チンパンジー・マインドの研究2009年06月20日 10時09分13秒

前回、ゴリラ・マインドについて書いたので、今回はその続きで、「チンパンジー・マインド」について書いてみよう。

チンパンジーは、ゴリラよりももっとヒトに近く、DNAのレベルでは、ヒトとチンパンジーはわずか2%くらいしか違っていないと言われている。つまり、ヒトの心身の中には、チンパンジーと共通することがたくさんあるのである。

ゴリラ社会とチンパンージ社会の一番の大きな違いは、ゴリラ社会は一党(一匹)独裁型であるのに対して、チンパンジー社会は、群れの中でオス同士が激しく権力闘争をするシステムであるということだ。

そして、もう一つの大きな違いは、メスがもっと自由であり、誰と関係(sex)するのか、少なくともゴリラ社会よりはずっと自由に選べるというところである。チンパンジーの社会は性的にpromiscuousな社会である。

前回、イラン、北朝鮮等は、ゴリラ型の国と紹介したが、では、現代の地球で、チンパンジー的な国とはどこかといえば、一番のチンパージ的社会は、アメリカ、そして、ヨーロッパ、日本等の先進国である。そういった社会は、激しい競争社会であり、その一方女たち(メス)は、自由な恋愛を謳歌している。

チンパンジー的社会の価値観は、どんなものかといえば、

* 競争に勝った強い男(オス)がヒーローで、自分の欲しいものを一番たくさん得ることができる。(スポーツ選手はその象徴であり、彼らがもてはやされる理由がここにある)

* 競争に勝った男(オス)と関係する女(メス)がヒロインである。

* チンパンージ的社会では、いつも他人のことが気になる。というより、より正確に言えば、他人と比較した自分のポジションが気になる。他人と自分、他人がもっているものと自分がもっているものを比較しては、いつも嫉妬や不安に苦しむ社会である。

* 競争が謳歌される一方、同時に、所属している集団の秩序を守ることが重要で、無用に集団の秩序を乱すものには、罰が与えられなければならない。

この最後に書いた「競争が謳歌される一方、同時に、所属している集団の秩序を守ることが重要」というのは、ゴリラ・マインドに比べてかなりの複雑なマインドの働きで、先進国の人たちは、子供の頃から、家庭、学校、職場で、その複雑なマインド――たえず競争し、かつ、たえず協調するというような、かなり矛盾するマインドを学ばさせられる。

ヒトの中のチンパンジー・マインドは、競争と(人間)関係に取りつかれているマインドともいえ、ヒトの世界の人間関係の悩みはその多くが、「集団の中の競争と和」という、なかなか両立しえないものを両立させようとするストレスに起因している。

そして、そのストレスが集団の中で極端な形で現れるとき、それはイジメ・中傷となり、さらには暴力にまで発展する場合もある。集団で特定の個人をイジメるのは、きわめてチンパンジー的な行為であるのだ。

集団の中のイジメというのは、集団の和・秩序を乱したと(チンパンジー・マインドが思う)異分子に対する罰という大義名分のもとに、本当は、いじめている相手よりも自分たちは強いという満足感を得たいという目的で行われる行為なのである。したがって、そういったときのヒトのチンパンジー・マインドは、実はかなりの劣等感とストレスに苦しんでいる。

前回も書いたように、類人猿の子孫である私たちはほとんどの人が自分の中にゴリラ・マインドやチンパンジー・マインドをもっている。が、それが作動するかどうかは、人それぞれで、自分の中のゴリラ・マインドやチンパンジー・マインドを認識・理解し、そして笑うことができる人は、そういったマインドに支配されずにすむはずである。

さて、先日私は、sex and the city という、何年も前からアメリカ、そして、日本でも女性たちに大人気のDVDを見ていた。ニューヨークのセレブな独身貴族の女たちの生態を描いている(現実よりもかなり上品に美化されているようだが)このアメリカのテレビドラマは、まさにチンパンジー・ワールド全開で、チンパンジーの性と心を学べるなかなか楽しいドラマだ。高度なチンパンジー・マインドを駆使する女(メス)と男(オス)の駆け引きが見どころで、しかも、英会話の勉強にもなる。(内容が内容だけに、俗語も多いが、登場人物は皆さん教養のあるセレブなので、とてもきれいで洒落た英語をしゃべっている)

このドラマのある場面でヒロインの一人が、一度だけ関係した男にこう詰問する場面がある。

「(あなたは)体だけが目的なのね。(私のことを)恋人だとは思っていないのよ。私はあなたが思うような女じゃないの」(おいおい、チンパンジーよ、「体」以外のどんな目的があるのだよ?←←私のツッコミ)

女にゴチャゴチャと愚痴や怒りをぶつけられても、そこは、この男はゴリラではなく、頭のいいチンパンジーなので、怒ることもなく、キレルこともなく、おだやかにこう言い訳を始める。

「まだ(君の)体しか知らないけど、(それ以外のことは)これから知るよ」

かくして、男(オス)は巧みな話術で女(メス)を騙し、再び、欲しいものを手に入れたのでありました……


参考図書

「政治をするサル」フランス・ド・ヴァール著 平凡社
チンパンージーの世界で、どういう「政治」が行われているのか、長年研究し、観察した記録。ヒトの世界の政治(や性・恋愛)の起源は、チンパンージにあり、ということを教えてくれる貴重な本である。

「風葬の教室」山田詠美著(新潮文庫)
学校という場で、どういう状況でイジメが起るのか、いじめられる立場から描いた短編。ちょっと主人公(いじめられる側)を美化しすぎという感じもしなくはないが、よくありがちな思春期の少女たちの心理を巧みに描いている。

