愛国と防衛2017年04月24日 08時14分39秒

先日、「ダグラス・ハーディングの会」のために岐阜市を訪れた。岐阜県に降り立つのは何度目かだが、岐阜市に来たのは初めてだ。岐阜市在住の方に車であちこち案内してもらい、ちょうど桜が満開の岐阜市内とその周辺地域を散策した。岐阜県の魅力や歴史についても色々と教えていただき、日本再発見という感じである。

ついでに養老郡まで行って、荒川修作さんの有名な作品である、養老公園にある「養老天命反転地」も訪れ、何とか転ばずに歩くことはできたのもものの、彼がこの公園にこめた意図―「死ぬという宿命を反転する」――は、残念ながら私には理解できなかった。

日本の町を歩くといつも思うのだ――ああ、なんて日本はいい国なんだ、地上の天国だなあと――風景は美しい、町は清潔、食べ物はおいしい、人は親切、汽車は遅れない――日本のよいところを数え上げるときりがない――愛国同盟の一員になったみたいな気分だ(笑)。もちろん私は、海外へ行けばその国のよいところを認め、その国を愛する者になるけど。
 
大学生の頃、私はよく日本国内を旅行したが、その時代は気分が暗かったので、旅の風景もそれを反映して、何となく暗い印象が思い出に残っている。若い頃は自分のことで精一杯で、自分が見ている風景・環境、あるいは住んでいる日本という国に思いをはせる余裕がなかったのだ。ようやくのんびり平和に風景を眺めることができる愛国者になれて、うれしい気分である。

「愛国」という言葉は、政治的な意味合いで使われることが多い気がするが、「自分を愛する」ことが自然なことで、政治的なことではないように、「自国を愛する」ことも、どこの国民にとっても自然なものだ。

ただし、他者を貶めて、その比較による自己愛が本当の自己愛ではないように、他国を貶めて語る愛国も本物ではないと私は思っている。

そして、愛は、自己に対するものにしろ、国家に対するものにしろ、親に対するものにしろ、「愛すべき」として強制すべきものではないし、道徳的なものでもない。それは自然に生まれるときにしか、本物ではない。

私の考えでは、その国に今いった意味での愛国者が多いほど、国家は安定し、強いものだ。そして、世界に日本の友人が多いほど、つまり、世界で日本や日本文化(日本語)を愛し、関心をもつ外国人が多ければ多いほど、日本はより強くなるのだ。 「関心=愛=パワー」である

話は少しそれるが、最近、youtube で非常に上手な日本語を話す外国の若い世代の人たちの動画を見たことがある。彼らは日本のアニメや漫画から日本語を学んだという。彼らは非常に日本びいきで、ありがたいことに日本と日本文化に純粋な関心をもっている。

アメリカにこびて、防衛費を増やすくらいなら、世界で日本語や日本文化を学んでいる人たちのためにそのお金を使って、日本語と日本文化の普及に努め、世界中に日本のファンというか応援団を作るほうが、これから数十年の日本という国のパワーアップと防衛に、はるかに役立つはずだと、私は思っている。

そんなふうに最近時々、愛国と防衛について考えて楽しい気分になっていたら、地上の動物園(政界)では、日本の防衛のリーダーである安倍首相と稲田防衛大臣は、愛国同盟の同志に裏切られて、崖っぷちではないか!  自分すらまともに防衛〈弁護〉できない人たちが、朝鮮半島に戦争機運が高まっている状況で、日本のリーダーとして他国とタフな交渉ができるのかどうか、心もとない感じではあるが……

しかし、私のモットー、「在るものを受容し、ないものを嘆かない」に従って、安倍首相と稲田防衛大臣の存在を受容し、辛口の応援をすることにしよう。

「昨日の友は今日の敵、今日の敵は明日の友」という動物園のルールをよく理解して、 日本国の領土に爆弾やミサイルが落とされないように、倒れるまで頑張ってください!


[イベント]                                                  
 
 「私とは本当に何かを見る会」2017年5月21日(日曜午後) 東京 
 
[お知らせ]
 
ダグラス・ハーディングの新刊「存在し、存在しない、それが答えだ」(ナチュラルスピリット発行 本体価格 2300円)好評発売中

目次は下記のサイトに掲載してあります。
http://www.simple-dou.com/CCP041.html

  


[シンプル堂電子書籍]

*「動物園から神の王国へ―サルの惑星、のような星で、平和に生きるために」(PDFファイル)ダウンロード版は、DLmarketのサイトで販売しています。お手持ちの機器(パソコン、タブレット、スマートフォン)に、PDFを読むソフト(AdobeReader等)が入っていれば、どなたでも読むことができます。

本書の詳しい目次は下記のサイトに出ています。

1部 ヒトにおけるセックスと闘争・暴力の問題について
2部 サルの壁 人の壁
3部 人生は、ド・アホでいこう!

DLmarketからファイルをダウンロードするためには、まず会員登録をする必要がありますが、Facebook、Twitter、楽天のアカウント、Yahoo!Japan のID、Amazonのアカウントもご利用でき、各種支払いにも対応しています。(銀行振り込み、コンビニ支払い、Amazonペイメント、クレジットカード、Paypal、その他)。

なお現在は、パソコン等では、横書きの文章のほうが読みやすいという人たちもいると思い、縦書き版と横
書き版の二種類の版を用意してあります。 編集の都合上、総ページ数(縦書き版が453ページ、横書き版が367ページ)は異なっていますが、内容はまったく同じです。

*購入についての詳細は、購入前に下記のDLmarketのサイトを見てください
 http://www.dlmarket.jp/

動物園から神の王国へPDFダウンロード縦書き版」(1500円+税)(453ページ)
   http://www.dlmarket.jp/products/detail/331107

動物園から神の王国へPDFダウンロード横書き版」(1500円+税) (367ページ)
  http://www.dlmarket.jp/products/detail/331108

試読版(無料)は上記のサイトから、会員登録等なしに、どなたでも自由にダウンロードできますので、本との相性を確かめて、購入の判断をしていただければと思います。 (画像の下の、「立ち読みできます」をクリックすると、試読版PDFを無料でダウンロードできます)

*DLmarketで下記も販売中です。(無料試読版は会員登録不要で、自由にダウンロードできます――画像の下の「立ち読みできます」をクリックしてください)  
 
「楽しいお金」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/290251


「 楽しいお金3」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/290294

 「人をめぐる冒険 」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/290283

「1994年バーソロミュー・ワークショップ東京会場1日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297870

「1994年バーソロミュー・ワークショップ東京会場2日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297880

「1994年バーソロミュー・ワークショップ京都会場1日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297958

「1994年バーソロミュー・ワークショップ京都会場2日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297975



 





「老楽国家論」ーーみぞの鏡2016年04月05日 17時40分28秒

前回の続きに、「人間クラブ」の話を書く前に、今回はちょっと別の話題について。

今、浜矩子さんというエコノミストの方の本、「老楽国家論--反アベノミックス的生き方」(新潮社)を読んでいる。浜矩子さんは今、人気のエコノミストで、安倍政権の経済政策を批判した「アホノミックス」 という言葉を作った人だ。私は昔ほど経済に関心がないけれど、それでもたまに浜さんの本を読んで、「ああ、なるほど」と思うことがある。浜さんはアベノミックスがなぜうまくいかないのか、経済理論と歴史と国際経済情勢から専門的にわかりやすく説明している。

