フランス旅行2015年11月26日 10時52分42秒

(ブログを再開します。1ヶ月に1、2回程度だと思いますが、お時間のあるときにでも、お読みください)

先日、6年ぶりにフランスに行ってきた。まず最初に、パリからTGVで3時間半のところにあるモンペリエ(Montpellier)の町を訪問した。この町にはダグラス・ハーディングの奥様のキャサリンが暮らしていて、今回の訪問の目的は彼女に会うためだった。

キャサリンは、最初の結婚を離婚後、5人の子供をシングルマザーとして育てあげ、仕事を引退後、ダグラスと出会い、イギリスに渡り、結婚。キャリア・ウーマンでかつ、非常に家庭的で社交的な人で、ダグラスと結婚後は、献身的に彼と彼のワークを支え、ダグラスの最晩年に花を添えた人だ。現在はお子さんたちのいるモンペリエに定住し、翻訳などの仕事をのんびりとやっている。
   
 キャサリン・ハーディングへのインタヴユー   (キャサリンがダグラスとの出会いと、彼の死の前と後の人生 について語っている)
     https://www.youtube.com/watch?v=mdKyiCW9snQ

モンペリエは日本ではあまり知名度はないが、スペインに近い地中海沿岸の風光明媚な町で、フランスでは非常に人気のある観光地の1つである。温暖な気候に、海と山と歴史的建物がそろい、私が行ったのは10月の終わりの平日だったにもかかわらず、カフェは人でいっぱいで、町の中心地には観光客があふれていて驚いた。キャサリンが言うには、夏にはこの三倍の観光客で町はふくれあがるという。私が滞在していた間ずっと快晴で、町歩きがとても気持ちがよかった。

キャサリンは少し体調を悪くしていたが、それでも一緒に町歩きをしたり、彼女の娘さんの運転で海岸までドライブに行ったり、ダグラスの思い出話をしたり、来年日本で出版予定のダグラスの本、To Be and not to be, that is the answer(存在し、そして存在しない、それが答えだ)  の話をしたりして、親切に付き合ってくださり、楽しいモンペリエ滞在だった。

そのあと、パリに戻り、フランスが誇る世界遺産、モンサンミッシェル(Mont-Saint-Michel) へ1日バス・ツアーで行ってきた。モンサンミッシェルをすごく見たいというわけでもなかったけど、今回行かないとたぶん二度と行くチャンスはないかもと思い、往復9時間+滞在4時間半=13時間半の強行ツアーに参加した。モンサンミッシェルがあるノルマンディー地方はフランスの北のほうにあり、この季節がら、快晴というわけにはいかなかったが、幸いモンサンミッシェルでは雨も降らず、霧も出ず、夏ほど観光客もいず、ガイド付きなのでなんとか上まで登りきることができた。(名物のオムレツは私の好みではなかったが、モンサンミッシェルを遠くに眺めながら、食べることができた)
 
モンサンミッシェルは実は小島で村であり、(今は橋があるので、車や徒歩で渡れる)、 今でも少数の村人がいて、現在でも修行している神父・修道女もいるという。私がガイドさんに「村の人はどういう人たちですか?」と尋ねると、「年寄りだけです。若い人たちはみんな出ていきました。ここにはディスコもカラオケもないですから」との答え。歴史的観光地ってのは、一生に一回だけ来るから感動もんだけど、ここに住んだらきっと退屈(笑)。

そのあとパリでは、今、フランスでVision Sans Tete(「頭のないヴィジョン」←ダグラスの教えはフランスではこう呼ばれている)   の活動を中心的にやっているジョゼの自宅で開かれた会に参加した。ジョゼは高校で哲学を教え、また哲学やダグラスの教えについての著作もあり、二人のお子さんのよき父親でもある。

彼のマンションは、いかにもパリ風の古い由緒あるマンションで、その広いリヴィングに当日は10人くらいの人たちが集まり、指さし実験などお馴染みの実験をやった。ジョゼが哲学の先生ということもあるのか、あるいはフランス人は哲学を語るのが好きなせいか、実験をやっている時間よりも、実験の感想を語り合っている時間が長い。最後に私が日本から持参した一人用鏡付き紙袋を「携帯紙袋なので、紙袋の実験が一人でできます」と言って、参加者の皆さんにお土産として差し上げると、皆さんその場で実験して、非常に喜んでくださった。誰かに「これ特許とかあるの?」(笑)と尋ねられたので、「自由に作って、使ってください」とお答えした。

今回パリでは、キャサリンが翻訳したTo Be and not to be, that is the answerのフランス語版を探しに、Gibert Josephという書店にも行って来た。パリの本好きの人たちが通う学生街にある大きな本屋さんだ。モンペリエの書店もそうだったけど、日本の書店とはかなり雰囲気が違う。もっとおしゃれな感じがするが、その代わりというか、日本人的観点からすると、何か不便。

書店の人に、「ダグラス・ハーディングの本を探しています」と言うと、スピリチュアルな書籍のある棚までは案内してくれたが、あとは勝手に探してくださいという感じなので、棚の本を一冊一冊探す羽目に。トニー・パーソンズのフランス語版も見つけたが、その隣がロシア神秘思想家グルジェフの弟子のP.D.ウスペンスキーの本だ。ところが、師であるグルジェフの本はまたとんでもなく遠くに置かれている。「トニー・パーソンズの隣にウスペンスキーはないだろし、グルジェフとウスペンスキーは一緒に並べないとダメじゃない」と私は思い、まったくどういう基準で本を並べてあるのか理解できず、結局スピリチュアルのコーナーの棚の本を全部一冊一冊書名を確認し、1時間半以上かかって、ようやくダグラスの本を探しあてた。