「人をめぐる冒険」髙木悠鼓著(マホロバアート)

ゴリラ(独裁者)マインドの研究2009年06月02日 09時32分28秒

一味変わったDVDを見た。「ペルセポリス」というタイトルの外国アニメ映画で、内容は、1980年代、1990年代のイランの国情を背景に、非常に民主的で自由な価値観の一族に生まれた少女の成長と苦難を描いた物語だ。日本のアニメとは全然雰囲気が違う(それでいて、日本の白黒の影絵のような作り)独特のタッチが内容にピッタリである。(「ぺルセポリス」とは、大昔、イランがペルシャと呼ばれて繁栄していた頃の首都の名前)

このアニメで私の興味を一番ひいたのは、宗教独裁国であるイランの権力者たちの発想・考えである。それは、時代、文化、地域をこえて、過去・現在のあらゆる独裁的国家――戦前の日本の軍国主義、かつてのソ連・東欧の共産主義一党独裁国、ナチスドイツ、現在の北朝鮮、フセイン時代のイラク等々――の発想・考えと、滑稽なほどまったく同じだということだ。

時代・地域を越えて共通するということは、そこにある種の人類の精神の原型があるということで、私の観念によれば、それは、「コントロール願望=私はまわりをコントロールしなければならない」に取りつかれている、人類のある段階の知性・精神を表している。その「コントロール願望=私はまわりをコントロールしなければならない」をさらにもっと具体的に書いてみると、

* 私(たち)の考えていることが、唯一絶対に正しい
* お前たち(国民)は、私(たち)の言うことに従っていれば、幸福である。
* 私(たち)の言うことに従わない者たちは、社会の悪として罰せられなければならない。
* 女は、男の所有物で、男の言うことに従わなければならない。
* 女を自由にすると、社会の風紀が乱れるゆえに、厳しく統制しなければならない。
* 私(たち)に敵対する外部勢力は、攻撃しなければならない。

と、だいたいこんなようなものだ。

こういった考え方の源流をたどってみると、なんとそれは驚くことに、ヒトの祖先がゴリラのような生き物だった時代(ヒトとゴリラは1000万年くらい前に分かれたとされている)にまでさかのぼるというのが、私の考えだ。以前、野生のゴリラの生活を記録した映像を見たことがあり、そのときの一シーンにこんな場面があった。

一頭のボスゴリラ(オス)がしきる縄張り(ゴリラは、独裁的、一夫多妻的ハーレム的集団を作る)のまわりを、群れを乗っ取ろうとする若いオスゴリラがうろついている。それを目ざとく見つけたボスゴリラは、早速警戒心をあらわにして、威嚇する。若いオスゴリラはかなわないと判断し逃げ去ったのだが、問題は、このあとの場面だ。突然、ボスゴリラは、その若いオスに一瞬興味を示した群れの一匹のメスのところへ突進して、二発、三発攻撃。それから胸をドラミング(ドラミングは、類人猿が自分の体を叩いて、自分の力を誇示するときなどにする仕草)。とまあ、こんな感じの場面だ。

今の場面を人の言語に翻訳すれば、

若いオスに向かって、
ボスゴリラ「オレの女たちに手をだしたら、ただじゃおかないぜ! 痛い目にあいたくなければ、オレの縄張りからさっさと消えうせろ!」

若いオスに関心を示した群れのメスに向かって、
ボスゴリラ「他の男に、なに色目なんか使ってんだよ、このバカ! 許さん!こらしめてやる」

このようにボスゴリラは、外から群れを乗っ取るやつがいないか、群れのメスの中で造反者(浮気者)がでないか、群れの状態をたえずチェックし、コントロールするのに忙しい。

イランや北朝鮮のように社会全体が監視社会となって、いつも他人の行動・思想・服装をチェック・コントロールするのに忙しい社会というのは、私に言わせれば、国民の大多数がゴリラ(独裁者)マインドに支配されている社会というわけだ。(念のために言えば、あらゆる人の中にこのゴリラマインドは潜んでいるが、それがほとんど作動しなくなれば、その人の知性は、幸いなことに、いちおう人間にまで進化しているというのが、私の考えである)

こういう国家は、内部の自由をあまりに厳しく統制するために、その反動で、たえず、外に向かっては攻撃的にならざるをえず、常にある種の戦時状態である。

だから、北朝鮮が最近特に、核だ、ミサイルだと外に向かってやたら攻撃的なのは、国家内部の統制があまりに厳しいので、外側に向かってエネルギーを発散しないと、体(国)のエネルギー・バランスがとれないからなのである――国力の衰退を、必死で隠すべく、北朝鮮ゴリラがドラミングしているというわけなのだ。

幸い現在の日本は、国家的にはこういう国ではないが、ミニ北朝鮮ゴリラのような感じのヒト(特にオス)たちが、家庭、職場、街中、あらゆるところでドラミングしている――物事が自分の思いどおりにならないとき、怒りだしたり、暴言を吐いたり、果ては暴力をふるったりするヒトたち(ナイフをもって突然暴れるオスたちは、その極端な典型)は、時代を1000万年ほど勘違いしている……

参考図書
「1984年」ジョージ・オウエル著
監視社会とはどういう社会か、小説という形態で描いた本。ゴリラ(独裁者)マインドをつらぬく思考・思想のすぐれた研究書でもある。現在、自由を謳歌している社会でも、監視社会になりうる可能性はどこの国にもあるということを、教えてくれる。

