことではあるが、美しい自分にうっとりしたり、また自分の問題(環境問題その他)に悩んでいる。
 
地球が青年期の自我構築を終え大人になって、大人の友人が欲しくなるとき、地球は広い宇宙で友人(や結婚相手?)探しをするはずであり、そのときが宇宙大航海時代の始まりである。それが何百年後になるかはわからないが、地球が青年期特有の愚かしい絶望に陥って自爆(という可能性もゼロではないが)しないかぎり、そういう運命であろうと思う。

以上、私が平易に説明するよりは、原書ははるかに奥深く面白いので、英語が読める方は是非、原書に挑戦していただきたいものである。 ダグラス・ハーディングのThe Hierarchy of Heaven and Earth のオリジナル版PDF(ダウンロード版)は下記のサイトで買えます。

それから、リチャード・ラングがThe Hierarchy of Heaven and Earthについて講演している動画もありますので、そちらも参照してください。
リチャード・ラングの「天と地の階層」講演録(日本語字幕付き)

http://youtu.be/f2eF52V6yIs


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ダグラス・ハーディング(2)To Be and not to be, that is the answer.2016年06月28日 07時36分52秒

前回書いたように、ダグラスの本を出すことがすぐに決まり、帰国後すぐに翻訳を始めたもののとても自分には手に負えそうにないと感じ、この人ならできるかもと思って、ある翻訳家に翻訳を依頼した。ところが断りの返事がきて、 それで「自分でやるしかない」 と覚悟を決めて取り掛かることにした。

 ダグラスとの縁はその後も続き、翌年はダグラスとキャサリンの自宅で夏のワークショップが開かれ、今度はイギリスへ出かけていった。彼らに会うという目的の他に、イギリスを見たいという気持ちもあった。前年のアイルランドは初めて行ったヨーロッパの国で、アイルランドの街を少し歩き、ヨーロッパの町並みの美しさに魅了されて、他の国も行ってみたいと思ったからだ。

自宅でワークショップなんてどんな広い家かと予想したが、ダグラスとキャサリンの家はダグラス自身が最初の結婚生活を送り、自分で設計した平屋づくりのこじまりとした家だった。ダグラスの書斎でもある広いリビングは壁一面が本棚になっていて、古今東西のスピリチャルな本がずらりと並んでいた。その広いリヴィングに20人から30人くらいの人が毎日集まり、1週間近いワークショップをやった。遠くから来ている人は、車の中で寝たり、広い庭にテントをはったり、リビングに寝袋で寝たり、私は近くのダグラスの友人に家に泊めてもらった。食事や買い物はみんなで当番で担当し、なんだか大学生の合宿のようで楽しかった。

自宅でのダグラスは、さらによりくつろいでいる感じがあり、実験を主導しながら、ときには演劇調になって(彼はシェークスピアの演劇を愛していた)髪を振り乱して、mad scientist(狂った科学者)のようになって、みんなが笑い転げたりすることもあった。 

 それから、翌年から二年続けて、日本に招待して、東京、大阪、京都でワークショップをやった。この時代のスピリチュアルな雰囲気からいって、彼の教えはほとんど理解されないだろうとは思ったが、それでもまた彼の年齢を考えて、日本に招待するなら今しかないという決断だった。

予想どおり、本は超絶的に売れず、ワークショップ自体は人は集まったものの、ほとんどの参加者たちにただ、?????を残しただけのようだった。そういった参加者の一人がそれから10年以上たったある日、私に電話をしてきてこう言った。「私はインドの非二元の教えに深く傾倒していたんで、ダグラス・ハーディングのワークショップにはものすごく期待して参加したんですよ。何かすごい経験ができるんじゃないかと思って。ところがつまらない実験ばかりで、退屈して、怒りがわいて、二日目は欠席したのです」。確かにワークショップの二日目に来ない人はけっこう多かった。