そのスピリチュアルなコーナーには、日本でも翻訳されている有名な人の本はほとんどそろっていて、 なかでも圧倒的な品揃えがあったのは、OshoとJ.クリシュナムルティである。棚だけでなく、平積みもされていたので、かなり人気があるようだ。モンペリエの書店のスピリチュアルなコーナーでも、OshoとJ.クリシュナムルティの本が多数置いてあった。その他、フランスでは禅が非常に人気だ。それに比べれば、キャサリンやジョゼやその他の人たちの長年の献身的活動にもかかわらず、Vision Sans Teteはフランスでも少数派の教えである。でも、活動に関わっている人たちは誰もそんなことを気にもしないし、ダグラスはいつも言っていた。「(頭の)数は問題ではない」
 
 パリはちょうど枯れ葉の季節で、空の色と建物と枯れ葉が絶妙にマッチして、のんびりと散歩するのが楽しい。Vision Sans Tete のおかげで、パリはよりいっそう美しく見え、出会う人たちもたいていは親切だ。

そんなふうに今回のフランスでの旅を(疲れたけれど)楽しく終え、 あるがままの世界の美しさを教えてくれた ダグラスへの感謝の念をいだきながら、帰国の途についた。

と、本当はこのブログは平和に終わるはずだった……

ところが、帰国後、数日後にパリでテロが発生。まだ心身の一部がパリの空気をまとっていたせいか、パリの悲しみと痛みが伝染し、さらに風邪が長引いていることもあり、しばらく気分が重かった。

今回のテロについては、二人のフランスのジャーナリストの発言が印象に残っている。(二人とも日本のメディアでもその発言が広く紹介されたので、ご存じの方も多いと思うが)、一人は奥さんを今回のテロで亡くした人で、彼は「私はテロリストに憎しみという贈り物を与えない」と、自分の心境を綴っている。

それからもう一人は、ISに捕まえられ人質として暮らし、ISの幹部とも話した経験があるジャーナリストの発言で、彼は、「ISの幹部たちは実は非常に幼稚で、インターネットなどのソウシャルメディアが大好きで、いつも欧米の政治家たちの発言をチェックし、欧米の政治家たちや国民がISへの敵意や対立をむき出しにする光景を見ると、とても喜ぶ。反対に彼らは、欧米諸国が難民を歓迎したりする光景に困惑する」  という主旨の話を語っている。今回のパリのテロで、欧米は難民に冷たくする口実を見つけ、本音では難民を入れたくない欧米諸国と、本音では欧米が難民を拒否することを望んでいるISは、奇妙なことに利害が一致している。

彼のメッセージの日本語の要約が下記に出ている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20151119-00051589/

つまり、ISは対立、憎しみが大好きで、平和、融和が大嫌いというわけだ。だからこそ、奥さんを亡くしたジャーナリストの人は、「私は彼らに、彼らの大好きなもの(憎しみ)を与えない」というメッセージを発したわけだ。ISのテロの被害にあった人やその遺族が、憎しみに屈しないという決意をすることは本当に世界に勇気を与えることであるし、多少でも考えてみれば、ISへの空爆が(世界の武器産業を喜ばすことにはなっても)IS撲滅とは決してならず、「テロとの戦い」 を政治家たちが声高に叫べが叫ぶほど、世界のテロリストたちは自分たちの存在意義を見い出し、ますます元気になり、増殖するのは明らかなことだ。それでも、「テロとの戦い」 をやめることができないのが、(政治家たちの個人的意志というより)、政治的マインドの悲しい性(さが)なのである。
 
だから、これからも世界では空爆とテロは続くだろうし、私たち一人一人はそういった世界情勢に対しては無力である。しかし、ダグラスその他の先生たちが教えてくれたことは、それでも私たち一人一人があらゆる瞬間に目覚め、日々の日常生活の中で、「対立と抵抗と憎しみ」を手放し、平和になることができる可能性だ。

「世界の平和はまず自分から」とは、ダグラスがよく言っていた言葉の1つであり、自分が平和であれば、そのとき、自分のまわりの世界に親切と愛情を増やし、私たちは世界の平和にほんの少し貢献することができるのだと思う。

「ハム様の質問への回答」

ラメッシの教えを理解するかどうかは、たった1つの観念を、知的にではあっても、理解するかどうかです。
  
それは、「起こるはことは何であれ、すべて神の意志である」、別の言い方をすれば、「神の意志がなければ、何事も起こらない」。(もし「神」という言葉に抵抗があるなら、それを「分割されない全体」とか「意識」などの言葉に置き換えてもいいです)

そして、その理解さえも、起こるかどうかは、個人の意志によってはいない、ということです。理解が起こることが神の意志なら、それは起こる。理解が起こる運命がなければ、何をやっても起こらない。

ですから、「それで、自分は行為していないという理解が、生じるのでしょうか? 」という質問へのお答えは、

「そんなこと、誰にもわかりません」

   


コメント

_ ハム ― 2015年12月01日 14時24分33秒

回答、ありがとうございました。

今、思ったのですが、『意識は語る』で、書いているように、自由意志も運命の一部と思って、生きたほうがいいのかもしれません。

_ yama ― 2015年12月03日 13時10分52秒

ブログ再開と言う事で
お帰りなさい。 

>To Be and not to be, that is the answer(存在し、そして存在しない、それが答えだ)
出版楽しみにしています。

自然法爾

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