 「老楽国家論--反アベノミックス的生き方」の本の最初は、経済理論の話ではなく、まず人気小説「ハリー・ポッター」(私は読んだことがないけれど)から入っていくあたりが、男性の方の経済本ではないやわらかさを感じさせる。

最初の話は、その「ハリー・ポッター」の中に出てくる「みぞの鏡」で、「みぞの鏡」は、誰がこの鏡をのぞき込んでも、そこにはいつも輝いている理想の自分がいる、まさに「望み鏡」なのだそうだ。素晴らしい鏡なので、鏡の中の自分に見とれてしまうが、そこが恐ろしいところで、自分の理想象を見てしまった人間は自分の実像を見失って、鏡の前から離れられなくなり、他のすべてを忘れ、立ち枯れてしまう。結局のところ、「みぞの鏡」は人を死に至らしめる殺人鏡ということである。

で、話はそこから経済の話になり、浜さんによれば(そして私も同意するが) 今の日本の経済社会が「みぞの鏡」病におかされているという。つまり、昔の高度成長時代の元気があった頃の自分の姿を「みぞの鏡」に映して見とれ、自分の現実を忘れている。

そして安倍首相その人が一番その病魔に取り憑かれ、「若き日よ、もう一度」と、言葉だけは勇ましいらしい。(私は安倍首相の演説の言葉をよく知らないが)本書によれば、「日本を取り戻す」とか、「世界を席巻する日本」「一億総活躍時代」 とか威勢のいい言葉が多いらしい。
 
昭和20年を今の体制の一歳だとすれば、今、日本は71歳の老人であり、日本の老いはあらゆるところに見てとることができる。街を歩いていても、スーパーで買い物をしていても、老年の人の姿が目立ち、他の場所は空いているのに、病院はどこでも老人で満杯で、庶民の一番共通する話題は親の介護の話で、そして病院と介護施設はみなどこも疲弊している。

政治家の皆さんは、「自分が元気で若い」という自己イメージをもっている人たちが多いようなので、なおさら日本の老いを直視できず、頑張ればまた昔のようになれるという幻想をもつのかもしれない。
 
もちろん、老人が元気なのはいいことである。でも無理な若作りは痛々しい。安倍首相がやろうとしていることは、私のイメージでは、老人(国)を過酷な運動会(オリンピック)で走らせようとしたり、今まで銃なんかもったことがない老人(国)に銃をもたせ、無謀な若造(アメリカ)の援助をさせようとするものだ。

安倍首相ご本人は「強い日本」にかなり執着しているようだけど、本当は自分の内側に弱さを隠し持ちそれを認めようとしない人だけが「強い自己イメージ」に固執するものである。安倍首相は最近も、消費税値上げに反対意見を述べそうな、ノーベル経済学賞を受賞した著名な経済学者二人をわざわざ日本に招待し、消費税値上げ反対を言わせて、マスコミを利用してそのニュースを流し、選挙対策のために来年の消費税値上げ凍結の流れを作ろうとしている。「ノーベル経済学賞」というブランドを利用するあたりが、安倍首相(政権)の小心さを印象づけるものだ。

しかし、今の日本が安倍首相をリーダーとしているのも偶然ではなく、それこそ首相とはその国の現実を写し出す鏡である。安倍首相は、この国の多くの国民(多くは政治的ではない中高年たち)がかかえる老いによる弱体化への漠然とした不安を代表していると、私はそう感じている。人は不安を感じるとき、言葉の威勢がよく元気で、ある種攻撃的な言動の人たちに希望をつなぐ。人は自分(の国)が弱いゆえに、攻撃されるのではないかという不安があるとき、強い人(国)に守ってもらいたいと思う。

そして、安倍首相が頼みにしているらしいアメリカでさえ、トランプさん(共和党の大統領候補)のような暴言男が勢いがあるのは、アメリカが日本以上に弱体化していることを物語っている。アメリカの弱体化の原因は、日本とは違って、老化ではなく、最大の問題は国内の経済格差である。経済格差と長年の(軍事費などによる)浪費ゆえに、国全体が貧困化している。それにもかかわらず、弱体化している現実を受け入れられず、「自分は世界一強く豊か」であるはずという期待が、「もう一度、アメリカン・ドリームを」的なトランプさんを膨らませるのである。

では、安倍首相が仮想敵扱いしているらしい中国はどうかといえば、これがまた、日本やアメリカよりもさらに弱体化の要素を抱えている--経済格差に、国民の老化に、そして経済的自由と政治的不自由の構造的ねじれ。だから、今の日・米・中の関係は、弱者のパワー・ゲームであり、弱い人(国)が、同じくらい弱い人(国)に頼って、同じくらい弱い人(国)から自分を守ろうとしているという滑稽な風景である。そんなふうに政治とは(人間動物園のゲームなので)いつも滑稽なものであるが、国民は自分たちに値するリーダーと政治しかもてないので、安倍政権が続くかぎり、それが多数の国民の(無意識の)真意だと、私はそう理解している。

最後に浜さんの触れた「みぞの鏡」に触発されて、私も老人の理想を語ってみよう。

老人(国)の本当の使命は、若い人(若い国) ができないことをやることである。それは、人類の最上のもの(文化遺産)をのんびりと楽しみ、自分の子供や孫その他若い人たちの相談相手になり、自分が生きてきた知恵や学んできた技術を分かち合うということである。

そして、日本は世界の中でそういう使命を果たすのに非常に向いている国で、日本のイメージに一番合う姿は文化・技術立国である。資産はある。文化はある。技術力はある。歴史はある。食べ物はおいしい。文化・宗教的多様性に対する寛容・受容能力がある。唯一日本に欠けているのは、「自分はすでにすべてをもっている」、「自分はこれでいい」というありのままの自分を許容し、受け入れる勇気・自信と、「楽しむ」という価値観だ。

老いたら、無理せず今もっているものを「楽しむ」。それが浜さんも提唱する「老楽」国家である。日本は、若造のあとをよろよろついて行くよりは、「そこのお若いの。そんな不作法なもの(武器)はしまって、一緒にまあ一杯どうだ」と優雅に言うのにふさわしい国なのだ--理想を語れば。

おっとと、「みぞの鏡」に理想を映すことに熱中しすぎてはいけませんね--現実に戻って、優雅とはほど遠く重い腰をどっこらしょとコタツから持ち上げて、さて、食事の準備でもすることにしましょう。


 [イベント]

「私とは本当に何かを見る会」2016年5月21日(土曜午後) 東京
 
詳細・予約は下記へ
 
[お知らせ]
4月4日より、下記DLmarketでAmazonのアカウントも利用できるようになりました。

*「動物園から神の王国へ―サルの惑星、のような星で、平和に生きるために」(PDFファイル)ダウンロード版は、DLmarketのサイトで販売しています。お手持ちの機器(パソコン、タブレット、スマートフォン)に、PDFを読むソフト(AdobeReader等)が入っていれば、どなたでも読むことができます。

DLmarketからファイルをダウンロードするためには、まず会員登録をする必要がありますが、Facebook、Twitter、楽天、Amazonのアカウントもご利用でき、各種支払いにも対応しています。(銀行振り込み、コンビニ支払い、Amazonペイメント、クレジットカード、Paypal、その他)。