それからその人は続けてこう言った。「ところが、最近、ある団体で修行をしていたとき、突然、ダグラス・ハーティングの実験のことを思い出して、家に帰って、本を読んだら、何とダグラスの言っていることがようやくわかったんです!あのとき二日目を欠席して、もったいなかったと思ったけど、でも仕方ないですね」。
 
この人のように、ワークショップのときには???の人が、それから数年後とか10年後とか20年後に実験の意味を思い出す人もたまにいる。おそらくそれがダグラス・ハーディングがこのワークと実験にかけた希望であり、そのときは多くの人たちに嫌われ、多くの人たちを困惑させ、退屈させるにもかかわらず、実験の目に見えない影響自体は非常に長く生きている可能性がある。

さて、その後もダグラスとのご縁は続き、私は「ダグラス・ハーディングのワークショップとヨーロッパの街歩き」 というスタイルの旅&娯楽がとても気に入り、その後も機会があるたびにヨーロッパへ出かけたものだ。 ダグラスの追いかけになって(笑)、人生で初めて追いかける対象を見つけ、タレントや歌手を追いかける人たちの気持ちを理解した。そしてこれはたぶん愚かしい娯楽であった。

ダグラスはいつも「ダグラスではなく、皆さんは自分自身を見てください」とワークショップのときに口を酸っぱくして言うのだが、ついダグラスを見るのが面白くて、見てしまうのだ。だんだん親しくなって、冗談も言い合えるようになり、キャサリンの手料理がおいしいせいか、会うたびに彼のお腹が大きくなるので、彼のお腹を軽く叩いては、「ダグラス、またお腹が一段と成長しましたね」とか、からかったりしたものだ。若い頃の彼は、写真から見るにどこか近寄りがたい天才の雰囲気があるが、私が会った頃の彼は好好爺という感じで、私にとっては自分の祖父のような人だった。

そんなふうにご縁は続き、最後にお会いしたのは、彼が亡くなる半年前、自宅を訪問したときだ。その頃は彼はもう車椅子生活でほとんどしゃべらず、車椅子の上で本を読んでいるか、リビングから遠くの風景を眺めているか、昼寝をしているか、という生活を送っていた。人間的な記憶がかなり欠落して、もう私を見ても、誰かわからなくなっていた。 それでもキャサリンが、「スピリチュアルな話ならできると思う」と言うので、これが最後の機会だと思い、私が長年キリスト教の教義で疑問に思っていることを、思い切って質問してみた。彼はその質問を理解し、その場でペンをとって、紙の上にイラストまで書いて説明してくれた。

以上、簡単に私とダグラス・ハーディングとその教えとの出会いについて書いてみた。何事にも飽きっぽいし、特定の一つのことに長く熱中したことがない私にとっては、ダグラス・ハーディングの教えと彼自身とのご縁は異例中の異例だ。だいたい若い頃から、面倒なことやお金が儲からないことは基本やらない主義のはず(笑い)が、どんどんそれとは正反対の方向へ行くのは、エゴ的に見ると悲劇だ。だからなおさらそれは私の個人的意志ではないのだと確信している。
 
お金も人気も出ないにもかかわらず、私が彼と彼の教えを愛しているのは、いくつかの自分でも納得できる理由がある。

まず彼のワークに関して言えば、非常にシンプルで、これをやるのに時間とお金がかからず、先生さえも必要ではない。スピリチャルなワークでこれは非常に重要なことだと思っている。なぜなら、やるたびにお金と時間がかかるものを人は長く続けられず、そして長く続けなければ、何事も自分でその効果を感じるようにはならないだろうからだ。そして、やるたびに指導者が必要なものも、非常に制限がかかる。ダグラスと一緒に実験をやるのは非常に楽しかったが、でも別に彼がいなくても、実験はどこでもいつでもできる。しかも彼が生きていた間は、ワークや実験に関して、どんな質問でも答えてくれた。