「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー著
世界文学の最高傑作とされているこの名作も、読みようによれば、父親と兄弟たちをめぐるゴリラ的権力闘争の物語として読むことができる。

「人間はどこまでチンパンジーか?」ジャレド・ダイヤモンド(新曜社)
チンパンジー、ゴリラから、ヒトはいつ、どのようにして分かれて今日に至っているのか? 生物学的理解からヒトの行動を解明している一般向け科学書。ヒトはどういう相手を結婚相手として選ぶのかを、生物学的に説明している箇所もあるので、今、世の中で流行の「婚活」にも役立つかも(!? )

「わかる・わからない」ということ2008年06月06日 10時53分28秒

もうかなり前に、テレビである短いドキュメンタリー番組を見たことがある。それは、日本での恵まれた地位と名誉と収入を捨てて、東南アジアのある国で無料の医療奉仕をしている、ある日本人医師を追ったドキュメンタリーであった。その医師は本当に楽しそうにその国で無料の医療奉仕をやっていて、時々、お金と医療器具が必要なときだけ、日本に帰国して、短期的にあちこちの病院で働くという生活を送っていた。

彼にとっては、日本での恵まれた境遇を捨てて、東南アジアで無料奉仕をするのは、人生の非常に自然な流れ(私の観念でいえば、「進化」)なのであるが、ところが、その彼を取材し、ドキュメンタリーを作っている人たちは、「なぜ彼のような恵まれた境遇にいた人が、それを捨てて東南アジアで医療奉仕をやっているのか、理解できない」というような主旨のコメントや質問を発するのだ。その医師のほうも、そういう質問をされても、相手に納得させる言葉を言うことができない。

つい先日は、今度は、有名な元サッカー選手が世界中を旅したドキュメンタリー番組を少し見ていたが、ここでもまた多くの人たちが、なぜ彼のような名声のあるサッカー選手が、それを捨てて、地球の旅人になったのか、不思議がり、彼のことを「謎の男」みたいにとらえている。

名声や富のある一流の医者やサッカー選手になりたいといえば、ほとんどの人がそれを理解し、賞賛する。でも、それらを達成したあと、その恵まれた(と思われている)生活を捨てて、もっと楽しくワクワクする人生を送っている人たちのことは、不思議で理解できないという。

でも言葉を越えてわかる人たちには、わかるのだ。少なくとも私には、この二人の生き方や言葉は不思議でもなんでもなく、非常にわかりやすかった。

人間同士における理解・わかる・わからないの問題――それは別の言葉でいえば、コミュニケーション・ギャップということである。子供の頃からそれをよく実感してきた私は、大人になってからは、人と人とが、「言葉が通じない、理解できない」とは、おそらく言葉以前の問題なのかもしれないと、なんとなくぼんやりと感じ、その答えを求めて20代から、精神世界、宗教、心理学の本を読みあさった。

20代のときに読んだ本で、そういったコミュニケーション・ギャップの理解について一番役に立った本は、このブログで何度か紹介している「なまけ者のさとり方](タデウス・ゴラス著)と、もう一冊「奇蹟を求めて」(P.D.ウスペンスキー著)という本の2冊で、この2冊のおかげで、人々がお互いの言葉や生き方、考え方を理解できないのは、お互いのエネルギーの質量の違いによるものなので、それは仕方のないことなのだと、私はおおまかに理解した。

それから私は、実際に様々な精神世界や宗教関係の教えや先生たちに接したり、そういう世界に関心をもつ人たちともたくさん出会ったが、こちらは、世俗の世界よりも、「理解」に関しては、もっと混乱が多いように感じている。

精神世界や宗教に興味をもつ人たちは、本やセミナー等を通じて、様々な教えや観念を知り、もし気に入れば信じる。ところが、また別の観念や別の先生・教えに出会うと、そちらのほうが気に入り、また信じる。人はある観念を知り、信じ、疑い、また別の観念を知り、信じ、疑いといったふうに、様々に矛盾している観念に対して、そういうことを繰り返していくうちに、何が正しいのか、何を信じるべきなのか、何をすべきなのか、だんだんわけがわからなくなってくる場合が起こる。極端な場合は、その混乱から、うつ病のようになってしまう人たちもいる。

私自身がそういったことで極度に混乱した時期があり、10年ほど前、その自分自身の混乱を救うために書かれた本が、「人をめぐる冒険」という本である。

この本の中で、展開した、「動物・人間・神」という観念と、それに基づく霊的(精神的)進化論は、霊的世界におけるコミュニケーション・ギャップや現象世界を理解するうえで、私自身にとっては非常に役に立ち、なかなかの傑作だと、書いた本人は満足していたのだが、当初の私の予想に反して(!?)、この本は超絶的に売れない本となった。それでも中には、すごく面白いと言ってくださった超少数の人たちもいて、私の中の「作家魂」(なんか、わけのわからないものですが)を喜ばせた。

まあ本は売れなかったとはいえ、そこはどんなときにも、「転んでもタダでは起きない」私は、この本が売れなかったおかげで、本(言葉・観念)を、読む・知る・信じる・理解することをめぐるコミュニケーション・ギャップに関して、また新たに研究する機会に恵まれた。「動物・人間・神」という観念に基づく霊的(精神的)進化論を、もっと自分に役立つように、もっと詳細に検討しては、それをいろいろなことに当てはめて考えてみた。いや、本当は、研究というより、本を書いたあとの「修行の日々」というほうがふさわしい。