なお現在は、パソコン等では、横書きの文章のほうが読みやすいという人たちもいると思い、縦書き版と横書き版の二種類の版を用意してあります。 編集の都合上、総ページ数(縦書き版が453ページ、横書き版が367ページ)は異なっていますが、内容はまったく同じです。

*購入についての詳細は、購入前に下記のDLmarketのサイトを見てください。
 http://www.dlmarket.jp/

「動物園から神の王国へPDFダウンロード縦書き版」(1500円+税)(453ページ)
   http://www.dlmarket.jp/products/detail/331107

「動物園から神の王国へPDFダウンロード横書き版」(1500円+税) (367ページ)
  http://www.dlmarket.jp/products/detail/331108

*試読版(無料)は上記のサイトから、会員登録等なしに、どなたでも自由にダウンロードできますので、本との相性を確かめて、購入の判断をしていただければと思います。 (画像の下の、「立ち読みできます」をクリックすると、試読版PDFを無料でダウンロードできます)

*DLmarketで下記も販売中です。(無料試読版は会員登録不要で、自由にダウンロードできます――画像の下の「立ち読みできます」をクリックしてください)  
 
「楽しいお金」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/290251

「 楽しいお金3」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/290294

 「人をめぐる冒険 」PDFダウンロード版(本体価格1,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/290283

「1994年バーソロミュー・ワークショップ東京会場1日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297870

「1994年バーソロミュー・ワークショップ東京会場2日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297880

「1994年バーソロミュー・ワークショップ京都会場1日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297958

「1994年バーソロミュー・ワークショップ京都会場2日目」MP3ダウンロード版(本体価格2,000円)
http://www.dlmarket.jp/products/detail/297975

*上記MP3無料試聴版は下記よりダウンロードできます。
「1994年バーソロミュー・ワークショップ東京会場試聴版」(無料)
http://1drv.ms/1lKRZcr
「1994年バーソロミュー・ワークショップ京都会場試聴版」(無料)
http://1drv.ms/1g9oRdI




フランス旅行2015年11月26日 10時52分42秒

(ブログを再開します。1ヶ月に1、2回程度だと思いますが、お時間のあるときにでも、お読みください)

先日、6年ぶりにフランスに行ってきた。まず最初に、パリからTGVで3時間半のところにあるモンペリエ(Montpellier)の町を訪問した。この町にはダグラス・ハーディングの奥様のキャサリンが暮らしていて、今回の訪問の目的は彼女に会うためだった。

キャサリンは、最初の結婚を離婚後、5人の子供をシングルマザーとして育てあげ、仕事を引退後、ダグラスと出会い、イギリスに渡り、結婚。キャリア・ウーマンでかつ、非常に家庭的で社交的な人で、ダグラスと結婚後は、献身的に彼と彼のワークを支え、ダグラスの最晩年に花を添えた人だ。現在はお子さんたちのいるモンペリエに定住し、翻訳などの仕事をのんびりとやっている。
   
 キャサリン・ハーディングへのインタヴユー   (キャサリンがダグラスとの出会いと、彼の死の前と後の人生 について語っている)
     https://www.youtube.com/watch?v=mdKyiCW9snQ

モンペリエは日本ではあまり知名度はないが、スペインに近い地中海沿岸の風光明媚な町で、フランスでは非常に人気のある観光地の1つである。温暖な気候に、海と山と歴史的建物がそろい、私が行ったのは10月の終わりの平日だったにもかかわらず、カフェは人でいっぱいで、町の中心地には観光客があふれていて驚いた。キャサリンが言うには、夏にはこの三倍の観光客で町はふくれあがるという。私が滞在していた間ずっと快晴で、町歩きがとても気持ちがよかった。

キャサリンは少し体調を悪くしていたが、それでも一緒に町歩きをしたり、彼女の娘さんの運転で海岸までドライブに行ったり、ダグラスの思い出話をしたり、来年日本で出版予定のダグラスの本、To Be and not to be, that is the answer(存在し、そして存在しない、それが答えだ)  の話をしたりして、親切に付き合ってくださり、楽しいモンペリエ滞在だった。

そのあと、パリに戻り、フランスが誇る世界遺産、モンサンミッシェル(Mont-Saint-Michel) へ1日バス・ツアーで行ってきた。モンサンミッシェルをすごく見たいというわけでもなかったけど、今回行かないとたぶん二度と行くチャンスはないかもと思い、往復9時間+滞在4時間半=13時間半の強行ツアーに参加した。モンサンミッシェルがあるノルマンディー地方はフランスの北のほうにあり、この季節がら、快晴というわけにはいかなかったが、幸いモンサンミッシェルでは雨も降らず、霧も出ず、夏ほど観光客もいず、ガイド付きなのでなんとか上まで登りきることができた。(名物のオムレツは私の好みではなかったが、モンサンミッシェルを遠くに眺めながら、食べることができた)
 
モンサンミッシェルは実は小島で村であり、(今は橋があるので、車や徒歩で渡れる)、 今でも少数の村人がいて、現在でも修行している神父・修道女もいるという。私がガイドさんに「村の人はどういう人たちですか?」と尋ねると、「年寄りだけです。若い人たちはみんな出ていきました。ここにはディスコもカラオケもないですから」との答え。歴史的観光地ってのは、一生に一回だけ来るから感動もんだけど、ここに住んだらきっと退屈(笑)。

そのあとパリでは、今、フランスでVision Sans Tete(「頭のないヴィジョン」←ダグラスの教えはフランスではこう呼ばれている)   の活動を中心的にやっているジョゼの自宅で開かれた会に参加した。ジョゼは高校で哲学を教え、また哲学やダグラスの教えについての著作もあり、二人のお子さんのよき父親でもある。

彼のマンションは、いかにもパリ風の古い由緒あるマンションで、その広いリヴィングに当日は10人くらいの人たちが集まり、指さし実験などお馴染みの実験をやった。ジョゼが哲学の先生ということもあるのか、あるいはフランス人は哲学を語るのが好きなせいか、実験をやっている時間よりも、実験の感想を語り合っている時間が長い。最後に私が日本から持参した一人用鏡付き紙袋を「携帯紙袋なので、紙袋の実験が一人でできます」と言って、参加者の皆さんにお土産として差し上げると、皆さんその場で実験して、非常に喜んでくださった。誰かに「これ特許とかあるの?」(笑)と尋ねられたので、「自由に作って、使ってください」とお答えした。

今回パリでは、キャサリンが翻訳したTo Be and not to be, that is the answerのフランス語版を探しに、Gibert Josephという書店にも行って来た。パリの本好きの人たちが通う学生街にある大きな本屋さんだ。モンペリエの書店もそうだったけど、日本の書店とはかなり雰囲気が違う。もっとおしゃれな感じがするが、その代わりというか、日本人的観点からすると、何か不便。