それから彼のワークと彼との縁が続いた二番目の理由は、ダグラス自身と彼を取り巻く雰囲気にあった。彼は自分をスピリチャルなグルや教師として扱われることを何よりも嫌っていて、だからまわりの人たちもみな彼を尊敬し、愛してはいたが、友人ダグラスとして気楽に付き合っていた。彼は自分のまわりに階級制を作らず、だから彼のワークショップでは、初めて実験に参加した人も何十年実験をやっている人も、ダグラスもキャサリンもみな同じ立場で、みな初心者として実験を楽しんでいた。彼のまわりにはいつも自由と平等と友愛の雰囲気があった。

階級制ということに関していえば、エゴほど階級制を愛しているものはない。もし皆さんが世俗社会を見たら、そこは階級社会である。人間のエゴは平等を語るが、本当は平等を嫌っているというのが、真実だ。人よりも出世したい、人よりも好かれたい、人よりもお金を稼ぎたい、人よりも美しくなりたい、人より有名になりたい、人よりも幸せになりたい。このように誰も、人よりも少しでも「よりよい」立場になりたい、つまり自分が生きている社会や集団の階級を上りたい、これがエゴを駆り立てる衝動である。

しかし、真正のスピリチュアルな教えは、あらゆる人の根本的平等を最初から保証する。その平等は「そうであれば素晴らしい」とか「そうであるべき」という道徳的な観点から出てくるものではなく、現実の観点から出てくるものである。つまり、一人ひとりはどれほど違って見えようとも、エゴがどれほど平等を嫌っていても、世俗世界の階級的立場がどれほど高かろうが、低かろうが、霊的修行をどれほどやっても、やらなくても、あらゆる人はすでに(この「すでに」という言葉を強調するが)霊的にはみなまったく同じ本質をもっている、言い換えるなら、まったく同じ源泉から生きている--これが究極の現実で真実だからだ。これがダグラス・ハーディングが生涯、百万回も語り続けていることであり、今回のTo Be and not to be , that is the answerでも衰えない情熱でそれを語っている。

が、階級制のない教えは人気がないのも事実だ。なぜなら、階級と達成感を愛するエゴにはアピールしないからである。ダグラスは、私とは違う観点で、「頭がない方法」  の人気のなさをTo Be and not to be , that is the anwer の中で自分でも分析している。ダグラス・ハーディングの教えに限らないが、非二元の教えはシンプルでかつ同時に非常に困難でもある、というのが長年にわたってこの教えと関わった実感である。

それでも私の場合がそうであったように、個人の意志とは関係なく、縁のある人たちは「頭がない方法」 を学び、その道を探求するものだと私は確信している。


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次回は、ダグラス・ハーディングの話は一回お休みして、先日見に行った(聴きに行った)もう一人の元気な90代のおじいちゃんの話を書く予定です。


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1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!

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なお現在は、パソコン等では、横書きの文章のほうが読みやすいという人たちもいると思い、縦書き版と横
書き版の二種類の版を用意してあります。 編集の都合上、総ページ数(縦書き版が453ページ、横書き版が367ページ)は異なっていますが、内容はまったく同じです。

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動物園から神の王国へPDFダウンロード縦書き版」(1500円+税)(453ページ)
   http://www.dlmarket.jp/products/detail/331107

動物園から神の王国へPDFダウンロード横書き版」(1500円+税) (367ページ)
  http://www.dlmarket.jp/products/detail/331108

試読版(無料)は上記のサイトから、会員登録等なしに、どなたでも自由にダウンロードできますので、本との相性を確かめて、購入の判断をしていただければと思います。 (画像の下の、「立ち読みできます」をクリックすると、試読版PDFを無料でダウンロードできます)

*DLmarketで下記も販売中です。(無料試読版は会員登録不要で、自由にダウンロードできます――画像の下の「立ち読みできます」をクリックしてください)  
 
「楽しいお金」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
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「1994年バーソロミュー・ワークショップ東京会場1日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
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「1994年バーソロミュー・ワークショップ東京会場試聴版」(無料)
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ダグラス・ハーディング(1)To Be and not to be2016年06月20日 16時04分43秒