あれから10年、その研究・修行のほうは、大筋では終わり、あとは本にまとめるだけなのだが、これがどういうわけか、完成のめどがたたない。本という形にするだけのエネルギーがなかなか、天から降りてこないのだ。いつ本が出るか出ないかは、天のみぞ知るという感じ……である。

さて、あらゆることに関する「わかる・わからない」という問題――そもそも、多くの人たちにとっては、「わからない」ことは、まったく問題ではない。また最高の叡智も、「わからない」ことなので、そこまで進化した人たちも、「わからない」ことは、まったく問題ではない。「わからないこと」が気になる、その途上にいる私のような者たちだけが、愚かにも「わからない」ことと格闘しているのである。

よって、思考を紡いだり、言葉・観念を表現したり、本を書いたりする行為、また、それらを読んだり・理解したりする行為とは、「半分知っている者」たちのリーラ(宇宙の戯れ)、ときには、もっと多くの誤解・無知・混乱を生む可能性のあるリーラなのだと、私自身はいつもその限界をかみしめる。

半分知った者が、全知であろうと奮闘する愚者のリーラ……神以外の誰も止められないリーラ

それでも、願わくば……

半分知っている者同士の出会いから、創造的な理解が生まれますように……

[イベント]
そんなこんなの状態で、「人をめぐる冒険」の続編の本は、当分出そうにはありませんが、「動物・人間・神」という観念に基づく霊的(精神的)進化論の最新版を、ご興味ある方にご報告してもいいかと思いたち、下記の会を企画しました。

2008年6月22日(日)(午後1時30分より午後4時30分)
「人をめぐる冒険」の会
詳細・参加申し込みは、下記サイトへ。
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/profile.html

参考図書

「奇蹟を求めて」P・D・ウスペンスキー著 平河出版社発行
20世紀前半に活躍したロシアの神秘思想家、グルジェフの教えと言葉を、彼の高弟だったウスペンスキーがまとめた本。他のどんな本にも書いてない興味深い観念が記述されてあるが、読んで理解するだけでも、相当な努力が必要。グルジェフ自身が書いた本としては、「ベルゼバブの孫への話」(平河出版社発行)があり、こちらはさらに読むのがもっと困難な本で、「超超超努力」を要する本。

「バカの壁」養老孟司著 新潮社発行
5年ほど前の大ベストセラーであり、本書の中で、著者は、人は自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまう(=「バカの壁」を作る)というテーマで、自らの様々な体験と観察から、「わかることの困難」を語っている。

「なまけ者のさとり方」タデウス・ゴラス著 地湧社発行

「人をめぐる冒険」高木悠鼓著 マホロバアート発行

少子化対策大作戦2008年04月14日 21時46分02秒

結婚しているカップルで、夫が家事育児を積極的に手伝う場合は、妻が二番目の子供を生む確率が高い――最近そんな統計をインターネットで読んだ。現代では、家事育児を積極的に手伝う夫は、そうでない夫よりも子供をたくさんもてるということが、統計的に証明されたようである。

それに関連して、家事育児を手伝わない夫たちへの不満を、妻たちがタラタラと述べているサイトも読んでみた。みんな怒りまくっている。いわく、

「結婚する前は、家事を手伝うといったのに、実際は言っても何もしない」とか、
「子供が生まれてから、まったく夫は家事育児を手伝わず、自分だけ一人で遊びに出かけている」とか、
「不満を言うと、誰のおかげで、お前は飯を食っているんだと言われた」とか、まあまあ、様々な不満がぶちまけられている。

そして、多くの人が、その最後に書いている。

「今、離婚を考えています」
「子供が、手がかからなくなったら、離婚します」
「これから、お金を貯めて、離婚の準備をします」

自分が、家事育児を手伝わないくらいで、離婚はないだろうと、そうたかをくくっている世の男性方、その考えは、甘い! 今日日、女たちは、夫が家事育児を手伝わないくらいで、簡単に離婚したくなるのです――しかも、年代を問わず――夫が家事を手伝わないという理由で、50代、60代でも妻から離婚を申し立てる夫婦さえいる。

こういう女たちの怒りはもっともなものの、しかし、男が家事育児をしたがらないのには、生物学的根拠があるのだ。つまり、オスという種の長い進化の歴史の中で、オスの仕事は「種を蒔くこと」だけ、という種が多いのである。オスは、子育てはおろか、餌だって運んでこない動物もたくさんいる。そのため、オス(男)の脳の中には、自分の仕事は、「種蒔きだけ」という観念が根強く残っているようなのである。

あるとき、私はチーターのメスの子育てをビデオで見たことがある。チーターのオスも「種を蒔くだけ」の動物の一つで、子育てはすべてメスがやる。数年間、メスと子供たちという母子家庭で、母親は、狩りをして子供たちに餌をやり、子供を外敵から守り、そして子供に狩りを教えと、24時間孤軍大奮闘。それなのに、ある日突然、子供たちはもう一人前と判断すると、唐突に子供たちと別れるのだ。子供たちのほうは去っていく母親を見送るだけで、決してあとを追いかけようとはしないし、母親も振り返りもしない。そのあまりの未練のなさに、私は感動してしまったのである。

では、人類はといえば、少なくとも餌だけはオス(男=父親=夫)に運んでこさせようということで、数百万年前に、いわゆる結婚制度みたいなものが始まり、男は外で狩り(仕事)、女は家で家事育児という男女の役割分担が確立した。

