最近読んだ本から2023年06月11日 09時26分11秒

[ お知らせ]
1994年10月に、バーソロミューが東京でおこなったワークショップの記録を下記で公開しています
(英語と日本語通訳の音声と日本語字幕付き)。現在(1)から(8)まで公開中。


1『お金のむこうに人がいる』田内学(ダイヤモンド社)

(実は、前回のブログのタイトル、『言葉の向こうに人がいる』は、本書のタイトルから借用させてもらった)。本書は、元外資系金融のトレーダーだった人が、専門用語を使わずに、お金や経済、金融についての疑問を解き明かした本である。著者は、「自分は長年、トレーディングの仕事をしながら、お金のことをとことん考えてきた。自分の頭で考えるときに、専門用語は必要なかった。専門家が専門用語を使うときは、相手をごまかそうとするときだ」と書いている。まったくそのとおりだ。新聞やネットに出ている経済や金融の専門用語や専門的説明がわからなくても、まったく問題ではない。自分で「お金とは何か」「経済とは何か?」を考えれば、いいだけなのである。

そうはいっても、素人には、ゼロからお金や経済について考えることは難しいかもしれない。そんなときに何か考える材料が欲しいという人には、本書はピッタリである。著者は、様々な質問を通じて、お金に関する社会の常識は本当か?という問いを読者に突き付ける。本書を読み終えたときには、老後資金問題、日本国の借金問題などに、「ああ、そういうことか!」と新鮮な発見があることだろう。そして、なによりも、自分がお金のやりとりをするとき、その向こうにいる「人」を意識するようになることだろう。


2『解毒剤―ポジティブ思考を盲信するあなたの「脳」へ』(オリバー・ハックマン)東邦出版
(本書は、『ネガティブ思考こそ最高のスキル 解毒剤』というタイトルで最近復刊されたようだ)。

最近、世界的ベストセラーになっている『限りある時間の使い方』(こちらの本は未読)の著者の以前の本の邦訳本である。

本書『解毒剤―ポジティブ思考を盲信するあなたの「脳」へ』は、ジャーナリストである著者が、世界の様々なスピリチュアル、精神療法(心理学)の先生(著名なエックハㇽト・トールにも会いに行き、そのときの様子も掲載されている)を訪問し、また瞑想キャンプにも参加しながら、いわゆる「ポジティブ・シンキング」と呼ばれている考え方が何をもたらすのか、実証的に考察した本である。

最初に登場するのは、著名なポジティブ・シンキングの先生で、1万5千人もの人たちが集まるその集会の雰囲気は、あとで紹介するトランプ元大統領の集会にそっくりである。「俺たちに不可能はない!」的メッセージの連呼は、集会の参加者(信者)たちにある種の陶酔をもたらし、まあ、言葉は悪いが、「ポジティブ・シンキング馬鹿」を生み出す。

私が本書に書かれたエピソードでもっとも印象に残ったのは、目標達成についての章のヒマラヤ登山の話である。ヒマラヤ登山では、どれほど頂上に近づいても、危険が差し迫っているときには、引き返す勇気が一番大切という話である。そのルールを破って、ある登山グループが危険をかえりみず、登山を強行し、登頂には成功(目標達成に成功)したものの、そのあと遭難するという有名な事故が昔あったそうだ。

この話を読んで、私が真っ先に思い浮かんだことは、現在、マイナンバー・カードと健康保険証(そして、将来は運転免許証など)を、リスクの検証もほとんどやらずに、一本化しよう(「リスクは分散する」って、現代のリスク管理の基本ではなかったっけ?)という目標達成に躍起になっている日本政府の姿である。このプロジェクトの現在の最高トップである河野大臣は、「猪突猛進」という言葉がぴったり当てはまる人で、「なにがなんでも俺はやる抜く」的ポジティブ・シンキングの持ち主という印象がある。今でさえ、マイナンバー・カードの問題点が日々報道されているが、目標達成に執着するあまり、もっと大きな問題をばらまくことになるような感じ……

その他本書に、「目標達成をイメージする」(成功哲学では、非常に有名な方法)は、かえって、目標達成を妨害するという実験など、興味深い話が多く掲載されている。経験的にも、著者が提唱する、ネガティブ・ケイパビリティ(「否定的なことを受容する能力」くらいの意味)のほうが、はるかに心の平和に役立つだろうと私も思っている。ただ、本書も、著者のポジティブ・シンキング嫌いという偏見が多少かかっている感じもあり、それこそ「盲信」しないで、読むことをお勧めする。


3『アンダークラス』(相場英雄)小学館

ネット通販のおかげで、私たちは「できるだけ安いものをできるだけ早く」手に入れることができる消費王国の時代を謳歌している。本書は、私たちの快適な消費ライフを背後で支えているブラックな世界(階級の上の世界に所属する者たちが、階級の最底辺層=アンダークラス=世に言うブラック企業とそこで低賃金で働かざるを得ない人々を搾取する世界)を、ミステリーの形で描いた本だ。本書は、娯楽本なので、弱者に心を寄せるヒーローたちがいて、彼らは、弱者を利用し、罪に陥れようとする上層階級の人間を執拗に追い詰め、最後には真実を明らかにする。しかし、現実には、ヒーローはそうそう登場しないものだ。

本書を読んだせいばかりではないが、通販で買い物するとき、最近気分があまり晴れないときがある。だからといって、通販での買い物をやめることもできず、まあ、自分にできることは、自分がこれを手にした背後に、様々な人たちの労働があったこと=「自分が払ったお金の向こうに人がいる」ことを思い起こすことくらいだけど。


