Master Key to Self-Realization (2) ― 2024年06月15日 08時17分04秒
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Master Key to Self-Realization(自己覚醒へのマスター・キー)は、ちょっとミステリーふうな仕立てになっている。つまり、謎めいた「私」を探すために、人間を構成する様々な体(ボディ)を、粗雑な体(グロス・ボディ)から、精妙な体(グレート・コーザルボディ)へと、順を追って調査しながら、究極のパラブラフマン(絶対)に至る道筋を明らかにする。
もし本書の方法が成功するなら、最後に探求者に、「絶対」である「私」が明らかになることになっている。
本書で語られているボディの種類は下記の4種類であり、第一の体から、順番に第四の体まで詳細な説明がなされている。
第一の体――グロス・ボディ
第二の体――サトル・ボディ
第三の体――コーザル・ボディ
第四の体――グレート‐コーザル・ボディ(トゥリーヤ)
第二の体――サトル・ボディ
第三の体――コーザル・ボディ
第四の体――グレート‐コーザル・ボディ(トゥリーヤ)
ここで注意すべきことは、もし読者の皆さんが今まで、他の教え、他の本で、こうした目に見えない体(ボディ)に関する秘教的知識を読んだことがあるなら、本書での説明・分類は、他の教え、本とはかなり異なるかもしれない。
たとえば、私が昔読んだ本では、本書でいう第二の体――サトル・ボディをさらに、感情体(エモーショナル・ボディ)と思考体(メンタル・ボディ)に分けてあるものが多く、私の中にもいまだ、感情体(エモーショナル・ボディ)と思考体(メンタル・ボディ)という観念が根強く残っている。
思い出すに(かなり昔に読んだ本なので記憶があいまいであるが)、ヒーリング関係の本が多かったと思う。しかし、本書はヒーリングの本ではなく、あくまでも、私とは何か? 私の本質とは何か?を探求することが目的の本であり、本書での体(ボディ)の説明もその目的にそっている。
私が本書を読んで、一つ不思議に思ったことは、シュリ―・シッダラメシュヴァール・マハラジの主要な弟子であるニサルガダッタ・マハラジの講話には、私が読んだかぎり、こういった目に見えない体(ボディ)への言及がほとんどないことだ。
『アイアムザット私は在る』(ナチュラルスピリット発行)には多少言及があるが、最晩年の『意識に先立って』(ナチュラルスピリット発行)にはまったく言及がない。では、ニサルガダッタ・マハラジの弟子である、ラメッシ・バルセカールはどうかと言えば、初期の頃の著作に目に見えない体(ボディ)を詳細に説明した章があるが、私が読んだかぎりでは、それ以外の講話、本の中で、ラメッシも体(ボディ)の話をしていない。
それはどうしてなのだろうか?
その答えはたぶん、『意識に先立って』から読み取れば、マハラジの帰依者たちは、そういった目に見えない体(ボディ)のことはすでに宿題として学び終えているべきことなので、最晩年の講話の中ではあえて、説明しない(説明している時間がない)というのが、マハラジの考えだったようだ。
だから、『意識に先立って』、そしてラメッシがマハラジの教えを解説した本、『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』(ナチュラルスピリット発行)では、第二の体、サトルボディと第三の体、コーザル・ボディの話はまったく出てこなくて、第四の体―グレート‐コーザル・ボディ(トゥリーヤ)(IAM)から、絶対へ至る話のみをほとんど語っている。
マハラジは、第一の体(グロスボディ=肉体)と第四の体―グレート‐コーザル・ボディが理解できれば、その中間の体に関する知識は自ずと湧きあがるだろうと考えていたのかもしれない。
まあ、ニサルガダッタ・マハラジがどう考えていたにせよ、本書の中では、シュリ―・シッダラメシュヴァール・マハラジは、すべての体(ボディ)を時間をかけて調査し、完全に理解することが重要だと強調している。
[昨年出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
目次の詳細は下記へ。
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コメント
_ ケロケロ ― 2024年06月27日 23時54分33秒
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とても楽しみです。