ところが、その数百万年間続いてきたパターンが、過去数十年間、先進諸国では、女たちが外で働くようになり、お金を稼ぐようになってから、急激に変わってしまったのである。女たちは家事育児以外にも、人生の楽しさを知るようになり、家事育児に費やすエネルギー・時間をできるだけ減らしたいと思うようになっている。

女(というより、正確にいえば、女の脳)は、数百万年も続いてきたライフスタイルを、わずか数十年で簡単に変えることができたのに、男(男の脳)はといえば、それが簡単にできないのである。単純に言ってしまえば、女の脳は器用で、男の脳は不器用なのだ。女の脳はマルチで、家事も育児もできれば、外で仕事もできるし、やろうと思えば、たいていのことを簡単に学び、平均的にこなせてしまう。

一方、男の脳は、一点集中型で、たいていは仕事と趣味とスポーツくらいにしか関心がもてない。家事育児は、多様で煩雑で細かいことの連続で、普通の男の脳にはおそろしく難しい。そして男の脳は、自分が関心のないこと、不得意なことをしようとしたり、させられたりすると、ものすごくストレスがたまって、イライラし、切れやすくなる。

ほとんどの夫たちの本音をいえば、仕事から帰ったら、風呂に入ったあと、好物を食べながら、静かにビールを飲み、何も考えずにプロ野球やサッカーでも見ていたい――妻のうるさい愚痴も、子供の泣き声も一切聞きたくない。妻の話を聞きたくないのは、妻の言っていることに関心がなく、理解もできないからなのである。

というわけで、話を聞こうとしない夫たちに対する妻たちの愚痴が、前述のように炸裂するわけなのだ。「できるだけ家事育児の負担を減らし、それ以外の色々なことをして人生を楽しみたい」現代の多くの女たちが共通していだくこういった願望を、男たちはほとんど理解していないし、ここ数十年で、女たちが急激に変わってしまった時代状況になかなかついていけない――昔のような、「おーい、風呂、飯、ビール」の時代は、すでに終わったのである。

そんなこんなの状況の中で、もし、自分の子孫がたくさんほしいと――男がもし本当にそう思うなら、考えられる作戦は以下のとおりである。

1.家事育児援助作戦――家事育児のやり方を熱心に学び、まめに妻を手伝う。

2.金持ち作戦――お金をバリバリ稼いで、家にお手伝いさんを雇えるくらい大金持ちになる。大金持ちにならないまでも、各種家事代行サービスをバンバン利用できるくらい稼ぐ夫となる。

3.誉め倒し作戦――家事も育児も手伝いたくないし、お金もたくさん稼げないという夫は、妻を誉め、感謝の言葉を濫用する。妻がどんな食事を作ろうと、「ありがとう、おいしいね」を忘れず、自分の優先順位が子供たちよりも下でも、おかずの量が子供たちよりも少なくても、決して文句を言わない。妻の容姿、化粧、服装をどんなときにも誉める。すると、妻は何となく気分がよくなり、夫に対する不満や愚痴をつい忘れてしまい、家事や育児は自分の仕事だと思いこみ、夫に手伝わせるのをあきらめる。(自分の趣味に忙しく、育児も家事もほとんどしないにもかかわらず、この作戦を実行して、平均以上に子供をもてた男性を私は何人か知っている)

4.邪道作戦――あちこちの他の男たちに、こっそりと自分の子供たちを育てさせる(これがどういう意味か、おわかりですね?)

男性の皆様、少子化対策のために、がんばって!


参考図書
「話を聞かない男 地図が読めない女」アランピーズ/バーバラ・ピーズ著 「主婦の友社」発行

男と女の脳の違いを、一般向けにわかりやすく書いた本。

生物進化論的救い2008年03月11日 10時52分47秒

長年、生物進化論関係の本を愛読している。楽しいし、ためになるし、救われる。多様な生物の世界を知り、人間も含めて生き物はすべて利己的であることを理解すると、自分も含めた人の動物的利己的に見える振る舞いも、まあ仕方ないかと思えるし、自分の肉体的人格的欠点も、遺伝のせいかもしれないと思えれば、気が楽だ。

生き物は、すべて利己的である――より正確に言うと、個体が利己的というより、遺伝子が利己的ということであり、遺伝子は自分のコピーを増やしていくためだけに、個体を利用していく。私たちの肉体とは、ただ遺伝子の乗り物に過ぎない――すべては遺伝子の意志である――これが、リチャード・ドーキンスというイギリスの学者が世界中に広めて驚かせた利己的遺伝子の概念であり、多くの学者が彼の説を支持している。

生物学の知識を一般の人たちに楽しく伝える仕事をしているある著者の方は、リチャード・ドーキンスの本に出会ったときの「救い」をこう書いている。

「……ようやく谷底から救い出されたような思いになったのである。人生に、目的などない、人にまっとうすべき使命もない。努力を怠るのでもなければ怠慢というのでもないが、そもそも大袈裟に考えるからこそ我々は苦しまねばならないのだ。遺伝子とうまくつきあう方法を考えればよいのではないか……。」(竹内久美子著 「千鶴子には見えていた!」275ページ文藝春秋社)

生物進化論の観点から見ると、浮気をする男も女も、子殺し、子供の虐待、育児放棄、レイプする人たちさえも悪者ではない。それらにはちゃんと生物学的根拠がある(もちろん、だからといって、人間の社会が、子殺し、虐待、レイプ、育児放棄等々を、裁かなくてもいい、罰しなくてもいいという話ではない。人間の社会の法律は、そういう極度の動物的行動を禁止し、裁くことが、その仕事である)。動物の中には、信じられないことに、ある種の中絶さえする動物もいるという。最近読んだ本、「マザー・ネイチャー」という本には、様々な動物たちの生態が書かれてあり、大変に面白かった。