書店の人に、「ダグラス・ハーディングの本を探しています」と言うと、スピリチュアルな書籍のある棚までは案内してくれたが、あとは勝手に探してくださいという感じなので、棚の本を一冊一冊探す羽目に。トニー・パーソンズのフランス語版も見つけたが、その隣がロシア神秘思想家グルジェフの弟子のP.D.ウスペンスキーの本だ。ところが、師であるグルジェフの本はまたとんでもなく遠くに置かれている。「トニー・パーソンズの隣にウスペンスキーはないだろし、グルジェフとウスペンスキーは一緒に並べないとダメじゃない」と私は思い、まったくどういう基準で本を並べてあるのか理解できず、結局スピリチュアルのコーナーの棚の本を全部一冊一冊書名を確認し、1時間半以上かかって、ようやくダグラスの本を探しあてた。

そのスピリチュアルなコーナーには、日本でも翻訳されている有名な人の本はほとんどそろっていて、 なかでも圧倒的な品揃えがあったのは、OshoとJ.クリシュナムルティである。棚だけでなく、平積みもされていたので、かなり人気があるようだ。モンペリエの書店のスピリチュアルなコーナーでも、OshoとJ.クリシュナムルティの本が多数置いてあった。その他、フランスでは禅が非常に人気だ。それに比べれば、キャサリンやジョゼやその他の人たちの長年の献身的活動にもかかわらず、Vision Sans Teteはフランスでも少数派の教えである。でも、活動に関わっている人たちは誰もそんなことを気にもしないし、ダグラスはいつも言っていた。「(頭の)数は問題ではない」
 
 パリはちょうど枯れ葉の季節で、空の色と建物と枯れ葉が絶妙にマッチして、のんびりと散歩するのが楽しい。Vision Sans Tete のおかげで、パリはよりいっそう美しく見え、出会う人たちもたいていは親切だ。

そんなふうに今回のフランスでの旅を(疲れたけれど)楽しく終え、 あるがままの世界の美しさを教えてくれた ダグラスへの感謝の念をいだきながら、帰国の途についた。

と、本当はこのブログは平和に終わるはずだった……

ところが、帰国後、数日後にパリでテロが発生。まだ心身の一部がパリの空気をまとっていたせいか、パリの悲しみと痛みが伝染し、さらに風邪が長引いていることもあり、しばらく気分が重かった。

今回のテロについては、二人のフランスのジャーナリストの発言が印象に残っている。(二人とも日本のメディアでもその発言が広く紹介されたので、ご存じの方も多いと思うが)、一人は奥さんを今回のテロで亡くした人で、彼は「私はテロリストに憎しみという贈り物を与えない」と、自分の心境を綴っている。

それからもう一人は、ISに捕まえられ人質として暮らし、ISの幹部とも話した経験があるジャーナリストの発言で、彼は、「ISの幹部たちは実は非常に幼稚で、インターネットなどのソウシャルメディアが大好きで、いつも欧米の政治家たちの発言をチェックし、欧米の政治家たちや国民がISへの敵意や対立をむき出しにする光景を見ると、とても喜ぶ。反対に彼らは、欧米諸国が難民を歓迎したりする光景に困惑する」  という主旨の話を語っている。今回のパリのテロで、欧米は難民に冷たくする口実を見つけ、本音では難民を入れたくない欧米諸国と、本音では欧米が難民を拒否することを望んでいるISは、奇妙なことに利害が一致している。

彼のメッセージの日本語の要約が下記に出ている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20151119-00051589/

つまり、ISは対立、憎しみが大好きで、平和、融和が大嫌いというわけだ。だからこそ、奥さんを亡くしたジャーナリストの人は、「私は彼らに、彼らの大好きなもの(憎しみ)を与えない」というメッセージを発したわけだ。ISのテロの被害にあった人やその遺族が、憎しみに屈しないという決意をすることは本当に世界に勇気を与えることであるし、多少でも考えてみれば、ISへの空爆が(世界の武器産業を喜ばすことにはなっても)IS撲滅とは決してならず、「テロとの戦い」 を政治家たちが声高に叫べが叫ぶほど、世界のテロリストたちは自分たちの存在意義を見い出し、ますます元気になり、増殖するのは明らかなことだ。それでも、「テロとの戦い」 をやめることができないのが、(政治家たちの個人的意志というより)、政治的マインドの悲しい性(さが)なのである。
 
だから、これからも世界では空爆とテロは続くだろうし、私たち一人一人はそういった世界情勢に対しては無力である。しかし、ダグラスその他の先生たちが教えてくれたことは、それでも私たち一人一人があらゆる瞬間に目覚め、日々の日常生活の中で、「対立と抵抗と憎しみ」を手放し、平和になることができる可能性だ。

「世界の平和はまず自分から」とは、ダグラスがよく言っていた言葉の1つであり、自分が平和であれば、そのとき、自分のまわりの世界に親切と愛情を増やし、私たちは世界の平和にほんの少し貢献することができるのだと思う。

「ハム様の質問への回答」

ラメッシの教えを理解するかどうかは、たった1つの観念を、知的にではあっても、理解するかどうかです。
  
それは、「起こるはことは何であれ、すべて神の意志である」、別の言い方をすれば、「神の意志がなければ、何事も起こらない」。(もし「神」という言葉に抵抗があるなら、それを「分割されない全体」とか「意識」などの言葉に置き換えてもいいです)

そして、その理解さえも、起こるかどうかは、個人の意志によってはいない、ということです。理解が起こることが神の意志なら、それは起こる。理解が起こる運命がなければ、何をやっても起こらない。

ですから、「それで、自分は行為していないという理解が、生じるのでしょうか? 」という質問へのお答えは、

「そんなこと、誰にもわかりません」

   


アベノミックスの行く末2014年12月15日 09時31分25秒

先日、スーパーへ買い物へ行ったときのこと。スーパーの入口近くに一人の女性が首から募金箱のようなものをぶら下げて、直立不動で立っているのに気づいた。直立不動で無言で寄付集めは珍しいと思いながら、私はそのままスーパーの中に入り、買い物をし、数十分後に出て来たら、まだその女性が直立不動で同じ場所に立っていた。

少し興味をひかれ、私はその女性の前に行き、箱に張られている紙に書かれている文章を改めて読んで、やっとわかった――この女性は寄付集めの活動をしているのではなく、自分への物乞いをしていることが。
書かれている文章は、英語でいういわゆるsob story (お涙ちょうだい話、他人の同情を集める話) のたぐいで、自分は数年前に癌を手術し、子供は事故死し、現在、自分には身よりがなく、体が弱くて働けない、とまあだいたいそんなことが綴られていた。

私は思わず、「この寒空の中、人目に耐えて、直立不動で長い間立っているだけの忍耐力と体力があるなら、どこでも働けますよ」 と心でツッコミを入れてしまったが、それでも彼女の忍耐心に感心して、微笑んで「頑張ってください」と小声で言いながら、 箱にお金を入れた。

sob storyはたいてい話の半分以上はウソというのが決まりだから、私が見かけた女性の話も半分はウソかもしれない。それでも彼女が貧困状態にあるのは確かなことだろう。インドあたりではこういうsob storyで物乞いする女性はありふれているし、アメリカやヨーロッパでも時々見かけたことがあるが、日本国内で見かけるのは初めてだった。一人見かけたということは、これからこういう女性が日本の各地に出没するのかもしれない。日本国のますますの貧困と格差の進行を予感させる出来事だった。