4『トランプ信者潜入一年――私の目の前で民主主義が死んだ』(横田増生)小学館

2020年のアメリカ大統領選のときに、著者はトランプ陣営の選挙スタッフとして潜入し、トランプ元大統領を熱狂的に支持するトランプ教の人たちを取材しながら、アメリカという国の現在を浮かび上がらせている。トランプ元大統領とは、1で話題にした「ポジティブ・シンキング」のまさにサンプルのような人であり、彼の中にそれこそ「ポジティブ・シンキング」の欠陥を見ることができるかもしれない。

つまり、自分の中に否定的なものを見ることを絶対的に拒否する反動で、自分の外側(自分とは意見が異なる側)を全部「敵」と認定し、「悪」として攻撃する。こんなにウソを並べたて、自分の好き嫌いを声高に叫び、他者を攻撃することを喜びとする人が、国家の最高権力者になったことも驚きだが、本書でさらに興味深いのは、トランプさんの言葉に酔いしれるいわゆるアメリカの「トランプ信者」たちの様子だ。アイドルに陶酔することで自分たちがかかえる本当の惨めさ覆い隠し、それはかつてヒットラーに心酔したドイツ国民に似ている感じがあり、アメリカもそろそろ「終わりの国」であることを印象づけている。著者は最後に、「民主主義の死」について警告しているが、アメリカの子分のように長年振る舞っている日本だって、民主主義は相当にあやうい。


5『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(奥野克己)亜紀書房

人は、自分が生まれ落ちた家庭環境、そして地域環境の文化的価値観の束縛を受ける。もし私たちが一生、生まれた場所から移動しないで、その場所で生活し続けるとしたら、生涯その文化的価値観を絶対のものと考え、それ以外の生き方、価値観はないと思い込むことだろう。

私が自分の家と生まれた場所を離れて、最初にわかったことは、世の中には色々な家庭(地域)環境があり、色々な親がいて、色々な家庭がある、ということだった。そして、人は自分が生まれ落ちた家庭の価値観に相当束縛されていることにも気づいた。

それから、文化人類学という学問を学んだおかげで、私たちが当然だと思っている日本という国の文化的価値観も絶対的なものではなく、世界には無数の文化があり、それぞれの文化にはそれぞれの固有の価値観があることを知って驚いた。文化や価値観の多様性に私の目を最初に開いてくれたのが、文化人類学という学問だったのだ。

本書は、ボルネオの狩猟採集民「プナン」でフィールドワークをした人類学者が、プナンの人たちには、「ありがとう」や「ごめんなさい」という観念も、それに相当する言葉もないことに衝撃を受け、それがいったいどういうことなのか、プナンの人たちと一緒に暮らした日々を綴りながら、哲学的思索をした本である。

たとえば、プナンの人たちが著者にお金を借りに来る。でも一言の「ありがとう」もなければ、返金もまずない。また、著者から物を借りて、返ってきたときには、壊れていても、「ごめんなさい」もない。そもそも「借りる」という観念がないのだ。あるいは、著者が不在中に勝手に物をもっていく。プナンでは、物を所有するという観念がほとんどなく、もっているものはすべて必要な人に分け与えるのがよいとされている。

プナンの人たちの価値観とは、「人々が生き続けて、共同体が存続すること」というきわめてシンプルなもので、それに役立たないものは、儀式も儀礼も観念も物も所有しない。死者への敬意や愛情すらなく、人が死んだら埋めて、さっさと忘れるのがよいとされる。明日も過去もなく、「個人には何の責任もない」とか、「今、生きていること、それだけが重要」って、なんだかラメッシ・バルセカールの教えをみんなで実践しているような民族(笑)である。

もちろん、彼らの価値観も多くある文化的価値観の一つであり、絶対的価値観でもないし、日本のような社会では、「ごめんなさい」、「ありがとう」とういう言葉は、ある種の潤滑油の役割もあると思う。でも、こんなふうに人が生きている社会もあるんだということを知れば、次回人から、「ごめんなさい」、「ありがとう」を言われなくても、「ああ、プナン的か」と思って、あまり腹もたたなくなるかもしれない。


[昨年の発売された本]

『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)

目次の詳細は下記へ。

販売サイト


*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)


目次の詳細は下記へ

販売サイト


海外の方は、USアマゾンからもダウンロードできます。
『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』
https://www.amazon.com/dp/B0BBBW2L8B/ 

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うためにhttps://www.amazon.com/dp/B0BC5192VC/


『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』は、過去10年ほどの間、私が主催している会で、ダグラス・ハーディングの実験、ラメッシ・バルセカール&ニサルガダッタ・マハラジについて話していることをまとめたものです

会にすでに参加されたことがある方には、重複する話がほとんどですが、会で配った資料を体系的に読むことができ、また必要な情報をネット上で即アクセスできる利点があります。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約124,000字――普通の新書版の1冊くらいの分量です)

『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』は、肉体・マインドとは、どういう性質のものなのか、それらとどう付き合ったら快適なのか、それらを理解したうえで、どう人生を生き抜いていくのか、主にスピリチュアルな探求をしている人たち向けに、私の経験を多少織り交ぜて書いています。肉体・マインドは非常に個人差のある道具なので、私の経験の多くは他の人たちにはたぶん役には立たないだろうとは思うのですが、それでも一つか二つでも何かお役に立てることがあればいいかなという希望を込めて書きました。付録に、『シンプル道日々2――2019年~2021年』)を掲載しています。(総文字数 約96,500字)