一方、生物進化論とは相性が悪い宗教(宗教、特にキリスト教は、進化論を否定する立場にたつ)も、最終的には、似たような結論にたどり着く。「遺伝子」を「神」という言葉に置き換えれば、こう言える。「すべては神の意志である」と。

私が敬愛するインドの導師たちは、「人生には目的はない。人生は神のリーラ(戯れ)であり、人の運命は、妊娠のときに刻印され、すべては決まっている」と言う。一つの肉体が何をしても、しなくても、どの肉体が何をしてもしなくても、それは神の意志だ、と。

深く考える人たちは、「それでは、私の自由意志はどうなるのだ?」と問うにちがいない。表面的に考えると、神の意志、あるいは、遺伝子の意志は、人間の自由意志とは矛盾するように思える。が、自分の意志だけをほとんど押し通して生きてきた(と本人は思っている)私は、人の自由意志と神の意志(遺伝子の意志)には何も矛盾もないことを今では理解している。

つまり、ある人が遺伝的環境的プログラムによって、選択することが、何であれ、神の意志(遺伝子の意志)であり、またその結果も神の意志である。AかB かの選択があるとして、もし人がAを選択すれば、それが神の意志でもあり、反対に人がBを選択しても、それも神の意志である。Aを選択した結果にその人が苦しめば、その人が苦しむことが神の意志であり、Bを選択した結果にその人が喜べば、その人が喜ぶことが、神の意志である。
 
だから、どんな状況でも、人が見かけの自由意志を行使する自由や考えたいことを考える自由は、制限されてはいない。ただ選択の結果が、自分の好みとは違う方向に展開することが多いだけで………

今では、脳科学も人間の自由意志を否定する。脳の実験によれば、人間が自分の意志に気づくより早く、脳のほうが反応するということがわかっている。どういうことかというと、たとえば、ある人が食堂で、うどんを食べようか、蕎麦を食べようか考えているとしよう。「うどんにしよう」と決め、「うどんをお願いします」と注文する。その人には選択の自由が与えられているように見えるし、また「うどんに決めたのは、誰の意志ですか?」と問われれば、その人は「私の意志です」と答えるだろう。

しかし、実際は、人が「うどんにしよう」という自分の意志に気づく以前に、脳のほうではすでに反応が始まっているという。つまり、自分の意志があるから、脳が反応するのではなく、脳の反応があるから、それが、自分の意志として感じられるというわけである。「脳の反応」→→「うどんにしようという意志に気づくこと」→→「実際に、うどんをお願いしますという注文する行為」という順番となっている。その脳の反応を、生物学系の人なら、遺伝子の意志と呼び、宗教系の人なら、神の意志と呼ぶわけである。

だから、究極的には、人がある特定の思考をもつこと自体、自分の意志ではない、という話になる。こういう話は、すべての人が納得する話ではないが、理解する人たちにはある種の「救い」となるかもしれない。

ただし……あちこちで浮気しまくったあげく、「遺伝子のせいなので………」とか、仕事等でミスばかりするのにまったく向上心もなく、「だって、神の意志だから………」などと、日常生活で遺伝子の意志や神の意志を持ち出して言い訳する人は、間違いなく、まわりの人たちの大ひんしゅくを買い、嫌われ、憎まれ、追放されます!


参考図書

「利己的遺伝子」リチャード・ドーキンス著 (紀伊國屋書店)
「われわれは遺伝子という名の利己的存在を生き残らせるべく盲目的にプログラミングされたロボットなのだ」という結論を提供して、生物学界のみならず、思想界にも衝撃を与えた本。

「マザー・ネイチャー」(上下)サラ・ブライファー・ハーディー著(早川書房)
3人の子供をもって科学界で奮闘する女性人類学者が、進化におけるメスという性の役割を論じた大著。
進化における女の力を証明しようとする著者の意気込みが感じられる本だが、上下巻あわせて、ハードカバー800ページ以上なので、超暇人の方にお勧めする。

「脳のなかの幽霊」V・S・チャマンドラン著 角川書店
数々の実験を通じて、人の認識と脳との驚くべき関係を探った本。著者は、私たちの体は、脳が作り出した幻想であるという結論を展開する。楽しく考えさせられる本。

「アイアムザット」ニサルガダッタ・マハラジ著(ナチュラルスピリット)
進化論者たちが否定し続け、しかし、宗教は語り続けてきた神の創造の本当の意味とは何か、その深い謎が理解できる本。分厚く、決して読みやすい本ではないので、インドのアドバイタ(非二元論)哲学に興味ある方にお勧めする。

アルファ・オス(序列が一番上のオス)になりたい夫たち2007年12月06日 10時26分18秒

「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」と、夫に言われて、怒りがおさまらないという主婦の悩みを、たまに悩み相談のサイトで見かけることがある。

「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」という言葉は、昔から、夫婦喧嘩のときに、夫たちが、主婦である妻に投げつける定番の武器であり、私も昔、知り合いの主婦の人たちから、その怒りを聞いたことがある。

そして、機会があるときには、夫たちがその言葉を妻に言わざるをえない、動物脳の習性を説明してあげたこともあった。

その動物脳の習性とは、

ヒトも含めて集団をつくる哺乳類は、集団の中の序列を確定したがる、ということだ。そして、序列を確立したあとで、自分が他のメンバーに対してどういう行動をとるかを決定する。