国民間の経済的格差は、それが大きければ大きいほど、国は全体では貧困である。つまり、どれだけ一部の人たちと一部の企業だけが儲かっていても、大多数の国民の可分所得(自由に使えるお金)が減っていけば、国全体は貧しくなる――消費税は貧困層がますます貧困になる税金である。だから、先進各国はどこでも格差が広がっているので、みな相対的に貧しくなりつつある。そして、国全体が貧しくなるとき、社会は争いと暴力への圧力と不満な気分が高まり、政治は過激な保守系(と共産党)が人気を集めるのが一般的な傾向だ。

今回の選挙期間中、自民党の麻生財務大臣は、自民党が大勝するという予想のせいか、超ご機嫌だったようで、もう言いたい放題で、「この円安で儲けることができない企業の経営者は、運が悪いか無能」とまで言い切った。

しかし、現在の株高円安は、日本国の実体経済とは無関係に、政府の政策によって人為的に作られたものなので、それで儲かっているからといって、別に経営者が経営能力があるとか運がいいわけでもないし、それで儲からないからといって 運が悪いとか無能ということにもならないだろう。この国が貧困への道を歩きながらも、なんとかかろうじてまだ普通にまわっているのは、麻生さんがいうところの「無能で運の悪い」大多数の経営者の元で働いている大多数の労働者の勤労のおかげであって、政府の愚策のおかげではない。

それでも、麻生さんがそんな失言(本音)をしても影響ないほど、今回の衆院選挙では自民党が圧倒的に強かった。その理由の一つは、前回話題にした「苦痛に耐える能力」であると、私は思っている。一度野党に転落して野党のみじめさを知った自民党は、苦痛に耐える能力が格段にあがった。野党になるみじめさを味わうくらいなら、どんなに苦痛でもお互いの考えの違いに耐えて挙党一致で政権にしがみつくという決意をしている。自民党の政治家の中にも、安倍さんの保守的な考えを支持しない人たちもたくさんいるはずであるが、政権与党にいるために、その違いに皆さん耐えているというわけである。

それに比べれば、野党を作ってきた小沢(一郎)・菅(直人)・石原(慎太郎)・橋下(徹)その他各氏はみな、忍耐力がないところが共通している。忍耐力がないのに、やたら一緒に党を作っては解党するので、国民の支持を長く集められないのだ。

ということで、自民党圧勝に終わった昨日の衆院選挙。でも大昔の平家の時代から、「驕れる者は久しからず」という、権力者を戒める言葉があるように、麻生さんも安倍さんも有頂天になって、あんまりやりたい放題言いたい放題やっていると、神様からお目玉をくらうかも……

[お知らせ]

「意識は語る――ラメッシ・バルセカールとの対話」 (ラメッシ・バルセカール著 ナチュラルスピリット)

発売されました。書店に出まわるるのはたぶん早くて今週末くらいからですが、書店へご注文は可能です。

価格、目次等は下記のサイトに掲載してあります。

政治遺伝子2014年02月05日 08時22分53秒

皆様、本年も時々、ゆるくブログを書いていく予定ですので、お時間があるとき、おつき合いください。

もうすぐ「じいさんたちの政治運動会」(東京都知事選)なので、久しぶりに政治に話をふってみたい。

昨年の秋、 猪瀬前東京都知事と都議の皆さんが、鞄を前にして、その鞄に5千万円が入るのかどうか真剣に議論している都議会の様子をたまたまテレビで見た。その風景は、まるで小学生の教室で、子供たちが喧嘩しているような感じであった。政治家の皆さんというのは、他人の悪事を見つけると自分自身の悪事は忘れて、まるで鬼の首をとったかのように喜々として追及するのがいつも印象的である。「他人の目の埃を指摘する前に、自分の目の中の埃を取りなさい」というキリストの言葉と真逆なゲームが、政治ゲームである。

猪瀬さんがもらった5千万円は、まあダーティな金ではあろうが、その程度のお金をごまかす才覚がなく、大問題にされて、マスコミや都議会で追及されてしまうほど、(元はジャーナリストであった)彼に政治的技巧と運がなかったのがお気の毒な感じがした。

作家や学者、タレントなどいわゆる文化人がよく知事や議員になるわけであるが、文化人は生粋の政治家よりはるかにプライドが高く、「自分は清く賢い」というイメージをもっている。そのためいざ自分の中のダーティな部分が暴露されたり、周囲と考えが合わないと、いとも簡単にその職を投げ捨ててしまう。つまり、政治的忍耐と技巧がない、ということである。

その点、生粋の政治家、特に代々政治家の家系の政治家の方々は、政治遺伝子というものが、心身に入っていて、政治遺伝子がたくさんある政治家は、以下のことが自然に身についている。

* ダーティな問題が表面化しないようにうまくごまかす技巧
*不遇な時代を耐える忍耐力
*共通な目的のためなら、意見が合わない人たちとも共同できる能力
*「昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵」という種類の裏切りと友情を気にしないマインド 。
*政治ゲームに中毒するマインド。
 
政治遺伝子のよい例が、安部首相だ。前回首相を辞任したときほとんど政治生命が終わりかけたが、それでもそのあと不遇の時代を耐えぬいて、首相に返り咲いた。 安部さんを忍耐させたのは、彼個人の力ではなく、彼の中に潜む政治遺伝子 のおかげであろう。
 
さて、猪瀬さんに政治遺伝子と運がなかったせいで、東京都は約50億円の税金を使って政治運動会(都知事選)をこの寒空にやらなければならなくなった(前回の石原さんの途中辞職と合わせて、東京都は100億円もムダに税金を使っている)。

東京都知事は代々文化人がなる傾向があり、今回の主要参戦メンバーもみな政治家ではなく、政治遺伝子があまりなさそうな方々ばかりである。桝添さんも元々は学者であり、細川さんは風流文化人である。 誰がなっても、2020年の東京オリンピックまでもつのかどうか……

政治遺伝子がない人といえば、橋下大阪市長もプライドが高いのに忍耐力がないゆえに、自分のヴィジョンが進展しないのにイラついて、また今度市長選をやるという――橋下さんに、意見の違う人たちと共同する能力と忍耐力がなければ、何度選挙をやっても、税金のムダ遣いでしかない。橋下さんが、自分のビジョンを実現したいと思うなら、数十年間忍耐して、郵政を民営化した小泉元首相を見習うべきである。

で、その小泉元首相は相変わらず政治ゲーム中毒が抜けないのか、今回の政治運動会に裏で参戦して、脱原発をぶち上げた。小泉さんは人生最後の政治ゲームを脱原発に賭けたようであり、そのゲームは、政治遺伝子が濃厚に入っている小泉さんの息子、小泉進次郎自民党議員が将来的には引き継ぐことになるだろう。親子二代で、抵抗勢力(原発派)を懐柔して、脱原発に向かって、頑張って!
 
