閉じているそれぞれの観念世界 ― 2026年10月18日 09時13分37秒
[ イヴェント]
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◎リアルの会「私とは本当に何かを見る実験の会」(東京都)
2026年11月23日(月曜祝日)
◎オンライン「私とは本当は何かを見る実験の会」
2026年11月8日(日曜日)午後2時から午後4時頃まで
◎オンライン「非二元の探究──「神(全体)の意志」を受容する」
2026年11月12日(木曜日)午後2時から午後4時頃まで
2026年11月15日(日曜日)午後2時から午後4時頃まYoutube
週に1、2回、読み終わった本を返したり、予約した本を取りに行くため、自宅から徒歩7分くらいのところにある図書館に行く。図書館は数年前に新しく立て直され、新しいコンセプトとスタイルでデザインされたカフェ風の図書館で、非常に快適である――飲食自由、無料wifi付。
土日、夏休みは勉強する高校生などで多少混んでいるが、平日は閑散としている。その図書館の日当たりのいい窓側の私のお気に入りの席で、私はたいてい雑誌を読む(←新聞を読まなくなって、代わりに雑誌を読んでいる)。背面の壁には数百の雑誌が並んでいて、私は毎回、適当に3、4誌を選び、ぱらぱらと読む。
そして最近、特に思うのだ。「雑誌って、それぞれ閉じられた世界なんだなあ」(新聞やテレビ、本も同様であるが)と。それはどういう意味かと言えば、それぞれの雑誌には、雑誌のコンセプトと世界観があり、そのコンセプトと世界観に合った筆者(作家、学者、その他ライター)が原稿を書いている。彼らが書いていることは、「自分」が生きて眺めている世界についての「自分」の感想である。雑誌同士はお互いに対話したりしない(できない)のだ。彼らの言葉は孤独である。
そして、読者が雑誌を開いて読むということは、その観念世界へ飛び込んで、その世界を体験するということだ。言葉が読まれたとき、それは共感を生むにしろ、反感を生むにしろ、雑誌の中の言葉たちの孤独が少し癒され、著者も文章を書いたかいがあるというわけだ。
そして、雑誌を閉じると、一つの観念世界が終わり、また私は別の雑誌(観念世界)に飛び込む。この私の雑誌ホッピングに意味があるわけではなく、ただ私の「活字中毒」というだけだ。そして、時計を眺めると、買い物に行く時間であることに気づき、自分の観念世界に戻り、図書館を出てスーパーへ向かう。
もちろん私の観念世界も閉じている。そして孤独だ。でも、一人でも私が書いた文章を読んでくださる人がいれば、その孤独が少し癒され、書いたかいがある。
*本日もブログを読んでいただき、ありがとうございます(本ブログは今年で19年目です)
[昨年出版された本]
*『頭がないということ――禅と明白なことの再発見』発売
(ダグラス・ハーディング著 ナチュラルスピリット発行)
定価:1,870円(税込み)ページ数:163ページ
*『自己覚醒へのマスター・キー』
*『猿笑非二元講座』
Youtube で公開している『猿笑(さるわらい)非二元講座』の電子書籍版。
[2023年に出版された本]
[その他の本]
*『仕方ない私(上)形而上学編――「私」とは本当に何か?』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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*『仕方ない私(下)肉体・マインド編――肉体・マインドと快適に付き合うために』アマゾン・キンドル版(税込み定価:330円)
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