よく知られている例が、犬で、犬を飼うときは、ペットの飼い主は、自分が犬よりも、序列が上であることを最初にしっかりと犬に教えなければならない。そうでないと、犬は、自分が家族の中のアルファ・オス(序列が一番上のオス)だと思い込んで、誰の言うことも聞かなくなるという。動物脳には、民主主義は理解できないのである。

私が知るかぎり、妻子を養っているほとんどの男は、「オレの稼ぎで、家族は生活している」と思っている。生活費とは、動物的解釈では、餌を運んでくるという意味で、動物の世界では、オスが餌を運んでくることができれば、それは、強いオス=集団の中で序列が一番上ということを意味する。

つまり、妻子を養っている男の脳では、「オレは餌を運んできているので、この集団のアルファオスだ」=「よってお前たちは、オレの言うことに従わねばならない」という解釈が成立している。

ところが、現実のヒト家族では、たいてい、夫であり父親である男の言うことなど、誰も無視して、従わない。そのことが、特に動物脳が強く機能している夫の脳には、耐え難いストレスとなる。「なんでアルファ・オスであるオレの言うことに、誰も従わないんだ? お前ら、なんか変じゃないか?」と。

動物世界では、みんながアルファ・オスに絶対に服従するので、こういった夫たちのストレスと疑問も、当然といえば、当然なのである。

人間の脳がある程度機能している夫の場合は、たとえ、「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」という思考が心によぎっても、もしそれを口に出して、妻に言ってしまったら、夫婦関係が悪くなるのを理解しているので、理性でとめて、言葉をこらえる。

さらに、もし神の脳が機能している夫であれば、「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」という思考がよぎったときに、その思考そのものの真実を疑うはずだ。事実は、誰かが誰かを養っているなどということはなく、ただ縁によって、いくつかのボディ・マインドが、家族として引き合って、神の意志によってお互いを支え合っているだけの話なのだ。「オレの稼ぎで、家族は生活している」などという思考そのものが、笑止千万である。

このように、「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」などという言葉と思考は、笑止千万であるにもかからず、家庭内でアルファ・オスの地位を名実ともに勝ち取ろうとあがいている夫たちにとっては、妻子を黙らせ、従属させる(そして、嫌われる)最強の武器でもある。

そして、もしそれを言われた妻の側が、いつまでも、うじうじ、ぐじゃぐじゃと悩み、怒るとすれば、その人の中にも、「自分は夫に養われている」という劣等感と負い目があるはずであり、敵(夫)はその弱点を攻撃して、従属関係を作ろうとするわけだ。相手の一番弱いところを攻撃するのが、動物的習性というものである。


夫婦喧嘩は、カップルが離婚する運命がない場合、激しくやりあったあと、仲直りするケースも多いので、妻の側も、一人で悩んで怒っているよりは、女の得意技、「口撃」で、反撃するのもいいかも、と私は思います。

「誰のおかげで、お前は飯を食っていると思っているんだ?」と言われたら、

「誰のおかげで、あんたは毎日、清潔なパンツをはいて会社へいけると思っているの?」と同様に笑止の言葉で切り返す、あるいは、

「あんたが私を食わせているって? ええ? そんなまさか!? 今日まで知らなかった……」と、ボケて見せる、あるいは、

「ごめん、実は今だから言うけど、内の子供たち、あんたの子供じゃないようなの……あんたの知らないところで、私も色々あってね……
今まで、本当にありがとう。自分の子供でもないのに、お金出してくれて、本当に感謝するわ」と白状して、さらに修羅場を作るか……

サル化する脳2007年11月17日 14時30分14秒

以前、チンパンジーがどれくらいお預けを我慢できるかを実験している映像を見たことがあった。

チンパンジーの前に、バナナなどの好物がずらり並んでいる。しかし、彼は、自分の主人(人間)が戻って来て、食べてもいいと言うまで、食べないように命令されている。その様子をカメラが写している。彼は食べたそうにじっと食べ物を眺めて、ときどき、誘惑にかられて、手を出しては食べ物に触ってみるのだが、またあたりを見回しては、我慢して手をひっこめる。主人が戻って来るまで、彼はこれを何回も繰り返していた。

私はこの映像を見ながら、このチンパンジーの脳は、かなり人間化しているなあと思ったものである。彼は、主人の命令という大儀のために、本能を抑制しているからだ。

もしこれが訓練を受けていない野性状態のサル、チンパンジーであれば、目の前にごちそうがあるとき、決して本能を抑制することがない。ただ飛びついて食べるだけ。

ところが、訓練を受けて脳が人間化するとき、チンパンジーの世界に主人の命令という大儀が入ってきて、彼はその大儀のために、本能を抑制することができるようになる。

同様に、盲導犬のように高度に訓練を受けた犬も、仕事中は、食べ物などの匂いに反応しないように、しつけられている。盲導犬もまた主人の命令という大儀のために、本能を抑制することで、仕事をすることができる。

話はとんで、防衛省前事務次官の守屋さんのゴルフ接待三昧の日々―――私は、「官僚サルにお預けは、無理なんだろうなあ」と思いながら、守屋さんの脳のサル度をニュースで読んでいた。彼は、目の前においしい好物(ゴルフや高級料亭での接待や天下りのお約束)が差し出されたら、「迷わず、躊躇なく」とびつく日々だったようです。

ほとんどの人たちが知っているように、国家官僚も含む公務員には、公務員規定というもの(大儀)があり、本当は彼らにはやってはいけないことがやまほどある―――特定の業者からの接待やプレゼントを受けてはいけない、倫理に反するような知人や親戚や業者の頼みを受けてはいけない、裏金を作ってはいけない等々。