[質問へのお答え]
電子書籍版の出版を決めるのは、翻訳者ではなく、出版社ですので、ご希望は出版社にリクエストしてください。



石原さんのトラウマ2012年12月18日 13時56分55秒

いつだったか日本維新の会代表の石原さん(前東京都知事)が外国人記者クラブかどこかでインタヴューを受けている映像を見たことがある。そのとき彼は、「日本が、国際的な発言力をもっていないのは、核兵器をもっていないからだ」と自分の持論というか本音を述べていた。

石原さんを見ると、父を思い出すことがある。父が生きていたころ、世の中の事件や国際政治について、父が言うコメントや意見は、ほとんどいつも石原さんとそっくりだったからだ。生き方も人生も人格もまったく違う二人のコメントが似ていることに気づいて、その思考ルーツがどこにあるのか興味をもったことがある。そして、なぜ父が、自分の故郷を空爆で焼け野原にし、広島・長崎に原爆を落としたアメリカを嫌ったり、憎んだりしないのか、それがずっと不思議で、あるとき父にそのことを尋ねたことがあった。

すると父は、単純にこう答えた。

「日本がアメリカに負けたのは、日本が弱かったから仕方なかったのだ」

愛国青年だった父が青春をかけて戦った戦争が無に帰した昭和20年の敗戦は、生涯消えることのないトラウマを父の心に残し、父はそれ以後世の中の現象、特に政治的事柄を「アメリカは強い・中国(と韓国とその他共産国家すべて)は悪い」「強いことはよい・弱いことは悪い」という思考パターンを通してしか見ることができなくなった。非常に読書家で物知りであったにもかかわらず、物事には別の見方もあることを断固受け入れなかった。

石原さんは私の父より8歳くらい年下なので、戦争には行かなかったはずであるが、それでもかなりの愛国少年であっただろうことは想像できる。彼のコメントのはしばしにあらわれる「中国(と韓国とその他共産国家すべて)が嫌い」「強いことがよい」のニュアンスから察するに、彼もまた昭和20年の敗戦のトラウマを引きずって生きてきた人のように感じられる。

それから、先月読んだどこかの新聞に、石原さんの人生の最後の夢というか野心について書かれてあった。それは、「自分が生きている間に石原家から総理大臣を出すこと」なのだそうである。息子が自民党総裁レースで負けて、息子にその夢を託す可能性がなくなったと見るやいなや、都知事の職を放棄してでも、「夢をもう一度」で、国政に打って出たというのがホンネのホンネらしい。石原さんにとっては、個人的野心や夢をもつことは長生きするためにはいいことだろうけど、原則脱原発の橋下さんと、核兵器・原発大好きな石原さんが組んだ先にあるものは、今の民主党の姿、つまり、いずれ分裂か崩壊であろう。

さて、今年読んだ数少ない本の中で、「NYPDNo1ネゴシエータ最強の交渉術」(ドミニック・J・ミシーノ著 フォレスト出版)という本がある。NYPDとはニューヨーク市警のことで、著者はここで長年人質事件のプロフェショナルとして活躍した人だ。アメリカの人質交渉人の世界というとハリウッド映画のように派手なドンパチの世界というイメージがあるが、しかし、超一流の交渉人の世界はまったく別なのである。つまり、超一流の交渉人とは、武器をできるだけ使わずに、言葉で犯人を説得して、しかも死人やけが人をできるだけ出さないで事件を解決する人のことなのだ。

数々の難事件を解決してきた著者は、その極意を本書の中で語っていて、それをいくつか紹介すると、

*言葉こそ銃にまさる最高の武器
*(犯人に対する)誠実さと共感―礼儀と敬意が重要
*自尊心に囚われると失敗する

という、普通の人たちが考えるものとはまったく異なるもので、決して石原さん流の「そこの悪いやつ、こっちは大量・強力の武器をもっているから、さっさと降参しろ。さもないと攻撃するぞ」ではないのである。これをやるのは三流動物交渉人で、その結果はたいてい、(ハリウッド映画のように)たくさんの死体が転がることとなる。

日本を三流動物交渉人国家にしようと、80歳を超えて、トラウマに駆り立てられ暴走している石原さんは少々痛ましい。自らを日本国と一体化している石原さんはまた、誰よりも日本の老いと弱体化を自らの老いとリンクさせて感じていらっしゃるのだろうが、しかし、誰が叫ぼうがわめこうが、政権が変わろうが、自衛隊を国防軍にしようが、憲法を変えようが、(人口比に対する老人の割合が増え続けるかぎり)、国家の老いから来る弱体化は誰にも止められない。

で、「わけのわからない多くの党から選ぶのが面倒」「不安定がイヤ」で、「安定している自民党にイヤイヤながら回帰」した今回の選挙は、日本国の選挙民の高齢化がすすんでいることを物語っている。

[お知らせ]

「瞬間ヒーリングの秘密-QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し」(フランク・キンズロー著 ナチュラルスピリット発行)が、発行されました。目次等は下記サイトをご参照ください。

http://www.simple-dou.com/CCP036.html

☆「1994年バーソロミュー・ワークショップ・試聴版MP3ファイル(東京会場)(京都会場)」が、
下記のサイトより無料ダウンロードできます(1ファイル140MB録音時間約76分―ダウンロード時間はパソコンの性能にもよりますが、数分くらいです)

http://www.simple-dou.com/CCP010.html



「結婚」40年目の日中夫婦関係2012年09月25日 13時27分30秒

日本と中国の国交化40周年の節目の時期に、両国の関係が大荒れしている。人間に例えれば、結婚40周年に、夫婦が大ゲンカをしているようなものだ。

日中夫婦は価値観や文化・感性が非常に異なる者同士の「結婚」で、普段もとりわけ仲がいいわけではないが、それでも過去40年間、経済的にはお互いを支え合い、お互いの経済的繁栄に寄与し、今では相手なくしてはほとんど生活できないほど密接な夫婦となっている。

その証拠が日本にあふれる中国製品と中国にあふれる日本製品である。つまり、経済的には非常に深くお互いが相手国へ浸透してしまったということである。

ところが、それ自身一つのシステムである国家は、本当は他国の文化や製品が自国システムに侵入というか浸透することは、システムの独自性を維持するという観点から見れば、あまり好ましいことではない。過度に影響を受け続けると、自国システムが分解・崩壊する危機があり、だから、国家間は親しくなりすぎないように、時々、問題が起きるようになっているのである。

問題が起きると両国の国家主義的意識が目覚め、「私たちは本当は、絶対的に違う存在であり、私たちは絶対にあなた色には染まりませんから」と、お互いの分離と独自性を相手に宣言せざるをえないのである。

これは恋人や夫婦、親子のような人間関係にもよくある話で、お互いが親しくなって、もっと親しくなろうとするときに、何かの問題や不和や諍いが起きて、「自分と相手は本当は全然違う存在であり、お互いに理解しがたい」ということをイヤというほど知らされることがよくある。それも人間システムが自己システムを守るためのある種の免疫機能のようなもので、だから親しい関係には「苦痛」がともなうのである。

システムは絶対に他のシステムとは一つにならないというか、なれないのであり、私たちのまわりにある机、椅子、パソコン、プリンターなどの物システムや様々な人間システムが決して現象的には一つにはなれず、一つになれないゆえに、システムとして独自に機能しているように、人間システムも国家システムも他人や他国とは決して一つにはなれないのである。

それを無理やりやろうとすれれば、その時に起こるのは「衝突」であり、人間マシンが机にぶつかれば、苦痛を感じるように、国家間システムもあまりに近づきすぎ、浸透しすぎれば、それは「苦痛」となる。