今、ダグラス・ハーディングの新刊、To Be and not to be, that is the answer(存在し、存在しない、それが答えだ-仮称) の編集作業を進めている(出版時期は現在未定ですが、たぶん夏の終わり頃の予定で
す)。

訳者あとがきの内容と一部重複するが、彼の教えとの出会いから書いてみよう。

話は、1980年代の後半まで遡る。たまたま読んでいたある本にダグラス・ハーディングのOn Having No Head(「心眼を得る」) のある章の翻訳が掲載されていて、私はその文章に非常に強い印象を受けた。悟りや覚醒についてのまったく斬新な彼の表現を非常に不思議というか奇妙に感じ、同時に非常に重要な何かを言っているのだとも感じた。それで、どうしても本全部を読まなければいけないと思い、なんとか情報を調べて、On Having No Headとその他の彼の本を数冊手に入れ、読み始めた。
 
読み始めて、そして同時に実験もやってみて、私は次のことをおおまかに理解した。

*いわゆる「悟り」(この言葉を私は好まないがあえて使うと)や覚醒 は個人にはない。つまり、個人は絶対に悟らない、覚醒しないということ。

*では、覚醒とか「悟り」とはどこにあるかといえば、主体である「私」(この場合の「私」は個人的私、人間的私という意味ではない)はすでに永遠に悟っている。

*しかし、同時に私たちが見る現象世界は般若心経で言うまさに色即是空、空即是色である。涅槃と世俗(悟りと迷い)はまさにコインの表裏のようにピッタリとくっついている。

私は30代の初めからタデウス・ゴラスの「怠けものの悟り方」路線であり、元々修行とかそいうことは好きでなく、坐ってやる瞑想もある時期はやってみたものの、もう退屈でやる気も起きなかったので、ハーディングの本によって、「個人は悟らない」と知って、私は何かひどく安堵した。つまり、「個人は悟らない」なら、悟るためのどんな修行も努力も無駄ということであり、やはり「怠けものの悟り方」路線のままでOKなんだと再確認したわけである。そして今までどおり、自分が気のむくまま自分が好きなことをやっていけばいいのだと思った。
 
彼の本を読んだおかげで、長年の疑問が解消されたと同時に、また多くの疑問も生じ、それらの疑問について考えるために、私はありとあらゆるスピリチュアルな本を買いあさって読むようになった。

ときはちょうどバブル経済がはじけた頃の話で、その当時私の中ではダグラスの教えは、様々な教えの中の一つにすぎなかった。たぶんダグラスご本人と会う機会がなかったら、彼の教えも自分を通過した数多くの教えの一つにすぎないままだったかもしれないと思う。たまたま90年代の中ばに彼がまだ生きていることを知り(彼は1909年生まれなので、もうとっくに死んでいると私は思い込んでいた)、当時彼の秘書をつとめていた女性のところへ問い合わせの手紙を書いたのだ。

すると折り返しすぐに「ダグラス・ハーディングは今でもヨーロッパとアメリカでワークショップをやっています。よかったら参加してください」という返事がきて、その年の夏、アイルランドで開かれる6日間合宿ワークショップの案内が同封されていた。

その金額の安さに驚愕して、とにかくこんなに安いし、「頭がない」なんて、とんでもなく奇妙なことを言う人がどんな人なのか見たいという好奇心を抑えられなくて、アイルランドまで出かけることにした。

アイルランドへ行く飛行機の中で私は、「ワークショップの値段がこんなに安いし、しかも、彼の本はイギリス最大手の出版社Penguin社から出ているので、彼は相当に有名な人のはずだ。きっとワークショップには数百人の人が来るんだろうなあ」とぼんやりと考えていた。

ところが、私がワークショップの会場であるペンションに到着して、ワークショップの会場となる食堂へ行ったら、椅子が30個くらいしか置いていない。そうこうするうちに参加者が食堂に集まってきて、少し待っているとダグラスとキャサリンも入ってきて、総勢で25人くらいでワークショップは始まった。参加者は毎日増えたり減ったりで、多いときは40人くらいになる日もあれば、少ない日は20人以下になるときもあれば、途中で帰る人、途中から来る人など、様々だった。