ところが、公務員にはたくさんの権限(権力)があり、その権限(権力)は出世するほど大きくなる。そして、その権限(権力)ゆえに、彼らのところには、たくさんの人たちが、好物のお土産(ゴルフや高級料亭での接待、天下りのお約束等)をたずさえてやって来る。

公務員規定という大儀を守るために、本能を抑制して好物のお土産を断れるような人は、人間の脳が機能している立派な公務員と呼べるが、おそらく立派すぎて、まわりにはあまり好かれず、出世コースからもはずされてしまうだろうと、想像できる。

公務員・官僚業界で出世するために、多くの官僚たちの脳は歳をとるにつれてサル化し、トップに上りつめる頃には完全なサル状態―――守屋さんの状態―――自分のお金と他人のお金と、公のお金(税金)の区別がまったくできない状態。

では、民間のほうが、公務員・官僚業界よりましかと思えば、最近の様々な企業の不祥事は、民間のトップも脳がサル化している人が多いことを露呈している。

最近、食品の期日擬装が発覚したある有名会社―――トップが責任をとらずに、現場のパート社員に責任を押し付けている―――サル役員は、会社の信頼回復という大儀よりも、自分が傷つきたくないという本能を最優先している。さらに自分が、パート社員よりもはるかに高給をもらっているのは、その中に責任料が入っているからだということも理解できない。

大組織は、脳がサル化しやすい(?)―――組織に入ったばかりの若い頃は、すぐれた立派な人が、何十年もたつと、立派なサル―――進化論から考えると、興味深い問題です。


お勧めの本(サル化している組織で快適に過ごすヒントが、得られるかもしれません)

「ピーターの法則」L・J・ピーター著 ダイヤモンド社
大組織では、人は出世するほど無能化(サル化)するという法則を明らかにして、
世界的ベストセラーになった本。

「愚か者ほど出世する」ピーノ・アプリーレ著 中央公論新社
「ピーターの法則」をさらに1歩すすめて、大組織に有能な人は必要なく、大組織は無能な人たちで機能することを分析した本。

いつか、「地球温暖化の『おかげ』で」という日がくる、かもしれない2007年10月13日 10時20分00秒

進化や変化というのは、生き物の進化も、社会の変化も、科学文明の進化も、個人の霊的進化も、生物が喜んで、進化や変化したいと意図したからではなく、すべて、その生き物や社会が生き延びるために「イヤイヤ」「仕方なく」起きてきた、というのが、長年進化論を学んで得た、私の結論である。

一つ例をあげると、類人猿から進化したといわれるヒト……

なぜ、われわれの祖先が、四足歩行から二足歩行へ進化したかといえば、それは、今から5百万年前頃のアフリカ大陸で、大規模の地殻変動が起こったせいで、広範囲で、山脈が焼けて草原となったからというのが、一つの大きな要因であったとされている。

つまり、山でのライフスタイルが維持できなくなった結果、類人猿は草原で生き抜くために、「イヤイヤ」二足歩行をせざるをえなくなった、というのが、人類学の一つの定説となっている。

類人猿たちは、「二足歩行のほうが、楽しそうだ。みんなで二足歩行を練習しよう」とか、「進化・成長するために、二足歩行をしよう」ということでは、決してなく、

「今までのように四足で歩いていては、オレたち、死に絶えてしまう、ヤバイ!」という状況だったのである。

だから、類人猿からヒトへの進化をよいことだとするなら(チンパンジーやボノボのままでも、よかったような気もするが)、「アフリカ大陸の地殻変動のおかげで」、類人猿はイヤイヤながら二足歩行へと進化を促されたと言えるのである。

さて、そういう観点で現在人類が共通に抱えている「地球温暖化問題」を考えてみると、ひょっとしたら、今から数百年後に、「地球温暖化のおかげで」と、人類が言う日がくるかもしれないのである。

私が想像する一つの悲観的(かつ楽観的)シナリオとは、

このまま地球温暖化が進み、地球上の氷がどんどん溶けていき、そのせいで地球の半分くらいが住めないような環境になってしまったら……

そのとき初めて、人類は、地球以外に生きる場所を探さなければいけないと、種として、決断し、その決断と危機感のおかげで、光速を越えて移動できる乗り物が発明されたり、ワープ(空間の歪みを利用して、瞬時に目的地へ移動すること)の方法が発見されたりする。

そして、そういった乗り物に乗って、広大な宇宙を探索し、地球と似た環境の星を見つけて、地球より文明が劣っている場合は、そこの生き物を殺すか、食べるか、従属させるかして、そこに地球の植民地を築く。まあ、規模は、違うが、15世紀末のコロンブスの新大陸発見に似ているかもしれない。


今、地球の宇宙開発は始まったばかりで、まだ人類の大半は、本気ではない。それを本気にさせるのは、地球に残っていては、生き延びられないという危機感である。

そのとき、未知の宇宙へ出かける勇気が「イヤイヤ」「仕方なく」わくというわけである。

そして、地球の植民地が宇宙のあちこちにできる頃、人類の歴史書には、「2xxx年に起きた地球規模の大洪水の『おかげ』で、地球の科学文明は、飛躍的に進化し、われわれは宇宙へ飛び出すことができた」と書かれている、かも、です……

参考資料:NHKビデオ「生命40億年はるかなる旅」8集「ヒトがサルと別れた日」(NHKプロモーション)