二国間の関係においては、経済的に貧しく不自由な国のほうが、経済的に豊かで自由な国の影響をより大きく受けるのが原則である。日本と中国の場合、中国が日本に与えてきた影響よりも、日本が中国に与えてきた影響のほうがはるかに大きいゆえに、二国間に何か問題が起きれば、中国の人たちのほうがその苦痛に過剰に反応するのは当然のことである。今回の中国での反日暴動は、「まだ日本が中国よりも経済的にはるかに豊かで有利な立場にいる」ことを、はからずも証明したというわけである(今から数十年後には、立場逆転ということもありえるかもしれないが)。

そしてパソコンのシステム同様に、国家システムは何らかの脆弱性を抱えるのが常である。現在の中国システムの脆弱さは、システム内部に経済的繁栄に見合う活動・表現の自由がないことと、途方もない経済的格差が存在することであり、日本システムの脆弱さは、システムの老朽化、つまり「老い」である。

日本と中国の軋轢は、「相手のシステムが浸透しすぎました」という免疫機能からの警告のようなものであり、お互いのシステムが自らの脆弱さを認識したということである。しかしどれだけケンカしても、日中夫婦は、離婚は無理だろうから、「仲良し」の時期と免疫機能による疑似「戦争」期を繰り返しながら、これからも末永く経済的結婚を続けることであろう。

日本ではまた政治スポーツの季節が始まろうとしているが、こういう時期にふさわしい指導者は、軍人系で日本の国家免疫部長のような石破さん(自民党総裁候補)あたりだろうか……




夫(政府)の弱腰・妻(国民)の不満2010年11月09日 12時41分49秒

世の夫族は、概して弱腰である。それが結婚生活における世の妻族の不満の一つである。

子供のこと、近所付き合い、親族付き合い等々において、たとえば、妻が
「ねえ、あなた、ご近所の〇〇さんが××で、困っているんだけど、あなた、注意しに行ってよ」とか、

「お義母(おかあさん)が、毎月、ここに泊まりに来ているけど、こっちも忙しいから、なんとか、あなたからもう少し回数を減らすように、言ってよ」とか言われると、

夫は、たいていこんな返事をする。
「別に、いいじゃないか。そのうちついでに言っておくよ」と逃げ腰で答える。面倒な場面にはなるべく巻き込まれずに、穏便にすべてを済ませたい――それがたいていの世の夫族の本音だ。

妻は、「そのうち」は、決して来ないことを知っているので、内心不満たらたらである。では、自分が出て行って言えばいいのだが、妻も自分が非難を浴びてまで、あえて人間関係を悪くしたくはない。妻は、自分が出来ないことは棚上げして、自分の夫には出るべきところへ出て、言う必要があるときは、ビシっと意見を言ってもらいたいと思っている。が、その妻たちの願いは、多くの家庭ではかなえられないでいる。

人が生きている人間環境――近所、親族、子供の教育関係、職場の人間関係では、しばしばゴリラ的な人が出没して、彼らは、自分より誰が弱いか、強いかをちゃんと査定して、弱腰の人のところへ平気で無理難題を押し付けてくる。

最近の日本の外交問題を見ていると、まさに弱腰夫(政府)とそれに不満タラタラの妻(国民)というよくある日本の家庭の風景を見ているようである。

日本のご近所さん、中国、北朝鮮は一党独裁共産国家で、ロシアもつい最近までは一党独裁共産国家で、昨年も書いたように、一党独裁国家の思考パターンは、ゴリラである――つまり、私(国家)だけが、絶対に正しい。私に刃向かうものは、全部間違っている――というゴリラ的思考で生きている。

中国ゴリラに、間違いは存在しない、というよりも、存在してはならないのである――たとえ、自分から、船をぶつけようが、車をぶつけようが、何をぶつけようが、悪いのは、ぶつけられた相手であって、自分ではない。

さて、こういったゴリラに、人間の礼儀(その場所がどこであれ、故意にしろ、偶然にしろ、ぶつけたほうが、詫びる、それが人間の礼儀だ)を理解させるのは至難のわざだ。ゴリラは、自分より弱いと思っている相手の言うことは、聞かないのだ。

では、中国ゴリラは、何を恐れているかといえば、アメリカとそして国際世論だ。国際世論が盛り上がって、「中国ってこんなひどい国なのか、人間以下だ。あんな国とは付き合いたくない」と思われるのは、これから世界中に進出したい中国にとっては、さすがにイヤなことである。

そういう意味では、国民のほとんどが思っているように、中国船の衝突事件のビデオがyoutubeに流出したことは、よかったことであるのだ――あなた(中国)がこれからもこういう行為を繰り返すなら、youtubeにいつだって、あなたのしたことが世界中に暴露されますよという警告の意味で。

弱腰夫(管さん)は、こう言っている。「時間がたてば、政府は正しく対処していることが、わかってもらえるはずだ」と。これはまるで、何もしない夫が、家庭の中で、「俺が正しいことが、いつか君にもわかってもらえると思うよ」とのん気に妻に言っているようなものだ。

それと同じくらい笑えるのは、元夫(元、前首相)たちがしばしばマスコミに登場して、「私なら解決できた」とか、「菅政権のやり方はここがおかしい」と、言い放っていることだ。

たしか、菅さんだって野党のときは、散々自民党を批判して、「私ならこうする、ああする、もっとうまく解決する」と言っていたと記憶する。自分で何もできない弱腰夫にかぎって、自分がその立場にないときには、「私ならこうする、ああする」と言うのである。

国民世論調査によれば、内閣支持率は30%台まで落ち込んでいて、内閣支持率は政府と国民の離婚バロメーターでもある。管さんは、「石にかじりついてでも頑張る」とおっしゃるが、現在の妻は、昔の妻と違って、我慢強くない。「いつか」の前に、さっさと離婚する……が、妻(国民)も、いつだって自分にピッタリな夫(政府)を得ていることに気づかなければ、どれだけ夫(政府)を新しく変えても、不満は永遠になくならないものであろうとは、思うけど。



「ピーターの法則」―小沢さんと管さんの場合2010年09月11日 07時42分12秒

「ピーターの法則」(ローレンス・ピーター著 ダイヤモンド社)という今から40年ほど前に出版された本で、出版当事、世界中で非常に話題になった本がある。ご存知ない方のために、簡単にどんな内容の本かを説明すると、教育学者であった著者が、大企業、官僚組織のなかにはびこる「無能」について研究した本で、彼が発見した法則は一般に以下のような「ピーターの法則」として知られている。

(以下、ウィキペディア日本語版より)

1能力主義の階層社会に於いて、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な平(ひら)構成員も無能な中間管理職になる。

2時が経つに連れて人間は悉く出世していく。無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。

3その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、無能レベルに達していない人間によって遂行される。

(以上、ウィキペディア日本語版より)

例をあげて説明すると、たとえば、

ある大会社で、有能な営業部長がいるとしよう。営業のエキスパートでその会社の売上げに非常に貢献した人だ。有能であるゆえに、まわりからも会社からも出世を要請され、営業部長よりも上のポスト、重役のポストへ出世する。ところが営業部長としては有能であったのに、重役としてはまったく無能で役立たずであることが判明。万一、その人が重役としても有能であれば、さらに限界まで出世を余儀なくされ、たとえば、最高経営責任者まで出世して無能をさらけ出す。(一番目の法則)