そんなに少人数だったおかげで、一人ひとりがゆっくりとダグラスと話す時間もあって、 彼もまた遠くから来た私に何かと気を使ってくれて、ペンションのまわりの環境も素晴らしく、食事もおいしく、生涯参加したもっとも楽しいワークショップだった。

私はすでに実験を自分でやっていたので、ワークショップ自体は別に目新しくもなく、特に「ワオー」 みたいな経験もなかったが、ダグラス・ハーディングという人を間近に見て、彼の知性、思いやり、独特のユーモア、英語でいうところのgenerosity(なかなピッタリな日本語がないけど、あえて訳すと「気前のよさ」) 、そして、自分を何かの権威やグルに仕立て上げない誠実さに、私がものすごく感激したことは確かだ。しかも、彼はちょうどキャサリンと再婚したばかりの新婚だったせいか、気力は充実し、幸福オーラに包まれ、80代半ばの人とは信じられないくらい元気だった。

「この人は本当に自分が話している真理を生きている。神の王国に住んでいるだ」と、生涯初めて「神の王国とは何か」を本当に知っている人に出会ったと確信した。
 
しかし、そう感激はしたものの、最初は別に彼の教えを広めたいとも、彼の本を翻訳したいという積極的な気も起きなかった。たまたま世間話をしているときに、私が出版の仕事をしていることを彼が知って、彼のほうから日本で自分の本を出版したらどうかと言って下さったのだ。ありがたい話ではあったけど、正直なところ、内心はかなり困って(笑)しまった。なぜかというと、まず第一に彼のあの難しい英語を翻訳する自信がない、それから、出してもたぶん売れないだろうということがわかっていたからだ。

しかし、彼の前で、「あなたの本は日本ではたぶん売れないと思うので、出せません」と、断るわけにもいかず、最終的には彼の年齢を考えて、彼が生きている間にぜひ彼の本の日本語版を出したいという私の中のもう一つの正反対な気持ちが勝ち、もう信じられないスピードで本を出す話が決まった。



[ ken 様の質問への答え]

ダグラス・ハーディングのThe Hierarchy of Heaven and Earth のオリジナル版PDF(ダウンロード版)は
下記のサイトで買えます。
[イベント]                                                  
 
 「私とは本当に何かを見る会」2016年7月3日(日曜午後) 東京
 
詳細・予約は下記へ
   http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank014.html


[お知らせ]

4月4日より、下記DLmarketでAmazonのアカウントも利用できるようになりました。

*「動物園から神の王国へ―サルの惑星、のような星で、平和に生きるために」(PDFファイル)ダウンロード版は、DLmarketのサイトで販売しています。お手持ちの機器(パソコン、タブレット、スマートフォン)に、PDFを読むソフト(AdobeReader等)が入っていれば、どなたでも読むことができます。

本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。

1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!

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書き版の二種類の版を用意してあります。 編集の都合上、総ページ数(縦書き版が453ページ、横書き版が367ページ)は異なっていますが、内容はまったく同じです。

*購入についての詳細は、購入前に下記のDLmarketのサイトを見てください
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動物園から神の王国へPDFダウンロード縦書き版」(1500円+税)(453ページ)
   http://www.dlmarket.jp/products/detail/331107

動物園から神の王国へPDFダウンロード横書き版」(1500円+税) (367ページ)
  http://www.dlmarket.jp/products/detail/331108

試読版(無料)は上記のサイトから、会員登録等なしに、どなたでも自由にダウンロードできますので、本との相性を確かめて、購入の判断をしていただければと思います。 (画像の下の、「立ち読みできます」をクリックすると、試読版PDFを無料でダウンロードできます)

*DLmarketで下記も販売中です。(無料試読版は会員登録不要で、自由にダウンロードできます――画像の下の「立ち読みできます」をクリックしてください)  
 
「楽しいお金」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
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