他にも
スポーツ選手として優秀だった人の多くが、コーチや監督になると無能になる理由も、このピーターの法則に関連している。

さて、今なぜピーターの法則のことを思い出したかというと、民主党の小沢さんが、民主党代表選に立候補するというニュースを読んだからだ。いよいよ小沢さんもピーターの法則に従って、総理大臣になることを余儀なくされ、無能をさらけ出す時期が来たのかと……

ピーターの法則のどおり、政治家はトップ(総理大臣)になるとほとんど無能となる。野党のときは、有能な野党だった人も、与党になると無能な与党になり、大臣のときは有能だった人も、総理大臣になると無能になる。それは過去の日本の総理大臣のほとんどに当てはまることだ。

小沢さんは、幹事長としては有能だったゆえに、総理大臣としても有能になって手腕を発揮するだろうと、彼の支持者たちは期待するわけであるが、その期待の大きさゆえに、おそらくは総理大臣としては無能が際立つだろうと思う。彼は権力を取ろうと攻めているときは強くても、守りには弱いタイプである。

そもそも、小沢さんはパフォーマンスが好きな外向きの性格ではないし、裏でコソコソ権力をふるうのが好きな人であるので、総理大臣職という飾りみたいな仕事を楽しいと思えないだろう。総理大臣職とは、公務と会議に追われ、いつも笑顔で礼儀正しい言葉を使わねばならず、しかもマスコミに24時間監視され、女性やゼネコンとの密会もままならず……

では、菅さんはどうかといえば、野党のときには有能だった、それから与党になって、大臣になってもまだ有能だった。それでやはりピーターの法則に従って、総理大臣になった(させられた)。彼は、性格的に外向きでパフォーマンスが好きなので、総理大臣職は楽しそうではあるが、以前よりはるかに無能のように見える――小沢さんを立候補に追い込んだことは、彼の無能であろう。

どっちが勝っても、次の政権は短命が予想される。万一もし政権が長期に続くとすれば、最初に紹介した「ピーターの法則」の3番目が満たされるときで、つまり、自分は無能でも、まだ無能レベルに達していない有能な部下がたくさんいて、その人たちが仕事をすれば、組織はなんとか持ちこたえていく、ということである――さて、お二人には、それぞれ、まだ無能レベルに達していない有能な部下がたくさんいるのかどうか……

いやいや、政治家を見て笑ってばかりもいられない。「ピーターの法則」を、「出世(別の仕事)をすると、無能になる法則」と拡大応用すると、組織や大企業に所属していない人も、よくこの法則の罠に落ちるのだ。

シンプル堂の場合――本を読む人(読者)としてはまあまあ有能であったのに、本を作り、売る人に「出世」したら、無能をさらけ出してしまった――「無能を修行」するという意味ではよかったけれど。

「ピーターの法則」の本、皆様にお勧めします。

同じ著者の本
「こんなことがなぜ起こる」(ダイヤモンド社)
「ピーターのピラミッド法則」(ダイヤモンド社)




政治家の人生ゲーム2009年09月07日 11時52分46秒

いつのまにかまた政治スポーツの季節がめぐってきて、日本の政治家たちは真夏の日本を元気に走り回っていた。

事前の予想どおり、衆議院選挙は民主党圧勝に終わり、民主党小沢代表代行の「長年の夢(政治権力の頂点に立つこと)がかなった」(祝)、選挙結果となった。

今回の選挙をスポーツとしてみた場合、自民党は、まったく運と戦略に恵まれなかった。どれほど運と戦略が悪かったかを思いつくままに列挙してみると、

*4年前の衆院選挙で小泉さんが圧勝したとき、彼が作った政権は自民党政権ではなく、「郵政民営化政権」で、彼は自分の人生ゲームに勝利する(郵政民営化を実現する)ために、自民党の組織を実質的に崩壊させてしまった。で、郵政民営化を実現したあとは、もはやその「郵政民営化党」の役割も終わり、「自民党・郵政民営化党」はそれ以後は求心力と中味のない党になってしまった。つまり、「自民党をぶっつぶす!」と常々言っていた小泉さんは、自分の人生ゲームのために、自民党をとことん利用したあげく、本当に4年前に自民党をぶっ壊してしまったのである。

*「選挙の風」というのはバブルのようなもので、4年前の自民党の300議席のうち、100議席くらいは小泉さんの人気が引き起こしたバブルな議席で、それはバブルが終われば、当然はじけてしまうものである。バブルというのは、はじけるときは、たいてい以前よりもずっと収縮してしまう傾向がある。つまり、バブルで獲得した100議席は、減るときはそれよりももっとずっと多く減ってしまうということである。

*以上のような4年前の遠因に加え、麻生首相自身にも運がなく(就任早々、世界的経済危機が襲い)、何兆円のお金を全国民にばらまく(定額給付金)という愚策で、国民の人気を得ようとして失敗し(長年多種多様なマンガを愛読しているという麻生首相は、マンガから大衆の本音の感情や時代の風を読むことを学ばなかったのだろうか)、国民の支持率はあがらす、党内の支持も分裂していた。

*そしてきわめつけは、選挙中に、自民党は、民主党に対するネガティブ・キャンペーンを展開し、自ら民主党に力を与えてしまった。(批判とは常に相手に力を与えることを、政治家の方々はほとんど知らないようである)

だから、今回の民主党の圧勝は、民主党が支持されたというより、自民党が戦う前からすでに負けていたというほうが近い。それでもあえて、今回の選挙に関して、民主党の強運を一つあげれば、献金問題で小沢さんの秘書が逮捕され、民主党にピンチが襲ったとき、小沢さんが代表を退いて、裏に引っ込んだことで、最大のピンチが最高のチャンスになったことであろうか。

前にも書いたことがあるが、小沢さんという人は、表にでると力が出ない人なのだ。命令言語(ゴリラ言語)は得意でも、マスコミ向けに丁寧にしゃべったり、対等の議論をするのが、この人は得意ではない。作り笑いを浮かべ、精一杯、ていねいにしゃべろうとするが、自分にふさわしくない人を演じているので、どこかきごちない。

でも、裏に回った小沢さんは、水を得た魚のように、自分の大好きな得意分野(選挙と人事)に集中し、思い切り力をふるうことができたはずだ。そして。表の仕事は、従順な鳩山代表にまわし、要するに、民主党は、小沢さんが奥へ引っ込んで以後、適所適材に人材を配置し、組織力が格段によくなったのである。

ということで、かつての自民党のライバルたちを苦しめ、夢がかなった小沢さんにとってはおめでたい選挙結果となったが、しかし、民主党にとっては、308議席という圧勝は内心少々憂鬱な数字でもあろう。なぜなら、308議席はもはや上限であり、これからの4年間、仮にどれほど自分たちがミスなく政権を運営できたとしても、次回は今回よりも減ると考えるほうが常識的だからだ。

そして、これからの民主党の見どころは、小沢さんがどこまでゴリラぶりを発揮して、裏から民主党をひっかきまわすか、である。自分が創造したものを、いつのまにか破壊する――これが彼の人生ゲーム(国民の生活とも日本の経済状況ともまったく無関係なゲーム)なのである。民主党は衆議院でこれ以上拡大するという希望がないばかりか、へたをしたら、小沢さんの人生ゲームに巻き込まれて、今回の自民党と同じく、次回は、308議席が100議席ちかくまで落ち込むかも……


以上、今回の政治スポーツを見た感想でした。